去年のクリスマスも寒が強かったが、今年は寒に加えて寒風が通りに吹きこんでいた。昼過ぎに、若草通りのアートギャラリーIRO-SORA・ティールームに行った。がらんとした飾り気の無い事務室のような喫茶店だったが、音響はよく、ほとんど余計なものがないという室内がよかった。初めてだったので、左にカウンターがあってコーヒーミルやカップが並んでいる棚があるのも気付かぬほどだった。街角の個人経営のギャラリー、真空管アンプによるレコードLPクラシックを聴くにまさにぴったしの環境であった。ここで、2年ぶりにあったNさんのハイドンの解説を聞いた。かれにとって生活とは、音楽を聞くことであった。まさに音楽に自分の生活を投げ込んだ。ある意味では、音楽がかれの人生を狂わした。そんなかれのレコード解説は身に染みる。その言葉には、一言の自己顕示もないからである。
クリスマスのイルミネーションは、今年は、真っ暗闇の中でいっそうの孤立感があって、光が凍り付いているようであった。中心市街では、駅前商店街の150メートルほどの歩道に、銀色と青色の並木のようなイルミネーションが、目を引いた。青と銀色の光が闇をいっそう深めており、誰一人通行者の歩いていない商店街を照らしていた。
翌日、日曜のクリスマス、午後3時ごろ、青井岳温泉から帰ったばかりで、妻は急に、イオンに買い物に行きたい、そこで今日まで有効の「宮崎市全市連合歳末大売りだし抽選券本券」を6枚と、補助権13枚を手渡した。それも30分間ほどあちこち探し回った挙句で、いらいら待っているぼくにだ。曰く、抽選器を早く回すと当たり玉がでてこないので、ゆっくり、ゆっくり回すようにしてという。わかったと返事もふっきらぼうに、いそいで券をバッグに押し込むや、風の街へ自転車を漕ぎ出したのだ。山形屋本館、東新館の間の通路には、券の引き換えに行列が20メートルほど2列になって並んでいるのだった。諦めてすぐに別の会場とあったボンベルタ4階に向かった。しかし、そこには、だれもいなかったし、抽選場も無かった。一階のインフォメーションに行くと、だれもいず、まっていると、70歳くらいのおばあちゃんが途方に暮れた顔で、抽選場はどこにあるのでしょうかと、聞いてきた。
「ここじゃダメですな、赤球駐車場がもう一箇所のようなので、そっちの方がいいでしょう。」と答え、ぼくもそっちに向かうことにした。また自転車を駐車場からとってきて、150メートルほど先の駐車場に向かった。そこに着てみると、ここはおじさんが2人車を誘導しているばかり、抽選場はどこですかと聞くと、ここじゃないというので、赤球駐車場と書いてありますがと言うと、
「それは第二駐車場ですが、間違って来なさる人がいますよ」
「第二駐車上はどこなんですか」
「ボンベルタの裏手です」
「ええ、また、ボンベルタか」と引き返そうとすると
「第二駐車上は午後7時からですがな」
「え、抽選は、午後6時までとなってるんですが、どうなってるんですかっ」
「いやあ、私どもはわからんですが、ボンベルタの裏のポケットパークで抽選
してますが」
そこで、ようやく、ボンベルタ会場は、裏玄関出口のコートに変わったのを知ったのだ。通路は4階でなくて、この道路であった。しかし、ここも20メートルほどの行列が出来ていた。ロシアじゃあるまいし、並ぶ気も失せたので、そのままこの先に裏口のあるタリーズに入って、行列をやり過ごそうとした。すでに時刻は4時20分をまわっていた。読書に集中できずに、5時半にでて、こんどは寒風を避けられる山形屋に向かうと、なんと行列はまえよりも長くなっていた。テントもまわりは、ちり紙や、駄菓子や洗剤が山となっていて、なんやら人々はその近くのテーブルで懸命にやっている。やっているのは、抽選券と替えてもらった券を、貨幣でこすっているのだった。がらがら回すのでなくて、擦るのだ。時間がかかるはずだ。またもや、ボンベルタ裏に引返すと、ここも行列は長くのびていた。最後尾に並んで待つしかなかった。本を立ち読みするにも当たりは暗くなってきた。出鱈目すぎる、主催者どもめ。なにが宮崎市地域商業復興支援事業実行委員会だと、むかついてきているとプラカードを掲げて歩いてきたおあばちゃんが、明日の午後4時まで抽選しますので、お帰りくださいというのであった。列の最後までやったらどうですかと詰め寄る人もいた。くじは、午後6時半までに本部にととけることになっていますので、ダメですというのであった。
こうして、日曜日の午後2時半から6時までの時間が、消し飛んでしまった。「地域商業復興」というイベント企画を、本気で実行委員会は、検討したのだろうか。かのテレビでさへ、地域商業の活性化イベントで面白いもの、成功したものを折りにふれて紹介しているのだが、1人でも実行委員は視聴したことがあるのだろうか。この冬、クリスマスの日になぜ福引しか思いつかなかったのだろう。券のデザインを改めて見ると、見事なまでにありきたり、よくもここまで工夫もなく、ただゴジック体と明朝体の活字が並べただけである。左下に花の平凡な丸いデザインがあって「笑顔を咲かせよう」と囲んである。笑顔なんて、咲くはずが無い。
福引であろと、創意が必要だ。福引というありきたりの手段で年末商戦を乗り切ろうとするなら、それはそれでいい。地域商業復興支援などと宣言するからには実行委員会は、それだけの構想と実現性を天下に問うべきであろう。結局は、他人、つまりお客である市民に甘えているにすぎないのだ。2011年、甘えの福引商戦終わるのクリスマスであったと記録するしかない。