市街・野 それぞれ草

 802編よりタイトルを「収蔵庫編」から「それぞれ草」に変更。この社会とぼくという仮想の人物の料理した朝食です。

未知座小劇場のホームページチックして

2014-05-10 | 演劇
昨日の当劇場の宮崎公演を述べたが、未知座小劇場についてはのべてなかったので、一言付け加えておきます。インターネットで劇場名で、検索すると、同劇場の公式ホームページに入れるので、その軌跡(歩み)や上演記録、上演チラシ集が一覧できる。この中で、チラシは、かってアングラといわれた70年代の匂い濃厚なチラシを懐かしいです。これを眺めて劇団を判断することは、もはや出来ないかもしれませんが、スタートはこのチラシのようだったと想像してもいいのかもしれません。上演記録一覧がありますが、出演者も内容も記載してないので、残念ながら、チラシをみての印象しかえられません。これはまちがっているかもしれません。ただ、ばくには楽しめたのです。
 
 劇場の軌跡と要約すると、1972年2月「ゴドーを待ちながら」(ベケット作)を公演、この上演委員会から未知座小劇場を結成、」1975年「ぼくらが非常の大河をくだる時」(清水邦夫作 闇黒 光 演出)が旗揚げ公演となっています。その後、1996年第36回公演「レスビレーター」まで、旺盛なテント劇巡演をつづけています。この公演をもって集団としての未知座小劇場を解散し再編とされていますが、その理由は、ぼくにはわかりません。とにかく36回という
公演を代表の闇黒 光(河野 明)脚本・演出で公演されてきています。打上花火さん、曼珠紗華さんも70年代から、これらの劇に出演していた様子が、辛うじてチラシから判読できます。それにしても、劇団の活動暦には驚嘆させられました。この活動は、黒色テント(佐藤 信)の活動どかさなっていて、製作本数としては、未知座小劇場が多いようです。ちなみに黒色テントは、宮崎市でも1973年の「嗚呼鼠小僧次郎吉」から、新井純主演の「阿部定の犬」斉藤晴彦の「ヴォイチックと初期の傑作が宮崎神宮の境内で、上演されてきました。これは、ほとんどしられてない事実で、全国にほこっていい記録だと思います。それはそれとして、未知座小劇場も関西のテント劇団としては、群を抜く軌跡を残した劇団だったと知ることができます。

 2000年代に入って第38回公演に2005年「大阪物語」が打上花火、曼珠紗華2女優出演で、大阪、新潟でえんじられています。今回乃宮崎公演は続大阪物語と副題がついています。2006年第39回は闇黒光の作品名月記、独戯、大阪物語がシリーズとして上演され2008年「シェーマ」が第40回となり、今回につながります。なぜか、今回の「井筒 続大阪物語」には何回かの表示はありません。

 以上、かんたんに軌跡をピックアップしましたが、内容は、サイトからは、具体的にわかりません。ただ、代表の河野明さんは、「力場の論理」という
演技についての詳細な評論があります。ヨーロッパの思想書、哲学、社会科学に加え、日本の古典文学、謡曲、能、民俗学、小林秀雄、吉本孝明、柄谷行人
など現代評論家などと文献を渉猟しての演劇論を、まとめています。さらにおどろくことは、かれは現在、劇団旗揚げの時点で、パソコンにリナックスというソフトを用い、「Linuxをインストールしよう」という著書もあります。また株式会社オフイスの代表取締役で、情報技術の企業を運営しています。この読書体験、40篇におよぶ脚本、そして、出版は、オンデマンドをいう電子書籍として、自分の会社、オフイスゼット オンデマンド出版となっています。この活動領域を知ると、哲学と日本古典、現代文学とITビジネスによる情報産業の経営とどういう相互関係になっているのか、きわめて興味をそそられます。まだ、ぼくは河野さんに一面識もないし、かれの評論も読了していません。今回たかはしみちこさんのことで、彼に会えることは大きな楽しみです。
コメント
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