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曽田修司の備忘録&日々の発見報告集

「戦う動物園」

2006-11-23 21:59:47 | アーツマネジメント
ある企画のためのミーティングで話題が出て、大変おもしろいというので、小菅正夫・岩野俊郎著、島泰三編「戦う動物園」(中央公論新社)を読んだ。

戦う動物園―旭山動物園と到津の森公園の物語

中央公論新社

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ほんとうにおもしろい。

小菅正夫、岩野俊郎という2人の著者は、それぞれ、北海道旭川市の旭山動物園、北九州市の到津(いとうづ)の森公園という動物園の館長さんである。
同い年の2人は、館長になる前から互いに深く尊敬しあう間柄だったという。

旭山動物園の大人気ぶりとそれを可能にしている知恵と工夫についてはつとに喧伝されているところである。

私も、ちょうど一年ほど前に、このブログで少しだけとりあげたことがある。

→ 旭山動物園 (2005/11/18)

だが、それも、外に広く伝わっているところは表面的なものでしかないのかも知れない。

「誰もが、旭山のハードをまねれば客が来ると思っているけど、そうじゃない。ソフトが問題なんだ」とは、岩野の言葉である。

このことを編者の島は次のように解説する。

小菅たちは自分たちの動物園の展示方法を「行動展示」と名づけて、野生の生き物のすごさが感じられる展示方法に執着してきた。それには生物学の裏づけがある。小菅たちの研究の成果が形になっている。「行動展示は思いつきじゃない」というのはこのことである。

実を言えば、私は、この本を読むまで、動物園という施設が現代社会の中でいかに大きな可能性を持っているのかについて、まったく想像が及んでいなかった。

そして、旭山動物園がなしとげてきたことがいかに破天荒なことであるかも今回初めてわかった。

そして、北九州市にある「到津(いとうづ)の森公園」の存在も初めて知った。

自分の浅薄な理解と思いこみを曝すようで気恥ずかしいが、動物園はそもそも単なるレジャー施設ではなかったのである。
それは、人類学の教室であり、文明史の博物館である。

そのような動物園のあり方の根本は、小菅の「人間が正常に暮らすには野生の動物がそばにいることが、どうしても必要だ」、「野生の動物がいないと、人間は精神を病む」という端的な、きわめて説得力のある言葉にあらわされている。

旭川市の菅原功一市長の言を借りれば、「動物園は生命というものの学習の場である」ということになる。

なお、あとがきを読むまでわからなかったが、編者の島泰三という人は、岩野俊郎館長の実の兄で、「房総自然博物館館長、日本野生生物研究センター主任研究員、国際協力事業団マダガスカル国派遣専門家(霊長類学指導)などを経て、現在NGO日本アイアイファンド代表」とある。

2つの動物園の成功物語を、単なるマーケティングの成功例としてではなく、動物園の文明史的な意義を社会に示す一種の奇跡の物語として、専門知識のない読者にもきわめてわかりやすく手渡すストーリーテラーとしての手並みの鮮やかさには舌を巻いた。

とにかく、おもしろい、そして、考えさせられる好著である。勇気ももらえる。
ぜひ、読んでみていただきたい。















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1 コメント

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 (しんぞう)
2006-11-25 13:16:36
偶然にも友人がこの日、23日、
旭山動物園に行ってました。
ミクシィの日記に、なにやら面白いことが書いてありました。餌を食べている白熊を水中側から見れる、とか今までに無い視線で動物を見れるようですね。
私は「う~ん、、アートも見せ方重要だな・・・」なーんて思い、そのあとsotaさんのブログを見たら・・・また旭山動物園ネタ!!かぶってる!!
私はこういう偶然に弱いんです。何かあるのでは?と調べてみたくなりました。
本、興味ありますね.
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