ときどき、ドキドキ。ときどき、ふとどき。

曽田修司の備忘録&日々の発見報告集

アートの公共性と公立文化施設の役割についての試論

2006-03-08 17:03:13 | アーツマネジメント
「文化経済学会〈日本〉」という学会がある。
私は1995年から会員になっているので、もう10年が経過したことになる。

今年の研究大会は、6月10・11日に久留米で開催される。
研究発表のエントリーの締切が去る6日だったので、同日夕方ぎりぎりに申込をした。

今回、発表しようかどうかやや迷ったのだが、結局発表することにしたのは、栗東芸術文化会館「さきら」の指定管理者選定に関わる問題については誰かが報告しておかなければならないし、それだけでなく、公立文化施設の役割について、このところ考えていることを少しまとめてみようかとも思ったからである。
 また、1月21日に早稲田で行われたシンポジウムで山口や松本の事情も聞けたので、そのことも論考に入れ込めればと考えている。(この2つの事例についても、これまできちんとした研究がなされていないのではないだろうか。)

(参考) → ガソリン代をけちる (2006/01/24)
 
     → 公立文化施設の役割は、「有益な社会的変化」を起こすことである (2006/01/31)

発表のタイトルは、「アートの公共性と公立文化施設の役割についての試論」とした。
申込書に書いた発表要旨をそのまま以下に転載しておく。
(以下、転載)

日本においては、文化施設の公共性に関する議論が未成熟である。昨年末の栗東芸術文化会館「さきら」の指定管理者制度導入をめぐる混乱の例のように、文化施設がインスティテューションととらえられず経営効率のみが重視される傾向が強く見られる。また、近年、山口市や松本市で文化会館の新設に対して地元住民からの反対があり、建築運営計画の見直し(経費削減)の主張が両市長選挙で住民の支持を集めた。このことも公立文化施設に対する現実の住民の意識を直接反映していると言える。 
拙論では、これらネガティブな現象をも直視しつつ、公立文化施設の役割を「実験の価値を認め、その機会と場を保証すること」ととらえ、それが社会に有益な変化をもたらすという意味での「公共性」を持っていることを指摘する。さらに、アートの持つ「創造性」と「固有性」が従来のトレードオフの関係から互いが互いの存在を成り立たせる相互不可分の関係に変化しつつあることを論証する。

コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« シンポジウム「横浜トリエン... | トップ | BankART1929にアサヒビール芸... »

コメントを投稿

アーツマネジメント」カテゴリの最新記事