跡見と玉川大学のアーツ・マネジメントの講義で、「企画書の書き方」について講義をした。
そのときの説明で強調したのが、少し前のブログで紹介した「企画書とは、説得のための文書である」ということだ。
→ 「企画書とは、説得のための文書である」 (2005/11/25)
私としては、今年も特に内容を変えるつもりはなかったのだが、たまたま昨年、市販の企画書の書き方に関するビジネス書を参考のために買っておいたので、講義前にそれにざっと目を通してみたところ、意外なことに気がついた。
今回、私が参照した参考書は、ここに挙げた平田英二著のものである。
そこには、企画書の必須要素として、5つの項目が挙げてあり、「1 課題の提示(発見) → 2 基本戦略 → 3 目標 → 4 企画概要 → 5 効果」の順に提示していくのだ、と説明がある。
この説明を読んでいるとき、私は、なるほど、と思ったし、わかりやすい説明だと思った。同書の中で特に重要だと思われるページをコピーして配付資料も用意した。つまり、私にはこの本の内容は、まったく違和感はないものであった。
ところが、そのあと、具体的に授業の進行を考えてみると、これをそのまま「企画書の書き方」として教えるには具合が悪いことに気がついた。
どういうことか。
昨年の同じテーマの講義では、私の経験則に基づいて、曽田版「企画書の書き方」を説明した。
それには、こういう流れが書いてある。
「企画意図 → 企画概要 → 実施計画(予算・実行組織・スケジュール) → 問い合せ先」
どこが違うのか。
一目で明白なように、平田著で「1 課題の提示(発見) 2 基本戦略 3 目標」とそもそもの導入から3段階に分けて明示されているところが、単に「企画意図」に置き換えられている。さらに言えば、平田著の「5 効果」も、私の説明では「企画意図」の中に入っていると考えてよい。
これはどういうことかと言うと、ひとつには、ビジネスにおいては、企画書は「課題対応型」だということである。つまり、「事業を行って利益を上げる」という目的がはっきりしているので、「そのための課題は何か」「どう取り組むべきなのか」「何を達成目標とするのか」を明確に具体化しないことには、ものごとがスタートしないのである。
これを、別の言葉で、result-oriented (結果志向型)とか objective-oriented (目的志向型)、あるいは、 goal-oriented(目標志向型)とか言うことも出来るだろう。
だが、アートに関しては、これをそのままあてはめるのは、むしろ、間違っている、と言わざるを得ない。
何故か。
基本的に、アートに「正解」はないからである。
ある特定の課題について、答えが決まっているのなら(決めることができるのなら)、それはアートとは言わない。
むしろ、課題を発見しようとする行為そのものとか、そこから答えを探すプロセスのことをアートというのである。
これも、別の言葉で言えば、self-generative (自己生成型)とでも言うことができるだろう。
これに、「オートポイエーシス」というギリシャ語を使ってもよい。
(特定の)目標のないもの、答えのないものがアートだ、というのは、実にわかりやすい説明である。それは、つまり、既成の概念から自由なもの、ということの言い換えであるからだ。
つまり、ビジネスにおける企画書と、アートにおける企画書とは、同じ企画書と言いながら、何のために、何を実現しようとするのか、という大元のところに決定的な違いが存在する、ということなのだ。
とは言っても、実は、平田著においても、「企画意図」という言葉が使われている場合もあって、それは、「企画の趣旨と目標設定をまとめたもの」という位置づけを与えられていた。課題さえはっきりしていれば、達成目標とそれに至るアプローチはある程度フレキシブル(あるいは自己生成的)でありうる、という認識からそのような説明になっているのだろうと私は解釈した。
最後にひとつ付け加えておくと、アートの企画書だからと言って、ビジネスの企画書の発想を全否定したり無視したりしていい(または、そうすべきだ)というわけでは決してない。
アートマネジャーにとって、戦略的な(課題対応的な)アプローチは必須のものであり、アートの特性が損なわれない限り、課題解決志向型のアプローチがアートの世界に持ち込まれることは否定されるべきものではないと私は考えている。
今回、自分でも思いがけない発見だったこともあり、授業の中の説明では十分に意を尽くせなかった感もあるので、ここに補足して書きおいた次第。
そのときの説明で強調したのが、少し前のブログで紹介した「企画書とは、説得のための文書である」ということだ。
→ 「企画書とは、説得のための文書である」 (2005/11/25)
私としては、今年も特に内容を変えるつもりはなかったのだが、たまたま昨年、市販の企画書の書き方に関するビジネス書を参考のために買っておいたので、講義前にそれにざっと目を通してみたところ、意外なことに気がついた。
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今回、私が参照した参考書は、ここに挙げた平田英二著のものである。
そこには、企画書の必須要素として、5つの項目が挙げてあり、「1 課題の提示(発見) → 2 基本戦略 → 3 目標 → 4 企画概要 → 5 効果」の順に提示していくのだ、と説明がある。
この説明を読んでいるとき、私は、なるほど、と思ったし、わかりやすい説明だと思った。同書の中で特に重要だと思われるページをコピーして配付資料も用意した。つまり、私にはこの本の内容は、まったく違和感はないものであった。
ところが、そのあと、具体的に授業の進行を考えてみると、これをそのまま「企画書の書き方」として教えるには具合が悪いことに気がついた。
どういうことか。
昨年の同じテーマの講義では、私の経験則に基づいて、曽田版「企画書の書き方」を説明した。
それには、こういう流れが書いてある。
「企画意図 → 企画概要 → 実施計画(予算・実行組織・スケジュール) → 問い合せ先」
どこが違うのか。
一目で明白なように、平田著で「1 課題の提示(発見) 2 基本戦略 3 目標」とそもそもの導入から3段階に分けて明示されているところが、単に「企画意図」に置き換えられている。さらに言えば、平田著の「5 効果」も、私の説明では「企画意図」の中に入っていると考えてよい。
これはどういうことかと言うと、ひとつには、ビジネスにおいては、企画書は「課題対応型」だということである。つまり、「事業を行って利益を上げる」という目的がはっきりしているので、「そのための課題は何か」「どう取り組むべきなのか」「何を達成目標とするのか」を明確に具体化しないことには、ものごとがスタートしないのである。
これを、別の言葉で、result-oriented (結果志向型)とか objective-oriented (目的志向型)、あるいは、 goal-oriented(目標志向型)とか言うことも出来るだろう。
だが、アートに関しては、これをそのままあてはめるのは、むしろ、間違っている、と言わざるを得ない。
何故か。
基本的に、アートに「正解」はないからである。
ある特定の課題について、答えが決まっているのなら(決めることができるのなら)、それはアートとは言わない。
むしろ、課題を発見しようとする行為そのものとか、そこから答えを探すプロセスのことをアートというのである。
これも、別の言葉で言えば、self-generative (自己生成型)とでも言うことができるだろう。
これに、「オートポイエーシス」というギリシャ語を使ってもよい。
(特定の)目標のないもの、答えのないものがアートだ、というのは、実にわかりやすい説明である。それは、つまり、既成の概念から自由なもの、ということの言い換えであるからだ。
つまり、ビジネスにおける企画書と、アートにおける企画書とは、同じ企画書と言いながら、何のために、何を実現しようとするのか、という大元のところに決定的な違いが存在する、ということなのだ。
とは言っても、実は、平田著においても、「企画意図」という言葉が使われている場合もあって、それは、「企画の趣旨と目標設定をまとめたもの」という位置づけを与えられていた。課題さえはっきりしていれば、達成目標とそれに至るアプローチはある程度フレキシブル(あるいは自己生成的)でありうる、という認識からそのような説明になっているのだろうと私は解釈した。
最後にひとつ付け加えておくと、アートの企画書だからと言って、ビジネスの企画書の発想を全否定したり無視したりしていい(または、そうすべきだ)というわけでは決してない。
アートマネジャーにとって、戦略的な(課題対応的な)アプローチは必須のものであり、アートの特性が損なわれない限り、課題解決志向型のアプローチがアートの世界に持ち込まれることは否定されるべきものではないと私は考えている。
今回、自分でも思いがけない発見だったこともあり、授業の中の説明では十分に意を尽くせなかった感もあるので、ここに補足して書きおいた次第。
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