昨日今日明日

きのうを思い、きょうを実感し、あすに想いを馳せよう。
若年性或いは老人性痴呆症にならない為にもね?

songzhaoのボケ封じ数学講座第3講

2006年01月12日 | Weblog
 今日は素因数分解に挑戦する:

 素因数分解とは、任意の自然数(正の整数)を素数の積として表示することをいう。
 例えば、4=2*2(2x2)=2^2(2の2乗のコンピューター言語での書き方)、6=2*3、8=2^3、12=2^2*3というように、素数の積として表記することです。
 
 私たちも学生の頃、確かに、「素因数分解」についても学んだのですが、非常に印象が薄いものとして記憶の片隅に残っているかどうか疑わしいのではないかと思う。
 その理由はとても簡単で、当時の学習指導方針が、ただ単に「素因数分解」という技術だけを教えることだけが目的の全てだったからに外ならない。時既に遅しであるが、実は、合理的に連立方程式を解くための前提となる重要事項なのである。
 そういう意識付けが行われなかったことは、まことに不幸であった。

 現在では、大量のデータを処理できる類のコンピューター言語が、必然的に主流になっていますが、BASIC言語はアルゴリズム(パーソナルで破綻しないコンピューター・プログラム)を構築するには、最適な言語です。コンピューターの構造などの知識が無くても十分に活用できるのである。何よりも簡単な英語の知識さえあれば、それで十分という取っ付き易さがとても良い。

 コンピューターのプログラムは、それを作る人の思考方法を写し取る鏡のようなものです。私が恥じも外聞も無く紹介するものは、ただ単に一例に過ぎないと思ってください。
 頭の良い人が組めば、いくらでも合理的なプログラムを構築できるのである。とはいえ、効率の良し悪しはさほど問題ではなく、破綻しないアルゴリズムを構築することが最重要なことである。

 現代は、何よりも先に成果が求められる世相であるから、先ず次のプログラムをポケコンに書き込んでみて下さい。(素数を求めるプログラムを消す必要はありません)

 100 REM***ソインスウ ブンカイ
 120 CLEAR:CLS:DIM A(1,20)
 130 INPUT”セイスウ”;X:Y=X:E=0:F=0
 140 FOR J=2 TO X
 150 IF FRAC(Y/J)=0 THEN 160 ELSE 190
 160 IF FRAC(Y/J)=0 THEN Y=Y/J:E=E+1:GOTO 160
 170 A(0,F)=J:A(1,F)=E:F=F+1:E=0
 180 IF J=Y THEN 200
 190 NEXT J
 200 CLS:PRINT”セイスウ”;X:FOR J=0 TO F-1:PRINT A(0,J);”^”;A(1,J);:NEXT J
 210 Z$=INKEY$:IF Z$=””THEN 210 ELSE 120

 間違いなく打ち込んでくれたことを前提にして、作動テストをしてみよう。
 RUNモードにして、RUN100と打ち込んでENTERキーを押してください。すると、
 セイスウ? と表示されますので、2を入力してENTERキーを押してください。すると、2^1(2の1乗)と表示されるはずです。次にどれでも任意のキーを押してみてください。すると、セイスウ?と最初の表示に戻りますので、いろいろな「整数」を入力して、結果が正解か確認してみてください。因みに、100の結果は、2^2 5^2と表示されますが、これは、(2の2乗)x(5の2乗)というように解釈していただきたい。

 簡単にプログラムの説明をしますと、
 100行はプログラムの名称です。REMの後に打ち込んだ文字は解説文として計算上は無視されます。
 120行は変数と画面をクリアーします。A(1,20)を配列変数と呼びます。上下二段の下駄箱がそれぞれ二十一マスに区切られているイメージを持ってください。この一マスごとに一個の数字データを入れることができます。ここで、重要なことは0を一とする数え方をすることである。したがって、配列変数A(1,20)の中に2*21=42個のデータを収納できます。DIMとは配列変数を宣言する変数です。
 130行では、変数Xに求める「任意の整数」を入力し、そのXのデータを保存する為に変数Yに保存します。Eは素数の指数部をカウントし初期値は0です。Fは配列変数のデータの位置を指し示すための変数です。初期値は0です。
 140行と190行でFOR~NEXT文を構成します。カウンターは変数Jです。
 150行では、YがJで整数で割り切れるかの判断をします。割り切れる(割り算をした少数部が0)なら160行に飛び、割り切れないなら190行に飛びます。
 160行では、割り切れる回数だけJで割り、一度割るごとにYにY/Jの値を代入し、同時に指数部のカウント変数Eに一づつ加えていきます。
 170行では、A(0,F)とA(1,F)にそれぞれ、JとFの値を代入します。同時に配列のポインター変数Fに一を加え、指数部を表示する変数Eを0に戻します。
 180行はJ=Yとなったら、200行に飛ばせます。
 190行はJに一加えて、140行に戻します。
 200行は結果を表示します。
 210行は結果表示を持続させるためのものです。任意のキーを押すと最初の行120行に戻って、何回でも次の計算が可能になります。

 大きい数字を素因数分解するにはいささか時間がかかってしまいます。「素数を求める」で覚えた方法を取り入れればもっと早く処理できますが、今日は私はいささか疲れた。次回の講義は最大公約数、最小公倍数とします。

人民日報東京支局

2006年01月11日 | Weblog
「次の首相は靖国参拝すべきでない」 公明・神崎代表 (朝日新聞) - goo ニュース

 日本国には、至上のお召使いメディアの外にも反中、反朝日、反抗明で喰っているメディアもまた多い。最近では人民日報東京支局発の情報も日本国民には飽きが来たらしく「笛吹けど踊らず」仕舞いとなっているらしい。この「人民日報東京支局」という粋な表現も反中、反チョウニチ、反抗明を旨としている雑誌「WILL」からいただいたものである。最近の嫌中韓雑誌は巷に溢れていて、それらが、売れに売れているということであるらしいのだから、購読者もそれに比例した多さの証明である。
 最近、中共、韓国の「至上のお召使い」どもは、今中国から媚中紙は何をしておるのかと言う「泣きが」入っているのであるから、時を得たかのように騒々しく騒ぎ立てるがよい。
 そのような声も、冷静で常識的な日本国民には「蛙の面にションベン」「馬耳東風」「豆腐に鎹」「糠に釘」の如き取るに足らない些細な問題であるのだ。なんぼ地球が狭くなったとはいえ、インド人の知能たるや中国人などの比ではない。オーストラリアもニュージーランドも共に自由、民主、人権国である。
 大きな図体の被害妄想で他国を脅迫して生きていくような国柄ではない。これからは、闇雲に彼の国に進出したトヨタの時代ではなく、大民主主義国に基盤を据えたスズキ自動車の時代なのである。経済人は常にリスクを認識して国外進出を企てるべきものだろう。ろくに調査もせずに劣等国に進出し、そのリスクを日本政府に押し付けようなど、誠に言語道断である。後始末を善意の第三者たる国民に要求すべきではない。
 日中戦争の本質とは、当時中国人の特性が分らず大陸に進出した「経済人」の尻の始末を日帝にしわ寄せしたのが、日中戦争の伏線になったことは、否めない事実であろう。日本国民に「アホ」な要求をする前に少しは歴史の勉強をしたまえ。
 とにかく「別勉強自己」これは中国語である「ビエ・ミエンチャン・ツゥチー」と読むのであるが、大陸においては身の程をわきまえ是非「ご無理をなさらないでいただきたい」。それが、先人が命に代えて伝える日本人への戒めである。


毎日新聞の記事に注目する

2006年01月10日 | Weblog
 私は今日のこの記事が気に入ったので書き留めておく事にする。野口武則氏の署名記事である。

 小泉純一郎首相が通常国会で成立を目指す女性、女系天皇容認のための皇室典範改正案に対し、自民党内に「男系で続いた皇室の歴史を変えるな」という強固な反対論が広がりつつある。政府案の提出阻止、一部修正、対案提出などあの手この手で、「男系継続維持」を目指しており、「討議党則に馴染まない」との意見も強い。展開によっては、郵政民営化以上の党内亀裂を生みかねず波乱含みだ。
 首相の私的諮問機関「皇室典範に関する有識者会議は昨年11月(1)女性、女系天皇の容認(2)皇位継承順位は産まれた順の長子優先を打ち出した。千数百年も男系を維持してきた天皇制に母方の血を引く女系を初めて認めたのがポイント。政府は二月中に改正案をまとめる方針で、成立すれば、「日本の歴史上最大の改革」(研究者)とも指摘される。
 小泉首相は95年、初めて自民党総裁選に立候補した時から、「女性が天皇になるのは悪くない。必ずしも男子直系にはこだわらない」と発言。一貫して女性天皇容認論で、通常国会での成立に自信を見せている。毎日新聞が昨年12月に実施した世論調査では「女系天皇容認」が71%に上るなど「世論は味方だ」との読みもあるようだ。
 ところが、同月15日、超党派の保守系議員で作る日本会議国会議員懇談会の会合で、会長の平沼赳夫元経産相は男系継承のための議員立法を表明。「小泉対平沼」の対立は郵政民営化と同じ構図だが、懇談会は自民党を中心に約240人が参加、安倍晋三官房長官も役員で、「抵抗勢力」とひとくくりにしにくい。
 自民党新人議員の「小泉チルドレン」で作る「83会」でも「男系を変えたら天皇制が壊れる」といった意見が続出。弁護士の稲田朋美議員は現行典範の「皇族」に旧宮家を類推適用し、男系男子を維持する私案を提唱するなど男系維持派が勢いづいている。小泉首相に逆らう動きが続くと党総裁選の行方にも陰を落としかねない。
 主な反対意見は(1)女性、女系天皇は認めるが、継承順位は男子優先(2)女性天皇は認めるが、女系は反対(3)現行の男系男子を維持の三つ。
 継承者がいない現状を踏まえ、皇太子夫婦の長女敬宮愛子さまの即位だけは認める考えが大勢だ。ある男系維持派は「国民の多くは女性天皇と女系天皇の違いが分っていない。事態の深刻さを知れば世論は変わる」と意気込む。(全文)

 誠に畏れ多いことであるが、女系天皇まで容認するとなれば皇室を民間に解放するのと同義ではないのか?このような日本国の精神の根幹にかかわることを郵政民営化まがいやりかたで、まな板の上に乗せられたのでは何とも乱暴である。それこそ、日本精神はおろか日本史の否定にもつながりかねないと危惧するものである。
 異議を唱える平沼赳夫会長には是非とも踏ん張っていただきたい。

 

トルコを再認識しよう

2006年01月08日 | Weblog
中東和平で意見交換 首相、9日トルコ訪問へ (共同通信) - goo ニュース

 トルコというのは日本にとって友好国だと知ったのは、中韓が目くじらを立てて抹殺しようとしている件の「歴史教科書」の市販本購読したことによる。この歴史教科書では、日本人とトルコ人の美談を巻頭で次のように紹介している。(P13~14)

 明治時代の和歌山県串本で起こったトルコ軍艦遭難の話である。

 1890年(明治23)9月16日、オスマントルコ帝国の使節団一行を乗せた軍艦が和歌山県串本・大島沖で遭難。乗組員650余名中587名の犠牲を出す大惨事となった。日本が明治維新の諸改革を行っていた頃、オスマントルコ帝国でも、近代化改革や欧米列強への対等な扱いを求めて努力をしていた。
 皇帝アブドル・ハミド二世は視察のため、日本に特派使節を派遣した。一行はトルコ軍艦エルトゥールル号で1890年6月5日来日、9月15日帰途についた。
 しかし、一行は台風に遭遇し、和歌山県串本・大島の樫野埼沖で遭難した。650余名の乗組員のうち587名が死亡、生存者69名という大惨事となった。

 この惨事に対し、地元の「串本新聞」は地元の人々の様子を次のように伝えている。

 わが村民の献身的な援助・介護活動

 エルトゥールル号の遭難現場は惨憺たる状況だった。第一発見者の燈台守はいう。「9月16日の真夜中、服はぼろぼろで裸同然、全身傷だらけの男がやって来た。海で遭難した外国人であることはすぐにわかった。「万国信号書」見せると、彼がトルコ軍艦に乗っていたトルコ人であること、また多くの乗組員が海に投げ出されたことがわかった。救助に向った村の男たちが岩場の海岸に降りると、おびただしい舟の破片と遺体があった。男たちは裸になって、息がある人たちを抱き起こし、冷え切った体を暖めた」
 助けられた人々は村の寺や小学校に収容され、手厚い介護を受けた。村では非常食用の鶏など、村にある全てのものを提供した。
 こうして、59名の命は救われたのである。

 また、「串本新聞」の社説として、明治天皇のコメントも紹介している。

 明治天皇は、生存者の援助、介護、犠牲者の遺体・遺品の捜索、舟の引き上げなどの事後処置を手厚く行うよう指示された。
 義援金の募金も行われ、樫野埼には慰霊碑が建てられた。
 今回の大惨事は誠に残念であるが、日本・トルコの両国が深い友情の絆で結ばれたことは、せめてもの救いである。これを機に、両国が協力して、更なる発展をとげていくことをねがってやまない。

 これが、中韓、革マル派、日教組、和製中韓人どもがこぞって排斥することに情熱を捧げている教科書の導入部分である。

 私などは、実に全うな教科書であるという実感を持つものである。この教科書が不適切などという連中は。日本の国家を否定する輩である。そういう思想を持つものが、教師面をして、子供たちを「バカ日本人」に仕立て上げていくのである。国民として、まっとうな声を上げる時である。
 
 そして、この話にはとても感動的なオチがついている。

 1985年(昭和60)三月、イラン・イラク戦争の折、イラクのフセイン大統領は、48時間の猶予ののち、イラン上空をを飛ぶ全ての飛行機を無差別に攻撃するという指令を出した。この時、日本の対応は遅れ、日本企業で働く日本人とその家族がイランに取り残され、彼らはテヘラン空港で脱出の術も無く、パニックになっていたという。
 タイム・リミットを目前にして、二機の飛行機が空港に降り立った。何と、トルコからの日本人救出のための飛行機だったのである。トルコ機は日本人215名をトルコに脱出させてくれたのである。
 元駐日トルコ大使は、「私たちは、日本人がエルトゥールル号の遭難事故のさいに示してくれた、献身的な救援活動を忘れていません。教科書にもその話は載っていて、トルコ人ならだれでも知っています。だから、困っている日本人を助けるのは、私たちにとって当然のことなのです」と語った。というのである。

 やはり、こういう感動的な歴史的出来事は、日本人としても語り継いでいくべきであろう。

 扶桑社の「歴史教科書」の軸足はこういうところに置かれている。

 今回の小泉首相のトルコ訪問により、倍旧の親交が暖められることであろう。日本人の国民感情としても、こういう国と仲良くしたいものだ。

songzhaoのボケ封じ数学講座第2講

2006年01月07日 | Weblog
 昨日は突然の睡魔に襲われ素数の講義を完結できなかった。講義の続きを展開しよう。
 このプログラムには、実は「怪我の功名」というところがある。
 賢い人にはその矛盾に気付かれたことであろうが。
  
 40行と50行のFOR~NEXT文において、変数Kが2から0までプラスにステップ・アップしてカウントするというのは、大きな矛盾でであるが、エラー表示せずに流れるのであるから不思議である。
 機種によっては、エラー表示し、ストップするものがあるかも知れない。そのときは、30 J= FOR A TO B:IF J <=3 THEN60と30行目を書き改めてください。そうすれば問題は無くなる筈です。

 これは、とても簡単なプログラムですので、説明は不要ぐらいのものですのが、一応説明しておきましょう。

 20行で、全ての変数と画面をクリアーします。そして、素数を求める範囲をキー入力により、指定します。

 30行と70行でFOR~NEXT文をつくります。これは指定した範囲AからBまでの範囲で変数Jが起点Aから終点Bまで一つづつ増えていくということです。即ちA-B+1回Jの値が増加していくということです。

 30行と70行のFOR~NEXT分の中に、40行と50行のFOR~NEXT文がサンドイッチされていますが、これは変数Jが一つ増加するたびに、2からJ-1回の計算を繰り返すことを意味します。40行と50行の間で行われる判別とは、変数JをKで割った値が整数で割り切れれば70行に飛び、割り切れずに小数点以下の数字があるならKに一を加えて計算のやり直しをしていく、そして、変数KがJ-1までの数にたどりついた場合は、それは素数であるから、Jを表示して一つ加えた数に対しておなじ作業を繰り返すということになる。

 因みに、素数97を判別するのに、97*95回(9215回)の計算をしていることになります。それでも、「コンピューター」は文句を言わないのであるから、実に有り難い機械なのだ。

 80行は、プログラムを止めておくための行である。””は「ヌル」といい、「空っぽ」という意味です。良く間違える人がいますが、これはスペースではありません。”を続けざまに打ち込んでください。この行において、いずれかのキーをおすことにより、最初に戻り素数を求める範囲の入力待ちの状態となります。100から200までの素数でも、求めてみたら如何なものか。

 それでは、ここでコンピューターの処理速度を上げる工夫をしよう。現代は、理屈より先に結果が要求される時代である。

 入力モードにして、35 X=INT(SQR J)そして、40行目を40
FOR K=2 TO X:IF FRAC(J/K)=0 THEN 70と書き直してください。

 もう一度1から100までの内の素数を求めてみてください。格段にスピード・アップしたはずです。

 これは、例えば12という数は、2*6 3*4 4*3 6*2という数の積という形で書き表すことができます。しかし、よく観ると2*6と6*2は同じものだし、3*4と4*3も同じものです。
 また、9は3*3というふうに書き表すことができます。これは何を意味するかというと、素数の必要条件とは一以外の2個以上の積で書き表すことができるならそれは素数ではないということである。したがって、SQR12(12の平方根)の整数部までに割り切れる数があるかどうか調べれば十分であるといえる。因みに9であるならSQR9=3まで考察すればよいのである。

 お分かり頂けたであろうか?いつになるか保証はしかねるのであるが、次回は「素因数分解」の講義を予定している。
 

songzhaoのボケ封じ数学講座

2006年01月06日 | Weblog
 皆の衆、なんぼ熟したりと雖もボケていては、若い衆の足手まといになるだけである。各々方、正気のうちに対策を練らねばなりますまい。
 
 そこで、このsongzhaoとしても、熟年でもわかる数学講座を数回にわたって組みたいと思う。ひとつ、ふたつと数を数えることから、一次方程式を解くことを目標とする。老人よ!脳味噌を柔らかく保て!

 数学という以上、数字に興味を持つことは当然のことであるが、数字の中で最も価値ある数とは何か?考えてみたことがおありか?・・・・・

 数学の発達は、「無い」という観念を自覚したことに始まる。すなわち、零(ゼロ)という観念を獲得したことに始まります。
 考えてみれば、「無い」という認識なしでは、有ると言う観念を表現することはできない。この零という数に最初に気付いたのは「インド人」だといわれる、インド人の顔を見るとなるほどと思えるほど、数学的な顔立ちをしているから不思議なものである。この零(ゼロ)という観念は、数学にどどまらずものごとの起点を表わす重要な観念である。インド人の知能に敬意を表そうではないか。因みに全体は1という数字で表わしますし、「有る」という意味ももたせています。

 この「ボケ封じ数学講座」では、まず数を数えることから始める。
 
 1,2,3,4,5、 ・・・・・これは「自然数」である。
 0,1,2,3,4,5、・・・これは「正の整数」である。

 その調子で100まで数えてみましょう。・・・・では、その中にある「素数」を書き出すことはできますか?

 「素数」とは、自然数であって、1とその数以外には約数を持たない数をいいます。ただし、1は素数ではない。

 この原則に則って1から100までの間にある素数を書き出すと:

 2,3,5,7,11,13,17,19、23、29、・・・・と全て書き出すのは一苦労である。一部にはたいそう頭の良い人もいようし、記憶力抜群な人もいよう。しかし、大方の人は即座には答えられないことであろう。アホくさくてとても付き合えないというのが、実感でありましょう。

 そこで、ここでは、最も簡単なコンピューター言語を使って、授業を行います。必要な条件とは、義務教育で履修した英語の一部です。ここで使うコンピューター言語とは、今は廃れたBASIC(ベーシック)言語を使います。コンピューターに計算をさせる指図書(プログラム)を書くことをアルゴリズムを考案するといいます。コンピューターは自分の脳味噌の程度を映し出す正直な鏡です。生まれた我子に一から行儀作法を教えるようにアルゴリズムを教え込むのです。

 教材は、ベーシックで動くプログラム電卓(俗にポケコンと呼ばれているもの)が必要となります。息子や孫に聞いてみれば、一つぐらいは持っていることだろう。

 現在、私の持っているのはカシオ計算機のFX-890Pという機種である。このポケコン市場に置いてはシャープもその一翼を担っているのであるが、今手元にシャープの機種が無いのでカシオのFX-890Pならその作動について責任を持とう。それでは、BASIC「write」モードにして、次のプログラムを打ち込んでみて下さい。

 10 REM***ソスウ ヲモトメル プログラム
 20 CLEAR:CLS:PRINT”ソスウ モトメル ハンイ”, :INPUT”from”A ,;”to  ”;B
 30 FOR J=A TO B
 40 FOR K=2 TO J-1:IF FRAC(J/K)=0 THEN 70 
 50 NEXT K
 60 PRINT J;
 70 NEXT J
 80 Z$=INKEY$:IF Z$=””THEN 80 ELSE 20

 一言一句間違えないように打ち込んでください。
 このサイトでは、数字の「ゼロ」とローマ字の「O」の区別がはっきりしませんので注意してください。実務上は数字の「ゼロ」は0を/ で消したような記号になります。分らなければ、息子や娘、孫などにお聞きなされ、親子断絶の予防薬にもなりまするぞ!。
 次にRUNモードでRUN ENTERとしてみてください。

 間違いなくタイピングされていれば、
 ソスウ モトメル ハンイ
 from?
 と聞いてきますので、1を入力してENTERを押してください。
 すると、
 to  ?
 と聞いてきますので、100を入力してENTERを押してください。
 出てくる答えは:

 1 2 3 5 7 11 13 17 19 23 29 31 37 41 43 47 53 59 61 67 71 73 79 83 89 97

 と答えが表示されます。プログラムの都合上1が出力されますが、1は数学上の決まりにより、素数ではありません。
 
 もう少し、計算を早くする策を講じるべきですが、次回とします。次は「素因数分解」に挑戦したいと思います。
 
  

偉大なる学習効果

2006年01月05日 | Weblog
自民党運動方針案 総裁選、国民参加型に 世論巻き込む戦略明確化 (産経新聞) - goo ニュース

 武部幹事長は先の解散総選挙大勝の教訓を次の総裁選、参議院選へと生かそうとご執心らしい。
 政治改革とは、所謂、圧力団体の組織票を否定してかかるということになれば、いかに国民に政治を訴え、開放し、興味を持たせ、参加させる策を講ずるかということになろう。偉大な学習効果というべきである。その戦略とは:
 
 1、改革推進を宣言
 2、持続可能な社会保障の確立
 3、北朝鮮による拉致事件に関し、経済制裁の発動を含める
 4、国民投票法や教育基本法改正の実現を目指す
 5、日本人像として、伝統と文化を尊重する特性を列挙し、靖国神社参拝を受け継ぐ
 6、脱派閥人材の育成と公募制推進

 このようなものであるという。
 5番目の項目について、三月に提出されるという「皇室典範改正案」に対しての位置付けはどうなるのであろうか?
 女系天皇を積極的に推進する案だという。これがこの項目と矛盾しないのであろうか。

 興味深い新聞記事(静岡新聞2006・1・3)があるので、写し取っておこう。

 『雄決める染色体一足早く進化か(日韓チームが発表)
 チンパンジーの雄の性染色体、Y染色体のDNA塩基配列をヒトと比較したところ、約六百万年前に共通祖先から分かれてから、Y染色体は他の染色体より早く進化したことが分った。ヒトとチンパンジーの違いを探るうえで重要な手がかりになると言う。理化学研究所を中心とする日韓共同研究チームが二日、米科学誌ネイチャー・ジェネティクスの電子版に発表した。
 性染色体は、雄がXY、雌がXXで、Y染色体は父から息子にほぼそのまま引き継がれる。
 研究ティームは、京都大霊長類研究所の雄のチンパンジー「ゴン」から細胞を採取し、Y染色体の塩基配列を解読してヒトと比較した。その結果、違いは1.78%と判明し、全遺伝情報(ゲノム)を比較した違いの1.23%より大きく、早い進化が判ったという。たんぱく質を作る遺伝子はチンパンジーに十九個、ヒトには二十個あり、ヒトでは免疫に関する一個生じていた。』

 このように、Y染色体には絶対的な意味があるのだ。私も貴方も男性であれば、父・・祖父・・曽祖父・・・へとY染色体への郷愁が湧いて来るから不思議なものである。
 こういう視点に立ち、今上陛下や皇太子さまを拝すれば、遠く男性、神武天皇のお姿が偲ばれる。それこそが、日本国民の誇りであり日本文化の寄る辺であろう。だからこそ、天皇陛下はずっと男系であっていただきたいものである。

Cuando Caliente SHIZUOKA#18

2006年01月04日 | Weblog
 Una Anecdota Hispanica: La Herradura(エスパーニャのお話:題名「蹄鉄」)

 『Amigos, Feriz Anyo Nuevo!』私は「日西友好」にも努めたいと思う。そこで、エスパーニャの人々に最も親しまれている民話を一つ紹介したい。ラ・エラドゥーラという題名で親しまれているお話です。

 今は昔、イエス・キリストと聖ペテロが世界中を旅していたある日、二人は、一緒に旅することになりました。聖ペテロは喉が渇いたのに、水を飲む泉も小川も、喉を潤すみずみずしい果物も見つからないと嘆いて歩いていました。
 イエス・キリストが「少し我慢しなさい。もうすぐ渇きを軽くする何かが見つかるはずです」と言いました。そのとき、イエス・キリストは道の真ん中に蹄鉄がひとつ落ちているのを見つけて、聖ペテロに、「ペテロよ、あれを拾っておきなさい」と言いました。しかし、聖ペテロは「何のために汚く古びた蹄鉄などが私たちに必要なのですか。しゃがむ値打ちもないではありませんか」と答えました。かれは蹄鉄を拾わずに歩き続けました。
 でも、キリストはしゃがんでそれを拾い、ポケットの中にそれをしまいました。少しして、ロバの手綱を引いている旅人に出会いました。挨拶し、話をするとその男はロバの蹄鉄を買うために、次の村まで歩いて行かなくてはならないと嘆いているのでした。
 そのとき、イエス・キリストは男に「もし、あなたが必要なら、これを売りましょう」と言いました。男はロバにそれが合うことが分ると、その蹄鉄にいくらかの代金を払いました。
 歩いて行くうちに、今度は、小籠を持った男が近づいて来るのが見えました。挨拶して、籠の中にサクランボのあることに気付いたキリストは、男に「この金でサクランボを売ってくれるかね」と訊ねました。男は「その金でこれを全部あげよう」と言ったので、キリストは蹄鉄の代金を彼に渡してサクランボを受け取り、また歩き続けました。
 蹄鉄を拾おうとしなかったので、サクランボをもらう権利の無いことが分っていたペテロは、ひと言も口を利かず不機嫌にしていました。キリストは、サクランボを一個口に入れるごとに、知らないふりをして、一個、二個と下に落としました。聖ペテロは渇きでイライラしていたので、イエスが落としたサクランボを拾いました。
 そして、サクランボを二人が食べ終わると、イエス・キリストは言いました「ペテロよ、分ったであろう。おまえは蹄鉄を拾うために一度もしゃがまなかったが、蹄鉄がもたらしたサクランボを取るのに、四十回もしゃがんだではないか」(イスパニア民話より)

 この教訓的民話はエスパニョーレス(スペイン人)の間でこよなく愛されていて、今でも田舎で拾った古びた蹄鉄は大変な「縁起物」だということである。このような縁起物は玄関のドアーに恭しく釘で固定され格好のアクセサリーとなるのである。

 そういえば、西部劇映画などでも蹄鉄のついたドアーを看たような記憶があるのだが、キリスト教文化圏には、この種の「蹄鉄」に纏わる「お話」が何種類か形を変えて流布しているのであろう。

 

Cuando Caliente SHIZUOKA#17

2006年01月03日 | Weblog
 初笑いは静岡新聞社説で:

 この社説は所謂御屠蘇(オトソ)気分で読ませて頂くものであろう。結構笑える。それはこのように始まる:

 その評価は別にして、政治は大きな変化を遂げた。その舞台は小泉劇場と呼ばれた。脚本も演出もすべて小泉団長が決める。仇討ちものが得意で、あまり長い台詞はない。ひと言で幕を下ろしてしまうこともある。昨年の「9・11郵政反対仇討ちの巻」はポット出の役者達の好演もあって、中曽根劇団の「死んだ振り解散の巻」に迫る人気を博した。風刺すればまずそんなところであろうか。
 その演出がうまくいった原因はいろいろだが、何よりも国民をその気にさせる術だろう。・・・・とこんな風に続くのであるが・・・・・

 まあ、改革というからには、既存の圧力団体の組織票を無いものと否定して掛るということであって、国民各々に、事の成否を問い掛けるといった戦術を考案し、自らの手で実行したのは実に「あっぱれ」ということになろう。いずれにしても「数は力」なのである。頭数が重要なのであって、質はさほど問題ではない。
 小泉団長のこの「けしかけ」に対し、恰もテキーラでも喰らったように足腰も立たぬほどに酔い呆けたのが、マス・メディアのご面々ではなかったか。
 そして、この演劇の「担保」として、「マニュフェスト」なるものが提示されたのであるが、我々観衆はその場の刹那(せつな)に酔わされただけであって、今や何が書いてあったのやら、とんと覚えが無いのである。日本国民たる質も問われているのである。

 このエディターが指摘するように、社会に目を向ければ、人間の陰の部分が何層にもなって覆っている。カネもうけのためなら、嘘もごまかしも何でもござれだ。
 そして、悪の手本は濡れ手に粟の政治では?と仰せになる。(彼らは、肝心なことには頬かむりして)何食わぬ顔で少子化や社会保障を論じ「日中」や「日米」を語っている。(かくして政治とは、お題目を唱えているだけの信仰なのだ)

 更に、エディター氏が仰せになることは、ポスト小泉に向けて、神だのみの小泉後継候補たちとの「嘆き」の心境である。
 そのまま写し取ってみると:
 小泉後のリーダーが誕生する年だ。その進路を占えるかもしれないと思ったが、期待薄だ。顔ぶれは新味なし。「アベシンかフクダだ。もつれればアソウだ」「小泉はアベシンだね」「じゃあ森はフクダだ」と、下町の床屋談議にも及ばない。
 肝心のご当人たちは、幕間からそっと覗いて、「当たりくじを、神さま仏さま」と手を合わせているだけだ。
 首相のイスも、政権も奪い取ってこそ本物だ。国も人も引っ張れる。そんなことで生き馬の目を抜くような国際舞台で勝ち残れるのか。国益を守れるのか。・・
・・ ま、そのー・・・まことにごもっともなご意見である。

 ポスト小泉を志す「新星」たちは、既に時代の転換点を超えたという認識を持つべきなのだ。今回小泉首相が「博打(ばくち)」に打って出て、たまたま勝利したのだと考えているようでは、「次のスター」たる資格はスタート時点においてすら放棄していることに等しい。従来のように、自民党という「村」の中の権力争いに現を抜かして、三すくみ或いは四すくみ状態に甘んじていて良いわけは無い。求められるものは、有権者すなわち国民へのアピール能力なのである。

 甚だしい蛇足であるが、億分の一の可能性ないのであるが、もし私が「小泉後継候補」立場なら、時節柄、紋付羽織袴に大小を帯刀し某大使館へ乗り込み「ワンワン」ちゃんの前で「剣の舞」の一つも舞って見せようものを!ビジュアルな今日、このぐらいの「演技力」が求められているのである。たちまち国民的アイドルとなること必定である。
 こういう「演技」を「ハルサメ志向」と称する。

 最後に、この社説の題名は「政治家は国家の進路を描き示せ」である。参照した社説は大変おもしろく上品である。拙者いささか御屠蘇気分が過ぎたかのう?「エディター殿、悪しからずや」


大嫌い作戦開始

2006年01月02日 | Weblog
領事館員自殺、中国発表に日本外務省「事実に反する」 (読売新聞) - goo ニュース

 この記事に対するコメントというにははなはだ無関係は話題であるが:

 昨年12月9日の産経新聞の記事に、中国が臓器移植法を近く交付し管理強調というのがあった(詳しくはインターネットで検索してほしい)。

 従来から、臓器移植については、世界的に「ドナー」不足が叫ばれている中、中国でドナーが多いのは、死刑囚をドナーにしているからだという指摘がなされていたことに中国政府として初めて、中国の大部分の利用臓器は死刑囚からだと認めたという。
 国際人権団体「アムネスティー・インターナショナル」によれば、中国における死刑執行件数は2004年で3千4百人であったという。
 今回の臓器移植法を制定した動機というのが実に振るっている。北京オリンピックを前に表面的に死刑囚の人道問題に配慮する姿勢を示し、国際社会の批判をかわすのが狙いであるというのだから、実に呆れた話である。
 
 こういう国では、臓器移植のために、人命すら疎かにされるのではないかという懸念が脳裏をよぎるのである。

 2005年5月には、江西省の裁判所が銃殺刑の死刑囚の腎臓を勝手に病院に売却したため、その父親が悲嘆して自殺、姉が裁判所を訴える事件が起きるとか、刑務所が死刑囚の同意なしに死刑執行後の臓器を取り出したことが発覚して、遺族に2千元(日本円で2万8千円)の賠償金を支払ったという事件が起きているという。

 中国では、人命という価値観も相当軽いものであろうし、罪悪感を喚起する道徳、倫理観を喪失してしまっているかに見える。これこそが共産党政権が齎した大罪であると指摘する向きも少なくない。

 日本人も、国内でドナーが確保できないため、中国で移植手術を受ける人が年間百数十人いるということである。私はその善悪を判断する能力は無いのであるが、日本の道徳であるとか倫理と背中合わせに、かの国の不道徳、不倫理も存在するという事実も見逃すべきではない。

 今回の上海領事館の一職員自殺の一件にしても、事件後一年半もしてから、国民に一週刊誌のスクープ記事としてリークされるとは、甚だお粗末というほか無い。これを国難として判断できず内々で処理しようとしたことは猛省すべきだと思う。子供が悪さをした時には、その場で叱る事が鉄則である。それと同じことがこの一件にも当てはまるのではないか。

天皇と源氏物語

2006年01月01日 | Weblog
 新年を迎えるにあたり、私にとって、今年の最も印象的な出来事は俄かに皇室典範改正の動きが急になり、女性天皇容認は言うに及ばず女系天皇も容認した上に皇位の継承権を第一子を第一順位とするというのが所謂、有識者会議の出した結論であるという。
 これに対して、大いなる反論が捲き起こっているのであるが、まことに当然のことであると思う。私も有識者諸氏の提示した指針には納得しかねる一人である。
 
 平安時代というのは、仮名文字が考案され、それを駆使して所謂平安の女流宮廷文学が燦燦と花開いた時代であった。特に、紫式部が執筆した「源氏物語」という長編小説は、その質、量において世界的にも「類稀」との評価を欲しい儘にしている。現代女性も「偉大な平安の才媛」というお手本があるのであるから、文壇、政界はいうに及ばずあらゆる分野で大いに研鑽して頂きたいものである。

 ところで、源氏物語の主人公「光源氏」の素性というのは、天皇である「桐壺帝」と「桐壺の更衣」との間に生まれた「御方」である。天皇が父親である以上、皇位を継ぐ有資格としての地位の御方である。
 物語では、彼は大変な美貌の持ち主で、その美しさゆえに、「光る君」と称され、「源」の姓を帝(みかど)より賜って臣に下るのであるが、やがて太政大臣、太上(だいじょう)となり、天皇に準じた「御方」となる。物語は、この御方の多情な女性関係に纏わる人間模様であるが、何故にこの「源氏物語」が時代を超越して、人気を保ち続ける本質は何であろうか。
 
 仮に、帝の御血筋以外の方の恋物語なら、単なる多情男の破廉恥な恋物語である。とても千年の風雪に耐えるものではないだろう。
 俗に破廉恥な内容でも、帝の御血筋(天皇たる資格のある)御方のお話なるゆえに、俗っぽさを超越した、「彼の御方への憧れを描き出す」ことになるのである。
 この物語の本質は「天皇」の御血筋に対する崇拝と敬愛であり、それに尽きるといっても、言い過ぎではないと思う。

 紫式部は「源氏物語」で男系天皇の至上の価値を高々に謳いあげているのである。私たちも今一度、「男系」の価値を再認識したいものである。

 そうこうしている内に、午前0時を回った。「明けましておめでとう御座います」。平成18年が良い年になりますよう祈念する。