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きのうを思い、きょうを実感し、あすに想いを馳せよう。
若年性或いは老人性痴呆症にならない為にもね?

天皇と源氏物語

2006年01月01日 | Weblog
 新年を迎えるにあたり、私にとって、今年の最も印象的な出来事は俄かに皇室典範改正の動きが急になり、女性天皇容認は言うに及ばず女系天皇も容認した上に皇位の継承権を第一子を第一順位とするというのが所謂、有識者会議の出した結論であるという。
 これに対して、大いなる反論が捲き起こっているのであるが、まことに当然のことであると思う。私も有識者諸氏の提示した指針には納得しかねる一人である。
 
 平安時代というのは、仮名文字が考案され、それを駆使して所謂平安の女流宮廷文学が燦燦と花開いた時代であった。特に、紫式部が執筆した「源氏物語」という長編小説は、その質、量において世界的にも「類稀」との評価を欲しい儘にしている。現代女性も「偉大な平安の才媛」というお手本があるのであるから、文壇、政界はいうに及ばずあらゆる分野で大いに研鑽して頂きたいものである。

 ところで、源氏物語の主人公「光源氏」の素性というのは、天皇である「桐壺帝」と「桐壺の更衣」との間に生まれた「御方」である。天皇が父親である以上、皇位を継ぐ有資格としての地位の御方である。
 物語では、彼は大変な美貌の持ち主で、その美しさゆえに、「光る君」と称され、「源」の姓を帝(みかど)より賜って臣に下るのであるが、やがて太政大臣、太上(だいじょう)となり、天皇に準じた「御方」となる。物語は、この御方の多情な女性関係に纏わる人間模様であるが、何故にこの「源氏物語」が時代を超越して、人気を保ち続ける本質は何であろうか。
 
 仮に、帝の御血筋以外の方の恋物語なら、単なる多情男の破廉恥な恋物語である。とても千年の風雪に耐えるものではないだろう。
 俗に破廉恥な内容でも、帝の御血筋(天皇たる資格のある)御方のお話なるゆえに、俗っぽさを超越した、「彼の御方への憧れを描き出す」ことになるのである。
 この物語の本質は「天皇」の御血筋に対する崇拝と敬愛であり、それに尽きるといっても、言い過ぎではないと思う。

 紫式部は「源氏物語」で男系天皇の至上の価値を高々に謳いあげているのである。私たちも今一度、「男系」の価値を再認識したいものである。

 そうこうしている内に、午前0時を回った。「明けましておめでとう御座います」。平成18年が良い年になりますよう祈念する。