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若年性或いは老人性痴呆症にならない為にもね?

大嫌い作戦開始

2006年01月02日 | Weblog
領事館員自殺、中国発表に日本外務省「事実に反する」 (読売新聞) - goo ニュース

 この記事に対するコメントというにははなはだ無関係は話題であるが:

 昨年12月9日の産経新聞の記事に、中国が臓器移植法を近く交付し管理強調というのがあった(詳しくはインターネットで検索してほしい)。

 従来から、臓器移植については、世界的に「ドナー」不足が叫ばれている中、中国でドナーが多いのは、死刑囚をドナーにしているからだという指摘がなされていたことに中国政府として初めて、中国の大部分の利用臓器は死刑囚からだと認めたという。
 国際人権団体「アムネスティー・インターナショナル」によれば、中国における死刑執行件数は2004年で3千4百人であったという。
 今回の臓器移植法を制定した動機というのが実に振るっている。北京オリンピックを前に表面的に死刑囚の人道問題に配慮する姿勢を示し、国際社会の批判をかわすのが狙いであるというのだから、実に呆れた話である。
 
 こういう国では、臓器移植のために、人命すら疎かにされるのではないかという懸念が脳裏をよぎるのである。

 2005年5月には、江西省の裁判所が銃殺刑の死刑囚の腎臓を勝手に病院に売却したため、その父親が悲嘆して自殺、姉が裁判所を訴える事件が起きるとか、刑務所が死刑囚の同意なしに死刑執行後の臓器を取り出したことが発覚して、遺族に2千元(日本円で2万8千円)の賠償金を支払ったという事件が起きているという。

 中国では、人命という価値観も相当軽いものであろうし、罪悪感を喚起する道徳、倫理観を喪失してしまっているかに見える。これこそが共産党政権が齎した大罪であると指摘する向きも少なくない。

 日本人も、国内でドナーが確保できないため、中国で移植手術を受ける人が年間百数十人いるということである。私はその善悪を判断する能力は無いのであるが、日本の道徳であるとか倫理と背中合わせに、かの国の不道徳、不倫理も存在するという事実も見逃すべきではない。

 今回の上海領事館の一職員自殺の一件にしても、事件後一年半もしてから、国民に一週刊誌のスクープ記事としてリークされるとは、甚だお粗末というほか無い。これを国難として判断できず内々で処理しようとしたことは猛省すべきだと思う。子供が悪さをした時には、その場で叱る事が鉄則である。それと同じことがこの一件にも当てはまるのではないか。