安らぎと戒め

仏像と花と山と写真を楽しみます

親父山航空機墜落慰霊と平和祈念

2013年08月26日 15時25分00秒 | 日記
 終戦直後の1945年8月30日、福岡県内の炭鉱にあった連合国軍捕虜収容所へ救援物資を投下する
任務のため飛行中のアメリカ軍機B-29が濃霧と雨のため障子岳の尾根に接触した後、親父山に墜落炎
上し、12名の搭乗員が殉職した  また、同年8月3日には日本陸軍飛行65戦隊の隼1機がこの山系
(祖母傾山系)で墜落し、1名の搭乗員が殉職していた

 殉職者を慰霊するとともに平和を祈念するため毎年地区の住民が「五ケ所平和祈念祭」を実施しており
今年は24日に、高千穂町五ケ所の三秀台で熊本から参加した在日米軍西部方面連絡将校のエリック・W
・スティングブルック少佐など米軍関係者2人を含む60人余が参加して開催された

 平和記念祭の翌日は親父山頂上の凡そ100メートル下にある慰霊碑に詣でて献花、焼香するのが恒例
になっている  しかし、近年は地区住民も高齢化し、山に登ることが困難になったことなどがあり、親
父山の慰霊碑に詣でる人が減少しているが、工藤寛さんが中心になって継続している

 私は2006年9月に偶然のきっかけで慰霊登山を知り、参加した  その後は毎年山友を誘って参加
しており、今年は3人の山友が参加した

 なお、今年は「山と渓谷社」の分県登山ガイド「宮崎県の山」1994年版の著者であり、大崩山など
の整備や登山者の指導など宮崎県の登山に関して多大な功績がある猪須克己さんが昨年9月に亡くなった
ことから、猪須さんの霊を慰めるとともに功績に対して感謝するためにご遺族に参加して頂いた

 25日は朝から降雨があり、親父山の慰霊碑と墜落現場までの登山は危険だと思われたので、登山口ま
で歩き、最初の渡渉個所手前の「親父山登山口」標識付近に日本とアメリカの国旗を並べ、献花と献酒な
どで慰霊するとともに平和を祈念した

  2013年8月26日
                                              風

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雨の中を登山口に向かう

最初の渡渉直前にある登山口に日本とアメリカの国旗を並べ、献花と献酒

故猪須克己さんの遺族が献花と献酒の後猪須克己さんの遺影を胸に

全員で慰霊と平和を祈念した 参加者の一人が読経した



工藤寛さんと故猪須克己さんの遺族が挨拶

玄武公民館で素麺を作って昼食

参加者の一人が「旧式」のガスストーブを持参したが・・・

お疲れ様でした

2006年8月、慰霊登山に私が初めて参加した時の慰霊碑

親父山に咲く金鳳花科 鳥兜属 伶人草