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中学の同級会

2013年07月09日 | 団塊の世代
一ヶ月ほど前「中学3年3組、同級会のお誘い」の往復葉書が届いた。
前回は数年前だったと思うが、用事があって欠席した記憶がある。
で10年ぶりくらいかな。先週末の同窓会に出席した。




昭和22年(1947年)生れの中学三年というと、昭和37年(1962年)の時の同級会だ。
昭和39年(1964年)の東京オリンピック、昭和45年(1970年)の大阪万博にめがけて
貧しい日本から経済が上昇して行くときだった。

団塊の世代のまっただ中。静岡市の多くの中学は50数人一クラスで、16クラス在った。
同級生みんな66歳か65歳(泣)。
ボクらも前期高齢者なんで、先生も当然ながら後期高齢者になるだろう。
葉書にはデイケアサービスに通われていると書いてある。印象深い先生だった。




当時、先生が山好きだったので、同じく山好きのボクをやたら誘ってきた(笑)。
一緒に山に泊まったコトもあった。
同じクラスの仲間を誘って山とかキャンプへ行ったこともある。

テントの中で泊まりながら
先生「おい、田中、好きな子、いるのか。つきあっている子、いるのか」
ボク「……う~ん」
先生「誰だ、言ってみろ」
ボク「※〒¢&@☆◆です」(笑)
先生「よし、彼女も次の山行きへ誘ってやろう!」
…と云うわけで、当時の彼女と何度か山へ行ったり、キャンプへ行ったりした。
今では考えられないような先生(笑)。 85歳。






みんな前期高齢者で、だれが先生だかわからない(笑)。



出生数
1947年(昭和22年度)は267万8792人
1948年(昭和23年度)は268万1624人
1949年(昭和24年度)は269万6638人
3年間の合計は約806万人にのぼる(厚生労働省の統計)。




洒落っ気

2013年06月05日 | 団塊の世代
最近、自分に「しゃれっ気」がなくなったと常々思っていた。
何か「気が利いた服を」…と思っても、ここ数年はユニクロへ行ってしまっている(笑)。
駐車場もあるし、適当に安いし、品揃えも豊富だし、通販も出来るので、
それで良しとしていた。

が、安くて豊富なことは、簡単に選んでしまう「嫌い」がある。
「まぁ、失敗してもいいや」…と思うことが度々ある。
よって、以前のように真剣に洋服を選ぶことが少なくなった。


これではいけないと思い、時間をとって、先日ショッピングモールに出かけて行った。
若者の店はたくさんあるが、当たり前だけど前期高齢者用の店はない(笑)。
団塊の世代は、すでに消費の対象として見られていないのだ(泣)。

前期高齢者だって、お洒落して、いいじゃないか!(笑)。

何軒かの若者用の店を廻った。
そして、ある店の中に気が利いた上着(コート)がディスプレイされていた。

「あっ、いいじゃないか!」
店員さんに言って、試着させて貰う。
「え~と、着るときには前のボタン、掛けない方がおしゃれです」
「う~む。そういうモノか(笑)」




ショートパンツも何着もあるが、実用的なやつばかりで、
オイル汚れなどがあってしゃれっ気に欠ける。

友人のスポーツショップ「アラジン」に行って、コロンビアのこんなヤツをチョイスしてみた。





先日、呑み会があって赤いコートを着ていったら、お店の若者が
「DANTON」って良いですよね…と云ってきた。
フランスの作業着のブランドのようだ。
誉められた(笑)。




おしゃれは足元から…か(笑)。
久しぶりにデッキシューズを欲しくなった。
スニーカータイプでなくておしゃれなヤツ。
コンビの靴はイマイチだな。
赤か濃い緑の単色が良いな。

またデッキシューズを探しに行こう。





大昔、1990年頃のデッキシューズ。
もう捨てたけど。





恩人

2013年05月24日 | 団塊の世代
大学時代、中野駅前の中野4丁目という処に3年間住んでいた。
中野ブロードウェイが出来たときで、中野サンプラザも区役所もなくタダの原っぱだった。
ブロードウェイの中に、当時「バラライカ」という定食もある喫茶店があった。
経営者が静岡出身の人だったので、頻繁に出入りしていた。

21日、東京での仕事が終わった後、40数年ぶりに、そこへ行って見たが当然違う店になっていた。
店主に問うと、同じ人がやっている店が同じフロアにあると言われて、行って見た。
店に入ってカウンターに面しているボックス席に座った。ボクと同じくらいの年齢の
ママさんがカウンターの向こう側で珈琲を淹れている。
ボクと目があった。
「……」
首をかしげて何かを思い出そうとしている仕草。
「ボク、わかりますか?」
間髪を入れずに
「田中くん!」
「うん、そう」
「えぇぇぇぇ~、うわぁ~。すごい」
カウンター席に移動して40数年前の話に花が咲いた。芋づる式に当時の話が出てきて、
忘れていたことも思い出した。

          ◆           ◆

そんなコトがあって、いろいろなコトを思い出した。

その当時ボクをアチコチに連れて行ってくれた7or8歳年上のFさんを思い出した。
帰宅してからネットで調べた。
某大手新聞社の写真部長まで勤めて退職しているコトを知った。
現在全日本写真連盟の理事をしていた。その連盟に一昨日メールをした。

「F氏は、今、全日本写真連盟の理事をなさっているのでしょうか? 
40数年前、Fさんが中野に住んでいた頃に、お世話になった静岡市の田中満と云います。
当時、まだ私は学生で中野4丁目に住んでました。中野ブロードウェイができたばかりで、2階に「バラライカ」とい喫茶店があって、そこでいつもFさんと会っていました。
スキー、ダイビングに登山にあちこちへ連れて行って貰いました。
今、Fさんは、どうしていらっしゃるでしょうか?
連絡は取れるのでしょうか?」


そして昨日、Fさんからメールが来て、次いで昨日の朝電話が掛かってきた。
また近日中に会いましょう。すごく嬉しい。

40数年前の2~3年間
1シーズンに60日は住んでいた戸狩スキー場に最初に連れて行ってくれたのもFさん。
本格的なダイビングに連れて行ってくれたのもFさん。
当時、イタリア製のマレスを買って貰った記憶がある。
http://white.ap.teacup.com/something/84.html

パイプの吸い方を教えてくれたのもFさん(笑)。




カメラの使い方を教えてくれたのもFさん。新聞社写真部だから。
酒の呑み方を教えてくれたのもFさん。
貧乏学生ではいけないような場所へ連れて行ってくれたのもFさん。
千葉大のヨット部出身だった。
書ききれないけど、仕事の写真撮影でも付いていった。

ボクに人生のなんたるかを教えてくれた一人だ。
万難を排して会いに行こう。




1968年頃、四国宇和島の沖でFさんと一緒に撮った写真。
イソバナとミノカサゴ


朝日新聞社 写真部 福永友保









中町 懐古

2013年02月27日 | 団塊の世代
ジモティーな話になっちゃうのだけど、書き留めておきたい。
日曜日、オフクロの三回忌で菩提寺に集まったのだけど、その庫裏に、
こんな水彩画が飾られていた。
静岡市の中心にほど近い場所。
「中町懐古」





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大きな地図で見る

懐かしくなって、この写真を同年代の仲間に見せたら、大盛り上がり(笑)。
柳の木、その前に立つ常夜灯。
そして路面電車、市役所、消防署、日赤。


今では名残は残っているけど、その常夜灯は近所へ移転している。
赤鳥居のしたにおさまっている。





そんな話に盛り上がっているウチに、以前、ネットのどこかで、ダウンロードした
その近辺の写真を思い出した。
誰が提供してくれたのか、忘れてしまった。ごめんなさい。

その日赤の屋上から北側を望む。柳の木が写っている。
昭和30年代の初め頃か?。





また、新中町ビルが建つ以前の航空写真



新中町ビルは【工事完了:昭和54年3月24日】










ソバ屋でライブ

2012年08月12日 | 団塊の世代
毎年恒例 夏だ!! ビールだ!! エレキで乾杯!!。
変わり映えのない「キャッチコピー」だけど、ヨット仲間のライブ。
みんなで大騒ぎ(笑)。




8月11日(土)。
「ここって、ソバ屋だよね!?」
の「いとしのサブリナ」のサブリナで夏の幕開け。
http://white.ap.teacup.com/something/1172.html




若者も(少なかったけど)、年寄りも、高齢者も老若何女は大はしゃぎ。
あっ、ニューハーフのオバサン達もいましたが(笑)。
















介護保険被保険者証

2012年03月31日 | 団塊の世代
静岡市役所から郵便物が届いた。
介護保険課からだ。
「オフクロのコトかな?」

昨年3月に他界したオフクロ。
その5年ほど前、介護施設に入った頃から静岡市役所の介護保険課へ
何度かお邪魔したことがあった。
そんな記憶があったので、「またオフクロのコトかな…」と思ったのです。


封を開けてみると、違った。
ボクの「介護保険被保険者証」が郵送されてきた。
ビックリ(泣)。






あなた様は、このたび、65歳の誕生日を迎え介護保険第一号被保険者となりますので
介護保険被保険者証をお送りします。この被保険者証は、要介護認定申請の際に必要と
なりますので大切に保管してください。

ビックリ。
今度は、自分の番か(泣)。




高山昭和館

2012年02月08日 | 団塊の世代

悲しいかな、この歳になってくると高山市内の古い町並みを見学したりして、
お茶、コーヒーを飲んだり、高山牛の串焼きを食べても、それほどの感激はない(泣)。

2時間ほど、ブラブラと時間をつぶして、観光バスの駐車場になっているお寺に向かう。
まだ20分くらいは時間が残っているけど、まあ、早めに行きましょう。
…と横を向いたら。



高山昭和館?。

なにか懐かしいニオイがして、最接近してしまった(笑)。
ビニール製のノレンをくぐると、内部がやたら広い。
見学するのに時間がかかりそうだ。
でも、見学料500円。

「三丁目の夕日'64」のそのままの風景がある(笑)。
がらくたじみたモノもあるけど、おしなべて整理されてて、好感を持てた。

受付のオバサンに問うたら、カメラ片手に一日中、いた人も居たそうだ。
2~3時間過ごす人はザラにいるようだ。









15分間でまわってきたが、写真を60枚も撮ってしまった(笑)。

1974年といえば、大卒初任給(公務員)72.800円。

高卒初任給(公務員)59.200円。

牛乳:40円 かけそば:170円。ラーメン:190円。喫茶店(コーヒー):200円。銭湯:75円。週刊誌:130円。映画館:1.000円の時代。とってもお高い。





ALWAYS三丁目の夕日'64

2012年01月30日 | 団塊の世代


「ALWAYS三丁目の夕日'64」を観に行ってきた。一人で(泣)。

早めに映画館に入ったらボクより前席はガラガラだけど
後ろ側はそれなりの年齢の人達でこんでいる。




「三丁目の夕日」は1958年、昭和33年。
「続・三丁目の夕日」は1959年、昭和34年ころか。
今度の「三丁目の夕日'64」は1964年、昭和39年。
http://www.always3.jp/osarai/index.html


高校二年生の時なんだけど、少し前のような気がしたけど
もう48年も前の話なんだ(泣)。

10月10日が東京オリンピックの開会式。
10日前の10月1日に東海道新幹線が開通、開業。

この映画のキャッチコピーが
「どんなに時代が変わっても、夢があるから、前を向ける」
いいなぁ。良かったなぁ。

この頃の写真を探してみたが、あるはずなのに見つからない。
どこへ行ってしまったんだろうか?。

山の写真だけは、すぐに見つかった。
その頃、社会人山岳会に属して山ばかり行っていたので、
当時のコトが山日記に記されていた。






この年の夏休みは涸沢をベースキャンプにして、穂高、滝谷、ジャンダルムの
岩場を楽しんでいたんだな。
http://www.the-support.net/something/onsen/oosawa/index.html


その他にも、学校のこと、試験勉強のこと、彼女のこと(笑)、
色気づいてオシャレに目覚めた頃でもあった。

平凡パンチ創刊第二号。
1964年、昭和39年5月創刊第一号は捨ててしまった。
第二号が残っている。




映画を観ていたら、当時のミユキ族が出てきて、懐かしかったな(笑)。
でも、東京の1964年と静岡の1964年とは大違いかも。
静岡は数年遅れていたような気がします。


●追記

夕日町住民票を取りました(笑)。



http://www.always3.jp/card/




絶滅危惧種or絶滅種-1

2012年01月18日 | 団塊の世代
当然だけど、友人知人は団塊世代の人が多いです。
「子供の頃、そんなんノ、在ったなぁ」と云うモノがいくつか残っています。

ソノシート、絶滅危惧種と言うのがあるけど、
これは絶滅しちゃった種ですね。

朝日ソノラマ…と云う会社があった。1959年。
その会社で「音の出る雑誌」を売っていた。

http://p.tl/fCKv

ペラペラのビニール版のレコードだ。
LPレコードは高くて学生には買えなかったけど、
ソノシートは安くて買う事ができた。
時はフォークソングがブームになっていた。

PPMのソノシート付きの楽譜。




フォークソングレッスン付きのソノシートが何種類もあった。






当時、みんでギターを自己流で習っていました。
アルペジオとかトレモロとか…




静岡県立静岡東高校 一期生。
卒業記念品もそのシート(笑)。




実は絶滅しちゃった種、絶滅危惧種…我が家に、いっぱいあるんです(笑)。
どこのお宅にも、いくつかはあるんでしょうね。
五つ玉の算盤、裁縫箱、足踏みミシン、足踏みオルガン、氷枕、鰹節削り…etc.






懐かしい電車

2012年01月13日 | 団塊の世代
静岡市に住んでいた(る)人専用になっちゃうけど、やたらジモティーな話。

現在のJR静岡駅から安西2丁目の厚生病院隣のローソンの処まで
戦前から電車が走っていたのです。
路面電車。

1962年、昭和37年に安西線の電車が廃線になりました。
私が15歳の時でした。




当時の国鉄、静岡駅です。




電車の終点は、松坂屋の向かえ側です。
現在はバスターミナルになっているあたりです。

静岡駅から発車すると、電車は左折して国道1号線を横切り、
松坂屋の裏側を北へ向かいました。
この通りの右側には(現在VANジャケットが在るあたり)何軒もの定食屋
が並んでいました。
中学時代に早朝山へ行く時など何度か利用しました。
よく利用した定食屋は「力屋」という名前だった(笑)。




そして、新静岡センター(現:セノバ)に入り、裏側の道路を北へ向かいました。
今、タクシーが客待ちしている道路です。
そこが最初の駅、鷹匠町駅でした。
写真、右側の線路が現在もタクシーが並んでいる処です。

この電車の線路は、単線だったのですが、ここだけ複線になっていて、
電車の車掌さん同士が、タブレット交換を、ここでしていました。





客待ちタクシー前の交差点を通過して、堀の前に入り、岩崎ラジオの前を、
斜めの道を市役所方向へ向かったのです。

そこの昭和20年頃の写真です。
(以前、地図展と言うのを観に行った時、展示してある写真を撮りました)




電車が廃線になる頃です。
古い新静岡駅がありました。
1962年、昭和37年に廃線になる時の写真です。
手前を走っているのはスバル360です。
当時のスバル360は417,000円。
http://white.ap.teacup.com/something/914.html




その後、1966年(昭和41年)には鷹匠町の駅は駅とショッピングセンターとの
複合施設、新静岡センターとして建築されました。

その新静岡センターも2009年3月には解体のために足場が掛けられたのです。







そして2011年10月5日、新しい新静岡センター「セノバ」が完成したのです。




          ◆           ◆

実は、この電車が廃線になった時、敷石、線路が売りに出されたのです。
線路は輪切りにして、文鎮とかになっていましたが、自宅に見つからない(笑)。
敷石も品質の良い御影石で小さいモノ、大きいモノがありました。
亡父がいくつか購入して、しばらく自宅の庭石になっていましたが、
いつからか、無くなっていました。

そうしたら、妹の家の庭石になっていました(笑)。







「むーさん」と言う方から、いくつかの白黒写真を借りました。