10年に一度、保健所に水を持って行って検査を頼んだ。
安倍川上流に大きな工場ができない限り、来なくても良いと言われた。
1963年(昭和38年)、15歳、高校へ入学と同時に社会人山岳会へ入った。高校の部外活動には余りタッチしなかった(笑)。時代も時代、翌年が最初の東京五輪。モータリゼーションが始まった頃か。汽車、電車の本数も少なく、東名高速道路も完成に近づいていたが、インターチェンジで降りると、接続している道路が、未完成。インフラが未整備だった。それに自家用車を持っている人が少なかった。故に富士山へは近所の故、頻繁に出かけた。冬になると大沢崩を目がけた。まだ、現在の朝霧道路は形も無く、在るのは旧道のみ。
現在、使っているのは4mmスペクトラ・ダイニーマのハイテクロープ。
600kgくらいの破断強度を持っているらしいが、関係ない(笑)。
ただ、硬いのでナヨナヨしていなくて、非常によろしい。
これは10年に一度くらい交換しているけど、交換した古いダイニーマもビクともしていない。
2014年7月31日。
近所の医院を訪れた。
禁煙外来を訪れた。
再度「断煙」
もうすぐ10年目
一週間くらいは吸っても良いそうだけど、吸いたくなかった。
で、8月14日で、チャンピックス服用、3週間目に入った。
この数ヶ月、昼食にはソバかうどんを食べることにしている。
食べた後の身体がラクなのだ。
50円~3玉100円ほどのソバかうどんをチョイス。
ビニール袋をカットして電子レンジでオン。
購入してきたツユを薄めて。
初声
1963年~1965年(昭和38年~昭和40年)の高校時代、今の高校生とは違う時代で、私は団塊の世代なんだけど、今の外食という意味では、外食したことがなかった。外食する店が少なかった。
学校帰りに学校の近所のパン屋さんで、空いたお腹を満たすためにパンorおでんを食べるのが精一杯の時代。何々を食べるために、両親が外食へ連れて行ってくれる…という時代ではなかった。(違う人もいるかもしれないので、私の廻りでは)
大学ヨット部に入り、三浦半島の油壺手前の初声(はつせ)マリーナでいつも合宿を行った。現在、神奈川県三浦市初声町。
その時に食事当番になると、食材の買い出しをすることになる。一人一日250円でまかないをする、一食じゃなくて一日だ!。
バス停の前に小型のスーパーマーケットがあってそこで食材を調達した。30人くらいいたので、30人×250円=7,500円が一日の食材費だと思った。そこで上手くやると、お釣りが出て、食事当番3~4人分のお駄賃になる(笑)
その小型スーパーに隣接した喫茶店。そこで食事当番達はお腹を満たすことになるのだがみんな育ち盛り。いくらでもお腹へ入っていく(笑)
前置きが長くなったけど、そこでボクは初めてナポリタンを食べたのだと記憶している。そこにタバスコと粉チーズがあって、それも初体験だったと思う。小さなケチャップ瓶だな…と思ったらタバスコだった(笑)
イタリアにはナポリタンはないというのを知ったのは数年前だった(笑)
横須賀中央駅で電車を降りて、三崎行きのバスに乗った。衣笠のロータリーを曲がり、林の交差点を過ぎ、陸上自衛隊を右手に見ながら進む。もう5or6つ先が初声(はつせ)のバス停だ。
その先、バスが向かう小高い丘が油壺の森だ。
どでかいセールバックを背負い海へ向かう。スイカ畑の中、約1Km先のヨット部の合宿所へ歩いて行くが足取りは重い。しごかれる日が待っているのだ。
1日3食250円で生活する日が10日ほど始まる。贅沢をしなければ充分間に合う金額だった。
今から何年前だろう。1966or1967年頃の話だ。初声のバス停の近所に雑貨屋さんがあった。
籠とかザルとか色々なモノを売っていたが、その中にキャンバスの帽子があった。普通の帽子と違う形でチューリップ型とでも言うと思う。赤いラインが2本入っている。
いくらだったか覚えていないが、当時の小遣いで買えた値段だからタイした値段ではないと思う。
ディンギー(スナイプ級)に乗るとき、合宿中はいつもかぶっていた。また、この帽子は何度も紛失したが、その都度見つかった。
卒業して静岡でヨットに乗るようになってからも、この帽子をかぶっていた。何度も何度も潮まみれになり、汗まみれになり、何度も洗濯した。お陰で縫い目はほつれ、ボロボロ状態になり、10年ほど前から着用するのを止めてクローゼットの引出に入ったままだ。