【ML251 (Marketing Lab 251)】文化マーケティング・トレンド分析

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コミュニケーションの本質 <ラカン派精神分析>

2012年05月18日 | カルチュラル・キーワード備忘録
『ラカン派精神分析入門 理論と技法』(ブルース・フィンク著、中西之信他翻訳、誠信書房、2008年刊)より(黒字部分が引用)。

意味は聞き手によって、すなわちラカンが言ったように、<他者>の場所において決定されるのである。何かをかなり限定して伝えようとするあなたの意識的な意図に関係なく、その言葉の意味は常に他の人びとによって、すなわち≪他者≫によって決定される。

政治家の言葉を「捻じ曲げて取る」ことで、当人が言わんとしていたこととは別のことを言ったことにしてしまう報道関係者や対立政党の手法は、政治家にとっては悪夢のようなものである。しかし、これが「コミュニケーション」というものの本質である。私たちは人びとに何かを表現するために話す。しかし、私たちが言わんとしたことの意味が何であるかを決定するのは彼らであり、そのため私たちはしばしば狼狽させられる。時には、私たちが言ったことが彼らの立場から解釈され、それにもとづいて重大な決定がなされることもある。このように、聞き手の力というものは相当なものである。

(「第四章 解釈-欲望の場所を開くこと」62~63頁より)


実際に、このような意図的であれ意図でなくても、「曲解」「誤解」で悔しい思いをしたことは誰でもあると思う。
「ひど~い!」とか「信じらんない・・・」とか「何でわかってくんないの?」とか。
が、しかし、ここでのポイントは、「聞き手の力というものは相当なもの」ということだろう。

石井淳蔵も『ビジネス・インサイト 創造の知とは何か』(岩波新書、2009年)で、コミュニケーションについてこう論じている。



「互いに誤解したコミュニケーションが、それとはわからないままに続くのが普通の姿だ」
「発話の意味を決めるのは、発話者の意図ではなく応答者の応答であること」
「コミュニケーションとは、個人の心理や内面には還元されない社会的プロセスである」

(同書、219~220頁より)

で、「マーケティング」とは、誤解のプロセスであるコミュニケーションに擬することができて、偶有性というのは、こういうプロセスの帰結であるんじゃないか? となるのだけどね。

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