【ML251 (Marketing Lab 251)】文化マーケティング・トレンド分析

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シンポジウム「グローバル化するJポップ」 J-MERO 2011調査結果から

2011年04月29日 | マーケティング話
4月23日(土曜日)の午後、標記タイトルのシンポジウム(@東京藝術大学音楽学部千住校地)に行ってきました。

「J-MERO」とはNHKの海外向け音楽番組です。
海外向けといっても、海外在住日本人向けではないようです。
(国内では、NHK総合で日曜日の深夜、観られるようになったようです)
全世界に視聴者がおり、視聴者を対象とした調査結果(2010年6~7月に実施)を、東京芸大の学生さん達が分析したそうです。

主催は、東京藝術大学音楽学部音楽環境創造科毛利嘉孝研究室。
毛利嘉孝さんのご著書は2冊(↓)読んでます。
それもあって毛利さんとお会いするのも楽しみでした。





このシンポジウムは、音楽プロデューサー山口哲一さんのtwitterで知りました。
山口さんは、共著で先週、ダイヤモンド社から著書(↓)を出されたばかりです。
事例とキーパーソンへのインタビューなど豊富かつ分かりやすい内容ですのでお薦めです。



シンポジウムは2部構成でした。
当日のメモを資料の引用とともに記していきます(以下敬省略)。
質疑応答での発言も併せてまとめました。

■「J-MEROリサーチ2011」の調査結果報告

▼原田悦志(J-MERO チーフ・プロデューサー)

(1)J-MEROとは?
 ⇒ 2005年10月スタート
 ⇒ Jポップだけではない番組(多様性、ジャンルレス)だが、8割はJポップ
 ⇒ ジャンルで縦割りされた「垂直構造」に対して「水平構造」

(2)世界のどんな人からリアクションがくるのか?
 ⇒ 視聴可能世帯は1億3,OOO万世帯。番組宛に113の国と地域からリアクション
 ⇒ ほとんどが「現地のネイティブ」

(3)世界でそんなに日本の音楽は人気なのか?
 ⇒ 潜在的可能性はある。が「潜在的」という段階 (コアファンはいるが・・・)
 ⇒ 大きな国内市場と、多国籍化≒管轄権の問題(多国籍化=グローバル化ではない)

(4)では、グローバル化の阻害要因とは?
 ⇒ 「日本のアイデンテティ」と「グローバル化」
 ⇒ 「言葉の壁」ではなく「プレゼンテーションの壁」
  ⇒ 素材そのままではなく、コンテキストの付与が必要

▼日高良祐(東京藝術大学音楽環境創造科)

<アニメからJポップへ>

・645名中325名(50.4%)が、アニメをきっかけにJポップへ
・標記の殆どは「アニメ」。「アニメーション」ではないことに注目
・「NARUTO」の場合、殆ど国内でいうところのJポップの楽曲
 ⇒国内での“アニソン”と異なることに注意
・アニメは日本文化受容のひな形のひとつ
・課題(1) 日本のアニメを見るようになったプロセスの探索
・課題(2) インターネットというメディアによるバイアスの軽減

▼吉田みさと(東京藝術大学音楽環境創造科)

<Jポップとしてのヴィジュアル系>

・645名中352名(54.6%)が「ヴィジュアル系が好き」
・キーワード その1.「ファンタジー」
 ⇒ 「DEATH NOTE」オープニングの「THE WORLD」(ナイトメア)
  ⇒ アニメの造形がそのままキャラクターになっている
・「NARUTO」にはヴィジュアル系の曲がないのに、ヴィジュアル系へのきっかけになっている
・キーワード その2.「ジャポニズム」
 ⇒ 伝統文化、古典文学、盆栽、生け花のハイカルチャーとの関連
  ⇒ ヴィジュアル系の和装、化粧、古語的言い回し
   ⇒ 海外の人達は、そこの誇張された“日本”を感じているのでは?
・「可愛いシマリスのような声」
 ⇒ 声帯を縮めなければ出ないような声であり、首の太い西洋人では出せない?
・国内のヴィジュアル系ファンとは異なった受容のされ方
・興味としては、海外のファンのニーズに合わせてヴィジュアル系は変わっていくのか?

▼高橋聡太(東京藝術大学音楽環境創造科)

<平均的ではない視聴者像>

・645名中9名(1.4%)の特殊なケースに着目

あまりに面白いかったのでメモしませんでした。
例えば中国のある50代の男性は、プログレが好きで日本人では「喜多郎」が好み。
そして、浜崎あゆみが好きになったとか。
会場では笑いが起きてましたが、不思議じゃないどころか当たり前のことですよね。
自分だって「キャンディーズ」も嫌いじゃなかったし、一方でノイズミュージックも好きでしたし。

■パネルディスカッション「グローバル化するJポップ」

▼山口哲一(株式会社バグ・コーポレーション社長、音楽制作者連盟理事)

(1)2009年、日本は世界一のCD大国となった(米国での凋落のため「なってしまった」)
(2)「iTunes」は日本では見事に失敗した
 ⇒日本のシェアは2%以下。配信でも5%程度で世界最低
(3)スマートフォン、タブレットPCの普及でDLではない次世代型が登場するだろう
(4)コンサート、著作権使用料収入は堅調ないしは微増
(5)音楽ビジネスは多様な収益源をもっている
(6)日本の音楽産業は、世界と比べても洗練されたビジネス構造
(7)しかし、レコード会社を中心とした音楽原盤ビジネスは“賞味期限切れ”

<今後の動向>
・マスメディアに依拠しない宣伝方法
・YouTubeをはじめとするネットからのマネタイズシステムの確立
・海外市場開拓
 ⇒ 世界の主要ジャパンカルチャーコンペの初期主催者は既存業界外の“素人”
・ヴィジュアル系以外の需要開拓
 ⇒ 「SYNC MUSIC JAPAN」(2010年~)など
・チリでバンプの人気があったり、日本のチャートと関係なく突然人気がでるケースもある

<課題>
(1)アーティストマネージャーの意識改革
(2)収益システムの構築
(3)異業種との連携 ⇒ 現地日系企業との「日本ブランド」
(4)コンテンツ輸出の体制づくり(デンマークが成果をあげている)

山口さんのプレゼン資料はこちらでご覧になれます。

<山口さんの仮説>
(1)日本では「TowerRecords」が残れば、「TSUTAYA」のFCも残るだろうしショップは残る
(2)あと4~5年もすれば、フランスの高校生が「日本ではCDを音楽を聴いてるんだ!」と驚くようになるのではないか? つまりCDが「日本オリジナル」の商品と捉えられる可能性
(3)日本の丁寧なCDパッケージは文化的価値がある。ジャケの写真、歌詞・・・。
 ⇒“音楽聴けるCD”から“音楽聴けるCD”へ
   (となると、「音楽CD」という名称を変える必要がある?-井上)

▼Taku Takahashi(DJ/プロデューサー、m-flo

(1)グローバリゼーションを考えるとき
 (1)-1 日本独自のもの ⇒ 相撲を海外で展開するような例
 (1)-2 世界標準 ⇒ 日本人サッカー選手がセリエAに入るような例
(2)Jポップは世界で10年遅れている
 ⇒ 繊細さと多様性はあるが、「今、世界のどこは何時何分か?」を押さえていない
(3)ネットで世界を知ろうとする日本人は少ないのではないか?
(4)日本が無視できないのは韓国
 ⇒ 明らかにルックス、歌唱力ともに日本より優れている
 ⇒ 韓国のアーティストは3年間、育成オンリー(携帯禁止、泣いてはいけないという“スポ根”
(5)渋谷系はタイや韓国で人気がある
 ⇒ 日本人が創作者が最も洋楽を聴いていた時期?
 ⇒ しかし日本ではそのエッセンスが薄れてきた=劣化
(6)台湾のショップでは「日本コーナー」が追いやられている
 ⇒ 3~4年前のものばかり。古臭くなっている・・・
(7)DJイヴェントの客はマイノリティだが、日本にないものを求めている
 ⇒ (1)-2のグローバリゼーションにあたる
(8)日本の音楽は“守り”の音楽
(9)米国のアーティストは、売れたらファミリービジネスを始める
(10)韓国の業界は、世界のトレンドをキャッチしている

▼岩渕功一(早稲田大学国際教養学術院教授、メディア・文化研究)

(1)90年代前半、ドラマとのタイアップ曲がアジアで売れたのは「ちびまるこちゃん」
 ⇒ 現地のローカルな事業者が展開していた
(2)2000年代になってジャニーズ、avexが現地にブランチを設立した
(3)文化の海外発信は、日本だけの動向ではない
(4)(経済社会の話で)「コモンズの悲劇」が持ち出されるが、“牛の視点”が欠けている
 ⇒「産業界」「アーティスト」「リスナー」のうち、「リスナー」の聴かれ方の分析・理解が足りない
  ⇒ カルチャーを高めるために必要なこと
(5)ヴィジュアル系は、日本独自のジャンルと見られているようだ
(6)日本のCDは高額品としての文化価値がある
 ⇒ 「音楽を楽しむものとしてだけでは高すぎる」(山口)
(7)Jポップの「J」にどれだけこだわるのか?
 ⇒ こだわりすぎると、見えなくなることもある
 ⇒ 「J」という“場” ⇒ 「日本人」と限定しない
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■私の所感

(1)この調査でバイアスがあるのは前提で、皆、承知のこと。それでも貴重な調査結果だ。
(2)NHKの原田プロデューサーが何度も言ってたけど、「n=1」の特異な意見って大切。
 ⇒ 「発想のジャンプ」に必要なんですよね。
(3)YouTubeが音楽接触の大きなメディアであるのは海外でも同じだなと実感。
 ⇒ マネタイスの課題も大きいけどね。
(4)日本の音楽の海外普及策について「現地のCDショップでの流通」が高かったのは以外。
(5)「アニメ」とそれに付随する音楽の捉え方が、国内外で異なるのは貴重な知見。
(6)日本のハイカルチャーとサブカルチャーを上手くミックスしているのはヴィジュアル系。成程!
(7)山口さんの仮説はラジカルかつ鋭い。
  ⇒ 「音楽を聴けるCD」から「音楽も聴けるCD」へ=日本独自の文化的価値へ
 しかも、マネジメントオフィス現場の方なので説得力がある
(8)m-floのTaku Takahashi氏は、ビジネス・プロデューサーの才能もある
(9)僕の経験側通り、NHKには鋭い文化視点をお持ちの方が多い
(10)「文化の海外発信」に限らず、先駆的なことってローカルで小規模、もっと言えば「素人」が担うことが多いんだなと実感
  ⇒ 「まず好きこそものの・・・」なんですね。
 大きな企業は、頭でわかってても先行投資する余裕ないだろうしね。。。

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「委縮」の心理(首都圏の場合)

2011年04月16日 | 徒然
今日、昼前、首都圏ではまた大きな揺れを感じましたね。
今度の震源地は 「栃木だっぺな~ おい」。

ちょうど、モーモールルギャバンの新譜「BeVeci Calopueno」を聴き始めたときでした。



もちろん、ここで死ぬとは思いませんでしたが、

♪うわばき隠され悲しい ダメ人間机の上で立ちション

という歌を聴きながら非常時に対応せざるを得なかったのは複雑な心境です。

ところで首都圏の生活は、平常時に戻りつつありますが、まだ「委縮」としか言いようのない「自粛」の流れは続いております。

地震と津波にやられた東北の状況をメディアで見せられた影響が最も大きいのは言うまでもないと思うんですが、とりわけ首都圏においては、もう一つの要因が考えられます。

それは、最大需要期である夏の電力不足への不安です。
僕自身も含めた首都圏の人間の「集合意識」を想定し、「首都圏人」という人格を想定すると、おそらく「夏の電力不足」を乗り切るまでの間、「委縮」し続けるんじゃないかと推察します。
これも防衛機制ゆえ。

もちろん、3・11の後、自宅での節電行動が身についたのは自分でもいいことだと思ってます。
しかし、今現在も節電は必要とはいえ、生活全体にまで及ぶような「委縮」は、意識的に避けたいと考えてます。
今、節電しても、最実需期の夏に向けて電気をとっておくわけにはいかないですしね。

最近では「節電、節電」と呼び掛ける大手電力会社の皆さまに、怒り!を感じるようになってるのも事実です。

たしかに電力は僕達の生活にとって大切なインフラです。
しかし、「電力」への不安心理を、生活の全てに感染させてしまってはいけない。
改めて言うことではないですが。

人は「危機」には冷静に対応できても、「不安」には弱い。
こういうときには、理性と意識的態度・行動が大切になるのではないかと考えます。
「深層」「無意識」の人に与える影響は大とはいえ、全てがそれらに支配されるわけではないと信じたいです。

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「日本メディア芸術・文化仮想博物館」 2011.3/21 @慶應大学

2011年04月02日 | サブカルチャーから捉えた日本人像
東日本大震災から10日目、雨が降り肌寒い祝日の3月11日(月)、株式会社ヒューマンメディアさん主催の「日本メディア芸術・文化仮想博物館」(@慶應大学)に行ってきました。

午前中は2本の「仮想展示プレゼンテーション」。
(概要はサイトのほう見て下さいね)

海外の美術館などで展示を想定されていましたが、「よくもここまで!」と思ったぐらいのマンガ・アニメ・ゲーム・メディアアートの「展示品」でした。

最初、ヒューマンメディア社長、小野打さんの解説がありました。
セーラー服と袴(はかま)は元々、男性の衣装で、それらが女性の服装になったとのこと。
言われてみると当たり前のことも、普段はなかなか気づかないもんです。
“倒錯”が、文化として一般化してしまった例なんでしょうね。
このあたりの深層(メカニズム)も解明したいな、と僕は思いました。

「芸者」は、日本人が意図的に海外に発信したもの。
逆に「浮世絵」は、日本人には価値がなかったものを、海外が評価したもの。
明治初期には、お茶碗を包む紙、今で言うと古新聞のような価値しかなかったんでしょうね。

展示については、懐かしさを伴った感慨ひとしおだったんですが、それはあくまで“高コンテキスト社会”である日本でのこと。
「言葉にしなくてもわかりあえる」「阿吽の呼吸」というやつですね。
パネリストの誰かもおっしゃってました通り、海外では「解説」が必要。
コンテキスト(文脈)が大切、というか、これがなければ話にならないということですね。
どういう時間の流れの中で、どんな文化や風俗が交差し合って、どういう人物がキーパーソンになったとか。

「絵は観ればわかる。音楽は聴けばわかる。」

こういう認識は、ほぼ常識となっておりますが、落とし穴があります。
後述しますが、村上隆の作品は、作品だけのパワーで売れたわけではない。
コンテキスト(文脈)なんです。
程度の差はありますが、国内でもそうですよ。

巷に溢れかえる「コンテンツ」「作品」。
その中から“頭一つ出る”ためには、「観て下さい!」「聴いて下さい!」だけじゃ駄目。
「観てくれればわかる」「聴いてくれればわかる」というのはアーティスト・制作者側の傲慢です。

「何で忙しい俺が、お前の作品を観たり聴いたりしなきゃなんねぇんだよ?」
「その前に、お前は誰で、どういう人間で、俺が時間を割かなきゃならない理由を教えてくれよ」

そういう一般ユーザーを説得するだけの手間が必要なんです。

「良いから売れる・評価される」だけじゃなく、「売れる・評価されるから良い」。
ニワトリが先か卵が先か? なんですけど、こういう循環も必要。

あと、私見なんですが、“新しいもの”ってまず、マスからは受け入れられない。
サンミュージックの社長でいらした相澤さんの本に書いてありましたが、80年代、松田聖子をデビューさせるのに、大方のスタッフは反対だったそうです。
「こんなドン臭い田舎娘、人気が出るわけがない・・・」
彼女がデビューできたのは、たった一人の女性スタッフの情熱ゆえとのこと。
こういう例は沢山ある、と言いますか、大ヒットの定石かもしれません。
もし仮に安易な「好感度調査」を行ったら、天才って世の中には出られいもんかもしれませんね。

脱線しましたが、日本のメディアアートの海外進出について、僕が考えているポイントを書いておきます。

まず、「ジャパニーズクール」に熱狂する海外の人達は、海外では決してマジョリティではないこと。
定量データは手元にありませんが、そう推察します。
根拠は、現実と虚構に対する「スキーマ」の違い。
斎藤環氏の書籍にインスパイアされたこの記事で書きました。
「虚構それ自体に自律したリアリティが認められる」のが日本の社会。
日本のサブカルに憧れる海外の人達にとって、新鮮なんでしょうね。
何せ、彼らの社会ににはなかった「スキーマ」から産み出された作品なんですから。
でも、「彼らの社会にはなかった」が故に、彼らの国で彼らの存在はマイノリティだと思うのです。

それを裏付けるかのようなご発言が、学習院大学文学部哲学科の佐野みどり教授からありました。
日本で「かわいい」と言われている作品を、スペインの学生達に見せたら、

「怖い・・・」

という反応だったそうです。
佐野先生は“未成熟の怖さ”と表現されてましたが。
そりゃそうでしょう!
どんな作品を見せたのかわかりませんが、おそらく“かわいい”少女漫画だったのでしょう。
あんな大きくて、キラキラした眼の少女を見せられた日にゃ、そりゃ不気味でしょうね・・・。
僕らにとって当たり前の漫画の少女が、化け物に見えたんだと思います。
あんな少女は現実にはいない存在。
現実を映したものが絵、というのが彼らの「スキーマ」なのです。
ちなみに、スペインでは「妖怪」の絵で盛り上がったそうです。
「妖怪」はもともと「妖怪」、つまり最初から虚構の産物という認識なんで、違和感がなかったんでしょうね(笑)。

とは言っても、世界には多くの人がいます(当たり前か)。
小野打さんによると、中国の10~20代で、日本のメディアアートの(潜在?)ファン層は2億人いるとのことです(本当かよ? 笑)。
カテゴリと対象国ごとの細分化を行った上で、海外への発信は絶え間なく行っていく必要はあります。

で、午後は、多くの識者によるパネルディスカッション。
コーディネーターは、毎度おなじみの慶應大学大学院メディアデザイン研究科教授、中村伊知哉さん。

以下、自分で気になったご発言をメモしておきますね(敬省略)。

ダニー・チュー(MIRAI株式会社代表取締役)

・英国で日本の文化に興味をもったきっかけは「ニンテンドー」「セガ」。
・『ヤングジャンプ』のグラビアの西田ひかるに魅せられた。

金正勲(慶應大学大学院メディアデザイン研究科准教授、ハーバード大学法科大学院客員教授)

・韓国にいたとき、自分が好きだったのは西田ひかるではなく、酒井法子。
・ここ10年の間、日本は“クール”だったか? ⇒ “クール”じゃないでしょ。。。
・産業としてクリエイティブを推進したKポップとの実力の差は歴然。
・Kポップの世界は競争が激しい。
・日本のコンテンツは10年間進歩がない。
・産業的にうまくいかないものを、政策に頼ってはならない。
・日本政府には退場してもらったほうがいい。
・それに政府がしゃしゃり出てくると、外国政府との摩擦になりかねない。
・民間の力で海外市場にデフォルトを確立すべき。
・異文化とのフュージョンが大切。

▼デヴィット・ディヒリー(映像作家、ライター、キュレーター、翻訳家、2dk Co.Ltd.代表取締役)

・村上隆が美術館に商業作品を展示するというアクロバットを成功させたのは“文脈”ゆえ。作品力だけではない。
・「ジャパニーズクール」といっても積極的に発信した結果ではない!
 ⇒ このままじゃ、ダニー・チューさん(や自分)のようなキュレーターが潤うだけだよーん(笑)。
つまり日本人じゃなくて外国人が成長するだけよ。
・日本コンテンツの海外発信は、総花的ではなくマルチ戦略をとるべき。もっと絞らないと・・・。
・デジタル万能論は違う。

サヘル・ローズ(女優、キャスター、タレント)

・中東では日本アニメの対象・分野の多彩さが受けた。
・「海のトリトン」では恋愛と人間性。女性の自由恋愛が禁止されていたイランの女性は、恋愛をアニメから学んだ。
・「機動戦士ガンダム」は、戦争で肉親を失った子供達が、闘争心という面でシンパシーを感じた。
・「一休さん」も人気があった。
・発展途上国では、アニメも教材となる。
・海外とのコラボで日本文化の調和を図ったら?
・キャラクター・フュージョンが新しいのでは?
・今までにないものを作る。例えば海外に「ときわ荘」を作るとか。

王敏(法政大学国際日本学研究所教授)

・中国では1979年に「鉄腕アトム」がテレビ放映された。
・中国の80年代以降の世代は、日本の同世代と同感覚。
・「現象」は消えるので、深層の精神性が大切。
・日本人は自己認識不足だ。
・海外の動きと連動すべき。どこが“中心”でもいい。

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