【ML251 (Marketing Lab 251)】文化マーケティング・トレンド分析

トレンド分析ML251の文化マーケティング関連Blogです。ML251の主業務はトレンド分析をコアにしたデスクリサーチ。

「空気に支配された、組織内意思決定のジレンマ」

2012年06月30日 | 徒然
【森達也 リアル共同幻想論】
◆連合赤軍がうらやましい。


中枢の意志を過剰に忖度する周辺。そして周辺の意志を過剰に忖度する中枢。互いに忖度し合いながら集団は暴走する。一人称の主語を喪うからだ。

連合赤軍やオウムだけではない。ナチスやポルポトや大日本帝国など、すべての組織共同体が引き起こす壮大な失敗の背景には、この負のメカニズムが絶対に働いている。

(黒字は引用部分、【森達也 リアル共同幻想論】4ページ目より)

「空気に支配された、組織内意思決定のジレンマ」と名づけてみたい。
このあたりが落とし所だろう。
さすが、森達也さん

森恒夫は一度、運動から脱落した経緯もあって、自分の弱さ(それが正常だと考えるが・・・)を自分で見ない、他人から見られないために“過激化”していったことはよく知られている。
そんな森恒夫が、永田洋子から相談を受け、「処刑すべし!」と言ったら、「本当にやっちゃたよ・・・(汗)」と。
それで、後戻りのできない破滅へのスパイラルへ。

森や永田に支配され一方的に強制されたのではなく、むしろ自分たちが森や永田を相互作用的に追い込んだ要素もあるのかもしれないと語りながら、元兵士たちはつらそうだ。

(黒字は引用部分、【森達也 リアル共同幻想論】4ページ目より)

「支配され一方的に強制されたのではなく」「相互作用的に追い込んだ要素もある」が重要なポイントだ。
そして、見事に連合赤軍とオウム真理教の暴走に共通しているわけだ。

一方、オウムのほうでは、1990年、熊本地検にブチ切れた麻原が過激なことを言って、それを上祐が止めた。
それは、一対一のインフォーマルな場(お風呂のガラス越し)だったからこそ可能だったわけで、他の幹部のいるフォーマルな会議の場だったら、さすがに上祐でも言えなかった、という話は象徴的だ。

少しだけ苦笑しながらそう言ったあとに上祐は、「もしも他の幹部たちがいたら、制止はなかなかできません。より過激なことを提案するほうが修行になるかのような雰囲気がありました。麻原と(自分をも含む)側近たちとの相互作用によって、事件がエスカレートしたことは確かです」とつぶやいた。

(黒字は引用部分、【森達也 リアル共同幻想論】4ページ目より)

連合赤軍、オウム真理教という、世の中から見ればごくごく少数のカルト集団の悲劇は、戦前のわが国そのものの悲劇でもあったことを忘れてはならないだろう。
戦後、極東軍事裁判によってA級戦犯とされた日本国の指導者たちの気持ちを想像するに、「何で俺が???」だったのではないだろうか?
つまり、「責任の所在」というものが曖昧だったことである。
「俺に責任があるんだとしたら、あいつとこいつだって・・・」。
当時の軍幹部の方のインタビューを多く見聞するに、「なぜ、破滅にいたったのかわからない・・・」という答えばかりだ。
そりゃそうだろう、「犯人」とは「空気(感)」だったわけだから。。。
一方で、東南アジアはじめ海外では、敵国の捕虜や住民を自らの手で殺害した中堅幹部たちが「戦犯」として処刑され、命令を下した上級幹部達の命が助かったという、悲喜劇も少なくなかったという。

われわれは、マスコミ報道の論調を自然に自らの「思考のフレーム」としてしまうものだ。

森達也さんは、こう言う。

当時の多くのメディアは、指導者の位置にいた森恒夫と永田洋子の2人が、異常な支配欲や権勢欲、さらには嫉妬や保身や残忍な加虐趣味など個人的な欲望を燃料にしながら、他のメンバーたちの心身を支配して互いに殺し合う閉塞的な状況を作りあげたなどと解釈し、裁判も大筋としては、そうした構図に合わせるかのように進行した。

(黒字は引用部分、【森達也 リアル共同幻想論】2ページ目より)

そんなマスコミを通じて流布された「思考フレーム」を、刷り込まれるものだから、過去の失敗は「教訓」として乗り越えられないのではないだろうか?
そして、、、忘れたころに同じ失敗を繰り返す。
規模の大小を問わずに。

前回、連合赤軍とオウムに関連した記事の中で、私が主張していることだが、カルト集団の構成員は、そんな特殊な人達ではなく、ごく普通の人達なのだ。
さらにいえば、ほとんどの犯罪の加害者もそうだ (弁護してるわけではないからね)。
ところが、マスコミ論調によって形成された「思考フレーム」とは、「世間」から外れた存在を「異質な他者」として排除し、人々の“覗き趣味”に訴え興味をひくようセンセーショナルな性格を持っているのだ。

これでは、教訓の意味を活かしきれないわけで、何の問題解決にも至らない。

森さんが導かれた結論は、「すべての組織共同体が引き起こす壮大な失敗の背景」にある「負のメカニズム」。
これを私は、「空気に支配された、組織内意思決定のジレンマ」と呼ぶ。

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橋本治 金言集 『ナインティーズ』 読書メモ (コメントなし) <第7回>

2012年06月29日 | マーケティング話
<第6回>より続く。

■欧州と日本の共通性

日本の不思議っていうのは、あまりにもヨーロッパと似すぎていることですね。だから世界史という名の下に中国とヨーロッパの歴史しか教えない。日本とヨーロッパはどっかであまりにも似すぎてるもんだから、ヨーロッパの歩みを学ぶことで、日本はその近代化に至る道筋を確認することが出来たんですね。日本とヨーロッパが似ていなかったら、とてもじゃないけどそんなことは起こらない。日本とヨーロッパは、とっても例外的によく似てるんですよ。

(中略)

日本とヨーロッパの類似は、やっぱり“天皇”とか“教皇”という不思議なものを置くことによって、皇帝的な絶対権力の地盤を固めなかったことですね。現実の権力者とその地位を確認するだけの象徴機構を置いて、“絶対の力”というものを弱めてしまった。ルネサンスから宗教改革の期間で教会勢力というものを弱めて、王様の下での“市民社会”というものをヨーロッパは作ってしまった。日本は平安時代に摂政・関白というものを作って天皇の権力を弱めて、鎌倉幕府という独立した“王権”を作って、天皇のいる朝廷という既成の行政機構の力を骨抜きにしてしまった。相互に交渉なんか全然ないくせに、こんなによく似た歴史を持っている文明国なんて、日本とヨーロッパだけだと思う。

(同書160~161ページより)

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Facebookの国内認知率がmixiなどと同等水準に(「in the loop」より)

2012年06月28日 | マーケティング話
ループス・コミュニケーションズの「in the loop」(直人さん)の記事を読んで。

*タイトル写真は、直接、この記事の内容とは関係ない。2010年2月の「マーケティング庵」で、テーマが「twitter」だったとき、自分でまとめてみたビジュアルだ。mixi はすでに消えており、Facebook はまだこれからの段階だったので。。。

少なくとも2010年11月からのデータでは、mixiの「現在利用者」のマックスは25%前後。4人に1人。
これを基準値とすると、Facebookは2012年5月、基準値に達したわけだ。
これが30%に達するのか? 達するならいつ頃? ということになるわけだが、「非利用意向者」が40%台後半で増加傾向にあり、存在感があることが気になる。

「4人に1人」の壁を超えるのか否かは、利用目的の影響が大きいかなと。
mixiは個人としての利用が多く、ビジネス利用(ブランディング)の人はずっと前からFacebookにスイッチしている。
で、個人利用でもtwitterへ流出。フロー型のtwitterのほうが「疲れ」が軽減されるだろうから。
Facebookは、量=マスの拡大を求めると、個人利用を増やすしかない。
それは難しいのではないか?
2010年頃、よく言われた「日本人は実名が嫌い」というのは、個人利用の場合、顕著だったのかと想像する。
それでも、まだ可能性はないこともない。

一方、ビジネス利用(ブランディング)のほうはどうか?
Facebookを使うメリットがあるのは、2000年代前半、mixiを利用し始めて今はやめているイノベーティブ、クリエイティブな事業主かなと。
海外との交流を求める人達も。
この層が量的に増えていくのかどうか? ということにかかっていたりして。。。
でも難しいし、時間はかかるだろうね。
「ノマド」というバズワードが語られても、個人事業主が急増するとは想定できないから。

ま、楽観的かもしれないが、Facebookはビジネス(ブランディング)利用者をピラミッドの頂点として、一般層(個人)が、写真や動画をアップして楽しみ、しかも適度のフロー型で「疲れ」ないようなアーキテクチャーこそ必要なんじゃないかなと。
そうすれば、「4人に1人」の壁を破って急伸することはなくても、30%台(3人に1人)に向かって漸増していく可能性はある? というのが現時点での私の仮説だ。

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「老後に住みたい都道府県・都市はどこですか?」誠ブログより

2012年06月27日 | 徒然
老後に住みたい都道府県・都市はどこですか?
老後はどこに住みたいと思っていますか? 20歳以上の人に聞いたところ、「沖縄県」と答えた人が最も多かった。オウチーノ総研調べ。


第1位が沖縄だって?
冗談じゃないよ。。。
たぶん、地域に対するイメージでの回答が多いと推測するが。

沖縄なんて住んだ日にゃ、私の天敵、それも鳥のように大きい蛾がいるじゃないですか。。。
「ナントカサン」とか(怖)。
夏の夜、網戸とか開けといて、そんなのが飛んできたら、私、心臓止まりますって。
それにハブもうじゃうじゃいそうだし。

沖縄がいいといっても、観光イメージで言ってるだろうから、基地の滑走路直下とか考えてないだろうね。

それに青い空と美しい海のイメージって、観光用でしょ?
日照時間は短いと聞いてるが。
日照時間なら、私の第二の故郷の山梨県が長いらしい(子供の頃、住んでたので気候が厳しいのはわかるが・・・)。

東京だったら23区よりは武蔵野のほうがいい。
吉祥寺以西かな。自分は昔からそうだったけど。
どのみち23区内は、大地震がきたらおジャン。。。
それにもう、やたらと都内に住むことに憧れた「田舎者」じゃないし。
セカンドハウスだったら、東京23区内でもいいね。
大地震がきたらそれは運命と受け入れて。

ま、老後に暮らすなら、生まれ育った埼玉でいいね。
それも東大宮。
車で行ける範囲のセカンドハウスが地方にあればもっといいけど。




(武蔵一宮 氷川大社)

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Roland GS-6 Digital Guitar Sound System

2012年06月26日 | 徒然
今回の話は、エレクトリックギターに詳しい人、しかも若くはないギタリスト(元ギタリスト)にしかわかりません。。。
(たまにはいいでしょう・・・)

これを買ったのは、90年代前半だったかと。
正確には、マルチエフェクターではなく、ギターアンプシミュレーター。
が、どう使ってみても、マルチエフェクターだった。。。
当時持っていたギターアンプ、Roland JC-120 に歪み系エフェクターをかました音が気に入らなくて購入した。

先週末に、家の掃除をしていて引っ張り出した。
少なくとも15年ぐらいは音を出してなかったと思う。

不安だったが、音は出た!

検索してみたら、今、中古市場でわざか数千円で売られており、音はいかにも80年代、シングルノートではまだしも、コードを鳴らすときついという感想が目立った。
そりゃ、デジタル機器は性能のいいのが出てきたのだろうから。
「GS6」は残念ながら、ヴィンテージ機材とはならなかったわけだ。
それでも画像はこれだけアップされていた。

マニュアルは紛失してしまったが、RolandのサイトでPDFダウンロードができるとは、便利な世の中になったものだ。
過去のモデルでも自社が発売した製品への責任感だろう。
素晴らしい!

自分には想い出の品。
いずれ、スタジオで遊んでみたいもんだなと。
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NHK報道番組のレベルの高さ

2012年06月25日 | マーケティング話
を今更ながら実感した! というのが今回の話だ。

先日、Facebookのほうで友人達と、大河ドラマ『平清盛』について色々と意見をやり取りしていたのだった(内容についてはここでは触れません・・・)。
が、その話はそれとして、やはり「NHKスペシャル」や「NHKドキュメント」は質の高い番組であることに変わりはないと改めて感じた。
先週、自宅の書類を整理していたら、A4ペラのこんなものが出てきたのだ。



これは、2002年8月18日に放映されたNHKの報道番組(当時の松下電産について)を観た私が、番組が終わってすぐとったメモをPCで清書したものだ。
当時の松下さんは、中村社長だったと思う。
現在のパナソニックさんの動向を見聞するにつけ、この10年の歳月について思うところは多いのだが。。。

番組を観終わった私が、このように整然とまとめられることができたのは、すなわち、番組の構成・ストーリー作りが整然とまとまっていた、ということだ。
たしか、2005年のJR西日本尼崎線の電車事故の特集番組を観たときも、こんな風にまとめた気がする(今、残ってはいないが)。

NHKの報道番組のレベルは高いんだなと、今更ながら。
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「いい“音”聴こう~ワインと音楽の美味しい時間」 6月19日 (@青山CAY)

2012年06月23日 | マーケティング話
首都圏を台風があっという間に駆け抜けた6月19日(火)、青山CAYにてミュージックソムリエ協会主催のイベント「いい“音”聴こう~ワインと音楽の美味しい時間」が開催された。
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6月19日(火)青山CAYにて、イベント「いい“音”聴こう~ワインと音楽の美味しい時間」を開催致します。
“ ワインを呑みながら聴きたい音楽” を“ いい音” でご案内します。ワインは『優しい味わい京都ディオニーから』自然な醸造法で造られたビオ(オーガニック)ワインをお試しいただけます。

当日、皆様がお持ちのアナログレコードをご持参頂ければ、株式会社リンジャパンの最高級オーディオでお聴かせ致したいと思います。あなたの人生の「宝物」のLP 盤、シングル盤をお持ち下さい。 (時間の都合上、全員の方のご試聴は難しいかもしれません。何とぞご了承ください)

■日時:6月19日(火)18:30 open 19:00 start
■場所:青山CAY 東京都港区南青山5-6-23スパイラルB1 CAY
■出演 ナビゲーター:ピーター・バラカン / ゲスト:白井貴子/ 特別ゲスト:山本浩司
■協力:株式会社リンジャパン
■コーディネート:株式会社ステレオサウンド青山CAY
■ 特別協力:ディオニー株式会社
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昨年9月、問題定期的なテーマからスタートしたミュージックソムリエ協会のイベントだが、「食」などのライフスタイルと音楽のつながりがしっくりしてきたように思う。

それにしても、ゲストの白井貴子さん(写真で左から3人目)、同世代人ながら生で歌声を聴いたのはこの日が初めて!
自分もこの歳になって、80年代「学園祭のクィーン」を初体験したわけだ。
ベテランならではの声量と表現力、人を惹きつける魅力には感服した。
子供の頃からビートルズの曲を浴びてお育ちになり、大学時代はジャズも歌っていらした背景を知ったのも初めてだった。

そして、飛び入り的ゲストの音楽プロデューサー 佐藤剛さんの博識さと音への愛情に改めて驚き。
佐藤剛さん(写真で左から2番目の黒目のシャツの方)といえば、このご経歴を見ればわかるが、日本のポピュラーミュージック(歌謡曲からJ-POP)の偉大な貢献者のお一人である。
甲斐バンド、BOOMをはじめ多くのミュージシャンを育成されてきた。
最近では、由紀さおり&ピンク・マルティーニ「1969」のプロデュースが話題を呼び、一方ではソノダバンドのような若手も育成されている。

*ソノダバンドといえば。5月の「安原マーケティングワークショップ」のテーマは「口コミ」だったが、2名の参加者からソノダバンドの名前がでた。「口コミ」の成功例と考えていいだろう。ちなみに一人の女性リサーチャーは、ワークショップの後、彼らのライブに行った。

佐藤剛さんのご発言で以下の2点(私の意訳)が心に残った。

(1)プロトゥールスの普及などで、レコーディングは安価かつ手軽になったが、「レコーディング」とは単に音を創るという意味ではなく、スタジオにいる歌い手、ミュージシャン、マネージャー、エンジニア、ローディーなど全ての人達の意思と気持ちを包括し、その空気感まで含めて録音するということ。

(2)デジタル音源は安易にコピーされ、ときにばら撒かれるが、まず、音楽ファンを増やすことのほうが優先順位は高い。

違法ダウンロードの実刑化が国会で通ったようだが、だから一層、佐藤剛さんのお言葉は心に響いた。

この夜は台風の通過で、表参道から地元の駅まで2時間半もかかってやっと帰れたけど、それでもいい夜だったね(笑)!

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橋本治 金言集 『ナインティーズ』 読書メモ (コメントなし) <第6回>

2012年06月22日 | マーケティング話
<第5回>から続く。

アイデンティティーで“神”が出て来て、話はなんだか難しくなったと思って、それでうっかりそのことを考えてみようとすると、イスラム圏を除いたら、もう実効力のある神なんて新興宗教の信者の中にしかないもんだから、「それは遠い歴史の話」ってことにしちゃうけど、残念ながら、神に実効力のなくなった世界では、ズーッとアイデンティティーという事態が必要になっていて、結局相変わらず、至るところで様々な“神”は、今日もまた死んでいたりはするんですね。

人間というものは結局のところ、放っとくと“自分と外部の関係”を“忠誠心”とか“信仰心”によって把握して一体化しているもんだから、至るところに“信ずべき神”はいて、至るところで“神”は今日もまた死んでいる訳です。
別にアイデンティティーは、異国の話じゃない。「自分がしっかりしてなきゃどうしようもないだろ!」というのは、すべての人間社会に普遍的なお説教だと思いますね。

(同書155ページより)

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2012年06月21日 | マーケティング話
<第4回>より続く。

アイデンティティーというと、やはり“神”ですね。日本人の苦手な。苦手ついででどうせ錯覚してるだろうと思うんだけど、「神が強いところではやっぱりアイデンティティーという思想も強く起る」っていうのは、間違いですね。だって、イスラム教徒が“個人のアイデンティティー”なんてものを問題にするとは思えないもの。アラーの神が健在だったら、「“私”というものの保証はアラーの神がなさって下さる」ですむし、「何事もアラーの神のおぼしめし」っていうのは、そういうことなんですから。

アイデンティティーというのは、神が死んだ世界でだけ起ることで、神が健在な世界じゃそんなことは関係ない。神というものが“敬虔な信者”である自分の保証をしてくれていた、そのことの根本に疑問が生まれて、それで神のやってきた保証事業を「自分のぶんだけは自分で」っていうことになって生まれたのがアイデンティティーという“自己同一性”なんだから。

会社が傾きかかって、その瞬間「今まで会社によっかかっているだけだった“自分”ってなんなんだろう?」と思って会社を辞めちゃう。会社そのものに疑問を感じちゃったもんだから今更就職なんて出来なくなって、脱サラして職人になっちゃったら、もう“名刺”ですべてが通って行くなんてことは出来なくなる。「あんた誰?」「ラーメン屋ですけど」「だったら作ってみろよ」「はい、出来ました」「なんだ? まずいラーメン作りやがって、お前なんかがラーメン屋である筈ねェじゃねェか」-というのが、神の没落とアイデンティティーの誕生の関係ですね。

どうしたって、まだ脱サラ直後のサラリーマンはラーメン屋に見えない。「どう見たってラーメン屋」という事態を確立して-あるいは「俺がラーメン屋であることは事実なんだから、俺が何に見えたってかまわない」という事態を獲得して、それで誰が食ってもうまいラーメンを作ってられるようになった段階が“アイデンティティーの確立”なんですね。あんまし難しいことは考えない方がいい。

(同書153~154ページより)

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「長期記憶」ってのは、「鍵のかけ忘れたおもちゃ箱」

2012年06月20日 | 徒然
誠ブログにこんな記事があった。
「初恋の人とゴールインする確率、100人に1人」

「初恋の人ともう一度会いたい」と思っている人はどのくらいいるのだろうか。
初恋の人に「再会したいと思う」が37.1%に対し、「再会したいと思わない」が57.3%。
男女別にみると、女性(33.2%)よりも男性(41.0%)のほうが多い。
年代別では、20代(43.2%)と50代(40.4%)での再会意向が目立った。


私の場合、絶対に嫌だ!
そういう齢なわけ。

私が自覚している「初恋」の人は、小学校6年生のとき、生まれて初めてときめいたHさんで、美人で勉強ができる子だった。
中学一年生で同じクラスになったが、あのときの姿のままでいいねと。

独特の「ときめき」っていうのはその時が初めてだったので、とりあえず初恋と思っているんだけど、たしか30代中頃の頃だったと思う。
突然、小学校5、6年のクラスメイトの女の子(Tさん)が夢に出てきて驚いたことがあった。
そして私は気づいたのだった。。。

「そうか! おれはTさんのことが好きだったのか!!!」

20年目の「気づき」かも?
昔から「鈍い!」と多くの女子に非難されてきた私だが、遅すぎにしても程がある。。。
そうなると、自分の初恋の人ってHさんではなくなってしまう。
だが、私はTさんには「ときめき」なんて抱いてなかった。
そういえば、かすかな「欲望」を感じていた女子は他にもいたぞ、、、Sさんとか。

わからない。。。

ま、「基準」の問題だろうなと。
体に電気が走るような「ときめき」、顔を見ただけで赤くなる、生まれて初めて感じるアタフタとした感情、なんてことを基準にすると、TさんよりHさんが「初恋」の人なんだろう。
それ以前に、Tさんに自分では気づかない「欲望」を抱いていたとしても。
「少年期」と「思春期」というとても微妙な違いもあるしね。

先日、ストレンジな夢をみた。
(私はほぼ毎日、夢をみる人なんだが・・・)

「こんな夢をみた」
というと、夏目漱石の『夢十夜』みたいだけど・・・。
***************************************
どうやら私は程なく死ぬことになっているらしかった。
といっても、体はピンピンしていた。
精神的にも落ち込んでなどおらず、普通の暮らしだ。
私は実家にいた。
母に頼んで、死ぬ前に一目会っておきたい人を呼んでもらった。

その女(ひと)は、私より2歳くらい年上だった。
私はその女に、恋心など微塵も感じたことはなかった。
それだけは誓って言える。
今となっては顔さえよく思い出せない。
彼女の存在を思い出すことさえ、数年に一度ぐらい。
私が小学校低学年の頃、彼女は私をかわいがってくれたことだけは覚えているが。

夢の中で私は風呂で体を洗っていた。
誰が言うともなく、私と彼女の性交渉は認められてはいなかったのはわかってはいたのだが。
私が風呂から出ると、彼女が玄関に現われた。
それは、私が子供の頃に見た彼女の年齢だった。
私は彼女の顔をはっきり覚えていなかったが、とても美しく、スレンダーだった(私の好みでもある・・・)。

残念ながら、そこで夢は途切れた。
***************************************
わからない。。。

自分の夢分析なんかする気にはならない。
なぜかって、それはつまらないからだ。

が、フロイド流に考えてみると、実は私は自分で意識しなかっただけで、彼女に恋心を抱いていたのかもしれない。
(今でも、あり得ないと思うけど・・・)
で、何かしら「抑制」していたのかもしれない。

こんな記憶がある。
彼女のお母さんと私の母はとても仲が良かった。
私が小学生の頃、その二人の井戸端会議の会話を覚えている。

両家の近所のあるお宅に、彼女より年長の男の学生さんがいた。
どうやら、その学生さん(受験勉強をしていた浪人)が、彼女に恋をしているのでは? とかあらぬ噂をしていたのを聞いたのだ。
真偽はわからないが、私にはあらぬ噂のような気がしたのだった。
女の噂話って怖い、と感じたのは、そのときが初めてだった。

そこで私の「欲望」が「抑圧」されたのか?

ああ、つまらない。
というか、とうてい自分を説得などできはしない。
もし、セラピストにそう言われたとしても、そんなわかりやすい筋書きなんかに騙されまい、と思うだろう。

いや、思い当たる節もないことはないか。。。
それは私が小学生の頃のことだけど。
(さすがにそのことは、ここには記せない)
自分が認めたがらないだけなのかもしれない。

でも、、、わからない。。。
たぶん、自分が生きているうちは。
それはそれでいいと思う。

ただ、今の時点で言えそうなこと。
それは、私には、あっちゃこっちゃに好きな人やものがあったわけで、意識してなかったことも含め、みんなが長期記憶の中に雑多に入っている、ということだ。
もちろん、今でも変わっちゃい(笑)。

そして、何の前触れもなく、夢の中で「ポーン!!!」と飛び出してきて、私を驚かせるのだ。
いつ来るのか? なんてことわからない。
タイトルの「鍵のかけ忘れたおもちゃ箱」っていうのは、私が20代の頃に書いた「Rain」という曲に、バンドのヴォーカルのI君がつけくれた詞の一節だ。
長期記憶っていうのは、心理学でよく「(記憶の)引き出し」に喩えられる。
が、私にとっては、「鍵のかけ忘れたおもちゃ箱」なんだろうな、たぶん・・・。

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橋本治 金言集 『ナインティーズ』 読書メモ (コメントなし) <第4回>

2012年06月19日 | マーケティング話
<第3回>より続く。

■アイデンティティ(3)

“自分探し”っていうのは、正確には“失われた自分探し”ですけど、じゃそんなこと言うんだったら、まるでかつては探すに値する“確固とした自分”があったみたいじゃないですか。「ホントかよ?」って思いますね。単なる“現実逃避”や容易な“退行現象”に“自分探し”なんていう高級なレッテル貼らない方がいいと思う。じゃないと、事の本質を見誤るだけだから。

(中略)

アイデンティティーというのは、確立してくもんで、確立して行けるだけの力をつける方向-“未来”とか“外部”という方向にしかない。その方向を見定めるための参考資料として過去の“経験”がある。“自分探し”というのは、所詮単なる参考書探しでしかないことを頭に叩き込んでおくべきじゃないでしょうか。

(同書151~153ページより)

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橋本治 金言集 『ナインティーズ』 読書メモ (コメントなし) <第3回>

2012年06月18日 | マーケティング話
<第3回>より続く。

■アイデンティティ(2)

日本人の言う“アイデンティティー”というのは、どうやら“個性”のことらしいですね。「自分をちょっと変わって見せていたい-そんな自由を獲得していると思いこみたい」というのが、現代浪費社会日本における“アイデンティティーの獲得”みたいで、“異質を排除した均一社会での個性化”ということらしいです。アイデンティティーというのは、“すべての構成要員は異質の個である”ということを前提にした社会でしか成り立たないことなんだから、「日本でそんなバカなことやめちまえ」というようなもんです。

自分の顔が他人の顔と違っているからこそ、証明書の顔写真というのが意味を持つのであって、みんなおんなじ顔してるところで顔写真になんの意味があるのか、ってことです。他との不一致を恐れてるところで、“自己同一性”だの“自己証明”などということはなんの意味もない。

(同書149ページより)

自分の“外”というものは、「自分とは異質なんだ・・・・・・」ということによって、改めて“自分”なるものの中にある欠落を気づかせて、成長させてくれるもんなんですけど、異質を排除することしか頭のない日本人には、きっと“異質によって自分を学ぶ”なんてことは、無理なんでしょうね。

アイデンティティーというのは、自分が一体感を感じていられた世界が崩壊した後になって訪れるもんだから、実のところ、一体感だけでやっている日本人から見たら、“とっても寂しいもの”です。でも人間は、なんらかの形で“自分”という個を確立しなきゃいけないもんだから、そんなことしようがない。アイデンティティーの獲得というのは、自分の責任で自分を成り立たせることで、これは大人になるための通過儀礼です。

(同書150ページより)

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なぜオウムの指名手配犯たちは17年間も逃亡してたのか?【心理的仮説】

2012年06月17日 | 徒然
「そりゃ、逮捕されて罰を受けるのが嫌だったからでしょ?」
と一言で済ませてほしくはない。
そりゃそうだけど、それだけじゃない人間の心理と生き方ってあるんじゃないのかな?
と考えて書いたのが今回の記事だ。

タイトル写真は、先日、徒然と書いた記事にも掲載したが、恵比寿駅の東側、明治通りと駒沢通りの交差点「渋谷橋」の歩道橋だ。
80年代後半、私が初めて「オウム真理教」と“出会った”のがこの歩道橋の上だった。
当時の会社が人形町(&小伝馬町)から、恵比寿に移転した。
その会社が渋谷橋にあったわけだが、移転してすぐ、この歩道橋の上に貼ってあったのがオウム真理教のポスターだった。
数枚まとめて貼られていた。
私の記憶では、青色の背景に、白い衣装を着た長髪で髭顔の麻原、という構図のポスターだったと思う。
が、じっくりと見たわけではなく、オウムという宗教団体の存在も知らなかった。

その時私が感じたのは、何か得体の知れない気味の悪さ、そして強い生理的嫌悪感だった。

その後、彼らがマスコミに取り上げられたり、選挙に出馬し、恵比寿駅前での奇妙なパフォーマンス(選挙運動)を見て、オウム真理教の存在を知ったわけだ。
だんだんわかってきたことだが、恵比寿はオウムの青山総本部から駒沢通りを青山方面に坂を上って下りれば徒歩20分とかからない。
つまり、彼らの縄張りでもあったのだ。
サリン事件後、村井という教団幹部が刺殺されたが、その翌日の昼休み、青山総本部の前まで行ったこともあった。
警備の警察官の、「何も起きませんよ! 道を空けて下さい」という声を聞きながら。
私も、当時の「オウムウォッチャー」だったわけである。。。

まず、オウムが話題になる時、私が知る限り、比較対象として言及されるのが「連合赤軍」である。
そのあたりは、『連合赤軍とオウム わが内なるアルカイダ』という田原総一郎の著作があるし、少なくとも私以上の世代の人間にとって、両者を連想することは不自然ではない。
それに「アルカイダ」も同様だ。

が、今回は田原の書籍の内容云々ではなく、私の考え方を記してみたい。
「連合赤軍」「オウム真理教」に共通するものを、「アルカイダ」をまぶせつつ記していく。
(同書については最後にまた触れる)

■「世直し」願望は贅沢病

まず、ぶっちゃけ、「世直し」の願望っていうのは、

(1)社会のフレームが確固としている(確固としていると信じられている)
(2)経済的には成長が信じられている

という前提(意識的、無意識的)のもとで、ある一定の規模の集団が持つものであるということだ。
もちろん、連合赤軍や当時の新左翼各派、オウムの考えた「世直し」「理想社会」なんてのは、もし実現したら、大多数の国民にとっては迷惑千万なことだけど。。。

60年代後半から70年代前半にかけての「学生叛乱の時代」って、まだベトナム戦争中だったし、米国、仏国をはじめとする先進国では、同時多発的に学生運動が盛んだった。
だが、先進国の政治・経済・社会は決して破綻していたわけではないどころか、とりわけ日本の場合、まだ高度経済成長下で、客観的に見れば「先行き」が暗いわけではなかった。
もちろん、これは現代から視た見解で、当時の若い人達は自分達なりに危機意識を抱いていたことは認めるが、そうだったとしても、「先行き」が視えなかっただけで、55年体制のフレームは確固としていたのである。

団塊世代(1947~1949年生まれ)を、「全共闘世代」と呼んだりもするが、当時(東大闘争のあった1969年)の大学進学率はたかだか15.4%に過ぎなかった。
その15.4%うち、さらに数%の学生が、ヘルメットやゲバ棒で「武装」していたに過ぎなかったのだ。
つまり、当時の産業社会で前途を保障された恵まれた、ごく少数派のインテリ層が主導した運動だったわけだ。
そして、それは当時の「トレンド」(流行)の最先端だったんだと思う。

おそらく、先鋭化した指導層の一部以外は、社会に出たら日本を代表する企業社会で力を発揮されたことだと思う。
(そういう学生を強烈に嫌悪したのが、『ノルウェイの森』を書いた同世代の村上春樹である)

オウムの地下鉄サリン事件は1995年で、バブル崩壊後の“失われた10年”にあたる。
が、しかし、坂本弁護士事件をはじめとする彼らの「テロ」は80年代後半から行われており、5月に放映されたのNHKスペシャルによると、彼らには80年代から大規模な武装化とテロ(いや戦争か・・・)の構想があって、準備を進めていたことが明らになった。
80年代後半といえば、バブル景気に向かいまっしぐらの時期だ(プラザ合意は87年)。

つまり、経済的な繁栄が当たり前だった時代の“あだ花”であったことは、「連合赤軍」(以下「連赤」)もオウムも変わらないわけだ。
(ここまでは、ごく当たり前の見解・・・)

■水平思考のない、垂直思考という「視野狭窄」

2001年9月11日、アルカイダのテロによりニューヨークの世界貿易センタービルをはじめ、米国の主要施設が攻撃された。
そのとき、私が思ったことは、「新しい形態の戦争が始まった!」ということだった。
が、先述の田原の著作を読んだところ、実は、アルカイダと米国の「戦争」は90年代初頭から開始されていたことがわかった。
「新しい形態の戦争」は続いていたのであり、「9・11」とは、イスラム原理主義者の大攻勢に過ぎなかったわけだ。
米国にとっては「テロ」だが、イスラム原理主義者にとっては「聖戦」という立派な戦争である。

「テロ」について考えてみよう。
連赤という組織が形成される前、京浜安保共闘や共産主義者同盟赤軍派は、交番の襲撃や猟銃店への強盗事件を頻繁に起こしていた。
これは「テロ」であり、政府や市民社会の側から見れば「犯罪」以外の何物でもない。
ただし、「テロ」を行う側にとっては、「革命戦争」なのである。

世界史を見ればわかるが、例えばロシア革命(1917年)。
帝政ロシアを打倒した、レーニンを指導者とするボルシェビキ(ロシア社会民主労働党左派で“多数派”の意味)は、当時のロシアで頻繁に「テロ」を行っていた。
ボルシェビキの幹部で、レーニンの死後、ソビエト共産党の書記長となったスターリンは、政権奪取前、ボルシェビキの「資金調達戦闘団」に属していた。
何をしていたのか? といえば、ぶっちゃけ銀行強盗である。
「銀行強盗」でも、革命成就のための資金調達という“聖なる”目的があれば立派な行為だ、というのは洋の東西を問わず常識だったのであり、学生叛乱の時代の日本でもそれは変わらなかった。

わが国の明治維新でも、薩摩、長州をはじめとする勤皇の志士たちは、京都を血で染める「テロ」をやりまくっていたのであり、それを抑える役目の“幕府の犬”だった新撰組も同様の人殺し集団だった。
しかも、新撰組なんぞは、勤皇の志士との闘いでの死者よりも、自分達が粛清した=内ゲバで殺した死者のほうが多かったというから始末が悪い。
まさに連赤だ・・・。
桂小五郎も高杉晋作も、正真正銘の「テロリスト」だ。
で、維新が成就したら、かつての「テロリスト」も英雄として政府の要職についたわけである。
まあ、歴史なんて“勝てば官軍、負ければ賊軍”なんだけど。。。

ただ、ここで問題にしたいのは、1970年前後のわが国が、はたして「革命」の時期だったのか? ということだ。
時代を覆う「空気」がそれを望んでいたのか? と言い換えてもよい。
本気で「革命」を信じていた層も少なくはなかっただろう。
あまり語られることはないが、その10年前の「60年安保闘争」のときは、政府転覆があり得たのだから。
(岸信介首相と弟の佐藤栄作の二人は、首相官邸で、「もう終わりだろう」と覚悟したのにも関わらず、反安保運動は大衆運動としては大きかったが組織的には脆く、もう少しのところで引いてしまったわけ・・・)

特に1970年代以降生まれの諸君には、全く想像できないことだろうが、少なくとも80年代までは「55年体制」が続いており、左・右の対立構造があった(マスコミの世界では、「朝日新聞」「岩波書店」が代表的な左翼系の論壇)。
が、「55年体制」が崩壊するまで、社会党(現在の社会民主党)が政権を獲ることができなかったように、あくまでも自民党を与党とする日本「社会のフレーム」が確固としており、旧左翼、新左翼ともに、「社会のフレーム」を構成する“アンチ勢力”としての位置づけと役割しかなかったのである。

つまり、70年代前後の「革命」なんて、新左翼の先鋭的な指導層や真面目すぎる構成員にしかリアリティはなく、「世の中」にとってリアリティどころか、迷惑なもの、いや、どうでもいいものでしかなかったわけである。

(ここで注釈:よく「日本人はおとなしい」といわれているが1973年、当時の国鉄の順法闘争にブチ切れた通勤電車の乗客、それもほとんどがサラリーマン達が、電車を破壊したという暴動、「上尾事件」も発生した。政治的なイデオロギーとは関係なかったはずだ。つまり、70年代前半の日本は、そんなアナーキーな「空気」にも覆われていたのである・・・)

上信越自動車道路で群馬県内を通る時、妙義山の峻嶮な姿を目にする。
そのたびに私の頭をよぎるのは、連赤の「妙義山アジト」のことだ。
70年代当時は、今のように交通網が整備されてはいなかったはいえ、所詮、狭い日本だ。
山深いとはいえ、たかが関東の山の中に籠って、中国共産党の「長征」を気取って、山岳軍事拠点を転々とし、リンチで仲間を殺しながら、浅間山荘の壮絶な銃撃戦で終止符を打った彼らのことが思い出されるのだ。
(小学校の林間学校で行った榛名山麓、榛名湖では、アジトの跡とか案内され、「ヒェー、怖いよ~、、、頭のいい人って怖いよな。。。オラ、バカで良かったよ」と、クレヨンしんちゃんのように盛り上がったこともあったが・・・)

つまり、幼稚なのだ。
「革命ごっこ」にしか思えない・・・。

これはオウム真理教の、クソ真面目だが、それゆえ滑稽極まりない行動に対して感じたのと同じ感情だ。

それは、世の中全体を俯瞰するという健全な「水平思考」が彼らにはなく、自分達にとって都合のいい領域のみ深く掘り下げる「垂直思考」を病的に突き詰める、という態度ゆえである。

拙著『コンテンツを求める私たちの「欲望」』の第1章で私の規定した、「大きな世間」(国家など)を正確に捉えることができない、あるいは無視をしつつ、「小さな世間」(この場合、自分の属する組織)の論理のみを肥大化させるという病理だ。

こういった病理は、カルト集団だからより濃厚に現れるわけだが、われわれだって決して無縁のことではない。
最近、マスコミで見聞することは殆どなくなってきたが、たとえば総会屋対策で、上場企業の総務担当者が贈収賄で逮捕されたりといった、企業人の不祥事といことがある。
おそらく当人は脱法意識がなかったり薄かったり、と思うのだが。
あっ、検察庁の不祥事があったか。。。
こういう不祥事も、「大きな世間」よりも、自分の属する会社のような「小さな世間」のほうが大事だよ! というわれわれのごく自然な態度ことから起きるのである。
組織には「組織防衛」本能というのがあって、とりあえず組織に所属する人間はその本能に忠実だ(笑)。

■人の心にもある「サンクコスト」

高橋容疑者が今でもオウムへの信仰があったのかは(バッグの中には教団の関連書籍が10冊あったという)、今後の捜査状況を見守るしかない。
が、われわれの常識で考えればこうだろう。

「オウムの化けの皮が剥がれたし、いい加減、自首したらよかったのでは? 逃亡生活のストレスも相当なものだろう・・・」

人の心の中ってそうそう単純ではないのだろう。
逃亡生活を続けていても、
「ひょっとすると逃げ切れるのではないか?」
「逃げるのは疲れた。。。」
といった、矛盾する心理が錯綜するのではないかと推察する。

そんな葛藤を抱えつつも、なぜ逃亡生活を送る、という人生しか選択できなかったのか?

「過去からの生き様は、そう簡単には否定できない」

そういう心理もあるのではないか? と私は推察する。

たとえ教祖の化けの皮が剥がれたとして、自分にかつてのような信仰心など消えたたとしても、家族を捨ててまで「出家」し、教団に身も心も捧げたという行為を後から反省しようとも、そうそう自己否定できるものではない。罰を受け、新しい自分になる、という決断は難しかったのではなかったのか? ということだ。

そういう不器用な人間もいるのではないか?

と私は考えてしまうのだ。
「過去の自分は間違っていたのだから、早々に軌道修正をする」と合理的に判断できない人だっているに違いない。
「自分のアイデンティティ=過去からの連続性にがんじがらめになる」人と言い換えてもいい。

経済学には、「サンクコスト(埋没費用)」という概念がある。
これを人間の心理にあてはめてみると、こういうことだ。

「たとえ間違っていたとしても、自ら選んでここまで生きてきた人生は、そう簡単に軌道修正はできない」

とても不器用な態度だ。
しかも、クソ真面目だ。
「自分は教祖に騙されていた・・・」と、合理的に考えて態度を翻す(=転向)する心理とは違う。

しかし、日常生活を生きるわれわれにとっても、決して無縁な態度ではないだろうか?

で、もしも、私が事件の当事者だったら? と想像することもある。
私も十分、不器用なところのある人間だからだ。
だが、どこかいい加減で、ちゃらんぽらんな側面もあるから何とか今まで生きてこられたのかもしれない(苦笑)。

もうひとつ付け加えると。
物理で「慣性の法則」ってあるけど、人や社会がなかなか方針転換できないというのも同じようなものかもしれないということ。
この記事の最後を読んでほしい。
1945年、どう考えても勝つどころか、破滅一直線でしかなかった戦争を、自分達で終結させることのできなかったわれわれの日本という国の姿だ。

ここまでが私の仮説だ。

***************************************
『連合赤軍とオウム わが内なるアルカイダ』で、元共産主義者同盟叛旗派最高指導者で、文筆家・会社役員の三上治氏は、田原との対談で以下のように述べている(田原は三上氏を、理想と現実という相反するものを、実に絶妙に調査わせるリアリスト、と高く評価している)。
最後は、少々長くなるが、三上氏の言葉で締めさせていただく。
連赤もオウムの問題も、実は1945年までのわが国全体が抱えていた問題でもあったからだ。
戦争中、軍国少年だった田原は、爆弾による自爆テロを行うことを切望していたそうだ。
そして神風特攻隊とは、アルカイダそのものだったのだことを忘れてはならない。

<以下、黒字部分が引用箇所>

ここが大事なところなんですが、前向きに、しっかりした戒律をもった、しっかりした人物というのは、意外にいざというときになると、全然、役に立たなかったりするんです。グズで、役に立たないと思ってったやつが、いざとなるとやるんですよ、現場で。というのは、人間はね、想像で死ぬことを考えたり、想像力でいろんなことを考えるということと、現実の場面に臨んでやるというのは違うんだと。このことが非常に大事なことなんですよ。

ということはね、戒律や軍律や教育で何とかきちんとした人間に育てようとしても、きちんとなりはしないんですよ。いざとなったらね、本人が積み上げた、自分の修練してきた歴史が全部出るしかないんです。戒律や軍律や、そんなもので縛ったりできるもんじゃないんです。

こんなごく当たり前のことをが理解できていれば、きっと人を殺したりはしなかったんじゃないかと思うんです。何かをやる前の晩、どんちゃん騒ぎして、酒盛りしてね、みんなで歌ってね、なるべく楽しもうぜと。人間、何やるか、その場に行ってみなければわからないからって。それでいいんじゃないかと、人間ってね。そういう考え方がないとダメなんです。
戒律や宗教で人を縛ろうとする、これ、無理なんですよ。それはね、一番単純だけど、一番大事なことで、政治や宗教をやる連中が、一番陥りやすい罠なんですよ。

(中略)

結局、自分の中の怖さをね、戒律で縛るということですよね。すると、自分の中に恐怖をもってる連中は、自分のそれを自分で縛るだけでなく、他人に強要するんですよ。つまり、自分に対する自己不信が、自己不信であればいいけど、他人に対する不信として出てくるわけですよ。だから、結局、自分に怖さをもっている人間が・・・・・・。

(田原:怖いというのは自分を信用していないということですか。)

そうです、自分を怖れていると、「制度の言葉」に救いを求めるんです。共産主義化でもそうですけれども、制度の言葉がありますよね。どんどん制度的言葉に収斂していくことに対して、制度におさまらない人間の身体がもっている言葉というか、ちゃらんぽらんさや無意識ということも含めて、自分の持っている感覚を信じるというか、そういう発想がないんじゃないですかね。

(田原:制度におさめようとするための言葉とか行動よりも、自分の身体から無自覚に発せられる言葉や行動ということが大事なんだと。)

大衆運動とは、そういうことだと思ってましたね。

(田原:身体からの言動がなくなったとき、三上さんはここは引き時だと思ったわけですね。)

ええ。

(田原:塩見氏たちの赤軍派の運動が、連合赤軍になっていくときに、ここが潮時だよと。これはやめたほうがいいよという人が、一人でもいればよかったんですよね。)

ええ、いいと思いますね。でもそれはね、田原さん・・・・・・。

(田原:難しい?)

戦争中にもいえなかったわけですよね。「もうここらでやめようや」とは。孤立してまでそういうことをいうのはね、なかなか難しいんですよ。そう思いますね。

(同書371~374ページより)


連合赤軍とオウム―わが内なるアルカイダ
田原 総一朗
集英社

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<第1回>より続く。

■アイデンティティ(1)

説明には、大きく分けて四つの要素がある。Aは“説明する者”、Bは“説明される対象物”、Cは“その説明を聞かされる相手”、そしてDが「どういう風になれば説明が理解されたことになるのか」という、その“了解に関するレベル”-メンドクサイ言葉を使えば、“説明を成り立たせる客観性の設定”ですね。

自分から進んで自分の立場を説明するのは、日本人の場合、余分な権利を主張するエゴイストになるみたいに思われてるから、なるべくだったらそんなことはしない方がいいと思っている。黙って「フンフン」うなずいているのが大人の態度だと思われているフシもあるけれど、自分を説明するっていうのは、相手も含んだ全体の状況を頭においておかなかったら、自分の立場なんてものは、把握出来ない。「把握出来ないから黙っていよう、それがモデラートな大人の立場だ」-そんなつまんない納得を自分一人で勝手にして黙ってるのが“引っ込み思案でシャイな日本人”らしいですけど、そんなもん、なんにも分かっていないただのバカだ。

(同書140~143ページより)

アメリカに対する説明ばっかり考えていたら、いつまでたっても「あやういところで責任逃れをした・・・・・・」という受け身の発想から自由になれない。独立性というのがあるんだかないんだかわからない二流国になって、永遠に“説明”という言葉に対してオドオドし続けなければならない。説明相手のアメリカだって、やっぱり“諸外国”という全体の中にいる一つの要素である以上、“諸外国経由の納得”ということだって当然ある。直接の説明相手=Cは、“アメリカ”だけれども、“その周辺諸国”という“全世界”を頭の中に置かなかったら、説明が説明として機能しない。“相手”なるものをどう設定するかというのは、とても重要なことです。

(同書144~145ページより)

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視野の狭いバンドマン(若気の至り?)・・・「お友達の名言シリーズ」

2012年06月15日 | 徒然
「お友達の名言シリーズ」のスタートです。
お友達といっても、ウイットに富んだ名言を発するのはほぼ一人なんですけでね。
20数年前にバンドメンバー募集で出会った彼は、ドラマーだったんだけど、ギターもベースもこなすプレーヤー。
今、秋田県で仕事をしながらバンド活動を続けています。
***************************************
昔バンド仲間が言った。
「俺らは何でもアリだよ。ストーンズからレゲエ、R&Bもね。」
それじゃまるで「北は北千住から南は南千住まで…」じゃん。

【解説】
ロックを全く知らない人にはわからないでしょうけど、ロックを知ってる人には爆笑モンです。
バンドマンって、意外と視野が狭いところがあったりするのです。
特に若い頃は。。。

ストーンズの音楽性には、当然、レゲエが含まれてるどころか、R&Bはルーツそのものです。
なのに「何でもあり」ってのは。。。
ちなみに書かれた本人のバンド仲間って、おおよそ想像がつきます。
キース・リチャーズのスタイルだけ真似て=ギターの位置を下げて、「俺たち不良だからよ~」というポーズ(当時の本物の「不良」なんてバンドやってなかった・・・)でバンドやってた人達(「バッドボーイズ系」)でしょうね。

でも、こういうのってバンドマンだけの笑い話じゃなかったりしてね(笑)。
やたらと大風呂敷を広げるビジネスパーソンとか。。。

*写真はタイトルと関係ないですが、高樹町周辺の新緑。
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