■ 「ミエリン」は二十歳まで?
「研究者たちは、音楽の好みが生まれる時期を十代のころとしている。ほとんどの子供が音楽に本格的に興味をもち始めるのは十歳か十一歳のころで、それまでほとんど関心のなかった子も、何となく気を惹かれるようになる」
(『音楽好きな脳』 ダニエル・J・レヴィティン著 西田美緒子訳 白揚社 293ページより)
「アルルハイマー病にかかった老人では、初期の兆候の一つとして記憶の喪失が現れる。そして病が進行するにつれ、記憶の喪失はどんどん深刻になっていく。ところがそうした老人たちも、多くは十四歳のときに聴いていた歌なら覚えていて、まだ歌えるのだ」
(同上)
“神経の成熟”だ。
音楽を処理する脳の配線が大人と同じレベルに達するのが、大体、十四歳の頃。
そして、大多数の人の音楽の好みは十八歳か二十歳までに固まる。
まだなぜだかはっきりしていないが、いくつかの研究によって実証されてきたそうだ。
十代の間に、違う考え、違う文化、違う人達の世界の存在に気づく。
⇒ 自分の人生や個性、決意を、親から教えられたことや育ってきた道に閉じ込めなくて済むよう、
違う考え方を試す。同じようにして、新しい種類の音楽を探す。
そう言えば、2006年初頭、飯原経営研究所時代、「想い出の音楽」調査結果のプレスリリースを出した。
そのPRが、ITmediaさん経由でヤフーさんに渡って、トピックスに掲載。
「“想い出の音楽”を聴いた年齢、平均で18.8歳」
「OngakuDB.com」 のアクセス数は、1日だけの瞬間風速で最高記録。
テレビ局数社から、ニュースで使わせてほしいとの電話。
そんな対応で1日が過ぎた。
しかし、調査レポートは、いつも購入頂いていた日本能率協会MDBさんから酷評。
「マーケティング資料としての価値は低い」
当然だ。自分もそう思った(笑)。
でも、当時の部下の企画を、「面白そうだから、やってミッソーニ」 と採用したのは私だ。
もちろん、レポートは売れなかった。。。(前にも書いたかな?)
“マスコミ(世間)受け”と“マーケティング的価値”とのギャップを、身をもって学ばせて頂いた体験。
その話はいいとして。。。
神経回路が経験に沿って組織化されていく形成段階が“臨界期”の二十代を超えると、ガクンと落ちる。
その後の人生で聴いていく“新しい音楽”は、この“臨界期”に聴いていた音楽のスキーマに同化する。
スキーマとは、理解力の枠組みのこと。
シナプス伝達のスピードアップを担うという、
神経細胞の軸索を覆う脂肪質の物質「ミエリン」の形成は、
二十歳までに完了する。
“神経の刈り込み”だ。
■ じゃ、オッサン向けにはどうするの?
じゃ、オッサンやオバヤン達には、自分たちが二十歳前後に流行った邦洋楽のコンピや、
懐かしの名曲(今に生きる曲ですけど)のカバー集。
(最近のオリコンランキングで、4週連続1位だったアルバムみたいなのね)
そういうのを “あてがって” おけばいいわけ?
「それはそれで必要なんだけどさ、それだけじゃ、つまらんわけよ」
「マーケット・シュリンクの一つの要因じゃねーの? 日本の人口構成比は変わってんのに」
というのが私の持論で、前にも書いてきた。
丁度、博報堂生活総合研究所さんが、『生活者発想塾』という書籍を出された。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/48/9d/e4d7f82d37bc2076862ae70e7776db50.jpg)
「数字が表す人の人生」 という章(92~93ページ)では、
若者と高齢者の時間と空間が、わかりやすくビジュアル化されている。
そのビジュアルを、自分で再編集したのが下図(↓)。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/3a/5e/79ac1aebfac15728944ede6ea8b6db0c.jpg)
このモデルは、音楽嗜好にも応用できる。
“プール”で様々な音楽(文学でもいい)を求める若者。
対して狭くて深い“井戸”で、過去に経験した音楽体験を嗜む高年齢者。
効率的な販促策は、過去のカタログの活用。
それはそれで必要なんがが・・・。
「高齢者の多い社会とは、井戸型の社会です。狭い圏内で、時間の豊かさを大切に暮らすためのインフラが求められます。昨今話題のコンパクト・シティの考え方ですね。そのとき、『懐かしい映像や音楽などを、メディアを通じて配信することで、出歩かない高齢者を幸せにしてあげよう』と考えるのも、一つのアイデア。けれども逆に、『出歩く目的をつくってあげて、活動範囲を広げる助力をすべきでは?』という発想も生まれます」
(『生活者発想塾』92ページより引用。赤文字部分は井上が色づけ)
マーケティング的には難しいとはいえ、なかなかいいこと言うよね。
“安全策”だけで終わらせず、こういう先駆的な発想が必要だと思う。
臨界期に形成された「スキーマ」を、ステレオタイプに固定概念化しないで、
「スキーマ」を活かす方向性で、新鮮な“刺激”⇒ 生活の活性化を。
勿論、二十歳の人には、実際の二十歳の感性が不可欠なように、
高年齢者への“刺激”には、同年代のクリエーター、マーケターの感性が必要なんだよね。
(40代、50代のリスナーを満足させるのに、20代、30代のクリエータ、マーケターではまず無理だよ・・・)
**************************************************************************
お読み頂き有難うございます。
(↓)クリックの程、宜しくお願い申し上げます。
「研究者たちは、音楽の好みが生まれる時期を十代のころとしている。ほとんどの子供が音楽に本格的に興味をもち始めるのは十歳か十一歳のころで、それまでほとんど関心のなかった子も、何となく気を惹かれるようになる」
(『音楽好きな脳』 ダニエル・J・レヴィティン著 西田美緒子訳 白揚社 293ページより)
「アルルハイマー病にかかった老人では、初期の兆候の一つとして記憶の喪失が現れる。そして病が進行するにつれ、記憶の喪失はどんどん深刻になっていく。ところがそうした老人たちも、多くは十四歳のときに聴いていた歌なら覚えていて、まだ歌えるのだ」
(同上)
“神経の成熟”だ。
音楽を処理する脳の配線が大人と同じレベルに達するのが、大体、十四歳の頃。
そして、大多数の人の音楽の好みは十八歳か二十歳までに固まる。
まだなぜだかはっきりしていないが、いくつかの研究によって実証されてきたそうだ。
十代の間に、違う考え、違う文化、違う人達の世界の存在に気づく。
⇒ 自分の人生や個性、決意を、親から教えられたことや育ってきた道に閉じ込めなくて済むよう、
違う考え方を試す。同じようにして、新しい種類の音楽を探す。
そう言えば、2006年初頭、飯原経営研究所時代、「想い出の音楽」調査結果のプレスリリースを出した。
そのPRが、ITmediaさん経由でヤフーさんに渡って、トピックスに掲載。
「“想い出の音楽”を聴いた年齢、平均で18.8歳」
「OngakuDB.com」 のアクセス数は、1日だけの瞬間風速で最高記録。
テレビ局数社から、ニュースで使わせてほしいとの電話。
そんな対応で1日が過ぎた。
しかし、調査レポートは、いつも購入頂いていた日本能率協会MDBさんから酷評。
「マーケティング資料としての価値は低い」
当然だ。自分もそう思った(笑)。
でも、当時の部下の企画を、「面白そうだから、やってミッソーニ」 と採用したのは私だ。
もちろん、レポートは売れなかった。。。(前にも書いたかな?)
“マスコミ(世間)受け”と“マーケティング的価値”とのギャップを、身をもって学ばせて頂いた体験。
その話はいいとして。。。
神経回路が経験に沿って組織化されていく形成段階が“臨界期”の二十代を超えると、ガクンと落ちる。
その後の人生で聴いていく“新しい音楽”は、この“臨界期”に聴いていた音楽のスキーマに同化する。
スキーマとは、理解力の枠組みのこと。
シナプス伝達のスピードアップを担うという、
神経細胞の軸索を覆う脂肪質の物質「ミエリン」の形成は、
二十歳までに完了する。
“神経の刈り込み”だ。
■ じゃ、オッサン向けにはどうするの?
じゃ、オッサンやオバヤン達には、自分たちが二十歳前後に流行った邦洋楽のコンピや、
懐かしの名曲(今に生きる曲ですけど)のカバー集。
(最近のオリコンランキングで、4週連続1位だったアルバムみたいなのね)
そういうのを “あてがって” おけばいいわけ?
「それはそれで必要なんだけどさ、それだけじゃ、つまらんわけよ」
「マーケット・シュリンクの一つの要因じゃねーの? 日本の人口構成比は変わってんのに」
というのが私の持論で、前にも書いてきた。
丁度、博報堂生活総合研究所さんが、『生活者発想塾』という書籍を出された。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/48/9d/e4d7f82d37bc2076862ae70e7776db50.jpg)
「数字が表す人の人生」 という章(92~93ページ)では、
若者と高齢者の時間と空間が、わかりやすくビジュアル化されている。
そのビジュアルを、自分で再編集したのが下図(↓)。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/3a/5e/79ac1aebfac15728944ede6ea8b6db0c.jpg)
このモデルは、音楽嗜好にも応用できる。
“プール”で様々な音楽(文学でもいい)を求める若者。
対して狭くて深い“井戸”で、過去に経験した音楽体験を嗜む高年齢者。
効率的な販促策は、過去のカタログの活用。
それはそれで必要なんがが・・・。
「高齢者の多い社会とは、井戸型の社会です。狭い圏内で、時間の豊かさを大切に暮らすためのインフラが求められます。昨今話題のコンパクト・シティの考え方ですね。そのとき、『懐かしい映像や音楽などを、メディアを通じて配信することで、出歩かない高齢者を幸せにしてあげよう』と考えるのも、一つのアイデア。けれども逆に、『出歩く目的をつくってあげて、活動範囲を広げる助力をすべきでは?』という発想も生まれます」
(『生活者発想塾』92ページより引用。赤文字部分は井上が色づけ)
マーケティング的には難しいとはいえ、なかなかいいこと言うよね。
“安全策”だけで終わらせず、こういう先駆的な発想が必要だと思う。
臨界期に形成された「スキーマ」を、ステレオタイプに固定概念化しないで、
「スキーマ」を活かす方向性で、新鮮な“刺激”⇒ 生活の活性化を。
勿論、二十歳の人には、実際の二十歳の感性が不可欠なように、
高年齢者への“刺激”には、同年代のクリエーター、マーケターの感性が必要なんだよね。
(40代、50代のリスナーを満足させるのに、20代、30代のクリエータ、マーケターではまず無理だよ・・・)
**************************************************************************
お読み頂き有難うございます。
(↓)クリックの程、宜しくお願い申し上げます。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/7c/82/e85520e60bf6b0d9763532678c92d449.png)