<その5>より続く。
■男の肉体生理
前に別のところで言ったんだけど、男ってある時期を過ぎると、「自分で自分の肉体を把握する」ってことをやめちゃうんだよね。男からオジサンへの退化っていうのはここにあるんじゃないかとは思うんだけど、結局、男の肉体生理って大学じゃ教えてくんないからね。高校でも中学でも。
「生理」ってことになったら女の問題で、男にも肉体生理があるってことは、公に扱われていない。これはみんな結局、個人的で私的な問題で“俗なこと”だから、真面目に考えられないんだよな。
(「パンツが臭くておかしいか?<表>」296ページ。太線は引用者)
■女の固有名詞と男の普通名詞
男は下着泥棒をして女は下着泥棒をしないっていうのは、でも、ホントかどうかは分かんない。女だってするかもしんない。女が、好きな男のパンツ握りしめて眠らないなんていう話はどこにもないんだし。阿部定っていう女だっていたんだし。
昔にも「団十郎様お痰」とか「芝翫(しかん)様お痰」っていうのだってあったんだから。美貌の歌舞伎役者が懐紙に「カーッ、ペッ!」って吐いた痰をひそかに手に入れて、「団十郎様お痰」て書いてタンスの隅にしまっとく-往古の“アイドルグッズ”ですが。楽屋で風呂に入ったその時のお湯とかね。昔の役者についてた番頭は、そういうものを横流しして小遣いを稼いでたっていうから。
そういうのを、昔のお嬢さまとかは、ひそかに買ってたんだから。その胸に抱き締めたりしてさ。痰のついたティッシュとシミのついたパンティーは、いい勝負じゃないでしょうかね。
ただやっぱし、ここにも男と女の差はあると思うね。つうのは、女は好きな相手のもんしか抱き締めないじゃん。どんなものであっても、“自分の好きな相手”がそこにいるとなったら、平気でそこに“好きな相手”を発見しちゃうじゃない? 痰のついたティッシュペーパーだって、別に痰を見てるわけじゃない。痰の向こうに「相手」を見てるだけだから、「汚い」とかなんとかいうのは問題ない。「好きな相手のなら、平気で汚れたパンツ洗えるわよ」というものの感性は、これでしょうね。
でも男はそんなもの見ないね。“その相手に恋をした”っていう男は別だけど。どんな好きな相手のものであっても、男は“その相手”を通して“一般性”を発見しちゃうね。男の方が、つまんないことを「ああだ、こうだ」と詮索しちゃう、“こだわり”とか“ウンチク”が好きだっていうのは、このせいだと思う。
(中略)
女は汚いパンツの向こうに“憧れの人”っていう固有名詞を発見するけど、男って、普通名詞しか発見しないよ。“みゆきちゃん”なる美少女のパンティーを手に入れたって、男はそのパンティーの中に“みゆきちゃんもその一人として所属する美少女”というものしか発見しないんだから、それを発見したいからこそ、男は下着泥棒に走ったりするわけでしょうね。
男は結局、具体性から抽出された一般性というのがほしいのね。ある現実の事物から自分に必要なだけの一般性を抽出して、自分をその一般性にきちんとはめこみたいんだよね。男が設定する“チャンとした自分”というのは、その一般性の中に自分がキチンとおさまっているその状態を指すんだから。
(中略)
女の“夢”とか“憧れ”ってもんは、所詮肥大化した具体性でしかないんだから、少しはパンツの向こうに“自分に必要な一般性”でも発見したらってこと。
(「パンツが臭くておかしいか?<表>」301~304ページ。太線は引用者)
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■男の肉体生理
前に別のところで言ったんだけど、男ってある時期を過ぎると、「自分で自分の肉体を把握する」ってことをやめちゃうんだよね。男からオジサンへの退化っていうのはここにあるんじゃないかとは思うんだけど、結局、男の肉体生理って大学じゃ教えてくんないからね。高校でも中学でも。
「生理」ってことになったら女の問題で、男にも肉体生理があるってことは、公に扱われていない。これはみんな結局、個人的で私的な問題で“俗なこと”だから、真面目に考えられないんだよな。
(「パンツが臭くておかしいか?<表>」296ページ。太線は引用者)
■女の固有名詞と男の普通名詞
男は下着泥棒をして女は下着泥棒をしないっていうのは、でも、ホントかどうかは分かんない。女だってするかもしんない。女が、好きな男のパンツ握りしめて眠らないなんていう話はどこにもないんだし。阿部定っていう女だっていたんだし。
昔にも「団十郎様お痰」とか「芝翫(しかん)様お痰」っていうのだってあったんだから。美貌の歌舞伎役者が懐紙に「カーッ、ペッ!」って吐いた痰をひそかに手に入れて、「団十郎様お痰」て書いてタンスの隅にしまっとく-往古の“アイドルグッズ”ですが。楽屋で風呂に入ったその時のお湯とかね。昔の役者についてた番頭は、そういうものを横流しして小遣いを稼いでたっていうから。
そういうのを、昔のお嬢さまとかは、ひそかに買ってたんだから。その胸に抱き締めたりしてさ。痰のついたティッシュとシミのついたパンティーは、いい勝負じゃないでしょうかね。
ただやっぱし、ここにも男と女の差はあると思うね。つうのは、女は好きな相手のもんしか抱き締めないじゃん。どんなものであっても、“自分の好きな相手”がそこにいるとなったら、平気でそこに“好きな相手”を発見しちゃうじゃない? 痰のついたティッシュペーパーだって、別に痰を見てるわけじゃない。痰の向こうに「相手」を見てるだけだから、「汚い」とかなんとかいうのは問題ない。「好きな相手のなら、平気で汚れたパンツ洗えるわよ」というものの感性は、これでしょうね。
でも男はそんなもの見ないね。“その相手に恋をした”っていう男は別だけど。どんな好きな相手のものであっても、男は“その相手”を通して“一般性”を発見しちゃうね。男の方が、つまんないことを「ああだ、こうだ」と詮索しちゃう、“こだわり”とか“ウンチク”が好きだっていうのは、このせいだと思う。
(中略)
女は汚いパンツの向こうに“憧れの人”っていう固有名詞を発見するけど、男って、普通名詞しか発見しないよ。“みゆきちゃん”なる美少女のパンティーを手に入れたって、男はそのパンティーの中に“みゆきちゃんもその一人として所属する美少女”というものしか発見しないんだから、それを発見したいからこそ、男は下着泥棒に走ったりするわけでしょうね。
男は結局、具体性から抽出された一般性というのがほしいのね。ある現実の事物から自分に必要なだけの一般性を抽出して、自分をその一般性にきちんとはめこみたいんだよね。男が設定する“チャンとした自分”というのは、その一般性の中に自分がキチンとおさまっているその状態を指すんだから。
(中略)
女の“夢”とか“憧れ”ってもんは、所詮肥大化した具体性でしかないんだから、少しはパンツの向こうに“自分に必要な一般性”でも発見したらってこと。
(「パンツが臭くておかしいか?<表>」301~304ページ。太線は引用者)
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