【ML251 (Marketing Lab 251)】文化マーケティング・トレンド分析

トレンド分析ML251の文化マーケティング関連Blogです。ML251の主業務はトレンド分析をコアにしたデスクリサーチ。

女性ギタリストの 「チョーキング問題」

2010年04月03日 | 徒然
今頃、「Michael Jackson's THIS IS IT」のお話も何なんですが。。。

私も昨年11月、この映画を観ました。(↓@有楽町)



それにしても、この映画を観て、MJがここまで再評価されるとは。
私も「再評価組」です。

(1) 80年代から現在に至るまで、MJを評価していなかった層による再評価
(2) 口コミで映画の好評価が拡がった

この2点が「THIS IS IT」の顕著な特徴ではないでしょうか。
もちろん、「仮説」です。「検証」するデータはありません。
(持ってる人、いたら教えてちょ!)

自分の肌感覚だと、mixiのマイミクさんとのやりとりなんですが・・・。

私はMJの世界的なブレイクをリアルタイムで見てきました。
が、パンク・ニューウェーブ好きな人達は、私を含めて、MJ好きって少なかったと思います。
なんせ、若い人達から、MJについて聞かれるとですね、つい最近まで、

「ああ、ジャイケルね・・・」

と流してましたから。

(俺の世代がよ、みんなMJ好きだと思ったらよ、大間違いなんだよな! オイ)

というのがこの答えに隠された意味です。

私、アル・ヤンコビックのほうが好きでした。

「スリだー」(邦題)とか。

で、この映画を観てですね、あらためてMJって凄かったんだなと。
同じように、「なぜ、生前、彼のことを評価しなかったのか?」
って言う人って割と多いんじゃないかな? という肌感覚があるんです。
私のマイミクさんに限らず。

私のマイミクさんに、デペッシュ・モードが大好きで、
欧州へもどんどん観にいっちゃう、センスが良くて素敵な女性がいるんですけど、
年齢は私よりず~っと下ながら、彼女のMJ評も私と似たりよったりだったようです。
ところが、この映画を観られてから、「再評価」されてました。

では、自分はどうしてこの映画を観たかと。
mixiで少なからぬ人達が、「いい!」と言うもんで。
最終的に決めたのは、中学2、3年の同級生、大久保さんの日記だったんですが。

ここまでは前置きで、これからが本題です。

「THIS IS IT」で私達を感動させたシーンのひとつに、
女性ギタリストのソロのパートで、MJが、

「もっと自分をアピールしろ、ここでは君が主役なんだから」

というようにアドバイス(注文)するシーンがあります。
ここ(↓)だったかな? 違ってたらゴメンです。



彼女、オリアンティのハイポジションでのチョーキングを見て、
何かしら 「足りない?」 と私は感じました。
もちろん、彼女は素晴らしい女性ギタリストですし、
タッピングによる速弾きも難なくできますし (私は出来ませんし、必要ありません)、
おおよそ、ロックギターのテクニックは全て身につけているはずです。
しかし、ハイポジションで高音のチョーキング、
ビブラートをかけるわけでなく、何となく淡白に感じたんです。
(MJが注文をつけたのもわかるような・・・)

ちなみに、チョーキングは難しくはないテクニックですが、
感情を込めるのには必須であり、奥の深いテクです。
ロックギターにとっては。

私がエレックトリック・ギターを弾き始めたのは19歳のときでした。
(遅いほうでした)
そのとき、「ギター何ちゃかんたら(?)」という雑誌を買ったんですが、
ソノシートがついてまして、監修は Char (竹中尚人氏)。

Aのブルーススケール、Cのメジャースケール、Cmのマイナースケール、
という3パターンのフレーズ(各8小節)、今でも覚えてます(笑)。

雑誌に書いてあった Char のお言葉も覚えてます。

「俺は、チョーキングで飯を食ってるんだ」

わが国ロックギタリストの最高峰、Char にこう言わしめるほど、
チョーキングは、ロックギターの代表的な表現方法なのです。

ちなみに、「チョーキング」を封じられると、
あの Char もこのように(↓)不甲斐なくなってしまいます。
(それでもこの方、凄いですけどね・・・)

チョーキング禁止  BAHO(チャー&石田長生)


「THIS IS IT」における、オリアンティのチョーキングが淡白だったこと、
私の頭のどこかに引っかかっていたのでした・・・。

でもって、今年になってからこの本(↓)を読んだのでした。

    

とても貴重な資料です。
ゲスト・スピーカーの一人は、金子マリさん。

Char(竹中尚人氏)とは72年以来の長いお付き合い。
高校3年生のとき、内田裕也さんのコンサートでデビューされたそうです。

「同期には生意気盛りの竹中ってのもいたんですけれど(笑)」(同書78ページ)

そう言えば、15年以上は前のことですが、
師匠に連れられ、弟子仲間と夜の下北沢を飲み歩いていた頃、
駅に近い踏切のそば、立派な葬儀屋さんの前を通るたび、
師匠、必ず「ここが金子マリの実家だよ」と。
私達、同じことを何回聞かせれたことか。(~_~;)
ま、師弟関係なんてそんなもんかなと。
(先月、師匠、ノジケンさんと私の3名で、久々に飲みました。楽しかったです)

で、同書の対談の中、金子マリさん、
「女性ギタリストのチョーキング問題」に触れています。

MCで大東文化大学の井上貴子教授、ミュージシャンのPANTA、難波弘之、ダディ竹千代各氏と語り合ってるんですが、こういうこと(↓)です。

▼女性で優秀なベーシシスト、ドラマーは沢山いる。
 しかし、エレキをちゃんと弾ける女性ロックギタリストっていない。今でも。

▼最大の要因は、指の力がなく、チョーキング(&ビブラート)が難しいからだ。

クラシックギターでは、言うまでもなく優秀で有名なギタリストは多いですが、
やはり、ロックギターではチョーキングがネックになっていると。

Char の盟友の金子さんだけあって、
「ロックはチョーキングだから(笑)」と。

金子:「どうしてもドラムとベースには女の子がけっこういるかっていうとね、基本的なリズムを刻むのは、女の子のほうが得意なのかもね」(同書95ページ)

そう言えば、リズムカッティングでは優秀な女性ギタリストはいますね。
プリンス・ファミリーの WENDY & LISA とか。
今でも80年代のCD2枚持ってます。

「女性ギタリストのチョーキング問題」の仮説として、

(1) 指の力が足りない (身体的要素)
(2) 表現としてのチョーキングに魅力を感じていない (性格的要素)

という2点が挙げられるのでは? というのが私の見解です。

1点目の「指の力が足りない」はどうでしょうか?

同書では、ご自身がインド音楽を演奏されている井上貴子教授が、
シタール(楽器)は、チョーキングがエレキギター以上に大変だけど、
女性のシタール・プレイヤーは沢山いる、と述べてます。

ということは、「指の力が足りない」という身体的要素は、
克服できないほどの問題ではないのかもしれません。
(私は男性ですので、「かもしれません」という言い方しかできませんが・・・)

2点目の「表現としてのチョーキングに魅力を感じていない」ですが、
どうもこちらのほうが重要では? と思います。

私の偏見もあるかもしれませんが、
ロックギターのチョーキング&ビブラートって、“自己陶酔”的な表現で、
観客・聴衆のことよりも、自己中心と云いますか、
「俺を見ろ!」っぽい感じですかね。

男性ロックギタリストの古典的な特徴って、

俺が! 俺が!

ですから。
ステージでは、ときにヴォーカリストに喧嘩売るみたいな。
それがダイナミズムを生むのがロックだったり。

(20代の頃、私がギター弾いてたバンドのライブを観てくれた旧友の女性ベーシストに、「井上君って、主張が多いんだ・・・」 としみじみ言われたことがありました。ハイハイ、今でもそうです。)

今では、そんなのNGなんですよね(笑)。
男性のロックバンドでも、人間関係から演奏のアンサンブルまで「協調と調和」。
もっとも、ビジネス的にはそうじゃないと困るのもよくわかりますが(大苦笑)。

で、オリアンティなんですが、彼女のソロアルバムを聴いた限りはですね、



チョーキングで難を感じることはありませんでした。
特に、M10.の「HIGHLY STRUNG」はインストですが、見事なロックナンバー。
サンタナの薫陶を受けた彼女ですから、“泣き”のフレーズもイケてるはずです。

MJとのリハのシーンでは、色々と迷ってただけなんでしょうね。

ただ、こういう男性にひけをとらない本格派の女性ロック・ギタリストって、
今もこれからも中々現れないのでは、と思います。

**************************************************************************
 お読み頂き有難うございます。
 (↓)クリックの程、宜しくお願い申し上げます。