【ML251 (Marketing Lab 251)】文化マーケティング・トレンド分析

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『THE GROOVY 90'S 90年代日本のロック/ポップス名盤ガイド』

2010年06月27日 | 書評
実はこの雑誌、5月に買って読んでました。
90年代の日本の音楽を総括するに最適な良誌です。
結構、面白く読めました。
僕も90年代中頃まで、「MUSIC MAGZINE」は欠かさず買ってましたし。
(80年代からのストック、全部、売っちゃっいましたけど・・・)

昨今の“音楽の構造不況”の一因として、
音楽ジャーナリズムの劣化・衰退(=メーカーの宣材化)もある、
というのは僕の持論なんですが、
「MUSIC MAGZINE」のような批評誌には頑張っていただきたいと。
表層のトレンドに流されずにね。

  

それにしても、本誌執筆陣47名のうち、30名(6割強)が1970年代生まれ。
広義の団塊ジュニアです。
ちゃっかりと、鈴木謙介センセも入ってますね(笑)。
一見、その辺のニーチャンなんですけど-スンズレイ、
気鋭の社会学者で、ご著作は僕もよく読ましてもらってます。

今更言うまでもないことですが、ポストバブルにも関わらず、
90年代、国内の音楽消費が“バブル”の様相を呈した、
デモグラフィック(人口動態的)な背景がよ~くわかります。

(注)この時期は音楽商材のみ消費が伸びたわけではありません。
   高級品をはじめとする消費財も伸びたのです。
   そのあたりの斬新な仮説は、前回ご紹介したこの書籍(↓)をご参照のこと。

  

本誌の192ページに、「90年代の年間売上ベスト5と主なタイアップ先一覧」が掲載されていますが、
90年代前半まではバブル世代も含めて、
中盤から後半は、団塊ジュニア以下の世代が、主購買層でしょうね。
前半から、Being 系 がじわりじわり。
そして後半は小室ファミリーの作品群がドシンドシン、つー感じでしょう。

思えば90年代は、「マス向けヒットもの」のみならず、
先鋭的なロック、ポップス、ヒップホップの分野においても、
ラジカルかつ刺激的なシーンが存在した、ということなんでしょうね。
羨ましいですね、そういう時期に青春を過ごした人達は(笑)。

本誌で取り上げられた“メイン・ストリーム”は、
やはり、「渋谷系」でしょう。

80年代後半から、後の「渋谷系」への流れって気にはなってはいたんですがね。
「ルースターズ」を辞めた井上富雄氏が、
「ブルー・トニック」という、スタカンのような“オサレ”なバンドを結成したり。
「ブルー・トニック」は、“早すぎた渋谷系”とか言われてましたが(笑)。
その井上氏も、それから「オリジナル・ラブ」に入ったり。
「オリジナル・ラブ」、というバンド名の響きには、何気に新しさ(?)を感じてたもんです。
「こういうのが、これからメインになってくるんかな???」、というような。

そして「フリッパーズ・ギター」ですね。
「イルカのギターかよ? ペラペラしてんじゃねぇのか?」とは思いませんでしたが、
アズテック・カメラのフォロワーね・・・」
「こうい育ちの良さそうな連中がメインになってくるのか・・・」
ぐらいにしか思ってませんでした、最初は。

(当時、渋谷でたむろってた、育ちの良さそうな“カジュアルなプチ不良”の高校生も見てて羨ましかったですよ)

「ピチカート」は、割と気になってたものの。。。
おそらく、小西氏は、当時の僕のような人種を毛嫌いするタイプだったのかなと?
そんな匂いを感じてました。
ノン・スタンダード」レーベルに行った、大学時代の僕の “天敵” のようなミュージシャンが、
そんなタイプだったんで。独断と偏見です(笑)。間違ってたらゴメンです。

「ま、俺には「DATE OF BIRTH」がありゃいいんかな」と。

5年位前、アカデミーヒルズに、野宮さんのトーク聞きに行って、
昔、「KISS」のTシャツ着ていらしたと聞いて、
「やっぱ、同世代か・・・」とか。

渋谷では、パルコさんが「クアトロ」を作るしね。
オープン間もない頃、フライヤーを配るのを躊躇しちゃいましたよ。。。
あまりに “オサレ”なんで。

ところで、90年代の私って、80年代よりむしろロック、ロックしてたんですよ。。。
当時の “主流”からは距離を置いてですね。
師匠について、リズム・トレーニング受けたり。

下北沢「CLUB Que」で企画をやったりしたのも。
(95年、96年。二位君にはお世話になりました。)
師匠周辺のミュージシャン達から、担がれてのこと。
「赤と黒」の本間君(G)に出てもらったり。
「イエッツ」のメンバーもですが。

出没するのも、もっぱら下北沢でした。
下北沢飲み仲間のあるミュージシャンの結婚パーティが、週末の夜、「CLUB Que」であって、
新郎が、「ミスチルの桜井が来てくれた!」 って喜んでたんですが、
僕を含めて、テーブルで飲んでた連中が、
誰も桜井氏の顔を知らなかったとか(笑)。
「あのよ、桜井って誰?」 という感じ。。。
屋台のおでん屋で飲んだ後、「レピッ○ュ」のM君が、
早朝の下北沢駅で、小学生に絡んで泣かせたり。。。

もうちょっと前だった(93年)と思うんですが、
下北沢「屋根裏」に、友人のバンド観に行ったときの対バンが、
「thee michelle gun elephant」
彼らは「屋根裏」最後の日、だったようで、
デビュー前ながら客は入っていて、独特の熱気もありました。

「子供騙しじゃねーかよ。ウィルコ・ジョンソンのフロントやったとか言うけどよ・・・」

と、僕は思いましたけどね。
ヴォーカルの人には華がありましたが・・・。(故アベフトシ氏の加入前)

どうも、自分自身がプレイしてたりすると、客観的に視ることがなかなか(汗)。。。
それも若気の至り、ということで。。。

そんなこんなで、飲み屋でくだを巻いていた頃、
下北沢では「サニーデイ・サービス」とかが “下北系”というようなブームが。
まぁ、すれ違わなったですね、見事に。
曽我部という方が、僕の大学の後輩にあたる、
ということは最近になって知りましたが、
何か “カラー”のようなものを感じますね。。。
白井良明氏は、某サークルのご出身ですし、
大学時代、僕の “天敵” だった方は、
(私のほうは嫌いじゃなかったんですが・・・)
「ノン・スタンダード」レ-ベルでしたし。。。

で、職場(某市場調査会社)では、
同じフロアのある先輩が、五時半が過ぎ残業時間に突入すると、
トイレで迷彩服に着替えられて、
(ちょうど、ある宗教団体の都市型テロの時期で、何とも不気味な。。。)
ラジカセで「モダンチョキチョキズ」のCDをエンドレスで流して。。。
すっかり、「モダチョキ」に洗脳された僕でした。
(その先輩のことは、結構嫌いじゃなかったです)

マネジメント頼まれたバンドのレコーディングで、
(↑:一番下のタイトル「EXIT #9」です。僕のヴォイスも入ってます。「新しくてキモチイイ刺激ビート・コア炸裂!」っていうのは、徹夜明けの思いつきです。。。)
深夜、スタジオでかかってた曲がカッコ良くて、
スタッフに聞いたら、「チボ・マットです」とか。

出張で行った大阪・心斎橋の上で、
マッサージしてもらった女の子に、
「いいバンド教えて」と言ったら、
ROVE」って言われたり。

他にも色んなことがありましたが、
フラッシュバックのように思い浮かんでくる90年代ってこんな感じでしたか。

で、ここでやっと本誌のお話になりますが、
知識と素養のある執筆陣が、自らの体験をまぶしながら、
音楽へのリスペクト溢れる筆致で書かれてます。

まだ音を聴いていなかったミュージシャンも沢山いる、
ということを改めて気づかされましたし、
今からでも “発掘” してみたいと思う作品も見つかりました。

読み物としても面白いです。

例えば、東京に出てきて苦労されたカラスヤという方が、
「サニーデイ・サービス」のほうに「はっぴいえんど」よりも、
強い親近感を抱かれたのは、同時代性・同世代ゆえということは言うまでもありません。
が、地域性という要素もあったはずだ、とか。
「はっぴいえんど」は大瀧氏以外は東京出身のバンド(しかも3氏は港区&世田谷区)。
逆に「サニーデイ・サービス」は1氏以外は地方(四国)出身者。
カラスヤ氏は大阪のご出身ですよね。

ミュージシャンには、出身地と育ちの“色”が逃れ難くついてくる、
というのは僕の持論です。

埼玉出身の僕だって、憧憬こそすれ、とてもじゃないけど同一化できません。
僕は80年代から、鈴木茂氏が大好きでしたが。

いつものように、だらだらと長文を連ねてしまいましたが、
本誌との出会いも、自分にとって貴重な体験でした。

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『モードとエロスと資本』

2010年06月19日 | 書評
「21世紀、モードを動かす物語の主役だったはずの『恋愛の物語』は、モードの回転の外へとはじかれていき、その空虚を、『倫理の物語』が埋めていった。あたかも、暴走資本主義の罪をそれで償おうとするかのように。」(本文より)

本書の帯の裏に記された、本文からの引用が、今、この時の“空気”をワンフレーズで表現してる。

     

「エコ」「エコ意識」・・・。
例えば『日経MJ』のような新聞や、巷の“マーケター”達は、
表層のトレンドの“解説”に終始するのみだ。
(それもそれで必要なんだけどね・・・)
「ストスナ(ストリートスナップ)」一つの扱いにしても。

因みに、本書で触れる「ストスナ」現象。
これは、音楽ジャーナリズムの衰退による、マス向け音楽コンテンツの劣化、
コンシューマによる情報の価値の相対的な向上、という現象と通底している。
「口コミのパワーが・・・」なんて言ってる場合じゃないだけどね。。。
供給側の似非(えせ)ブランドコントロールが、自分たちのコントロールのパワーを劣化させた、
という自業自得。。。

閑話休題。

「エコ&エシカル(倫理)」、つまりファッションが「倫理」をまとう時代とは、
ファッションという一カテゴリのみのことではない。

ファッションを社会の“表層”と侮ることなかれ。
時代の“本質”を見極めようとするなら。
私のスタンスが、「カルチュラル・マーケティング」だからって、誇張して言うわけじゃない(笑)。

“草食系”にしてもね、若者に限定したお話じゃない。
たまたま先鋭化した形で、若者に“見られる”だけの話だろう。

「ユニクロ」に代表される 「ファスト・ファッション」と、
「twitter」を典型とする「ファスト・コンテンツ」の隆盛。

資本主義が行きつくところまで行ってしまった(?)、21世紀に入って10年を経過したの現在。
(資本主義をデータでコントロールできると錯覚し、リーマンショックとやらで世の中を混乱させた、頭はいいけどお馬鹿な人達のことは置いといて・・・)

確かに、モードの歴史を学んで行くならば、現代はある種、“倒錯”の時代であるかのようだ。

社会のコンテキストに眼を向けても、
昔だったら何でもないような野球賭博で、
親方や力士が叩かれる異常な潔癖さ、突出した倫理。

しかし、資本主義は “主語” ではない、と私は考える。
「面倒臭いことはしたくはない」 と我々が考えれば、
それを汲み取ってしまうのが資本主義であるにしても、
「面倒臭いことはしたくはない」 と考える主体は人間であって、資本主義ではない、と私は考える。
資本主義は、まるで“神”のように、われわれの欲求を顕在化させるだけだ。

現象として、消費の衰退があったとしても、
世の中がおかしい、社会がおかしいとは考えない。根本的にね。
過去だったら “あり得ない” 事象であっても、戦争とか破滅的な誤りではない限り、
ひとまず、事象として受け止めることだ。
そして、コンテキストを読み解いていく。

世の中がおかしい、社会がおかしいと考えたくなる気持ちはよくわかるけど。
(現実問題として、業態の衰退や企業の倒産もあるし・・・)

おかしいのだとしたら、それは人間だよね。つまりわれわれ自身。

人間にとって「入れて」「出す」こと、「出して」「入れること」は本能的な快感。
だから、情報の出し入れだけで満足して、モノでのお金の出し入れをしなくなった、
という、目から鱗の仮説もある。(↓)

(これも結構おもしろい書籍。共産主義が人間の本質に反することを、よく知っていた聡明なレーニンが、パブロフの言うことを真に受けちゃったんで、20世紀の悲惨な“実験”が現出させてしまったことも書いてある-苦笑)。

  

しかし、未来に絶望することはないと思う。
そのココロは、、、本能と資本主義なんです(笑)。

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『音楽ビジネス革命 残響レコードの挑戦』 河野章宏 著

2010年06月05日 | 書評
音楽業界に限ることなく、ブランド、ブランディングとは何か?
を考える上で貴重な“教科書”だ。

“ヒット”したからといって、熱心なファンをつかんだ(?)からといって、
やたらと「ブランド」「ブランド」と言う人達が、音楽業界でも目立ってきた。この数年でね。
まっ、いいか。。。

  

本書に書かれていることは、“ブランド”創りの基本だ。
「ルイ・ヴィトン」も「シャネル」も「エルメス」も、
最初は熱心な職人たちの小さな工房だったことを忘れてはならない。
(ヴィトンなんか、14歳の時に家出しちゃってね・・・)

■ ブランド階層の一貫性

「残響record」のコンセプトは、

 (1) 企業ブランド
 (2) レーベル・ブランド (「残響」「under_ar」「CONT RAST」「残響JAZZ」)
 (3) アーティスト・ブランド

という各レイヤー(階層)で一貫しており、ブレがない。
だから、リスナーは“レーベル買い”を楽しむことができる。
日本で、ここまで“レーベル買い”ができる“濃い場所”って今までなかったんじゃない?
(学生時代の私が、唯一、“レーベル買い”を楽しんだ「ROUGH TRADE」は英国だしね・・・)

資本金1千万円を提供して頂いたこと、「9mm Parabellum Bullet」 との出会い。
それも、河野社長の才能と人徳ゆえなんだけど、資金というリソースがあるから、
“売れ線”に走ってレーベルのコンセプトを希薄化、溶解化するリスクから自由である。
「売れる」ことがわかっているバンドでも、カラーに合わなければレーベルには入れない、
ということが可能だ。
詳しくは 「残響record」のコンセプト(本書29~32ページ)を見て頂きたい。

■ DO IT MYSELF の方法論

“レーベルの思想”は、当然、日本の大手レコードメーカーの中にもあった。
独立採算の分社化などで、レーベルの“カラー”を出そうという発想もあっただろう。
しかし、難しいんだよね。頭でわかってても。

「残響record」にそれができたのは、まず、河野社長ご自身がミュージシャンであったからだと考える。
それも何もないところから。
方法論だって最初からあったわけではない (勉強はされただろうが)。
表現者としてのパッションと、ご自身と、周りの人達との相互交流から、
「こうしなければ・・・」「こうしよう」という積み重ねが、現在の「残響record」だろう。

また、「360度展開」が出来るメリットが大きいのは言うまでもない。
これも、河野社長の職人的なミュージシャン魂の故。

■ セレクトショップ

音楽のセレクトショップという発想は、発想自体としてはそう新しいものではないと考える。
しかし、大手メーカーという既存企業では、なかなかうまくいなかい方法論だ。
ちなみに、「残響record」のアーティスト一覧を見てほしい。
これぞセレクトショップ。
各レーベルの特徴が簡潔にわかりやすく訴求されており、
各アーティスト別では、あたかも音が聴こえてくるように、最小限の情報が詳細に記されている。

私、個人的には、ボーカルレスの「残響」が好みだ。
特に「texas pandaa」 の曲なんて、まるで自分の細胞にすんなりと入ってくるような感覚。
「65daysofstatic」 もカッコイイ!
ヤバイ! 衝動買いし過ぎそうなんで、抑えとかないとね(笑)。
ご利用は計画的に。。。
尤も、私、リアルショップの買い物が好きなんで。
ここでは品定めを楽しませて頂こうと。

ちなみに「SHIPS」ともコラボされているとのこと。
コンセプトの整合性はとれてるし、WIN-WIN だと思う。

■ 柔軟なマーケティング・センスとチャネル政策

2000年代、沖縄の「TOWER RECORDS」を起点として、
インディーズでミリオンを達成したロックバンドがあった。
彼らのチャネル戦略は、レンタル、つまり「TSUTAYA」に置かないこと。
“レアなミレニアム感”を醸し出したその戦略は奏功した。

しかし、その成功は、パンキッシュなロック、というわかりやすい文脈(ジャンル)が、
リスナーと共有されていたから。

一方、「残響record」の場合、マーケット開拓という大きな課題があった。
しかも、マーケットはニッチだ。
当然、全国展開によるライト層の開拓が必須だ。
「購入容易性」という、ブランドの「便宜価値」も必要。
「TSUTAYA」とのコラボで得られた成果は少なくないだろう。

それも河野社長の柔軟かつ、まっとうなマーケティングセンスがあったからだろう。

「もちろん、自分のようなコアな音楽好きの人でも、映画やお笑いのDVDもレンタルしているのです」
(115ページより)


生活者は、音楽を楽しむためだけに生きているわけではない。
これはマーケティングの起点。
一般的なカテゴリでも、例えばお菓子の開発者は、24時間、お菓子のことを考えているけど、
生活者は、たとえヘビーユーザーでも、1日のうちでお菓子のことを考えるのは、数分、せいぜい数時間だ。

さらに、河野社長は、データ分析の重要性までわかっていらっしゃる。

今でも「音楽マーケティング」と聞けば、リスナーにすり寄るとか、クリエイティブに矛盾する、
と短絡的に反応する人は少なくないだろう。
確かに過去、一過性の“ヒット”を狙って、後は何も残らないといった、
似非マーケティングが音楽業界で跋扈したことも事実だ。
しかし、生活者を知ること=自分を知ること、を起点とするのが、真のマーケティングだと私は考える。

■ ブランドの基本価値=音

最後に、レーベル、アーティストのブランドにとって、基本となる価値について。
ライブのクオリティを重視するのは当然のことだが、基本は“曲”と“音”。

プリプロを重視すること。
これって、予算の制約の多いインディーズでは、頭でわかっていてもなかなかできないこと。
(今では、メジャーでもそうかもね・・・)

レコーディング=制作費とともに、プリプロ=開発費を重視する。
これは、プロダクトとしての作品のクオリティの話だけではない。
職人としてのアーティスト(ミュージシャン)自身のクオリティに磨きがかかるということ。
河野社長は、一般企業の「社員研修」にたとえられていたが(同書209ページ)、
自分の経験則からいえば、もっと効果は大きいと思う。

余談だが、市況の悪化で体力の弱ったメジャーのレコード会社の場合、
アーティストを育成したくてもできないケースが増えてきているだろう。
現在のテクノロジーからすれば、プロダクトとしての作品を、それなりに“仕上げる”ことは可能だ。
しかし、それは「工場」的な発想。ますますマイナスのスパイラルに巻き込まれることになる。
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「やりたいこと」「できること」「求められること」。

アーティスト(ミュージシャン)の3要素と私は呼んでいるが、
この3要素のバランスが大切 (言うだけなら簡単なんだけどね・・・)。

河野社長の考え方は、90年代から私が考えていた、
「レーベル」「アーティスト」のブランディングの発想そのもの。
ただ、考えてみれば当たり前の発想を、実現している、という意味で、
本書のタイトルの「革命」は納得できる。
(発想するだけと実現しているでは、雲泥の差があるもんね・・・)

「残響record」のようなレーベルが沢山出てきて、各々のマーケットを開拓していく。
そうなれば、音楽業界もそうだけど、我々の生活も彩りと潤いのあるものになっていくんだろうね。

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