実はこの雑誌、5月に買って読んでました。
90年代の日本の音楽を総括するに最適な良誌です。
結構、面白く読めました。
僕も90年代中頃まで、「MUSIC MAGZINE」は欠かさず買ってましたし。
(80年代からのストック、全部、売っちゃっいましたけど・・・)
昨今の“音楽の構造不況”の一因として、
音楽ジャーナリズムの劣化・衰退(=メーカーの宣材化)もある、
というのは僕の持論なんですが、
「MUSIC MAGZINE」のような批評誌には頑張っていただきたいと。
表層のトレンドに流されずにね。
それにしても、本誌執筆陣47名のうち、30名(6割強)が1970年代生まれ。
広義の団塊ジュニアです。
ちゃっかりと、鈴木謙介センセも入ってますね(笑)。
一見、その辺のニーチャンなんですけど-スンズレイ、
気鋭の社会学者で、ご著作は僕もよく読ましてもらってます。
今更言うまでもないことですが、ポストバブルにも関わらず、
90年代、国内の音楽消費が“バブル”の様相を呈した、
デモグラフィック(人口動態的)な背景がよ~くわかります。
(注)この時期は音楽商材のみ消費が伸びたわけではありません。
高級品をはじめとする消費財も伸びたのです。
そのあたりの斬新な仮説は、前回ご紹介したこの書籍(↓)をご参照のこと。
本誌の192ページに、「90年代の年間売上ベスト5と主なタイアップ先一覧」が掲載されていますが、
90年代前半まではバブル世代も含めて、
中盤から後半は、団塊ジュニア以下の世代が、主購買層でしょうね。
前半から、Being 系 がじわりじわり。
そして後半は小室ファミリーの作品群がドシンドシン、つー感じでしょう。
思えば90年代は、「マス向けヒットもの」のみならず、
先鋭的なロック、ポップス、ヒップホップの分野においても、
ラジカルかつ刺激的なシーンが存在した、ということなんでしょうね。
羨ましいですね、そういう時期に青春を過ごした人達は(笑)。
本誌で取り上げられた“メイン・ストリーム”は、
やはり、「渋谷系」でしょう。
80年代後半から、後の「渋谷系」への流れって気にはなってはいたんですがね。
「ルースターズ」を辞めた井上富雄氏が、
「ブルー・トニック」という、スタカンのような“オサレ”なバンドを結成したり。
「ブルー・トニック」は、“早すぎた渋谷系”とか言われてましたが(笑)。
その井上氏も、それから「オリジナル・ラブ」に入ったり。
「オリジナル・ラブ」、というバンド名の響きには、何気に新しさ(?)を感じてたもんです。
「こういうのが、これからメインになってくるんかな???」、というような。
そして「フリッパーズ・ギター」ですね。
「イルカのギターかよ? ペラペラしてんじゃねぇのか?」とは思いませんでしたが、
「アズテック・カメラのフォロワーね・・・」
「こうい育ちの良さそうな連中がメインになってくるのか・・・」
ぐらいにしか思ってませんでした、最初は。
(当時、渋谷でたむろってた、育ちの良さそうな“カジュアルなプチ不良”の高校生も見てて羨ましかったですよ)
「ピチカート」は、割と気になってたものの。。。
おそらく、小西氏は、当時の僕のような人種を毛嫌いするタイプだったのかなと?
そんな匂いを感じてました。
「ノン・スタンダード」レーベルに行った、大学時代の僕の “天敵” のようなミュージシャンが、
そんなタイプだったんで。独断と偏見です(笑)。間違ってたらゴメンです。
「ま、俺には「DATE OF BIRTH」がありゃいいんかな」と。
5年位前、アカデミーヒルズに、野宮さんのトーク聞きに行って、
昔、「KISS」のTシャツ着ていらしたと聞いて、
「やっぱ、同世代か・・・」とか。
渋谷では、パルコさんが「クアトロ」を作るしね。
オープン間もない頃、フライヤーを配るのを躊躇しちゃいましたよ。。。
あまりに “オサレ”なんで。
ところで、90年代の私って、80年代よりむしろロック、ロックしてたんですよ。。。
当時の “主流”からは距離を置いてですね。
師匠について、リズム・トレーニング受けたり。
下北沢「CLUB Que」で企画をやったりしたのも。
(95年、96年。二位君にはお世話になりました。)
師匠周辺のミュージシャン達から、担がれてのこと。
「赤と黒」の本間君(G)に出てもらったり。
「イエッツ」のメンバーもですが。
出没するのも、もっぱら下北沢でした。
下北沢飲み仲間のあるミュージシャンの結婚パーティが、週末の夜、「CLUB Que」であって、
新郎が、「ミスチルの桜井が来てくれた!」 って喜んでたんですが、
僕を含めて、テーブルで飲んでた連中が、
誰も桜井氏の顔を知らなかったとか(笑)。
「あのよ、桜井って誰?」 という感じ。。。
屋台のおでん屋で飲んだ後、「レピッ○ュ」のM君が、
早朝の下北沢駅で、小学生に絡んで泣かせたり。。。
もうちょっと前だった(93年)と思うんですが、
下北沢「屋根裏」に、友人のバンド観に行ったときの対バンが、
「thee michelle gun elephant」。
彼らは「屋根裏」最後の日、だったようで、
デビュー前ながら客は入っていて、独特の熱気もありました。
「子供騙しじゃねーかよ。ウィルコ・ジョンソンのフロントやったとか言うけどよ・・・」
と、僕は思いましたけどね。
ヴォーカルの人には華がありましたが・・・。(故アベフトシ氏の加入前)
どうも、自分自身がプレイしてたりすると、客観的に視ることがなかなか(汗)。。。
それも若気の至り、ということで。。。
そんなこんなで、飲み屋でくだを巻いていた頃、
下北沢では「サニーデイ・サービス」とかが “下北系”というようなブームが。
まぁ、すれ違わなったですね、見事に。
曽我部という方が、僕の大学の後輩にあたる、
ということは最近になって知りましたが、
何か “カラー”のようなものを感じますね。。。
白井良明氏は、某サークルのご出身ですし、
大学時代、僕の “天敵” だった方は、
(私のほうは嫌いじゃなかったんですが・・・)
「ノン・スタンダード」レ-ベルでしたし。。。
で、職場(某市場調査会社)では、
同じフロアのある先輩が、五時半が過ぎ残業時間に突入すると、
トイレで迷彩服に着替えられて、
(ちょうど、ある宗教団体の都市型テロの時期で、何とも不気味な。。。)
ラジカセで「モダンチョキチョキズ」のCDをエンドレスで流して。。。
すっかり、「モダチョキ」に洗脳された僕でした。
(その先輩のことは、結構嫌いじゃなかったです)
マネジメント頼まれたバンドのレコーディングで、
(↑:一番下のタイトル「EXIT #9」です。僕のヴォイスも入ってます。「新しくてキモチイイ刺激ビート・コア炸裂!」っていうのは、徹夜明けの思いつきです。。。)
深夜、スタジオでかかってた曲がカッコ良くて、
スタッフに聞いたら、「チボ・マットです」とか。
出張で行った大阪・心斎橋の上で、
マッサージしてもらった女の子に、
「いいバンド教えて」と言ったら、
「ROVE」って言われたり。
他にも色んなことがありましたが、
フラッシュバックのように思い浮かんでくる90年代ってこんな感じでしたか。
で、ここでやっと本誌のお話になりますが、
知識と素養のある執筆陣が、自らの体験をまぶしながら、
音楽へのリスペクト溢れる筆致で書かれてます。
まだ音を聴いていなかったミュージシャンも沢山いる、
ということを改めて気づかされましたし、
今からでも “発掘” してみたいと思う作品も見つかりました。
読み物としても面白いです。
例えば、東京に出てきて苦労されたカラスヤという方が、
「サニーデイ・サービス」のほうに「はっぴいえんど」よりも、
強い親近感を抱かれたのは、同時代性・同世代ゆえということは言うまでもありません。
が、地域性という要素もあったはずだ、とか。
「はっぴいえんど」は大瀧氏以外は東京出身のバンド(しかも3氏は港区&世田谷区)。
逆に「サニーデイ・サービス」は1氏以外は地方(四国)出身者。
カラスヤ氏は大阪のご出身ですよね。
ミュージシャンには、出身地と育ちの“色”が逃れ難くついてくる、
というのは僕の持論です。
埼玉出身の僕だって、憧憬こそすれ、とてもじゃないけど同一化できません。
僕は80年代から、鈴木茂氏が大好きでしたが。
いつものように、だらだらと長文を連ねてしまいましたが、
本誌との出会いも、自分にとって貴重な体験でした。
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お読み頂き有難うございます。
(↓)クリックの程、宜しくお願い申し上げます。
90年代の日本の音楽を総括するに最適な良誌です。
結構、面白く読めました。
僕も90年代中頃まで、「MUSIC MAGZINE」は欠かさず買ってましたし。
(80年代からのストック、全部、売っちゃっいましたけど・・・)
昨今の“音楽の構造不況”の一因として、
音楽ジャーナリズムの劣化・衰退(=メーカーの宣材化)もある、
というのは僕の持論なんですが、
「MUSIC MAGZINE」のような批評誌には頑張っていただきたいと。
表層のトレンドに流されずにね。
それにしても、本誌執筆陣47名のうち、30名(6割強)が1970年代生まれ。
広義の団塊ジュニアです。
ちゃっかりと、鈴木謙介センセも入ってますね(笑)。
一見、その辺のニーチャンなんですけど-スンズレイ、
気鋭の社会学者で、ご著作は僕もよく読ましてもらってます。
今更言うまでもないことですが、ポストバブルにも関わらず、
90年代、国内の音楽消費が“バブル”の様相を呈した、
デモグラフィック(人口動態的)な背景がよ~くわかります。
(注)この時期は音楽商材のみ消費が伸びたわけではありません。
高級品をはじめとする消費財も伸びたのです。
そのあたりの斬新な仮説は、前回ご紹介したこの書籍(↓)をご参照のこと。
本誌の192ページに、「90年代の年間売上ベスト5と主なタイアップ先一覧」が掲載されていますが、
90年代前半まではバブル世代も含めて、
中盤から後半は、団塊ジュニア以下の世代が、主購買層でしょうね。
前半から、Being 系 がじわりじわり。
そして後半は小室ファミリーの作品群がドシンドシン、つー感じでしょう。
思えば90年代は、「マス向けヒットもの」のみならず、
先鋭的なロック、ポップス、ヒップホップの分野においても、
ラジカルかつ刺激的なシーンが存在した、ということなんでしょうね。
羨ましいですね、そういう時期に青春を過ごした人達は(笑)。
本誌で取り上げられた“メイン・ストリーム”は、
やはり、「渋谷系」でしょう。
80年代後半から、後の「渋谷系」への流れって気にはなってはいたんですがね。
「ルースターズ」を辞めた井上富雄氏が、
「ブルー・トニック」という、スタカンのような“オサレ”なバンドを結成したり。
「ブルー・トニック」は、“早すぎた渋谷系”とか言われてましたが(笑)。
その井上氏も、それから「オリジナル・ラブ」に入ったり。
「オリジナル・ラブ」、というバンド名の響きには、何気に新しさ(?)を感じてたもんです。
「こういうのが、これからメインになってくるんかな???」、というような。
そして「フリッパーズ・ギター」ですね。
「イルカのギターかよ? ペラペラしてんじゃねぇのか?」とは思いませんでしたが、
「アズテック・カメラのフォロワーね・・・」
「こうい育ちの良さそうな連中がメインになってくるのか・・・」
ぐらいにしか思ってませんでした、最初は。
(当時、渋谷でたむろってた、育ちの良さそうな“カジュアルなプチ不良”の高校生も見てて羨ましかったですよ)
「ピチカート」は、割と気になってたものの。。。
おそらく、小西氏は、当時の僕のような人種を毛嫌いするタイプだったのかなと?
そんな匂いを感じてました。
「ノン・スタンダード」レーベルに行った、大学時代の僕の “天敵” のようなミュージシャンが、
そんなタイプだったんで。独断と偏見です(笑)。間違ってたらゴメンです。
「ま、俺には「DATE OF BIRTH」がありゃいいんかな」と。
5年位前、アカデミーヒルズに、野宮さんのトーク聞きに行って、
昔、「KISS」のTシャツ着ていらしたと聞いて、
「やっぱ、同世代か・・・」とか。
渋谷では、パルコさんが「クアトロ」を作るしね。
オープン間もない頃、フライヤーを配るのを躊躇しちゃいましたよ。。。
あまりに “オサレ”なんで。
ところで、90年代の私って、80年代よりむしろロック、ロックしてたんですよ。。。
当時の “主流”からは距離を置いてですね。
師匠について、リズム・トレーニング受けたり。
下北沢「CLUB Que」で企画をやったりしたのも。
(95年、96年。二位君にはお世話になりました。)
師匠周辺のミュージシャン達から、担がれてのこと。
「赤と黒」の本間君(G)に出てもらったり。
「イエッツ」のメンバーもですが。
出没するのも、もっぱら下北沢でした。
下北沢飲み仲間のあるミュージシャンの結婚パーティが、週末の夜、「CLUB Que」であって、
新郎が、「ミスチルの桜井が来てくれた!」 って喜んでたんですが、
僕を含めて、テーブルで飲んでた連中が、
誰も桜井氏の顔を知らなかったとか(笑)。
「あのよ、桜井って誰?」 という感じ。。。
屋台のおでん屋で飲んだ後、「レピッ○ュ」のM君が、
早朝の下北沢駅で、小学生に絡んで泣かせたり。。。
もうちょっと前だった(93年)と思うんですが、
下北沢「屋根裏」に、友人のバンド観に行ったときの対バンが、
「thee michelle gun elephant」。
彼らは「屋根裏」最後の日、だったようで、
デビュー前ながら客は入っていて、独特の熱気もありました。
「子供騙しじゃねーかよ。ウィルコ・ジョンソンのフロントやったとか言うけどよ・・・」
と、僕は思いましたけどね。
ヴォーカルの人には華がありましたが・・・。(故アベフトシ氏の加入前)
どうも、自分自身がプレイしてたりすると、客観的に視ることがなかなか(汗)。。。
それも若気の至り、ということで。。。
そんなこんなで、飲み屋でくだを巻いていた頃、
下北沢では「サニーデイ・サービス」とかが “下北系”というようなブームが。
まぁ、すれ違わなったですね、見事に。
曽我部という方が、僕の大学の後輩にあたる、
ということは最近になって知りましたが、
何か “カラー”のようなものを感じますね。。。
白井良明氏は、某サークルのご出身ですし、
大学時代、僕の “天敵” だった方は、
(私のほうは嫌いじゃなかったんですが・・・)
「ノン・スタンダード」レ-ベルでしたし。。。
で、職場(某市場調査会社)では、
同じフロアのある先輩が、五時半が過ぎ残業時間に突入すると、
トイレで迷彩服に着替えられて、
(ちょうど、ある宗教団体の都市型テロの時期で、何とも不気味な。。。)
ラジカセで「モダンチョキチョキズ」のCDをエンドレスで流して。。。
すっかり、「モダチョキ」に洗脳された僕でした。
(その先輩のことは、結構嫌いじゃなかったです)
マネジメント頼まれたバンドのレコーディングで、
(↑:一番下のタイトル「EXIT #9」です。僕のヴォイスも入ってます。「新しくてキモチイイ刺激ビート・コア炸裂!」っていうのは、徹夜明けの思いつきです。。。)
深夜、スタジオでかかってた曲がカッコ良くて、
スタッフに聞いたら、「チボ・マットです」とか。
出張で行った大阪・心斎橋の上で、
マッサージしてもらった女の子に、
「いいバンド教えて」と言ったら、
「ROVE」って言われたり。
他にも色んなことがありましたが、
フラッシュバックのように思い浮かんでくる90年代ってこんな感じでしたか。
で、ここでやっと本誌のお話になりますが、
知識と素養のある執筆陣が、自らの体験をまぶしながら、
音楽へのリスペクト溢れる筆致で書かれてます。
まだ音を聴いていなかったミュージシャンも沢山いる、
ということを改めて気づかされましたし、
今からでも “発掘” してみたいと思う作品も見つかりました。
読み物としても面白いです。
例えば、東京に出てきて苦労されたカラスヤという方が、
「サニーデイ・サービス」のほうに「はっぴいえんど」よりも、
強い親近感を抱かれたのは、同時代性・同世代ゆえということは言うまでもありません。
が、地域性という要素もあったはずだ、とか。
「はっぴいえんど」は大瀧氏以外は東京出身のバンド(しかも3氏は港区&世田谷区)。
逆に「サニーデイ・サービス」は1氏以外は地方(四国)出身者。
カラスヤ氏は大阪のご出身ですよね。
ミュージシャンには、出身地と育ちの“色”が逃れ難くついてくる、
というのは僕の持論です。
埼玉出身の僕だって、憧憬こそすれ、とてもじゃないけど同一化できません。
僕は80年代から、鈴木茂氏が大好きでしたが。
いつものように、だらだらと長文を連ねてしまいましたが、
本誌との出会いも、自分にとって貴重な体験でした。
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お読み頂き有難うございます。
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