【ML251 (Marketing Lab 251)】文化マーケティング・トレンド分析

トレンド分析ML251の文化マーケティング関連Blogです。ML251の主業務はトレンド分析をコアにしたデスクリサーチ。

「続・悩む力」 姜尚中 集英社新書2012年

2012年07月31日 | 書評
姜尚中 「悩む力」が出たのが2008年だから、本書はほぼ4年ぶりに出た続編

姜尚中の「悩む力」といえば、マックス・ウエーバーと夏目漱石だが、続編も同じで安心した。
ちょうど1年前、「コンテンツを求める私たちの『欲望』」の執筆を始めた私の脳裏には、姜尚中の「悩む力」はなかったと思う。
が、「近代日本人のアーキタイプ」を漱石の小説の登場人物たちに求めた私にも、姜尚中の人間観と共通するものがあったことは事実だ。

この4年の間には、国内では2011年3月11日があったわけで、その意味でも続編の価値は高いのではないかと考える。

「終章」で著者は、V・E・フランクルが提示した「人間の価値のあり方」の3分類を紹介している。

【人間の真価その1】 「創造」
芸術的創造に限らず、科学における発明や、企業活動における技術の開発、商品やサービスの創造、何らかの業績をあげること。
私の私見を入れると、目新しいものを「創造」せずとも、人のためになる仕事に誠実に取り組むことも価値である。

【人間の真価その2】 「経験」
「創造」はできなくても「経験」だけでも人生に重みが加わる。

【人間の真価その3】 「態度」
3つの価値のうち、妻と二人の子供をナチスに殺されたフランクルが最も重視したのが「態度」。
「創造」や「経験」は平常時、しかも心身ともに健康なときでなければ実現されることはない。
しかし、「態度」は、健やかなるときも病めるときも、想いさえあれば発揮することができる。
よくキリスト教系の結婚式で神父さんが云う、「健やかなるときも病めるときも」っていうのは実は大変重い意味があるわけだ。
結婚する当人たちには、右の耳から左の耳へ、で、割と簡単に離婚しちゃったりするんだけど。

「態度による価値とは、この社会で日常的に聞際にされている、成功か失敗か、効率化非効率か、有効か無効かといったものの彼岸にあり、また、資本主義社会の生産や交換価値とは対極の位置を占めているもの」(同書198ページ)であり、限りなく人間の本質を表しているのではないか? と著者は云う。

われわれは、人生を考えるとき、自分のわずかな知識と経験から「意味があるのか?」と問うて、「意味がない」と判断すれば絶望し、ときには自ら人生の幕を閉じる。

しかし、フランクルの主張は逆で、人生とは、「人生のほうから投げかけてくるさまざまな問い」に対し、「私が一つ一つ答えていく」ことであるという(考え方の“コペルニクス的転換”)。
「責任」と訳される responsibility という英語が「応答」を意味する response から派生した言葉であることも、「答える」ことと「責任をとる」ことの関係性を示している、というわけだ。

つまり、自分が世界に対して要求することが「創造」、自分を超えた世界からの要求に、責任をもって答えることが「態度」であると著者はまとめている。

「私たちの人生は、ほかならぬその人生から発せられる問いに一つ一つ応答していくことであり、幸福というのは、それに答え終わったときの結果にすぎないのです。ですから、幸福は人生の目的ではないし、目的として求めることもできないのです。つまり、幸せをつかむために何かをやる、という考え自体が本来的に成り立たないのです。」(同書212ページ、太字は引用者)

「人生のほうから投げかけてくるさまざまな問い」に答えることに精一杯で、今、「読書どころではない」状態にある人でも、合間があったら一読しておいて損はない本だ。
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ハイコンテキスト社会と「機動戦士ガンダム」がいまいち海外で・・・の理由

2012年07月30日 | マーケティング話
数ヶ月前、日本の誇るべきカルチャーのひとつ「機動戦士ガンダム」の海外での評価が、他の代表的作品ほど高くはない(売上げも同様)というある記事を読んだ。

その記事はあまり真剣に読まなかったので(大したことが書いてなかったからか?)、内容は忘れたが、この分野に詳しい友人の説によれば、代理店さんを含めたプロモーションの方法に問題があったとのことだった。
詳細については、彼も語るわけにはいかず、私も推測するしかなかったが、仮説としての説得力はあると思った。
ここでも書かない。
プロモーションの方法論の話ではなく、コンテンツの中身と核心についての話をしよう。

最近、見つけたのが新清士氏の書かれた「日本人の神話へと変わってきた『機動戦士ガンダム』だ。
文化マーケティング視点では、ロジカルで説得力はあると考える。

新清士氏のこの記事には、拙著「コンテンツを求める私たちの『欲望』」(PDF版23ページ、「小さな世間」の説明)でも援用させて頂いた土井健郎の「『甘え』の構造」をで述べられている日本社会(人)のハイコンテキスト性から、「機動戦士ガンダム」がいかに“日本人向き”のコンテンツであるかが述べられている。

日本社会(人)のハイコンテキスト性が国際社会でネガティブに働く事例としては、戦前の中国大陸や朝鮮半島での日本の行為、「良かれ」と思ってしたことが、ま逆に現地の人達から激しい反感を買ってしまった悲劇についてコメントされている。
一見、顔とかにていても日本人と中国人、朝鮮人の思考回路は違う、ということを理解していなかったばかりか、大いなる誤解をしていた事例だ。
(以下黒字部分が引用箇所)

ところが、その論理で世界に広げると困ったことも起きた。明治維新を中国で行わなければならないという善意の気持ちで、中国に渡っていった「大陸浪人」と言われた人たちにも、中国のナショナリズムの台頭により排斥されていく。満州を謀略によって作り上げた石原完爾の「五族共和」という理想も、軍部の現実には機能しなかった。元首相の鳩山由紀夫氏の09年の「東アジア共同体構想」にしても、「こちらが誠意を見せれば、気持ちを斟酌してくれる」という「甘え」があった。

重要なのは、そうした意識が、日本人には無自覚に出てくるところだ。これが政治的な活動だけではない。個人レベルで日常的に自動的に出てくる。それになかなか気づける機会は、少なくとも日本にいると多くない。


こちらの記事、「『機動戦士ガンダム』から見える日本人の甘えの構造」でも触れられている。
(以下黒字部分が引用箇所)

ただし、ガンダムは日本以外の地域では基本的に人気がない。その理由は、戦争を扱いながら、極めて日本人的な想像の範囲でしか、戦争が行われていないからだろう。戦争は、ほとんどが軍閥による地域紛争で、戦国時代を彷彿とさせる。

1932年に満州国を設立したときの「五族共和」という建国理念は、日本人・漢人・朝鮮人・満州人・蒙古人が共に進む国民国家であるとするものだったが、日本人のロジックに他の民族も共感してくれるという甘さがどこかにあったのだろう。満州国建国の謀略を進めた石原完爾には、民族間が素朴に理解し合えるという感覚があった。しかし、それは現実には機能しない。ガンダムの主人公は、撃ち殺されるのが、本来の戦争状態だ。


今から30年以上前から、この問題の核心を指摘していたのが、フロイド研究者の岸田秀である。
岸田秀の「唯幻論」を、誰にでもわかるよう平易に解説した『ものぐさ精神分析』はお薦めだ。
90年代以降、「日本! 日本!」と声高に叫ぶような人達は一度、眼を通しておいたほうがいいと思うよ。

(この書棚の下の奥にあるよ・・・今は文庫があるからいいね)

もちろん、「ガンダム」が日本以外のローコンテキスト社会では概ね不評ということではない。
あくまで、日本発のコンテンツにおける相対的評価での話だろう。
拙著「コンテンツを求める私たちの『欲望』」(PDF版186ページ)でも
サヘル・ローズは母国イランで、「ガンダム」を見て「戦争で肉親を失った子供達が、闘争心という面でシンパシーを感じた」とコメントしている。
イランでも「ガンダム」は人気があったのだ。
ただし、サヘル・ローズの指摘は「闘争心」がポイント。
我々日本人が感動するような新清士氏が挙げたポイントとは別だ。

そのあたりのことは、日本の既成文壇からの評価は低いものの、海外で受け入れられる普遍性、つまり日本社会(人)に限定されることのない「物語性」によって、多くの国々で翻訳され愛読されている村上春樹の作品群との相違点ではないだろうか。

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「I am a rock, I am an island」?

2012年07月28日 | 徒然
今日は週末だし、Cultural Marketing Lab INOUE(CMLI)、つまり拙宅の(笑)写真を一部アップしてみる。
(と言っても、こなすべき業務は週末に関係なく溜まってるんだが・・・)
(それでも明日の日曜日は、父の誕生会。実家で日本一、自分の口に合うと思ってる鰻の蒲焼を食する)

どうも蔵書が増えて。
どうみても今後、開くことのないだろう書籍は売ってしまったが。
昨年、初めて書籍を書いたが、やはり10年、20年、30年前に買った書籍が重要な参考文献になったりするし、ブームだった「断捨離」とやらを実行する気にはならないね。
学生時代、友人から聞いた話によると、引っ越すたびに蔵書を全て捨てる人がいたという。
そういう態度・行動にも哲学はあるし、ある意味、自分も憧れたこともあるが、要は人は人、自分は自分、自分のスタイルに忠実のほうがいい、というのが齢を重ねた私の考え。
実際、10代、20代の頃に読んだ文庫本のほとんどを実家の建て替え(90年代後半)のときにほとんど処分してしまったことを後悔している。とうの昔に絶版になった良書があったからだ。
(自分でもリリースしといてこんな言い方も何だが・・・)電子書籍とやらがそんな私のデマンドに応えられるなんて、今の時点では想像できない。

「第四の消費社会」(三浦展)では「シェア」(注)がキーワードだが、文学部時代、教授達からの影響もあって「書籍は自分で買って読まなければ血肉化しない」という考えは今でも変わらない。
私が最も影響を受けたマーケターの先生も、「本は自分で買え! 会社で買うもんじゃない」というポリシー。
実は、私、神経質で図書館の本をめくると鼻がムズムズ痒くなる(アレルギー?)という体質だったせいもあり、今でも本の貸し借りは好きではない、という理由もあるんだけどね。

(注)「第四の消費社会」における「シェア」とは、「同質化」を求めるのではなく、皆が違うのは当然の上でそれを互いに尊重し合うという個人主義の価値観が大前提になっていること(三浦)に注意。

3月まで私が草鞋を脱いでいた会社では、そこそこ社内に蔵書があった。
分野は違うとはいえ、私の蔵書よりも数は少なかった。

「オイオイ、君達(特にマネジメント層の諸君)、そんなんでクライアントからナメられないマーケターになれると思ってんのか?」とずっと思い続けてきた。
「知らないこと」を知ったふりをして、クライアントにはすぐ見抜かれる。。。

メーカーのマーケターには、自ら進んで書籍で勉強されている方は少なくない。
そもそも自発的な「興味」から読んでおり、「勉強」という意識はないと思う。
また、業界・業種横断型の集まり(勉強会、セミナー)に参加される方も多い。

私が考えるに、マーケターに向いた「資質」(向いてること)というものがある。
誰からも強制されることなく、自らの興味と意思で書籍を読んだり、異業種や異業態の方々と交流し知見を与えたり得たりする。
これが自然にできるのが「資質」のある人の「必要条件」だろう。
リサーチユーザーであるメーカー・流通のマーケティング担当者、リサーチャーやマーケティング・コンサルタントと呼ばれる人達もそれに変わりはない。

だが、全てのマーケティング業務に携わる人間に、こういった「資質」があるとは限らない。
(それに、社員の多様性は必要であり、10人中10人が「資質」のある人間ばかりだとしても組織はうまく回らないんだけどね・・・)
だから、企業が半強制的に書籍の購読を薦めたり、(私の知る複数のマーケティング企業は)各学会やセミナーに業務として社員を聴講に行かせたりしている。

松尾順(まつおっち)さんが書かれたこちらのブログには、「インサイト」についての的確な見解が述べられている。
少々長いが引用させて頂く。
***************************************
そして、インサイトを取り出すためには、
「統計解析」のようなテクニカルな分析ツールを
駆使することに加えて、マーケティングで言えば、
下記のような様々な学問・研究領域の知見を

「解釈ツール」

として用いなければならないのです。

・マーケティング理論
・消費者行動研究
・社会学
・人類学
・行動経済学
・人間工学
・環境心理学
・社会心理学
・エスノグラフィ
・表情分析


繰り返しになりますが、
データの中にインサイトがあるわけではないのです。

したがって、インサイトを自分の頭の中から
取り出す力を高めるためには、多様な学問分野に
ついての体系的な学習が不可欠になってきます。

さらに言えば、分析者も、
一人の消費者・生活者として、
豊富な実体験を積み重ねていることも必要でしょう。

例えば、分析者自身は朝から晩まで仕事漬け、
人気スポットに行く時間も取れない、
テレビ、映画やスポーツもろくに観ない。

そんな分析者が、一般消費者の意識調査データを
いくら眺め、分析したところで、有効なインサイトは
出てこないと思いませんか・・・?


マーケティング業界ではこれまで、
統計解析のようなテクニカルな「分析力」を
高めることについての議論は盛んに行なわれて
きました。

しかし、「解釈力」の重要性、および、
解釈力を高めるための、学問・研究領域の知見の活用
についての議論はほとんどなされてこなかったように
思います。


(以上、黒字部分が引用箇所)
***************************************

世の中の「マーケティング・コンサルタント」を名乗る企業は、理想として上記のような能力を社員に身につけさせたいわけだ。
が、私の経験則で言わせてもらえば、全ての社員が個人の「自発性」、つまり「資質のある人」でもない限り、このような理想は「絵に書いた餅」でしかない。
ただ、とても難しいのは「資質のある人」同士が、互いの違いを認識しながら尊重し合う、という態度がなければ、組織としては崩壊してしまうことだけどね・・・。
「俺が! 俺が!」という痛すぎる事例はいくらでも見てきたし、事実、自分もそうだった時期もあった。
それでも「理想のワークスタイル」ってのはあるけど(笑)。

マーケティング企業は、「紺屋の白袴」の喩えのように、自社のコア・コンピタンスを自ら理解していないケースが多い。
例えば前述した私が草鞋を脱いでいた企業の場合、データの統計解析においては卓越した能力を持っている。
「『統計解析』のようなテクニカルな分析ツールを駆使すること」に卓越している。
それは、クライアント企業も認めるところの「アイデンティティ」だ。
私も4年間、そこそこ楽しませてもらったし、得たものも少なくなかった。
ニッチな「コア・コンピタンス」だが、ニッチだからこそ貴重というものだ。
「偏重」と言われてもいいぐらいに「データ」にこだわるのもいいだろう。
そのかわり、「ないものねだり」は止めた方がいいと思うんだがね・・・。
「柔らかい頭」なんて持つのは無理だから、「堅い頭」を徹頭徹尾、堅くするのほうがクライアントから尊重・尊敬される道なんじゃないかな?
余計なお世話だろうけどね(苦笑)。

もちろん、私だって上記の学術分野を全て網羅などしてはいない。
自分に「興味」があって、しかも「得意な分野」こそがコアなのだ。
上記にはない「音楽社会学」は、現在進行中のプロジェクト(ビジネス案件)でフルに活用している。
歴史性のあるトレンド分析もしかり。
もちろん、今、携わらせて頂いてるマーケティングリサーチの業務だって面白い。
自然にモチベーションが高まるのだ。

書籍の数にしても、処分してしまったものが多いとはいえ、私の数倍の蔵書がある方も少なくはないだろう。
音楽CDにしても、たとえば知人の音楽マーケターの方は少なく見積もっても、私の10倍以上はあるはず(でしょ?)。

が、好きな書籍と音楽に囲まれて生活できることは幸せだ。

▼メイン書棚(音楽社会学とマーケティング書籍メイン。文庫は小説も)


▼20代の頃愛読していた現代思想・文芸批評


▼同じく(サブカルチャーの貴重な研究書から『1Q84』まで)


▼本棚に本を二重に入れると防音効果がある(?)と苫米地さんが書いていた。それがどうした?


▼新書は自販機で飲料を買う感覚で買うんで溜まる一方。結構処理しちゃったけど。
 そういえば拙著の参考文献、新書が多かったよな・・・。


▼CDラック


▼今はこんなに少なくなったアナログLP。だいぶ処理しちゃったからな・・・


▼栗山千明のRockテースト(テーストと参加ミュージシャンだけ・・・)なアルバムについてきたポスターをはがして、1本だけ出してあるギターを壁掛けにしたらすっきりした。
80年代後半の Fender USA.ストラトキャスターだよん。


▼これは、検索で見つけてお気に入りの動画。
原曲は私が20代の頃から好きだったけど、今はこんな「ひきこもり」じゃないからね。。。
「友情」も「愛情」も大切なのだ!

和訳で歌おうサイモンとガーファンクル"I am a rock " Simon & Garfunkel Cover


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「重層的な自分」から生まれたヒット (『第四の消費』 三浦展 より)

2012年07月26日 | カルチュラル・キーワード備忘録
重層的な仮面は、少なくとも嘘の自分ではない。こうして、ここに「複数の自分」という現代特有の自己意識が生まれることになるのである。

企業にとって、自分らしさ神話の戦略は消費者を簡単に踊らせる手法というわけではない。およそ共犯関係というものがすべてそうであるように、共犯者同士はつねに相手を疑い、相手から裏切られる。同様に、「複数の自分」を持つ消費者は、企業にとってはますますとらえがたいものに「進化」してしまったと言える。

第三の消費社会の後半である一九九〇年代には、それらの「複数の自分」を持つ消費者の増殖が不可解な現象を生み出した。音楽CDが典型的だが、一部のCDが数百万枚のメガヒットとなる半面、数百枚単位で売れるマニアックなCDも確実に存在するが、数万枚の定番的なヒットがなくなるという事態である。これは「複数の自分」という視点を導入しないと理解できない現象である。

仮に一〇〇万人の消費者がいたとしよう。そして彼らがそれぞれ一貫したひとつの自分を持っていたとしよう。彼らの二五%が同じ志向性を持っているとすれば、二五万枚のセールスが期待できる。

ところが彼らがそれぞれ四つの自分に分裂していたとしよう。すると一〇〇万人でありながら「自分」の数は四〇〇万ある。四〇〇万の「自分」が二五%支持すれば一〇〇万枚のセールスが可能になる。つまり一〇〇万人全員が同じCDを買うということが起こる。これがメガヒットのからくりではないかと思う。

(中略)「同調する自分」に訴求すればメガヒットが生まれ、「差別化する自分」に訴求すればセールスは極小化する。逆に、「ひとつの自分」の時代のような中くらいのヒットが生まれにくくなったのである。

これは、生活水準が上がり、相対的にCDの価格が下がったことも背景にはある。若者の可処分所得に対してCD(昔はLP)の価格が高ければ、自分が一番好きなCDだけを買う。CDの価格が安ければ、自分が本当に好きな一枚と、あとは試しにみんなが好きなCDを一枚といった買い方ができる。そうなればメガヒットは生まれやすい。しかも一九九〇年代は、そこに団塊ジュニアという人口の多い世代がいた、ということであろう。

(同書131~132ページより)

ここで三浦のいうところの「重層性」「複数の自分」という概念は、目新しくはない。
またCDだけの話ではない。
以前、何度も書いたが、90年代後半に市場規模がマックスとなった業種は少なくはないのだ。
三浦の論じる「第二の消費社会」と「第三の消費社会」の異なる点、それが、「『ひとつの自分』の時代のような中くらいのヒットが生まれにくくなった」ことである。

では、なぜゼロ年代になってから「売れなく」なったのか?
まず、そうそう卓越した才能は生まれないということ。
メガヒットの後には「飽き」がくること。
「踊らされた感」もある。
「大ヒット」の構造を考えてみよう。
「大ヒット」とは、「本来、買わなくてもよかった」層(グレー層、ライト層)が買ったからこそ「大ヒット」となるのである。
だから、「何で私はあのときあれを買っちゃたんだろうか?」という醒めた感覚が生起するのだ。

それが私がずっと前から言ってきた持論だ。

また、三浦の定義するところの「第四の消費」がゼロ年代前半から始まったこともある。
(「第四の消費って何?」という人は書籍を読みなさい!)

が、一番大きい要因は、三浦も指摘するように、90年代後半に人口ボリュームである団塊ジュニアの諸君の消費意欲だろうね。この時期を過ぎれば、結婚・出産・育児もあっていくら団塊ジュニアの諸君もそうそう、生活必需品以外の支出は抑える。

(もう時効?と考えてるから云うけど)私は30代後半のとき、団塊ジュニアの女性(当時は20代後半)とお付き合いしていたことがある。
彼女の部屋のCDのコレクションを見たとき、彼女の「複数の自分」というものを強く実感した覚えがある。
短い間だったので、彼女から彼女の本当の「パーソナル・ミュージック」(拙著PDF版111~118ページ参照。男性と正反対で女性は隠しがち・・・)のことを聞くことはなかった。

では、これからどうなるのか? どうすればいいのか?
それは生活構造の変化の話であり、有償の仕事の話になるのでここでは書かない(笑)。

第四の消費 つながりを生み出す社会へ (朝日新書)
三浦 展
朝日新聞出版

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またまた日本人の悪い癖が・・・滋賀県大津市のいじめ問題

2012年07月25日 | 徒然
以下(黒字部分)は、拙著『コンテンツを求める私たちの「欲望」』の31ページ(PDF版)からの引用だ。

あまねくネットが普及した現在、有名人が問題を起こしたことがマスコミで報道されると、自分とはまったく関係のないことなのに、匿名のネット掲示板が荒れたり、ブログが炎上することが少なくありません。自分自身を鑑みても、自分が危害を加えられたわけでもないのに、腹が立つことがありました。なぜだろう? と、ずっと考えていたのですが、佐藤も同じ問題意識を持たれていたようで、『なぜ日本人はとりあえず謝るのか』の179ページでこう書いています。

「世間」には、このように自分に危害が加えられたわけでもなく、直接なんの関係もないのに、メディアの報道やホームページをみて、あたかも「我がこと」のように考え、卑怯にも匿名で、いやがらせの手紙を出したり、無言電話をかけたり、メールを送ったり、ブログを炎上させたりする人たちが、かなり沢山いるらしいことである。

おそらく「世間」が「我がこと」のように考えるのは、「共通の時間意識」があり、個人が存在せず、自他の区別がつきにくいため、同情と共感を生みやすいからである。

“同情と共感”については、それらも「世間」の美点だと思いますが、こうした「世間」からの“はずし”は困ったものです。直接、自分と関係なくても、「そういうことを言うこと自体、許せない!」という心情になるのでしょうね。

(以上引用部分)

大津市の「いじめ」問題について。
私も加害者の生徒、教師と校長をはじめとする学校関係者、教育委員会に対する怒りでいっぱいだ。
しかし、いくら「正義感」からくる怒りゆえとはいえ、加害者に対する態度と行動はいただけない。

リアルな場での行動であれネット上の行為であれ、彼らのやっていることは加害者の行動と変わりない。

「いじめ問題についてどう考えるのか?」
私の見解は、80年代の「校内暴力」での解決策と同じだ。
金品を盗るなど明らかな犯罪が行われているのなら、躊躇することなく警察力を導入するのが正解だ。
「モンスターペアレンツ」の問題が当たり前になっている現在、子供の「消費者化」も進行しているのだ
「わからない?」という人は内田樹の書籍でも読んでほしい。
学校を「聖域化」しすぎてはいけない。
「金八先生」(私は嫌いだった・・・)のようなセンチメンタリズムは、60年代、70年代の学園紛争の残り火でしかないのだ。
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「大衆文化のストック化」 (『第四の消費』 三浦展 より)

2012年07月24日 | カルチュラル・キーワード備忘録
(以下、黒字部分は引用箇所)

不安な消費者の二番目の傾向は「永遠志向」である。具体的には海外高級ブランド志向がそれに当たる。海外高級ブランドは、消費者の自分らしさに近づくのではなく、消費者がブランドらしさのほうに近づくべきだという態度を保持している。自分らしさなどという「ぬるい」次元を超えた絶対的なものとして高級ブランドは君臨する。不安な消費者は、高級ブランドが生み出す永遠性という強力な物語に引かれる(ママ)のである。後述する日本ブームなどもこの一種であろうし、最近の神社の人気もそうであろう。千年単位での歴史を持ったものに現代人は引かれる(ママ)のである。

リバイバルブームやレトロブームも「永遠志向」に近い。その対象はグリコ、ディスコ、平凡パンチ、ビートルズなどさまざまだ。大衆文化は本来フローの文化であり、ある一時期に売れても、いずれ消滅し、次の文化に取って代わられるものだと思われてきた。しかし、大衆文化も時間とともに蓄積されて資源になるということをリバイバルブームは証明している。つまり、新しい物(語)をつくらなくても、古い物(語)だけで消費者が十分満足する時代になったのだ。これを私はかねてから「大衆文化のストック化」と呼んだ(拙著『「豊かな社会」のゆくえ』1992)。資産が一〇〇万円しかなければ、どんどん働いて稼がなければならないが、資産が一〇億円あれば、その運用益だけで暮らせるので、がつがつ働く必要はない。それと同じで文化もフローしなければ、次々と新しい流行風俗、ヒット商品を作り出さなければならないが、ストックがあれば、それを使い回すだけでよくなる。企業から見れば、まったくの新製品より、消費者の認知度も好感度も高いかつてのブランドを利用した製品のほうが安心して市場に投入でき、売上げも確実に読めるという効果もある。古い物語の使い回しで十分なのである。

不安な消費者の第三の傾向は「自己改造志向」である。これは、高級ブランドであれ何であれ、物を消費することでは所詮自分らしさやアイデンティティは実現できないことに気づき、自分自身を変えようという態度であり、内面的な自己改造と外面的な自己改造の二つの方向性がある。内面的な自己改造として代表的なものは、さまざまな自己啓発や資格取得、稽古事などの勉強を行う「学習志向」である。

外面的な自己改造としては、茶髪、ピアス、タトゥー、整形などの「肉体改造志向」がある。肉体的改造志向には、より一般的なものとしてフィットネス、筋力トレーニング、ヨガ、さらにサプリメントなども含まれよう。これは藤岡や水野が指摘した「BE」の時代の、言わば究極の姿であるといえる。

(同書127~129ページより)


先日、Facebookで知人がこうコメントしていた。
宝石は人類より遥かに長い歴史がある、だから人々は惹かれるのだと。
普遍的な欲望だろうね。

「大衆文化のストック化」は三浦が指摘する通りの「現象」である。
円環的な時間の流れ、という観点から私 (CMLI) が言えることは、ストック化の流れは今が頂点。
革新的な商品・サービス・文化への希求は緩やかながら高まっていくであろう。

内面的な自己改造。これはゼロ年代から盛ん。
「何のために?」という目標が明確でなければ成果は見込めないこともあり、「資格マニア」への批判の声も少なくはないが、ソーシャルメディアの記事とか見れば実感できる。

外面的な自己改造。
個人差があり、成果が出るには時間がかかるが、達成感が高いのは自分で実感している。
お金による物の購入では到底、不可能なことでもあるし。
三浦の言うように「究極」だろうね。
しかも、普遍的な「病理」だろう(笑)。

自分の経験則から、付け加えると「内面」と「外面」の価値はリンクしてなければいけないよ(笑)。

第四の消費 つながりを生み出す社会へ (朝日新書)
三浦 展
朝日新聞出版

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「自分さがしは消費社会の病理」 (『第四の消費』 三浦展 より)

2012年07月23日 | カルチュラル・キーワード備忘録
(以下、黒字部分は引用箇所)

企業にとっては、消費者に対して、その企業らしさではなく、消費者の自分らしさしか提案できないというのは一種の敗北である。しかし消費者が求めるものが、企業の提案する特定の美しさや女らしさや男らしさやデキるビジネスマンらしさではなく、あくまで自分らしさだというのなら、企業としては、その自分らしさをお手伝いしますよといか言いようがない。
こうして、消費者自身の自分らしさ志向と企業による自分らしさ訴求との共犯関係によって、ますます「自分らしさの神話」が増殖していったのである。

消費の対象だけでなく、仕事も結婚も自分らしくなければならないと信じられるようになった。つまりは、人生全体を自分らしく生きたいと思うようになったのである。

(中略)
何が彼らを自分らしさ主義者にしたのか。彼らを自分らしさ主義者にしたのは間違いなく消費社会なのだ。つまり、自分専用の部屋、自分専用のステレオ、自分専用のテレビ、自分専用の電話、自分に似合う(と言われる)服等々。そうした自分専用の「私物」の私有経験こそが、彼らの自分らしさ主義の土台になっているのである。

(中略)
実際、携帯電話を忘れると不安になる者が多いことは各種調査結果から明らかにされている。携帯電話の場合、単に物として私物であるだけでなく、そこに記録された友人の電話番号や通信記録などによって自分の分身となっているため、持っていないとパニックに陥るのである。人をこれほどパニックに陥れる物が他にあるだろうか? 考えてみると、どうも女性にとっての化粧ポーチがそうらしい。化粧ポーチも女性にとってはまさに自分づくり(make up!)に必須だからであろう。

(同書125~127ページより)

三浦が別の個所で指摘しているけど、流通(小売)の主役が、百貨店からスーパー・量販店、そしてコンビニ、ネット通販へと変遷していったこととパラレルなんだよね(笑)。

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「雑貨の時代」と「差別化消費の悪夢」 (『第四の消費』 三浦展 より)

2012年07月22日 | カルチュラル・キーワード備忘録
(以下、黒字部分は引用箇所)

ロフト、ハンズ、無印良品の成功が示すように、第三の消費社会は「雑貨の時代」であったとも言える。消費者がみずからの感性に基づいて「自分らしさ」を追求するようになると、画一的な大量生産品には関心が薄くなる。洗濯機や冷蔵庫で自己らしさを表現しようとは誰も思わないからである。

(中略)
ファッションでも、もちろん自己表現できる。二〇世紀初頭のシャネルに始まり、一九六〇年代以降のミニスカート、ジーンズ、あるいはイッセイ・ミヤケ、ワイズ、コム・デ・ギャルソンなどのデザイナーズブランドなど、ファッションこそが自己表現の最大の手段でありつづけた。だから、自己表現欲求の高まった第三の消費社会においては、ファッションが消費者の中で重要な役割を演じたのである。

しかし、そうであるがゆえに、ファッションは自己表現として重すぎるとも言える。自己を表現しすぎる、自分をひとつのスタイルを持った人間として表現しすぎるのである。そこには遊びが少し足りない。

自分はそれほどひとつのスタイルに固執はしていない。もっと多面的な存在である、そもそも既存のスタイルによって自己を表現するというのは一種の矛盾である、と無意識に感じとる消費者も増えてきた。そこで、ある特定のスタイルに、意図的に別のスタイルを加え、全体として少し「ズレた」印象を与える必要が生じる。そのとき、雑貨というものが有効であった。

(中略)
こうしたことは、物によって個性、自分らしさを表現することが、とても難しいことであること、自分らしさを表現することが、実はとても難しいことであるということ、自分らしさを追い求めることが一種の蟻地獄的な状況に陥ることにもなりうることを示唆していた。

(同書118~120ページより)


(中略)
だが、「人なみ化」が終わったわけではない。「差別化」と「人なみ化」が同時並行する。「人々は『人とちがう』ことをのぞみながら、同時に『ちがいがわかる』限りで『人と同じ』であることも望んでいる」。「『人とちがう』ことと『人なみ』であることとの狭間で、人々は無限に自分自身を写す合わせ鏡の中にはまりこんでしまう。あるチョイスをしたからと言って、それだけではもう誰も、自分が誰かを説明できない。もう誰ひとり、自分の欲望がわからな」くなるのだ。こうした事態を、上野は、社会学者・井上俊の言葉を借りて「悪夢の選択」と呼んだ。消費が悪夢となった時代。それもまた八〇年代なのである。

(同書123~124ページより)


「自分さがし」っていうのは、マスコミで散々喧伝され我々が刷り込まれたような「フリーター」「ニート」だけの話ではないわけだ。「フリーター」「ニート」にその特徴が凝縮されていただけで。

三浦の鋭い指摘に、私が一言加えるとすれば、「消費によってのみ可能だった自己表現」への「疲れ」に加え、「飽き」もあった、ということだ。「疲れ」は直線的な時間軸、「飽き」は円環的な時間軸で考えることができる。

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日本のロック、ポップスこそ、字義通りの「産業ロック」「産業ポップ」だったと実感

2012年07月21日 | マーケティング話
32年ぶりの脱原発第2弾<M.U.S.E. Benefit For Japan Relief>、熱演

これは昨年8月のニュースですが(黒字部分引用)。

1979年、スリーマイル島の原発事故の後、ジャクソン・ブラウン、ジョン・ホール、ボニー・レイット、グラハム・ナッシュがM.U.S.E.「Musicians United for Safe Energy(安全なエネルギーを求めるミュージシャン連合)」を立ち上げ、同年9月NYのマジソン・スクエア・ガーデンで<NO NUKES>(原子力発電所建設反対運動)コンサートを開催。ブルース・スプリングスティーンなども出演し、その模様は映画でも公開され3枚組レコードとして発売された。今回のイベントはその第2弾となるもので、32年ぶりのNO NUKESコンサートとして、広島と長崎の原爆記念日の間である2011年8月7日に設定されていた。




日本の場合、故 忌野清志郎さんとか、ザ・ブルーハーツとかが頑張ってたようだけど、米国では70年代後半から、ミュージシャン達がこんなムーブメントを展開していたわけだ。

80年代、ジャーニーとかREOスピードワゴンとか、売れ筋狙いのわかりやすい米国のロックバンド群のことを、「産業ロック」(注)と茶化してたけど、実は字義通りの「産業ロック」「産業ポップ」って日本のポピュラー音楽全てのことだったわけだ。。。

(注)南田勝也によるロックミュージックの3要素、(1) アウトサイド(反抗・集団凝固性)、(2) アート(芸術・卓越化)、(3)エンタティンメント(楽しみ・大衆性)」のうち、(1)と(2)の要素が弱く、(3)の要素が強い、と私は解釈する。

80年代後半から90年代に隆盛を極めた「Jポップ産業複合体」(by 烏賀陽弘道)だけでなく、社会全体の話である。
レコード会社の親会社が原発を推進する企業ということを含め、世の中全体の「グランドデザイン」の問題だ。
現在の私たちの社会インフラは、全て原発の存在を前提にデザインされてきたわけで、原発に関するネガティブな話題はタブー化されてきた。

日本におけるタブー化とは、おそらく世界に類を見ないほど驚くほど整然としたものだ。
例えば、昭和天皇ご崩御の際、権力、いや誰からも強制されることなく、テレビ局は番組編成で見事な「自粛」をした。
(ここまで成熟化した日本では、エジプトやリビアのような暴動は起こらないわけ。原発関係のデモで人は集まっているようだけど、1940年代から70年代までのような暴徒化はないだろうと考える)

前に書いた記事の橋本治の論に従えば、お金儲けの「哲学」はあっても「美学」のなかった日本の企業と産業界、ということになる。

いや。
企業と産業界だけの話ではないんじゃないかな?
「原発」をタブー化させてきたのは、行政や企業のプロパガンダのせいばかりではないのではないか?

不謹慎を承知で言わせていただくと、東日本大震災に伴う福島第一原発の事故は、「天罰」とまではいわないが、私たち日本人と社会に対する「警告」としか思えなくなってきた。

が、最後に重要なことを指摘しておく。
私は「産業ロック」「産業ポップ」とカッコをつけて表現した。
もともとロックもポップも産業であるからだ。
カッコをつけたのは、80年代に定義された「産業ロック」が皮相的な意味を持っているからである。

カッコをつけなければ、産業ロックよりも音楽産業と同様、ロック産業と言ったほうがいいだろう。
我々にとってロックもポップスも含めた音楽とは、常にメディア環境とともにあったわけだ。

これがCMLI (Cultural Marketing Lab INOUE) の見解だ。

とりわけ、わが国においては企業・商品CMの影響抜きにして音楽体験はない、と言っても過言ではないだろう。
たまたま、今朝聴いていた曲だが、MORGAN FISHERの「SHIFT anthem」
日産の企業CM用に書き下ろされた曲だ。

真夏のはずなのに寒くて小雨も降ってる STRANGE なこんな日にお薦めだ。



このアルバムの16曲目には、元祖「産業ロック」Journeyの「Don't Stop Believin'」も入ってるね(笑)。
暑苦しい(笑)ので、こういう曲もこういう寒い日に悪くなかったりして(笑)。
ハードロックがお好きな方には。

Journey - Don't Stop Believin' (Live in Houston)

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橋本治 金言集 『ナインティーズ』 読書メモ (コメントなし) <第10回>

2012年07月20日 | マーケティング話
<第9回>より続く。

■現代自我(橋本治の造語)

人間が肉体を持っている以上、これに付随する“性欲”という欲望は不可避のものになるのだけれど、宗教的な社会は“神”というものをこの前に立たせる。「自分の性欲を肯定したい」という思いの前に、宗教の生きている社会では、“神”の形をした社会的制約が立ちはだかるんですね。しかしところで、「神抜きで自分の根拠を自分で成り立たせる」というのが、脱宗教の近代自我です。自由を求める近代自我は、まだ半分は健在である“神”に気を使ってお上品な純潔を気取ってはいるけれど、自分というものがまともに肉体を持っている以上、この近代自我が「“下品な”性欲というものを肯定したい」と思うようになるのは、理の当然です。

近代自我は、結局のところ「自分=性的な存在」というものを認めるのに臆病で壁にぶつかるんですけれども、“現代自我”というものは「自分=性的な存在」という前提から出るんですね。“現代自我”というのは、私の勝手な造語ですけど。

(同書185~186ページより)

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【宮台真司氏×武田隆氏対談】(後編) 「生活のリアリティ」が「社会のコモディティ化」を打破する

2012年07月18日 | マーケティング話
エイベック研究所社長の武田さんと宮台真司さんの対談の後編

もし「心ある (私の主観だが) 」マーケティング業務従事者だったら、このタイトルだけでピンとくるものがあるはずだ。
宮台真司の言葉は、いつでも私を魅了して止まない (以下黒字部分は引用)。

■マーケターとしては早すぎた?宮台真司

宮台:そう。第三が〈脱偶発化〉です。出会い系サイトや婚活サイトは、年収・身長・学歴・趣味などのスペックへのニーズを元にマッチングされます。自分が最も嫌うタイプの相手を好きになるアクシデントがありえません。すべてが枠の内側で起こります。

〈完全情報化〉も〈脱タブー化〉も〈脱偶発化〉も、ニーズに応じたものです。前回お話ししたように、「ニーズに応じたマーケット・イン」は人々の幸福値や尊厳値を下げます。人の幸福や尊厳は必ず〈未規定性〉とともに与えられるのです。


アップルの製品が我々に驚きと感動をもたらしたのは、宮台が言うところの〈未規定性〉によることは言うまでもないだろう。
それにしても、既に80年代(バブルで浮かれてた時代)に、すでに「マーケット・イン」が、人々の幸福値や尊厳値を下げることを押さえていたなんて早すぎだよな(笑)、流石!
先日私は、Facebookでこう書いた。

「新しいものを創るのは、いつの時代でも、どこでも、マジョリティ(多数派)ではなくマイノリティ(少数派)だ」

「マジョリティがいつも正しいとは限らない。いつの間にか50基の原発で経済・生活の土台が築かれる世の中になってしまったのは、マジョリティが間違ってたからじゃないのか?」

と書いたけど、当時の(そして私も身を置いていた)マーケティング業界において、宮台は確実にマイノリティだったはずだ。
そして宮台は「新しくて」「正しかった」わけだ(新しすぎた・・・けど)。

■社会学的、歴史的視座はマーケティングにも不可欠だ

武田:宮台さんは、モノが輝かなくなったのは、モノのせいではなくて、私たち消費者側の心の問題だと断言されていますよね。

宮台:そう。ただし〈個人的な心理の問題〉でなく、〈社会的な意味論の問題〉です。その中で、新たに開発されたモノも、随所に残った都市の光と闇の対照も、独特の意味加工を経て体験されました。新技術も貧困も、いまとはまったく異なる仕方で体験されたのです。

73年の石油ショックで「低成長時代」になります。石油ショックの直前、「3C」を含めた耐久消費財の普及曲線がプラトーに達し、新規需要より買替え需要が専らになりました。そして、77年からオタクの萌芽が現れ、83年には誰の目にも「見える化」します。

消費者心理と商品・サービス、という視点のみの「コンシューマ・マーケティング」は不全である。
社会学が必要だ。
Cultural Marketing もしかり。
表層的なトレンドに振り回されない「歴史観」というものも必要だ。
Cultural Marketing Lab INOUE. の得意とするところだけどね(宣伝・・・笑)。

■「ジラールの欲望の三角形」の崩壊?(わからない人は拙著 PDF版78ページ参照のこと)

宮台:(中略)ところが、島宇宙がバラけ、所属が不透明かつ流動的になり、そのぶん人間関係がその場のノリを維持するだけの希薄なものになると、「他者の欲望を自分の欲望とする」メカニズムが働かなくなります。その結果、驚くべきことに、欲しいものがなくなるのです。

これが、マス・マーケティングが威力を発揮した時代の終焉、の正体だ。
「記号消費」の終焉と表現する人もいる。
私の場合は、「記号消費」が終焉したわけでなく、ヴェブレンの「顕示的消費」が終焉しただけだ、と拙著 PDF版138ページで定義しているが。

宮台が指摘する「コモディティ化の段階説」は重要だ。

<第1段階=耐久消費財飽和>
<第2段階=島宇宙拡散>

宮台:なるほど。僕は先日まで東京都民投票条例の制定を求める直接請求の請求代表者でした。住民投票の本質は、ポピュリズム的な衆愚政治の恐れを批判される「世論調査による政治決定」でなく、住民投票に先立つ数カ月間の公開討論会の活動にあります。

この宮台の指摘をみるにつけ、「政治」も「マーケティング」にも相通じることがあると感じざるを得ない。

消費者心理をつかむことは大切だが、それが表層的である限り、「ポピュリズム的な衆愚政治」という「世論調査による政治決定」と同じ愚を犯すことになるわけだ (「n=1」の大切さにも通じるけど)。

■エイベック研究所の企業コミュニティサービス

この対談シリーズでは、宮台真司の発言を大幅に引用してきたが、ホスト役の武田さんの発言も貴重だ (そもそも、ホスト役として宮台真司とコミュニケートできるだけの社会学の知識・知見をお持ちなのが武田さんだ)。
今回の対談のタイトル 「生活のリアリティ」が「社会のコモディティ化」を打破するのキモとなる箇所だ。

一般的には、企業とユーザーの密な結びつきは、ハーレーやマッキントッシュなど高関与で商品の特徴が差別化されたもの、と限定されがちだが、低関与商品でもそれは可能であり、事実、武田さんが実務で実証しているのだ。

武田:商品はフルーツなので、それを持っているからといって仲間から注目されたりするものでもなければ、オーダーメイドで私だけのものになるわけでもありません。しかし、フルーツを自宅に持ち帰って消費するプロセスは千差万別です。それら多様な生活のリアリティがソーシャルメディアを通して噴水のように表出されています。

たとえば、そのフルーツを食材にしたレシピ大会や子どもと一緒に撮る写真大会などです。そういう活動に参加していると、スーパーマーケットで買い物をしている際、彼女らの目にはそのフルーツが輝いて見えるのだそうです。

これは、彼女らが主体的に参加しているコミュニティの履歴が、そのフルーツと、またそのフルーツを通したほかの参加者たちとの関係を特別なものにしているからだと分析しています。つまり、自分がその商品に関与しているという実感が、商品を輝かせているのだと思います。


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Out Of Control はイントロだけで往ける

2012年07月16日 | U2(Favorite Artist)
「Out Of Control はイントロだけで往ける」(井上秀二)

U22 - Out Of Control


自分のことながら、ファン心理ってのは異常ですね(笑)。
関係のない人からは、何が何だかわからないし、馬鹿としか思えないもんです。

「自分のことながら」というのがミソです。
最近のマーケティング本でよく書かれている「自分ごと化」ってやつね。

私はU2初来日を渋谷公会堂と中野サンプラザで体験して、「Out Of Control」のイントロを弾くThe Edgeの姿が今でも脳裏に焼き付いてますから。
「経験価値」ってやつですよ。

蛇足ですが、 渋谷公会堂は、やはり渋谷公会堂ですね。
文化マーケティングを標榜する私の見解は、「渋谷C.C.Lemonホール」はNG。
ネーミングライツというシステムは悪くはないし、サントリーの文化貢献や尖ったコラボレーションには目を見張るものがあるにもかかわらず、水前寺清子の連想が。。。
別に水前寺清子は嫌いじゃないどころか、子供の頃から強烈にイメージされてるけど、小規模ながらもロックコンサートの「殿堂」の一つだからね。
「♪ C.C.Lemon、ハイッ」じゃないっしょ。。。
お金を出せばいい、つー姿勢じゃなくて、ネーミングもそれらしい粋なもんにしなきゃね。
渋谷公会堂に戻って安心。

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若い女性が初めて音楽産業のターゲットになった時代・・・ TVで「Princes Princes」を観ながら

2012年07月14日 | マーケティング話
自宅での作業の手を休め、TBS「音楽の日」を観てたら、再結成した Princess Princess の「Diamond」「M」がオンエア。

(1) 1982年に市場投入されたCDという、オサレで購入しやすいフォーマットの普及 (技術的要因)
(2) 安価で手軽なCDラジカセというハードの普及 (技術的要因)
(3) 1986年の男女雇用機会均等法施行を背景とした、労働市場への女性の一層の開放 (経済・社会的要因)

わが国のポピュラー音楽の“先導者”が、YAMAHAからSONYにバトンタッチされ、マス・マーケットの形成へ。
レコード=嗜好品が、オサレなCDとなって、社会進出を果たす若い女性が、音楽産業の大きなターゲットとなった。

(4) 1990年代の若年層をターゲットとしたカラオケの普及(自己表現の商品化 by烏賀陽) (メディア的要因)
(5) ドラマ・CMタイアップの全盛期へ (メディア的要因)

そんな時代の“申し子”の一組が Princess Princess なわけで。
Femaleバンドも多かったし、ピンでも多かった。

SNSでは、「メンバーの誰だれが老けた」といった声を聞くが、そりゃ時が経てば老けるって(笑)。
ただ、自分が気になったのは、解散によって生活の場が別々になり、各々の固有の人生を歩むことによって、一人一人の個人差(個体差)が顕著だったこと。
それは、このバンドだけのことではなく、どのバンドでもそう。
だから、再結成されたバンドを見るとき、感慨は深くなる。

で、彼女らの出番の後は、今日、記事をアップしたAKB48様。

う~ん、、、何回聴いても、「生身の人間の声」じゃないんですけどね(苦笑)。
曲は悪かないんだけどね。。。
パパパ、パフュームのように、一応「テクノ」つーことで割り切っちゃえばまだいいんだけど・・・。

そして次は、桑田佳祐。
この方は、昭和の青春歌謡のDNAなんですね。
地場は加山雄三と同じ湘南 (ミュージシャンとは、どんな音楽をやっても、出身地の雰囲気、色、空気感から自由にはならない、というのが私の自説)。
そのベースに、泥臭くてマニアックな米国のルーツ・ミュージックのエキスが染み込んでいる。
それが彼のオリジナリティ。

最後の最後に登場した、ベテラン男性5人組の皆様。
歌唱力、素人以下です。。。
おかげで私、NHK「朝ドラ」のテーマかかるたび、毎朝、気分が悪いです。。。
ドラマの内容は面白いんでなおさら苦痛・・・。
ゴスペラーズだよな、、、この曲歌っていいのは。

うわ~~~~~~~~~~、音程、フラットしすぎ、不安定にもほどがある!!!!!

今回は滅多に観ることのない「歌番組」の話題でした。

*タイトル写真は、拙宅マンション前の「中央公園(CENTRAL PARK)」。今日の午後、木陰のベンチでアイデアを捻出していた。

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「AKBビジネス」は、小泉改革後の「デフレ&格差社会の成功モデル」、ということ(井上)

2012年07月14日 | マーケティング話
フリーペーパー「R25」では、巻末で高橋秀実氏と石田衣良氏が交代で書いているコラムが一番好きだ。
2010年の11月の記事でも触れた)

で、7/5-7/18号、石田衣良氏の「空は、今日も、青いか?」第138回は「AKB48を考える」。
これが挑発的で面白い!

「社会現象となったAKBについて書いてみる」、と石田氏。
(以下、黒字部分は引用箇所)

「抗議も賛意も、どしどし送ってください。いいたいことを勝手にいっていいのが、言論の自由なのだ」

「だいたいNHKニュースまでアイドルグループの選挙イベントを流すなんて気持ちわるいよね、。バランス感覚を失っている。誰かがはっきり指摘したほうがいい。それは単なる美少女ビジネスにすぎない。ただの金儲けだ、あまり騒ぐことないよって」

彼女らのファンでなければ、ごく常識的な見解だ。

TVの番組収録でAKB48のメンバーと一緒になったことがあるそうだが、あんまり興味がなかったので、顔と名前が一致しなかったそうだ。
これも当然だろう。
もし私が石田氏と同じ立場だったとしても同じだろう。

「みな感じのいい女の子で、とくにかわいいともオーラがあるとも感じなかった。タレント個々については、好感情も悪感情もない」

言うまでもないことだけど、ファン以外の人にとってはそんなもんだ。
これも当たり前。

CDが売れなくなったから、ライブで日銭を稼ぎ、コアファンを高回転させる。
ソロのアイドルでは厳しいので、数の論理=「数を頼む戦略」(石田氏)をとる。
グループ内での苛烈な競争原理が発揮される。
しかも「地方分権」にも対応し、全国主要都市間での地域間競争を煽れる。
そういった厳しすぎる競争原理に対し、石田氏は違和感を覚えている。

「その女の子を応援するのが、デフレ下で大量に非正規雇用化している若い男性というのが、皮肉な哀感を誘う。何年たっても給料もスキルも上昇しにくい契約労働の男子が、ぎりぎりの競争を強いられた女子を必死に応援する。なけなしの生活費から、数十枚というCDの対価をしぼりだすのだ」

彼女らのファンの性・年代・職業別の正確なデータはないので断定的なことは言えないが、石田氏が言ったような男性の「非正規雇用」労働者がファン層のボリュームであるとは限らない。
私の知人でも、「握手会」とかに足を運んでいるのは正社員でそこそこの収入のある連中だ(これもバイアスかかってるけどね・・・)。
だから、統計的データではなく、マスコミで喧伝されているイメージで、石田氏が語っていると考える。

つまり「偏見」であり、「差別だ」と怒る方もいるだろう。
言うまでもなく、石田氏はそれを百も承知の上で、敢えて挑発的なメッセージを発しているのだ。
そんな石田氏を私は好きだ。

それに、石田氏の見方を、単なる「予断と偏見」として否定しきることはできないだろう。
男性の「非正規雇用」労働者が、ファン層のボリュームではなかったとしても、先端的なコア層を形成していることはまず間違いないと考えるからだ。
たとえ「AKB」がマスに浸透した現在でも。

「なんだか救われない話になってきたなあ」

と石田氏はぼやくが(笑)、たしかに救われない話だろう。。。

石田氏の見解を私流に解釈すれば、この記事のタイトルになるのだが、ある意味、「救われない」状況でも、“うまいビジネスモデル”を考える人は健在だし、それにつられるファン層も、「救われない」世の中を、意識することなく健気に生きてるのかなと(苦笑)。
これも「終わりなき日常」(宮台真司)を生き抜く上での術(すべ)の一つなのだろうか?



1ヶ月前に書いたが、そのビジネスモデルは「大量消費・大量廃棄」で古いと思う。
「アイドル」への欲求・欲望は、流行の循環こそあれ、普遍性をもっているとは考えてはいるが。

わが国の人口構成の変化を背景とした社会の成熟化。
そんな環境下、多くのカテゴリで、「顧客のエクステンションよりリテンション」というのがマーケティングの主流になりつつある。
が、AKB流ビジネスは、ますます“マーケティングの悪者化”を推し進めることになると私は考えている。
間違っても、「日本を救う!」なんて勘違いはしないでほしい。
「顧客生涯価値(LTV)」とは、長期的な視点かつ、顧客の幸せを中心に考えるもので、“使い捨て”の思想ではないと考えるからだ。

ところで、石田氏は、最後にこう言い放つ。

「恋や性が不潔で許せないなんて幼稚な押しつけで、アイドルを応援しないほうが、精神衛生上もいいと思うよ」

ま、このへんはね(笑)。
たしかにそれは言えるんですが、私は「アイドル文化」そのものは否定はしませんので・・・。
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第5回CDショップ大賞 第1次(前期)ノミネート作品発表

2012年07月12日 | マーケティング話
まず、このブログのタイトルが変わりました。
「Cultural Marketing Lab INOUE.」が新しいタイトル。

ブログタイトルだけの話ではない。
まだ法人組織ではないものの、「俺はこれでいこう」という単なる思いつきである。
「単なる思いつき」といいながら、実は深い意味があったりするのだがそれは言わないほうがいい。単に言いたくないだけだ。
「深い意味」は、あると言えばあるが、ないと言えばないのだ。

あと、ダサいかな? とも思ったのだが、「INOUE」のネームは入れた。
なんせ、私の井上家は、清和源氏の末裔中の末裔であるからだ。

4日間、記事をアップすることなく、ずっとこのことを考え続けてきた、、、というのは大ウソである。
今春から記事のアップ頻度を上げてきた私だが、半数以上の記事は時間のあるときに書き溜めている。
次回アップ予定の記事も、実は先週末には書き終えているのだ。
このブログは、読者様のためよりも先に、私自身のために書いているわけだ。
だから、どんな記事をどのタイミングでアップするかは、私の気分次第(で責めないで)というわけだ。
それが個人メディアの醍醐味というものだろう。

「個人メディア」という土俵ではない、オフィシャルな私の思想や見解については、電子書籍(なんと無料)の拙著を読んでほしい。
刊行からほぼ5ヶ月の閲覧数が8,100を超えた。
PDFダウンロードは240弱だけどね・・・。

で、今回はタイトル通りの記事だ。

ノミネート作品と演者 (あえてアーティストとは言わない。それもここが個人メディアだからだ) の顔ぶれは中々面白い!
自分が予想した人達もいたが、それを上回る面白さ。

どのニュースも同じ内容だが(当たり前だけど・・・)、とりあえずメディアを列挙しておいた。
では、Good Night,ベイベー!である。

■オフィシャル

全国CDショップ店員組合

■各メディアの皆様

MUSICMAN-NET

Yahoo!ニュース

オリコン

ニコニコニュース

Listen Japan
「Server is too busy」 になっちゃってるね。アクセス殺到してるのかしら?

*タイトル写真は、Cultural Marketing Lab INOUE. デスク風景のひとこま(ホント)。
 筆記具は、人間工学でドイツ製、触感で日本製、機能性で米国製といったところ。

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