【ML251 (Marketing Lab 251)】文化マーケティング・トレンド分析

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「ビオトープ」 マスメディアではカバーしきれない小さいが濃ゆい“情報圏域”

2011年02月26日 | カルチュラル・キーワード備忘録
▼情報の流れの究極の3課題 (佐々木俊尚氏による定義)

(1) ある情報を求める人が、いったいどの場所に存在しているのか。
(2) そこにどうやって情報を放り込むのか。
(3) そして、その情報にどうやって感銘を受けてもらうのか。

佐々木俊尚氏は、近著 『キュレーションの時代』 で、「ビオトープ」という概念を提唱した。
「ビオトープ」とは、wiki の記述にあるように、元来、自然科学の用語。

ギリシャ語でビオ(bio)は生命、トープ(tope)は場所の意味で、この二つを合わせて「有機的に結びついた、いくつかの種の生物で構成された生物群の生息空間」と定義する。
 ⇒ 小さな生態系が維持されるための、最小単位。
 ⇒ 生き物たちがひっそりと生きる、森の中にぽっかりと開いた池や湿地帯のようなイメージ。

情報の需要が供給を上回っていた時代には、情報を欲する人達の圏域が、整然と切り分けられ、可視化されていた。
しかし、インターネットの出現・普及以降、マスメディア以外の「ビオトープ」は無数に広がった。
「圏域は小さいが、情報流通は濃密」というコミュニティの関係性は、インターネットとの親和性が高い。

音楽も国ごと、民族ごとに消費される時代は終わりを迎えつつある。
一つの国の中でも音楽の圏域は共有されないし、国ごとの垂直統合は解かれ、グローバルな音楽市場の中で再結合されていく。
もちろん、グローバルな「プラットフォーム」の存在は不可欠だ。
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うう~ん、流石、佐々木さんですね。“流れる石”のごとくです。

80年代に大手広告代理店の方々(といってもほぼ2社)が、「分衆」「個衆」と騒がれてましたが、当時は高度成長がバブルという爛熟を迎える前夜。
当然、マスメディアは健在どころか“この世の春”を謳歌していたのです。
マスメディアと情報、そして消費の構造が盤石だった頃。
まだ、広告代理店には“余裕”があったわけです。
つまり、「価値観は多様化した」 と得意げに言っても、コントロールは可能、と思われていた。

当時の「消費」に導く「情報」(=電通)、そして、「消費」を支える基盤作りの「仕事選び(ステップアップ幻想)」(=リクルート) について、懐古的に振り返られたのが、山本直人氏。
あくまで、「分析」ということに限れば鋭いんですが。



しかし、高度成長によって完成された経済社会構造が崩れ、マスメディアと大衆の関係性も脆弱になってきた現在は、文字通り「大衆」という概念を支える構造が崩れ、「分衆」「個衆」の連呼によってビジネスチャンスの拡大を試みた方々には、「シャレにならん・・・」事態が訪れたということなんでしょうね。
なんぜ、根本的に“本当”の「分衆」社会が、インターネット社会の出現によって実現しちゃった、わけですから。
「(嗜好の)多様化」が、文字通りの猛威をふるっている、ということでもあります。

大手広告代理店出身で、「夢をもう一度」的な心性が感じられる山本氏の、大きな危機感に駆られた問題意識に、大手新聞社をスピンアウトされた佐々木氏はとどめを刺してしまった、というのが僕流の解釈です。
お二人とも、少なくとも“時代の空気”だけは僕と共有した同世代人ということもあり、そう判断しちゃう僕です。
尤も、「マスメディア vs ソーシャルメディア」という二項対立で、ソーシャルメディアがマスメディアを喰う、という視点は僕は持ってませんけどね。
前にも書きましたが、ソーシャルメディアもその本質は「パーソナルメディア」だと僕は考えます。
だから、パワーダウンしたマスメディアと、勃興するソーシャルメディアの“棲み分け”という方向に進むと思います。

もちろん、僕は論客としての山本氏のファンですし、これからも著作は読ませていただくつもりです。
ただ、それはそれとして、山本氏の 「広告などの情報は消費社会の姿を鏡のように映し出す」 というご自論には納得するものの、この先どうなるのか? は明白かなと・・・考えます。
マスメディアはなくなりはしませんけど、バブル期のような勢いを吹き返すようなことは二度とないでしょう。

『キュレーションの時代』において 「ビオトープ」をターゲティングに活かすこと。
それは、泥臭いながらもとても面白い試みだと思うし、僕もプランニングに活用していきたいと思います。
求められるのは「狩猟者の本能的嗅覚」(佐々木氏)です。

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芥川賞受賞2作 「きことわ」(朝吹真理子)、 「苦役列車」 (西村賢太) 【評論を楽しむ】

2011年02月16日 | 書評
『文藝春秋』を買って、標記2作品を読みました。
まだ一度ずつしか読んでませんが。

■ “美女” の受賞作の読後感

「きことわ」は、“文学界のサラブレッド”一家から輩出した26歳女性新人作家、朝吹真理子の作品。
数名の評者の方々がコメントされているように(後述)、プルーストを連想させてっくれます。
(僕は『失われた時を求めて』の第二巻 『花咲く乙女たちのかげに』を、学生時代、一般教養で読んだだけですが・・・)
視覚、嗅覚、味覚、聴覚、そして触覚。
ここまでリアルに五感を駆使した作品は珍しいんでしょうね。
「五感」という縦軸に、今度は「時間」という横軸がクロスしますので、読んでいると、トリップする感覚を自覚することなく、トリップすることが出来ます。
尤も、ビジネス書籍に慣れてしまうと、長いワン・センテンスの流暢な文体には慣れないかもしれません。
僕も古井由吉のような文体から離れて久しいので、読み始めだけは戸惑いました。

■ “野獣” の受賞作の読後感

一方、対照的な経歴を持つ西村賢太の 『苦役列車』。
ご尊父が性犯罪の犯人として逮捕され、住居を転々とせざるを得ない少年時代を過ごし、中学卒業後、日雇い労働で生活してきた著者にしか書けない作品であることは言うまでもないんですが、文体そのものが大きな存在感を持って迫ってきました。
「きことわ」とは対照的に読みやすい、いや、これ以上、スタイルの確立しようもない文体と作品世界が、読んでる僕のなかにズカズカと土足で侵入してくる、という感じでしょうか。
生活の悲惨さや主人公の駄目さ加減より、もちろん僕自身も身に覚えのある “ズルさ” をスパイスのように効かせてあるのが秀逸かな、と思いました。

先日、土曜日の夜(?)の情報番組で、「風俗にでも行こうか、と思ってたら受賞の知らせが来た」 との西村賢太のコメントを、ビートたけしは 「イイネ」 と言ってましたが、僕も 「イイネ」と思いました。
作風は違いますが、70年代の故 中上健次のような存在が出てきたのかと思ったり(笑)。

ただ、マスコミでは西村の家庭環境、労働環境などがクローズアップされてましたが、私小説への情熱と行動力は凄まじいものがあります。
決して「フリーター」 が小説書いたら成功した、なんてレベルじゃありません。
そのあたりの経緯は、本誌のインタビューを読めばわかります。

■ 批評までを含めた文学の楽しみ方

ところで、これは僕の文学享受のスタイルなんで、特にお薦めしませんが、やはり評者の方々の「批評」を楽しむのが好きです。
「感動しました!」「思わず涙がでてきました・・・」なんていうコメントだけで表現したり、twitterの140文字以内で感想を書くのも、それはそれでいいんですが。

ただ、音楽の世界で、「雑誌」がまるごと広告媒体と化し、「批評」が衰退、「“うんちく”なんていらん!」 という風潮が、音楽文化の衰退を招き、“ザ・芸能界”的チャートの世界にまみれながら、音楽が手軽(?)な“消費財”となってしまったことを鑑みるに、やはり、「作品」と作家だけでなく「批評」を含めた総体を「文学」と考えたいな、と切に思ったりしてます。

例えば大学卒業後、僕が夏目漱石にのめり込んだきっかけは、たまたま読んだ 『畏怖する人間』(柄谷行人)という批評集に収められた 「意識と自然―漱石試論(1)」 という斬新な漱石論に魅せられたからです。
学部(立教大学 文学部 日本文学科)在籍時の僕は、“漱石の権威”のお一人で、僕の卒論担当教授 (卒業させていただいた恩人) だった故 小田切進先生に、『漾虚集』 の表紙を見せられ、
「なんと読むかわかるかね?」 と問われ、
「わ~~かりません・・・(レレレノレ~」 と答えたダメダメ学生でした (正解は「ようきょしゅう」です)。

マーケティングの世界でも、定性調査、広告系プランナーなどの職種では、文学の素養は必須条件ですよね。
少なくとも、僕が出会ってきた人達は皆、そうでした。

以下、『文藝春秋』2011年3月号の各評者のコメントで僕が面白いと思ったセンテンスをピックアップしてみました。

■「きことわ」 (朝吹真理子) について

(1) 「テーマを乱暴に表せば、『失われた時間は取り戻せないが、それはそれで美しいし、現在とつながっている』」 (村上龍)

(2) 「彼女の文章表現は五官の全てによく連動している」 (島田雅彦)

(3) 「長文と短文の組み合わせが音楽的効果をもたらして心地よい」 (高樹のぶ子)

(4) 「プルースト」を連想 (島田雅彦、石原慎太郎)

(5) 「小説を書くということは、茫漠としたかたまりに、それしかない言葉を与え続けて埋め尽くすことなんだなー。と久々に思い出したような気がする」 (山田詠美)

(6) 「緻密に計算されているかに見える場面の重ね合わせの根本にあるのは、論理的思考であるというより、むしろ精神の生理的連動の結果であるのかもしれないと思わせるところがある」 (黒井千次)
*強調部分は引用者

このなかでも、特に、黒井千次の (6) のコメントが鋭いよね、と思いました。
「精神の生理的連動」による、まるでカード遊びをするかのような、絵画的な場面の展開。
こういうのって、女流文学者ゆえの資質なんでしょうか?
おそらく朝吹本人にとっては、ナチュラルに身に付けた無意識的なテクニックなので、黒井に指摘されても、「ううん? そうなのかな?」と思われたりしてるんじゃないかな? と想像したりします。

■「苦役列車」 (西村賢太) について

(1) 「(テーマは)人生は不合理で不公正で不条理だが、それでも人は生きていかなければならない」 (村上龍)

(2) 「古い器を磨き、そこに悪酔いする酒を注いだような作品」 (島田雅彦)

(3) 「社会や政治を呪うことさえできず、何事も身近な他人のせいにするその駄目っぷりが、随所に自己戯画化が施してあり、笑える。一応、『私』を客観的にプロデュースし、最低人たる自分を社会の片隅に置いてもらうための交渉をしているわけだ」 (島田雅彦)

(4) 「これほどまでに呪詛的な愚行のエネルギーを溜めた人間であれば、自傷か他傷か、神か悪魔の発見か、何か起きそうなものだと期待したけれど、卑しさと浅ましさがひたすら連続するだけで、物足りなかった」 (高樹のぶ子)

(5) 「すでに見つけた自分の『型』をどう磨いてゆくのか、壊していくのか期待」 (川上弘美)

(6) 「超底辺の若者風俗といえばそれきりだが、それにまみれきった人間の存在は奇妙な光を感じさせる」 (石原慎太郎)

(7) 「この豊饒な甘えた時代にあって、彼の反逆的な一種のピカレスクは極めて新鮮である」 (石原慎太郎)

(8) 「この愛すべきろくでなしの苦役が芥川賞につながったかと思うと愉快でたまらない。私小説が、実は最高に巧妙に仕組まれたただならぬフィクションであると説明したような作品だ」 (山田詠美)

(9) 「一つ一つの行為にどこかで微妙なブレーキがかけられ、それが破滅へと進む身体をおしとどめるところにリアリティが隠されているように思われてならない」 (黒井千次)

石原慎太郎が、この作品(と西村)を高く評価するのは理解できますね。
善悪なぞ超越した、生きる逞しさに満ち満ちた作品ですから。

山田は、朝吹真理子の「きことわ」と西村賢太のこの作品の両方に「○をつけた」そうです。
山田詠美の『ベッドタイムアイズ』(文藝賞受賞作)や『ソウルミュージック・ラバーズ・オンリー』(直木賞受賞作)は、リアルタイムで単行本を買って読んだもんです。
彼女の感性なら、両作品に親近感を持つのはわかるような。

島田雅彦は、西村とは全く違ったバックグラウンド(東京外語大出身)を持ちながらも、文学的想像力で西村の作品を定義づけています。

対して高樹のぶ子は、ダイナミックな事件も起きないことに物足りなさを感じている。
もちろん、評者も皆、作家のわけで独自の文学論・作品論を持っているわけで、高樹の感じる“物足りなさ”も理解はできます。
しかし、数年前、秋葉原で起きた “事実は小説より奇なり” としか言いようのない「事件」は、極めてレアなケースでしょう。
現実、つまり文学で言うところの“リアリティ”はそんなもんじゃない。
そう簡単に“救い”や“破滅”が現れるようなもんじゃない。
そういう小説なら、「感動しました!」「思わず涙が・・・」という類の小説に任せておけばいいわけで。。。
“救われない”ときって、時間は平板に流れていくのです、残酷に。。。

そのあたりを言い当てたのが、やはり黒井千次の (9) のコメントです。
以下、再掲します。

「一つ一つの行為にどこかで微妙なブレーキがかけられ、それが破滅へと進む身体をおしとどめるところにリアリティが隠されているように思われてならない」

“微妙なブレーキ”っていうのが、僕が感じた 「僕自身も身に覚えのある “ズルさ”」でもあります。

それにしても、今回の芥川賞、こうも対照的な作品が選ばれるとは面白かったなと(笑)。

あと、村上龍なんですが、明瞭簡潔な「テーマ」のご説明、さすが、ビジネスマンですね (笑-皮肉じゃないですよ・・・)。

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