【ML251 (Marketing Lab 251)】文化マーケティング・トレンド分析

トレンド分析ML251の文化マーケティング関連Blogです。ML251の主業務はトレンド分析をコアにしたデスクリサーチ。

第二回 CDショップ大賞

2010年01月30日 | マーケティング話
1月21日のことなので既に10日近く経過してしまいましたが、
第二回 CDショップ大賞が発表されました。

▼受賞作品一覧

■大賞
『THIS IS MY STORY』 THE BAWDIES

■準大賞
『PHILOSOPHY』 清竜人
『Box Emotions』 Superfly

■入賞(50音順)
『ふりぃ』 阿部真央
『シンシロ』 サカナクション
『三文ゴシップ』 椎名林檎
『あいのわ』 ハナレグミ
『FACT』 FACT
『シャンブル』 ユニコーン
『アルトコロニーの定理』 RADWIMPS

洋楽賞
□大賞
『The Fame』 LADY GAGA

□準大賞(アルファベット順)
『bible belt』 DIANE BIRCH
『THE PAINS OF BEING PURE AT HEART』 THE PAINS OF BEING PURE AT HEART

◆地方賞

北海道ブロック賞
『paratroop』 sleepy.ab

東北ブロック賞
『Rain The Rainbow』 THE YOUTH

甲信ブロック賞
東海ブロック賞
『フォグランプ』 OGRE YOU ASSHOLE

関東ブロック賞
『ハローとグッバイ』 harmonic hammock

関西ブロック賞
『野口、久津川で爆死』 モーモールルギャバン

九州ブロック賞
『強がり虫*寝グセ』 CHEESE CAKE

世の中には「日本ゴールドディスク大賞」など色々な“大賞”がありますが、
今年で2回目の「CDショップ大賞」は、“売れた結果”ではありません。
アルバイトも含めたリアルショップの販売員の皆さんが、

「このアーティストのこのアルバムを売りたい!」

という投票の結果、ということです。

「この国には、過小評価されている音楽が多すぎる。」全日本CDショップ店員組合サイトより)

90年代に全盛だったユーザーにすり寄りすぎた“マーケティング”が見透かされ、飽きられて、
デジタル化の波に呑まれ、コンテンツ、いや作品としての“価値”をいつの間にか劣化させてしまい、
マーケットスケールは縮む一方
街中のショップの閉店も恐るべし速度。

“座して死を待つ”わけにはいきません。

そこで求められる販売現場で出来ること。
それは、ショップの面白さ、という極めてシンプルな価値に行きつくのかな、と考えます。

先日も音楽業界歴の長いある方と、
「こんなご時世だからこそアナログじゃないの?」
「便利さより不便さ」
という話になりました。余談ですが。

所謂“ヒットもの(売れ筋)”商品は、ショップの収益のためには不可欠です。
しかし、メーカーが作ってメディアで宣伝したCDを、
ユーザーが“受け取る”だけの場なら、
ショップの役割は低下していく一方でしょう。
しかも、“ヒットもの”自体の売上も減少、
全体としてのマーケットはシュリンク。

経営の効率化も大切でしょうけど、
その効率化のために、ショップの魅力が損なわれ、
優秀なスタッフから辞めていった。
そんな歴史を見てきたら、結果がこんな状態。
経営効率化とマーケット・シュリンクの“負のスパイラル”。

“ヒットもの”にしか興味がないユーザーや、業界人の中には、
(ちなみに私は“ヒットもの”も買いますよ)
“ショップの自己満足”、としか見られない人もおられますが、
(実際、そう言っている“芸能ゴロ”もおられますが、ここではシカトします・・・)
売っている自分達でさえ満足できなくなった状況こそ問題だと考えます。
さらに言えば、趣味・嗜好性の高い商材にも関わらず、
知識・造詣・愛情のある人財が減っているのも危機的。
そんな魅力のないショップから人の足は遠のくばかりです。

ショップの商品は“ヒットもの”だけではありません。
売場面積と在庫管理の制約の中でアピールしなければ消え去ってしまう、
珠玉の作品は埋まっています。
それらの珠玉の作品を目利きしてレコメンドするのは人間。
アマゾンのレコメンドシステムのようなアルゴリズムにはできないことです。

ちょっと力んだ言い方になりましたけど、
要は、ショップから足が遠のいたユーザーが、
時間つぶしとか「サボり」とかでもいいんで、
本屋で立ち読みするような感覚で入ってみたい、
そんなショップであってほしいなと。

コンテンツ=モノを創るメーカーが弱体化し、
コンテンツを創るお金は減っていくばかり。
そんな中、小売現場からの“切り込み”を応援していきたいですね。

受賞作品を見ると、販売の結果であるゴールドディスク大賞や、
オリコンさんの年間チャートと大きく異なるのは当然です。
第一回の大賞は、相対性理論の「シフォン主義」。



実際、昨年の大賞受賞後、バックオーダーが相次いだそうです。
他の販売結果のチャートや賞が発表されたところで、
「買う層が既に買ってしまった」後。
ゼロとは言いませんけど、権威づけされたからといって需要は活性化しません。
しかし、CDショップ大賞の場合、需要喚起という効果があるのも特徴です。

第二回目の今回の大賞は、THE BAWDIES「THIS IS MY STORY」



ポール・ウェラーお墨付きだけあって、骨太のヴォーカル(身体的素養)と王道ロックサウンドです。
リヴァーブのかかっていないギターのブラッシングから始まるM1.を聴いて予想できましたが、
若いのにルーツミュージックを貪欲に吸収されてるのがわかります。

そこそこいいと感じるバンドは多いんですけど、
彼らのように5年後、10年後も楽しみなバンドは少ないです。
ブランディングというのは、実は長い時間と沢山のお金が必要なんです。
(1年とか2年でどうのこうのなるもんじゃありません)
とにかく、まず認知度を高めてほしい。
そして“消費”されることなく、息長く活動していって欲しいです。

自分の好みでは、入賞作品の「FACT」(FACT)のほうがドンピシャだったんですけど、
それは今現在の自分の感性。
先々の楽しみ=可能性ということでは、
「THE BAWDIES」のほうが順当だったのでは? と私は感じてます。
-------------------------------------------------------------------------
番外編です。
先週の土曜日(1/23)の昼下がり、
下北沢の「ヴィレッジ・ヴァンガード」で衝動買いしてしまいました(↓)。




スピーカーからガンガン鳴ってたんで思わず。
ヴィレヴァンは徹底したサブカルのお店で、CDショップとは違いますけど、
CDショップも、ちょっとしたサプライズ・刺激とかがあるようになってくれれば嬉しいです。
もちろん専門ショップならではの強みを発揮されて。

**************************************************************************
 お読み頂き有難うございます。
 (↓)クリックの程、宜しくお願い申し上げます。

消費構造の変遷と音楽消費(粗っぽい仮説) ④

2010年01月25日 | 消費構造の変遷と音楽消費-粗っぽい仮説
前回(第3回目)、ご紹介した小泉恭子氏の「音楽の三層構造」ですが、これは「モデル」です。

つまり、個人の音楽嗜好・履歴にあてはめることもできますし、
世の中の概念としての「音楽カテゴリー」(ジャンルではありません)として考えることも可能です。
但し、お読みの皆さんには、言わずもがなとは思いますが、三層間の流動性は高い。

例えば、個人の中の「コモン・ミュージック」にカテゴライズされるある曲が、
時間の経過と嗜好の変化から、いつの間にか「パーソナル・ミュージック」に、ということもあるでしょう。

『のだめ』ナンタラカンタラをTVや映画で観て、クラシックにはまった人の中には、
初めて触れたある曲が、(世間的な)「スタンダード・ミュージック」から、
(個人的な)「パーソナル・ミュージック」へ、なんてことがあったり。

自分が一番輝いてたあの頃のあの曲が、
Aさんにとってはかけがえのない「パーソナル・ミュージック」、
でも同年代のBさんにとっては懐かしさを感じつつも、
単なる「コモン・ミュージック」でしかない、なんてことはよくあるでしょう。

購買行動と絡めて単純化すれば、
「嵐」のパッケージ商品をバカスカ買う人にとって「嵐」は「パソナル・ミュージック」。
でも、モバイルの無料で十分、という人にとっては「コモン・ミュージック」。
買うにしてもレンタルしても、せいぜいシングルといったところ。

----------------------------------------------------------------------------

業界の内外を問わず、「CDが売れねぇ」 なんて言われ続けて10年以上。
11年連続の前年割れで、2009年の生産額は16%減。
2桁減なんてまるで百貨店業界。
百貨店の場合、業態自体のアイデンティティの問題が根底にあるわけですけど。
(気が向いて、時間もあったら、いずれ百貨店のことも触れるかもしれません)

昨年末、今月に閉店してしまったHMV新宿サウス店の寂しい店内を歩いていて連想したのも、百貨店業界のことでした。
私も以前、当時のグループ会社のCDショップ閉店処理の仕事したことありましたが、
そりゃ寂しく、虚しいもんでした。
でも、昨年末のサウス店を歩きながら思ったことは、もっと深刻。
「こういう価格のこういう商品のビジネスモデルって・・・」。
「そもそも、“バリュー・ライン”がねぇ・・・」

「若い人達の消費が携帯に」という言い訳が耳にタコができるほど。
「違法ダウンロードが云々・・・」もね。

その辺の詳しい話はきりがないのでこの場では、なんですが、
「音楽の三層構造」モデルで考えると、まず「コモン・ミュージック」でしょうね。

「音楽はコミュニケーション・ツール」
やはり数年前からよく言われてることです。

第1回、第2回でも書きましたが、
若者(便宜的に10代、20代を一緒くたにしてます)は、
多層的な仲間うちの「同調型コミュニケーション」で大忙し、
お金の使い方も、ネットワークのインフラ維持で精一杯(しかも貯金もする)。

『情報病』の著者の一人(若いほう)、
原田曜平氏執筆の『近頃の若者はなぜダメなのか』が先日、刊行されましたが、
原田氏は、“ケータイネイティブ”達のネットワークを「新村社会」と呼んでいます。



(注)まえがきを読んで頂ければわかりますが、
原田氏は決して「若者がダメ」とは言ってませんし、むしろ逆です。
このタイトルは、光文社さんの見え透いたマーケティング戦術でしょう。

「CDはマスター」。
これもよく聞く話です。
マスター1枚あれば、コピーして友人にシェアできるし、それでOK。
(しかも、“マスター”は購入商品とは限らない・・・)

私もここで安易で思考停止的な 「若者批判」 なんてする気はありません。

そもそも、ヒットを追い求めるあまり、
「コモン・ミュージック」の世界を肥大化させてきたのは、
供給サイドである音楽業界なのです。

80年代のデジタル化=CDフォーマットの普及によって、マーケットを拡大させ、
90年代、ドラマとのタイアップ戦略で“CDバブル”。
「今のトレンドはこうなっていて、これがあなたの聴きたい曲です」。
そういう“上から目線”の“マーケティング”が効いていた。

そして、カラオケ。最強のコミュニケーション・ツールですよね。
90年代、ソニーのSDさんからオファーを受けてた友人のロックバンドは、
「これじゃ、カラオケで(素人が)歌えないね」とダメ出しされてました。
「素人がそう簡単に真似できないことを歌ったり演奏するのがプロなんじゃないかぃ?」
と私は内心思ったもんです。

時代の空気を読むのは大いに結構なんですが、
将来の“グランドデザイン”もなしに、僅かな若者のお財布を巡って、
戦略なき戦術で(当人たちは「戦略」と思ってるんでしょうけど)、目先の利益を求める。
(ビジネスマンとしては、事情はわかりますけどね・・・)
そもそも、80年代の“デジタル化”の進化形態こそ今の状況なんです。
しかし、その“恩恵”のほうが大き過ぎたんですね。
そして、時代と時代の主役たる生活者の消費構造が変化しても、
過去の“成功体験”から脱することができない。
“マーケティングのパラドクス”でしょう。
結果、音楽マーケットは80年代後半のスケールに。。。

“消費財”としての音楽商品(ひいてはアーティストやミュージシャン)。
しかも、マス向けなので、会社の規模も内容もそれなりに拡大。
CD不況になって、ダウンサイジングに迫られれば、リストラの嵐。
メーカもディーラーも優秀な人達からいなくなっていった。
(今は、そんなの関係なくのようですが・・・)

かつて音楽(商品)は、嗜好品と言われてました。
嗜好性という根本を考えれば、
「パーソナル・ミュージック」って重要ですよね。
まだ詳細に検証したわけじゃないんですが、
時間の経過の中で(いつの間にか)、「スタンダード・ミュージック」の地位を得る曲って、
ある時期(時代)、「コモン・ミュージック」であったにせよ、
やっぱ、多くの人達にとって「パーソナル・ミュージック」であったんじゃないでしょうかね。

粗っぽく言うと、どうせダウンサイジングした業界ならば、
「コモン・ミュージック」に当たる曲、“市場価値”が見極めらない新人は、
デジタル配信(モバイル配信)で流して (でないと違法DLは減りません)、
一方で、今までないがしろにしてきた“音楽ファン”に向けた、
高付加価値商品の開発にも注力していくべきじゃないんでしょうか?

すでに若者に限らず、世間のユーザーから“なめれている”んです。
(ヘビーユーザー、ライトユーザー問わずね)
いや、既になめられるを通り越して、見捨てられたかな?

少子高齢化で、若年層の人口構成比が低下。
今まで無視してきた 「スペンディング・カーブ」 にも売らにゃならん、
ということで、とりあえず 「もう一度、妻を口説こう。」 なんてコピーのコンピでね、
「売れた! 売れた!」なんてはしゃがれてもね、大勢は変わらんわけですよ。

(注)「スペンディング・カーブ」
 結婚してローンと教育費で趣味・嗜好品の支出が減少するかつての「標準世帯」。
 昔、私を救って頂いた㈱ガウス生活心理研究所の故 油谷遵先生が使われていた用語。

2000年代中頃からの「韓流ブーム」。
昨年のビートルズのボックスのバカ売れ。

これらは、業界がターゲットから外してきた人々が主役の現象です。

「俺らには、懐メロのコンピやリマスターあてがっときゃいいんかい!?」
「俺らが唸るような、スンゲェ アーティストや曲を出してみんかい」

一音楽ユーザーとしてのオッサンはこう思いますが。。。
余計なおせっかいかもね(笑)。
自分には、大切な「パーソナル・ミュージック」のカタログは揃っちゃってるからね。
別に困らんよ。

でもね、新しい“刺激”を求めてるのも事実なんです。
世の中も面白くなりますしね。

若年層だってね、昔の自分の調査結果でもそうでしたけど、
10代後半から20代前半って、CD購入意向は高いんですよ。
これってある程度普遍性があることなんです。
「意向」は「意向」でしかないですけどね。

また、第2回のときに触れましたけど、
90年以降に生まれた人=新成人たちは、
その上の世代(現在の20代後半)より音楽関与度は高い。

肝心なのは、“バリュー・ライン”でしょうね。
「意向」を「行動」に結び付けるための。
「なぜ安いのか?」「なぜ高いのか?」の説得力のある理由づけも忘れずに。

長くなりましたが、次回はもっと大きな「時間の流れ」で、
トレンドというものを考えてみたいと思います。
音楽だけの話でなく、マクロ的に。
(「今年はこれが流行る!」とか、そういう話ではありません)

勿論、別の記事を入れたりするんで、いつになるかは・・・?です。

**************************************************************************
 お読み頂き有難うございます。
 (↓)クリックの程、宜しくお願い申し上げます。

消費構造の変遷と音楽消費(粗っぽい仮説) ③

2010年01月16日 | 消費構造の変遷と音楽消費-粗っぽい仮説
第3回目です。

前回、冒頭で自分の成人式のとき不貞寝してたと書きましたが、
ちょうどこんな状態。。。
(リアルタイムで聴いてた「BAD NEWS」。俳優として風格でてきた凌さん、この頃の切れ味 Great♪)

で、第1回目2回目では、若年層の消費をテーマにした書籍の概要をかいつまんできました。

今回は本題である「音楽消費」について書きます。

小泉恭子氏の『音楽をまとう若者』という書籍を取り上げます。



東京藝術大学大学院音楽研究科修士課程を修了された著者は、
兵庫教育大学助手、愛教育大学助教授を経られて後、
2003年、ロンドン大学教育研究所博士号(Ph D.)を取得。
本書刊行時(2007年)は、愛知教育大学助教授、という肩書です。

*そういえば4年前に読んだ『メディア時代の広告と音楽』でも共著で書かれておりました。



本書は、小泉氏のロンドン大学での博士論文を基にされているようです(「あとがき」より)。
よって、とても読み応えのある学際的な内容です。
本書の目的は、「質的研究の手法により高校生のポピュラー音楽実践を実地調査することで、学校内外の音楽文化を比較し、アイデンティティ構築とポピュラー音楽の関わりについても解明」すること(「はじめに」より)。
先行研究もわかりやすく整理されておられますし。
とりわけプルデューの、文化的能力の獲得様式「相続資本」「獲得資本」などは、
明確な分析軸を提供してくれます。

*「相続資本」:家庭で親などから受け継いだ文化資本
*「獲得資本」:学校やメディアから得られた文化資本

そして何よりも小泉氏がカテゴライズされた「音楽の三層構造」は秀逸です。



私なりにこんな形(↑)でイメージ化してみました。

◆ パーソナル・ミュージック

 ・生徒が日常生活で個人的に好んでいる音楽
 ・アイデンティティに密接に関わるため、公に曝すことは慎重になりがち
 ・私的な性格
 ・教室などフォーマルな空間でぶつけ合うと会話が成立しない
 ・「みんなの歌」にはなりにくい
 ・“皮膚”に近い感覚
 ・インフォーマルな空間

教室のようなフォーマルな空間では、「パーソナル・ミュージック」を曝け出せない。
しかし、グループに共通した音楽をまず確認しなければ、自分の立ち位置は確定できない。
つまり、個人の音楽嗜好の位置を測る目安となる“グループ共通の音楽”が必要になる。
それが「コモン・ミュージック」(↓)。

◆ コモン・ミュージック

 ・同世代に共通する音楽で、生徒同士が話す場面で共有される
 ・公的な性格
 ・カラオケなどで友人同士で盛り上がるレパートリーなど
 ・CD売上ランクよりも、通信カラオケランクのほうが参考になる
 ・「みんなの歌」にしかなり得ない
 ・“私服”に近い感覚
 ・セミフォーマルな空間

◆ スタンダード・ミュージック

 ・教師や親世代と会話する場合の音楽
 ・異世代とも共通する音楽
 ・大人世代の承認という正統化の過程を通して初めてフォーマル空間に入る
 ・一時の流行を超えて長く歌い継がれた「コモン・ミュージック」がスタンダード化
 ・特定の文脈を脱して、テクストとしての自律性が高い
 ・「時を超えた名曲」
 ・“制服”に近い感覚
 ・フォーマルな空間

「そもそも、ジャンルとはレコード産業のような作り手側が主導して決めた区分で、聴き手の実態に寄り沿った区分ではない。高校生からみればジャンルは大人が決めた論理で、自分たちの音楽実践の実態から離れているのだ。生徒にとっては決められたジャンルにしたがうよりも、音楽の語り口をとおして仲間内での自分の立ち位置を守り刷新していくことのほうが、はるかに重大事なのである。」(56ページより)

この知見はとても重要でしょう。

小泉氏のフィールドワークの結果によると、
男子は「議論」という「前線」にたって「パーソナル・ミュージック」を語り、
女子は「前線」を避けて、秘密裏の作戦で「パーソナル・ミュージック」を隠すとのこと。
グループアイデンティティ構築の力学に則ると、
女子は「パーソナル・ミュージック」を胸の内に秘め、
仲間と「コモン・ミュージック」を共有して連帯感を演出する傾向が強い。
こういう男女差は面白いですよね。

同世代共通の「コモン・ミュージック」や、
異世代共通の「スタンダード・ミュージック」を、
「円滑な」コミュニケーションの道具として使い、
「パーソナル・ミュージック」を隠すためにまとう二重三重の「鎧」とする。
こういった他者との関係性の探り方のありかたが「音楽の三層構造」。
「目に見えにくい腹の探り合いを続ける女子高校生の作戦」などは、
こういった「三層構造」の視点で見ればよく理解できることでしょう。

実際、小泉氏の高校生へのインタビューでも、
フォーマルな空間やセミフォーマルな空間で、
“嫌いなアーティスト名を挙げてパーソナル・ミュージックを隠す”
といった“作戦”を見出すことができます。

また小泉氏は、様々な位相の高校生のバンドメンバーへのアプローチから、
個人の「パーソナル・ミュージック」とバンドの「コモン・ミュージック」の葛藤を、
ダイナミックに抉ったりもしています。
このあたりは、高校生に限らず、バンドというものをやったことのある人には、身にしみていることだと思いますよ。

10代後半の時期、音楽への関与が最も高いことの裏付けの一つでは?
と考えられる知見も書かれてます。

「成人に比べて音楽にのめりこんだ年数が浅い高校生は、さまざまな年齢のリスナーが集う場でそれぞれの世代のコモン・ミュージックを瞬時に理解し、パーソナル・ミュージックを語ることで立ち位置を確保して自分を差異化できるほど経験を積んでいない。異世代リスナーと集う際には、スタンダードの知識も当然要求される。リスナーとしてひとり立ちするには、高校生ではまだ若すぎるのだ」(159~160ページより)

「そう言われると、確かに・・・」という実感は私にもあります。
当時ならではの音楽への強い吸収欲と言いますか。

「音楽の聴取とは極めて個人的なもので、コモン・ミュージックの形で他者と共有するものではない。そもそも他者から評価を受け、干渉される性質のものでもない。それゆえに、聴取者は私的な場でのホンネの音楽嗜好と、公の場でのタテマエの「好きな音楽」の間にはっきりと線引きしようとするのだ」(155ページより)

小泉氏は、高校生へのフィールドワークを通して、
「他者から干渉されない自分の精神世界を築き上げたいが他者ともつながっていたいという、アンビバレントな心境」(161ページ)を見出します。

このような鋭い知見は、調査対象の高校生に限定されることなく、
我々の音楽との関わりを探る上で有用だと考えます。

そして、何よりも「音楽の三層構造」モデルですね。

長くなりましたし、疲れたので今回はここまでです。

gooブログって、文字入力に物凄いストレスを感じるんですよ。
通常の1.5倍ぐらいの時間がかかります。
せめて、mixi並みに使いやすければいいんですけどね。。。
他のブログサービスにスイッチしないのは、面倒だから。
こういうのを僕らの専門用語では“みせかけのロイヤリティ”と言います(苦笑)。
「面倒臭い」というのは“スイッチング・バリア”。

次回は「音楽の三層構造」モデルと若年層の消費実態・意識(U&A)を絡めます。
粗っぽいですが大胆に(笑)。
第4回目アップまでの間、別の記事を入れたりもしますが。
因みに私のブログは動画リンクをはじめ、これでもか!という位の「パーソナル・ミュージック」大放出です(笑)。

**************************************************************************
 お読み頂き有難うございます。
 (↓)クリックの程、宜しくお願い申し上げます。

消費構造の変遷と音楽消費(粗っぽい仮説) ②

2010年01月11日 | 消費構造の変遷と音楽消費-粗っぽい仮説
今日は成人式。
お読みの皆様には、本日、晴れの成人式を迎えられた平成生まれの方、
おそらくおられないかと思いますが、もしおられたらまずいんで、
とりあえず、「新成人の皆さん! おめでとうございます!」

私は自分の成人式には出席しておりません。
昼から不貞寝してた記憶があります。
我ながらしょうーもない奴です (今もそんなに変わりませんけど)。。。
出席した友人の話では、会場の大宮市民会館に現れたゲストはあいざき進也さん。
アンコールを求める拍手はなかったようですが、
「それではアンコールにお応えいたしまして」
というアナウンスの後、見事アンコールで歌われたそうです。
(伝聞、しかも記憶が曖昧なんで事実かどうかわかりませんが)

************************************************************

前回の続きはこの本(↓)からです。



著者の山岡拓氏、2009年10月にご逝去されたそうです。
(本書の刊行は2009年12月)
優秀な山岡氏のご逝去は残念なことです。
ご冥福お祈りいたします。

少し長いですけど、自分のメモを列挙しておきます。

◆記号としてのモノが欲望を喚起するような消費社会はBRIC'Sへ

◆国内・・・家族などの共感・共振型消費へ=「成長・成熟の帰結」

◆車・・・大きく低下しているのは車の必要性ではなく、
     消費財としての魅力=差異的記号としての車の役割
      (最後は00年代の「プリウス」)

◆違いを読み解くキーワード
  ①親の世代、②サブカル、③上昇志向、④物語、⑤情報化
  *サブカルもメインカルチャーが健在でなければね・・・

◆最も高度なレベルの消費者=「モノを買うこと」の意味を見失う
  ⇒ 超「消費社会」の到来

◆20代男性の甘党比率40%(「大人の菓子消費動向調査」07年より)

◆満足の源泉=流れる時間や気分、誰かとのつながり(体験&共感)
  モノは「主」ではなく「従」=「満足の素材」

◆近代の産業社会の大きな原動力としての「恋愛」
  ⇒ 「面倒、わずらわしい」(20代後半独身)
  ⇒ パッケージ化されたイベント消費とデートを切り離す(「脱恋愛消費」)

◆「男前オンナ」・・・機能と直線(「社会的性差調査」08年3月)
  ⇒ 28年周期で検証しよう

◆男性向け化粧品・・・基礎化粧品はともかく、メーキャップ商品普及は???

◆「平成新成人」(2009年に成人)
   若い頃から大人びた価値観。情報処理能力・商品選別能力高い(大人目線)

 <上の世代との相違点>
  ・百貨店ブランドに魅力を感じていない
  ・ネット・ゲーム・音楽への関与:「休日に音楽を聴く人」は29歳の倍

◆安定を求めながらも安定を信じていない

◆消費の効用から「かかわりが生み出す満足の総量」への測り直しが必要

◆あらゆるモノが一年中手に入る便利さよりも、昔ながらの季節感・伝統
 「伝統」といっても、「江戸」より「京」(王朝文化)

結構、人間的かな? とも思いますね。私的には。
何てこと言うと、「お前、マーケターとして・・・」とのたまう方もいるでしょうが。
(あと、前回の2書籍に記述が詳しい、いつも友人とメールで、なんてウザイのは嫌ですけど)

但し、「伝統回帰」とかは、経済・社会的な"前提""基礎""土台"があるからこそ。
少子高齢化の進行で、"前提""基礎""土台"が崩れたらですね、どうなるのか?

京風の王朝文化は、貴族文化。生産の担い手である農民たちの存在があってこそ。

著者も仰せですが、生産と消費の仕組みが大きく変わって、
「経済が成長しなくても、みんなが幸福に暮らせる」社会でも到来しない限り・・・。

終章で著者が強調されているのは、アジア向けのトレンドだけではなく、
やはり国内向けの対策(の方向性)。
東京への一極集中から、ブドウの房のような「クラスター型社会」。
ここまでくると政策の話ですが、興味深いグランドデザインだと考えます。


米国発の世界不況の中、先進国で最も大きなマイナス成長のわが国。

バブル崩壊以降、そして00年代、国内市場の縮小の中、輸出依存度を高め、国内市場、日本市場への深耕をせず、国内の顧客から逃げてきた ツケ なんだぜ!

と、いかにもマーケター的な痛快な視点から著されたのがこの書籍(↓)。



著者の松田久一氏は、JMR生活総合研究所の代表取締役社長。

豊富な一次データを駆使し(しかも有意差検定まで)、説得力の高い内容となっています。
「コーホート分析」の項は少々歯切れがよくはありませんが、
ディルタイ、マンハイム、オルテガの世代論を取り上げ、世代論の有効性も考察されている。
(三木清の名をこういった本で見るなんて嬉しい想定外)

また、「バンドワゴン消費」「みせびらかし消費」が、消費を抑制しているというロジックもお見事。

「関心と購入経験による商品カテゴリーの分類」(各世代別)のマトリクスは、
ほぼ同業の私には馴染みがありすぎです(笑)。

消費のキーワードは「コンパクト」「フロー」「フュージョン」。

一般的に、どの世代でも自分よりも若い世代のことは理解しがたいものでしょう。
物欲に振り回されてアクセクしていた同世代のマジョリティ達を斜に構えて見ていた私自身、
「新人類」にあたるらしい同世代と同一の価値観が組み込まれていることは否めません。
世代つーのは馬鹿にはできんもんです。

職業的、個人的に関わらず必要なのは想像力でしょうけど。
「嫌消費」世代が、"インフレを知らない子供たち"であるという事実。
「そりゃ、そうなるわな・・・」。

他には、宣伝会議さんの出された、
いかにも宣伝会議(そして伊藤忠FSさん)らしいこんな本(↓)。



読み物として面白いこんな本(↓)。
(私、"隠れ三浦ファン"です)



私らの世代必読かもN(?)。
息抜きにでも(↓)。



生活者・消費者視点ではありませんが、
ファストファッションを押さえとかないと、
ということでこんな本も(↓)。



次回は、音楽のお話を少々。

**************************************************************************
 お読み頂き有難うございます。
 (↓)クリックの程、宜しくお願い申し上げます。

消費構造の変遷と音楽消費(粗っぽい仮説) ①

2010年01月10日 | 消費構造の変遷と音楽消費-粗っぽい仮説
昨年末あたりから、書店のマーケティングコーナーを賑わせている「草食系」の本に凝っておりました。

まず、これ(↓)。



「リア充」ねぇ(笑)。
先日も電車の中で聞こえた若い人達の会話に出てきましたが。

三浦:リア充は全体の何割?
草男:八割、七割。
鉄子:立教だったらたぶん九割ぐらいです(笑)。

立教は今でも変わらないな、というのが実感。
僕の学生時代、「R」のスタジャン着てた人達ね。

海外旅行に行かないのは、一人でも「仲間はずれ」がでないような配慮から。
結構、驚きですね。もの凄い同調圧力。

「あとがき」で三浦氏がまとめています。

「現代の若者は、物を消費するのではなく、人間関係の消費に時間とお金を費やしている。(中略) いわば「空気」を消費しているのである。空気を消費しているのだから、消費が見えないのは当然であろう。」(236ページ)

時代観のキーワードは「同調型のコミュニケーション」。
それは「女性的」であるということ。
(191ページ)

あと「インフラ整備としての消費」かな。
本当は“趣味”のジャンルである音楽でさえ、定番=決まり事が多い。
こういうのは僕らの世代でもあったけど(ユーミンとか。世代内マイノリティの僕は違ったけど)、それは“隠れ肉食系”の“モテアイテム”という点で、“草食系”の「定番=決まり事」とは異なると考えます。

このあたりを、消費・マーケティング視点ではなく、社会学的に切り込んだのがこの本(↓)。



「おわりに」で著者の土井隆義氏は、Mr.Chirdrenの「名もなき詩」を引用されてます。

♪あるがままの心で生きようと願うから
 人はまた傷ついてゆく
 知らぬ間に築いていた自分らしさの檻の中で
 もがいているなら誰だってそう
 僕だってそうなんだ

“個性重視”なんていう実に倒錯した教育をですね、批判したところでなんにもならんでしょうね。

「私は生きづらさそのものから彼らが解放されるべきだとは、実は思っていない。生きづらさからの解放が、真のユートピアへの道になるとはとうてい思えないからである。生きづらさのない人生など、まさに現実らしからぬ現実だからである。」(226ページ)

「生きづらさの放棄は、人間であることの放棄でもある」(227ページ)

僕もそれしかない、と思います。

で、本題に戻ります。
と、思ったら時間切れです。。。
続きは後日。

**************************************************************************
 お読み頂き有難うございます。
 (↓)クリックの程、宜しくお願い申し上げます。

A HAPPY NEW YEAR

2010年01月01日 | 徒然
(↑)ということで、00年代から10年代となりました。
速いのか? 遅いのか?
速くもあり遅くもあるということでしょう。

ビジネスの話じゃないんですから、こういう「曖昧さ」こそ大切かなと。
我々は日本人なんですからね。

U2好きな人の中には、
新年は 「NEW YEARS DAY」、というステレオタイプな人(失礼)もいますが、
私は 「NEW YEARS DAY」 が入った3rd Album 「WAR」の中で一番好きなこの曲

(↓:YouTube)



(83年、米国USフェスのこの映像もええでよ)

ということで、
エブリィバデェ!
HAPPY NEW YEAR
 

**************************************************************************
 お読み頂き有難うございます。
 (↓)クリックの程、宜しくお願い申し上げます。