澤地久枝さんの講演が始まりました。
改めて紹介するまでもないと思いますが、澤地さんのプロフィールはこちらをクリックして下さい。
いつものように清楚な和服姿で、登壇です。
この間、目のほうも含め、数回手術されたようで、講演草稿が見えるかどうかと心配されていました。
主会場の大ホールは満席、第二会場の小ホールも満席、第三会場まで多くの方が。
この日は、タクシーを利用された方が多く、澤地さんのフアンというような方が目立ちました。
澤地さんは講演の冒頭で、「朝日・毎日・読売・奈良などの新聞社が、私の講演を後援して下さる
というようなことは今まであまりなく、非常に珍しいことで、奈良の「9条の会」のみなさんの熱意を感じる」と。
清楚な着物姿で登壇の澤地久枝さん 第一会場の大ホールはすでに満席
さて、話されるお声は、とても上品で美しく、艶めかしいとでも言うようなお声。
しかし、講演でお話される内容の中で、「私は怒っているのです・・」と何度もおっしゃり、
その時のお声は、凛として筋金の通った、良く透るお声でした。
とくに澤地さんがジャーナリストとして、あるいは作家として、他の誰も真似のできない偉業、
太平洋戦争・ミッドウエイ海戦での戦死者3500人を越える方々の、記録とその遺族の方々への取材は、
圧巻そのものです。澤地さんは、痛恨の念を込めて述懐されています。
「人は、なぜ戦争をするのだろう」と。
それら取材体験を通じて澤地さんは、先日亡くなられた小田実さんの言葉と生き様を詳しく紹介されながら、
「人は後悔のない人生を生き、ささやかな喜びの日々を感じたい。何事も一人から始まります。」と。
第二会場の小ホールも満席に 第三会場の研修室にもたくさんの方々が
また澤地さんはおっしゃっています。「つい60年ほど前に戦争があり、この会場に来られている方の、
ほとんどに戦争犠牲者あるいは、その悲惨な時代を乗り越えてこられたご家族がおられると」。
「その当時(戦時)を知りません、生きていませんでしたという方が多くなりましたが、
しかし、人は知らなければならないことがあります。そして学ばなければならないことが、
どうしてもあるのです」と、きっぱりとおっしゃっていました。
今の政治は、「わたしたちが考えている以上に、ギリギリのところにある」として、
ふたたび戦争への道に突き進んでいることに、警鐘を乱打されていました。
1930年生まれの澤地久枝さん。
時に可愛らしく、ときに〝大和なでしこ〟とはこの人を指すのではと思いつつ、
気骨を感じる講演でした。
講演終了後も、サイン会などで、多くの方々とお話しされていました。
その様子については、また後日に・・・