「詩客」短歌時評

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短歌時評155回 歌人を続ける、歌人をやめる 千葉 聡

2020-05-06 20:11:36 | 短歌時評
  コロナ騒動が始まる少し前、知り合いの大学生歌人がメールをくれた。彼女の詠む恋愛の歌は、なかなか面白い。仕事のあと、横浜駅の近くで会った。
「急にお時間いただいて、すみません。わたし、歌人をやめようと思って……」
 紅茶のカップの先にある真面目な顔。「短歌を始めたら知り合いが増えて、楽しいです」と笑っていた彼女とは別人のようだ。
「え!? どうしたの? 何かあったの?」
「何かあった、じゃないんです。その逆で、あまりに何もないからやめようと思って……」
 じっくり聞いたほうがいいかもしれない。俺は、クリーム山盛りのパンケーキを崩しながら話を聞いた。
 彼女は、大学の文芸サークルで短歌を詠み始めた。一つ上の先輩が歌人としてネットで活躍しており、影響を受けたという。一首詠むたびに、先輩が感想と励ましの言葉をくれた。それが嬉しくて、もっともっと詠むようになった。新聞歌壇に入選した。短歌総合誌の新人賞にも応募し、最終選考には至らなかったものの、何首かは誌面に載った。ネットで知り合った歌人たちから祝福の言葉が届いた。一度、ある短歌誌の評論のなかで歌を引用してもらった。
「わたしの書いた作品が、ちゃんと誰かに届いているんだ、と思って嬉しかったんです」
「よかった! だから続けようよ」
「でも……」
 気がつけば歌人の友だちがたくさんできた。でも、ネットでフォロワーをたくさん持っている同世代の歌人は、新人賞の最終選考に残っていたり、短歌総合誌から原稿依頼をもらったり、もっと華やかに活動している。いくら頑張っても、これ以上芽が出ない自分って、何だろう。彼女は疲れきってしまったようだ。
 ここで明るく「大丈夫だよ。短歌を続けよう。いつか必ず芽が出るから」と言うべきだろうか。パンケーキはすべて平らげた。俺は言った。
「俺もさ、歌人をやめようと思っていて」
「え!? 千葉さんも?」
 こっちが話を聞いてもらう番だ。俺は一見、歌人として活躍しているように見える。知り合いの歌人は「頑張ってるね。毎月、あちこちで見かけるよ」と言ってくれる。でも、それは総合誌にエッセイを連載しているからだ。短歌研究新人賞をいただいてから22年もたつのに、歌人活動は寂しい限り。
1 「短歌時評」を1度しか書いたことがない。(この原稿が2回目だ)
2 短歌研究新人賞を受賞してから、単著7冊、共編著5冊を出したが、その他の賞はもらっていない。候補にすらなっていない。
3 総合誌の座談会は1度経験したが、それっきり。対談やインタビューは未経験。
4 総合誌の作品評で拙作が取り上げられたのは3回だけ。短歌時評で拙作が取り上げられたのも3回だけ。22年間で3回というと、オリンピックよりも珍しい。短歌年鑑で話題にしてもらったこともない。
5 総合誌で4ページ以上の文章を書いたのも3回だけ。
6 もちろん総合誌で巻頭作品を書いたことはない。
7 新人賞を受賞してから20年たった時点で、「新鋭歌人」「これからの活躍が期待される」と言われた。
8 歌集の批評会でコメンテーターをつとめたのは2回だけ。司会はわりと多いけれど。
9 本の帯文、歌集の栞、歌集解説を書いたことはない。
10 「かばん」所属のメガネ男子というだけで、「穂村弘さんですよね」「山田航さんですよね」とよく間違えられる。
11 かといって、「ネットで人気がある」「若い人に人気がある」というわけでもない。ネットで拙作が取り上げられたことも数回だけ。大学短歌会の歌誌で名前を出していただいたのは1回だけ。歌人の会合で、有名な大学生歌人に挨拶をしたら「ちばさとしさん? 歌人の方ですか?」と真顔で言われたことがある。
 思いつくままに話したら、彼女は「かわいそうな人を見る人」の顔になった。
「でも、それはまだ千葉さんが若いから……」
「若くないもん。もう51歳だし。あの受賞多数の吉川宏志さんや、あの縦横無尽の大活躍の枡野浩一さんと同い年なんだよ。山田航くんが現代歌人協会賞をとったとき、受賞パーティーに行ったら『今日は若い方が来ています。おはなししてもらいましょう』と俺が指名されたあとで、『では次はベテランの吉川宏志さんからスピーチを』という流れだったし。ベテランの風格の大松達知くんも、松村正直くんも、笹公人くんも俺より年下なんだよ。黒瀬珂瀾くんなんて、俺より10歳も下なのに……。天才と言われるのは石川美南さんとか、小島なおさんとか、大森静佳さんだし。この前、20以上も年下の寺井龍哉くんに会ったら『僕は今、原稿依頼を10本かかえています』と言われた。俺なんて最高で6~7本なのに。ちなみに今は2本だけ」
 不思議だ。こんな俺に、彼女はどうして相談しようと思ったんだろう。
 歌人を続けることは苦しい。それは常に人と比べられるからだ。石川啄木も「友がみなわれよりえらく見ゆる日よ」とうたっている。
 短歌総合誌では、あきらかなヒエラルキーが見られる。30首ほどの、歌数の多い大連作は、ベテランや各賞受賞歌人が書く。10首より少し多いくらいの中連作は、中堅歌人が書く。7、8首の小連作は、新人さんが書く。手もとにある数誌を調べてみると、大連作は大きな字で掲載され、小連作は字も小さく行間も狭くなっている。
 みんなで仲良くカラオケをしていたはずなのに、特定の人だけ何曲も続けて歌っている。しかもそういう人の出番だけボリュームが上がり、エコーが効いている。
 三十代のころ、あるベテラン歌人に聞いてみた。「たくさん作品を発表していらっしゃいますね。歌を詠むのは大変じゃありませんか?」と。そのベテランさんは苦笑いした。
「千葉くん、仕方ないよ。短歌総合誌の1月号は一流歌人の作品集だから、あの雑誌にもこの雑誌にも同時に歌を出さないといけない。だから夏の終わりごろから、とにかく歌を詠みためておくんだ。毎年、大変だよ。秋から冬は、絶対に病気で倒れてはいけないんだ」
 そういえばベテラン歌人の歌集には、秋から初冬のころを詠んだ歌が目立つ。1月号用の作品だったのか!
 総合誌から原稿を依頼されると、もちろん嬉しい。でも、作品が載るたび、「あなたは歌人ピラミッドのここらへんにいるんですよ」と教えられる。同時に、他の歌人の位置づけも学習することになる。
 こんなヒエラルキーは、本当に必要だろうか。
 大連作のページにも、小連作のページにも、いろいろな人の名が並んでほしい。たとえば大連作として6人載せるなら、ベテラン2人、中堅2人、新人2人。こんなふうにならないだろうか。
 「短歌研究」5月号では、今までにない試みがなされた。表紙に「特別編成。一冊全部、短歌作品です」とうたう。巻頭特別作品三十首の馬場あき子を除き、279人の歌人は、みな新作を7首載せている。字の大きさも全員同じだ。今までは3月号で女性歌人特集、5月号で男性歌人特集を組んでいたが、今年から男女の区分けをなくし、一つにまとめた。そして掲載は年齢順ではない。足立敏彦にはじまり、渡辺松男に終わる、名前の五十音順になっている。ここまで徹底して、ヒエラルキーを感じさせない作りになっているとは!
 ただ一つだけ区別がある。このうちの70人ほどは小さなエッセイも書いている。だが、エッセイ執筆陣の中には、ベテランだけでなく四十代歌人の名もある。少しホッとする。正直にいうと、三十代以下の若手の名も、あってほしかったが……。
「文學界」や「文藝」などの文芸誌では、ベテラン作家だけが長編を発表する、なんていうことはない。新人であっても大長編を載せるし、ベテランが愛すべき短編を寄稿することもある。必要な掲載スペース(ページ数)は、作品の性質によって増減されるべきなのだ。
 俺に相談してくれた彼女は、おいしいパンケーキのおかげで少し元気を取り戻したようだった。
「千葉さんも、いろいろ大変なんですね」
「そりゃ、そうだよ」
「でも、年下の人や、歌歴が浅い人に追い抜かれても、なんで歌人を続けていられるんですか?」
「それはね……」
 そのときは、なんとなく恥ずかしくて、差しさわりのないことを言った。でも、ここでは、本音を吐露しよう。
 自分よりずっと年下の歌人がスター扱いされる様子を見ると、ちょっと辛い。「友がみな」とは、まさに俺の気持ちだ。でも、正直、そのスターたちの新作を、早く読みたい。彼らの発言をじっくり聞きたい。読者として心の底から楽しみたい。
 だから岡野大嗣や木下龍也の新作も、佐佐木定綱のインタビュー連載も、カン・ハンナの第一歌集も、小島なおや寺井龍哉が選者をつとめているNHK短歌も、どれも楽しむのだ。楽しみ続けたいから、応援するのだ。
 今後、自分が歌壇でどんなに冷遇されるようになっても、雑誌の原稿依頼が途絶えても、俺は仕事で疲れた心をかかえて書店に寄るだろう。短歌総合誌や文芸誌をめくり、何冊かを買うだろう。若いスターたちが名を連ね、自分の名など載っていない、その雑誌を。
 やはり短歌が好きだ。もっと読みたい。読み続けたい。そこには、自分の位置づけみたいなものなんて、関係ない。
 歌人になるのは楽しい。でも、歌人を続けるのは苦しい。
 横浜駅の自由通路の真ん中でお別れするとき、彼女は「歌人をやめるの、少し保留します」と言った。俺は「保留。いいねぇ。疲れるときもあるから、休み休みやっていこうよ」と言った。歌から離れ、また戻ってきた歌人も少なくない。
 歌から完全に離れることのほうが、もっと苦しいのだから。


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