千葉聡さんの第五歌集『海、悲歌、夏の雫など』(書肆侃侃房)は、新しい叢書「現代歌人シリーズ」の第一弾にふさわしく、充実したストロングな歌の数々に満ち満ちている。側道から一気に加速して高速道路に乗る車のように、前作の『今日の放課後、短歌部へ!』で「教員歌人」としての過剰な自意識を一挙に吹っ切った作者は、「夏の始まりから終わりまで」の半年で急ピッチで書き下ろした新作二〇八首を一冊にまとめ、満を持して世に問うこととなった。
バスケ部の副顧問として高校生とともに汗を流す日々。その中で雑誌の新連載に苦労し、早世した兄の想い出を語り、そして旧友から真摯な短歌の批評を受ける。千葉さんの軸足が日常詠に置かれていることは変わらないが、何かがぐっと深くなったという気がするのは、おそらく過剰な自意識にむけられていた肩の力が抜けて、そのかわりに《自然》の力に目が向くようになったからではないか。それは波や風の音だったりするだけではなく、若者の汗だったり、あるいは初老にさしかかった自らを静かに受け入れるという時間性への肯定にもつながる。《自然》とは、人智の及ばない宇宙のはたらきのことであって、その超越性を無理なく受け入れる詠嘆調の歌は、読者のぼくらをぐいぐいと引き込んで行く。
そよ風と光を受けて揺れている葉桜の下で朝練開始
ポエティックな上の句はアンチクライマックスの「葉桜」の序詞。それをさらに「朝練開始」という身もふたもない結句で拾うという構想になっている。これは脱ポエム化の決意を、身をもって示したメタ短歌であるとも読める。あるいは「そよ風と光」というような《自然》と、「朝練」の人事のとりあわせとも読める。「放課後の廊下は夕陽に染められて、染められはしない隅っこを愛す」も同じつくり。
遅刻したことを叱っているうちに怒ってしまう 樹を打つ雨よ
「怒ってしまう」のは不作為の現象だから、人事ではあるが《自然》の表象である。「樹を打つ雨よ」はこの《自然》を畏敬の念をもって受け入れるものであると同時に、《自然》に自らの運命をゆだねることによって、感情のもつれを洗い流したいという願望を示している。この結句の世界観には多分に南島的なものを感じるが、そもそも沖縄学の研究から出発した作者の本領にやっと近づいてきた感がある。「学年の会議でもらったチョコレートぼんやり溶けて夏は近づく」の結句もまた。
説教で終わった手紙を折りたたむ まっすぐに降る真夏の雨は
作者は旧友「T」からの手紙を受け取る。その字は震え「Tの字じゃないように見えた」。きれいな三句切れの歌である。「まっすぐに降る真夏の雨は」は「手紙」の内容の換喩だが、これも南島のスコールのイメージ。「雨よ」ではなくあえて「雨は」とした語法によって、言いたくても言えない述語を飲み込んでいることを示し、余韻を醸し出した。「バスケ部の予定を机の前に貼る エアコンの風が揺らすその紙」の「風が揺らすその紙」も同趣。上の句の内容を下の句で反復することによって情趣がより深くなる。
副顧問だから相談にのったりする 悩みが夏の雫になるまで
ここでは、「青春の涙」をおそらく美しく言ったのであろう「夏の雫」の比喩にたどりつけたことで、「副顧問」の現実性からはるかに遠く、歌は伸びていく。それは実は「メールにて「連載原稿書き直しのお願い」が来る 胸に重く来る」という作者本人の「悩み」を暗示するものでもあった。教師というものが「教える者」であるだけではなく、「学ぶ者」でもありつづけなければならないということに気づきなおすことによって、作者は硬直した社会的な役割の重さから自由になり、表現における人間性を取り戻したのだろう。「古いピアノ その前に座る人たちに音楽を許し続けるピアノ」の一首の「許し続ける」とは、(沖縄ふうに言えば)「唄者」すなわち芸術家としてのみずからの本質を取り戻す契機となった、重い気づきを示している。
ざわめきは去って体育館隅のピアノは冷えてゆく冷えてゆく
祝祭性が芸術のひとつの要点だとすれば、そこからの覚醒も実はまたその重要な要素である。学園祭の「お化け屋敷」についてのすぐれた一連も収録されているが、「ポエム化」よりも「脱ポエム化」のほうが、現実に戻らなければならない心の痛みやつらさを伴うだけあって難易度が高い。「冷えてゆく冷えてゆく」の繰り返しは、まさにこの「祭りの後」の「喪の作業」を、ことばの反復によるリズムのエクスタシーによって生徒ら(あるいは読者ら)に乗り切らせようとする配慮から生まれたものだろう。
あるいは、この「冷えてゆくピアノ」の比喩は、塚本邦雄の秀歌「革命歌作詞家に凭りかかられてすこしづつ液化してゆくピアノ」(『水葬物語』)や荒川洋治の「世代の興奮は去った。ランベルト正積方位図法のなかでわたしは感覚する」(『水駅』)といった戦後詩歌を踏まえている。口語短歌第一世代のニューウェーブ短歌は、現代詩でいうところの鈴木志郎康・菅谷規矩雄らの祝祭的な「六〇年代詩」にも擬せられる。したがって、その「世代の興奮」が去ってのち、短歌の成熟をしっかりと引き受けようとする決意を作者はここに表明したとも言うことができ、そう考えると、われわれはまたひとしおの感慨を新たにするものである。
バスケ部の副顧問として高校生とともに汗を流す日々。その中で雑誌の新連載に苦労し、早世した兄の想い出を語り、そして旧友から真摯な短歌の批評を受ける。千葉さんの軸足が日常詠に置かれていることは変わらないが、何かがぐっと深くなったという気がするのは、おそらく過剰な自意識にむけられていた肩の力が抜けて、そのかわりに《自然》の力に目が向くようになったからではないか。それは波や風の音だったりするだけではなく、若者の汗だったり、あるいは初老にさしかかった自らを静かに受け入れるという時間性への肯定にもつながる。《自然》とは、人智の及ばない宇宙のはたらきのことであって、その超越性を無理なく受け入れる詠嘆調の歌は、読者のぼくらをぐいぐいと引き込んで行く。
そよ風と光を受けて揺れている葉桜の下で朝練開始
ポエティックな上の句はアンチクライマックスの「葉桜」の序詞。それをさらに「朝練開始」という身もふたもない結句で拾うという構想になっている。これは脱ポエム化の決意を、身をもって示したメタ短歌であるとも読める。あるいは「そよ風と光」というような《自然》と、「朝練」の人事のとりあわせとも読める。「放課後の廊下は夕陽に染められて、染められはしない隅っこを愛す」も同じつくり。
遅刻したことを叱っているうちに怒ってしまう 樹を打つ雨よ
「怒ってしまう」のは不作為の現象だから、人事ではあるが《自然》の表象である。「樹を打つ雨よ」はこの《自然》を畏敬の念をもって受け入れるものであると同時に、《自然》に自らの運命をゆだねることによって、感情のもつれを洗い流したいという願望を示している。この結句の世界観には多分に南島的なものを感じるが、そもそも沖縄学の研究から出発した作者の本領にやっと近づいてきた感がある。「学年の会議でもらったチョコレートぼんやり溶けて夏は近づく」の結句もまた。
説教で終わった手紙を折りたたむ まっすぐに降る真夏の雨は
作者は旧友「T」からの手紙を受け取る。その字は震え「Tの字じゃないように見えた」。きれいな三句切れの歌である。「まっすぐに降る真夏の雨は」は「手紙」の内容の換喩だが、これも南島のスコールのイメージ。「雨よ」ではなくあえて「雨は」とした語法によって、言いたくても言えない述語を飲み込んでいることを示し、余韻を醸し出した。「バスケ部の予定を机の前に貼る エアコンの風が揺らすその紙」の「風が揺らすその紙」も同趣。上の句の内容を下の句で反復することによって情趣がより深くなる。
副顧問だから相談にのったりする 悩みが夏の雫になるまで
ここでは、「青春の涙」をおそらく美しく言ったのであろう「夏の雫」の比喩にたどりつけたことで、「副顧問」の現実性からはるかに遠く、歌は伸びていく。それは実は「メールにて「連載原稿書き直しのお願い」が来る 胸に重く来る」という作者本人の「悩み」を暗示するものでもあった。教師というものが「教える者」であるだけではなく、「学ぶ者」でもありつづけなければならないということに気づきなおすことによって、作者は硬直した社会的な役割の重さから自由になり、表現における人間性を取り戻したのだろう。「古いピアノ その前に座る人たちに音楽を許し続けるピアノ」の一首の「許し続ける」とは、(沖縄ふうに言えば)「唄者」すなわち芸術家としてのみずからの本質を取り戻す契機となった、重い気づきを示している。
ざわめきは去って体育館隅のピアノは冷えてゆく冷えてゆく
祝祭性が芸術のひとつの要点だとすれば、そこからの覚醒も実はまたその重要な要素である。学園祭の「お化け屋敷」についてのすぐれた一連も収録されているが、「ポエム化」よりも「脱ポエム化」のほうが、現実に戻らなければならない心の痛みやつらさを伴うだけあって難易度が高い。「冷えてゆく冷えてゆく」の繰り返しは、まさにこの「祭りの後」の「喪の作業」を、ことばの反復によるリズムのエクスタシーによって生徒ら(あるいは読者ら)に乗り切らせようとする配慮から生まれたものだろう。
あるいは、この「冷えてゆくピアノ」の比喩は、塚本邦雄の秀歌「革命歌作詞家に凭りかかられてすこしづつ液化してゆくピアノ」(『水葬物語』)や荒川洋治の「世代の興奮は去った。ランベルト正積方位図法のなかでわたしは感覚する」(『水駅』)といった戦後詩歌を踏まえている。口語短歌第一世代のニューウェーブ短歌は、現代詩でいうところの鈴木志郎康・菅谷規矩雄らの祝祭的な「六〇年代詩」にも擬せられる。したがって、その「世代の興奮」が去ってのち、短歌の成熟をしっかりと引き受けようとする決意を作者はここに表明したとも言うことができ、そう考えると、われわれはまたひとしおの感慨を新たにするものである。