「馬とひまわり」という個人紙の第1号が4月21日に発行された。個人紙と書いたが、実際には、昨年第23回歌壇賞を受賞した平岡直子と怪談作家でもある我妻俊樹の二人がユニットを組んで出しているものだ。5月19日付けで第2号が発行され、6月23日に第3号の発行を予定しているというから、月刊紙といってよいだろう。
この個人紙は、セブン-イレブンなどのコンビニエンスストアが提供しているネットプリントというサービスを利用して発行されている(*1、2)。自宅のパソコンからアップロードしたデータを、全国の当該コンビニエンスストアのコピー機で出力できるというサービスだ。実際には、制作者がデータをアップロードしたあとに主にツイッターでダウンロード用の予約番号を発表し、読みたいと思った人がそれぞれ最寄りのコンビニエンスストアの店頭で各自数十円を支払ってプリントアウトするというながれである。
このサービスを利用して個人紙を発行する動きは、筆者の知る範囲では、村上きわみが2011年10月に「まめきわみ」という折り本を配信したことをほぼ皮切りとして、やすたけまりが2013年4月17日に「月刊ミドリツキノワ」の配信を開始する(*3)など、徐々に広まってきている(現在ダウンロード可能な個人紙に関する情報は、村上きわみ提供のまとめカレンダーページ(*4)を参照いただきたい)。
このサービスを利用するメリットは、発行にほとんど費用が発生しないこと、全国どこにいるひとにも(当該店舗がありさえすれば)一律にデータを提供できること、配布期間が一週間程度に限定されること(サービス自体がそのような設定になっているため)だ。発行に費用がかからないこと、また、ダウンロードする側も小額の負担で済むこと、コンビニエンスストアという身近な場所で気軽に入手でき、期間内であれば何度でも印刷可能である点で、従来の同人誌に比べて非常に容易に発信できるツールとなっている。
あえて問題点をあげるとすれば、プリントアウトした紙が散逸しやすいこと、セブン-イレブンなど当該のコンビニエンスストアが近所にない場合には入手が困難になること、発行者に金銭的なインセンティブが発生しないことだろうか。ただし、これらは、読者の努力(適切にファイリングするなど)や発行者側の工夫(出力できる環境にない希望者にはデータをメールで送るなど)、他の関係者からの直接的でない働きかけ(別の企画への参加の機会が増えるなど)で解消され得る。そういう意味で、いくつかの課題があるにしても、ネットプリントサービスを利用した個人紙の発行(ネットプリントサービスという新しい媒体)には、今後さらに活用されていく可能性が大きいと筆者は考えている。
さて、今回はこのネットプリントサービスを利用した個人紙の中で、特に冒頭でも触れた「馬とひまわり」を取り上げる。
筆者は、4月に第1回の「馬とひまわり」を出力したとき、一瞬、作者名を伏せているのかと思った。「馬とひまわり」というタイトルに続けて「一」とあって、そのあとに短歌が9首並んでいるだけだったからだ。9首の下に(フッタに当たる部分に)平岡と我妻のプロフィールがそれぞれゴシック体と明朝体でのせてあり、短歌9首も明朝体とゴシック体のものが交互に並んでいることから、おそらくは我妻→平岡→我妻→……という順に並べられているのだと推察できる(この推察に従えば我妻から始まって我妻で終わる)が、果たしてそう信じてよいものか。また、9首はモチーフをリレーしていくように配置されており、連句的にも読めるが、本当にそのように読んでよいものなのか。
疑問はさておき、第一回の9首で最も好きだったのは
すべて夏にとどいて川が干上がっているところ想像してきみのシャツ
きみが抱く暗渠に飽きて焼きつくすごとく野菜に水は光れり
暗くなればどれが本物のコンビニかわかるよ・にせもので地図を買う
のながれだ(書体からの推察では、作者は順に我妻→平岡→我妻)。「川が干上がっているところ」を想像する主体Aと、その主体Aがもつ「暗渠」に対峙する主体B、さらに「暗渠」「光」に呼応して導かれる「暗くなる」と「コンビニ」。「地図」の語も「暗渠」(さらには二首前の「川」)から転じてきているのだろう。
「《つづく》」で閉じられた第1回からほぼ1ヶ月後の5月19日に発行された第2回では、同じく9首が、今度は歌の上に■と□をつけて交互に並べられていた。ページ末尾のプロフィールの上にある■と□から判断すると、■が平岡、□が我妻だ。第2回の9首は、第1回の9首目(我妻)の
星であれ顔であれ近すぎるものが真昼のハンドバッグに映る
を引き継ぐような
目を閉じて目の裏側の夢をゆく裸身のなかのいくつもの鞄
という(おそらくは平岡の)歌で始まっている。
素直に読めば、作者名も書体と記号の使い分けから明らかであり、現実社会からは遊離したような不思議な世界を共有している二人の作者が、交換日記のように歌を詠み交わして作られた作品群、ということになる。しかし、提示された歌/紙面からは、作者名を必ずしも明確にしない意志と、リレー式に(一首ずつ交互に)詠み進めた(印象を与えようという)意志が感じられる。実際がどうであったかというより、読者にそう読み取らせよう、そのような印象を与えようという編集意識を強く感じられるのだ。
この、「編集意識が強く感じられる」という点において、「馬とひまわり」は他の個人紙と本質的に異なっていると筆者は考える。語弊があるかもしれないが、他のネットプリント紙が「単に発表・発行・入手が手軽な媒体を利用してみた」というレベルであるのに対して、「馬とひまわり」は、従来の同人誌と同じレベルのコンセプトをもつ新企画として綿密かつ周到に用意され発行されている(ように思える)、ということだ。
たとえば、「馬とひまわり」第2回には、2ページ目に付録として平岡の小説「水は光れり」と我妻のエッセイ「本物のコンビニ」が所収されている。この二作のタイトルは、先に第1回のなかで最も好きだったながれとして引いた三首の二首目と三首目のモチーフそのものだ。第1回のなかのピークとなる歌のモチーフを小説とエッセイを第2回の付録に用いることで、継続して読んでいる読者へのサービスとする制作意図と受け取るのは行き過ぎだろうか。
付録やおまけというのは、本編の面白さや魅力に加えてさらにファンやユーザを引きつける「ごほうび」的な部分である。そこにどれだけの仕掛けを用意し、読者へのサービスとしてくれるのか。第3回以降に期待したい。
(参考サイト)
*1:セブン-イレブン ネットプリントサービス
http://www.printing.ne.jp/
*2:ネットワークプリントサービス(ローソン、ファミリーマート、サークルKサンクス)
https://networkprint.ne.jp/sharp_netprint/net_top.aspx
*3:すぎな野原をあるいてゆけば(やすたけまりブログ)
http://blog.goo.ne.jp/sugina-musicland
*4:今読める詩歌のネットプリント・カレンダー(村上きわみ)
http://imawik.sakura.ne.jp/cgi/calendar/start.cgi
(ご挨拶)
昨年9月以来、8回にわたって担当してきましたが、今回が最後となります。最後までお読みくださり、また、発表の場を与えていただき、ありがとうございました。心より感謝いたします。いずれまたどこかの場でお会いできますことを。
この個人紙は、セブン-イレブンなどのコンビニエンスストアが提供しているネットプリントというサービスを利用して発行されている(*1、2)。自宅のパソコンからアップロードしたデータを、全国の当該コンビニエンスストアのコピー機で出力できるというサービスだ。実際には、制作者がデータをアップロードしたあとに主にツイッターでダウンロード用の予約番号を発表し、読みたいと思った人がそれぞれ最寄りのコンビニエンスストアの店頭で各自数十円を支払ってプリントアウトするというながれである。
このサービスを利用して個人紙を発行する動きは、筆者の知る範囲では、村上きわみが2011年10月に「まめきわみ」という折り本を配信したことをほぼ皮切りとして、やすたけまりが2013年4月17日に「月刊ミドリツキノワ」の配信を開始する(*3)など、徐々に広まってきている(現在ダウンロード可能な個人紙に関する情報は、村上きわみ提供のまとめカレンダーページ(*4)を参照いただきたい)。
このサービスを利用するメリットは、発行にほとんど費用が発生しないこと、全国どこにいるひとにも(当該店舗がありさえすれば)一律にデータを提供できること、配布期間が一週間程度に限定されること(サービス自体がそのような設定になっているため)だ。発行に費用がかからないこと、また、ダウンロードする側も小額の負担で済むこと、コンビニエンスストアという身近な場所で気軽に入手でき、期間内であれば何度でも印刷可能である点で、従来の同人誌に比べて非常に容易に発信できるツールとなっている。
あえて問題点をあげるとすれば、プリントアウトした紙が散逸しやすいこと、セブン-イレブンなど当該のコンビニエンスストアが近所にない場合には入手が困難になること、発行者に金銭的なインセンティブが発生しないことだろうか。ただし、これらは、読者の努力(適切にファイリングするなど)や発行者側の工夫(出力できる環境にない希望者にはデータをメールで送るなど)、他の関係者からの直接的でない働きかけ(別の企画への参加の機会が増えるなど)で解消され得る。そういう意味で、いくつかの課題があるにしても、ネットプリントサービスを利用した個人紙の発行(ネットプリントサービスという新しい媒体)には、今後さらに活用されていく可能性が大きいと筆者は考えている。
さて、今回はこのネットプリントサービスを利用した個人紙の中で、特に冒頭でも触れた「馬とひまわり」を取り上げる。
筆者は、4月に第1回の「馬とひまわり」を出力したとき、一瞬、作者名を伏せているのかと思った。「馬とひまわり」というタイトルに続けて「一」とあって、そのあとに短歌が9首並んでいるだけだったからだ。9首の下に(フッタに当たる部分に)平岡と我妻のプロフィールがそれぞれゴシック体と明朝体でのせてあり、短歌9首も明朝体とゴシック体のものが交互に並んでいることから、おそらくは我妻→平岡→我妻→……という順に並べられているのだと推察できる(この推察に従えば我妻から始まって我妻で終わる)が、果たしてそう信じてよいものか。また、9首はモチーフをリレーしていくように配置されており、連句的にも読めるが、本当にそのように読んでよいものなのか。
疑問はさておき、第一回の9首で最も好きだったのは
すべて夏にとどいて川が干上がっているところ想像してきみのシャツ
きみが抱く暗渠に飽きて焼きつくすごとく野菜に水は光れり
暗くなればどれが本物のコンビニかわかるよ・にせもので地図を買う
のながれだ(書体からの推察では、作者は順に我妻→平岡→我妻)。「川が干上がっているところ」を想像する主体Aと、その主体Aがもつ「暗渠」に対峙する主体B、さらに「暗渠」「光」に呼応して導かれる「暗くなる」と「コンビニ」。「地図」の語も「暗渠」(さらには二首前の「川」)から転じてきているのだろう。
「《つづく》」で閉じられた第1回からほぼ1ヶ月後の5月19日に発行された第2回では、同じく9首が、今度は歌の上に■と□をつけて交互に並べられていた。ページ末尾のプロフィールの上にある■と□から判断すると、■が平岡、□が我妻だ。第2回の9首は、第1回の9首目(我妻)の
星であれ顔であれ近すぎるものが真昼のハンドバッグに映る
を引き継ぐような
目を閉じて目の裏側の夢をゆく裸身のなかのいくつもの鞄
という(おそらくは平岡の)歌で始まっている。
素直に読めば、作者名も書体と記号の使い分けから明らかであり、現実社会からは遊離したような不思議な世界を共有している二人の作者が、交換日記のように歌を詠み交わして作られた作品群、ということになる。しかし、提示された歌/紙面からは、作者名を必ずしも明確にしない意志と、リレー式に(一首ずつ交互に)詠み進めた(印象を与えようという)意志が感じられる。実際がどうであったかというより、読者にそう読み取らせよう、そのような印象を与えようという編集意識を強く感じられるのだ。
この、「編集意識が強く感じられる」という点において、「馬とひまわり」は他の個人紙と本質的に異なっていると筆者は考える。語弊があるかもしれないが、他のネットプリント紙が「単に発表・発行・入手が手軽な媒体を利用してみた」というレベルであるのに対して、「馬とひまわり」は、従来の同人誌と同じレベルのコンセプトをもつ新企画として綿密かつ周到に用意され発行されている(ように思える)、ということだ。
たとえば、「馬とひまわり」第2回には、2ページ目に付録として平岡の小説「水は光れり」と我妻のエッセイ「本物のコンビニ」が所収されている。この二作のタイトルは、先に第1回のなかで最も好きだったながれとして引いた三首の二首目と三首目のモチーフそのものだ。第1回のなかのピークとなる歌のモチーフを小説とエッセイを第2回の付録に用いることで、継続して読んでいる読者へのサービスとする制作意図と受け取るのは行き過ぎだろうか。
付録やおまけというのは、本編の面白さや魅力に加えてさらにファンやユーザを引きつける「ごほうび」的な部分である。そこにどれだけの仕掛けを用意し、読者へのサービスとしてくれるのか。第3回以降に期待したい。
(参考サイト)
*1:セブン-イレブン ネットプリントサービス
http://www.printing.ne.jp/
*2:ネットワークプリントサービス(ローソン、ファミリーマート、サークルKサンクス)
https://networkprint.ne.jp/sharp_netprint/net_top.aspx
*3:すぎな野原をあるいてゆけば(やすたけまりブログ)
http://blog.goo.ne.jp/sugina-musicland
*4:今読める詩歌のネットプリント・カレンダー(村上きわみ)
http://imawik.sakura.ne.jp/cgi/calendar/start.cgi
(ご挨拶)
昨年9月以来、8回にわたって担当してきましたが、今回が最後となります。最後までお読みくださり、また、発表の場を与えていただき、ありがとうございました。心より感謝いたします。いずれまたどこかの場でお会いできますことを。