「詩客」短歌時評

隔週で「詩客」短歌時評を掲載します。

短歌時評第139回「斎藤茂吉を語る会」からの贈り物 -結社のこれから 山口茂吉、AI。想像力に翼は生えて-大西久美子

2018-11-30 11:31:43 | 短歌時評
    

「斎藤茂吉を語る会」(2009年9月30日設立)に力を尽くされた藤岡武雄氏が、「平成30年度総会」(3月10日)を期に会長職を勇退され、雁部貞夫氏が後を引き継がれた。その最初の例会が11月4日、下記(各氏の敬称略)の通り、東京で開催された。

・講演     「山口茂吉日記」を中心として 玉井崇夫
・シンポジウム 茂吉の三高弟を巡って
・佐藤佐太郎(香川哲三)・柴生田稔(雁部貞夫)・山口茂吉(結城千賀子)

齋藤茂吉を人生の全てをかけて支えた山口茂吉(1902年-1958年)は佐藤佐太郎、柴生田稔と共に三門下人の一人であり、歌集『赤土』が『現代短歌全集 第九巻』(筑摩書房)に収録されている。しかし、『岩波現代短歌辞典』に彼の名はない。

結城千賀子氏が用意されたレジュメに次の一文がある。

「佐藤(佐太郎)君は愛された門人であり、私(山口茂吉)は最も叱られた門人である」
                      「アザミ」昭和28・8/斎藤茂吉追悼号

また、加藤淑子著『山口茂吉 齋藤茂吉の周邊』(みすず書房)では、山口茂吉が世を去った際の落合京太郎氏の追悼文が紹介されている。

「『齋藤茂吉の忠實な助手として一生不變』といふだけで山口君は必ず彌陀の來迎を仰ぐことが出來たに相違ない」(アララギ、昭和三十三年十月號)

齋藤茂吉へ、ひいては主宰頂点のヒエラルキー的システムの結社に人生を捧げ尽くした山口茂吉の姿がありありと思い浮かぶ。

ここで結社について「第36回現代短歌評論賞」(「短歌研究」10月号)の課題から考えてみたい。

(1)結社の現在

「第36回現代短歌評論賞」の本年の課題は、『「短歌結社のこれから」のために今、なすべきこと。』であるが、授賞式会場における三枝昂之氏の講評から、今回、二十代(十代も入る)の応募者がいなかったということが分った。実は私も「自己愛の強い時代に」というタイトルで応募し、抄録を「短歌研究」10月号に掲載していただいているが、ここに省略されている導入部は、既に短歌結社に属している方が、それに気付かず「結社って何ですか?」と私に尋ねたエピソードである。この時、特に若い世代には結社のイメージが掴み辛く、希薄なのでは?と思ったが、三枝昂之氏の講評から、やはり!と確信した。

(2)AI -山口茂吉を思いつつ-

各論とも角度は違うが、松岡秀明氏の受賞作「短歌結社の未来と過去に向けて」、雲嶋聆氏の受賞一年後評論「泥土か夜明けか-人工知能の短歌の未来」、拙作「自己愛の強い時代に」ではAIについて触れている。

結社に属していても、帰属意識から離れている会員が増えつつある現代において、齋藤茂吉に献身し尽くした山口茂吉のような人材の出現は難しい。最近、AIが短歌を作れるか、という論をよく聞く。AIは秀作を生む歌人にきっとなる。が、それよりも、私は結社のために、校正、ARCHIVE、運営、実務等、組織の鍵となる様々な問題に献身的に尽くす、縁の下の力持ちとなることをAIに期待する。

AIは斎藤茂吉の三門下人のようには恐らくならない。しかし、新しいタイプの門下人として、実務上の問題対処、理不尽を伴う結社内外の人間関係の軋轢の緩和のための提案など、主宰者と会員の間にたって、結社存続に尽くす可能性は十分にある。仮に所属する結社が解散してしまっても、結社の歴史、作品を鮮やかに後世に伝える存在となるだろう。



短歌相互評30 寺井龍哉から山川築「つくりごと」へ

2018-11-28 20:15:25 | 短歌相互評
 標題は「つくりごと」、物語的な虚構のことのみを指すと見てもよいが、あえて「つくりごと」をせずありのままに語ることのできる事実も存在するのだから、この語には後ろめたい印象もつきまとう。世を渡る方便としてのささやかな嘘、観客を楽しませるための創作者による脚色、政権をゆるがす大いなる虚偽までを、「つくりごと」の語義は包摂する。

 真実の対義語ばかり使ふ日のはじめに飲み下す胃腸薬

「つくりごと」はまさに「真実の対義語」のひとつだろう。「真実」を回避し隠匿して過ごさねばならぬ日の最初に「胃腸薬」を服用する。よほどストレスの負荷のかかる日々なのだろう、と納得するのは簡単だが、それで済む話ではあるまい。私は「真実」への接近を規制されながら、受け入れがたい圧力や要求を飲む。もの言はずは腹ふくるるわざなり、とは兼好の言葉だが、言いあてられるべき「真実」を言えずに内面に溜まってゆく憤懣や憂憤を、私は「胃腸薬」で処理しようとするのだ。ままならぬ現実に「胃腸薬」で対応しようとする気息奄々の表情、というばかりではない。そのどす黒い念々を積極的に排出しようとする、潔いまでの自己防衛への志向を感じとるべきだろう。

  濃緑の丘を離るる気球見ゆ叫びのまへの呼吸は深し
  憤激の去りにしのちにわれの手はタブロイド紙を歪ませてをり


 絶叫の前の一瞬に、深く息を吸い込んで気球を見つめる。激しい感情のしずまったのちに、手に摑まれたものの形状からその感情の様相を省みる。私の内面の転変と叙述の視点は、すこしずつずれて同調しない。大きく息を吸い込んで吐き出すまでのひととき、そこには単純でない感情や思考の変化があるだろう。「タブロイド紙」の文面を目で追ってから自身の「憤激」に耐え、やがて手に込められた力の大きさを自覚するまで、意識は刻々と遷移する。高潮する意気と、離れた時点からそれを子細に眺めまわす視点が、一首のうちに二重の像を結んで存在している。読者はその複層性に現実味を感じすにはいないだろう。誰も誰も、単線的な感情の線のみを生きているわけではないからである。

  十字路の角の耳鼻科の看板に目のなき象が三頭ならぶ
  投入が殺人に見えもう一度袋の口を固く結びつ


 感覚や判断能力の摩耗ということも、主題のひとつかもしれない。「象」は、「耳鼻科の看板」であるというのみの理由で、耳と鼻の巨大さを買われて召集され、「看板」の絵のなかに小さく並ばされている。涙ぐましいではないか。しかも「象」は「目のなき」状態に置かれている。「投入が殺人に見え」も「目」による視覚の能力の不全を暗示する。たとえばゴミ袋をゴミ箱に「投入」する前に、ふと表示の文字を見間違える。そして私は、「殺人」よろしく「袋の口を固く結」ぶ。「真実の対義語ばかり使ふ」ことは、やがて正不正の判断以前の認知の能力も逓減させてゆくという流れを読みたい。

  黙すほど鋭くなれる痛みかなざなざなざなと墓地に降る雨

 それにしても、明らかに背面に誰かの死がある一連である。終盤になって出現する「殺人」、「固く結びつ」、「憤激」、「痛み」、「墓地」という語彙は、不穏な色をありありと見せつける。二首目の「有精卵が産み落とされて」の表現は、その対極の要素として布置されていたということに、ひとたび読み終えて後に想到するしくみである。
「真実」を秘匿し、次第に摩耗する感覚を用いながら、私は残酷な行動にも手を染めようとしてしまう。激する感情を離れた時点から眺める姿勢は崩さないものの、不如意な現実に立ち向かうこともできず、「黙すほど鋭くなれる痛み」を抱えて「墓地」に立ち尽くす。実際の意図はともかく、この一連の背後に、たとえば財務省の決済文書改竄や近畿財務局職員の自殺の問題を見ることは困難ではないように思う。事実を秘匿し虚偽を構築せよ、という指示を受けて思い悩んだ者の軌跡、そしてその死について、読者は考えざるを得ない。社会詠の窮まるところは、境涯詠と交差する。
 言うまでもないが、同時代の作品を読むということは、そうした観点を不可避的に引き入れてしまうことでもある。作品の魅力を汲みつくすために、それはどうしても必要なことだ。

短歌相互評29 山川築から寺井龍哉「大学院抄」へ

2018-11-25 15:45:27 | 短歌相互評
空あゆむ巨象の群れの溶けゆきて雲となりたるのちに眼をあぐ

そのまま受け取ると異様な光景だが、主体が眼をあげたのは象が雲となった後だから、象を捉えてはいないはずだ。すると「雲になる前の姿」を認識することは不可能ということになる。つまり、上の句には想像あるいは願望が入り込んでいるのではないだろうか。象は死ぬ前に群れから去るという都市伝説のように、消えていく巨象の群れは孤独感をかきたてる。全体を読むと、動きを表わすのは結句の「眼をあぐ」だけで、静かな一首といえる。この静的な印象は、連作に通底するものでもある。

秋晴れや机上ひとつを片づけてから出るといふことができない

連作の題やこのあとに続く歌からして、主体は勉学の徒であり、机はそのよりどころといえる。この歌は自宅、あるいは研究室から出かける前の場面だろう。片付けられない机は、彼の心の動揺の喩でもある(中学生のころ、担任の先生が「机の乱れは心の乱れ」なんておっしゃっていたことを思い出した)。初句では一首目につづいて空が登場し、しかも秋晴れだ。「や」という切れ字によって、澄み渡った空と主体の机および心の乱れの対比、あるいは屋外と屋内の対比が強調されている。また、初句だけが空を描き、二句以降で主体に焦点が移る構造は、一首目と対になっているようでもある。

君の頬あかくわが手のしろきかな二次会の話題おほかた無視す

アルコールが入って気分が高揚している「君」に対し、主体は盛り上がった雰囲気に乗れないのだろう。頬と手という身体の一部を切り取った端的な対比によって、2人の感情の落差が言外に提示されている。なんの二次会かは明示されていないのだけれど、連作を通して読むと、論文の中間発表で主体がきびしく批判された後の光景だと思えてしかたがない。

言はれればいつでも泣ける表情に深夜の坂をくだりくだりつ

上の句のひねくれた表現に立ち止まる。「言はれれば」は泣くように言われれば、という意味か。それは逆に、言われなければ泣かないということでもある。「表情に」の「に」という助詞の使い方が巧みで、滑らかに下の句へ移っている(これがたとえば「表情で」だったら一度切れてしまうだろう)。そして「深夜の坂をくだりくだりつ」というリフレインが効果的で、描かれているのは身体の動きだけれど、精神もまた暗く深いところへ、少しずつ確実に向かっていくことを暗示している。

孤独といふもの転がりて後ろ手に触れたり今は茄子のつめたさ

孤独という概念が「茄子のつめたさ」を持つものとして形象化されている。茄子のつるりとした感じはつめたさとよく響いているし、苦みのある味や暗い色調は、たしかに「孤独」と通じるところがある。主体は「孤独」に後ろ手に触れるだけで、目にするわけではない。この微妙な距離感に生々しさを感じた。

複写機のひとつひとつにともる灯を夢に見きまた目のあたりなる

「目のあたり」は眼前の意味か。複写機が何台か並び、それぞれに電源が入っている。そのような夢を見る主体は、複写機を頻繁に使用しているのだろう。景自体に加え、「ひとつひとつ」「また」という複数・反復を表わすことばが並び、一首自体が複写のような印象がある。また、電源が灯と表現され、さらにそれが夢というベールをかけられることで、眼前にありながら遠いような、不思議な感触を覚えた。

夜をかけて文字ならべられたるのみの資料ひかれりひかるまま捨つ

夜通しパソコンで資料を作成したが、それを価値のないものとして捨ててしまう。「文字ならべられたるのみ」という苦い認識が痛烈で、「ひかれり」「ひかるまま捨つ」という間をおかずに並べられた四句・五句に自棄のような疲労感が滲む。

書庫の鍵のながき鎖を小春日に回すさながら宍戸梅軒

宍戸梅軒は吉川英治『宮本武蔵』に登場する鎖鎌の達人で、武蔵と戦って敗れる人物である(というのは検索して知ったことですが)。しかし、主体が実際に回している鎖は武器ではなく、鍵の付属物だ。武器としての鎖は自分を解放し、敵を傷つけるものだが、この鎖は逆にあたかも自分を繋いでいるかのようだ。「さながら」というやや芝居かかった表現からは、自虐的な戯画化が読み取れる。

愛のみに待つにはあらず柱廊に干さるる靴の赤と黄と黒

柱廊は古い西洋建築などにある、柱が立ち並ぶ廊下のこと。やや観念的な初句・二句に対して、三句以降では一転して鮮やかな色彩が目に浮かぶ。干されている靴はいわば持ち主を待っているが、それは愛だけでなく様々な感情を含んでいる……ということなのか。あるいは三句以降をもっと象徴的に読み取るべきかもしれないが、いまひとつ読み切れなかった。『幸せの黄色いハンカチ』を連想したりもしたが……。

時計塔の時計は見えぬ並木にて八犬伝をふたたび読みき

八犬伝は曲亭馬琴による大長編小説(読本)。時計が見えない並木で、時間など存在しないかのように読みふけるのだろうか。

夜をはしる大型バスの胴腹のふるふがごとく生きたかりけり

大型バ「胴腹の」までが序詞的に「ふるふ」を導く。震うように生きるというのは、自分の存在を他者に意識させるようなことだろうか。胴腹とは一般的でないことばだけれど、大型バスの形容として非常にしっくりくる。

道の駅ひときは声のおほきかる老婆なだめて一座なごみぬ

道の駅は夜行バスの停車場所か。声の大きなお年寄りはしばしばいらっしゃるなあと思う。一座というのがおもしろい。知り合い同士ではなくても、同席している人々に連帯感や信頼感が生まれる瞬間はあるのだ。

滑走路と呼びても嘘でなき路よ いましばらくはひとりの暮らし

「滑走路」は、主体が今まで歩いてきた道を指していると読んだ。「呼びても嘘でなき」というからには、まだ飛び立ってはいないのだ。そこには、飛び立つこともできたけれど……という逡巡が含まれているのではないか。やや遠回しな表現にもそれが見て取れる。

このさきもそんなには変はらないだらう茱萸坂にそのひとを誘はむ

上の句のくだけた口語が印象的。「そんなには変はらない」と推測しているのはなんだろう。私は三句切れで、主体の漠然とした不全感のつぶやきだと読んだ。茱萸坂は千代田区永田町にある坂の名(らしい)。坂は四首目でネガティブな象徴として表れているが、そこにひとを誘うのだという。少し不穏さが匂う。「そのひと」は先に登場した「君」と同一なのか、少し考えたが、やや距離を感じさせる三人称からして、別人と判断した。

桐箪笥われにその背を見せぬまま六年(むとせ)を経たり、あいや七年(ななとせ)

年数は大学に入って独り暮らしを始めてからの期間と思われる。なるほど、長い間「同居」しているにもかかわらず、家具には全く知らない面があるのだ。擬人法と「あいや」というこれまた芝居がかった言い回しがおかしみを出しているが、やはり寂寥感も感じざるをえない。

矢を受けて乱るる隊伍わが胸にとどまれるまま逢ふために起つ

隊伍を映像として観たのか、あるいは本などで読んだのかはわからないが、それをなにか象徴的なものとして受け止めたのだろう。そのような心のまま「逢ふ」のは、なかなか穏やかならざるものを予感させる。

ちやん、ちやんと声をかけあふ少女らの手に手に赤きコカコーラ缶

「○○ちやん」という呼称は「○○さん」などと比べて幼さを感じさせる。また「ちやん、ちやん」は、話の落ちを表わす効果音のようでもある。少女たちの声に、主体はなにか終わりの兆候をかぎ取ったのかもしれない。赤いコーラの缶は危険信号のようにも見える、というのはすこし暗い方に考えすぎか。

人を待てば光あふるる秋の河 なにを忘れしゆゑのあかるさ

「あふるる」「秋」「川」「なに」「忘れし」「あかるさ」といった語頭のA音が開放的な印象を与える。陽光を受ける河の風景が「光あふるる」と美しく表現されているのだが、彼はそれを見て、なにを忘れたからそのあかるさがあるのか、と考えている。「暗い」……と言い切ることにはためらってしまうが、ここまで描かれたきた主体の姿は、決して明るくはない。河と対比される彼は、明るくなれない=忘れられないことばかりなのだろう。秋の河であることもさびしさを強調する。韻律(明)と内容(暗)および風景(明)と内面(暗)の対立が凝っている。

狡猾になれよと言へりかくわれに言はしめて雲ながれゆくなり

言ったのは主体で、そのことばを掛けた相手は、待ち合わせをした相手だろう。そして、彼にそう言わせたのは雲だという。冒頭の二首に表れているように、主体は空に感情を投影しており、ここでは逆になにかを受け取ったのだと思う。しかし雲自体はことばを発することなく、ただ流れていく。「狡猾になれよ」と言われた相手がどう反応したのかは、ここには書かれていない。一首を読んだあとには「狡猾になれよ」ということばの少々残酷な響きが残る。

空とほく呼びかはしつつ生き来しに友らつぎつぎ倒るる枯野

ふたたび、空だ。友たちは、主体と同じように大学院に進んで研究を続ける人たちだと捉えた。「空とほく呼びかはしつつ」を現実的に読むならば、連絡を取って励まし合うことだと思うが、このように書かれると、秋空に自分の発した大声が吸い込まれていき、かすかに友の応答が聞こえてくるような、心細い状況が浮かんでくる。しかし、「生き来し」という強い表現が選ばれていることからも、それを支えにしてきたのもたしかなことだろう。
ここまでに現れた宍戸梅軒や乱れる隊伍のイメージと合わせて、主体にとっての研究生活は、ほとんど戦いとして捉えられているように思える。友たちも倒れたという今、果たして八犬伝のような大団円に至る道はあるのだろうか。

短歌詩評 わが短歌事始め Ⅲ 岡井 隆 酒卷 英一郞

2018-11-15 17:13:26 | 短歌時評
 塚本邦雄初の全歌集『塚本邦雄全歌集』が白玉書房から版行されたのは一九七〇・昭和45年であつたと前囘記した。それではともに前衞短歌を牽引してきたもう片一方の旗頭、岡井隆の動向はいかがであつたか。
 實はこちらも初の全歌集『岡井隆歌集』が一九七二・昭和47年、思潮社から刋行されてゐる。第一歌集『斉唱』以前の初期作品を「O」(オー)として卷頭に收め、『斉唱』『土地よ、痛みを負え』『朝狩』『眼底紀行』の旣刊四歌集に未刋のアンソロジー『律'68』の書き下ろし「〈時〉の狭間にて」、のちに左記も含めて昭和五十三年、國文社より『天河庭園集』として纏められた一連の作品群。その『岡井隆歌集』の、自著になる「書誌的解説とあとがき」は實に不思議だ。

 (前略)本書(註『岡井隆歌集』)は、歌集六冊分の内容を持ち、昭和20年著者十七才の秋から、同45年四十二才の夏にいたる二十五年間の作品歴が大凡のところ鳥瞰出来る仕掛けになっている。なんという厭(いや)な本であろう。厭ならやめればいいのにそれを敢えてするとは、なんというおろかしさなのであろう。そうおもえばこそ、わたしは、本書の出版を長くためらって来たのであるが、或る私的事情を機縁として刊行へ踏み切ったのである。(後略)

 その私的事情にいささか拘つてみたいのだが、それはさておき、當時、塚本邦雄の短歌に强烈に魅かれながらも、どこか頭の片隅で氣になつて仕方のなかつた岡井作品の精華を心覺えとして記しておきたい。

  布雲(ぬのぐも)の幾重(いくへ)の中に入りし日は残光あまた噴き上げにけり
  紅(くれなゐ)の占むるひろさよ春はれし日のくれぐれのしましと思(も)へど
  中空より金属(かね)触るる如き声ききていづくに落つる鳥と思はむ

『岡井隆歌集』「O」(オー)


 塚本邦雄の反リアリスムの洗禮を享けた身には、岡井のアララギ體驗を基軸とした自然詠はむしろ新鮮にさへ響いた。「O」は、第一歌集『斉唱』(一九五六・昭和31年)以前の、作者十七歲(一九四五.昭和20年)から十九歲まで約二年閒の作品。「この集では〈模写〉への執着が、制作の主たる動機になっている」と、『岡井隆歌集』の「各集序跋」に記す。「〈模写〉の対象は、(中略)自然(山川草木鳥獣魚介)であるが、同時に、正岡子規以来の、根岸短歌会――アララギ系の先行作品の模写でもあった」とも語る。塚本邦雄の出發が、當時の舊派、いはゆる傳統的歌壇への反發、反抗であつたのに對し、岡井は傳統骨法の眞中から產聲を擧げた。
 第一歌集『斉唱』は一九五六・昭和31年。初期作品「O」(オー)の茂吉を頂點とするアララギ系作者群の〈模写〉から、日常と情動と喩がある緊張感のもと拮抗しつつ、淸新な抒情詠を爲してゐる。思想の核のごとき、喩的交歡の強靱さを感じる。ただしそれは未だとば口のそれであつたらう。

  襤褸(らんる)の母子襤褸(らんる)の家にかえるべし深き星座を残して晴れつ
  携えてオルメック産ハガールの晩(おそ)き昼餉(ひるげ)に一握の銀

『斉唱』


 第二歌集『土地よ、痛みを負え』は、一九六一・昭和36年、白玉書房刋。奧付の裏側には、塚本邦雄『水銀傳説』の廣告が載る。次第に思想的内壓を高めながら、同時に徐々に抒情の密度がその濃度を增してくる。

  純白の内部をひらく核(たね)ひとつ卓上に見てひき返し来(き)ぬ
  夏期休暇おわりし少女のため告知す〈求むスラム産蝶百種〉
  扉(ドア)の向うにぎつしりと明日 扉のこちらにぎつしりと今日、Good night, my door!(ドアよ、おやすみ!)

『土地よ、痛みを負え』


 ところで、岡井作品を鳥瞰するに、歌集單位で見取るといふ方法もあるが、實質的全歌集である『岡井隆歌集』を通底する多彩な歌の位相を、テーマ別に俯瞰するといふ方法が、歌の特色を見る上でも便利なやうに思はれる。
 最初に强烈に岡井を襲つたのは、時代意識の軋轢のなかで芽生えた政治への熱い思ひであつた。それは試みに『土地よ、痛みを負え』の目次を抜粹しただけでも、その思想の方向性が窺へる。「運河の声/アジアの祈り/ナショナリストの生誕/思想兵の手記/土地よ、痛みを負え」。市民革命への意氣込みが傳はる。その象徴的據點としてアジアがあり、アラブがあつた。

  渤海のかなた瀕死の白鳥を呼び出しており電話口まで  『土地よ、痛みを負え』
  緋のいろのアジアの起伏見つつゆくジープ助手台に寒がりながら
  肺野(はいや)にて孤独のメスをあやつるは〈運河国有宣言〉読後
  満身に怒りの花を噴き咲かせガザ回廊に死んでいる我
  その前夜アジアは霏々と緋の雪積むユーラシア以後かつてなき迄
  銃身をいだく宿主の死ののちに激しくつるみ合う蛔虫(アスカリス)

  
  朝狩にいまたつらしも 拠点いくつふかい朝から狩りいだすべく  『朝狩』
  群衆を狩れよ おもうにあかねさす夏野の朝の「群れ」に過ぎざれば

 ここに大きく喩の問題が橫たはつてゐると思はれるが、「瀕死の白鳥」について、作者はこのやうに語つてゐる。

 例えば「瀕死の白鳥」ってのは比喩で、中国や当時のソ連を覆っていた左翼思想を言っている。その思想を理想化せずに、「お宅もいろいろ問題あるんじゃないですか?」と電話口に呼び出して聞く。つまり自分なりの批判を込めているわけです。
(【自作再訪】岡井隆さん「土地よ、痛みを負え」 前衛短歌は「滅亡論」への反論)

 
 現代詩では一九五四・昭和29年、谷川雁の第一詩集『大地の商人』が、續く一九五六・昭和31年には『天山』が出版される。評論集『原点が存在する』は一九五八・昭和33年の刋行。また黒田喜夫『不安と遊撃』が一九五九・昭和34年に出てゐる。谷川雁の喩的動性、黒田の市民ゲリラ幻想。ともに岡井の思想の、そして詩想の基盤となつてゐる。谷川は筑豊でのサークル活動から、「大正行動隊」を組織。終始「工作者」を標榜した。對するに黒田は東北の貧農から京濱地區の勞働者へ。彼が風土の、土着の呻きとして「あんにゃ」(東北のイエ制度、長子單獨相續の直系家族に由來)と發した一言の重み。〈運河国有宣言〉とは、一九五六年エジプトのスエズ運河国有化宣言。やがてスエズ動亂へと發展する。
 
 だが、次なる一首には早くも政治の季節の後退が見られるのではないだらうか。

  或る夜すべてのイデオローグを逃れて行けり 青麦の一つかみ持ち海の渚を
『眼底紀行』


 遂に政治(まつりごと)から、雲と雲の交はる性事(男女のおまつり)へ、政から性へ。

 
  国家など見事かき消されたる中天で雲と雲とがまじわりて行き
「天河庭園集」

 
 岡井にとつてひそやかに呟かれた「愛恋」のひと言は、當然のごとくに性愛のダイナミズムへと進展する。正に岡井作品の最大にして最も魅力あるテーマである。


  灰黄(かいこう)の枝をひろぐる林みゆ亡びんとする愛恋ひとつ
『斉唱』



 この一首には、先に述べたアララギ先達の〈模写〉にはじまる嫋嫋たる自然描寫の、いはばほそみ、、、とでもいふべき神經の末端まで行き屆いた撓やかさが見られる。


  さやぐ湖心、白昼の妻、撓(しな)う秀枝(ほつえ)、業房に居て思(も)えばかなしき
『土地よ、痛みを負え』


 性欲がモチーフの設定から、しつかりと正面見据ゑたテーマへと進展を圖るのは歌集『朝狩』からである。

  性欲はうねうねとわがうち行きて眠りに就かむまえに過ぎゆく  『朝狩』
  口すすぐ水のにごりのあわあわと性はたぬしき魔といわずやも
  抱くときうしろのくらき園見えて樹々もろともに抱く、轟(とどろき)
  知らぬまに昨日(きのう)暗黒とまぐわいしとぞ闇はそも性愛持てる
  愛技たたかわすまで熟したる雌雄(めお)の公孫樹(いちよう)よいま眠れども
  性欲の森が小さくなびきつつわが底に見ゆあかねさす午後
  性愛の汚名さびしくしんしんと病む独り寝を思(も)いて帰り来


  性愛の火照りに遠く照らされて労働へ行くは過ぎたり  『眼底紀行』
  昨(きぞ)の夜は乳を抑えきさみどりの手の葉脈をおもいて行けり
  掌(て)のなかへ降(ふ)る精液の迅きかなアレキサンドリア種の曙に
  うつうつと性の太鼓のしのび打ち 人生がもし祭りならば
  草刈りの女を眼もて姦(おか)すまでま昼の部屋のあつき爪立ち
  少女欲しそのひとことへ打たれつつ瘦せまさりゆく夜毎のきぬた
  黄昏の群衆をさかのぼりゆく〈愛は肉欲のしもべのみ〉とや
  性愛といわばいうべし芝草の夜露にぬれて爪ありしかば
  女らは芝に坐りぬ性愛のかなしき襞をそこに拡げて


  子宮なき肉へ陰茎なき精神(こころ)を接(つ)ぎ 夜(よ)には九夜(ここのよ)いずくに到る  「〈時〉の狭間にて」

  幻の性愛奏(かな)でらるるまで彫りふかき手に光差したり  「天河庭園集」
  欲念はただに拭うべく歩く歩く底の底まで空を昏めて
  股間には疼(うず)きを放つものありて花を揉むように紙をもんでいる
  女嫌(いと)え女嫌えというごとき集(つど)える雲を拠(よ)り所(ど)と立てば
  一方(ひとかた)に過ぎ行く時や揚雲雀啼け性愛の限りつくして
  積雲の季(とき)ちかづくは愛恋のとどろくに似て切なかりける
  唇(くちびる)をあてつつかぎりなきこころかぎりある刻(とき)の縁(ふち)にあふれつ

 さながら「性愛アンソロジー」といつた趣きだが、岡井の性は、徹底的に個であることによつて、私性を貫くことによつて輝かしい〈喩〉の世界を開示してくれる。はたしてなにを性の祖型として岡井は突き進んで行つたのか。

  ルネサンスにも人荒れてまぐわいきわが生きざまのはるけき先取
『眼底紀行』


 ホイジンガの『中世の秋』には、現代よりも遙かに嚴しい生の現象がまざまざと書き記されてゐる。生存狀況がより過酷な分、生と死のコントラストがよりくつきりと描かれてゐる。ルネッサンス(中世)も人心は荒廢し、同時により荒々しい生の根源に、より原始的(プリミティブ)な、より淸冽な性のかたちが湧出する。 
 性はたぬしき魔と言ひ、闇の本性を明かし、闇はそもそも性愛を持つてゐるとも詠ふ。そして性の太鼓をしのび打つ。

 岡井の本業は醫師。DR・R(りゆう)。醫の現場性と勞働、硏究、學説、そして勤勞と對をなす安寧の休日といふ觀點から見てみたい。岡井版「仕事と日々」。

  アミノ基が離れて毒となる機作(きさく)あくがれてゆく春を待つ日日に  『斉唱』

  屍(し)の胸を剖(ひら)きつつ思う、此処(ここ)嘗(か)つて地上もつともくらき工房   『土地よ、痛みを負え』
  仮説をたて仮説をたてて追いゆくにくしけずらざる髪も炎(も)え立つ

  肺尖にひとつ昼顔の花燃ゆと告げんとしつつたわむ言葉は  『朝狩』
  休日のさびしさひとり汲みあぐる水系からき悔いをまじうる
  休日のたのしさ金のラッパ手の銀の鼓手より髭濃き絵本
  説を替(か)えまた説をかうたのしさのかぎりも知らに冬に入りゆく


  労働へ、見よ、抒情的傍註のこのくわしさの淡きいつわり  『眼底紀行』

 休日を含む七曜の限りなき變幻は、『土地よ、痛みを負え』の「暦表(かれんだあ)組曲」として大きなテーマのひとつとなつてゐる。


  民ら信ずるおだやかなる七曜の反復(くりかえし)、熟知せる明日が来るのみ  「暦表(かれんだあ)組曲」1序
  漂々とある七曜のおわるころ穀倉ひとつ火を噴きて居し

  
  部屋なかは朝影濃きを踏みながら転々と座をかえて読むかな  2月曜日
  夕暮をただに曙(あけぼの)へつなぐべくチェンバロの薄倖の旋律   

  遠き戦後の流行唄(はやりうた)くちずさみつつ、七曜の就中(なかんずく)くらき朝  3火曜日

  七曜のなかばまで来て不意に鋭く内側へ飜(ひるが)える道あり  4水曜日

  木曜の一隅(いちぐう)へかずかぎりなき打楽器が群れ来り、吾(あ)を待つ  5木曜日
  病む家兎を見舞いて看たり毫毛(ごうもう)のうつうつと陰(ほと)のいろのさびしさ             

  胸を越すあつき湯のなかの孤立(ひとりだち)、またおもう紅潮する独立(ひとりだち)  6金曜日
  項(うなじ)灼(や)く七月の陽もうるわしも空の藍(あい)泡立つばかり濃く
  まつ直ぐに生きて夕暮 熱き湯に轟然と水をはなつ愉しみ
       

  あの積雪のしたにひつそりところがしておくもう一組の週末を  7土曜日
  今日が通りすぎつつ居(い)たりモオツァルトの端然と鳴り狂う真中(まなか)を
  わが思考の突端をいま洗いいる波頭しらじらと、目をあく
       

  日曜の午はやきかな赫々(あかあか)となだれていたる時間踏みつつ  8日曜日
  跳ねてゆく時間(とき)よ、そのうねりつつ灰まだらの背、筋群のふかい軋みよ
  煮えくるう水を愛して夜半すぎし厨(くりや)に居たりけり、怪しむな
  ガラテア書のある一行に目を遣りしまま茫々と週末を越ゆ
       

  七曜のはての断崖(きりぎし) 七日まえ来し日よりなお深む夏草
  9抜

 『海への手紙』に「『カレンダー組曲』ノート」があり、以下のように記されてゐる。

 短歌は――そして詩は単なるアフォリズムではない。問いだけが、調べにのって、ひっそりと読者の胸戸を叩く、というのが極上だ。ねがわくは、一首を切迫した問いだけで充足せしめよ。
      *
 (註:「暦表(かれんだあ)組曲」)の意図について)自然詠とか身辺雑詠とかいうものの再認識、または逆用ということなのであった。(中略)くさぐさの日常茶飯事に触発された短歌お得意の領域をぶらつきながら、実は非日常的な詩の世界を、その中に展開しようとこころみたのであった。
      *
 時間論の試みという抗しがたい魅力をもった哲学的命題があって、宗教哲学では、「時」に対して「永遠」という化物がのそりと姿を見せないと幕があかない。


 岡井の描く小禽類の愛(いと)ほしさがある。偏愛の雲雀、連雀、小綬鷄たち。

  啼く声は降るごとくして中空のいずくに揚がる早き雲雀か  『斉唱』
  冬の日の丘わたり棲む連雀(れんじやく)は慓悍の雄(おす)いまも率たりや
  幻の一隊の柄長(えなが)庭ふかく三角鐘(さんかくしよう)を連打して去る


  帝国の黄昏 無辜(むこ)の白鳥を追いて北方の沼鎖(とざ)さしむ  『土地よ、痛みを負え』
  小綬鶏が一羽乗りこみいたるのみ丘わたりゆく夜の市営バス
  小綬鶏は唱いて丘をすぎしかば嬬(つま)よぶわれとすれちがいゆく
  どこかさびしい岩かげを曲る狂いたる冬鳥のあれ、かかる夜ふけに


  鳥食えばはつかにたのし いでてゆく午後の激しき道おもえども  『朝狩』
  昨日より啼くこえのなお鋭しと書きとどめたるその夜 雁立(かりたち)
  帰り来むつばさを待ちて傍(かたわ)らの小林(おばやし)ひとつ日に干(ほ)し置かむ


  月かげのあふるるばかり肩ありき魔の鳥つどう夜半というべし  『眼底紀行』
  中空の雲雀はしばし横へ翔ぶ覗かむかわが騒ぐ樹液を

  昨夜(きぞのよ) は月あかあかと揚雲雀(あげひばり)鍼(はり)のごとくに群れのぼりけり  「天河庭園集」
  春鷺のつばさ暗めて飛ぶさえや曇りの騒ぐ空にとらえつ
  ひきかえす小路(こうじ)の熱さ耳ばたのなんたる大声の夏雲雀めが


 集中、「魔の鳥」はさすが小禽類には似つかはしくなく、觀念の、喩を飛翔する鳥であらう。最後の「夏雲雀」も、當時の閉塞した作者情況を考慮すると、いささかの大喝采とも、八つ當たりとも思へなくもない。しかしそのとき、それが岡井の救ひにもなつてゐるのだ。

 片や、小動物には獨特の山羊への嗜好が。

  退嬰(たいえい)を許そうとせぬわが前に酸(す)き匂いして牝(め)の山羊坐る  『斉唱』

  十二頭の豕(いのこ)との餐(さん) 昇りゆく天昏々とくらきを訓(おし)え  『土地よ、痛みを負え』

  一月のテーマのために飼いならす剛直にして眸(まみ)くらき山羊  『朝狩』
  
  夏野そはかぐわしき朝沢渡(さわたり)の谷のけものの乳しまり見ゆ  『眼底紀行』

 「だまって小動物を剖いて過ごした夏。実験用山羊を飼いならした冬。僕は歌について多くのことを考え、少量のノートをとった。」 『土地よ、痛みを負え』あとがき

 少量のノートはやがて最初の歌論集『海への手紙』へと結實するわけだが。

 ときに岡井は空を見上げる。特に雲を見つめる。雲は思念の定型(フオルム)か。
  
  うつうつと地平をうつる雲ありてその紅(くれない)はいずくへ搬ぶ  『土地よ、痛みを負え』
  雲に雌雄ありや 地平にあい寄りて恥(やさ)しきいろをたたう夕ぐれ
  乾きたる天にひさびさに放ちたる炎(ひ)のごとき、 そを瞻(み)つつ飯(いい)食う


  昼食を境いにあおき創(きず)ふかまる曇りあまねかりし北空に  『朝狩』
  刃(は)をもちてわれは立てれば右ひだりおびただしき雲の死に遭(あ)う 真昼

  前庭(まえにわ)に入れたる芝の着きそむるころおぼおぼと天の鏡は  『眼底紀行』
  昧(くら)き故ひらかれてゆく美しき青 あけぼのは空の花ばな星とまじわる

  さやぎ合う人のあいだに澄みゆきてやがてくぐもる天の川われは  「天河庭園集」
  雲ははるかに段(きだ)なし沈む北空や巻(ま)き雲ありし昼は過ぎつつ
  雲が捲くゆたかなる白(しろ)日没になお暫しある巷をゆけば
  風花(かざはな)に仰ぐ蒼天(あおぞら)春になお生きてし居らばいかにか遭わむ


 まだまだある。樹木、特に楡、楡は喩の木。そして林、搖れる枝々。ときに花が、緑が、紅葉が……。

  宵闇にまぎれんとする一本(ひともと)が限りなき枝を編みてしずまる  『斉唱』

  産みおうる一瞬母の四肢鳴りてあしたの丘のうらわかき楡  『土地よ、痛みを負え』
  暗緑(あんりよく)の林がひとつ走れるを夕まぐれ見き暁(あけ)にしずまる

  天のなか芽ぶける枝はさしかわし恋(こほ)し還り来し地と思うまで  『朝狩』
  明るさのそこまで来つつためらうを花梗の林すかし見ている

  喜こびに遠く悲しみになお遠く一樹一樹(ひときひとき)と咲き昇りけり  『眼底紀行』
  そよかぜとたたかう遠きふかみどりああ枝になれ高く裂かれて
  ここからは夜へなだれてとめどなき尾根の紅葉に映えてわが行く
  くさぐさの抱擁を経て来ておもう樹を抱くときの葉腋の香よ
  揉まれつつ夜へ入りゆく新緑のさみどりの葉のねたましきかな


  春の夜の紫紺のそらを咲きのぼる花々の白 風にもまるる  「天河庭園集」
  精神の外(と)の面(も)の闇に桜咲きざくりと折られゆく腕がある
  転形へ暗示をふかめつつあるは百日紅(ひやくじつこう)のたわわなる白(しろ)


 續いて先に見た性の時閒を巡る夜の姿態と異なる夜の橫顏、そして晝の橫顏。

  夜半(やはん)旅立つ前 旅嚢から捨てて居り一管(いつかん)の笛・塩・エロイスム  『斉唱』
  眠られぬ又眠らざる夜がゆきてイリスは花を巻きて汚(よご)るる    

  せめてわがめぐりの夜と睦みいん一缶の水沸き立たしめて  『土地よ、痛みを負え』
  匂いにも光沢(つや)あることをかなしみし一夜(ひとよ)につづく万(まん)の短夜(みじかよ)
  しずかなる応(いら)えをきく夜わがうちに王国も築きうべしとおもう


  たましいの崩るる速さぬばたまの夜のひびきのなかにし病めば  『朝狩』
  中世へさかのぼりゆく一群をおくりて暑き午後へ降(お)りたつ
  発(た)ちし夜の妖(あや)しきまでの明るさを恋えば、戦後こそわがカナンの地


  願望の底ごもる夜(よ)をつらぬきて星の林へ行く道なきや  『眼底紀行』 
  移りゆくくれないの刻(とき)藍のときかたぶく昼を怖れて居れば    
  
  夜のほどろの夢にわれら選ぶミンナ・ドンナ・ヘンな艱難   「〈時〉の狭間にて」
  父よ父よ世界が見えぬさ庭なる花くきやかに見ゆという午(ひる)を

  憂愁の午前黙(もだ)あるのみの午後杉綾(すぎあや)を着て寒(かん)の夜に逢う  「天河庭園集」
  四月二十九日の宵は深酒のかがやく家具に包まれて寝し

 神は細部に宿る、とばかり際限ない分類は續くのだが、今稿はここまで。次囘は第三歌集『朝狩』の紹介から、冒頭に約した「或る私的事情」の周邊を彷徨つてみたい。

短歌時評第138回 良い短歌という実践——短歌甲子園に関するいくつかの断片 浅野大輝

2018-11-02 02:44:13 | 短歌時評

 良い短歌ってなんですかね、と彼女は言った。
 その答えを、私はいまだ見つけられずにいる。



 岩手県盛岡市にて「第13回全国高校生短歌大会(短歌甲子園2018)が開催されたのは8月17日〜19日。一方、宮崎県日向市にて「第8回牧水・短歌甲子園2018」が開催されたのは8月18日〜19日。あの夏の戦いから2ヶ月が経過したのかと、少し驚く。
 「歌壇」2018年11月号では、その2つの短歌甲子園について田中拓也・笹公人の両氏による報告が掲載されている。


 団体戦は柔道・剣道の団体戦のように先鋒・中堅・大将の順番で三名がそれぞれ自作を披露し、五名の審査員の判定を仰ぐというスタイルである。
田中拓也「短歌甲子園二〇一八報告」[1] 



 ルールは、野球の打順に見立て、各校1〜3番の生徒(バッター)が順番に短歌を披露し、批評し合う形式で攻防を繰り広げる。ディベートが終わったあとで、3人の審査員が紅白の旗を上げて勝敗を決める。続けて審査員が総評を述べて試合終了という流れである。
笹公人「第8回『牧水・短歌甲子園2018』観戦記」[1]


 「短歌甲子園」は岩手県出身の歌人・石川啄木を顕彰した大会。そしてもう一方の「牧水・短歌甲子園」は、宮崎県出身の歌人・若山牧水を顕彰した大会。前者は啄木に倣った三行分かち書き形式の短歌作品をその場で与えられた題に沿って即詠し、その作品に対して審査員による質疑応答を行ったのちに勝敗が決定する形式を採用している。一方後者では与えられた題に沿って制作した短歌を事前に提出し、作品についてのディベートを実施したうえで最終的な勝敗を決する。同じ短歌甲子園という呼称が用いられてはいるが、その採用しているルールは上記のように異なり、それぞれの大会の個性ともなっている。私自身は盛岡・短歌甲子園(便宜上このように表記させていただく)の出場経験者で、かつ近年は盛岡・短歌甲子園の審査員を担当しているため、前者の形式の方が馴染み深く、牧水・短歌甲子園で採用されている形式は新鮮に思える。
 2つの短歌甲子園のルール上の大きな違いはディベートの有無や三行分かち書きの有無がよく挙げられるが、個人的には勝敗が決したのちの審査員の総評の有無という部分も影響が大きいように感じている。盛岡・短歌甲子園では、選手である生徒と審査員との間での質疑応答という形で、選手が自身の作品、あるいは短歌という表現形式や自分自身について理解を深めることを促す。ただし、勝敗が決したのちに審査員からの総評は行わない。これは時間の制約という大会進行上の観点によるものでもあるだろうし、審査員から何か答えを与えるのではなくその後選手自身が深く思考を巡らす余地を残すという観点によるものでもあるだろうが、表現上の細かい部分や勝敗の理由については触れられないままになってしまうという問題もある。
 ここ数年審査員を務めて実感していることだが、盛岡・短歌甲子園の大会進行スケジュールは非常にタイトである。スムーズな大会運営は多くのスタッフ・ボランティアの働きによるところが大きく、どの人も時間的制約のなかで最大限の仕事を行うように努めている。そして、それは審査員も同様である。盛岡・短歌甲子園では10名前後の審査員が毎年いるが、どの審査員も必然的にタイトな進行のなかで歌の評価のプロセスを繰り返さざるをえず、なかなか控え室から頻繁に出て会場の選手達とコミュニケーションを取るということが難しい(そう、実は審査員は会場に姿を見せていないときも、多くの場合控え室で選手達の作品と格闘している)。この状況下では、空き時間に審査員と選手とが直接やりとりするということがしづらく、上記の問題が宙吊りのまま放置されてしまうことになる。
 時間の制約面では厳しい部分が多いが、予め評の時間を念頭に入れた上でスケジュールを設定するというのも、問題解決の一つの方法となるだろう。その意味で、牧水・短歌甲子園の方法を参考に、盛岡・短歌甲子園の運用手順を見直すというのも有効な手立てとなるかもしれない。2つの短歌甲子園が、大会運営という面でも互いに高めあっていけるような状況を生み出していくことが、今後より重要になってくるのではないだろうか。
 田中・笹両氏の報告では、参加した選手たちの姿や作品など大会中の会場の様子がわかりやすく記載されている。選手として参加していた高校生の方で、こうした短歌の総合誌を読んだことがなかったという方も、この機会にぜひ手にとって読んでみてもらいたいなと思う。



 大会期間中の様子というのは前述の両氏の報告を読んでいただくとして、ここでは盛岡市で行われた「短歌甲子園2018」で個人的に気になった作品をいくつかピックアップして紹介したい。
 特に大会期間中に受賞等がなかった作品は外部的に取り上げられることが少ない傾向があるため、ここではそのような作品を優先的に取り上げる。ただし、非常に数が限られた選歌となることは予めご了承いただきたい。また、引用は基本的に大会資料に基づく。大会資料自体に誤記が含まれている場合も稀にあるため、もしも自身の作品や情報などが誤って引用されているなど何か問題がある場合には、一度筆者(https://twitter.com/ashnoa)までご連絡いただきたい。ここに書かれた評は審査員一同としての評ではなく筆者個人の評であることも断っておく。他の審査員が、ここに書かれていることとは全く別の観点で歌を読んでいるということは当然ありえる事だと思って欲しい。


日常に死は紛れこむ
窓枠に音もないまま
崩れたる蠅
/中村朗子


 個人戦の題詠「音」に提出された1首。「音」という題に対して静寂を持ってくるという感覚の鋭敏さ、それを蠅という小さな昆虫の崩壊につなげて日常のなかの「死」を炙り出すという巧みさが光る。「日常に死は紛れこむ」というフレーズはぐっと引き寄せられるものがある一方で少し観念的すぎるものでもあるが、そこを「崩れたる蠅」という細やかな具体的描写で回収するというところに、この歌のバランスの良さがあるだろう。その意味で、非常に短歌的な短歌でもある。既存の短歌から、そのエッセンスを抽出して自分のものにできているのではないかと感じられる。個人戦では受賞を逃したが、学ぶところの多い名歌だと思う。


内蔵の飛び出たミミズ乾きゆく
新地の轍
ゆっくりと夏
/野城知里[2]


 団体戦1次リーグ題詠「新」で、後に優勝した茨城県立下館第一高等学校から1ポイントを奪い取った1首。「新地」には「さらち」とルビが振られる。「内蔵の飛び出たミミズ」が「乾きゆく」という死の細やかな描写から、夏の時間もしくは夏に至るまでの時間の表現へとつながる。夏の滞留するような時間感覚を、うまく言葉のうえに乗せることができているように思う。死と夏の親和性の高さを掬い上げているのも良いが、「さらち」という言葉の表記に「新地」という字を当てたことで、崩壊だけではなく再生の雰囲気も感じられて、味わい深さが増しているように感じられる。
 三行分かち書きという形式の特徴は、その三行に分けるという表記から必然的に歌のなかに2回以上の(軽い)切れが発生するという部分にある。現在一般的な1行で記載される短歌では切れが2回以上必然的に埋め込まれるということは基本的にはないため、この形式上発生する切れをどのように処理するかが三行分かち書きの表現に影響を及ぼしてくる。そういった意味で、ただ漠然と形式上の切れに甘んじるのではなく、時間などの流れの緩やかさを切れで表現していくというこの歌の手法は、非常に参考になるものであるだろう。


「久しぶり」
埃はらった自転車で
兄から借りた景色に向かう

/佐久間このみ


 題詠の題は「転」。題から「自転車」という単語が出るのは考えられることだが、そこを自分のではなく「兄」のものとしたこと、そしてそれによって出会える景色を「兄から借りた景色」と言い述べたところに力がある。「兄」や「景色」が主体にとってどのようなものかは完全に読者の読解に委ねられているが、「久しぶり」という言葉も相まって、どこか距離や切なさを感じさせる。歌が歌の外に広がるドラマにつながっているような魅力があると言える。
 通常、鉤括弧を利用した発話の表現は少しクセが強い印象で、なんとなく避けたくもなりがちであるが、この歌では行分けによる効果もあってあまり苦にならない。表記から受ける印象というところまで考慮した上で表現を選択するのは重要なことで、うまくバランスを探っていきたいものだと思う。


新緑の中
風になる少年の
虫取り網が今振りかぶる

/西山綾乃


 題詠の題は「新」。「新緑」と「風になる少年」という2つの要素は少し言葉の距離が近くイメージの広がりには欠けるかもしれないが、逆に言えば隣接するイメージを探し出して1首の中に構成してみせるという能力があるとも言えるかもしれない。
 着目したいのは3行目の「虫取り網が今振りかぶる」。一首としては少年が虫取り網で昆虫採集をしている情景を表すものと思うが、それならば通常は「少年が/虫取り網を」という助詞の斡旋になるところを、この歌では「少年の/虫取り網が」と多少屈折した言い方で表現してくる。この屈折が、非常に魅力的だと私には思える。この歌が採用している助詞の配置は「虫取り網」に一瞬主語が来るように見えることから、主体の視点が少年の動きから虫取り網の動きに移っていく感覚を、より強く読者に与えてくる。視点の動きと、「風になる少年」が振るう虫取り網のスピード感が、とてもよくマッチしているのではないだろうか。助詞の配置だけでも歌が大きく変わってくるということは、常に忘れずにいたい。


何もかも愛してほしい
空襲の跡地に
花のあふれるように

/大幡浅黄

ただ歩くだけでは
すぐに消えるから
命の重さで刻む足跡

/鈴木そよか


 団体戦1次リーグAブロック第1試合大将戦。題は「跡」。私自身はこの試合の審査を行っていたが、大会開幕後最初の大将戦がこのように力作対力作の勝負となり、良い意味で頭を抱えさせられた。
 大幡作品では、1行目の「何もかも愛してほしい」というフレーズのストレートさにやられた後、紡がれる崩壊と再生のイメージにぐっと心を掴まれる。イメージの広がりとメッセージの強さがともに味わえる作品だと思う。対する鈴木作品では、静かで繊細な1行目・2行目ののちに「命の重さで刻む足跡」という力強いフレーズが打ち出される開放感がある。繊細さのなかに意志の強さが垣間見える一首である。「愛してほしい」という受動的なフレーズを核に置く大幡作品と、「命の重さで刻む」という能動的なフレーズを核に置く鈴木作品という、非常に対照的な2首が競い合う名勝負であった。勝負の結果は3対2で鈴木作品の勝利となったが、どちらが勝ってもおかしくない勝負であったと感じる。
 両作品とも多少観念的ではあるが、それでいて単なる心情や思考の吐露に終わらない魅力があるのは、ひとえに両者のフレージングの妙にあるだろう。大幡作品であれば1行目、鈴木作品であれば3行目のような、それだけで人を惹きつけうるフレーズを1首の核として、そこから歌を立ち上げていくというのも、非常に効果的な手法の一つである。



 良い短歌とはなんだろうか。
 古今東西、さまざまな人がさまざまな形でこの問いに答えてきたが、結局のところその答えは各人に委ねられる。そして付け加えるなら、たとえ良い短歌の定義が明確にあったとしても、その定義をわかっている人が良い短歌をつくれるという保証はない。
 翻っていうなら、良い短歌というのは歌を詠む/読むという実践のなかでのみ見出されるものであるのかもしれない。私たちは良い短歌というものの定義を言葉の上に展開することは未だ出来ていないかもしれないが、しかし短歌と出会った時にそれが(少なくとも自分自身にとっての)良い短歌であるということに気がつくことができる。そうであるなら、いま私たちにできることは、私たちの出会った短歌の様相をできる限りつぶさに観察して、その良さというものをさまざまな方向からさまざまな形で描き出すことのみであるようにも思う。それによって生まれる膨大な数の良さのスケッチは、いくら描いても良さそのものには到達できないかもしれないが、だからといってそのスケッチの価値が失われることはない。ある短歌に出会ったとき、それが少なくとも自分にとって良い短歌であると感じられるなら、たとえ良さそのものの定義に到達できないのだとしても、その良さをあらゆる方法で語っていく。そのような実践のみが、私たちに良い短歌をもたらしてくれるのではないだろうか。
 良い短歌と出会う。そのために必要なのは、自身のなかで短歌や創作というものに対する思考や感覚を研ぎ澄まして実践を重ねていくこと、そして自分自身のそれを他者のそれとぶつけ合いながらあらゆる可能性を探っていくことであるだろう。そうした活動の一つの場として、短歌甲子園とは非常に貴重な機会であると思う。自分だけでは到達できない場所にも、他者の声があれば到達できることがあるかもしれない。創作はきっと、ひとりきりでするものではないのである。


■註
[1]「歌壇」2018年11月号(本阿弥書店)掲載。
[2]1行目「内蔵」は原文ママ。提出時もしくは資料作成時に混入した「内臓」の誤記の可能性あり。