「詩客」短歌時評

隔週で「詩客」短歌時評を掲載します。

短歌時評 第103回 みたび震災詠について その一 田中 濯

2013-09-25 16:54:57 | 短歌時評
 ながらくお世話になってきた詩客短歌時評であるが、私の担当分は本稿を合わせて残り二回となった。なかなかに感慨深いのであるが、最後に何を書くべきなのか考えてみて、やはり震災詠について書いて締めくくるのがよいだろうという結論に至った。
 そこで今回と次回は、これまでの震災詠の簡単な総括と今後の展望について、時評的話題を絡めつつ議論していきたく思う。ここでのポイントは、震災詠には「展望」が必要になってくる、ということである。これまでの社会詠は、1ー2年経てば、自然消滅して終わり、というものがまことに多かった。これを見込んで、震災詠には「触れない」「詠わない」立場をとった歌人も多かったように思う。ただ、周知のように、原発事故処理は、いつまでたっても喫緊の問題のままであり、東京五輪誘致の際の話題も含めて、少なくとも今後七年間は、目前の問題としてあり続ける可能性が高くなった。もちろん、原発事故以外の問題、復興や被災者支援、増え続ける被災関連死なども巨大なテーマであり続けるはずだ。
 これらの問題群を、発災当時の発想で「処理」していくことは、おそらく限界の時期だと考える。状況に応じ、柔軟に粘り強くあらなければ、震災や原発を詠うことには困難が増すだけだろう。よって、なんらかの展望が必要である、というのが私の意見である。


 岩波書店発行の隔月刊文学専門誌「文学」2013年7、8月号をたいへん面白く読んだ。今号の特集は「浅草と文学」であった。前史としての江戸時代の「浅草」地域から筆が起こされ、明治時代に公園が作られて、上野や日比谷と対照的な性格をより鮮明にしていったこと、大衆的な芝居・映画・風俗が蓄積し流れていく場所であること、関東大震災と第二次大戦の空襲により短い間に二度も消滅したこと、そして宗教的中心である浅草寺の圧倒的存在感などなど、浅草のバックグラウンドを詳細に多方面から記述しつつ、浅草を根拠にした、あるいは浅草に立ち寄った文学者や文学が語られていた。最近の大収穫であった。
 さて、非常にバラエティに富んだ特集ではあったのだが、私がやはり引っかかってしまったのは、石川啄木がしきりに取り上げられていることであり、また、以下の二首が引用されていることであった。

浅草の凌雲閣にかけのぼり息がきれしに飛び下りかねき
浅草の凌雲閣のいただきに 腕組みし日の 長き日記かな


 すこし説明をしておくと、凌雲閣はいわゆる「浅草十二階」で、当時の浅草、いや東京全市を代表する建築物だった。浅草十二階下には、巨大で複雑な私娼街が広がっており、「魔窟」とすら呼ばれていた。聳え立つ塔と、その下に広がる猥雑な街並みというのは、非常にわかりやすい。啄木はこの街に魅せられ、また、私娼のもとに通いつめた。当時の彼は、経済的な危機に加えて精神的な危機も抱えており、当時のいわゆる「ローマ字日記」には希死念慮を書き連ねている。一首目はその精神のありようを表現したものであり、二首目の「日記」の指すところは、この「ローマ字日記」とするようである。もっとも、肝心のその日記の内容の多くは、極めて下卑たものではあったのだが。
 これは啄木の暗い一面である。あるいは、啄木はもともとダークサイドなタイプであり、これこそが彼の歌の魅力の根源にあるのかもしれない。ともかくは、啄木は浅草十二階に登った人間であった。

浅草名物凌雲閣十二階の残骸を爆破

 三十四年の興味ある歴史 八階目より崩壊した浅草公園の十二階は、二十三日午後一時爆破することになり、その昔「縁かいな節」に「上る凌雲閣十二階、見下ろすパノラマ館かいな」等と唄われ東都の一名物が、無残にもここに消えて仕舞う記憶を刻印されるのである。(略) 殊にこの十二階の下には妖女の魔窟が群居し、十二階下といえば浅草公園中の悪辣なる白首の代表的なるものが集中していた。十二階下の妖女には多く文身(いれずみ)の女がいて、強賊稲妻小僧の情婦紫羽織の何とかという女もこの魔窟にいた。従って今日でも十二階下の女といえば、直ちに魔女として通っていたが、十二階爆破とともにこれらの名も湮滅して仕舞ったわけである。 [大正12年9月23日 中央新聞]

 浅草十二階は大正12年(1923年)9月1日の関東大震災により倒壊した。残った部分も、危険だということで、9月23日というかなり早い段階で爆破処理された。今から90年前、啄木の歌から約20年後の出来事である。浅草は、浅草寺以外は全焼したのであった。
 さて、一度壊滅した東京は、後藤新平の計画により、劇的な復興を遂げることになる。地震の約三年後には昭和天皇が即位し、元号も改まった。ひとびとは新時代の到来を体感しただろう。震災は「深い傷跡を残したが、それらは過去のものになっていった」というテンプレート文なり、ナレーションが脳裏に浮かびあがるところである。

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 「短歌研究」2013年9月号において、今年の短歌研究賞が発表された。受賞者は大口玲子、受賞作は「さくらあんぱん」28首であった。

震災後八日で仙台を離れたるわれが震災の日を語りをり
仙台に留まらざりし判断に迷ひはないかと言はるればなし

 / 「さくらあんぱん」


 小池光は講評で以下のように述べている。

 作者は大震災後、生活していた仙台を離れて遠く九州宮崎に移り住む。福島原発の放射能汚染を心配しての行動と思われる。小さなこどもがいる。このいのちをなにがなんでも守らねばならない。そういう思いが民族移動にも似た大決断をさせ、実行させた。行動力に驚くと共に、こういう「異常な」日々にあって作者を支えていた大切な部分に短歌があったことを知らされる。明らかに書くことで救済される必死のたましいがある。

 私が付け加えるべきことは何もない。歌の力量に加えて、そのようなストーリーが受け入れられたということである。おそらくは同様の理由で石垣島に転居し、同様に歌集も出版した俵万智といったい何が違ったのか、考えてみることは無駄ではないだろう。
 同誌には受賞後第一作「この世界の片隅で」50首が掲載されている。力作である。

You Tubeの小さき窓よりバチカンに幾万の傘濡るるを見つむ
独り来て句集ひらけり居酒屋の全席禁煙蜜のごとしも
「おとうさんといつしよにくらせますやうに」大人の期待に応へ書きたり

/「この世界の片隅で」


 この連作では50首全てに詞書が付与されている。すべて日付と、原発、震災、政治関連の記載からなる。その記述のありかたは、新聞のリード文を強く想起させる。例えば、挙げた三首目の詞書は以下のものである。

 7月7日(日) 東京電力は、福島第一原発の港湾近くの観測井戸で、地下水から1リットルあたり60万ベクレルの放射性トリチウムが検出され たと発表

 目論んでいるものは明白である。詞書と歌の内容には、直接の関連性はない。詞書は現実、歌は「この世界の片隅で」歌を作る大口の、小規模な現実である。その落差が、現実の異常性を増幅させる仕組みである。最終歌の詞書を、汚染水海洋流出を東電が最初に認めた日、に設定するなど、構成全体もなかなか凝っている。
 大口の歌の特徴は、これらの徹底的な俯瞰性によるところに見て取ることができる。率直に言えば、仙台から宮崎への移住とは、かなり感情的な行動である。また、現時点でも、「避難先」から仙台に戻らないでいる、というのは、福島県内へ戻るひとびと「すら」多くなっている現状を踏まえれば、また、多くのひとびとが実際に生活していることを踏まえれば、これまたかなり「頑固」な振る舞いだと思う。ところが、歌においては、その自分をしっかりと客観視できており、冷静で、どこかシニカルだ。まことに不思議なことである。第二歌集『東北』においては、自身の疾病を緻密に表現するところに凄まじさがあったのだが、その資質は現在でもくっきりと継続していると言える。そのうえで、読者には、「客観視している大口」の痛々しさ、なり、「無理をしている」感じが、はっきりと伝わる。このあたり、企んだ部分を超えた何かがある。小池光のいう「必死のたましい」、だろうか。
 とはいえ、一方でなにやら限界の雰囲気を感じなかったわけでもなかった。私が「この世界の片隅で」を最初に眼にしたときの直観は、マンガ?(原爆?)、と、原稿が黒い、というものだった。前者の「タイトル」については、こうの史代の作品のイメージを含めたものであろうから、故なし、とは考えない。また後者は、これは端的に、歌よりも詞書が圧倒的に多い、ということを指す。私は、短歌において、詞書の多用には強い意見を持つ人間である。そのような、バイアスを持っている。そのバイアスを自覚しながらも、私は、大口の今回の詞書を軽々しく是とはできない。それは、量ではなく、内容の故である。
 「この世界の片隅で」における詞書は、客観的だが、そのぶん、被災地からは遥かに遠い。もちろん、この連作はその「遠さ」を逆手にとった手法であり、そこに凄味もあるのだが、残念ながら、何度も使用することはできない方法でもある。これまた端的にいえば、現状の大口において、社会的事象とリンクするドラマは、ほぼ終結したのだと考えている。あとは、個人の、もしかしたらありふれたドラマが待っているのみで、それが震災・原発にリンクすることはないか、あるいは弱いつながりに留まるのではないだろうか。
 私は昨年、震災詠を採録した歌集を分析し、それらを「避難した者」「残るほかない者」「遠くにいるほかない者」の三つのカテゴリに分類したことがある。今年の時点では、このカテゴリは「残るほかない者」「遠くにいるほかない者」の二つに収斂したと考えている。時の流れは、「避難した者」を次第に「遠くにいるほかない者」に変えていったのである。被災地の内と外、両方に立ち、バランスよく、俯瞰する位置にあり得た「避難した者」の特質はほぼ喪われたのだと考えている。つまりは、作り手も読み手も、震災詠を読むときに、時間経過の刻印をはっきりと意識しなければならない時期だということである。

短歌時評 第102回 「共有資産・通貨」 ~短歌研究新人賞作品を読む~ 柳澤美晴

2013-09-11 11:37:11 | 短歌時評
 「短歌研究」九月号で、第五十六回短歌研究新人賞が発表された。今年の受賞者は、二十五歳の山木礼子。未来短歌会に所属し、平成二十三年度未来賞を受賞している新鋭であり、栗木京子と米川千嘉子がそれぞれ一位に推している。

触つてはいけないものばかりなのに博物館で会はうだなんて
みなみかぜ 二足歩行のはじめにはだれもが胸を隠さざるまま
その口にすずしく並びそよぎゐむ草食ふ牙も肉食ふ牙も
 
「目覚めればあしたは」


 博物館でのデートに題をとり、太古へと詩想を馳せた一連である。惑星の誕生、まだ真新しい星にいて鳴き交わす竜の親子、猿人からひとへの進化、四大文明の発生、など地球の辿ってきた歴史を追慕することで、今を生きる自分自身の存在のふしぎを問う。直接的な相聞歌はないものの、「触つてはいけないもの」を出すことで、互いの体に触れあいたいという女心を出すなど、雰囲気の作り方が上手い。
二首目、栗木京子が選評で「たしかに言われてみると、はじめはバランスをとるだけで大変で手を振りながら歩いたから胸なんか隠す余裕はなかったのかと」と言うように、四つん這いでいたものが、はじめて立ちあがり歩いた時のぎこちなさ、不安定なからだの揺れなど身体感覚に訴える発見をしている。しかも、あらわになった胸を注視する点は、やはりきわめて女性的である。官能的かつ、かすかに冷めている視線が魅力的だ。
 三首目は、一読した際に一番印象に残った歌だった。人間が雑食のいきものであることを言っているのだが、「草食ふ牙」「肉食ふ牙」と並べることで草食動物、肉食動物を想起させると共にそれら動物との進化上の分岐をはるかに偲ばせ、深みのある一首に仕上がっている。「そよぎゐむ」の一語がまた、草原で風に吹かれる動物を思わせて上手い。
しかし、穂村弘は選評で、この「そよぎゐむ」と

たつぷりと遊びつくしたあとに来る小筆のやうなさびしさがある 

 の「小筆のやうな」という比喩を取り上げて、「すごく短歌的で歌人みんなの共有資産的であるために、逆に短歌を知らないとぴんとこないと思うんです」と否定的な見解を示す。この発言を読んで、まだ塚本邦雄が選考委員だった頃の短歌研究新人賞の選評で「通貨」という言葉が使われていたことを思い出した。「共有資産」、「通貨」、どちらも意味するところは同じである。誰かが発明した表現上の工夫を他の誰かが真似して使い出す。頻繁に使われることによって、その工夫から発明者の紋章は失われる。そして、いつしか、誰もが簡単に手にすることができ、誰もがその恩恵に預かることができるものとして短歌界にひろく流通してゆく。結果、全体の作歌作法上の技術はどんどん底上げされていく。そして、当然、過去の短歌作品を真面目に学ぶ者ほど、より多くの「共有資産・通貨」に気づき、手にすることができるのだ。
また、加藤治郎は「たつぷりと」の一首を引き合いに出して、<この初句の「たつぷり」は、河野裕子さんから俵万智さんまで短歌的な「たつぷり」ですね。よく言えば短歌的なツボを押さえているけれども、ちょっと新鮮さに乏しいかなと感じます>と述べる。ここに出てくる「短歌的なツボ」も「共有資産・通貨」と似た意味を持っているだろう。
 つまり、山木の上手さは、これまでの短歌作品の中ですでに試みられ、あらかじめ短歌界に共有されている技術に基づくものだと考えることもできる。「減点要素がほとんどない」としつつ、穂村が山木の作品に懐疑的なのもそこだろう。「新人賞を選ぶとき、はじめて見る何かやその人だけのものを多少無理しても見たいという気持ちがあるから、この作品に栗木さんや米川さんにない、とても私たち及ばないわみたいなものをどこに見出すのかというと、ちょっと弱いんじゃないか」という穂村の言葉は重い。上手いことは、決して悪いことではない。だが、その表現上の工夫に先人の影がさすと作品のオリジナリティに疑問符がつくのだ。そして、何より私たちが「共有資産・通貨」の存在に気づきながらも、作歌の際にはその存在についての判断を保留し、結果、生まれた歌の固有性を主張してしまい、それが必ずしも間違いではないから問題の根は深い。そう、発想や発見、文体、表現された形に影響を受けた痕跡を見とったとしても、一首として訴えているものが違えば、それはその作者独自のものである。そこに疑問の余地はない。しかし、と胸にわだかまりが残ることも確かなのだ。
まあ、山木に関して言えば、文語を基盤にしながら軽い口語文体に遊ぶなど自身の可能性を探っている途上のようなので、これからどんどん変化して楽しませてくれるものと期待する。
 そんな穂村弘が一位に推し、今回次席を得た一人が、二十二歳の井上法子である。

その森はきまぐれだから気にせずに愛されている島にお帰り
逆鱗にふれる おまえのうろこならこわがらずとも触れていたいよ
これまでのあかりを空に送りだし 陽炎 きっと憶えているわ 

「永遠でないほうの火」


 穂村が選評で「マジカルな摂理がその文体の息遣いにある」と言うように井上の作品の生命線は、直感的かつ肉体を感じさせる文体だろう。「島にお帰り」「こわがらずとも触れていたいよ」「遠くへお行き」「きっと憶えているわ」など一連に多く盛りこまれたセリフが、歌を生々しく立ち上げる。このしゃべり言葉の演技性が強いというか、まるで書き言葉に訳されたようなしゃべり言葉なのだ。なんとなく、絵本で描かれる強い母親がしそうな言葉づかいと言おうか。勢いにまかせた文体に見えるが、無防備にひらめくままに言葉を定型にのせたのではなく、世界観を意識して作りこんだもののように思う。そして、「むしろ既視感のある歌、あるけどなあ」という栗木の印象は、この文体によるところが大きいのではないかという気がした。

できるだけ遠くへお行き、踏切でいつかの影も忘れずお呼び
「永遠でないほうの火」


ほんとうに熱そうに焼けるねするめ わたしを通って遠くへおゆき 
雪舟えま『たんぽるぽる』


 雪舟の歌は、第五十二回短歌研究新人賞次席作品の「吹けばとぶもの」中の一首。栗木が選評で雪舟えまの名を挙げ、「ああいう励まし方を思い出す。肩寄せあってみたいな感じ。」と言うのに対し、米川千嘉子は「雪舟さんもちょっと母性的なものがあるから」と答えている。そう、井上の文体には雪舟に似通うところがある。加えて、提出した二首は、図らずも「遠くへお行き」と「遠くへおゆき」とフレーズが共通している。これも、比較的新しめの「共有資産・通貨」と見做していいものか、悩む。
 とは言え、井上の作品でわたしが一番興味深かったことは、個々のフレーズのイメージのぶつかり合いによって一首が空中分解していることだ。

花かがり 逢えぬだれかに逢うための灯(ひ)の、まぼろしのときをつかえば
シャボン玉吹けばひとつの夜が浮かびそうして綴じることをゆるされる

「永遠でないほうの火」


 一首目、「花かがり 逢えぬだれかに逢うための灯の」は、夜桜を見るために灯す花篝をだれかに逢うための灯りととらえているところまでは分かるが、「まぼろしのときをつかえば」がどこにかかるのだかさっぱり分からない。花篝に照らされた幻めいた時間を使えば逢うことができるという意味だろうか。空白部分を想像でかなり補強してやらないと一首として完結しないのだ。二首目は、「綴じることをゆるされる」がやはりよく分からない。何を綴じているというのか。夜を綴じるということで、一日の終わりを意味しているのか。それとも、日記でも綴っているのか。言葉が断片的な点や、イメージとイメージの飛躍のあわいに生じる空白を味あわせるところなど、なんとなく現代詩の手法を思い起させる。

非常用のごはんなら まだある 牡蠣フライなら まだ
予告された摩擦は 足早に過ぎ なにもなくてよかったね
はや はるだ 地上を窺う しつこく掘り返される穴底から
窺ってみる みどり みなぎる みささぎ 見巡り
みかどのみみかざりなど拾って帰る晩は はやい男などいて

蜂飼耳『食うものは食われる夜』


 「誰にも見えない降伏の旗」という詩の一部を引用した。個々のイメージの断片の多層構造、その響きあい、あるいは反発が詩に肉体を付与する。その時、フラグメントと化した言葉と言葉のあわいの空白が詩を前へ前へと推進する力として働く。対して、井上の歌の場合は、結句までいってもイメージの断絶が解消されないため、空白は空白のまま保たれ、個々のイメージは空中に浮遊したままとなる。背景が読み取りにくい難解な短歌はあっていい。だが、三十一文字のどこかに着地点がないものは、どうしても印象が散漫になる。だから、加藤が言うように、「いいフレーズがあるんだけど一首としては弱い」のかも知れない。
 さて、もう一人の次席、三十三歳のみかみ凛の作品「きつね森」にもふれておきたい。

まはりみちするとき聞こえる聲があるきつね森から夕虹抜けず
「いいね」とは「いんや」に近く村中が同意のままに未だ進まず
蒟蒻をから炒りすればぴろぴろと私もここにゐていいといふ    

「きつね森」


 みかみは、加藤治郎が一位に推している。ペンションで働くために都会から田舎の村に移り住んだ、言わばIターン就職を題材とした一連である。加藤の言うように、外部から来た人間による村の再開発という設定自体は短歌には珍しい。「きつね」「駝鳥」「熊」「牛」など色々な動物が出てくるが、引き合いに出されている前登志夫の霊的な描き方とは違って、どこか牧歌的でユーモラスだ。一首目、多くのきつねが棲む森を村では「きつね森」の名で呼んでいるのだろうか。森に刺さって抜けない虹という把握に豊かな自然の力を感じた。二首目、全員が同意しても改革がなかなか進まない状況をつく。村社会の実際をよく摑んでいる。三首目、不安を持ちながらも村になじんでいこうとする作者の心情を「ぴろぴろ」の脱力したようなオノマトペに託して、なかなか巧みだ。他に、「癒し」という言葉を村に当てはめたがる新聞記者への嫌悪感を詠むなど批評眼がある作者だと思った。それだけに、村の習俗を理詰めでとらえている面が惜しまれる。もう少し、村に寄り添ってゆったりと詠うこともできたのではないか。本作は、過疎の村の立て直しを題材としているが、このように社会的問題を取りあげた際はおうおうにして説明によって歌を縛ってしまいがちである。事柄の推移に力点を置くため、作中主体の感情や状況が単純化されるのはある意味、仕方のないことかも知れない。ただ、説明によって一首の情報が重くなるあまり言葉が生動せず、詩の生理が殺がれることは好ましくない。「きつね森」を読むと、社会的問題をいかに「詩」として抱えこむかという問いを改めて突きつけられた思いがした。「ここにゐていいといふ」の先に、どのような答えを描いてゆくべきか。短歌の連作が、細断された散文の集合体ではないことをいかに証明してゆくべきか。
 今回の短歌研究新人賞の上位には、まったく違う個性をもつ作品が揃い、それぞれに現代短歌が越えるべき問題を提示しているように思った。これからの三者の歩みを見守ると共に、他の作者の作品も含めて、これらの問題について引き続き考える機会をもちたい。

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柳澤美晴(やなぎさわみはる)

未来短歌会、アークの会所属。
第19回歌壇賞受賞。
歌集『一匙の海』で第26回北海道新聞短歌賞、第12回現代短歌新人賞、第56回現代歌人協会賞受賞。
北海道在住。