「詩客」短歌時評

隔週で「詩客」短歌時評を掲載します。

短歌時評156回 重くれの良さ 大松 達知

2020-05-30 21:20:24 | 短歌時評
 この二ヶ月くらい、多くの魅力的な歌集に出会った。
『体内飛行』石川美南
『どんぐり』大島史洋
『丈六』柳宣宏
『展開図』小島なお
『ナラティブ』梶原さい子
『風と雲雀』富田睦子
『飛び散れ、水たち』近江瞬
など。
 中でも、大島史洋(今年7月で76歳)と柳宣宏(今年4月で67歳)の二人の歌集に、短歌とは何かを考えさせられた。
 年齢はそんなにたいせつなのか? という議論はある。
 「コスモス」は今年4月から、折り込みの詠草用紙にあった年齢(と職業)の欄を除いた。(もともと性別欄はない。専用用紙でなくコピー用紙に印字でもよい。) その後、数回選歌を担当したが、大きな違和感はなかった。ただ、歌によっては年齢が読みを補佐する、というか歌を引き立てる面もある。年齢を知りたくなった作品はいくつもある。高齢者が多いグループだけれど、同じご病気でも七十歳と八十五歳では作者も読者も実感が違うものだ。読者(選者)が移入する感情の濃淡も変わってくる。とはいえ、雑誌になったときには年齢は掲載されないわけだし、その作者を知っているどうかの問題にもなる。詠草用紙の改訂は良いことだと思っている。
 だが、すべての短歌作品から「年齢」を取り除いていいわけではないと思う。匿名の歌会、名前付きの一首投稿、名前付きの作品群、一冊の歌集、全集などの媒体によってかなりの差がある。それを一括りにして語るのは乱暴である。
 同じ歌集の同じページの作品でも、匿名性の高いものと署名性が高いものが混在する。署名性が高そうな作品も、部外者からみれば類似作品のように見えることも多いだろう。当然ながら、短歌に何を求めるのかは、歌人の間でも大きく違う。だから、さまざまな議論をおもしろがり影響を受けながらも、直感的な向き合い方しかできないのだろうな、と思う。よくわからないままでいいと思う。
 
 さて、大島史洋『どんぐり』(現代短歌社)(2014年〜2018年の作品)に、

  059 重くれを嫌うならねど重くれは身に添わぬなり七十過ぎて
  (歌の左の数字は、ページ番号です。)
 
があった。
 「重くれ」は俳句の批評用語のようで、「軽み」の反意語で、理知的な方向の句を指す概念であるようだ。内容的な面もあるし、文体的な面もあるという。ある俳人に聞いたところ、芭蕉の、
  秋深き隣は何をする人ぞ
は、軽みで、
  荒海や佐渡によこたふ天河
は、重くれかもしれない、と教えてくださった。
(単純化しすぎなことは承知している。)
 そもそも「重くれを嫌うならねど」という大島の言挙げこそが「重くれ」に当たるようにも思う。短歌はもともと「重くれ」を志向してしまう長さを持つのだろう。(いつか、短歌は長嶋茂雄、俳句は王貞治、と喩えた歌人がいたのを思い出す。)

 それはさておき、今回の歌集もまさに大島の老いの受け止め方がぼつぼつと描かれている。その訥々としてユーモラスなところに惹かれた。作者の生年はウィキペディアに載っている。収録された歌の制作時期は各章に明示されている。この歌集の場合、それらは歌を大いに引き立てる。(編年体の章立てで、「Ⅰ 二〇一四年」「Ⅱ 二〇一五年」というように明快に区切られているのが気持ち良い。)

  078 しみじみと今日まで生きし喜びを言えどまったく深さが足らぬ
  094 だんだんと変になりゆく自分なりそれを知りつつ少し楽しむ
  122 脊柱管狭窄症のかそかなる痺れや雨の梅林公園
  143 わがいだく不安は常に吾のみのものにてあれば世はこともなし
 
 これらの歌は「重くれ」なのか。テーマはそれぞれ重いが、詩的処理が効いていて軽みがある。しかし、そこに七十代の男性、そして作者、いや大島史洋という歌人が歩んできた道のりを重ねて読む。年齢の重さゆえに、生み出される言葉の軽さがかえってバランスよく響いてくる。歳を重ねて好き勝手に詠んだ歌がヒットするのは茂吉や岡部圭一郎や岩田正を例にあげなくてもそこに豊潤な場所があるのはみな知っている。やはり、歌に生年は付いていた方がいいだろうという立場に傾く。この三首目の「かそかなる痺れや雨の」あたりのリズム感にこちらがシビレる。
 紙幅の制限がないので、もう少しあげる。

  075 若き日は美化されやすしいつからか老人ばかりのめぐりとなりぬ
  123 ふるさとをうたいて美化を感ずると友に言われき美化してゆかむ
 
 「美化」が使われている二首。なぜ私はこういう繰り言のような歌に惹かれるのだろうか。それは次の、

  100 老人がこの世の害になることを繰り返し聞き老いてきたりし
  045 時は過ぎ捨てねばならぬ地図などにマークしてあり茂吉歌碑の所

などを足して考えると、濃い年齢意識による表現への覚悟を読み取ることができるからだという答えに至る。長い中年期を経て老年期に入る。そこに人生の屈折が生まれる。そのあたり、短歌としての豊かな刈り入れ場があるのだ。
 
 さて、柳宣宏『丈六』(砂子屋書房)に移る。
 2015年〜2019年の作品。それが目次に記載されている。はっきりと六十代半ばを生きた人間としての足跡です、と宣言しているのだ。
 亡き両親を恋う気持ち、ある学校を離れて別の学校に移る際の気持ち、家族や友人との関係、父や舅を通して見る戦争、妻子への気持ちなど、禅僧を思わせる(じっさいに座禅をお続けのようだ)静かな文体からあふれてくる。「気持ち」を前面に感じる。そこに私は打たれた。だって、「あゆみは長女である」と詞書に書いておいて、
 
  051 向うからあゆみの来れば電球が胸のあたりに点る気がする
 
なんて歌をしゃあしゃあと(失礼)発表できるなんて、すばらしいじゃないですか。もうご結婚されて家を出た娘さんですよ。

  209 弁がたち計算達者な男にはあらざる息子をひそかに誇る
  257 夕べには娘夫婦が来るといふ玄関先を掃いたりしてゐる
  205 この家に妻と暮すも新年の朝のはじめに会ふは照れたり
 
 というのもある。大人の息子を誇る歌に、娘に会う喜びでいそいそと掃除するみずからをコミカルに描く姿に、自然な夫婦像に、批評の余地はなく、ただ良いと思うのみだ。
 あるいは、「島田修三夫人告別式」というタイトルのもとに、
 
  118 妻なしとなりける島田の手を握り言ふことあるか妻あるわれに
  120 修三が眼鏡のまへにわれはただ拳を固く握りて掲ぐ
 
 という歌がある。長く「まひる野」を支え合ってきたおじさん(失礼)同士の愛を見る。島田修三という大人物と面識があるかどうかによっても歌の理解の深さは違ってくるだろう。だが、それを除いても、このとても個人的なシーンには普遍性がある。いや個人的であるからこそ明確な普遍性を発揮している。うまく詠もうとしがちなとき、こういう歌の底力を思うのである。

  042 梅干しの固く赤きを齧りつつ心がはれるといふことがある
  043 先輩はありがたきかな、なあヤナギ、咲くと思はず花は咲くんだ
  048 ジャカルタの水にあたつて苦しみしそれも仕事の花の日々かも
  081 この星は生まれて四十五億年まだ若いなあと口に出してみる

 どれも明るい。懸命に生きている人の姿が見える。六十歳を過ぎて、「なあヤナギ」と肩を叩かれながら(想像です)言われている男性の姿。そこにはいわゆる昭和な上下関係の美質が残っている。文章語的口語言い切りの力強さもあろう。泥臭さもある。ジャカルタの夏の暑さにやられながら白ワイシャツにネクタイ姿で(想像です)校務出張をバリバリとこなす(これまた昭和的な)男性の姿が透けて見える。
あるいは四首目。そういう六十半ばを超えたおっさん(失礼)から、地球はまだ若いなあ!と口に出されたら、内臓からぐんと力が湧き出る感じがする。例えばこの歌にとっては、作歌時点の年齢は関係ありそうだ。「まだ若いなあ」は作者自身に向けられた言葉でもある私は直感的に読んだ。とすると、ある程度の年配者の言葉でなくてはおもしろみも説得力もない。七十代だとやや苦しげ。八十代だと合わないなあという印象。やはりまだまだ壮年という年齢が歌を引き立てる。恣意的な読みなのかもしれないが。
 
 さて、あと2冊。
 富田睦子『風と雲雀』(角川書店)。この著者もあとがき冒頭で、「二〇一三年の暮れから二〇一八年はじめまで、年齢で言えば四〇歳から四四歳までの作品を収録しています。」と明記している。背景がはっきりしているのは助かるし、好きだ。
 主題は、小学生から中学生に成長する時期の娘さん。その彼女との関係(葛藤というべきか)である。全身全力で娘にぶつかり、お互いに傷つく。その姿を描いている。
 
  011 寝たふりを見破るところまなじりに細くふたすじ皺よする子は
  037 いいこだねかわいいねとぞゲシュタルト崩壊させつつ眠る子を見る
  038 前髪のわずか巻毛をからかわれ帰りて泣く子の指の冷たし
  199 きょうだいもいとこもおらぬわが少女ささいなケンカを泣くほど悔やむ
  203 歩く木と育つ木わたしはどちらの木わがひとり子はたぶん歩く木
  210 吾子の裡そだつ悪意を聞いている火蟻のごとき自我と覚えて

 母と娘の距離感の近さの歌は先達があるが、なんど繰り返されてもいい題材だ。寝たふりを知っている母、自分の子なのかわからなくなるまで寝顔を見続ける母、十代の心の壊れやすさや友人関係をひたすら案じる母、自分と娘の比較、娘の内面的成長を恐れつつ見守る母。どれも懸命の母である自分を題材に、場面場面を詩に昇華している。

  023 その元気わけてと言えば抱きついてくる少女なり三日月を抱く
  084 風わたる葡萄棚われまだふいに抱きついてくる少女をいだき
  091 鼻血垂る娘のひたいを胸に当て頸冷やすとき生まぎれなし

など、身体的距離感の近さを言うのも母娘の関係に特徴である。そしてこの歌集のひとつのハイライトが、

  122 わが声にわれは興奮してゆけば子への衝動は愛より憤怒
  123 一生をわれは忘れじ吾子に向けマウス投げつつ恫喝せしを
  124 いまわれは吾子を殺せりまなうらがこんなに熱き怒りのうちに
  124 退塾の理由にマウスを投げしこと告白すれば軽く笑わる
  126 もう塾のない午後である手をつなぎ大きな木のある公園へゆく
  127 今日なんか楽しかったと子の言えば泣きたいような夕焼けである
 
を含む一連である。そのしばらく前に、

043 月一度試験で席が変わる塾かよわせてわがこころは細る
 
がある。子供の私立中学受験へチャレンジは、どの家庭にとってもなかなかの試練であると聞く。それは、『二月の勝者−絶対合格の教室−』(高澤志帆)という漫画にリアルに描かれている。「君たちが合格できたのは、父親の「経済力」そして、母親の「狂気」」という塾講師のセリフで始まる。
 状況はわかるし、ドキュメンタリーとして出色。だが、ここで思うのは、なぜこんな状況をわざわざ歌に残したのか、という疑問だ。
 いや、答えはわかっている。富田睦子が歌人だからだ。偶然にしろ選び取ったにしろ短歌を続けている以上は、こんな辛い状況であっても、真っ向から受け止めて書くのだ。もちろんそこには場面の切り取り方や言葉の選び方、あるいは劇画化、構成のしかたなどの技術は関係する。だが、いちばん大切な、すべて受け止めて詠むという姿勢がなければ読者の心を動かさないのだ! と、書いている私も高揚してくる。
 強引に冒頭の大島の一首とつなげれば、この「重くれ」た感じが短歌のひとつの喜びであるのだなあという結論にもなる。
 だがもちろん、『風と雲雀』はこれが全てではなく、
 
  070 夜を降りて闇へ消えゆくぼた雪を光の届く部分だけ見る
  152 火を摑むされども夢のわたくしは火を知らざれば燃える手を見る
  154 腹の足をいかに動かしたるべきか苦心したればふとも目覚める

のような繊細な視点の動きや、自分の内面を覗き込み過ぎてわからなくなってしまった歌にも秀歌が多い。そして、そのあたりが融合された歌が、

  119 シスジェンダー・ヘテロと吾子を喜びてのちを羞しき冬のはなびら
 
なのではないかと思う。最後に置いておく。
 
 さて、最後の1冊。長くなってしまったけれど、挙げておきたい歌集である。
 『飛び散れ、水たち』近江瞬(左右社)。
 プロフィールによると1989年石巻市生まれ・在住。早稲田大学卒業。
 現在はいわゆるUターンで、地元紙、つまり石巻日日新聞社の記者であるようだ。
 私はいつも「あとがき」を読んでから巻頭に戻る。だが、この「あとがき」を読んでも、後半の展開が予測できなかった。序盤からは相聞を多く含んだ、青春の苦さや明るさを詠んだ歌。
 
  008 ふと君が僕の名前を呼ぶときに吸う息も風のひとつと思う
  033 記憶にはない故郷の稜線を画像検索して取り戻す
  033 愛想笑いだったと気付く口角をゆっくり元に戻していれば
  046 十年後に見て騙されたりしないよう小さめのピースサインにしとく
  104 ため込んだ悲しみ不良少年のバイクが「タラレバタラレバ」と鳴く
  080 三人が車内に揺れてそれぞれのスマホに反射する月の色

どれもいい。どれも巧い。複数の時間帯が視野に入っていて、その時間を行き来しているようだ。それはすでに記憶になり過去から十年後まで。不良少年の過去にまで及ぶ。現代風で軽そうでいながらしっかりと重りがついているようだ。
 
  018 歩行者を数えるバイトの青年が僕をぴったり一人とみなす
  028 使い方を知らないボタンに囲まれて放送室に君と僕だけ
  065 筆談で祖父は「へへへ」と笑い声を書き足している険しき顔で
  068 ビニールの中の金魚におそらくは最初で最後のまちを見せてる
  103 この道を渡ると帰ってきた感があってふたりは暮らしになれた
 
 高校時代のシーン(二首目はなかなかエロい。知らないボタンって。)から。闘病中の祖父。金魚。そして恋人との同居(結婚?)。歌材は広く、描写は的確である。しかしそれでも、同じ感じの青春歌は他の歌人にもあると思う。子細に見ればもちろん特徴はあるのだけれど、匿名性の方が先に立つ歌であろう。
 しかし、そういう歌が続いたあと、全体の残り六分の一くらいに来て、三つの章のうちの三つ目きてトーンが変わる。
 
  120 新聞を折り込み終えれば手に黒が移ってほかの色は移らず
  121 上書き保存を繰り返してはその度に記事の事実が変わる気がする
  122 あの時は東京で学生をしてましたと言えば突然遠ざけられて
  123 忘れたいと願ったはずのあの日々を知らない子どもを罪かのように
  123 Uターンの理由は震災かと問われ「まあ」と答えてはぐらかしてる
  125 薄く目を開けば水面は広がって聴く風は少し波と似ている
 
 多めにあげてしまう。
 地元に戻り新聞社に就職したあとの歌なのだ。三、四、五首目。故郷への愛と使命感を持って帰郷し就職したはずである。(と決めつけるの立場にないが、おそらく。)だが、心ない対応を受けることもある。いや、そういう対応をしてくれるならいい。そういう人の背後には、表面では受け入れるふりをしながら心の底では受け入れてくれない人がいるのだと賢明な作者なら気づいていたはずだ。その精神的な辛さは、類似の境遇の人が少ないだけに、どんな慰めも効かなかっただろう。題材はなかなかの「重くれ」である。

128 仮設から復興住宅へと移る壁の厚さをさみしさと呼ぶ
128 必要というのはせっかく復興庁の予算を充てられるからということ
129 図書館も被災してれば国の金で立派にできたのになんて言葉も 
138 まとめるのうまいですねと褒められてまとめてしまってごめんと思う

 この一首目は作者自身の感慨とも読めるけれど境遇的にそうではないは。(こういうところ、許容範囲は読者によるけれど、そのユルさも短歌のいいところかな。あまり厳密に表現することだけを心がけると思い切った表現が死んでしまう。悩ましいところ。)二十代の記者が話を聞きに来て、ついつい本音を述べてしまったのか。そういう言説は現地ではよくあることなのか。それを掬い上げて歌にしているのがいい。先の富田と対象は違うが、受け止めて詠む、ひとつのありかたなのだと思った。
 最後の一首を含む二つの連作は小文がついている。その小文がどれもよく、断片になるけれど引用したい。
 
「忘れちゃいけない」と言う人の前日の投稿にあるディナーの肉がおいしそうだった。
僕は、当時ここにいなかったことを聞かれるまで、言わない。
相手が安心してくれればと思い、「僕もここが地元です」と伝えるように方言をいつもより大げさに使った。
 
 近江歌集の前半と後半の題材的格差を楽しみつつ、そこに表現の一貫性、表現者としての一貫性を思いながら、重い題材を、この最後の4首のように軽めに読ませてもらえることを楽しみつつ、短歌ってなんだろうと思いつつ、稿を終えたい。
(2020.5)


短歌評 再読萩原慎一郎 『滑走路』を読む 谷村 行海

2020-05-17 12:35:46 | 短歌時評
 今年の三月、萩原慎一郎の歌集『滑走路』映画化のニュースが流れた。ニュースによると、映画自体は『滑走路』から着想を得たオリジナルストーリーになっていて、非正規雇用に端を発する自死から物語が展開されていくようだ。
 これまで各種メディアで取り上げられてきた通り、『滑走路』は歌集としては異例の3万部を超えるベストセラーで、普段短歌を読まない人々にも広く受け入れられている。しかし、私は萩原慎一郎の存在がメディアで取り上げられるたびにもやもやとした感情を抱いてきた。そこに飛び込んできたのが今回の映画化の話題。これは良い機会だと思い、二年ぶりにこの歌集を本棚から取り出し、あらためて読み直してみることにした。

  ぼくも非正規きみも非正規秋がきて牛丼屋にて牛丼食べる

  頭を下げて頭を下げて牛丼を食べて頭を下げて暮れゆく

  夜明けとはぼくにとっては残酷だ 朝になったら下っ端だから

 最初に明示しておくと、そのもやもやした感情は、萩原慎一郎がメディアに取り沙汰される際の「非正規歌人」という呼称に起因する。
 メディアに取り上げられる際、よく引用される歌を歌集から三首抜き出してみた。一首目と二首目は牛丼によって非正規の生活を歌にしている。牛丼と労働者との組み合わせは正直なところ安易に感じられる。だが、一首目は季節の移ろいを歌の起点になる三句目におき、秋が来たというのに年中あり続ける牛丼を短い休憩時間に食べざるを得ないという労働の悲しみをうまく表現している。また、二首目は牛丼を食べる姿と仕事の姿との類似点を発見し、それを歌に落とし込むことで、牛丼と労働の類型性を乗り越えることに成功している。朝の楽しいイメージにつながる夜明けを自身の労働と結び付け、悲しみへと視点をずらした三首目も印象的だ。
 このように、非正規労働ということに対し、萩原は巧みな表現でそれをうまく歌に落として込めているとは言える。しかし、それがメディアで「非正規歌人」という呼称を付けられるほどの彼の個性かというと、どうも違うように思えてならない。
 第一に、今年の二月十四日に総務省統計局が発表した労働力調査を参照すると、非正規雇用の数は、全体の雇用者数5660万人中2165万人に上っている。筆者自身も非正規雇用で働いていた時期があり、よく言われるように非正規自体は珍しくない。近年の短歌の新人賞を読んでいても非正規労働を詠んだ作品は多々見られ、歌の題材としてもそれほど新鮮とは言えないだろう。
 第二に、非正規労働を詠んだ彼の歌からは、彼の真にリアルな姿が見えてこない。前回ここで書かせていただいたプロレタリア短歌の場合、強い言葉遣いなどにより、労働に対しての主体の感情が浮き彫りになっていた。一方、萩原の歌では現状を受け入れているにすぎない歌のほうが多く、具体的に何を思っているのかが見えてきにくい。それを彼の作風だと言えばそれまでなのだが、いささか物足りない気がしてくる。また、労働の歌だけでは、彼の生活全般をふまえた萩原慎一郎という一人の人間像も浮かんできにくい。
 そのため、一側面だけに注目し、「非正規歌人」という呼称で彼が喧伝され続けていることに私は疑問を抱いてしまうのだ。そこで、歌集から労働以外の歌を取り上げ、あらためて萩原慎一郎という人間について考えていこうと思う。

  ぼくたちの世代の歌が居酒屋で流れているよ そういう歳だ

  <青空>と発音するのが恥ずかしくなってきた二十三歳の僕

  あのときのベストソングがベストスリーくらいになって二十四歳

  恋人が欲しとにわかに願いたるわれは二十代後半となる

  こんなにも愛されたいと思うとは 三十歳になってしまった

 そうしてあらためて歌集を読み直すと、時間経過に対する萩原の鋭い視線が見えてくる。上に挙げた五首はいずれも一首の締めに年齢が出ており、構造自体は同じ歌になる。そうすると、構造自体は同じなわけだから、これらの歌の前半部分に何が書かれるかが歌の肝となる。
 一首目と三首目は歌を出すことにより、年齢の経過をうまく引き出している。一首目は具体的な年齢が描かれているわけではないが、前半部分の叙述から、居酒屋に通い始めた二十歳の年齢が想起される。若者向けの大衆居酒屋であれば、確かに近い世代の歌が店内に流れ、それによって居酒屋の集客ターゲットに自分が組み込まれたことを実感するようになる。二十歳と限定してみたが、少し年老いてからのことととっても、通っている居酒屋の姿と同時に主体の人物像が見え、巧みな一首だ。三首目については時間経過ももちろんだが、過去のベストソングをただ単なる思い出に留めずに順位を入れ替えて更新していくことで、新しいものを次々に求めていく主体の感性が見えてくる。
 上述のそれ以外の歌については、類型感が否めない点もありはするが、年齢と同時に変化していく自己を冷静に見つめ、時代の流れ・今そこにあるものをしっかりと歌に落とし込んでいこうとする視点がうかがえる。

  梨を食むときのシャキシャキ霜柱踏みゆくときのシャキシャキに似る

  靴ひもを結び直しているときに春の匂いが横を過ぎゆく

 そこにあるものを歌に落とし込む姿勢は俳句的でもある。一首目は「シャキシャキ」のリフレインによって心地よい韻律を生み出しているが、あえてそれを削り、「霜柱踏みゆくごとき梨食む音」などとすれば俳句としても成り立つ。同様に、二首目は二句目から三句目にかけてのゆったりとした言葉遣いが特徴的だが、それをそぎ落としてしまえば俳句として十分に成立する。萩原の世界の志向の仕方が、(語弊はあるが)現実を見つめ続ける大半の俳句と近く感じられるのだ。そのため、現実として存在する非正規労働を詠んだこともその世界への志向の一つであり、やはり彼の一部分でしかないと言えるのではないか。
  文語にて書こうとぼくはしているが何故か口語になっているのだ
 その現実志向の動きは、先ほどの年齢と同様に自己の内面にも及ぶ。この歌は作歌時の姿を詠んだ歌で、「文語≒過去」で歌を書こうとし、最終的に「口語≒現在」に行きついてしまう。もはや無意識の領域のうちに、現在を鋭くとらえようとする姿勢がにじみ出ているかのようだ。

  ぼくたちのこころは揺れる 揺れるのだ だから舵取り持続するのだ

  ぼくが斬りたいのは悪だ でも悪がどこにいるのかわからないのだ

  テロ事件ときに起きるよ 平穏な暮らしを破壊してゆくのだよ

  東京の群れのなかにて叫びたい 確かにぼくがここにいること

 
  かっこよくなりたい きみに愛されるようになりたい だから歌詠む

 また、そもそもの萩原の作歌のモチベーションを考えていくと、「歌詠む理由」と名付けられたこの一連の五首に出会う。この五首から考えられる萩原の作歌の主眼をまとめると次のようになる。

①揺れ動く自己存在を捉え、現在を詠む(一首目から)
②社会を冷静に見つめ、日常に潜む違和感を詠む(二首目・三首目から)
③自己の存在を認めてもらう(四首目・五首目から)

 ①については、先述の年齢の歌のようなこれまで繰り返し述べてきたこと。②も①の延長ではあるが、重きを置くのは社会状況。③は五首目の「きみ」を四首目と関連付けて全人類と取り、自分の生きた証を残すこととなる。これら三点が萩原の歌作りの根幹に存在している。
 この三点を踏まえたうえで、あらためて「非正規歌人」として彼が呼ばれる場合に達成できるものはどれかを考えていくと、②は当然達成できる。そして、結果論にはなるが、③も達成できたと言えるだろう。しかし、やはり①は達成できていないと言ったほうが確実であり、③も五首目に「かっこよく」とあることから、「非正規歌人」として存在を認められることが彼の本意だったかを考えると疑問が残る。

  未来とは手に入れるもの 自転車と短歌とロックンロール愛して

  かっこいいところをきみにみせたくて雪道をゆく掲載誌手に

  疲れていると手紙に書いてみたけれどぼくは死なずに生きる予定だ

 大変残念なことに、彼は三十二歳で自死を選び、この世を後にしてしまった。予定では、映画はこの秋に公開され、彼の存在はより広く知られることとなるだろう。その際、「非正規歌人」としてではなく、萩原慎一郎というひたむきに生きた一人の人間の姿が人々の記憶に残り続けていくことを願いたい。


短歌時評155回 歌人を続ける、歌人をやめる 千葉 聡

2020-05-06 20:11:36 | 短歌時評
  コロナ騒動が始まる少し前、知り合いの大学生歌人がメールをくれた。彼女の詠む恋愛の歌は、なかなか面白い。仕事のあと、横浜駅の近くで会った。
「急にお時間いただいて、すみません。わたし、歌人をやめようと思って……」
 紅茶のカップの先にある真面目な顔。「短歌を始めたら知り合いが増えて、楽しいです」と笑っていた彼女とは別人のようだ。
「え!? どうしたの? 何かあったの?」
「何かあった、じゃないんです。その逆で、あまりに何もないからやめようと思って……」
 じっくり聞いたほうがいいかもしれない。俺は、クリーム山盛りのパンケーキを崩しながら話を聞いた。
 彼女は、大学の文芸サークルで短歌を詠み始めた。一つ上の先輩が歌人としてネットで活躍しており、影響を受けたという。一首詠むたびに、先輩が感想と励ましの言葉をくれた。それが嬉しくて、もっともっと詠むようになった。新聞歌壇に入選した。短歌総合誌の新人賞にも応募し、最終選考には至らなかったものの、何首かは誌面に載った。ネットで知り合った歌人たちから祝福の言葉が届いた。一度、ある短歌誌の評論のなかで歌を引用してもらった。
「わたしの書いた作品が、ちゃんと誰かに届いているんだ、と思って嬉しかったんです」
「よかった! だから続けようよ」
「でも……」
 気がつけば歌人の友だちがたくさんできた。でも、ネットでフォロワーをたくさん持っている同世代の歌人は、新人賞の最終選考に残っていたり、短歌総合誌から原稿依頼をもらったり、もっと華やかに活動している。いくら頑張っても、これ以上芽が出ない自分って、何だろう。彼女は疲れきってしまったようだ。
 ここで明るく「大丈夫だよ。短歌を続けよう。いつか必ず芽が出るから」と言うべきだろうか。パンケーキはすべて平らげた。俺は言った。
「俺もさ、歌人をやめようと思っていて」
「え!? 千葉さんも?」
 こっちが話を聞いてもらう番だ。俺は一見、歌人として活躍しているように見える。知り合いの歌人は「頑張ってるね。毎月、あちこちで見かけるよ」と言ってくれる。でも、それは総合誌にエッセイを連載しているからだ。短歌研究新人賞をいただいてから22年もたつのに、歌人活動は寂しい限り。
1 「短歌時評」を1度しか書いたことがない。(この原稿が2回目だ)
2 短歌研究新人賞を受賞してから、単著7冊、共編著5冊を出したが、その他の賞はもらっていない。候補にすらなっていない。
3 総合誌の座談会は1度経験したが、それっきり。対談やインタビューは未経験。
4 総合誌の作品評で拙作が取り上げられたのは3回だけ。短歌時評で拙作が取り上げられたのも3回だけ。22年間で3回というと、オリンピックよりも珍しい。短歌年鑑で話題にしてもらったこともない。
5 総合誌で4ページ以上の文章を書いたのも3回だけ。
6 もちろん総合誌で巻頭作品を書いたことはない。
7 新人賞を受賞してから20年たった時点で、「新鋭歌人」「これからの活躍が期待される」と言われた。
8 歌集の批評会でコメンテーターをつとめたのは2回だけ。司会はわりと多いけれど。
9 本の帯文、歌集の栞、歌集解説を書いたことはない。
10 「かばん」所属のメガネ男子というだけで、「穂村弘さんですよね」「山田航さんですよね」とよく間違えられる。
11 かといって、「ネットで人気がある」「若い人に人気がある」というわけでもない。ネットで拙作が取り上げられたことも数回だけ。大学短歌会の歌誌で名前を出していただいたのは1回だけ。歌人の会合で、有名な大学生歌人に挨拶をしたら「ちばさとしさん? 歌人の方ですか?」と真顔で言われたことがある。
 思いつくままに話したら、彼女は「かわいそうな人を見る人」の顔になった。
「でも、それはまだ千葉さんが若いから……」
「若くないもん。もう51歳だし。あの受賞多数の吉川宏志さんや、あの縦横無尽の大活躍の枡野浩一さんと同い年なんだよ。山田航くんが現代歌人協会賞をとったとき、受賞パーティーに行ったら『今日は若い方が来ています。おはなししてもらいましょう』と俺が指名されたあとで、『では次はベテランの吉川宏志さんからスピーチを』という流れだったし。ベテランの風格の大松達知くんも、松村正直くんも、笹公人くんも俺より年下なんだよ。黒瀬珂瀾くんなんて、俺より10歳も下なのに……。天才と言われるのは石川美南さんとか、小島なおさんとか、大森静佳さんだし。この前、20以上も年下の寺井龍哉くんに会ったら『僕は今、原稿依頼を10本かかえています』と言われた。俺なんて最高で6~7本なのに。ちなみに今は2本だけ」
 不思議だ。こんな俺に、彼女はどうして相談しようと思ったんだろう。
 歌人を続けることは苦しい。それは常に人と比べられるからだ。石川啄木も「友がみなわれよりえらく見ゆる日よ」とうたっている。
 短歌総合誌では、あきらかなヒエラルキーが見られる。30首ほどの、歌数の多い大連作は、ベテランや各賞受賞歌人が書く。10首より少し多いくらいの中連作は、中堅歌人が書く。7、8首の小連作は、新人さんが書く。手もとにある数誌を調べてみると、大連作は大きな字で掲載され、小連作は字も小さく行間も狭くなっている。
 みんなで仲良くカラオケをしていたはずなのに、特定の人だけ何曲も続けて歌っている。しかもそういう人の出番だけボリュームが上がり、エコーが効いている。
 三十代のころ、あるベテラン歌人に聞いてみた。「たくさん作品を発表していらっしゃいますね。歌を詠むのは大変じゃありませんか?」と。そのベテランさんは苦笑いした。
「千葉くん、仕方ないよ。短歌総合誌の1月号は一流歌人の作品集だから、あの雑誌にもこの雑誌にも同時に歌を出さないといけない。だから夏の終わりごろから、とにかく歌を詠みためておくんだ。毎年、大変だよ。秋から冬は、絶対に病気で倒れてはいけないんだ」
 そういえばベテラン歌人の歌集には、秋から初冬のころを詠んだ歌が目立つ。1月号用の作品だったのか!
 総合誌から原稿を依頼されると、もちろん嬉しい。でも、作品が載るたび、「あなたは歌人ピラミッドのここらへんにいるんですよ」と教えられる。同時に、他の歌人の位置づけも学習することになる。
 こんなヒエラルキーは、本当に必要だろうか。
 大連作のページにも、小連作のページにも、いろいろな人の名が並んでほしい。たとえば大連作として6人載せるなら、ベテラン2人、中堅2人、新人2人。こんなふうにならないだろうか。
 「短歌研究」5月号では、今までにない試みがなされた。表紙に「特別編成。一冊全部、短歌作品です」とうたう。巻頭特別作品三十首の馬場あき子を除き、279人の歌人は、みな新作を7首載せている。字の大きさも全員同じだ。今までは3月号で女性歌人特集、5月号で男性歌人特集を組んでいたが、今年から男女の区分けをなくし、一つにまとめた。そして掲載は年齢順ではない。足立敏彦にはじまり、渡辺松男に終わる、名前の五十音順になっている。ここまで徹底して、ヒエラルキーを感じさせない作りになっているとは!
 ただ一つだけ区別がある。このうちの70人ほどは小さなエッセイも書いている。だが、エッセイ執筆陣の中には、ベテランだけでなく四十代歌人の名もある。少しホッとする。正直にいうと、三十代以下の若手の名も、あってほしかったが……。
「文學界」や「文藝」などの文芸誌では、ベテラン作家だけが長編を発表する、なんていうことはない。新人であっても大長編を載せるし、ベテランが愛すべき短編を寄稿することもある。必要な掲載スペース(ページ数)は、作品の性質によって増減されるべきなのだ。
 俺に相談してくれた彼女は、おいしいパンケーキのおかげで少し元気を取り戻したようだった。
「千葉さんも、いろいろ大変なんですね」
「そりゃ、そうだよ」
「でも、年下の人や、歌歴が浅い人に追い抜かれても、なんで歌人を続けていられるんですか?」
「それはね……」
 そのときは、なんとなく恥ずかしくて、差しさわりのないことを言った。でも、ここでは、本音を吐露しよう。
 自分よりずっと年下の歌人がスター扱いされる様子を見ると、ちょっと辛い。「友がみな」とは、まさに俺の気持ちだ。でも、正直、そのスターたちの新作を、早く読みたい。彼らの発言をじっくり聞きたい。読者として心の底から楽しみたい。
 だから岡野大嗣や木下龍也の新作も、佐佐木定綱のインタビュー連載も、カン・ハンナの第一歌集も、小島なおや寺井龍哉が選者をつとめているNHK短歌も、どれも楽しむのだ。楽しみ続けたいから、応援するのだ。
 今後、自分が歌壇でどんなに冷遇されるようになっても、雑誌の原稿依頼が途絶えても、俺は仕事で疲れた心をかかえて書店に寄るだろう。短歌総合誌や文芸誌をめくり、何冊かを買うだろう。若いスターたちが名を連ね、自分の名など載っていない、その雑誌を。
 やはり短歌が好きだ。もっと読みたい。読み続けたい。そこには、自分の位置づけみたいなものなんて、関係ない。
 歌人になるのは楽しい。でも、歌人を続けるのは苦しい。
 横浜駅の自由通路の真ん中でお別れするとき、彼女は「歌人をやめるの、少し保留します」と言った。俺は「保留。いいねぇ。疲れるときもあるから、休み休みやっていこうよ」と言った。歌から離れ、また戻ってきた歌人も少なくない。
 歌から完全に離れることのほうが、もっと苦しいのだから。