「詩客」短歌時評

隔週で「詩客」短歌時評を掲載します。

短歌評 アルペジオ。ジルベルトとか市子とか聡子のつま弾くアルペジオ。 カニエ・ナハ

2016-02-04 17:25:04 | 短歌時評
 紀伊國屋書店新宿本店の短歌コーナーで、『Herbstvilla』という冊子に目がとまりました。朱色とかバーミリオンっていうのでしょうか、ぱっと鮮やかに眼を惹く色の表紙の、左1/4ほどが斜めにカットされていて、1ページ目にある目次に印字されている執筆者一覧がのぞいています。そんなちょっと「ワザあり」の表紙からはじまって、本文の余白のとり方だったり、ひらがなだけ別フォントにしていたりと、装幀の方(主水透さん、装幀だけでなく短歌の作品も寄稿されています)の強いこだわりが随所に感じられて、装幀者の個性がおもいっきり前面に出ているので賛否あるかもしれませんが、私はこういう「攻め」の装幀、好きです。本屋さんでジャケ買いさせられちゃうんだから、凄いですよね。で、中身をひらくと、巻頭には編集の山修平さんから執筆陣へ宛てた依頼メールが転載されていて、「短歌連作15首または、現代詩を一篇」「短歌と詩の混合作品でも構いません」とのことで、結果12名の執筆者のうち、9名が短歌連作、3名が現代詩もしくは融合作品を寄稿されていて、いずれも大変面白く拝読しました。現代詩の作品についてはべつのところで書かせていただくことにして、9名の短歌作品から、連作の中で私がとりわけ惹かれた歌をそれぞれ一首ずつ、ご紹介します。

  恋人の夢のほとりに触れぬようベッドの際に浅く腰掛け  伊波真人

 伊波さんの「雨と回帰線」と題された連作は、水のイメージでつらぬかれていて、その流れのなかで、この歌では夢もある種の水として描かれています。人間はほとんど水で出来ているそうですが、同時に、ほとんど夢で出来ているとも云いうるのかもしれません。

  うちはもう墓は建てぬといふ声の低く流れつ雨にほふ土間  黒瀬珂瀾

 黒瀬さんの連作は、前の首で出てきた語が次の首でふたたび出てきたりする、ゆるやかなつながりで場面転換しながら、展開していく物語の、一首一首がそのフラグメントに見えます(このとき、レイアウトにおける一首と一首との間に大きくとられた余白が、黒瀬さんの歌間の余白をより引き立てているように思います)。「土間」という言葉の懐かしい響き、土と地続きである家屋の領域は、墓という字にもふくまれる「」で繋がっていて、家(うち)と土(つち)、生と死の閾は、雨の匂いによって未分化されていくように感じられます。

  おだやかな風ふく朝は蕎麦殻のまくらのへこみ陰影を持つ
  嶋稟太郎

 ここではまくらが(美術でいう)もの派の彫刻のようにみえます。先日、古川あいかさんという方の絵画を見たのですが、彼女の絵のモチーフが、「はいだ布団」や「脱ぎ捨てた衣服」で、それらがバロック絵画のような筆致で描かれていて印象的でしたが、そこには「まくら」のモチーフもあり、古川さんのステートメントでは「日常生活の中では、(例えば毎朝布団をはぎ取り、毎晩布団をかぶる行動のように)同じような状況や時間が流れているように感じても、厳密には二度と同じ状況や同じ時間は流れていません」。嶋さんの歌のなかに置かれたまくらの持つ「陰影」も、ひとつにはこのような生(活)の一回性がもたらしているのかもしれません。

  二十代 百人切りもなすべきを学知なんかにそそのかされて  滝本賢太郎
 
 滝本さんの連作は、やたらほとやらほとのことばかり書かれていて、ほとはほどほどにしてください!と申したいのだけど、滝本さんの頁だけ袋とじにしたほうがよいと思います。これ、現代だからいいけど、「チャタレイ夫人」とかの時代だったら大モンダイですよ。てか、こんなの読まされたら気が散っちゃって仕事にならないじゃないですか。

 中島裕介さんの連作は、短歌で具体詩(コンクリート・ポエム)的なことをやられていて、そこに鋭いユーモアと批評性もあって、大変面白く、ただこれは視覚的な要素がキモになっているので引用が難しいので、実際に本を手にしてもらってぜひ誌面で目撃していただきたいです。ある歌なんて3D映画みたいに、頁の外にまでとびだしてきて、目の前に文字が舞いあがってきて、おもわず手で払っちゃいました。

  夜をひとつの帆布と思えばつつまれて木犀の香のふかみに眠る  服部真里子

 服部さんの歌は遠近法のスケールが大きくて、詩人だと宮澤賢治に似た感覚を感じます。ところでこの歌、安眠法によさそうですね。羊をいくら数えても眠れない不眠組のみなさん(はい、もちろん私もです)、ぜひ試してみては。

  伝へたき思ひなどあれど年上のエゴかもしれずひつこめておく  濱松哲朗

 これ私も肝に銘じておきたいです。短歌であることとかを超えて名言ですね。飲み会の席とかにのぞむ前に口ずさみたいです。濱松さんの連作は「予兆と余白」と題されていますが、「伝へたき思ひ」よりも予兆や余白のなかにこそゆたかな歌(詩)があることをおしえてくれます。

  ゆっくりと運ぶスプーン アルペジオまたアルペジオ 夏のおわかれ  堀静香

 ジョアン・ジルベルトのボサノバギターの音色とかが聴こえてきますが(あるいは小野リサさんとか青葉市子さんとか)、連作のタイトルも「夏のおわかれ」で、めちゃくちゃサウダージ感じるんですが、連作の最後には「秋の日は アルペジオ いつもいとおしく髪撫でられるここちがする」とあり、夏が終わってもアルペジオは終わらないんですね。よかった。そのまま冬も春もアルペジオで通して、アルペジオさえあれば、サウダージをはらみながらもコージーに、やっていけそうな気がします。

  花泥棒墓泥棒ふと出会してけふの獲物を取りかへにけり  主水透

「さけがのみたきゃはかばへいけよ」と歌われる「サン・キュー」という歌のはいった、柴田聡子さんのサードアルバムにしてご自身の名前を冠したアルバム『柴田聡子』は、昨年の邦楽アルバムの中で私にとってはダントツのベストでしたが、リード曲「ニューポニーテール」も、めちゃくちゃさわやかな曲に、自己の消滅(願望)を描いた歌詞、それを墓場で歌えや踊れしている狂気のPV、このひといよいよ天才、と思いました。それはさておき、さいきんの墓場、花泥棒やら墓泥棒やら酒泥棒やらで賑やかですね。歌ったり踊ったりしてるやつらまでいて。そりゃ「うちはもう墓は建てぬ」ともなりますとも。で、柴田聡子さんの『柴田聡子』には、「オリンピックなんて無くなったらいいのに」と消え入りそうな声でうわごとのように繰り返す「ぼくめつ」なんて名曲もあって、このうたの主人公もめまいやら震えやらでめちゃくちゃ具合わるそうですが、主水さんの連作には「飼育係も凍傷に臥しひやびやと日本 ペンギンも棲み易かろう」という歌もあり、この飼育係さんも心配ですが、2020年、すくなくともペンギンにとってはより棲みやすい日本になってるとよいですね。
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