「詩客」短歌時評

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短歌時評195回 「ブーム」再考 小﨑 ひろ子

2024-01-08 21:33:23 | 短歌時評

 いわゆる「ブーム」と言われる短歌の現在。大きな書店に出向くと、売れる本としての歌集が書棚二竿くらいにずらり並べられている。その作者は、かつてのような結社の先生や著名歌人ではなく、ネットや総合誌の人気作家としての歌人たちが圧倒的に主流、かつてのような歌集の雰囲気とは相当に異なっている印象である。
 短歌の市民権が広がるのだからよいこととして前向きに捉えるとしても、やはり違和感が先に立つ。一言でいうなら、「雑踏を歩いているような感覚」。世代の問題が「ない」などという欺瞞は通用しないので、そのせいでもあることはほぼ間違いないが、どうも「好きな作家や気になる作家の本がたくさんあってうれしい」といった素直な感想を持つことができない。今はこうなんだからと順応すればかわいいシニアにもなれそうだが、そもそもひねくれているのかもしれない。何かさみしいような気持ちになって、自身が短歌に親しんできた時期の一般的な短歌の本を開いてみた。

 『日本の名随筆別巻30<短歌>』佐佐木幸綱編(作品社、1993)。当時の著名歌人の文章が集められて紹介されている。それぞれ元になった書誌があるので本当はそちらをきちんと読まなくてはいけないのだが、この本はコンパクトで読みやすいのがよい。古書店で100円で手に入れた書籍だが、大きな図書館にあるだろう。
 斎藤茂吉の写生についての文章は、『童馬山房夜話第三』(1946)から。「世界がずんずん新しくなつて行つてゐるのに、新しい写生の歌の出来るのも当然であつて、その覚悟に動揺を来すやうなことがあつてはならぬのである」。なるほどと、ちょっと安心する。短歌について、自分を含む自然についての写生(リアリズム)が基本中の基本とどういう経緯かわからないが思わされてきた私には、初心に帰らされるようで、実に心が休まる。
 近藤芳美は、「内奥・根源」(『短歌思考』1979)という文章で、「わたしたちが今みずからの内部に見詰めている世界は、茂吉、あるいは彼以前の作者らが見詰めていたものとはちがう。何がちがうのか、それ自身の自己完結、ないし自己尊厳の世界を、彼らのようにはわたしたちはもはや持ち得ないし、同時に、それはあり得ないと知ったことと言える。」「わたしたちが戦争と戦後という、歴史の激動を身をもって一つの時代として生きたことによって」「すなわちわたしたちの存在であり存在の〈内奥〉であるものはそれに関り、そのことと密接し、からみ合うことなくしてあり得ない」私は未来短歌会に所属しているから身びいきになりそうなので、戦争と戦後を原体験とする近藤芳美についてはとりあえずこのくらいにする。
 俵万智「歌が生命(いのち)をもらうとき」(『よつ葉のエッセイ』1988)という文章では、「(第一歌集の『サラダ記念日』が)半年余りの間にしてしまった一七〇万回の出会いをどうとらえたらいいのか」「一生かかってもできないほどの出会いを、この一冊の本は、あっというまになしとげてしまったのだ」と述べ、

「寒いね」と話しかければ「寒いね」と答える人のいるあたたかさ

 という歌への反響に、「私が一首を詠んだときのあたたかさではなく、読んだ方の心の中に生まれる新しいあたたかさ」を思ったという。

思い出の一つのようでそのままにしておく麦わら帽子のへこみ

 には、「(当時の)NHK学園のテキスト「短歌春秋」に、この一首にまつわる五人の方の五様の思い出が掲載されたことがあった」「歌が私の思いもよらない生命を、ひとつひとつの出会いの中から得ていくということ、その不思議。」「そしてそれが、言葉というものの魅力なのだと思う。そしてそれば、大げさに言えば、〈文学〉ということなのだと思う」と書いている。短歌の中の思いを受け取った読者は、「まるでわたしのために存在するかのような歌」と思ったに違いないし、歌集に感動して自分も短歌を作ってみようと思う読者ももちろん現れたことだろう。
 随筆集の中で心に残ったのが、金井恵美子(「愛の歌 歌う声・歌う言葉」『短歌の本 第一巻』1979)。「誰でもが詠みうるものとしての、極めて短いこの〈詩的〉言語形式には、俳句とはまた別の、不気味さがある。その不気味さの集大成が『昭和万葉集』という企画であることはいうまでもないことだろう。この戦時下の短歌群は実にグロテスクな言語として、一種のショックを与える。ある実質的ななまなましさとすれすれのところで―特攻隊という絶対的背景と不利不即のところで―詠まれる辞世の歌は、〈定型〉とはまさしく〈制度〉そのものであることを、無趣味なまでにあばき立てているではないか。」「ありふれた経験をありふれた感性的言葉であらわすのがふさわしい経験というものが誰にでもあって、そんな時、流行歌を歌うなり聞いてみたりするのと、与謝野晶子の短歌を読むなり口ずさんでみるのと、どれほどの違いがあるのだろう。」「歌とは、しょせん、どう巧みに歌われようと、言葉の蛆の難しさでもって空気を切り裂くものであり、最悪の場合には制度としての言葉をだらだらとつむぎ出すカイコ、すなわち《絹》の言葉ではないだろうか。
 宮柊二の「孤独派宣言」(「短歌雑誌」1949.6.、『現代短歌系』1973)。「文学といふものは、発想の中に抵抗を含まなければ自立しないのであるまいか。抵抗に対決してある内なる意志が美しい張り方として作品に見えて来なければその文学の自立性は窺えない。ただ、文学は一の調和統一だから、作品は享受へ呼びかける充足として堪へられなければならぬ。」「作家が自身の内なる抵抗をいかに越えてゆくか、その前におのれ自身の内なる抵抗をいかに越えてゆくか、その前におのれ自身の内なる抵抗を、(略)いかに作家の誠実として抵抗に設定してゆくか」「歌声は低くとも、それは自分の歌ごゑで無ければならない。
 あるいはテーマを見つけやすい編集の仕方になっているのかもしれないが、今読んでも面白くて引き込まれる文章ばかりである。そう感じるのは私だけ? とすこし不安になりながら、ブームというか大衆性というか俗性というか、そういったちょっと高尚な文学的なものを目指したい人が嫌悪するものの代表が、近現代、女性の短歌であったことなどを思う。嶋稟太郎氏が「未来」1月号の時評で「女人短歌」について取り上げていたが、厨歌とくくられるような歌や女性の短歌も、男性を中心とする歌壇ではちょっと低いものとして捉えられていた歴史がある。短歌形式そのものがそもそも女性形に近いのに、「女学雑誌」に短歌のコーナーがあり付録に歌会始の歌集が付いたりしていたのにと不思議なのだが、そうなると、第二芸術、大衆文芸と蔑されてきた詩型である。今度は「ブーム短歌」(そんな言葉はないが)と開き直るような立場から、はっきり自立して評価を得る歌群が現れることも予想されてくる。

 短歌を始める契機が、「身近な誰かが作っていた」「学校で習った(小説等の文学が教科書からかなり削除されても、現代短歌は結構教科書に登場しているように思うが気のせいだろうか)」「感情表現の希求」「手軽な遊び」「ファスト名声への野心」といったものであったとしても(これらの後の二つが、たぶん私を不安な気持ちにさせている要素。)、何らかの原体験が作品をより深いものにすることは間違いない。無論そういう原体験が必要とかそういうことではない。むしろそんなものない方が幸せで、社会に敏感に開かれた感性や真剣な問題意識、ある程度の言語技術があれば、歌人として歌をつくることは可能なのだ。

 ところで、年末、私は家でテレビに紅白歌合戦を流していた。本来流行歌はあまり好きではないし男女で分けることにも疑問符がつくが、今の風景を見てみるのもよいかと思い、ここ数年そういう年末を過ごしている。そういえば昨年も紅白に触れた気がする。ウクライナのヴァンドゥーラ奏者ナターシャ・グジーが「津軽海峡冬景色」の伴奏に参加し、ジャニーズ系タレントはすっかり一掃され、K-POPグループが歌い、ディズニーメドレーが流れる。そんな日米韓の饗宴をテレビに流しながらスマートホンを眺めていたら、SNS「X」では、俵万智さんが審査員をされていることが歌人のタイムラインを賑わせる中、<#歌合戦より即停戦>というハッシュタグ付きのPOSTが流れてきた。ウクライナのこともあるが、イスラエルによるパレスチナのジェノサイドがひどくなっている時に、「歌合戦」等でうかれていていいのか。事実を知って意見を表明しなくていいのか、という怒りから生み出されたハッシュタグ、もちろんすぐにSTOP KILLING NOW!と反応したが、その運動にすべてを投じる力も余裕も私にはないことも確かだった。そして元旦。能登半島の断層が動いてたくさんの人の日常が破壊された。ウクライナよりもパレスチナよりも身近な自国の惨事に誰もが背筋を凍らせたが、影響がない地域の当事者ではない人の日常はこれまで通り続く。そんな中、2日には羽田の事故。「令和6年能登半島地震」「羽田の事故」、と言っても、時間が経てば当事者以外には実感を伴わないものとして風化していくことと思うが、東日本大震災から13年目、地震・原発といったテーマはより重いものとして私たちにのしかかるだろうし、それらを含むすべてに関わる政治についても注目は集まり続けることだろう。
 そんな中、ブームの中の歌や歌人達がこれからどういう風に短歌の世界を彩っていくか、静かに見ていきたいと思う。                        

(2024年1月6日)


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