「詩客」短歌時評

隔週で「詩客」短歌時評を掲載します。

短歌詩評 わが短歌事始め Ⅲ 岡井 隆 酒卷 英一郞

2018-11-15 17:13:26 | 短歌時評
 塚本邦雄初の全歌集『塚本邦雄全歌集』が白玉書房から版行されたのは一九七〇・昭和45年であつたと前囘記した。それではともに前衞短歌を牽引してきたもう片一方の旗頭、岡井隆の動向はいかがであつたか。
 實はこちらも初の全歌集『岡井隆歌集』が一九七二・昭和47年、思潮社から刋行されてゐる。第一歌集『斉唱』以前の初期作品を「O」(オー)として卷頭に收め、『斉唱』『土地よ、痛みを負え』『朝狩』『眼底紀行』の旣刊四歌集に未刋のアンソロジー『律,68』の書き下ろし「〈時〉の狭間にて」、のちに上記も含めて昭和五十三年、國文社より『天河庭園集』として纏められた一連の作品群。その『岡井隆歌集』の、自著になる「書誌的解説とあとがき」は實に不思議だ。

 (前略)本書(註『岡井隆歌集』)は、歌集六冊分の内容を持ち、昭和20年著者十七才の秋から、同45年四十二才の夏にいたる二十五年間の作品歴が大凡のところ鳥瞰出来る仕掛けになっている。なんという厭(いや)な本であろう。厭ならやめればいいのにそれを敢えてするとは、なんというおろかしさなのであろう。そうおもえばこそ、わたしは、本書の出版を長くためらって来たのであるが、或る私的事情を機縁として刊行へ踏み切ったのである。(後略)

 その私的事情にいささか拘つてみたいのだが、それはさておき、當時、塚本邦雄の短歌に强烈に魅かれながらも、どこか頭の片隅で氣になつて仕方のなかつた岡井作品の精華を心覺えとして記しておきたい。

  布雲(ぬのぐも)の幾重(いくへ)の中に入りし日は残光あまた噴き上げにけり
  紅(くれなゐ)の占むるひろさよ春はれし日のくれぐれのしましと思(も)へど
  中空より金属(かね)触るる如き声ききていづくに落つる鳥と思はむ

『岡井隆歌集』「O」(オー)


 塚本邦雄の反リアリスムの洗禮を享けた身には、岡井のアララギ體驗を基軸とした自然詠はむしろ新鮮にさへ響いた。「O」は、第一歌集『斉唱』(一九五六・昭和31年)以前の、作者十七歲(一九四五.昭和20年)から十九歲まで約二年閒の作品。「この集では〈模写〉への執着が、制作の主たる動機になっている」と、『岡井隆歌集』の「各集序跋」に記す。「〈模写〉の対象は、(中略)自然(山川草木鳥獣魚介)であるが、同時に、正岡子規以来の、根岸短歌会――アララギ系の先行作品の模写でもあった」とも語る。塚本邦雄の出發が、當時の舊派、いはゆる傳統的歌壇への反發、反抗であつたのに對し、岡井は傳統骨法の眞中から產聲を擧げた。
 第一歌集『斉唱』は一九五六・昭和31年。初期作品「O」(オー)の茂吉を頂點とするアララギ系作者群の〈模写〉から、日常と情動と喩がある緊張感のもと拮抗しつつ、淸新な抒情詠を爲してゐる。思想の核のごとき、喩的交歡の強靱さを感じる。ただしそれは未だとば口のそれであつたらう。

  襤褸(らんる)の母子襤褸(らんる)の家にかえるべし深き星座を残して晴れつ
  携えてオルメック産ハガールの晩(おそ)き昼餉(ひるげ)に一握の銀

『斉唱』


 第二歌集『土地よ、痛みを負え』は、一九六一・昭和36年、白玉書房刋。奧付の裏側には、塚本邦雄『水銀傳説』の廣告が載る。次第に思想的内壓を高めながら、同時に徐々に抒情の密度がその濃度を增してくる。

  純白の内部をひらく核(たね)ひとつ卓上に見てひき返し来(き)ぬ
  夏期休暇おわりし少女のため告知す〈求むスラム産蝶百種〉
  扉(ドア)の向うにぎつしりと明日 扉のこちらにぎつしりと今日、Good night, my door!(ドアよ、おやすみ!)

『土地よ、痛みを負え』


 ところで、岡井作品を鳥瞰するに、歌集單位で見取るといふ方法もあるが、實質的全歌集である『岡井隆歌集』を通底する多彩な歌の位相を、テーマ別に俯瞰するといふ方法が、歌の特色を見る上でも便利なやうに思はれる。
 最初に强烈に岡井を襲つたのは、時代意識の軋轢のなかで芽生えた政治への熱い思ひであつた。それは試みに『土地よ、痛みを負え』の目次を抜粹しただけでも、その思想の方向性が窺へる。「運河の声/アジアの祈り/ナショナリストの生誕/思想兵の手記/土地よ、痛みを負え」。市民革命への意氣込みが傳はる。その象徴的據點としてアジアがあり、アラブがあつた。

  渤海のかなた瀕死の白鳥を呼び出しており電話口まで  『土地よ、痛みを負え』
  緋のいろのアジアの起伏見つつゆくジープ助手台に寒がりながら
  肺野(はいや)にて孤独のメスをあやつるは〈運河国有宣言〉読後
  満身に怒りの花を噴き咲かせガザ回廊に死んでいる我
  その前夜アジアは霏々と緋の雪積むユーラシア以後かつてなき迄
  銃身をいだく宿主の死ののちに激しくつるみ合う蛔虫(アスカリス)

  
  朝狩にいまたつらしも 拠点いくつふかい朝から狩りいだすべく  『朝狩』
  群衆を狩れよ おもうにあかねさす夏野の朝の「群れ」に過ぎざれば

 ここに大きく喩の問題が橫たはつてゐると思はれるが、「瀕死の白鳥」について、作者はこのやうに語つてゐる。

 例えば「瀕死の白鳥」ってのは比喩で、中国や当時のソ連を覆っていた左翼思想を言っている。その思想を理想化せずに、「お宅もいろいろ問題あるんじゃないですか?」と電話口に呼び出して聞く。つまり自分なりの批判を込めているわけです。
(【自作再訪】岡井隆さん「土地よ、痛みを負え」 前衛短歌は「滅亡論」への反論)

 
 現代詩では一九五四・昭和29年、谷川雁の第一詩集『大地の商人』が、續く一九五六・昭和31年には『天山』が出版される。評論集『原点が存在する』は一九五八・昭和33年の刋行。また黒田喜夫『不安と遊撃』が一九五九・昭和34年に出てゐる。谷川雁の喩的動性、黒田の市民ゲリラ幻想。ともに岡井の思想の、そして詩想の基盤となつてゐる。谷川は筑豊でのサークル活動から、「大正行動隊」を組織。終始「工作者」を標榜した。對するに黒田は東北の貧農から京濱地區の勞働者へ。彼が風土の、土着の呻きとして「あんにゃ」(東北のイエ制度、長子單獨相續の直系家族に由來)と發した一言の重み。〈運河国有宣言〉とは、一九五六年エジプトのスエズ運河国有化宣言。やがてスエズ動亂へと發展する。
 
 だが、次なる一首には早くも政治の季節の後退が見られるのではないだらうか。

  或る夜すべてのイデオローグを逃れて行けり 青麦の一つかみ持ち海の渚を
『眼底紀行』


 遂に政治(まつりごと)から、雲と雲の交はる性事(男女のおまつり)へ、政から性へ。

 
  国家など見事かき消されたる中天で雲と雲とがまじわりて行き
「天河庭園集」

 
 岡井にとつてひそやかに呟かれた「愛恋」のひと言は、當然のごとくに性愛のダイナミズムへと進展する。正に岡井作品の最大にして最も魅力あるテーマである。


  灰黄(かいこう)の枝をひろぐる林みゆ亡びんとする愛恋ひとつ
『斉唱』



 この一首には、先に述べたアララギ先達の〈模写〉にはじまる嫋嫋たる自然描寫の、いはばほそみとでもいふべき神經の末端まで行き屆いた撓やかさが見られる。


  さやぐ湖心、白昼の妻、撓(しな)う秀枝(ほつえ)、業房に居て思(も)えばかなしき
『土地よ、痛みを負え』


 性欲がモチーフの設定から、しつかりと正面見据ゑたテーマへと進展を圖るのは歌集『朝狩』からである。

  性欲はうねうねとわがうち行きて眠りに就かむまえに過ぎゆく  『朝狩』
  口すすぐ水のにごりのあわあわと性はたぬしき魔といわずやも
  抱くときうしろのくらき園見えて樹々もろともに抱く、轟(とどろき)
  知らぬまに昨日(きのう)暗黒とまぐわいしとぞ闇はそも性愛持てる
  愛技たたかわすまで熟したる雌雄(めお)の公孫樹(いちよう)よいま眠れども
  性欲の森が小さくなびきつつわが底に見ゆあかねさす午後
  性愛の汚名さびしくしんしんと病む独り寝を思(も)いて帰り来


  性愛の火照りに遠く照らされて労働へ行く奴婢は過ぎたり  『眼底紀行』
  昨(きぞ)の夜は乳を抑えきさみどりの手の葉脈をおもいて行けり
  掌(て)のなかへ降(ふ)る精液の迅きかなアレキサンドリア種の曙に
  うつうつと性の太鼓のしのび打ち 人生がもし祭りならば
  草刈りの女を眼もて姦(おか)すまでま昼の部屋のあつき爪立ち
  少女欲しそのひとことへ打たれつつ瘦せまさりゆく夜毎のきぬた
  黄昏の群衆をさかのぼりゆく〈愛は肉欲のしもべのみ〉とや
  性愛といわばいうべし芝草の夜露にぬれて爪ありしかば
  女らは芝に坐りぬ性愛のかなしき襞をそこに拡げて


  子宮なき肉へ陰茎なき精神(こころ)を接(つ)ぎ 夜(よ)には九夜(ここのよ)いずくに到る  「〈時〉の狭間にて」

  幻の性愛奏(かな)でらるるまで彫りふかき手に光差したり  「天河庭園集」
  欲念はただに拭うべく歩く歩く底の底まで空を昏めて
  股間には疼(うず)きを放つものありて花を揉むように紙をもんでいる
  女嫌(いと)え女嫌えというごとき集(つど)える雲を拠(よ)り所(ど)と立てば
  一方(ひとかた)に過ぎ行く時や揚雲雀啼け性愛の限りつくして
  積雲の季(とき)ちかづくは愛恋のとどろくに似て切なかりける
  唇(くちびる)をあてつつかぎりなきこころかぎりある刻(とき)の縁(ふち)にあふれつ

 さながら「性愛アンソロジー」といつた趣きだが、岡井の性は、徹底的に個であることによつて、私性を貫くことによつて輝かしい〈喩〉の世界を開示してくれる。はたしてなにを性の祖型として岡井は性に突き進んで行つたのか。

  ルネサンスにも人荒れてまぐわいきわが生きざまのはるけき先
『眼底紀行』


 ホイジンガの『中世の秋』には、現代よりも遙かに嚴しい生の現象がまざまざと書き記されてゐる。生存狀況がより過酷な分、生と死のコントラストがよりくつきりと描かれてゐる。ルネッサンス(中世)も人心は荒廢し、同時により荒々しい生の根源に、より原始的(プリミティブ)な、より淸冽な性のかたちが湧出する。 
 性はたぬしき魔と言ひ、闇の本性を明かし、闇はそもそも性愛を持つてゐるとも詠ふ。そして性の太鼓をしのび打つ。

 岡井の本業は醫師。DR・R(りゆう)。醫の現場性と勞働、硏究、學説、そして勤勞と對をなす安寧の休日といふ觀點から見てみたい。岡井版「仕事と日々」。

  アミノ基が離れて毒となる機作(きさく)あくがれてゆく春を待つ日日に  『斉唱』

  屍(し)の胸を剖(ひら)きつつ思う、此処(ここ)嘗(か)つて地上もつともくらき工房   『土地よ、痛みを負え』
  仮説をたて仮説をたてて追いゆくにくしけずらざる髪も炎(も)え立つ

  肺尖にひとつ昼顔の花燃ゆと告げんとしつつたわむ言葉は  『朝狩』
  休日のさびしさひとり汲みあぐる水系からき悔いをまじうる
  休日のたのしさ金のラッパ手の銀の鼓手より髭濃き絵本
  説を替(か)えまた説をかうたのしさのかぎりも知らに冬に入りゆく


  労働へ、見よ、抒情的傍註のこのくわしさの淡きいつわり  『眼底紀行』

 休日を含む七曜の限りなき變幻は、『土地よ、痛みを負え』の「暦表(かれんだあ)組曲」として大きなテーマのひとつとなつてゐる。


  民ら信ずるおだやかなる七曜の反復(くりかえし)、熟知せる明日が来るのみ  「暦表(かれんだあ)組曲」1序
  漂々とある七曜のおわるころ穀倉ひとつ火を噴きて居し

  
  部屋なかは朝影濃きを踏みながら転々と座をかえて読むかな  2月曜日
  夕暮をただに曙(あけぼの)へつなぐべくチェンバロの薄倖の旋律   

  遠き戦後の流行唄(はやりうた)くちずさみつつ、七曜の就中(なかんずく)くらき朝  3火曜日

  七曜のなかばまで来て不意に鋭く内側へ飜(ひるが)える道あり  4水曜日

  木曜の一隅(いちぐう)へかずかぎりなき打楽器が群れ来り、吾(あ)を待つ  5木曜日
  病む家兎を見舞いて看たり毫毛(ごうもう)のうつうつと陰(ほと)のいろのさびしさ             

  胸を越すあつき湯のなかの孤立(ひとりだち)、またおもう紅潮する独立(ひとりだち)  6金曜日
  項(うなじ)灼(や)く七月の陽もうるわしも空の藍(あい)泡立つばかり濃く
  まつ直ぐに生きて夕暮 熱き湯に轟然と水をはなつ愉しみ
       

  あの積雪のしたにひつそりところがしておくもう一組の週末を  7土曜日
  今日が通りすぎつつ居(い)たりモオツァルトの端然と鳴り狂う真中(まなか)を
  わが思考の突端をいま洗いいる波頭しらじらと、目をあく
       

  日曜の午はやきかな赫々(あかあか)となだれていたる時間踏みつつ  8日曜日
  跳ねてゆく時間(とき)よ、そのうねりつつ灰まだらの背、筋群のふかい軋みよ
  煮えくるう水を愛して夜半すぎし厨(くりや)に居たりけり、怪しむな
  ガラテア書のある一行に目を遣りしまま茫々と週末を越ゆ
       

  七曜のはての断崖(きりぎし) 七日まえ来し日よりなお深む夏草
  9抜

 『海への手紙』に「『カレンダー組曲』ノート」があり、以下のように記されてゐる。

 短歌は――そして詩は単なるアフォリズムではない。問いだけが、調べにのって、ひっそりと読者の胸戸を叩く、というのが極上だ。ねがわくは、一首を切迫した問いだけで充足せしめよ。
      *
 (註:「暦表(かれんだあ)組曲」)の意図について)自然詠とか身辺雑詠とかいうものを再認識、または逆用ということなのであった。(中略)くさぐさの日常茶飯事に触発された短歌お得意の領域をぶらつきながら、実は非日常的な詩の世界を、その中に展開しようと試みたのであった。
      *
 時間論の試みという抗しがたい魅力をもった哲学的命題があって、宗教哲学では、「時」に対して「永遠」という化物がのそりと姿を見せないと幕があかない。


 岡井の描く小禽類の愛(いと)ほしさがある。偏愛の雲雀、連雀、小綬鷄たち。

  啼く声は降るごとくして中空のいずくに揚がる早き雲雀か  『斉唱』
  冬の日の丘わたり棲む連雀(れんじやく)は慓悍の雄(おす)いまも率たりや
  幻の一隊の柄長(えなが)庭ふかく三角鐘(さんかくしよう)を連打して去る


  帝国の黄昏 無辜(むこ)の白鳥を追いて北方の沼鎖(とざ)さしむ  『土地よ、痛みを負え』
  小綬鶏が一羽乗りこみいたるのみ丘わたりゆく夜の市営バス
  小綬鶏は唱いて丘をすぎしかば嬬(つま)よぶわれとすれちがいゆく
  どこかさびしい岩かげを曲る狂いたる冬鳥のあれ、かかる夜ふけに


  鳥食えばはつかにたのし いでてゆく午後の激しき道おもえども  『朝狩』
  昨日より啼くこえのなお鋭しと書きとどめたるその夜 雁立(かりたち)
  帰り来むつばさを待ちて傍(かたわ)らの小林(おばやし)ひとつ日に干(ほ)し置かむ


  月かげのあふるるばかり肩ありき魔の鳥つどう夜半というべし  『眼底紀行』
  中空の雲雀はしばし横へ翔ぶ覗かむかわが騒ぐ樹液を

  昨夜(きぞのよ) は月あかあかと揚雲雀(あげひばり)鍼(はり)のごとくに群れのぼりけり  「天河庭園集」
  春鷺のつばさ暗めて飛ぶさえや曇りの騒ぐ空にとらえつ
  ひきかえす小路(こうじ)の熱さ耳ばたのなんたる大声の夏雲雀めが


 集中、「魔の鳥」はさすが小禽類には似つかはしくなく、觀念の、喩を飛翔する鳥であらう。最後の「夏雲雀」も、當時の閉塞した作者情況を考慮すると、いささかの大喝采とも、八つ當たりとも思へなくもない。しかしそのとき、それが岡井の救ひにもなつてゐるのだ。

 片や、小動物には獨特の山羊への嗜好が。

  退嬰(たいえい)を許そうとせぬわが前に酸(す)き匂いして牝(め)の山羊坐る  『斉唱』

  十二頭の豕(いのこ)との餐(さん) 昇りゆく天昏々とくらきを訓(おし)え  『土地よ、痛みを負え』

  一月のテーマのために飼いならす剛直にして眸(まみ)くらき山羊  『朝狩』
  
  夏野そはかぐわしき朝沢渡(さわたり)の谷のけものの乳しまり見ゆ  『眼底紀行』

 「だまって小動物を剖いて過ごした夏。実験用山羊を飼いならした冬。僕は歌について多くのことを考え、少量のノートをとった。」 (『土地よ、痛みを負え』あとがき

 少量のノートはやがて最初の歌論集『海への手紙』へと結實するわけだが、

 ときに岡井は空を見上げる。特に雲を見つめる。雲は思念の定型(フオルム)か。
  
  うつうつと地平をうつる雲ありてその紅(くれない)はいずくへ搬ぶ  『土地よ、痛みを負え』
  雲に雌雄ありや 地平にあい寄りて恥(やさ)しきいろをたたう夕ぐれ
  乾きたる天にひさびさに放ちたる炎(ひ)のごとき、 そを瞻(み)つつ飯(いい)食う


  昼食を境いにあおき創(きず)ふかまる曇りあまねかりし北空に  『朝狩』
  刃(は)をもちてわれは立てれば右ひだりおびただしき雲の死に遭(あ)う 真昼

  前庭(まえにわ)に入れたる芝の着きそむるころおぼおぼと天の鏡は  『眼底紀行』
  昧(くら)き故ひらかれてゆく美しき青
  あけぼのは空の花ばな星とまじわる


  さやぎ合う人のあいだに澄みゆきてやがてくぐもる天の川われは  「天河庭園集」
  雲ははるかに段(きだ)なし沈む北空や巻(ま)き雲ありし昼は過ぎつつ
  雲が捲くゆたかなる白(しろ)日没になお暫しある巷をゆけば
  風花(かざはな)に仰ぐ蒼天(あおぞら)春になお生きてし居らばいかにか遭わむ


 まだまだある。樹木、特に楡、楡は喩の木。そして林、搖れる枝々。ときに花が、緑が、紅葉が……。

  宵闇にまぎれんとする一本(ひともと)が限りなき枝を編みてしずまる  『斉唱』

  産みおうる一瞬母の四肢鳴りてあしたの丘のうらわかき楡  『土地よ、痛みを負え』
  暗緑(あんりよく)の林がひとつ走れるを夕まぐれ見き暁(あけ)にしずまる

  天のなか芽ぶける枝はさしかわし恋(こほ)し還り来し地と思うまで  『朝狩』
  明るさのそこまで来つつためらうを花梗の林すかし見ている

  喜こびに遠く悲しみになお遠く一樹一樹(ひときひとき)と咲き昇りけり  『眼底紀行』
  そよかぜとたたかう遠きふかみどりああ枝になれ高く裂かれて
  ここからは夜へなだれてとめどなき尾根の紅葉に映えてわが行く
  くさぐさの抱擁を経て来ておもう樹を抱くときの葉腋の香よ
  揉まれつつ夜へ入りゆく新緑のさみどりの葉のねたましきかな


  春の夜の紫紺のそらを咲きのぼる花々の白 風にもまるる  「天河庭園集」
  精神の外(と)の面(も)の闇に桜咲きざくりと折られゆく腕がある
  転形へ暗示をふかめつつあるは百日紅(ひやくじつこう)のたわわなる白(しろ)


 續いて先に見た性の時閒を巡る夜の姿態と異なる夜の橫顏、そして晝の橫顏。

  夜半(やはん)旅立つ前 旅嚢から捨てて居り一管(いつかん)の笛・塩・エロイスム  『斉唱』
  眠られぬ又眠らざる夜がゆきてイリスは花を巻きて汚(よご)るる    

  せめてわがめぐりの夜と睦みいん一缶の水沸き立たしめて  『土地よ、痛みを負え』
  匂いにも光沢(つや)あることをかなしみし一夜(ひとよ)につづく万(まん)の短夜(みじかよ)
  しずかなる応(いら)えをきく夜わがうちに王国も築きうべしとおもう


  たましいの崩るる速さぬばたまの夜のひびきのなかにし病めば  『朝狩』
  中世へさかのぼりゆく一群をおくりて暑き午後へ降(お)りたつ
  発(た)ちし夜の妖(あや)しきまでの明るさを恋えば、戦後こそわがカナンの地


  願望の底ごもる夜(よ)をつらぬきて星の林へ行く道なきや  『眼底紀行』 
  移りゆくくれないの刻(とき)藍のときかたぶく昼を怖れて居れば    
  
  夜のほどろの夢にわれら選ぶミンナ・ドンナ・ヘンな艱難   「〈時〉の狭間にて」
  父よ父よ世界が見えぬさ庭なる花くきやかに見ゆという午(ひる)を

  憂愁の午前黙(もだ)あるのみの午後杉綾(すぎあや)を着て寒(かん)の夜に逢う  「天河庭園集」
  四月二十九日の宵は深酒のかがやく家具に包まれて寝し

 神は細部に宿る、とばかり際限ない分類は續くのだが、今稿はここまで。次囘は第三歌集『朝狩』の紹介から、冒頭に約した「或る私的事情」の周邊を彷徨つてみたい
コメント

短歌時評第138回 良い短歌という実践——短歌甲子園に関するいくつかの断片 浅野大輝

2018-11-02 02:44:13 | 短歌時評

 良い短歌ってなんですかね、と彼女は言った。
 その答えを、私はいまだ見つけられずにいる。



 岩手県盛岡市にて「第13回全国高校生短歌大会(短歌甲子園2018)が開催されたのは8月17日〜19日。一方、宮崎県日向市にて「第8回牧水・短歌甲子園2018」が開催されたのは8月18日〜19日。あの夏の戦いから2ヶ月が経過したのかと、少し驚く。
 「歌壇」2018年11月号では、その2つの短歌甲子園について田中拓也・笹公人の両氏による報告が掲載されている。


 団体戦は柔道・剣道の団体戦のように先鋒・中堅・大将の順番で三名がそれぞれ自作を披露し、五名の審査員の判定を仰ぐというスタイルである。
田中拓也「短歌甲子園二〇一八報告」[1] 



 ルールは、野球の打順に見立て、各校1〜3番の生徒(バッター)が順番に短歌を披露し、批評し合う形式で攻防を繰り広げる。ディベートが終わったあとで、3人の審査員が紅白の旗を上げて勝敗を決める。続けて審査員が総評を述べて試合終了という流れである。
笹公人「第8回『牧水・短歌甲子園2018』観戦記」[1]


 「短歌甲子園」は岩手県出身の歌人・石川啄木を顕彰した大会。そしてもう一方の「牧水・短歌甲子園」は、宮崎県出身の歌人・若山牧水を顕彰した大会。前者は啄木に倣った三行分かち書き形式の短歌作品をその場で与えられた題に沿って即詠し、その作品に対して審査員による質疑応答を行ったのちに勝敗が決定する形式を採用している。一方後者では与えられた題に沿って制作した短歌を事前に提出し、作品についてのディベートを実施したうえで最終的な勝敗を決する。同じ短歌甲子園という呼称が用いられてはいるが、その採用しているルールは上記のように異なり、それぞれの大会の個性ともなっている。私自身は盛岡・短歌甲子園(便宜上このように表記させていただく)の出場経験者で、かつ近年は盛岡・短歌甲子園の審査員を担当しているため、前者の形式の方が馴染み深く、牧水・短歌甲子園で採用されている形式は新鮮に思える。
 2つの短歌甲子園のルール上の大きな違いはディベートの有無や三行分かち書きの有無がよく挙げられるが、個人的には勝敗が決したのちの審査員の総評の有無という部分も影響が大きいように感じている。盛岡・短歌甲子園では、選手である生徒と審査員との間での質疑応答という形で、選手が自身の作品、あるいは短歌という表現形式や自分自身について理解を深めることを促す。ただし、勝敗が決したのちに審査員からの総評は行わない。これは時間の制約という大会進行上の観点によるものでもあるだろうし、審査員から何か答えを与えるのではなくその後選手自身が深く思考を巡らす余地を残すという観点によるものでもあるだろうが、表現上の細かい部分や勝敗の理由については触れられないままになってしまうという問題もある。
 ここ数年審査員を務めて実感していることだが、盛岡・短歌甲子園の大会進行スケジュールは非常にタイトである。スムーズな大会運営は多くのスタッフ・ボランティアの働きによるところが大きく、どの人も時間的制約のなかで最大限の仕事を行うように努めている。そして、それは審査員も同様である。盛岡・短歌甲子園では10名前後の審査員が毎年いるが、どの審査員も必然的にタイトな進行のなかで歌の評価のプロセスを繰り返さざるをえず、なかなか控え室から頻繁に出て会場の選手達とコミュニケーションを取るということが難しい(そう、実は審査員は会場に姿を見せていないときも、多くの場合控え室で選手達の作品と格闘している)。この状況下では、空き時間に審査員と選手とが直接やりとりするということがしづらく、上記の問題が宙吊りのまま放置されてしまうことになる。
 時間の制約面では厳しい部分が多いが、予め評の時間を念頭に入れた上でスケジュールを設定するというのも、問題解決の一つの方法となるだろう。その意味で、牧水・短歌甲子園の方法を参考に、盛岡・短歌甲子園の運用手順を見直すというのも有効な手立てとなるかもしれない。2つの短歌甲子園が、大会運営という面でも互いに高めあっていけるような状況を生み出していくことが、今後より重要になってくるのではないだろうか。
 田中・笹両氏の報告では、参加した選手たちの姿や作品など大会中の会場の様子がわかりやすく記載されている。選手として参加していた高校生の方で、こうした短歌の総合誌を読んだことがなかったという方も、この機会にぜひ手にとって読んでみてもらいたいなと思う。



 大会期間中の様子というのは前述の両氏の報告を読んでいただくとして、ここでは盛岡市で行われた「短歌甲子園2018」で個人的に気になった作品をいくつかピックアップして紹介したい。
 特に大会期間中に受賞等がなかった作品は外部的に取り上げられることが少ない傾向があるため、ここではそのような作品を優先的に取り上げる。ただし、非常に数が限られた選歌となることは予めご了承いただきたい。また、引用は基本的に大会資料に基づく。大会資料自体に誤記が含まれている場合も稀にあるため、もしも自身の作品や情報などが誤って引用されているなど何か問題がある場合には、一度筆者(https://twitter.com/ashnoa)までご連絡いただきたい。ここに書かれた評は審査員一同としての評ではなく筆者個人の評であることも断っておく。他の審査員が、ここに書かれていることとは全く別の観点で歌を読んでいるということは当然ありえる事だと思って欲しい。


日常に死は紛れこむ
窓枠に音もないまま
崩れたる蠅
/中村朗子


 個人戦の題詠「音」に提出された1首。「音」という題に対して静寂を持ってくるという感覚の鋭敏さ、それを蠅という小さな昆虫の崩壊につなげて日常のなかの「死」を炙り出すという巧みさが光る。「日常に死は紛れこむ」というフレーズはぐっと引き寄せられるものがある一方で少し観念的すぎるものでもあるが、そこを「崩れたる蠅」という細やかな具体的描写で回収するというところに、この歌のバランスの良さがあるだろう。その意味で、非常に短歌的な短歌でもある。既存の短歌から、そのエッセンスを抽出して自分のものにできているのではないかと感じられる。個人戦では受賞を逃したが、学ぶところの多い名歌だと思う。


内蔵の飛び出たミミズ乾きゆく
新地の轍
ゆっくりと夏
/野城知里[2]


 団体戦1次リーグ題詠「新」で、後に優勝した茨城県立下館第一高等学校から1ポイントを奪い取った1首。「新地」には「さらち」とルビが振られる。「内蔵の飛び出たミミズ」が「乾きゆく」という死の細やかな描写から、夏の時間もしくは夏に至るまでの時間の表現へとつながる。夏の滞留するような時間感覚を、うまく言葉のうえに乗せることができているように思う。死と夏の親和性の高さを掬い上げているのも良いが、「さらち」という言葉の表記に「新地」という字を当てたことで、崩壊だけではなく再生の雰囲気も感じられて、味わい深さが増しているように感じられる。
 三行分かち書きという形式の特徴は、その三行に分けるという表記から必然的に歌のなかに2回以上の(軽い)切れが発生するという部分にある。現在一般的な1行で記載される短歌では切れが2回以上必然的に埋め込まれるということは基本的にはないため、この形式上発生する切れをどのように処理するかが三行分かち書きの表現に影響を及ぼしてくる。そういった意味で、ただ漠然と形式上の切れに甘んじるのではなく、時間などの流れの緩やかさを切れで表現していくというこの歌の手法は、非常に参考になるものであるだろう。


「久しぶり」
埃はらった自転車で
兄から借りた景色に向かう

/佐久間このみ


 題詠の題は「転」。題から「自転車」という単語が出るのは考えられることだが、そこを自分のではなく「兄」のものとしたこと、そしてそれによって出会える景色を「兄から借りた景色」と言い述べたところに力がある。「兄」や「景色」が主体にとってどのようなものかは完全に読者の読解に委ねられているが、「久しぶり」という言葉も相まって、どこか距離や切なさを感じさせる。歌が歌の外に広がるドラマにつながっているような魅力があると言える。
 通常、鉤括弧を利用した発話の表現は少しクセが強い印象で、なんとなく避けたくもなりがちであるが、この歌では行分けによる効果もあってあまり苦にならない。表記から受ける印象というところまで考慮した上で表現を選択するのは重要なことで、うまくバランスを探っていきたいものだと思う。


新緑の中
風になる少年の
虫取り網が今振りかぶる

/西山綾乃


 題詠の題は「新」。「新緑」と「風になる少年」という2つの要素は少し言葉の距離が近くイメージの広がりには欠けるかもしれないが、逆に言えば隣接するイメージを探し出して1首の中に構成してみせるという能力があるとも言えるかもしれない。
 着目したいのは3行目の「虫取り網が今振りかぶる」。一首としては少年が虫取り網で昆虫採集をしている情景を表すものと思うが、それならば通常は「少年が/虫取り網を」という助詞の斡旋になるところを、この歌では「少年の/虫取り網が」と多少屈折した言い方で表現してくる。この屈折が、非常に魅力的だと私には思える。この歌が採用している助詞の配置は「虫取り網」に一瞬主語が来るように見えることから、主体の視点が少年の動きから虫取り網の動きに移っていく感覚を、より強く読者に与えてくる。視点の動きと、「風になる少年」が振るう虫取り網のスピード感が、とてもよくマッチしているのではないだろうか。助詞の配置だけでも歌が大きく変わってくるということは、常に忘れずにいたい。


何もかも愛してほしい
空襲の跡地に
花のあふれるように

/大幡浅黄

ただ歩くだけでは
すぐに消えるから
命の重さで刻む足跡

/鈴木そよか


 団体戦1次リーグAブロック第1試合大将戦。題は「跡」。私自身はこの試合の審査を行っていたが、大会開幕後最初の大将戦がこのように力作対力作の勝負となり、良い意味で頭を抱えさせられた。
 大幡作品では、1行目の「何もかも愛してほしい」というフレーズのストレートさにやられた後、紡がれる崩壊と再生のイメージにぐっと心を掴まれる。イメージの広がりとメッセージの強さがともに味わえる作品だと思う。対する鈴木作品では、静かで繊細な1行目・2行目ののちに「命の重さで刻む足跡」という力強いフレーズが打ち出される開放感がある。繊細さのなかに意志の強さが垣間見える一首である。「愛してほしい」という受動的なフレーズを核に置く大幡作品と、「命の重さで刻む」という能動的なフレーズを核に置く鈴木作品という、非常に対照的な2首が競い合う名勝負であった。勝負の結果は3対2で鈴木作品の勝利となったが、どちらが勝ってもおかしくない勝負であったと感じる。
 両作品とも多少観念的ではあるが、それでいて単なる心情や思考の吐露に終わらない魅力があるのは、ひとえに両者のフレージングの妙にあるだろう。大幡作品であれば1行目、鈴木作品であれば3行目のような、それだけで人を惹きつけうるフレーズを1首の核として、そこから歌を立ち上げていくというのも、非常に効果的な手法の一つである。



 良い短歌とはなんだろうか。
 古今東西、さまざまな人がさまざまな形でこの問いに答えてきたが、結局のところその答えは各人に委ねられる。そして付け加えるなら、たとえ良い短歌の定義が明確にあったとしても、その定義をわかっている人が良い短歌をつくれるという保証はない。
 翻っていうなら、良い短歌というのは歌を詠む/読むという実践のなかでのみ見出されるものであるのかもしれない。私たちは良い短歌というものの定義を言葉の上に展開することは未だ出来ていないかもしれないが、しかし短歌と出会った時にそれが(少なくとも自分自身にとっての)良い短歌であるということに気がつくことができる。そうであるなら、いま私たちにできることは、私たちの出会った短歌の様相をできる限りつぶさに観察して、その良さというものをさまざまな方向からさまざまな形で描き出すことのみであるようにも思う。それによって生まれる膨大な数の良さのスケッチは、いくら描いても良さそのものには到達できないかもしれないが、だからといってそのスケッチの価値が失われることはない。ある短歌に出会ったとき、それが少なくとも自分にとって良い短歌であると感じられるなら、たとえ良さそのものの定義に到達できないのだとしても、その良さをあらゆる方法で語っていく。そのような実践のみが、私たちに良い短歌をもたらしてくれるのではないだろうか。
 良い短歌と出会う。そのために必要なのは、自身のなかで短歌や創作というものに対する思考や感覚を研ぎ澄まして実践を重ねていくこと、そして自分自身のそれを他者のそれとぶつけ合いながらあらゆる可能性を探っていくことであるだろう。そうした活動の一つの場として、短歌甲子園とは非常に貴重な機会であると思う。自分だけでは到達できない場所にも、他者の声があれば到達できることがあるかもしれない。創作はきっと、ひとりきりでするものではないのである。


■註
[1]「歌壇」2018年11月号(本阿弥書店)掲載。
[2]1行目「内蔵」は原文ママ。提出時もしくは資料作成時に混入した「内臓」の誤記の可能性あり。

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短歌作品評 亜久津歩から荻原裕幸「夏の龍宮」へ

2018-11-02 02:43:15 | 短歌相互評
共感しないままふれる半神の歌の手ざわり――荻原裕幸「夏の龍宮 もしくは私の短歌の中で生きてゐる私が私の俳句や私の川柳や私の詩の中でも同じ私として生きはじめるとき私は漸く私が詩の越境をした実感ができるだらうと思ひながら選んだ十首」を読んで 亜久津歩

作品 http://shiika.sakura.ne.jp/works/tanka/2018-10-06-19493.html


いろいろと前置きしたい気持ちはあるが、当初の予定よりかなり長くなってしまったのでさっさと本題に入ろう。予め、この連作に通じていることを述べておく。全体に夏の季語が散りばめられていること。それから、作中の主体が現世に住まう「ひと」ばなれしていること。

十薬匂ふ湯の沸きはじめの音がするこの世の時間しづかに進む

十薬、ジュウヤクはドクダミの別名で、夏(仲夏)の季語。湿っぽい日陰から不意に漂う独特の匂いは、誰にも覚えがあるのではないだろうか。
先ず「十薬匂ふ湯」と一息に読んでみる。乾燥させた葉で淹れるどくだみ茶や、生の葉や茎を使うどくだみ湯のための湯を沸かす。「音」が聴こえるのはお茶だ、鍋か薬缶か……ひとりの台所、コトコトという音、になろうとする気配が微かに鼓膜をふるわす。他に聞こえるものはなく「時間」だけが、ただ「しづかに進」んでいく。
次に「十薬匂ふ/湯の沸きはじめの音がする」と読み、こちらだと思う。十薬は茶葉よりも実物として捉えたいし、この繊細な知覚において、室内にある十薬ではやや刺激が強い。仲夏は6月6日頃から7月6日頃――梅雨がようやく明け、夏らしさを感じ始める頃。何処かの薄暗がりから風に運ばれ、開け放たれた窓へ、鼻腔へと至る十薬。空間的な広がりを感じるとともに、時間の奥行きも深まる。
そして「この世の時間」と絞ることで、言外に横たわる「この世の」ものではない時間。78577というリズムも、異質な時と普段の流れを表しているようだ。

ひとを食べ尽くした夏の正門が閉められてこちら側の寂しさ

「ひとを食べ尽く」された後に残された存在は、「ひと」でなくて何なのだろう。夏の景色の中に立つ、おそらく学校の(2、3首目は回想か)門。同時に季節の入口――夏という怪物のくち。「ひと」びとは、賑わいながら吸い込まれてゆく。食われているとも知らぬまま、ひとり残らず。「閉められ“た”」ではなく「閉められ“て”」という接続から、急な分断が際立つ。57587、少しはみ出した「閉められてこちら側の寂しさ」を持ち主体は、“あちら側”へ行きたいのだろうか。

赤ペンのひらがなひらくはつなつの進研ゼミは恋まで諭す

「はつなつ」はそのまま初夏の季語。漢字表記をひらがなにすることを意味する「ひらく」と、紙の上に咲くあざやかな「赤ペン」の大きな花まるのイメージが重なる。この夏、恋も!部活も!勉強も!と鼓舞する漫画冊子を思い出した。通俗的なアイテム(しかも教材)を用い、音も57577ぴたりと型通り。まるで巧みな擬態だ。あるいは、学生時代を規律正しく過ごしていたということか。しかし、やはり主体は外から「恋まで諭す」もの(と諭されるもの)を見ている。「進研ゼミ」の勧誘DMが送付されてくる年頃から、きっと「こちら側」にいたのだ。

夏の空には私のこゑもしみてゐて半世紀のその青を見てゐる

どこまでも青い夏空に自分の声が染みているとは、考えたことがなかった。「空」へ放たれた人々の叫びや囁きが「青」をなしているのかもしれない。下の句の字あまりからも、その長さを感じる。
荻原裕幸は1962生まれ。ちょうど「半世紀」ほど前である。1979年に作歌を始めている*1 ので、短歌作品以外の「私のこゑ」も含めて「見てゐる」のだろう。私は普段、詩を読む際に作中の人物と作者とは区別しているが、ここではあえて重なるに任せて読み進めたい。すると「その青」からは、歌集『青年霊歌』*2『永遠青天症』*3 も思い起こされる。『青年霊歌』刊行から30年、もしも「私の短歌の中で生きてゐる私」を通底したもの(≠同じキャラクター)と捉えてよいのであれば、「私のこゑ」は作品としても事実時を超え、空に染みている。

遠い夏の朝のピアノを聴くやうに過ぎてゆくその船を見てゐた

連作中、圧倒的に好きな一首。「遠い夏の朝のピアノを聴くように」のなんと美しく切ないことか。降り注ぐ光のように、僥倖に巡りあうように「その船」は「過ぎてゆく」。私は荻原裕幸の直喩が大好きで、出合えると飛び上がってしまう。
この5首目には色を表す語も描写も入っていないが、4首目の「青」が響いており、空と水との青の階調、日差しと波のきらめき、悠然と行く白い船体がありありと浮かぶ。4、5首目は「その青を見てゐる」「その船を見てゐた」と結ばれる。4首目の余韻が行き渡るのは、このセット感ゆえとも言えるだろう。「ゐる」→「ゐた」の変化によって単調さを回避しつつ、時間の経過を示している。留まるものを、過ぎゆくものを、主体は「見」続けているのだ。

枇杷の下には何が棲むのか呼んでみる静寂よりも静かな声で

「枇杷」・枇杷の実も十薬と同じく仲夏に属する季語である。一読すると枇杷の木陰に「棲む」(この字は人間には用いない)姿の見えない虫か小動物に、優しく囁きかけているようだ。しかしここへ来て、そうは思えない。現実的な木陰や地中というよりも「この世」の外なる異界へ呼びかけているのだ。「枇杷」は「琵琶」と掛かっているようにも感じる。
「静寂よりも静かな声」は比喩とも読めるが、おそらく本当に静寂よりも静かな――ひとには発声できない、聴きとることもできない――声なのだろう。

次はリューグーつて聞こえた名鉄のドアがひらけば夏の龍宮

「名鉄」は名古屋鉄道の略称。荻原裕幸の(そして加藤治郎の)出生地でもある愛知県名古屋市は、Twitterから短歌の世界を垣間見ている私などからすればメッカ的都市である。平和園へ行ってみたい。
さて。「次はリューグーつて聞こえた」に「名鉄」と続くことから、車内アナウンスか乗客の話し声だろうとリューグー駅を検索した。だが該当するものはなく、名古屋市港区竜宮町という地名に行き着くのみであった。海に面した町ではあるが……。
もしかすると、この地名との混同を避けて「龍」の字をあてたのだろうか。あるいは宮沢賢治にとってのイーハトーブ(岩手)*4 のように、現実の地名をモチーフとした架空の場と考えてもよいかもしれない。
なるほどこれは実際の台詞ではなく、ひとならぬものの呼び声なのだ。6首目では「呼んでみ」たが、7首目では何処からか「聞こえた」のである。「ドアがひらけば」水色の世界を行き来する虹のような魚たち。いつもの名鉄に乗っていたはずが、何ものかの声をトリガーとして「龍宮」という美しき異郷へ引き込まれてゆく。(ちなみに「龍宮(竜宮)」は「水晶宮」ともいう。荻原裕幸第一歌集第一章が「水晶街路」であることに、不思議な連なりを感じる)

わりと本気で雲に乗りたい八月の午後がとてつもなく寂しくて

季語は「八月」。2首目の「寂し」さが、さらに深いものとなっている。2首目では夏の始めの、生徒が一斉に登校する朝を想像した。「八月の午後」はそのしばらく後だ。「こちら側」にあり続ける「とてつもな」い「寂しさ」。「雲に乗りたい」のはふかふかのベッドで眠りたいわけではなく、青天の、天上の世界へ行きたいのだろう。そこはきっと、寂しくないから。

無いよだけど在ることにしてコメダする夏の終りの男女の友情

恋や性愛の対象となり得る間柄における「友情」は「在る」(こともある)が、「無いよ」という相手とは成立しない。「無いよだけど」の字あまりが、一瞬見せた本音を素早く上塗りする(「よ」と「だ」は0.5拍ずつで読むのがよいだろう)。意図的にチラリと見せているに違いない。越えるのは容易いよ、と。
ところで「コメダする」は、コメダ珈琲店へ行くことを意味する。コメダ珈琲店の本店・本社は名古屋市にあり、支店は名古屋市内だけで120店舗以上。私の暮らす埼玉県南部では聞かない言葉だが(「コメダにする?」「コメダ行こう」となる)いわば「お茶する」であり、普段通りの、一般的な日常を端的に表していると言える。
果たして「無いよだけど在ることにして」いるのは、「男女の友情」だけだろうか。

何処からか音だけがして八月のこの世には降ることのない雨

どの世には降る雨なのか。私はもう、この聴力を想像力や表現力などと呼んでいいのかわからない。まるで半神半人の言葉を聞いているようだ。足は地表につけながらも、知覚は異界を捉え続けている。
私はこの連作がとても好きだが、共感しているか、というと、していない。できないのだ。私は「この世の時間」以外の時間を知らないし「湯の沸きはじめ」は目で確かめる。無抵抗に「夏の正門」に飲まれ、「進研ゼミ」に「諭」されてきた。「静寂よりも静かな声」の出る声帯も「リューグーつて聞こえ」る鼓膜も具わっていない。雲の上は雲の下よりも「寂しくて」、「この世には降ることのない雨」に気づくこともない。けれどだからこそ、共感に心奪われることなく、言葉によって立ち上がる世界の手ざわりを、言葉そのものの美しさを堪能し、世界の更新や拡張に心底驚くことができる。共感されやすいことは必ずしもよい歌の要素ではないと改めて感じた。「身に覚えのあること」の先に広がる豊かな世界を見せてくれる。
この連作中、1、4、6、8首目の計4首が初句7音だ。やわらかく優美な印象はこのためでもある。なお、2首目と7首目は句またがり、5首目と9首目は6音の字あまりなので、くっきりとした初句5音からの57577は3首目と最終10首目のみである。3首目はまるで擬態だと書いた。ならば10首目は、「夏の龍宮」から「この世」へ帰する装置と言えよう。

終わりに。「詩の越境」について考え込んでいる。この一言だけで再び4000字始まってしまいそうなので締めるが、越境とその実感をしたい・できる・すべきとは言っていない点、「詩“型”の越境」ではない点を指摘しておきたい。それはこの作品が掲載されているサイト「詩客」の性格や、加藤治郎が最新歌集『Confusion』において「詩型の融合」をテーマの一つとしていることなどに対する、荻原裕幸のあり方を示唆しているのだろう。先ほど、この主体の聴力を荻原の想像力や表現力などと呼んでいいのかわからないと書いたが、当然、荻原は人間である。それを訝しみたくなるほどに、荻原裕幸であり荻原裕幸でない「私」が「短歌の中で生きてゐる」。この「私」が「私の俳句や私の川柳や私の詩の中でも生きはじめるとき私は漸く私が詩の越境をした実感ができるだらう」がそのまま、荻原の(現在の)スタンスなのだ。目指すよりも、至るに近い印象を受ける。
「詩の越境」とは、たとえば有季十七音の短歌を詠むことでも、10000字の川柳を作ることでもない。手先で型を弄るだけでは決して到達し得ない詩の、より深い領域を始点とする旅だ。ここにあるのは自身にとって「詩の本質とは何か」という問いでもある。荻原裕幸にとっての「詩」の「越境」とはこうである、では私にとっては?

あなたは?



*1 荻原裕幸1980-2000全歌集『デジタル・ビスケット』沖積舎より2001年刊行。
*2 荻原裕幸第一歌集『青年霊歌―アドレッセンス・スピリッツ』書肆季節社より1988年刊行。
*3「永遠青天症」は『デジタル・ビスケット』に「未完歌集」として収録されている。実質的第五歌集。
*4 異説あり。
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短歌時評第137回 「負けたさ」と「負けるな」 濱松哲朗 

2018-10-05 14:04:55 | 短歌時評
八月十九日(日)、塔短歌会主催の現代短歌シンポジウム(要するに、全国大会二日目の、一般公開部分)の鼎談「平成短歌を振り返る」において、

「負けたくはないやろ」と言うひとばかりいて負けたさをうまく言えない(虫武一俊『羽虫群』書肆侃侃房、二〇一六年)

が話題に上った。その際、何故「勝ちたくなさ」ではなく「負けたさ」なのか、という話題が永田淳から提示され、壇上で栗木京子や大森静佳を含めた三人で様々に議論があったが、そのやりとりを会場で見ていた筆者も、ここ数ヶ月、自分なりにこの「負けたさ」について考えてきた。
 恐らく、問題となるのは「勝ちたくなさ」と「負けたさ」では何が違うのか、ということだろう。結論から言うとこの二つは、勝ち負けに対する態度表明としては似て非なるものである。
 「勝ちたくなさ」とは、自己の外部からやってきた勝負の構造や文脈に乗りたくない、絡め取られたくないという、消極的な拒絶である。別に勝ち負けが大事なのではないと、きちんと態度表明をしつつ、「勝ち/負け」の二元論で語られる社会そのものに対しても距離を保ちつつ批判を行っている。
 では、「負けたさ」に含まれる、負けることへの積極性は何なのか。筆者はこれも、拒絶の一種であると考える。しかし、かなり屈折した心理である。外部に存在する構造に対して積極的に「負け」を肯定し、自分の方からも「負け」になり得る文脈を設定して自己をカテゴライズしようとするのである。
 何故そんな手に出るのか。その方が社会そのものとの関わりを最小限に抑えられるからだ。そもそも現状の構造や体制に対し批判を表明するには、それなりの体力と精神力が求められる。そこにある構造から逃れられないことは重々承知しているが、関わって疲弊する事態は極力回避したい。そんな時にこの「負けたさ」は、自己防御の心理として効力を発揮する。
 例えば、運動が苦手な小学生がクラス対抗の球技大会でドッヂボールの試合に出る時、内野で延々とボールと立ち向かい続けることよりも、さっさとボールを当てられて外野に行くことの方を選ぶだろう。そして周囲も、アイツにボールが行っても使えない、と分かった上で、転がった球を拾えなかった時以外は無視を決め込むだろう。あらかじめ「負け」ておけば、時折向けられる冷やかな眼差しを代償として、延々と続く勝ち負けの応酬や、勝ち続けなければいけないような場における心の逼迫からも、ある程度逃れることができるのだ。
 「負け」を表明しておけば、社会や構造の方も今後は自分のことを、視野に入れつつ無視してくれるだろう。与えられた構造を敢えて受容し、自己を敢えてマイノリティ化することで、代わりにそれ以外の一切の関わりを拒絶する。そうした心理を、単なる逃避だと言って批判するのは容易だが、だが、考えてほしい。構造に立ち向かうことすら拒絶するということは、声を上げるだけで奪われる何かがある、ということである。そして、それを奪う側に立っているのは、逃避だと言って嘲り笑う、勝者たちではないか。自分に都合の良い構造の上に胡坐をかいて、声にならない声を聴こうとする想像力を失った、虚しい勝者たちの姿が見えてこないか。筆者などは、そうした他者を愚鈍化するような構造と関わることそのものに、怒りすら感じる(ではどうして、こうして書いているのかと言うと、見えてしまったものに対してはやはり責任を取りたいし、沈黙によって差別構造の悪循環に加担することを避けたいと思う気持ちが少なからずあるからだ。もっとも、筆者もそもそも人間ぎらいであるから、この文を書き終えた途端、憔悴し切って寝込むことは確実であるが――)。
 「負けたさ」が示す受容と拒絶の屈折は、単なる個人の生きづらさの表明ではない。その自己完結的意識の根底には、社会の構造そのものに対する苛立ちや諦めが、声になる以前のもやもやとした感情として、渦巻いているのではないか。

 シンポジウムの鼎談では、萩原慎一郎『滑走路』(角川書店、二〇一七年)のことも話題に上った。虫武が「負けたさ」であったのに対して、萩原は「負けるな」と詠む。

非正規の友よ、負けるな ぼくはただ書類の整理ばかりしている(萩原慎一郎『滑走路』)

 虫武の描く自己が自分から「負け」を表明することで自己防御を試みたのに対し、萩原の描く自己は基本的に与えられた勝ち負けの文脈に対しては従順で、なおかつその構造の中で自分を鼓舞しながら生きのびようと試みる。集中で繰り返される文末の「のだ」は一見単調に響くが、「非正規という受け入れがたき現状を受け入れながら生きているのだ」「日記ではないのだ 日記ではないのだ こころの叫びそのものなのだ」といった歌を見ると、自己鼓舞・自己慰撫の文体だったのではないか、と思えてくる。
 しかし、萩原は外から与えられる構造に対して「負けるな」と言ってしまう。「まだ行ける まだまだ行ける 自転車で遠くに旅はできないけれど」「癒えることなきその傷が癒えるまで癒えるその日を信じて生きよ」「かっこよくなりたい きみに愛されるようになりたい だから歌詠む」等、類例を挙げ始めたら切りが無い。「まだ行ける」「信じて生きよ」「かっこよくなりたい」「愛されるようになりたい」といった、一見自己鼓舞のように見えるこれらの表現は、実際には構造の側から掛けられた呪いの言葉であり、だからこそ、繰り返し詠み続けられるこれらの歌を目にするたび、萩原の呪縛を思うのである。
 「まひる野」九月号で染野太朗は『滑走路』について、「この人、口ばっかりじゃないか、と思う」と苛立ちながら、「すべての思いが、思いのままで宙吊りにされ、ただ叫ぶばかりで、歌集にはその先の行動が描かれない。あるいは、今ある思いや行動のそのさらに先に続くはずの別の思いや行動が描かれていない」と評する。筆者も同感だ。しかし、具体的な行動が描かれずに、思いのたけのみに集中して詠まれたからこそ、例えば「短歌」七月号で佐佐木定綱が述べた「読んでいるうちに「これは俺の歌集か」と錯覚しそうになった」という感想(筆者も佐佐木と同じような気持ちでむさぼり読んだ)や、あるいは九月末現在で五刷にまでなるほどのベストセラーとなっている現象にも説明がつく。行動という個人的行為が抜けているからこそ、読者の側でも思いへの共感が表面化しやすいのだ。
 だが、萩原の歌に含まれる思いのたけが、叫びのままに終わってしまうのには、行動が描かれていないからだけではない。彼の歌は、みずからが晒されている現状の構造そのものを決して否定しない。雇用してくれる側、恋人になってくれる側に対して受身であり続けることをみずからに強いているにも関わらず、「負けるな」と呪いの自己鼓舞を繰り返す。
 自己肯定や自己防御の力は、最初から誰にでも備わっているものでは決してないし、また状況に応じて簡単に奪われていくものでもある。虫武の「負けたさ」に含まれている若干の自虐――自虐とともに構造を拒絶する姿勢が、萩原の「負けるな」には見られない。その真剣さと素直さが、まんまと構造の手玉に取られてしまったように見えて、筆者はとても胸が苦しくなる。
 繰り返される言葉の性質を仔細に読んでいくと、与えられた状況とは関係なく自己完結的に自分自身を肯定する歌が萩原作品の中に見られない事実にきづく。「自分が愛する音楽を、あなたはまずその手に置いてみるべきだった」と染野は悔しがるが、萩原はそもそも、自分自身を肯定する力を、構造の側から既に奪われてしまったのではないか。ならば憎むべきは、萩原を殺したこの社会構造の、厄介なまでの堅固さの方だ。

こんなにも愛されたいと思うとは 三十歳になってしまった(萩原慎一郎『滑走路』)

 私事で恐縮だが、筆者も先日、三十歳になった。だが、自分が生きのびていているのに萩原が死んでしまった事実がどうにも許せない。自己肯定の力も、自虐とともに社会と距離を取るやり方も萩原から奪ったこの社会から、構造の悪の側面を、断ち切ることができないにせよ如何にして軽減していくか。常に考え続けなければならない。そうでなければ、またしても大切な才能を殺してしまうことになる。
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短歌相互評28 岩倉文也からおさやことり「はねばしを」へ

2018-10-05 14:02:06 | 短歌相互評
おさやことり「はねばしを」
http://shiika.sakura.ne.jp/works/tanka/2018-09-01-19427.html

評者
岩倉文也


ひらがなはすべてを溶かしてゆく川のながれ、あるいは僕らの肌をやわらかくまさぐる呪いのようなもの。ひらがなは明晰な意味をかたちづくる前に僕らの手からこぼれる、したたる、したたかに。それは心地よい麻酔として、魔術として詩歌のなかでふるえている。


はねばしをおろしてとてもよくやけたぴざをじぶんのてがらのように

はねばしがおろされる。彼岸と此岸がむすばれ、これは夢だろうか、見たことのない場所、ふれたことのない時間、ぴざが焼きあがる。香ばしいかおりだ。それがだれのてがらであるのか、この街に知る人はなかった。


ふたりだとあふれてしまいかねなくてゆのてっぺんでからだをあらう

ところで、僕はもうここがどこなのか分からない。音楽をきこうとおもって、スマートフォンに手をのばしたが暗証番号を忘れてしまった。お風呂場ではだかになる。ゆのてっぺん、が具体的にどこなのか僕にはおもいだせない。ふたりいっしょに、おゆがあふれたらみんな壊れることだけは知っていて、神妙な顔でからだに泡をつけてゆく。


あいさつというのはしょうちのことですがそとのあつさをかりてくるのは

あいさつをするにも街はもぬけの殻で、それでもだんだんとのぼる陽の、あつさだけがかろうじて僕の存在を保証していた。


かんたんにおなかをみせてくれなさのくるまはえくすとりーむなねこか

僕のふるさとにはかつて沢山のねこがいて、よくさわったり、もちあげたりしていたのだけれど、僕が中学生になったあたりからあまり見かけなくなってしまった。噂によると、ねこたちは駐車場をあいするあまり、そのたいはんがくるまになってしまったらしい。


ふりそうでふらないそらはわたくしのかわりにさしてくれているかさ

僕には傘をさすのが苦手だと言うともだちがいて、最初きいたときなにを言っているのか分からなかった。傘をさすのが苦手? でもよくよく考えてみると、確かに傘をうまくさすのにはそれ相応の技術がひつようなのかもしれない。僕にしても、肩やひじ、ひざなどは傘をさそうがいつも濡れてしまう。そういうものなんだと思う。東京はいつも曇り、と大岡信は詩に書いた。その曇り空をみあげる。ふりそうでふらない東京のそら。


すいとうをだそうとしたらかさがひとたたいてしまうふゆきとどきに

想像力でかさが伝説の剣となった時代はすぎ、僕もまた慎重にかさを持つひとりの大人になった。二十歳になったのだ。記念にコンビニで缶チューハイを買い、「嫁さんになれよ」だなんてカンチューハイ二本で言ってしまっていいのという、俵万智のあまりに有名な歌をおもいだしつつ、一缶を飲み干してしまうと、たちまち全身が紅潮し、頭痛と吐き気におそわれてベッドに倒れこんだ。なるほどね、とおもいながら、僕は二十歳という錯誤のなかで、荒くなった自分の呼吸をきくともなくきいていた。


むかしよくいたくてわらったことさっきいたくなければわすれたままの

なにかを思い出す、というのは素晴らしい罰で、忘却はたぶん、悲惨な赦しなんだと思う。


ゆうやけがしみこむほどによんでおりほんにはなしのよみにくければ

ゆうやけのなかで僕はいつも途方にくれてしまう。それは色彩のせいか、それとも鳴きわめくカラスのせいなのかは分からない。本を読もうにも、ゆうやけの染み付いたページからは、誰のものとも知れぬ無数の声がきこえてきて、おはなしは遠く、欄外の海へとこぼれてしまう。そして街の、防災無線からあふれる、ゆうぐれを告げるメロディー。


かきまぜてしろくしたやみのみながらやどかえようかどうかはなせり

コーヒーにミルクを注ぐときなにかが崩れることを知った。けれど今日も明日も、わけの分からぬげんじつに追われながら、駅への道をころげ落ちてゆく。「ねえ、家を出ようよ、そして森に住もう。人なんてだあれもいない、動物たちにおい、土の、星のにおいを嗅いでさ、暮らそうよ。そうしたらきっと、コーヒーだってもっとおいしくなるはずだし、ミルクだってもっと純白になるはず。ね、そうでしょ? きいてるの?」


えんりょしたにかいにようしゃなくあがるおとうととてもよいしごとした

二階にはなにがあるんだろう。僕はそれを知らない。ただ、何人ものおとうとが容赦なく、階段を駆け上がっていく。どっどっどっどっどっどっ。足音の残響。いつまでも耳にこびりついて離れない。気づけばあたりは暗くなっている。そおっと階下から上をみあげるが、おとうとの姿はない。何人もあがっていったのに、ひとりとして帰ってはこない。静寂があたりを満たす。おとうとは、なにかを遂げたのだろうか。なにかを見つけたのだろうか。おろされていたはねばしが、音もなくあがってゆく。僕はただ、呆然とそれをみている。みている。みている。……
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