「詩客」短歌時評

隔週で「詩客」短歌時評を掲載します。

短歌時評158回 「あなたの歌は寂しいね」 千葉 聡

2020-07-26 11:42:16 | 短歌時評

 高校で国語を教えている。その日々を短歌やエッセイに書き、発表してきた。
 本名で紙誌に書いているし、僕の本は高校図書館の入り口に並べてもらっているから、校内のすべての人が「ちばさとは歌人だ」と知っている。同僚は、何か面白いことがあると「これ、作品の題材にならないかなぁ」と言って、僕に教えてくれる。生徒たちは「いつかわたしたちのことを短歌に書いてください」と言ってくれる。
 学校でいいことがあると、帰り道も楽しい。「今夜はこのことを書くぞ」と意気込んで、早く家に帰ってパソコンの前に座りたくなる。バスの窓から夕暮れの町を眺めて「俺は本当に恵まれているなぁ」とつぶやく。
 だから、今までに書いた本は、だいたい同じ路線になった。「学校でいろいろなことがある。不慣れな教員『ちばさと』は失敗したり、苦労したり。それでも生徒や同僚にささえられ、最後には立ち直る」というパターン。実生活そのものだ。
 どの本も心をこめて書いた。自分のダメなところを思い切ってさらけ出した。個人情報保護のために出来事の設定を少し変えているものの、事実を曲げずに書いた。でも、だからこそ、どうしても同じパターンになってしまう。
 読後感がさわやかです。明るい短歌に元気をもらいました。熱血教師ですね。わたしもこんな学校に通いたかった……。みなさんからあたたかいご感想をいただいたが、自分としては「このまま同じようなトーンで書き続けていいんだろうか」と悩むこともあった。
 去年、短歌の会合で、ある先輩歌人から話しかけられた。
「ちばさとの歌って、とっても寂しいね」
 その先輩の顔をまじまじと見つめた。
「寂しい、ですか?」
「そう。あなたの歌は寂しい。とっても寂しい」
 何も言い返せなかった。寂しい? 本当に? その 逆だと思っていた。明るく元気な短歌が「ちばさと」の持ち味だと思っていたのに。
「どこが、どんなふうに寂しいと思われたのですか」
 口ごもった末に、僕がなんとか質問すると、先輩はほほえんだ。
「それはね……」

   *   *   *


 コロナウイルスの感染はおさまらないが、新しい歌集は次々と刊行されている。短歌という小さな定型詩が、どれだけ人々のささえになっているかを実感する。
 コロナ禍で出版された歌集には、「明るい」「寂しい」のような大きなことばでは括れない、どこか揺らぎがある通奏低音を感じる。
 小島なおの第三歌集『展開図』(柊書房)には驚いた。それまでの歌集では、若い感性を通過した透明感のある歌を前面に出していたが、この歌集で小島は、周囲をこまやかに見つめる歌に重きをおくようになった。

  思うひとなければ雪はこんなにも空のとおくを見せて降るんだ  小島なお『展開図』

  海に向く背中ばかりの海にきて海もまた後ろ姿と思う


 雪をもたらす白い空を「空のとおく」と詠む。今、この身に降りかかる雪のふるさとがどこにあるのか容易に認識できないほど「とおく」。「とおく」には、わからないままに「どこかとおく」と言っているような、子どもが果てしなさを知った瞬間のような心もとなさがにじむ。「空のとおく」が、空をただひたすら眺めたあとで得たひとことのように思えてくる。
 海を見て感傷的な気分になるというパターンの歌は多いが、海を「後ろ姿」と詠んだのは小島が初めてではないか。なんて大きな「後ろ姿」だろう。海、海を見ている人々、そしてそれらすべてを見ている人。「後ろ姿」ということばの寂寥感を、海と人々をじっと見つめているという、その行為のまっすぐさが、わずかに救っている。
 工藤吉生の第一歌集『世界で一番すばらしい俺』(短歌研究社)を二回読んだ。仕事から帰り、家の用事を済ませ、なにげなく歌集を手にしたら、途中でやめられなくなり、最後まで一気に読んだ。そして、二回目はじっくりと一首一首を味わうように読んだ。すぐれた短編小説集のような一冊だ。
 工藤は、くすんだ日々をなんとかやり過ごしている青年の姿を丁寧に描く。「自分がどんなにダメなのか」を詠むことは、時に露悪的にも偽悪的にもなる。


  田舎芝居「平謝り」を披露してそのブザマさにより許される  工藤吉生『世界で一番すばらしい俺』


  膝蹴りを暗い野原で受けている世界で一番すばらしい俺


 ダメな自分をくっきりと詠んだ二首を抜き出した。だが、この二首だけでは歌集全体の雰囲気を伝えきれない。描かれている青年は、ダメで、自らのダメさ加減をわかっていて、それでもしたたかに生き抜こうとする。この本を最初から読むと、多くの読者は途中までは「なんてダメな男だ」と軽くあしらおうとするだろう。だが、後半の連作「車にはねられました」あたりから、この青年の心模様が、読者自身の中にも確かにあると気づくだろう。最後の一首に至ったとき、読者はきっと、この青年をいとおしく思うようになる。一つの色に染め上げられない作品世界が、どんな姿かたちをとっていてもそれが自分らしさにつながっているしたたかさが、だんだんと心地よいものに思えてくるだろう。


   *   *   *


 短歌の先輩はどこか遠くを見るような顔をしながら話してくれた。
「ちばさとの短歌は、人を信頼する、人のいいところを認める、人を好きになる、という方向性が決められている。人をあたたかく見つめようとすると、その方向性に合わないものを排除しようという意識が強まる。わたしは、あなたの作品が強いプラスをめざせばめざすほど、あなたがあえて詠まない寂しさのほうを感じてしまうの。ちばさとの本は、明るさと元気さに満ちている。だからこそ寂しいの」
 先輩はさらりと言った。反論はできなかった。でも、何も言わないままでお別れするわけにはいかない。僕はマヌケな声で「ありがとうございます」とかなんとか言った気がする。
 他の人が話しかけてきた。先輩はそちらに挨拶をかえしたりして、なんとなくこの場は終わりになるような気がした。僕が立ち去ろうとすると、先輩は最後にこう言った。
「だからね、ちばさとは、思い切り今の方向に進んでみたら? まだ誰も進んでいない道かもしれないよ」
 そんな単純なことではないだろう。でも、創作者は常に考えている。どのように、何をめざして書いていくべきか。歌人なら、次に詠む一首によって、進むべき方向が見いだせるかもしれない。一首、また一首、詠んでいくしかない。その末に、先輩の示してくれた道もあるかもしれない(が、今はまだわからない)。
 こうして時評を書いていると、自分がしっかりした物書きであるかのように錯覚しそうになるが、とんでもない! 僕は今、迷い、悩み、なんとか書いている。
 新しい歌集を手にとるたび、「この人には負けられない」と思ったり、「短歌って、本当にいいなぁ」と泣きたくなったりしながら。

コメント

短歌時評157回 安川奈緒の遺言(2)~無からの出発~ 細見 晴一

2020-06-21 20:23:21 | 短歌時評

 前回の短歌時評154回 「安川奈緒の遺言(1)~粉砕王が通り過ぎる~」の続きである。

 いくつかの粉砕王が通り過ぎ、その破壊された跡から、つまり「無」から若い人は立ち上がるしかなかった。
 たとえば2001年の浜崎あゆみ(1978-)のヒット曲「evolution」にこんな歌詞がある。
 https://www.uta-net.com/movie/12790/

  この地球ホシに生まれついた日
  きっと何だか嬉しくて
  きっと何だか切なくて
  僕らは泣いていたんだ

  こんな時代トキに生まれついたよ
  だけど何とか進んでって
  だから何とかここに立って
  僕らは今日を送ってる

 この楽曲は破壊の跡からの出発を熱狂的に歌い上げる応援歌だ。さあ新しい時代、こんな星に生まれたけど、こんなひどい時代だけど、みんななんとかやっていこうよ、がんばろうよ、と鼓舞する。そして浜崎はこれをevolution(進化)なんだと肯定的に解釈し、こんな時代に生まれたことをむしろ喜んでいるかのようだ。確かにそこから進化が生まれるのだろう。
 一方、浜崎とは対照的に、そういった不安な時代の中から静かに立ち現れてきたのが永井祐(1981-)だった。彼はとても静かに現れたので、ほとんどの人は最初気がつかなかった。

  白壁にたばこの灰で字を書こう思いつかないこすりつけよう
  思い出を持たないうさぎにかけてやるトマトジュースをしぶきを立てて
  アスファルトの感じがよくて撮ってみる もう一度  つま先を入れてみる

 第一歌集『日本の中でたのしく暮らす』(2012年)より。
 2首目、うさぎは思い出を持たないのかもしれない。あるいは持つのかもしれないが、少なくとも思い出でいっぱいのはずの人間からすれば思い出は持っていないように思える。そして1首目のたばこの灰で字を書くこと、3首目の何もない無意味なアスファルトの写真を撮るという行為。こういった無為な行為をそのまま(本当にそのまま)短歌にしている。この無為な行為に注目するということ。そしてそれをそのまま短歌にするということ。思い出を持たないのはうさぎでなくて、作者本人ではないのかとまで思わせてしまう。そういった思い出すら持たない何もない「無」からの出発。そこには浜崎あゆみのような熱狂も応援も喜びもない。あるのは静かな日々の生活だけである。そして短歌としての高度な修辞も高邁な思想も何もない。そういった今まで通用していたことが何もかも壊れてしまい、今までの修辞や思想がもう通用するとは無意識に思えなくなったからだろう。一切をチャラにしてからしか始められなかったのだ。穂村弘(1962-)がかつて言った「修辞の武装解除」「棒立ちの歌」とはこういうことでもある。

 そして安川奈緒も似たようなことを言っている。再び2010年『メランジュ』でのレクチャーより。
http://finwhale.blog17.fc2.com/blog-entry-242.html#

詩人が詩を書くときの「主体」は、散文家が散文を書く時のような一方通行的な高邁な思想とは無縁で、それどころか詩人以外の一般的「主体」より一段低いところに身を置き、この世界の受容体とならなければいけない。そして世界中から受容したことを言葉へと変換させ叙述する。それが真の詩人なのだ。

 要は、詩人は地べたを這いつくばれ、ということだ。地べたを這いつくばって世界中から受容したことを言葉にしろと。そうでないと今の時代、真の詩歌は書けないと。今までとは違う時代なんだと言いたいのだろう。これは斉藤斎藤が吉川宏志(1969-)の短歌を「地べたから5ミリほど浮き上がっている」『井泉No.19』(2008年)と批判したことと似ている。今の時代1㎜たりとも浮いていては真の詩歌は書けないのかもしれない。詩歌にとってなんと辛い時代だろうか。

 そして永井祐は無意識に地べたを這いつくばる。

  太陽がつくる自分の影と二人本当に飲むいちご牛乳
  日本の中でたのしく暮らす 道ばたでぐちゃぐちゃの雪に手をさし入れる
  ゴミ袋から肉がはみ出ているけれどぼくの望みは駅に着くこと

 これはもう地べたを這いつくばることを愉しんでいるとしか思えない。まるでそれが自身の存在証明であるかの様に。そしてこの世に真実なんぞどこにも存在せず、在るのは事実だけであるということを愉しんでいるかのようだ。

 斉藤斎藤と永井祐の登場で現代短歌のフェーズが明らかに変わった。今まで培ってきた詩歌の資産を一旦ゼロにして短歌のフレームはそのまま。短歌のフレームのみを残した、(短歌的な)無からの出発。穂村弘が、OSが変わったと言ったのはこのことではないのか。だがOSを変えずにしかも様々な詩歌の資産を受け継ぎながらも現代短歌のフェーズを明らかに変えた歌人がいる。瀬戸夏子(1985-)だ。

第二歌集『かわいい海とかわいくない海 end.』(2016年)から。


  片手で星と握手することだ、片足がすっかりコカコーラの瓶のようになって
  心臓が売り物となることをかたときも忘れずに いつかあなたの心臓を奪うだろう
  眠らないままでいるからすくなくとも今世紀は鋏でくりぬく苺のかたち

 モダニズム詩から前衛俳句、前衛短歌、現代川柳と培われた修辞技法の延長上で、その中でも特に阿部完市(1928-2009)、安井浩司(1936-)、攝津幸彦(1947-1996)等のポスト前衛俳句とも呼べる俳人たちの修辞技法の影響が色濃いと筆者は感じるが、その卓抜した言葉の選び方、その言葉の組み合わせ方、それを従来の短歌韻律とは全く違う韻律で統率する独特のリズム感、そして最も肝心なのはそれら斬新なことから、決して偶然ではなく生じてくる奇跡的とも言える短歌的愉悦。それだけで十分に鑑賞に値するが、そんなことばかり言っててもそれは批評にはならない。批評することがこれだけ困難な歌人は他にいないのだが、それでも何とか批評して伝えたいというこの世で最も無謀なことをさせようとする歌人だ。
 瀬戸夏子を批評するには様々な切り口があるだろう。ありすぎて考えれば考えるほど混乱を招くばかりだ。そこでここでは瀬戸が特に影響を受けたという彼女と同世代の詩人安川奈緒の観点から批評を試みたい。それで少し整理ができるはずだ。
 もう一度、安川奈緒のレクチャーから再掲する。
 http://finwhale.blog17.fc2.com/blog-entry-242.html#


 詩はいま、文脈を逸脱させたり、断片化させることによって書かれているのではなく、もともと完全に粉砕されてしまった、粉々にされてしまった者たちが(確かに粉砕王が通り過ぎて?)、もう一度輪郭を取り戻そうと、必死の形相で、言葉をつないでいるのではないか。おそらく順序が逆なのだ。

 同じく瀬戸夏子の第二歌集から。

  雪もない宇宙のいない血のいない 場所でよいにおいにてやすらかに死ね
  緯度を引く気持ちで宝石をたべて悲しむ人々を裏切るように所以を知らせる
  絵にすればスイッチと言う死の前日のダンスと言えばわたしだと言う

 安川奈緒的に言えば、これらは、決して文脈を自分でバラバラにしたのではなく、(誰かに)バラバラにされた後、もう一度輪郭を取り戻そうと必死の形相でことばをつないできている、ことになる。これら3首もそんなふうに思えないだろうか。実際につなぐことに成功しているかは別として、そのつなごうという意志が伝わってこないだろうか。
 言い方を変えれば、桜井夕也が『未来』2019年1月号の「無意味nonsenseをめぐって」で言及したように瀬戸の短歌は「象徴秩序と意味関連が徹底的に攪乱されている」のではなく、つまり自分で攪乱したのではなく、一度(誰かに)攪乱されてしまったものから象徴秩序と意味関連を新たに再構築しようとしているのではないか。つまり順序が逆なのかもしれない。そう考えた方が詩歌にとっては建設的だろう。以下の3首でその経緯を説明してみる。

  たった一言の手紙にも似て真夜中にひとしく生きた無傷のエンジン
  性能は断崖に似る婚姻は生きていく筈みぞれを含んで
  笑っている 傍らの丁寧なくちぶえ 下から上へ戦争カタログ

一首目、〈手紙〉と〈エンジン〉は本来つながらない。だが〈似て〉でなんとかつながり、〈たった一言の手紙にも似て〉単純で、世界の底を通奏低音のようにしかも無傷で活動し続ける、何か世界を駆動させているしっかりとした〈エンジン〉のようなものを象徴として提示してきている。その〈無傷のエンジン〉に安心するか不安になるかは読者次第だ。
二首目、〈性能は断崖に似る〉〈婚姻は生きていく筈〉は全くつながらない。だが最後の〈みぞれを含んで〉で婚姻というものが断崖にも似た性能でしかも〈みぞれを含んで〉ずっと生きていくのだと、婚姻とはそういう峻厳なものだと、身につまされるものは見事に身につまされてしまう。婚姻の本質を突かれたようでそういう人は呆然とするだろう。
 三首目、〈くちぶえ〉と〈戦争〉は当然つながらない。しかも〈戦争カタログ〉である。この世に〈戦争カタログ〉なる呼び名は無いが、実際にはそういうカタログがあるだろうとは推測はできる。だがやはりこれは瀬戸がこの世界に切り込むために造った造語だろう。〈丁寧なくちぶえ〉の〈丁寧な〉はいったい何を示唆するのか。〈下から上へ戦争カタログ〉の〈下から上へ〉は何のことか、謎だらけだ。見事にバラバラである。だが最初の〈笑っている〉で、〈戦争カタログ〉を笑いながら眺めているような不穏な忌避すべき存在が浮かび上がってくる。そして〈丁寧な〉口笛を吹いている奴がいる。 〈下から上へ〉積み上がっていく戦争を丁寧に笑いながら眺めている、いったいそれはどんな存在なのか、問いだけが宙吊りになり、読者はこの世界に冷やっとした悪寒のようなものを感じずにはいられない。

 確かに桜井夕也の言うように、瀬戸自身が攪乱してバラバラにしてしまったところもあるだろう。そしてそれだけで終わっている歌もあるだろう。だがやはり瀬戸夏子は一度バラバラになった象徴秩序と意味関連を最終的には再構築したいのではないか。そしてその再構築するときに同時に生じる、世界への新たな解釈と短歌的愉悦。その一瞬に瀬戸夏子は賭けているのではないだろうか。

 最後に、「無からの出発」をよりわかりやすい形で無意識に歌ってくる西村曜(1990-)を紹介して終わりにする。

 第一歌集『コンビニに生まれかわってしまっても』(2018年)より。

  コンビニに生まれかわってしまってもクセ毛で俺と気づいてほしい

 1990年生まれということはおそらく生まれたときからコンビニが広くあったのだろう。だからこそこの比喩が自然に出てくる。比喩というのはその言葉が体に馴染んでないと自然な感じにはならない。おそらく西村にとって、コンビニは世界の構成要素の根幹の一つに違いない。コンビニが無い世界は水が無い世界ぐらいありえないのかもしれない。だがこの比喩はコンビニ以前の商業形態をおよそ無化してしまう。だからコンビニがなくても全く困らない筆者のような世代からすれば、あまりに唐突でありそこにインパクトがある。あらゆる商業形態の80%が最初から無かったような殺伐とした気分に追いやられ唖然としてしまうのだ。豊かなはずの世界が豊かではなくなる。「無」とまではいかないが「無」に近い状況を生み出してくる。コンビニに生まれかわるということは人間を辞めるということと同時にその「無」に近い状況からの出発でもあるだろう。〈クセ毛〉がコミカルで可愛いところがいいアクセントになっている。

  からっぽの子宮を満たすためだけに宿す子の名は「空港」とする (『未来』2020年3月号)

 作者は女性で、これはもちろん妊娠の歌である。だがこれほど殺伐とした妊娠の概念が他にあるだろうか。sora歌会でこの歌を発見した時の戦慄を今でも覚えている。女性が子供を宿すということは新たな命を宿すということで、これほど尊いことは他になく、大なり小なり喜び溢れる命の賛歌になるはずだ。それを子宮が空っぽだからその空っぽを満たすためだけに私は子を宿してやる、文句あるか、と世界に対してメンチを切ってしまっているのだ。この歌の背景にあるのは完膚なきまでの「無」である。そしてその「無」に子を宿すことで「無からの出発」を果たそうとする。これほどの「無からの出発」が他にあるだろうか。

  独り身のバイト帰りの自転車の俺を花火がどぱぱと笑う  『コンビニに生まれかわってしまっても』
  会釈してそののち僕を殺すから未来とは目を合わせないんだ  『コンビニに生まれかわってしまっても』
  もう二度と生まれてこないわたしたち製氷皿に張り詰める水  『コンビニに生まれかわってしまっても』
  いつからか明日はなくなり今日の日と今日の隣の日が続くのみ (『未来』2018年12月号)
  菜の花の一つひとつのまばゆさをすべて奪うと菜の花ばたけ (『未来』2019年7月号)

 西村曜は新しいOSに乗っかりながらも、従来の修辞技法もある程度取り入れ、斬新でありつつ解りやすい。そして世界とたった一人で対峙する覚悟を感じることのできる数少ない歌人だ。期待したい。

 安川奈緒は、短歌には全く興味がない、とかつて筆者に語ってくれた。にもかかわらず2010年の安川のレクチャーは、ニューウェイブ以降の現代短歌の変革の一側面を言い当て、そのあとの変異までも予言してしまったと言っていい。ひょっとして、美意識や価値観、文体的にも近い瀬戸夏子の短歌に出会っていたら、短歌に興味を持ってくれたかもしれない。しかしおそらく出会うことなく、2012年に世を去った。残念でならない。

 今、新型コロナウィルスというかつてない程の巨大な粉砕王が通り過ぎようとしている。また詩歌に新たな変革をもたらすのだろうか。そして自分自身の文学観も変わってしまうのか。それは全くわからない。あまりに巨大すぎて、気持ちそのものが文学から遠ざかってしまわないよう、文学の変遷を注視していくしかない。(了)

コメント

短歌評 口語短歌の危機を救え! ―『現代短歌のニューウェーブとは何か?』を読む 平居 謙

2020-06-21 19:46:28 | 短歌時評

 

1 現在短歌のヤワな感じ


 「現代短歌のニューウェーブ」とは、1980年代半ば以降起こった口語短歌の新しい動きだそうだ。聞いたことはあったような気もするけれども、「ライトヴァーズ」という言葉とのニュアンスの違いとか、きっちりとした定義など考えたこともなかった。
 そのころ僕が読んだ歌集はと言えば俵万智『サラダ記念日』林あまり『MARS☆ANGEL』『ナナコの匂い』くらいのものだった。少し遅れて穂村弘『シンジゲート』も読んだ覚えがある。しかし詩を主戦場にしようと考えていた僕にとって、横目で見ながら走る領域くらいにしか考えていなかった。『サラダ記念日』は上手いと感心した。『ナナコの匂い』はエロいと笑った。ただ、どれもが僕の魂を揺さぶるようなものにではありえなかった。それらの歌集との出会いが、僕の「ニューウェーブ体験」と言えばいえるのかもしれない。
 昨年来、このサイト「詩客」短歌評のために改めてかなりの数の歌集に目を通した。今のところ藪内亮輔『海蛇と珊瑚』・笹井宏之『えーえんとくちから』・千種創一『砂丘律』・柴田葵『母の愛、僕のラブ』の4冊についての短評を書いたに過ぎないが、それでも短歌の現在というのが朧気ながら見えてきた気がする。「知らないうちに、ここまで来ているのか!」という感慨を覚えた。中でも『海蛇と珊瑚』や『砂丘律』は骨があった。ぐいぐいと迫ってくるものを感じた。しかし一方で平行して買い求めながら批評を書けなかった岡野大嗣『たやすみなさい』や朽木祐『鴉と戦争』その他多くの歌集たちは、芯の欠落したヤワな感じがするのだった。意識的にそう作ってるからなのか、そうせざるを得ないのか。根無し草的な感じがして、気持ちいいのか悪いのか分からないくらいだった。僕は何だかいたたまれなくなってきた。痛い。痛すぎる。ふつふつと怒りにも近い感情が湧いてくる。そのルーツに関するヒントでもあるかと思ってこの『現代短歌のニュウェーブとは何か?』(2020年2月 書肆侃侃房刊)を買ってみたのだった。

2 ヤワさの根底にある「ニューウェーブ」


 この『現代短歌のニュウェーブとは何か?』を読むと、1980年代半ば以降の、つまりは元号が平成に代わる直前からほぼ現在までの口語短歌の大まかな流れがある程度分かる。そして、先に書いた現在の短歌の寒さの理由がどことなく理解できたような気がする。「ニューウェーブ」な書き手たちは、それまでの規律の強い、芯のある世界からの解放を目指して自分たちの世界を作ろうとしたのだろう。ところが、その排出した世界があまりにも自由に過ぎたため、それによって育った次世代以降は、マトモに育たなかった。ごく一部の天才は除いて。そんなところだろう。急激な転換期を支えた世代は偉大でも、後代はその自由さで育つ或いはスポイルされが故にうまく力が伸びないことは、どんなジャンルにも言える事なのだろうし、理にもかなっている。
今、「偉大」と書いた。偉大かどうかは知らないが、俵万智は僕は優れていると思う。しかし、ニューウェーブを形作った人たちというのもそんなにすごかったのだろうか?それを確かめるためにも、僕はこの本を読まなければならなかった。

3 通読後メモをしてみた


 本書を読み終わって、内容を振り返りながらメモをした。本文を再読しない段階のものなので、雑であり、もしかしたら間違いもあるかもしれない。まだ本書を読んでいない人がいたら、間違い探しクイズでもやるつもりで、手引きに加えていただければ幸いである。とりあえず以下の通り。

 ◆現代短歌のニュウェーブとは◆
 ・ 口語短歌であるらしい
 ・ 1980年代の半ばから後半にかけて勃興してきた流れらしい
 ・ 当初は漠然とした意味で使われていたらしい
 ・ ジャンルの終焉みたいに言ってる人もいたらしい
 ・ ライトバーズと関係が深いらしい
 ・ 文語調のも間々あったらしい
 ・ 活動や出版の「場」を作ったことも評価されているらしい
 ・ 荻原裕幸が新聞で使った言葉が初めらしい
 ・ 穂村弘によると「わがまま」らしい
 ・ 加藤治郎が辞書に項目をねじ込んだらしい
 ・ 「革命的な表現」でいっぱいだったらしい
 ・ 俵万智『サラダ記念日』はニューウェーブではないらしい
 ・ つまりめちゃめちゃブームになった歌集は「大衆短歌」と蔑み、それと「ニューウェーブ」は一線を画したいらしい
 ・ 30周年のシンポジウムが開かれたらしい
 ・ そこでいろいろ紛糾したらしい
 ・ ニューウェーブな人たちに「俵万智だけいればいいじゃん」と言うのは蛮勇らしい
 ・ 結局現代短歌のニューウェーブとは4人のことらしい
 ・ あるいは1人のことらしい
 ・ 女性は自由過ぎるから、この括りでまとめる必要すらないらしい
 ・ 後の世代からは必ずしも支持されているとか限らないらしい
 ・ ニューウェーブに自分も入ってるんだと感じてた人も多いらしい

 「らしい」だらけだが、なんだか全体を読んで、何も信用できないという気分になってきたのでこう書かざるを得ない。人によって定義も異なるし、思い込みも思い入れも温度も粘度もさまざまである。この本を通読した限りにおいて、僕が理解できたのは上記の「ようなことが言われている」ことだけに過ぎない。その時代の雰囲気を現わす言葉くらいに「ニューウェーブ」という語を理解していたにすぎなかったが、加藤治郎は後に「はい、それはもう四人です。」と言っている(本書P 159 )2018。(引用文末につけた数字は、発言が掲載された年。本書は、30年間にわたるニューウェーブに関する発言等を広く掲載したものなので、「いつ」の発言かによって意味合いが違う場合もあるだろうためにそのようにした。本稿では以下これに準ずる)ニューウェーブに関してはあまりにも何もかもが曖昧である。そういう雰囲気の中で短歌が流れていたとしたら、現在短歌の(特に新しい世代が)ゆらゆらしているのは仕方のないところなのだろう。

4 現代短歌のニューウェーブとは何か?  

 さて、本書でニューウェーブについて読んでいると、その目指そうとしたらしい軽みやPOPさとは裏腹に、どす黒い政治的(時事的、社会問題的という意味ではなしに、歌壇内政治という)芬々たる臭いばかりを感じてしまった。しかし中には、きわめて本質的なところを見ていると感じられる批評家とも出会った。ごく部分出来ではあるが簡単に紹介しながら、彼らの言葉に沿ってニューウェーブの正体をもう少し具体的に訪ねてゆこう。
まずはニューウェーブに関する回想を花笠海月の言葉からみる。なだらかかつ簡潔にまとまっているので僕はとっても納得がいった。ここに写してみよう。

  私は一九九一年に歌をはじめた。その時、流行っていたのは、ただごと歌であり、二宮冬鳥であり、
  茂吉であった。ニューウェーブという言葉はまだ定着してなかったと思うが、『あるまじろん』が 
  出たばかりで、話題の人物として荻原裕幸の名は当然耳にした。/どうしてこれらが流行ったのか。
  私はこれらを「反『サラダ記念日』」としてすべて説明できると思っている。これらの出現は『サ
  ラダ記念日』のもたらしたものをどう紹介していったかのあらわれだったと思う。/戦後短歌の歴
  史は口語体や新かなをどう消化していくかという視点なしには考えられない。しかし『サラダ記念
  日』はそれまでの細やかな営為をふきとばす勢いで広まってしまった。平成の短歌史は『サラダ記
  念日』と「それ以外」で分けたほうが見えてくるものがある。そのなかで『サラダ記念日』に乗れ
  なかった男性歌人からの『サラダ記念日』に対するアンサーが、これらの「流行」だったのだと思
  う。 花笠海月 p224 2019

 「『サラダ記念日』に乗れなかった男性歌人」というのがはじめよく分からなかったのだが、巻末に収められた荻原裕幸による「ニューウェイブ関連年表」に沿って時系列的に整理すれば次のようになる。

   1985 俵万智「野球ゲーム」で角川短歌賞次席
   1986 穂村弘「シンジゲート」で角川短歌賞次席
      加藤治郎「スモールトーク」で短歌研究新人賞
      林あまり歌集『MARS☆ANGEL』
   1987 加藤治郎歌集『サニー・サイド・アップ』 俵万智『サラダ記念日』
   1988 荻原裕幸歌集『青年霊歌』
   1990 穂村弘歌集『シンジゲート』

 このように列挙すると「乗れなかった」人々をニューウェイブと呼ぶというのは一目瞭然だろう。周知のとおり俵万智『サラダ記念日』は社会現象ともいえるレベルで、爆発的に売れまくったのだった。短歌村内の「注目」など、全て吹っ飛んだわけだ。当時加藤も荻原も穂村も全く知らなかった僕でさえ、俵万智の歌集はリアルタイムで読んだのである。西田政史は「ニューウェーブは社会現象のようなものだと考えるに至りました」(本書 p130 2018)と言っているが、馬鹿な事を仰るなという感じである。そんなものは短歌創作者の中での認識に過ぎないだろう。もっとも西田は「社会現象のような」と言っているから、やはり「社会現象ではない」ということくらいは承知しているのかもしれない。ただ根本的に反響のレベルは異質なものであったことだけは、確認しておかなければならない。(こんなことは当時を生きた人間にとっては言うまでもない。そもそも、俵万智とその他の歌人が同列に並んでいることが、外側から見る僕には現在でも強い違和感がある。少なくとも出版史的に言えば、雲泥の差であるわけだ。だが、一般社会と短歌村を同列に扱う言辞が繰り返される中で、後代に誤った情報が刷り込まれるのは問題だと強く思ったのでここに拘って書いておく。)
 なるほど、短歌界の中で注目されていた若い書き手たちが、俵万智の爆発的なブームで持った焦燥感は大きかったのだろう。少なくとも僕が同じ立場にあったら、居ても立ってもいられなくなって、何か仕掛けを起こすかもしれない。そしてその仕掛けが「ニューウェーブ」だったのかもしれないと想像する。ニューウェーブ4人組の一人(らしい)穂村弘は本書p156で以下のように発言している。

  水原紫苑とかとしゃべっていると「ニューウェーブって何?」とかよく言われるの。俵万智さんが
  いればいいじゃんって。どう思う?そうだよねっていうしかなかった僕は。それでね、「いつもあ
  んたたちはそうなんだよ」って言うのね。彼女が挙げた例はね、(与謝野)晶子がいれなよかった
  のに、男たちが、晶子が開いた扉を自分たちはあとから通っただけなのに偉そうにする。いつも男
  はそうするって。 2018 

 行動に男も女もないとも思うが、確かに男は何かの動きを後追いで「理論化」したり「史的に記述」したがったりする。「詩的に」ではなく。それはサガだ。この観点でみれば、本書のつくりはまさに「男臭い本」だということが言えるのだろう。加藤次郎も巻末の解説「ニューウェーブの中心と周縁」で『現代短歌大辞典』の中に「ニューウェーブ」が収められるに至った経緯を長いスペースを割いて説明している。そして「辞典の制作には、査読という工程がある。ある項目について必ず編集委員が原稿をチェックする。適切でない場合には原稿の修正が求められる。そして最後は監修者が目を通すのだ。」などと書いている。これは何が言いたいのか。結局のところ「辞典に掲載されているということは、何人かの目を必ず通っているわけだから、お墨付きなのだ」ということが言いたいのだろうか。男は確かにこういう権威の傘を誇示したくなるようである。男と女ということに関わっては紀野恵もP112~13で面白いことを言っている。

  私はたまたま女性であるが、たまたま、文学的な流れに名前を付けたり参加したりすることには興
  味がない。それより作品をつくることでしょう。…(略)…仕掛けを作って動いてくれている人た
  ちには感謝のみである。 2020

 「それより作品をつくることでしょう」というのはいい得て妙だ。ニューウェーブな人たちの作品が、俵万智より知られなかろうがどうであろうが、作品さえ良ければ、そんなものは些末な問題として一笑に付すことができるのだ、本来。しかし、当初からニューウェーブの作品に対しては、強い批判があったようだ。

  僕は、これだとジャンルは終わりだと。短歌というのは、無になると思うと。あと、何十年かは続   
  くだろうけどさ。ジャンルとして残る意味が、何もない。小池光(本文p34)1991

  表現から反逆精神というものが消えてしまったとしたら、そこから先に新しいものを生み出してい
  く力は残るのだろうか。小林久美子(p76) 2003

これらの感想は、僕が最初に書いた「現在短歌のヤワさ」の問題にそのままスライドさせることができるのであって、つまりは、「ニューウェイブ」の上に育った「現在」は、もろにその劣性面を継承しているということができるのだと確信する。

  ▼▼▼▼▼ココが戦場?▼▼▼▼▼抗議してやる▼▼▼▼▼BOMB! 荻原裕幸
  1001二人のふ10る0010い恐怖をかた101100り0  加藤治郎
  荻原裕幸、加藤治郎両氏の作品。これらの作品は記号短歌といういささか侮蔑的な名称で呼ばれた
  が、当時も三十年たった現在も私にとっても「何かとてつもなくもの凄くいままで見たことも聞い
  たこともない作品」ではない。こういう実感が短歌のニューウェーブに対する否定的な態度を生み
  出していたのだと思う。   藤原龍一郎(p96)2020

 この発言後、藤原は「ニューウェイブ」の評価面について述べているのだが、藤原の引用しているものに限らず、本書で取り上げられる全ての歌のどれひとつとして僕には何の魅力も感じられない。「大衆短歌」だという俵万智の方が何倍も優れて見える。30年前にリアルタイムで読めば斬新だったという話ではない。たとえば藤原も引用している、そもそも「ニューウェーブ」という言葉を定着させた当の本人だといわれている萩原裕幸の「▼▼▼」が使われている作品など、どこをどう評価するのか?僕は大正末期のダダイストたちー高橋新吉や萩原恭次郎に惹かれた人間として、このように記号が作品内に用いられることに関しては、ある種の免疫というか共感を基本的には感じるのだ。だが、その僕にしてなお『あるまじろん』に収められているというこの作品には、感じろといわれても感じる術を最初から持たない。斬新でもない工夫も何もない。加藤治郎は「今までは、言語表現だけは皆信頼してきた、というところが、最後のギリギリの線としてあったと思うのです。」と言っている(本書P24 1991)が、例えば詩の創作世界で「言語表現だけは皆信頼してきた」と思っている人が、当時であっても何人いただろうか。そもそも、少なくとも戦後において創作とは、言葉への不信というものを前提としながら、あるいは前提とするからこそ言葉によって新しい世界を作り上げようとする矛盾に満ちた行為ではなかったか。もし、加藤だけでなく、「皆信頼してきた」のだとすれば、改めてその能天気な村社会を検証してみる必要があるだろう。(もっともそれは加藤がそう言っているだけであって、他の短歌の書き手にとっては「冗談じゃない!」ということではないか、とうすうす僕は思ってはいるが)。その能天気な加藤治郎の歌に関して言えば、「これをこう楽しめ」というのが露出しすぎていて、狙いは分かるけれども面白くなさすぎる。つまりは歌のセンスが著しく低いのである。なぜこんなものがたとえ一部の人にであってももてはやされたのかよく分からないというのが正直なところだ。1980年~90年ころの短歌の世界は、まだまだ崩すべき世界だったということだろうか。しかし加藤も荻原も苔脅しに過ぎないという印象だけが残る。そんなことをやっているときに、俵万智が現れれば一たまりもないのは、必然といえるのだろう。
 また若い世代に属する(のだろう)永井祐も加藤の「不自然」について指摘している。

  加藤さんのライトヴァースってすごく不自然なんですよ。わかりますよね。『マイ・ロマンサー』
  とかでも、なんか謎のヤング・アメリカンみたいな主体が出てくる(笑)。俵さんとかは、もっと
  自然に口語で都市生活を詠うっていうのができてると思うんですけど、加藤さんのライトヴァース
  がすっごく不自然なんです。(p195 2018)

「不自然さ」といえば、穂村の『シンジゲート』に対しては特別な感覚はなかったが後になって『手紙魔まみ、夏の引っ越し(ウサギ連れ)』を何故だか買った時、作り物の匂いしかせず、女子高生とかオンナノコとかに仮託しないと何も言えないというか注目されないだろうという、読者を小ばかにした態度に悲しみすら感じたことを覚えている。

  
5 死へのまなざしと今後の短歌の可能性


 全般に不愉快が言説が目立った本書の中で、短歌に関する透徹な目線が光るのが水原紫苑であった。彼女はシンポジウムの中で、前衛短歌とニューウェーブの「死」に関するスタンスの違いを述べている。

  考えてみると近代短歌の「時間」というのは直線的に「詩」に向かっていますよね。前衛は重層的
  な「時間」であって、大きな「物語の時間」ともう一つ「私の時間」というものを二つ背負ってい
  たと思うんです。だけど、大きな新しい波はどうかというと、「死」というものが捨象された「無
  時間の感覚」じゃないかなと思うんですね。浮遊した感覚といいますか。「死」を捨象した文学と
  いうものは、本来ありえないわけで、でもそういうあり得ないものを作ったというのが一種の功績
  だったと思うんです。「不死の空間」といいますか。で、ニューウェーブ以降の、現代の若手の作
  品というのは、そうではなくて「死」を内包する「循環的時間」というか、私は何か古典和歌に帰
  ってきた時間のようなものを感じるんです。 水原紫苑(p169) 2018

 ニューウェーブ以降の若手の傾向が「循環的時間」「古典和歌に回帰するような時間」なのかどうか、僕は判断できないが、彼女には『桜は本当に美しのか 欲望が生んだ文化装置』(平凡社 2017年刊)という『万葉集』『古今集』『古今和歌集』をはじめとして、現代の桜ソングに至るまで「桜」の織り成す意識を探ろうとした力作がある。たとえ結論がまだ見ぬ向こう側にあるとはいえ、すでに問自体に価値がある。その彼女が≪現代の若手の作品というのは、そうではなくて「死」を内包する「循環的時間」というか、私は何か古典和歌に帰ってきた時間のようなものを感じる≫という時、それはとりもなおさず、水原自身の時間意識と強く関りがあると考えてもよいのではないかとも思うのである。僕は以前『異界の冒険者たち』(1993年 朝文社刊)の中で近代詩人の「異界表現」を探ったことがあったが、「死」をどのように描くかということが書き手の力の見せ所でもありそれだからこそ「死」の前において薄っぺらい奴は吹き飛んでしまうだろうことは近現代詩でも短歌でも同じことだろう。
 同時代評をすることは大切だろう。同時代の伴走者がどういった歌を作るかということから刺激を受けて新しい可能性が開けることも大いにあるだろう。しかし、古典―もちろん、たとえ水原のように万葉集まで遡らなくても、例えば前衛やそれに先立つ明治大正の短歌史―を大づかみに理解するところからしか、ジャンルの可能性は今後に開けてこないだろう。平成期には結社の縛りが薄れたらしい。そのメリットは本書の能書きに詳しい。が、そのデメリットは過去の名作、あるいは師匠の作品を(すら)読まなくなるという弊害だろう。というよりも、師匠が存在していないのだから読みようもないだろうし、師匠と呼ばれることの重荷を引き受ける書き手も少なくなったのかもしれない。自意識だけが突っ走り、蓄積に目が向けられなくなるとすれば、それは本書にもあったように、明らかに口語短歌の危機だといっていいだろう。
口語短歌を救え!誰が誰に求めているのか分からない助けを求める、か細いしかし切なる声が僕の耳の奥に響き始めた。

コメント

短歌時評156回 重くれの良さ 大松 達知

2020-05-30 21:20:24 | 短歌時評
 この二ヶ月くらい、多くの魅力的な歌集に出会った。
『体内飛行』石川美南
『どんぐり』大島史洋
『丈六』柳宣宏
『展開図』小島なお
『ナラティブ』梶原さい子
『風と雲雀』富田睦子
『飛び散れ、水たち』近江瞬
など。
 中でも、大島史洋(今年7月で76歳)と柳宣宏(今年4月で67歳)の二人の歌集に、短歌とは何かを考えさせられた。
 年齢はそんなにたいせつなのか? という議論はある。
 「コスモス」は今年4月から、折り込みの詠草用紙にあった年齢(と職業)の欄を除いた。(もともと性別欄はない。専用用紙でなくコピー用紙に印字でもよい。) その後、数回選歌を担当したが、大きな違和感はなかった。ただ、歌によっては年齢が読みを補佐する、というか歌を引き立てる面もある。年齢を知りたくなった作品はいくつもある。高齢者が多いグループだけれど、同じご病気でも七十歳と八十五歳では作者も読者も実感が違うものだ。読者(選者)が移入する感情の濃淡も変わってくる。とはいえ、雑誌になったときには年齢は掲載されないわけだし、その作者を知っているどうかの問題にもなる。詠草用紙の改訂は良いことだと思っている。
 だが、すべての短歌作品から「年齢」を取り除いていいわけではないと思う。匿名の歌会、名前付きの一首投稿、名前付きの作品群、一冊の歌集、全集などの媒体によってかなりの差がある。それを一括りにして語るのは乱暴である。
 同じ歌集の同じページの作品でも、匿名性の高いものと署名性が高いものが混在する。署名性が高そうな作品も、部外者からみれば類似作品のように見えることも多いだろう。当然ながら、短歌に何を求めるのかは、歌人の間でも大きく違う。だから、さまざまな議論をおもしろがり影響を受けながらも、直感的な向き合い方しかできないのだろうな、と思う。よくわからないままでいいと思う。
 
 さて、大島史洋『どんぐり』(現代短歌社)(2014年〜2018年の作品)に、

  059 重くれを嫌うならねど重くれは身に添わぬなり七十過ぎて
  (歌の左の数字は、ページ番号です。)
 
があった。
 「重くれ」は俳句の批評用語のようで、「軽み」の反意語で、理知的な方向の句を指す概念であるようだ。内容的な面もあるし、文体的な面もあるという。ある俳人に聞いたところ、芭蕉の、
  秋深き隣は何をする人ぞ
は、軽みで、
  荒海や佐渡によこたふ天河
は、重くれかもしれない、と教えてくださった。
(単純化しすぎなことは承知している。)
 そもそも「重くれを嫌うならねど」という大島の言挙げこそが「重くれ」に当たるようにも思う。短歌はもともと「重くれ」を志向してしまう長さを持つのだろう。(いつか、短歌は長嶋茂雄、俳句は王貞治、と喩えた歌人がいたのを思い出す。)

 それはさておき、今回の歌集もまさに大島の老いの受け止め方がぼつぼつと描かれている。その訥々としてユーモラスなところに惹かれた。作者の生年はウィキペディアに載っている。収録された歌の制作時期は各章に明示されている。この歌集の場合、それらは歌を大いに引き立てる。(編年体の章立てで、「Ⅰ 二〇一四年」「Ⅱ 二〇一五年」というように明快に区切られているのが気持ち良い。)

  078 しみじみと今日まで生きし喜びを言えどまったく深さが足らぬ
  094 だんだんと変になりゆく自分なりそれを知りつつ少し楽しむ
  122 脊柱管狭窄症のかそかなる痺れや雨の梅林公園
  143 わがいだく不安は常に吾のみのものにてあれば世はこともなし
 
 これらの歌は「重くれ」なのか。テーマはそれぞれ重いが、詩的処理が効いていて軽みがある。しかし、そこに七十代の男性、そして作者、いや大島史洋という歌人が歩んできた道のりを重ねて読む。年齢の重さゆえに、生み出される言葉の軽さがかえってバランスよく響いてくる。歳を重ねて好き勝手に詠んだ歌がヒットするのは茂吉や岡部圭一郎や岩田正を例にあげなくてもそこに豊潤な場所があるのはみな知っている。やはり、歌に生年は付いていた方がいいだろうという立場に傾く。この三首目の「かそかなる痺れや雨の」あたりのリズム感にこちらがシビレる。
 紙幅の制限がないので、もう少しあげる。

  075 若き日は美化されやすしいつからか老人ばかりのめぐりとなりぬ
  123 ふるさとをうたいて美化を感ずると友に言われき美化してゆかむ
 
 「美化」が使われている二首。なぜ私はこういう繰り言のような歌に惹かれるのだろうか。それは次の、

  100 老人がこの世の害になることを繰り返し聞き老いてきたりし
  045 時は過ぎ捨てねばならぬ地図などにマークしてあり茂吉歌碑の所

などを足して考えると、濃い年齢意識による表現への覚悟を読み取ることができるからだという答えに至る。長い中年期を経て老年期に入る。そこに人生の屈折が生まれる。そのあたり、短歌としての豊かな刈り入れ場があるのだ。
 
 さて、柳宣宏『丈六』(砂子屋書房)に移る。
 2015年〜2019年の作品。それが目次に記載されている。はっきりと六十代半ばを生きた人間としての足跡です、と宣言しているのだ。
 亡き両親を恋う気持ち、ある学校を離れて別の学校に移る際の気持ち、家族や友人との関係、父や舅を通して見る戦争、妻子への気持ちなど、禅僧を思わせる(じっさいに座禅をお続けのようだ)静かな文体からあふれてくる。「気持ち」を前面に感じる。そこに私は打たれた。だって、「あゆみは長女である」と詞書に書いておいて、
 
  051 向うからあゆみの来れば電球が胸のあたりに点る気がする
 
なんて歌をしゃあしゃあと(失礼)発表できるなんて、すばらしいじゃないですか。もうご結婚されて家を出た娘さんですよ。

  209 弁がたち計算達者な男にはあらざる息子をひそかに誇る
  257 夕べには娘夫婦が来るといふ玄関先を掃いたりしてゐる
  205 この家に妻と暮すも新年の朝のはじめに会ふは照れたり
 
 というのもある。大人の息子を誇る歌に、娘に会う喜びでいそいそと掃除するみずからをコミカルに描く姿に、自然な夫婦像に、批評の余地はなく、ただ良いと思うのみだ。
 あるいは、「島田修三夫人告別式」というタイトルのもとに、
 
  118 妻なしとなりける島田の手を握り言ふことあるか妻あるわれに
  120 修三が眼鏡のまへにわれはただ拳を固く握りて掲ぐ
 
 という歌がある。長く「まひる野」を支え合ってきたおじさん(失礼)同士の愛を見る。島田修三という大人物と面識があるかどうかによっても歌の理解の深さは違ってくるだろう。だが、それを除いても、このとても個人的なシーンには普遍性がある。いや個人的であるからこそ明確な普遍性を発揮している。うまく詠もうとしがちなとき、こういう歌の底力を思うのである。

  042 梅干しの固く赤きを齧りつつ心がはれるといふことがある
  043 先輩はありがたきかな、なあヤナギ、咲くと思はず花は咲くんだ
  048 ジャカルタの水にあたつて苦しみしそれも仕事の花の日々かも
  081 この星は生まれて四十五億年まだ若いなあと口に出してみる

 どれも明るい。懸命に生きている人の姿が見える。六十歳を過ぎて、「なあヤナギ」と肩を叩かれながら(想像です)言われている男性の姿。そこにはいわゆる昭和な上下関係の美質が残っている。文章語的口語言い切りの力強さもあろう。泥臭さもある。ジャカルタの夏の暑さにやられながら白ワイシャツにネクタイ姿で(想像です)校務出張をバリバリとこなす(これまた昭和的な)男性の姿が透けて見える。
あるいは四首目。そういう六十半ばを超えたおっさん(失礼)から、地球はまだ若いなあ!と口に出されたら、内臓からぐんと力が湧き出る感じがする。例えばこの歌にとっては、作歌時点の年齢は関係ありそうだ。「まだ若いなあ」は作者自身に向けられた言葉でもある私は直感的に読んだ。とすると、ある程度の年配者の言葉でなくてはおもしろみも説得力もない。七十代だとやや苦しげ。八十代だと合わないなあという印象。やはりまだまだ壮年という年齢が歌を引き立てる。恣意的な読みなのかもしれないが。
 
 さて、あと2冊。
 富田睦子『風と雲雀』(角川書店)。この著者もあとがき冒頭で、「二〇一三年の暮れから二〇一八年はじめまで、年齢で言えば四〇歳から四四歳までの作品を収録しています。」と明記している。背景がはっきりしているのは助かるし、好きだ。
 主題は、小学生から中学生に成長する時期の娘さん。その彼女との関係(葛藤というべきか)である。全身全力で娘にぶつかり、お互いに傷つく。その姿を描いている。
 
  011 寝たふりを見破るところまなじりに細くふたすじ皺よする子は
  037 いいこだねかわいいねとぞゲシュタルト崩壊させつつ眠る子を見る
  038 前髪のわずか巻毛をからかわれ帰りて泣く子の指の冷たし
  199 きょうだいもいとこもおらぬわが少女ささいなケンカを泣くほど悔やむ
  203 歩く木と育つ木わたしはどちらの木わがひとり子はたぶん歩く木
  210 吾子の裡そだつ悪意を聞いている火蟻のごとき自我と覚えて

 母と娘の距離感の近さの歌は先達があるが、なんど繰り返されてもいい題材だ。寝たふりを知っている母、自分の子なのかわからなくなるまで寝顔を見続ける母、十代の心の壊れやすさや友人関係をひたすら案じる母、自分と娘の比較、娘の内面的成長を恐れつつ見守る母。どれも懸命の母である自分を題材に、場面場面を詩に昇華している。

  023 その元気わけてと言えば抱きついてくる少女なり三日月を抱く
  084 風わたる葡萄棚われまだふいに抱きついてくる少女をいだき
  091 鼻血垂る娘のひたいを胸に当て頸冷やすとき生まぎれなし

など、身体的距離感の近さを言うのも母娘の関係に特徴である。そしてこの歌集のひとつのハイライトが、

  122 わが声にわれは興奮してゆけば子への衝動は愛より憤怒
  123 一生をわれは忘れじ吾子に向けマウス投げつつ恫喝せしを
  124 いまわれは吾子を殺せりまなうらがこんなに熱き怒りのうちに
  124 退塾の理由にマウスを投げしこと告白すれば軽く笑わる
  126 もう塾のない午後である手をつなぎ大きな木のある公園へゆく
  127 今日なんか楽しかったと子の言えば泣きたいような夕焼けである
 
を含む一連である。そのしばらく前に、

043 月一度試験で席が変わる塾かよわせてわがこころは細る
 
がある。子供の私立中学受験へチャレンジは、どの家庭にとってもなかなかの試練であると聞く。それは、『二月の勝者−絶対合格の教室−』(高澤志帆)という漫画にリアルに描かれている。「君たちが合格できたのは、父親の「経済力」そして、母親の「狂気」」という塾講師のセリフで始まる。
 状況はわかるし、ドキュメンタリーとして出色。だが、ここで思うのは、なぜこんな状況をわざわざ歌に残したのか、という疑問だ。
 いや、答えはわかっている。富田睦子が歌人だからだ。偶然にしろ選び取ったにしろ短歌を続けている以上は、こんな辛い状況であっても、真っ向から受け止めて書くのだ。もちろんそこには場面の切り取り方や言葉の選び方、あるいは劇画化、構成のしかたなどの技術は関係する。だが、いちばん大切な、すべて受け止めて詠むという姿勢がなければ読者の心を動かさないのだ! と、書いている私も高揚してくる。
 強引に冒頭の大島の一首とつなげれば、この「重くれ」た感じが短歌のひとつの喜びであるのだなあという結論にもなる。
 だがもちろん、『風と雲雀』はこれが全てではなく、
 
  070 夜を降りて闇へ消えゆくぼた雪を光の届く部分だけ見る
  152 火を摑むされども夢のわたくしは火を知らざれば燃える手を見る
  154 腹の足をいかに動かしたるべきか苦心したればふとも目覚める

のような繊細な視点の動きや、自分の内面を覗き込み過ぎてわからなくなってしまった歌にも秀歌が多い。そして、そのあたりが融合された歌が、

  119 シスジェンダー・ヘテロと吾子を喜びてのちを羞しき冬のはなびら
 
なのではないかと思う。最後に置いておく。
 
 さて、最後の1冊。長くなってしまったけれど、挙げておきたい歌集である。
 『飛び散れ、水たち』近江瞬(左右社)。
 プロフィールによると1989年石巻市生まれ・在住。早稲田大学卒業。
 現在はいわゆるUターンで、地元紙、つまり石巻日日新聞社の記者であるようだ。
 私はいつも「あとがき」を読んでから巻頭に戻る。だが、この「あとがき」を読んでも、後半の展開が予測できなかった。序盤からは相聞を多く含んだ、青春の苦さや明るさを詠んだ歌。
 
  008 ふと君が僕の名前を呼ぶときに吸う息も風のひとつと思う
  033 記憶にはない故郷の稜線を画像検索して取り戻す
  033 愛想笑いだったと気付く口角をゆっくり元に戻していれば
  046 十年後に見て騙されたりしないよう小さめのピースサインにしとく
  104 ため込んだ悲しみ不良少年のバイクが「タラレバタラレバ」と鳴く
  080 三人が車内に揺れてそれぞれのスマホに反射する月の色

どれもいい。どれも巧い。複数の時間帯が視野に入っていて、その時間を行き来しているようだ。それはすでに記憶になり過去から十年後まで。不良少年の過去にまで及ぶ。現代風で軽そうでいながらしっかりと重りがついているようだ。
 
  018 歩行者を数えるバイトの青年が僕をぴったり一人とみなす
  028 使い方を知らないボタンに囲まれて放送室に君と僕だけ
  065 筆談で祖父は「へへへ」と笑い声を書き足している険しき顔で
  068 ビニールの中の金魚におそらくは最初で最後のまちを見せてる
  103 この道を渡ると帰ってきた感があってふたりは暮らしになれた
 
 高校時代のシーン(二首目はなかなかエロい。知らないボタンって。)から。闘病中の祖父。金魚。そして恋人との同居(結婚?)。歌材は広く、描写は的確である。しかしそれでも、同じ感じの青春歌は他の歌人にもあると思う。子細に見ればもちろん特徴はあるのだけれど、匿名性の方が先に立つ歌であろう。
 しかし、そういう歌が続いたあと、全体の残り六分の一くらいに来て、三つの章のうちの三つ目きてトーンが変わる。
 
  120 新聞を折り込み終えれば手に黒が移ってほかの色は移らず
  121 上書き保存を繰り返してはその度に記事の事実が変わる気がする
  122 あの時は東京で学生をしてましたと言えば突然遠ざけられて
  123 忘れたいと願ったはずのあの日々を知らない子どもを罪かのように
  123 Uターンの理由は震災かと問われ「まあ」と答えてはぐらかしてる
  125 薄く目を開けば水面は広がって聴く風は少し波と似ている
 
 多めにあげてしまう。
 地元に戻り新聞社に就職したあとの歌なのだ。三、四、五首目。故郷への愛と使命感を持って帰郷し就職したはずである。(と決めつけるの立場にないが、おそらく。)だが、心ない対応を受けることもある。いや、そういう対応をしてくれるならいい。そういう人の背後には、表面では受け入れるふりをしながら心の底では受け入れてくれない人がいるのだと賢明な作者なら気づいていたはずだ。その精神的な辛さは、類似の境遇の人が少ないだけに、どんな慰めも効かなかっただろう。題材はなかなかの「重くれ」である。

128 仮設から復興住宅へと移る壁の厚さをさみしさと呼ぶ
128 必要というのはせっかく復興庁の予算を充てられるからということ
129 図書館も被災してれば国の金で立派にできたのになんて言葉も 
138 まとめるのうまいですねと褒められてまとめてしまってごめんと思う

 この一首目は作者自身の感慨とも読めるけれど境遇的にそうではないは。(こういうところ、許容範囲は読者によるけれど、そのユルさも短歌のいいところかな。あまり厳密に表現することだけを心がけると思い切った表現が死んでしまう。悩ましいところ。)二十代の記者が話を聞きに来て、ついつい本音を述べてしまったのか。そういう言説は現地ではよくあることなのか。それを掬い上げて歌にしているのがいい。先の富田と対象は違うが、受け止めて詠む、ひとつのありかたなのだと思った。
 最後の一首を含む二つの連作は小文がついている。その小文がどれもよく、断片になるけれど引用したい。
 
「忘れちゃいけない」と言う人の前日の投稿にあるディナーの肉がおいしそうだった。
僕は、当時ここにいなかったことを聞かれるまで、言わない。
相手が安心してくれればと思い、「僕もここが地元です」と伝えるように方言をいつもより大げさに使った。
 
 近江歌集の前半と後半の題材的格差を楽しみつつ、そこに表現の一貫性、表現者としての一貫性を思いながら、重い題材を、この最後の4首のように軽めに読ませてもらえることを楽しみつつ、短歌ってなんだろうと思いつつ、稿を終えたい。
(2020.5)

コメント

短歌評 再読萩原慎一郎 『滑走路』を読む 谷村 行海

2020-05-17 12:35:46 | 短歌時評
 今年の三月、萩原慎一郎の歌集『滑走路』映画化のニュースが流れた。ニュースによると、映画自体は『滑走路』から着想を得たオリジナルストーリーになっていて、非正規雇用に端を発する自死から物語が展開されていくようだ。
 これまで各種メディアで取り上げられてきた通り、『滑走路』は歌集としては異例の3万部を超えるベストセラーで、普段短歌を読まない人々にも広く受け入れられている。しかし、私は萩原慎一郎の存在がメディアで取り上げられるたびにもやもやとした感情を抱いてきた。そこに飛び込んできたのが今回の映画化の話題。これは良い機会だと思い、二年ぶりにこの歌集を本棚から取り出し、あらためて読み直してみることにした。

  ぼくも非正規きみも非正規秋がきて牛丼屋にて牛丼食べる

  頭を下げて頭を下げて牛丼を食べて頭を下げて暮れゆく

  夜明けとはぼくにとっては残酷だ 朝になったら下っ端だから

 最初に明示しておくと、そのもやもやした感情は、萩原慎一郎がメディアに取り沙汰される際の「非正規歌人」という呼称に起因する。
 メディアに取り上げられる際、よく引用される歌を歌集から三首抜き出してみた。一首目と二首目は牛丼によって非正規の生活を歌にしている。牛丼と労働者との組み合わせは正直なところ安易に感じられる。だが、一首目は季節の移ろいを歌の起点になる三句目におき、秋が来たというのに年中あり続ける牛丼を短い休憩時間に食べざるを得ないという労働の悲しみをうまく表現している。また、二首目は牛丼を食べる姿と仕事の姿との類似点を発見し、それを歌に落とし込むことで、牛丼と労働の類型性を乗り越えることに成功している。朝の楽しいイメージにつながる夜明けを自身の労働と結び付け、悲しみへと視点をずらした三首目も印象的だ。
 このように、非正規労働ということに対し、萩原は巧みな表現でそれをうまく歌に落として込めているとは言える。しかし、それがメディアで「非正規歌人」という呼称を付けられるほどの彼の個性かというと、どうも違うように思えてならない。
 第一に、今年の二月十四日に総務省統計局が発表した労働力調査を参照すると、非正規雇用の数は、全体の雇用者数5660万人中2165万人に上っている。筆者自身も非正規雇用で働いていた時期があり、よく言われるように非正規自体は珍しくない。近年の短歌の新人賞を読んでいても非正規労働を詠んだ作品は多々見られ、歌の題材としてもそれほど新鮮とは言えないだろう。
 第二に、非正規労働を詠んだ彼の歌からは、彼の真にリアルな姿が見えてこない。前回ここで書かせていただいたプロレタリア短歌の場合、強い言葉遣いなどにより、労働に対しての主体の感情が浮き彫りになっていた。一方、萩原の歌では現状を受け入れているにすぎない歌のほうが多く、具体的に何を思っているのかが見えてきにくい。それを彼の作風だと言えばそれまでなのだが、いささか物足りない気がしてくる。また、労働の歌だけでは、彼の生活全般をふまえた萩原慎一郎という一人の人間像も浮かんできにくい。
 そのため、一側面だけに注目し、「非正規歌人」という呼称で彼が喧伝され続けていることに私は疑問を抱いてしまうのだ。そこで、歌集から労働以外の歌を取り上げ、あらためて萩原慎一郎という人間について考えていこうと思う。

  ぼくたちの世代の歌が居酒屋で流れているよ そういう歳だ

  <青空>と発音するのが恥ずかしくなってきた二十三歳の僕

  あのときのベストソングがベストスリーくらいになって二十四歳

  恋人が欲しとにわかに願いたるわれは二十代後半となる

  こんなにも愛されたいと思うとは 三十歳になってしまった

 そうしてあらためて歌集を読み直すと、時間経過に対する萩原の鋭い視線が見えてくる。上に挙げた五首はいずれも一首の締めに年齢が出ており、構造自体は同じ歌になる。そうすると、構造自体は同じなわけだから、これらの歌の前半部分に何が書かれるかが歌の肝となる。
 一首目と三首目は歌を出すことにより、年齢の経過をうまく引き出している。一首目は具体的な年齢が描かれているわけではないが、前半部分の叙述から、居酒屋に通い始めた二十歳の年齢が想起される。若者向けの大衆居酒屋であれば、確かに近い世代の歌が店内に流れ、それによって居酒屋の集客ターゲットに自分が組み込まれたことを実感するようになる。二十歳と限定してみたが、少し年老いてからのことととっても、通っている居酒屋の姿と同時に主体の人物像が見え、巧みな一首だ。三首目については時間経過ももちろんだが、過去のベストソングをただ単なる思い出に留めずに順位を入れ替えて更新していくことで、新しいものを次々に求めていく主体の感性が見えてくる。
 上述のそれ以外の歌については、類型感が否めない点もありはするが、年齢と同時に変化していく自己を冷静に見つめ、時代の流れ・今そこにあるものをしっかりと歌に落とし込んでいこうとする視点がうかがえる。

  梨を食むときのシャキシャキ霜柱踏みゆくときのシャキシャキに似る

  靴ひもを結び直しているときに春の匂いが横を過ぎゆく

 そこにあるものを歌に落とし込む姿勢は俳句的でもある。一首目は「シャキシャキ」のリフレインによって心地よい韻律を生み出しているが、あえてそれを削り、「霜柱踏みゆくごとき梨食む音」などとすれば俳句としても成り立つ。同様に、二首目は二句目から三句目にかけてのゆったりとした言葉遣いが特徴的だが、それをそぎ落としてしまえば俳句として十分に成立する。萩原の世界の志向の仕方が、(語弊はあるが)現実を見つめ続ける大半の俳句と近く感じられるのだ。そのため、現実として存在する非正規労働を詠んだこともその世界への志向の一つであり、やはり彼の一部分でしかないと言えるのではないか。
  文語にて書こうとぼくはしているが何故か口語になっているのだ
 その現実志向の動きは、先ほどの年齢と同様に自己の内面にも及ぶ。この歌は作歌時の姿を詠んだ歌で、「文語≒過去」で歌を書こうとし、最終的に「口語≒現在」に行きついてしまう。もはや無意識の領域のうちに、現在を鋭くとらえようとする姿勢がにじみ出ているかのようだ。

  ぼくたちのこころは揺れる 揺れるのだ だから舵取り持続するのだ

  ぼくが斬りたいのは悪だ でも悪がどこにいるのかわからないのだ

  テロ事件ときに起きるよ 平穏な暮らしを破壊してゆくのだよ

  東京の群れのなかにて叫びたい 確かにぼくがここにいること

 
  かっこよくなりたい きみに愛されるようになりたい だから歌詠む

 また、そもそもの萩原の作歌のモチベーションを考えていくと、「歌詠む理由」と名付けられたこの一連の五首に出会う。この五首から考えられる萩原の作歌の主眼をまとめると次のようになる。

①揺れ動く自己存在を捉え、現在を詠む(一首目から)
②社会を冷静に見つめ、日常に潜む違和感を詠む(二首目・三首目から)
③自己の存在を認めてもらう(四首目・五首目から)

 ①については、先述の年齢の歌のようなこれまで繰り返し述べてきたこと。②も①の延長ではあるが、重きを置くのは社会状況。③は五首目の「きみ」を四首目と関連付けて全人類と取り、自分の生きた証を残すこととなる。これら三点が萩原の歌作りの根幹に存在している。
 この三点を踏まえたうえで、あらためて「非正規歌人」として彼が呼ばれる場合に達成できるものはどれかを考えていくと、②は当然達成できる。そして、結果論にはなるが、③も達成できたと言えるだろう。しかし、やはり①は達成できていないと言ったほうが確実であり、③も五首目に「かっこよく」とあることから、「非正規歌人」として存在を認められることが彼の本意だったかを考えると疑問が残る。

  未来とは手に入れるもの 自転車と短歌とロックンロール愛して

  かっこいいところをきみにみせたくて雪道をゆく掲載誌手に

  疲れていると手紙に書いてみたけれどぼくは死なずに生きる予定だ

 大変残念なことに、彼は三十二歳で自死を選び、この世を後にしてしまった。予定では、映画はこの秋に公開され、彼の存在はより広く知られることとなるだろう。その際、「非正規歌人」としてではなく、萩原慎一郎というひたむきに生きた一人の人間の姿が人々の記憶に残り続けていくことを願いたい。

コメント