「詩客」短歌時評

隔週で「詩客」短歌時評を掲載します。

短歌時評201回 AIには書けない短歌について、ほか 小﨑 ひろ子

2024-07-09 14:23:53 | 短歌時評

 ちょっと気にあることがあって、自分のパソコンに搭載されている簡易AI機能で「エモ記事論争、ナラティブ型」というワードを入力して検索してみた。すると、関係する記事のいくつかのリンクとともに、それらをつなぎ合わせた説明があっという間に表示された。実に便利なものだ。検索したエモ記事論争とは、最近、朝日新聞のRe:Ronというサイトで繰り広げられた論争。一概に良し悪しの結論が出しにくい現象らしく、「最近、ナラティブ型エピソード主体の〈ナラティブで、エモい記事〉を新聞の紙面で見かけることが少なくない。ナラティブとは物語や語りを意味する。」「デジタル版において、この手のエピソード型、ナラティブ型の記事はよく<読まれる>らしい。よくクリックされ、PVなどの<数字>が出る」「だが、(売上は)クリック数やPVと常に結びつくわけではない。」(西田亮介)という。
 報道に限らず、「あるべき姿」と思っている基準から乖離したものを目にしたとき、人は憤ったり怒ったり、「はて?」と感じたりする。この場合、読者が欲しているのは本来あるべきストレートな報道であり、真偽の確かなデータであるはず、ということらしい。大昔、成績の悪かったジャーナリズムのゼミで新聞の読み比べをしたことを思い出したりしながら、朝日新聞といえば、最近では、前に住んでいた住まいの近くにあったつくば支局が閉鎖されたというニュースもあり、時代も変わっているのだなと思う。
 短歌AIを開発して俵万智の短歌の「言葉」を習わせて作歌させたり、永田和宏の短歌を学ばせて連歌に挑戦させる試みを実施して紹介したのも朝日新聞だが、学習する言葉や作品、提示する条件によって、短歌AIもそれなりに個性ある結果を出すらしい。連歌作成の試みの中では、永田和宏が、「短歌を詠む過程を一からすべてAIが取って代わることは今のところまだない」「AIにはできない部分に短歌の本質がある」といったことを述べているのが印象的だった。将来、人の「仕事」の半分くらいはAIに置き換えることができるようになる、といった話もよく聞くが、こうした議論はどの分野でも形を変えて存在するのだろう。エモ記事というのも、時代の流行とあわせて、AIが簡単に作り出すものから外れた場所のあたりに出現したのかもしれない。論理思考から離れて感情に訴えかけるような方法は、本来、危ない時代に存在する類のものであり、邪道であったはずなのだ。
 私が使用しているパソコンには、時々刻々様々なニュースや話題が記事の種類に関係なく「〇〇によるストーリー •〇 か月 • 読み終わるまで〇 分」という注記とあわせて表示されてくる。〇に入る部分が読者にとっては確かに重要で、余計なお世話のような気もするが、「ストーリー」という表記の違和感を除けば、確かにこれも便利なのである。「ストーリー」ではなく、「エピソード」という言葉が付されることもあり、何だか「これは単なるエピソードですよ」と念押しされているかのようだ。便利な方向にすべてが進む中、もちろん、一所懸命探さなければ出てこないような情報も、探しても出てこない情報も、面倒なことをしている間に偶然見つける以外遭遇し得ないような情報も、背後には膨大にあるに違いない。
 同じ物語性でも、ナラティブとストーリーとは微妙に違うという。にわかに仕入れた知識によれば、ストーリーが個人の物語であるとするなら、ナラティブは受け取る相手にとっての物語をも含み、マーケティングの手法などに用いられるらしい。「われわれはこういうつもりでこの商品を開発しました、これをあなたの暮らしに取り入れたら、あなたの暮らしはよりよくなることでしょう」といった風な含みを相手に手渡すことで売り上げにつなげるのだという。日々そのようなCMはいくらでも見ることができるが、心地よく欲望を刺激してくれる例えば某ハウスメーカーの自然の中にたつ豪邸のCMのバックに繰り返し流される“プリーズノックオンマイドアwoowoo♬”という音楽の歌詞、昨今の短歌ブームの代表のようにも言われる「本当にわたしでいいの」の歌(無論こちらはマーケティングではなく作者の経験や心理に即した言葉なのだろうけど)と合わせ鏡の対になっているように見えて面白いと思っている。
 短歌の話に限って言えば、個人の物語や情感が時に秀逸な作品を生み出す短歌にとって「物語」とは何なのだろうなとときどき思う。他者の関心を引く私小説だろうか。誰にでもありそうな日常の描写だろうか。真似事でも他人事でも悪口でも何でもよいから、誰もが関心を持ちそうな経験や見聞きした事象を読者に手渡して、座で共有することだろうか。
 最近、ちょうどこのテーマに少し関わりそうな「エピソード」に短歌の界隈で出会ったので、記録しておく。今年2024年5月の中日新聞夕刊の週末ガイドというコーナーの「旅レシピ」という記事として、「熊野三山で詠む」という旅行記事が掲載された。この種類の旅の記事はそもそもが現在の土地の実際の様子を伝えるものなので、記者の経験に即した記事であっても、特に違和感はない、はずである。私は中堅の七十歳代の女性歌人がある場所に持参した新聞切り抜き記事でこの文章を読ませていただいたのだが、その中堅歌人の感想は「自分の歌は最後に一首載せる程度でいいんじゃないの?」ということのようだった。
 王朝和歌は今年の大河ドラマ「光る君」により、短歌ブームと並行してトレンドでもある。清少納言の「那智の滝は熊野にありと聞くが、あはれなるなり」という歌を文頭に、「咲きにほふ花のけしきを見るからに神のこころぞそらにしらるる」という白河上皇の歌碑を紹介しながら、出会った風物を文章に記し、文脈に沿った自身の短歌を八首挿入する歌紀行、専門歌人ではない書き手の歌は流行の会話調の言葉ではなく文語による作品となっている。私は、新聞の切り抜き読ませていただいて、最初すこし笑ってしまい後で大いに反省したのだった。すこし笑ってしまったのは、いわゆるへたうま短歌の面白さというより、作品と文章に作者の心の声が大いに現れていたからである。ちなみに中堅歌人の感想は、厳しい歌会に出したなら散々に批判されそうな歌をあられもなく何首も掲載しているという、今の若い短歌愛好者に対してよく年配者が抱くであろう理由とあわせて、名所紹介の紀行文はきちんと所縁のものを系統だてて紹介していくべきなのでは、というもので、まさにナラティブ記事に対する違和感によるもののように思えた。一理あるが、歌会の作品ではなく実際に現地に赴いての詠み歩きの紀行文だから、普通に楽しめばよいのだと思う。
 鉄道で那智勝浦に降り立ち、名物のマグロ丼を食べ、霊場と神話の地の山歩きを楽しむ。後半の記事では、「新緑の光に霞む四十路かな」と、自身を詠み込んだ定型の俳句を見出しに、「徒然草」の自然描写や唐の詩人杜牧の「千里鶯啼いて緑紅に映ず」といった句を交えて文章が進む。博学である。このような古典に表れる自然は、現代の日本の日常ではなかなか実感することはできないから、実によい時間だ。やがてふたりの外国人の女性が浴衣で足湯を楽しんでいるのに出会う。自分の姿を見られて怒った女神に鹿の姿に変えられ猟犬に食い殺されたギリシャ神話の猟師の逸話を思い出したことが綴られる中、「月の神鎮まりたまへ贖ひは御足に熱きこの地球ほしの血ぞ」といった歌が添えられる。「女神」の喩による表現はジェンダー的にNGなので、歌の中で「」としていることに感心するが、神格化するなら人間とはやはり別の扱い。温泉に褐色の鉄分等の成分が多く含まれるわけでもないなら「地球ほしの血」はちょっとどうかな、と歌会の評のようなことを考えたりする。確かに地下ではマグマが活動しているし、地球人はスターリンクを飛ばしたり戦争をしたり月の所有権を主張したり、月に神がいたなら怒りそうだけど。歌は思いがけない読み方をされることもあるから、歌会であれば他の参加者から別の反対意見も出ることだろう。そういう声もちょっと聞いてみたい気がするところである。
 前回の時評で著作を取り上げさせていただいた大野道夫が、斎藤史の二二六事件前後の歌「暴力のかくうつくしき世に住みてひねもうすうたふわが子守うた」について、三井修発行の同人誌「まいだーん」9号に短い文章を寄せている。一般的にこの「暴力」は国家権力の暴力であり、〈うつくしき〉は反語ととられることが多いが、後日の斎藤史本人の言によれば、「青年将校たちの無邪気で純粋な暴力と一般的な暴力の差を言いたかった」ということで、よく公になされている解釈とは真逆ということになってしまう。ふみはこの年の五月に出産しており、子守うたも比喩等ではなく事実であるという。本来、うつくしいものであってはいけないはずの暴力、漠然とした概念的な言葉は都合よくどうにでも解釈される、とは、かつて鈴木六林男が句会で述べた言葉でもある。具体、具体と年長者が口を酸っぱくしながら言う理由もそのあたりにあるのだろう。私もいまや年長者の部類に入っているが、そういう風にうるさいくらいにきちんと言うことができる人たちがだんだんいなくなっていることに、少し不安を抱いている。私にはとてもたちうちできない。
 さて、熊野の風土の中で日本の原始韻律に感性を委ねた作歌は初心者にとってもベテランにとっても楽しそうなのだが、この記事では「河原を掘れば温泉が湧き入浴できる」と聞いて宿でくわを借りてでかけ、海パン姿で川の浅瀬に横たわる記者の写真が「川湯温泉にある大塔川の河原に湧き出る温泉でくつろぐ筆者」という説明とともに付されていたことにも驚かされた。観光客の女性が怒ったとしたなら、浴衣で足湯を楽しむ姿を見られたためではなく、眼前にそういう姿の者が現れたからに違いない。さては驚いた女性に温泉を掘り出して振る舞い、写真を撮ってもらったか、そうか、これはもしかしたら喰い殺された漁師のポーズかもしれない。面白い話に見事に引っ掛かったかと思いながら、記事の隅に付された交通アクセス情報を確認する。川遊びもここなら危なくないし、この場所は混むのだろうな、などと思う。熊野といえば南方熊楠の瞑想中の写真や滝にうたれる修験僧、古代からの祭りの様子など独特の風土がすぐに思い浮かぶが。パソコンのAI機能で検索するとあっという間に公的機関等の情報とリンクが表示され、ガイドブックの購入画面も現れた。
 ところで、作者の経歴や顔を知ることで歌の鑑賞や見方が変わるのはよくあることなのだが、この記事を書いたのは、ウクライナやイスラエルで詠まれた俳句を紹介し、昨年、平和・協同ジャーナリスト基金賞という賞を受賞した記者でもあり、それらの記事はウェブでも見ることができた。<中日新聞が「平和の俳句」の作品公募企画を続けていることとも関係して、「報道は平和の俳句の国際版といえる」と高く評価された>という。最初笑ってしまい、後に失礼なことであったと反省したのは、その仕事の大きさを後から知ったためである。
 旅レシピの記事は、熊野の「釣鐘石」についての、「私たちの大半は、世界の滅亡など考えずに生きている。でも熊野三山の神々には、人類の終わりの情景がありありと見えているのではないか-。思いを巡らしているうちに、右岸には熊野速玉大社が近づいていた」という文章と次の短歌で熊野の休日は締めくくられる。

釣鐘が鳴り崩れる日白鷺は今と変はらず空を見てゐる  林 啓太

末尾に推量の助動詞が省略されていると読みたい。「釣鐘石が岸壁から転げ落ちた時、この世は滅ぶ」という土地の伝説をガイドに聞いたという。不穏な雰囲気だが、文章か詞書がないと読み取りにくい。こうした伝説が生まれた当時の日本にも動乱や災害があったことだろう。その時代の「この世」とは、どのような世界のことだったのだろう。
 小塩卓哉が「歌壇における新聞ジャーナリズムの役割」(2021年)という文章で、「短歌だけでなくあらゆる文芸ジャンルに東日本大震災は大きな爪痕を残した」と述べ、東日本大震災後十年間の歌壇内あるいは新聞歌壇への<当事者>の作品について書いているが、俳句や短歌という短詩型文芸に携わる<当事者>は国内に存在するばかりではないことを改めて思う。短詩型文学に限らずあらゆる文芸・文学につけられたとてつもない大きな爪痕。

つひに巴里さへ燃えあがる夜も冷えびえと検索窓は開いているか

 光森裕樹の『鈴を産むひばり』の中の一首を思い出している。様々な時々に、パソコンの検索窓が閉じてしまったとしても、詩歌や文学は、決して誰かのもとへ届けられることを諦めたりしないだろう。

【大事なことなので追記】
 中日新聞の記者の受賞対象記事では、2022年からのウクライナの英語俳句の作品が継続して紹介されており、新聞のデジタル版には、〈バフムトに谺は黙す霧襖〉〈塹壕の最後の烟草湿りをり〉と、普通に暮らしていたウクライナの人々の句が、写真や作者の言葉とともに掲載されている。戦時中の日本の俳句作家の作品とまるで変わらない。決して特別な時代の特別な地域の話ではないと思わされる。イスラエル社会に生きるパレスチナの女性の作品からは、〈本を手に孤児逃げ惑ふ空爆下〉〈爆煙の中に夕陽ゆうひの沈みゆく〉〈瓦礫より満月昇るガザの空〉といった作品と、「全ての人間が堂々と生きる権利があると信じている」「<人間が辱められ殺されない未来>を願い、緊張がさらに高まる中、俳句を詠み続けたい」といった言葉が紹介されている。
 日本でも海外でも、俳句は短歌よりも愛好者人口が多いが、最近では、角川「俳句」の最新号(2024年7月号)が「国際俳句」の特集を組んでいる他、昨年はウクライナのウラジスラバ・シモノバの言語と日本語による句集 『ウクライナ、地下壕から届いた俳句-The Wing of a Butterfly』が。黛まどかの監修により刊行されている。作者は1999年ハルキウ生まれ、十年来の俳句の愛好家で、句集のなかほどからは戦争状態の中で避難せずに続けた句作による作品群となっている。ウクライナでは芭蕉等の俳句は広く知られているという。

<参考>
・「その<エモい記事>いりますか-苦悩する新聞への苦言と変化への提言」西田亮介(Re:Ron 2024年3月29日、朝日新聞デジタル)
https://digital.asahi.com/articles/photo/AS20240327003298.html
・「歌人・科学者 永田和宏さん×AI短歌」【10月28日(土)開催、11月2日(木)15時~オンライン配信】
・『AIは短歌をどう詠むか』浦川通(2024.6.20.講談社現代新書)
・「旅レシピ 熊野三山で詠む(上)(下)林啓太(2024年5月2日、9日中日新聞夕刊)
・「うつくしき暴力とは何か」大野道夫(「まいだーん」9号)
・「平和・協同ジャーナリスト基金賞、本紙・林啓太記者に奨励賞贈呈式〈ウクライナ、パレスチナ非戦の俳句〉(2023年12月16日中日新聞) 
https://www.chunichi.co.jp/article/823269
・「歌壇における新聞ジャーナリズムの役割-東日本大震災から十年を経て」 小塩卓哉(「音」2021年6月号、音短歌会)
・『ウクライナ、地下壕から届いた俳句』ウラジスラバ・シモノバ、黛まどか監修(集英社インターナショナル、2023年8月30日)
(敬称は省略しています。)


短歌評 工藤玲音『水中で口笛』の調べ 小山桜子

2024-06-17 01:00:30 | 短歌時評

 わが師堀田季何が以前「俳句は切れ、短歌は調べ」と言っていた記憶がある。前者はすっと挿す簪、後者は流れるリボンのようなイメージか。その言葉を導とし、今回は工藤玲音『水中で口笛』(2021年左右社)を鑑賞する。
 思うに、短歌の調べには二つの意味がある。一つ目は文字通り韻律の心地よさ、うつくしさ。もう一つは内容における情緒の強弱である。
 まずは、音読する事が心地よく感じられる、韻律のうつくしい歌を挙げたい。

噛めるひかり啜れるひかり飲めるひかり祈りのように盛岡冷麵

 ひかりのリフレイン。ら行の乱反射。声に出して舌を噛まずに最後までなめらかに読めた時には、眩しくて気持ちよくて羨ましくて、もうほとんど盛岡冷麺に恋しているような恍惚に陥る。
 他にも、歌集には以下のように押韻が巧みで音読が心地よい歌がいくつも収められている。

運命を運命にするはつなつのやわらかい鼻つまんで起こす
うどん茹でる わたしを褒めるひとびとを哀れに思う夕暮れもある
はやく、って言おうとひらく口に花飛び込んできて言葉はあぶく
わたしのためのわたしがきみにふりむいていずれは風に朽ちるくちびる

 ちなみに押韻とは異なるが、個人的に何度も音に出して読みたくなる歌が以下である。

杏露酒と発声すれば美しい鳥呼ぶみたい おいでシンルチュ

 さて、次は内容における調べのうつくしさを味わってみたい。
 俳句では切れが大切な要素である。俳句の切れはそれだけでエッジを効かせる事ができるし、時には別空間にアクセスする切符のような役割をなし、句に広がりを持たせてくれる。
 しかし、短歌の場合、切れがない事が流れのうつくしさを生み、切れがない事が武器になる場合が多いのではないかと思う。ただし切れがないという事はどこにもアクセントがないという意味ではない。歌である以上、情緒のクライマックスが必ずある。

ゴミ袋の中にぎっしり詰められてイチョウはついに光源になる
眠る人のあまりに自由なそのかたちを誰も知らない部首だと思う 

 以上の歌はどちらも、韻律というよりはその内容によって調べのうつくしさを生み出している。切れのない流れるような一文の中で、結句に向けてのクレッシェンドに心が震える。

ATMから大小の貝殻がじゃらじゃらと出てきて困りたい

 こちらは大小の貝殻がじゃらじゃらじゃらじゃら出てくる事で真っすぐクレッシェンドをかけ、結句の「困りたい」で読み手予想を外してくるあざとさが愛しい。
 反対に、いきなりフォルテで始まる場合もある。

心臓から心臓が生まれるような祭りのど真ん中を歩いて

 こちらは「心臓から心臓が生まれる」という力強い措辞、そして「祭り」と「ど真ん中」という言葉が力強く響き合う。祭りの鼓動が心音のようにどくどく鳴り渡るのを聞くような心地すらする。しかしこの歌の妙は、三十一音をただ強いまま押し切るのではなく、最後は「歩いて」と言いさす事で肺いっぱいの空気を抜いてくれる絶妙なバランス感覚なのではないか。
 短歌が流れるリボンという喩えは上手いとは言えないが、あえてそれに準えるならどんなリボンでも末端の処理はうつくしくなければならない。古来より続く和歌の披講も、現代の競技かるたの読みも、言葉尻の音の処理のうつくしさに私は惹かれる。

 『水中で口笛』に収められた数々の歌の調べを味わった締めくくりとして、歌集の冒頭を飾る第一首目に戻ってみたい。調べという点である意味で異質であり、実に考えさせられる歌なのである。

水中では懺悔も口笛もあぶく やまめのようにきみはふりむく

 「あぶく」、「ふりむく」という押韻の心地よさが確かに読者を安心させる。しかしこの歌は単なる韻律の歌ではない。この歌に詠まれているのはあぶくであり、それは音にならない音、調べにならない調べであるという不思議な二律背反が、「調べ調べ」と意気込んでいる私を鮮やかに欺く。懺悔は、面と向かって言えない。水中に潜り、「きみ」の背中に向けて届く事のない無音をささめくしかないのである。
 重たい懺悔も水中では浮力を得て、かろやかな口笛と見分けのつかないあぶくとなる。
 「」「」「」「」「よ」「」「」「」「」「」「」「」「」「」。
 上句と違って、わざわざひらがなで表記された下句の一音一音はあぶくだ。白い音は水色の視界にとちとちとはじけて消えてしまう。
この歌は、音にならない音という新しい調べのかたちを示してくれているように思う。


※引用短歌:工藤玲音「水中で口笛」左右社 (2021)


短歌時評200回 平岡直子について カリフォルニア檸檬

2024-06-03 13:36:12 | 短歌時評

  平岡直子は第一歌集『みじかい髪も長い髪も炎』(2021年本阿弥書店)のとき、あとがきで「短歌はふたたびの夢の時代に入った」と提言した。
 ずいぶん大仰な言い張りである。
 しかし、歌集『みじかい髪も長い髪も炎』で読める短歌群には、そう言い切れるほどの力量があるのも事実だろう。あとがきの文言におけるテーゼの強さに、多くの一首が強度で負けていない。しかし歌集『みじかい髪も長い髪も炎』で読める短歌群が〈夢の時代〉を体現しているのかは、別問題である。むしろ〈夢の時代〉に入った、その入口や、きっかけとしての機能だとも仮定できる。
 それにしても「短歌は」という主語は、あまりにも大きい。
 いわゆる、デカ主語である。
 とはいえ〈私〉は歌集刊行以後に、平岡自身の短歌が「夢の時代」の体現を深化させていくことを期待した。つまり〈私〉にとって歌集『みじかい髪も長い髪も炎』によって「夢の時代」については到来しなかった。と言わざるを得ないが、そもそも「夢の時代」を歓迎するかどうかのスタンスも不明ではあり、しかし、歌集『みじかい髪も長い髪も炎』によって「夢の時代」を得た読者もいるだろう。と、予想はできる。
 あるいは。
 現代短歌社が主催する現代短歌社賞の選考委員に選出された告知(2023年)から、その立場で「夢の時代」を反映した応募作をプッシュする可能性を思った。
 また、我妻俊樹との共著『起きられない朝のための短歌入門』(2023年)でも、タイトルからの彷彿とは裏腹に「夢の時代」に関する核心的な言説は特に見受けられず、紀伊國屋書店新宿店で配布された購入特典冊子のタイトルは「起きろ」であった。他にも「歌壇」誌での時評、各誌で散文の機会は頻繁にあり、現在は「短歌研究」誌での時評も担当している。
 是非は別としても、ことごとくで「夢の時代」についての具体的な開示はスルーされているように見える。そもそも自己言及するものではないのかもしれないし、あとがき以後に平岡自身の考えが変化している可能性もあるし、あるいは、まだ「夢の時代」までの準備期間として捉えている可能性もある。あとがきを作成するタイミングで「夢の時代」を発見した、とは思えないけれど。
 確かに、何か成果が出るまでには時間も費用もかかる。
 成果がでない場合も多い。報われたい、のような感情の結実が目標にならないほうがいいとは思う。別に、成果が全てではない。だとしても、少なくとも近ごろの平岡直子は(これまでよりも、明確に)何かしらの成果(に準ずるもの)への到達を求めて活動し始めているように見える。
 また、ここでは「眠っている間に見る夢」のニュアンスで解釈していたが、同時に「実現したい夢」や「夢中」のニュアンスも存在することは指摘しておきたい。
平岡の真意が、どのようなニュアンスかは分からない。

ねえ、それは、「どっちの夢?」とたずねたら、どっちも、と眩しそうに、好きだ(平岡直子『みじかい髪も長い髪も炎』から「みじかい髪も長い髪も炎」)

 そもそものところ「夢の時代」というのが判然としない。しかも「ふたたびの」である。ということは、すでに一度目の「夢の時代」があったらしい。それは、いつの何を指しているのか。

 ちなみに、穂村弘のベスト版歌集『ラインマーカーズ』(2022年)にある瀬戸夏子の解説は「ふたたびの、聖書」だ。こちらは「以後の〈きらめき〉」と地続きの発想にあるかと思うし、平岡直子のと全くの無関係だとも思わないが。

 ふたたびの?


   ▽

 人生に対して最適化された文体は、人生との接続を制限されると生命線が消えてしまう。短歌は更新を拒んで化石になるか、今までに築いてきた財産のうちの大部分を失うか、二者択一の危機に晒されているともいえる。
 大森はこのところ常にこの問題と格闘しているようにみえる。
(中略)
 大森は今のところ、人生についての問題を「心」の再発見という一本槍で突破しようとしているように思う。心をいわば準身体に昇格させることで、社会性という服を着ない汎用性のあるフォルムの人間を見出しているように感じられるのだ。
 興味深いのは、大森のこういった試みにおいて「心」はむしろ公共性が発生する点である。(平岡直子「大森静佳について」(『歌壇 2021年7月』))

 これは、大森静佳の第三歌集『ヘクタール』(2022年)刊行以前のテキストからの引用になる。
 歌集『ヘクタール』については、平岡の見立てを基に検討できる余地はあるかとは思う。思うとして、それは改めて別のタイミングでしたいと思うとして。
 いわゆる「心と身体の不一致」が前提にあるのだとすると、ずいぶん近代的な文学的関心の一つだ。しかし、本旨は別だろう。
 あること・あったことに対する関心というよりは、これからの(あくまでも平岡直子の活動軸のだとしても)のニュアンスがある。それにしても「心をいわば準身体に昇格させる」については、そもそも心と身体に格差があるという発想に基づいており、なおかつ身体よりも心が低く低く見積もられている。その真意は、読み取り切れない。(文学における「心」についての現状は、斉藤斎藤の「本気で心を殺したいなら」歌壇2020年12月号が末だ、最新を論じた参照すべきテキストの一つだろう)
 平岡直子の問題意識として想起するテキストに、下記がある。

「そもそも、私は『人はモノである』と思っていて」という言葉を聞いた。この日は「川柳を見つけてー『ふりょの星』『馬場にオムライス』合同批評会ー」というイベントにパネリストとして参加した。二冊の川柳句集の合同批評会で、それぞれの作者はともに二十代の川柳作家である。「人はモノである」とは、『ふりょの星』のほうの作者である暮田真名が、批評会での著者挨拶に代えてイベント終了後にインターネット上に発表した音声コンテンツのなかでの発言である。批評会で自身の作品が「言葉が冒涜的だ」と評されたことを受け、冒涜的な表現をするのは自分のなかに「人はモノ」という考えがあるからだ、と、必然性を説明する。世の中の風潮としては、「人はモノではない」「女はモノではない」ことをむしろ強調しなければいけない流れがあり、また、文学というのも「人はモノではない」ことの輝きを言うためのものかもしれない、それでも、その輝きは自分のものではなく、その輝きに追従することは自分を傷つけるーー暮田が語るそういった感覚はわたしにはよくわかるし、わたしもまた、「人はモノ」だと思っているとも思う。(平岡直子「このまま消えていきたくないんだよ」(『短歌研究 2024年3月号』))

 実際のところ、このテキストを読んだとき「いいぞ!いいぞ!」って〈私〉の心は大よろこびした。その喜びは、あくまで〈私〉の、短歌の読み書きの際の価値観や志向として非常に好都合である。という事情が過多なので、それはそうとして……くらいで、ここでは話を進めたい。
 暮田真名の真意も、同時に観測・検討が重要ではある。が、この回の時評には平岡の考えが、というべきか感情のような部分が、わりと説明されていると思う。

 また、先月末(4月27日)に開催された榊原紘歌集『悪友』『koro』批評会「悪友たちの心音」にてパネリストとして発話した平岡直子は、こ「私は『人はモノである』と思っていて……わたしもまた、「人はモノ」だと思っているとも思う」の発想を基点にしつつ、榊原紘の短歌にアプローチしようと試みた。同時に、自説の確認や展開を試みた。そういう現場として、見ることができた。
 おそらく今後も、本件に関する(平岡直子なりの)到達値に向けて、到達度を(平岡直子は)更に高めていくことだろう。

 近い関心があるだろう、と思うところで下記も並べておきたい。

 三十一年前の刊行当初、時代の空気が〈女には何をしたっていいんだ〉という態度を許容していたこと、意図的な誇張表現やアイロニーなど、レトリックとして読み取られる領域が今より広かったことの二点において、この歌は二重に守られていたのだと思う。現実に〈女には何をしたっていい〉わけはもちろんないけれど、短歌を含むなんらかの言語表現に〈女には何をしたっていいんだ〉と書いてはいけない……わけはあるのだろうか?(平岡直子「「恋の歌」という装置」(『短歌研究 2021年8月号』))


   ▽

 しかし、平岡直子は「モノ」とはいえトロフィーやアクセサリーのように見なしているわけではないと思う。あるいは道具のような、使用者にとっての利便性に関心があるわけでもない。もちろん、コトとの区別も為されたいるだろう。
 いったん。
 対象を、人のように扱う/モノのように扱う という差のところから、のような気はしつつ。
 この「モノ」という語のニュアンスは……?

 人のなかみが何であるかということより、人が何のなかみであるかということのほうがずっと優先されている。まったくそのほうが大事だと思う。
(中略)
 短歌は汎用性のある着ぐるみだ。短歌は汎用性のある着ぐるみではない。一人として同じ内面を持つ人間はいないとみなすのも、全員が同じ内面を持っているとみなすのも、ほとんど同じことではないか。(平岡直子「パーソナルスペース」(『歌壇 2022年2月号』))

 それにしても「一人として同じ内面を持つ人間はいないとみなすのも、全員が同じ内面を持っているとみなすのも、ほとんど同じことではないか」にある二者択一の過程は、そもそも極論すぎる。なんだけど、それぞれの価値観が、どのように別なのかの確認は都度ごとにできたい。が、どちらの価値観に偏って享受するかによることで意味合いが変わるという事実は共通認識としたい。と〈私〉は思う。

 また「人のなかみが何であるかということより、人が何のなかみであるかということのほうがずっと優先されている」とは、永井祐の短歌に対する言及であるが、例えば安直に
 内:私的/外:公的
 という見立ては可能であり(だからと言って功罪がない、というわけではないが)その前提において、下記の「永井さんをこっちにとっちゃおう」が読める。

 葛原妙子と森岡貞香が「斎藤茂吉をこっちにとっちゃおう」と談合していたというエピソードが好きで、わたしはこのごろ「永井さんをこっちにとっちゃおう」とだれもいない家のなかで虚空に向かって話している。(平岡直子「パーソナルスペース」(『歌壇 2022年2月号』))

 読めるときの、平岡直子の意図だろうとして分かる部分と、同時に、些か性悪さがあるというか都合が良すぎるんじゃないか? という懸念がある。
 あるのだけれど、いったん冷静になると。
 冷静に〈葛原妙子〉と〈森岡貞香〉が〈斎藤茂吉〉の三つ巴を考えたとき、なんというか〈葛原妙子〉と〈森岡貞香〉は同じ側(こっち)の近さはあるかもしれないが、決して同じ位置ではないのでは?
 もしかしたら〈平岡直子〉と〈虚空〉と〈永井祐〉の三つ巴も合わせて、考え直してみる必要があるかもしれない。

 「葛原妙子と森岡貞香が「斎藤茂吉をこっちにとっちゃおう」と談合していたというエピソード」ってのは、どういうときの、どういう動機なんだろう?
 意図は〈葛原妙子〉と〈森岡貞香〉で、それぞれ別にあるかもしれない。

 短歌特集が組まれた「ダビンチ2023年11月号」のなかで、平岡直子は、
私、読み間違えが好きなんですよ。街中の看板を見ているときや本を読んでいるときなどに、思わぬ読みが目に飛び込んでくると嬉しい。どーなつがどうぶつに見えたりするんですけど、それは自分の無意識が、この文脈にはどーなつではなく、どうぶつがふさわしいはずだという判断をしていると思うんです。そうした自分の読み間違えを正当化することが詩の表現であり、無根拠に何かを信じるということ。自分がどうして短歌を作っているのか、ということについて、理由付けや説明はたくさんできるけれど、突き詰めていくと自分と短歌のつながりを無根拠に信じているんだと思うんです」
と答えている。
 〈無意識〉や〈無根拠〉は、ともかくとして。
 ここで平岡直子は、自身の見方が〈副〉だと認めてはいないだろうか? 認めた上での正当化だし、その正当化に価値(ニュアンス)があると期待している。
 平岡直子は、正確には「どーなつ」であると知りながら(その「どーなつ」である意味も分かりながら)しかし「どうぶつ」だと言い張る。
 ここには、
 公的 / 私的
 の別がある。
 ただ「どうぶつ」と表明するだけでは、通用しないだろう。全員が「どーなつ」だと分かっているなかで、その上で「どうぶつ」と言う。その動機はケースバイケースだろうが、それは茶番に近いとも思う。
 (ところで〈私〉は、茶番が大好き/一方「やってる感」は、できるだけ避けていただきたいが)

 平岡直子の解答値のようなところは、既に開示されている。
 「歌壇2024年4月号」での特集「作歌意図を超えた歌」にある下記の発想だ。

  くわしくは書き込んでいないはずの作品の背景をどういうわけか歌から取り出されて驚いたことがあるし、まったく予想だにしなかった鮮やかな誤読をされてうれしかったことがある。何回もある。短歌をつくったり発表したりするのはそんなことだらけだと思う。意図が正確に伝わることを重視するタイプと、思わぬ誤解をされることによろこびを感じるタイプに歌人を二分するならわたしは完全に後者で、心のなかには「うれしかった誤読」のコレクションがある。(平岡直子「目隠し」(「歌壇2024年4月号」))

意図が正確に伝わることを重視するタイプと、思わぬ誤解をされることによろこびを感じるタイプに歌人を二分する」とき、後者だと自認する平岡直子は、同時に「主/副」や「正/誤」や「公/私」あるいは「表/裏」のような区別ができうる。
 どちらにしても「意図がある」前提の二択にはなっているのだが、後者のタイプのとき、いわゆる〈無意識〉や〈無根拠〉に頼る場合と最大限に精緻なコントロールした(意図が正確に伝わるように作歌した)上で思わぬ誤読を見出されたい場合があると〈私〉は思う。
 要するに、後者のタイプの歌人だと自認する平岡直子だが、きちんと前者のタイプを経由した上での後者だと思う。
 また〈誤読〉に対する期待値についても(実際に「目隠し」でも功罪は書かれているが)その出力についても、まだ過渡期だと思う。

白猫を白梅の樹に変えるにはすごくたくさん枝が要るのよ(『外出 二号』(2019年)から平岡直子「鏡の国の梅子」)

 注意しなければならないのは「誤」ができるのは「正」があるからで、さらに「正」が共有されているからである。例示を使用し続けるが、あくまでも「どーなつ」であるからこその「どうぶつ」なのである。
 自身が「誤」をするためには「正」が必要になる。
(公/私の場合は特に、既に「大きな物語」が崩壊し、成立が難しくなって久しい昨今において、非常に難易度が上がっている)

 危なっかしく語のスライドをしてしまうが、先ほどの「永井さんをこっちにとっちゃおう」が、永井祐に「公」側を担ってもらい自身は「私」側したい……のようにも見えて仕方がない。しかし、得意領域不得意領域はあるだろうが、平岡直子は実際のところ〈一人二役〉している。


   ▽

 なんだか話は変わってしまったかのように思えるが、今、改めて「夢の時代」とは……?

 

   △

 余談になるが、いつからか年末のTwitter(現X)には「今年の自選5首」という自主企画が発生する。
 2023年末、平岡直子は自身のTwitterで「ことし発表した歌を全放出するから誰かが勝手にそこから五首選んでくれる」の募集した。

https://x.com/tricot75/status/1741465555851202936?s=46&t=sZkGej0tbbPDAuZjOdFHrg


その際に〈私〉がした五首選を載せておくので、もし興味があれば、ご確認ください。

https://x.com/y_aao/status/1742221471974625441?s=46&t=sZkGej0tbbPDAuZjOdFHrg


 更に「完全に余談な後日談」になるが。
 幾分とアルコールも回った三次会(一次会には、歌会をカウントする)の場で、この他選五首について伊舎堂仁に反応を求めて、伊舎堂仁を困らせた。
 好感の同意を前提に反応を求めていたかとも思う。だる絡みだ。
 伊舎堂仁と〈カリフォルニア檸檬〉は、別の(もちろん共通・共有する部分もあるのだが、あるからこそ)相反するような偏り方の短歌的な価値観や期待値を持っていると思っているから、それは困るのも当然だったろう。

 

   △

次回は 9/14 に公開予定です。

 


短歌時評199回 「当事者性」と<私性>の深いかかわり 桑原 憂太郎

2024-05-08 22:11:47 | 短歌時評

 短歌の世界には「当事者性」なるワードがある。
「当事者」だけであれば、事件の当事者、震災の当事者、とか一般的な用語として普通に使われて、コトやモノに直接かかわった者、としての意味になろう。
 しかしながら、この普通一般的な用語である「当事者」に「性」をつけることによって、短歌の世界では、批評の用語となる。
 すなわち、「当事者性」とは、コトやモノに直接かかわった「当事者」の性質、要は「当事者」の概念をさしている。この概念を用いて、コトやモノにかかわった者とは、いかなる性質の者なのか、ということについてあれこれ議論をする。そして、提出された短歌作品を、その議論された「当事者性」というワードで批評をする、ということだ。
 この「当事者性」、端的にいえば、「当事者」って誰? という、人探しみたいなものだ。これが短歌の世界の「当事者性」の議論だ。
 この、「当事者性」なるワード、2011年に東日本大震災があってから後、さかんに議論された。
 つまり、震災の「当事者」って誰? という人探しがなされたのである。
 そこでの議論は、こんな感じだった。
 東日本大震災時、実際に震災に見舞われた人々は、「震災当事者」といえるが、ほぼ被害を受けることのなかった地域に住んでいた人は、「震災当事者」とはいえない。ならば、「震災当事者」ではない人が軽々しく震災を詠っていいのか、ということが問われたのだった。
 しかし、この議論、令和の現在となって振り返れば、ずいぶんと倫理的情緒的な議論であった、と思う。
 この「当事者性」を突き詰めるとどうなるか。
 実は「震災当事者」といいながら、震災に見舞われた人というのも、結局は、生き残った生の側にいる人々であり、地震や津波によって犠牲になった二万の人がホントウの「震災当事者」ということになるまいか。そうなると、生き残った人が「当事者」然として震災の歌を作っていいのか、という議論へと向かうだろうし、実際に、当時、そういう議論へと進んだ。
 けれど、そこまで議論が振り切ってしまうと、生の側に残った者はだれも震災の歌を詠えなくなってしまう。なので、結局のところは、震災を逃れて生の側に残った者だれもが、「震災当事者」にほかならない、というあたりに議論の落としどころをみつけて、この「当事者性」の議論は、立ち消えになったのだった。
 これが、2011年の東日本大震災以降の短歌の世界での「震災当事者性」をめぐる議論である。
 当時、筆者は、この「震災当事者性」の議論をリアルタイムで傍観していたのだが、議論があまりに禁欲的すぎて、とても奇異に感じたものだった。そんなに、短歌の世界は不自由なのだろうか、という思いだった。
 そして、先にみたとおり、結局は、誰もが震災を題材にして歌を詠ってよろしい、という帰結へと議論が収束していくのを、そりゃそうだろうな、という思いでみていた。
 短歌は、何を題材にしても、どのように詠ってもいいはずなのに、こと、社会的な題材、なかでも震災というような、人の生き死ににかかわる強い倫理観をともなうようなコトやモノになると、とたんに、そうしたコトやモノを「当事者」でない者が軽々しく歌にしていいのか、なんていう倫理性が頭をもたげだす。そして、歌人は、そうしたコトやモノの「当事者性」について、実に禁欲的にとらえてしまう。
 では、なぜ短歌の世界では、こうした、倫理性に縛られてしまうのか。
 あるいは、歌人は、そうした人の生き死ににかかわる題材について、禁欲的にとらえるのか。
 というと、それは、短歌が、<私性>からどうしたって切り離せない文芸だから、ということに尽きるだろう。

 そういうわけで、ここから先は、「当事者性」と<私性>の関係性について考えていこう。

 短歌は、本来、何を詠ってもいいはずなのだが、いまから約120年前の近代短歌のはじまりの頃に、短歌というのは、<作者>の見たこと、感じたこと、考えたこと、を作品にするべきだ、といったように短歌をとらえようとする考え方が主流となった。この短歌に対する考え方、これが短歌作品の<私性>を形成するおおもとになった。
 そんな近代短歌であったが、はじまりからしばらくしてまでは、作品のなかの<主体>は<作者>そのもの、といった素朴な<私性>でわりとうまくやっていけた。
 けれど、だんだんと、そんな素朴な<私性>では、作品を理解するのに無理が生まれるでしょう、ということになり、現在では、作品の中の<主体>は、作品によって、100%<作者>と言える場合もあれば、そうとは言えない場合もあるよね。そうとは言えない場合ってのは、<作者>の分身みたいなものだよね、という感じの理解になっている。そして、この「分身みたいなもの」は、ほとんど<作者>といっていい作品から、<作者>から離れた作品の主人公としての<主体>とする作品まで、実にいろいろな<私性>が存在している、というのが実状であろう。
 他方、短歌の読者は、器用なことに、作品によって、ある作品の<主体>は、100%<作者>として読んだり、別の作品では、<作者>が創作した主人公としての<主体>として読んだり、と、実に器用に<私性>を読み分けて、鑑賞しているのだ。
 たまに、読み違えっちゃって、フツウに読んだら<主体>は30%くらい<作者>の分身だったのに、うっかり100%<作者>そのものとして読んだりして、そうなると、作品の虚構性が問われたりして、ちょっとした議論になったりする、というのが、短歌の世界の<私性>の議論だ。
 こうしたわりと柔軟に思える短歌の<私性>なのだけど、ただし、120年前にあった、短歌というのは、<作者>の見たこと、感じたこと、考えたこと、を作品にするべきだ、といった考え方は現在でもそっと息づいている、ということはいえる。
 さて、そんな牧歌的な短歌の世界も、震災といった人の生き死にに関わるようなコトやモノとなると、状況は一転する。
 人の生き死にといったコトやモノになると、途端に歌人は禁欲的なる。軽々しく歌を詠むのをためらう。一方の、読者側も、強い倫理性を発揮して、作品を読むということになる。
 ここでいう倫理性というのは、人の生き死に関わるような題材の作品の<主体>は「当事者」であるべきだ、という倫理性だ。牧歌的な<私性>の議論はふっとんで、120年前から脈々と受け継がれている、短歌というのは、<作者>の見たこと、感じたこと、考えたこと、を作品にするべきだ、という100%<作者>以外の<私性>は認めない、という実に不寛容な倫理性が発揮されてしまうのだ。
じゃあ、その「震災当事者」とは、いったい誰なのだろう。
 当時、斉藤斎藤が次のような作品を提出した。
 
三階を流されてゆく足首をつかみそこねてわたしを責める
撮ってたらそこまで来てあっという間で死ぬかと思ってほんとうに死ぬ

『人の道、死ぬと町』(初出は「短歌研究」2011年7月号)

 この作品の<主体>は「震災当事者」だ。「震災当事者」とは震災で命を落とした死者であるから、死者を<主体>としたのだ。
 けれど、読者は、この作品について、否定的な評を下すしかなかった。
 なぜなら、この<主体>が<作者>であることは0%だったからだ。こうなると、短歌の素朴な<私性>では読めない。
 つまり、この作品は、生き死にを題材にしている以上、死者を「当事者」とすることは、短歌の世界ではありえない、という理由で倫理的に断罪されてしまったのだった。
 倫理性から離れて、作品をテクストとして分析する批評をされずに、この作品は断罪されてしまったのである。
 こうした倫理的な不寛容な<私性>から、短歌が少しでも自由なものへとなるにはどうしたらいいか。といえば、短歌の批評空間の成熟を待つしかないのだろう。具体的には、倫理性を一切排除して、短歌作品をひたすらテクストとして批評をするという形式主義的な作品分析の手法を、人の生き死にといったコトやモノを題材にした作品であっても、批評空間に醸成していくことなんだと思う。

 さて、令和の現在。
 今年、令和6年1月1日、能登半島に大きな地震が襲った。
 「短歌研究」3月号には、黒瀬珂瀾の次の作品が掲載された。

投稿歌の葉書ばさばさ床に散る掻き集め鞄に詰めて立ちたり
天井の材はするどく崩落す新春福袋の山頂いただきへ  
地震なゐに、はた、をさなごの号泣に、揺るるショッピングモールを急ぐ 

(「短歌研究」2024年3月号)

 連作「令和六年一月一日、およびそののち」のなかの三首。タイトルのとおり、能登半島を地震が襲った午後四時十分の状況を叙述している。連作から、<主体>は、富山県内のショッピングモール内のカフェにいて、天井が崩落した状況を目の当たりにしたことがわかる。
 臨場感あふれる、優れた作品だ。けど、これは、「当事者」である<作者>の実体験だから優れているのでなく、臨場感のある叙述だから優れている、ということを確認したい。
 だから、<作者>が、ホントに正月にショッピングモールにいたのかどうかなんて、どうでもいい。そうではなくて、作品の<主体>の、地震に遭ったその臨場感のある叙述を批評するのが重要なのだ。
 これらの作品でいえば、<主体>の情感にはふれず、<主体>のおかれた状況を客観的に叙述しているところに臨場感が生まれている。この客観的叙述によって、リアリティが担保されている。つまり、作品には、地震に遭遇した瞬間、といったものにリアリティがあればよい。その作品の内容が、ホントかどうかは議論の対象にする必要性はない。

 同じく「短歌研究」2024年3月号には、こういう作品も掲載されている。

散乱の破片の下に見つけたり発災時刻を指す掛け時計    平谷郁代
いつせいに千余の白鳥空につ大地揺るがす大地震なゐの瞬   浅野真智子
入浴なし今日で二十日目 私の身体拭く娘が「外は雪だよ」 山崎国枝子

 こうした作品も、震災の「当事者」だからという視点で批評するべきではない。べつに、能登半島に住んでいなくても、こうした作品を詠んでも構わない。<主体>が100%<作者>である必然性はない。
 今回の能登半島の地震による震災詠で、東日本大震災で議論された不寛容な倫理観が果たして払しょくできているのかどうか。そこに、短歌の世界での批評空間の成熟度が問われている、といえるだろう。


短歌時評198回 『つぶやく現代の短歌史1985-2021-「口語化」する短歌の言葉と心を読みとく』を読む 小﨑 ひろ子

2024-04-01 15:32:45 | 短歌時評

 昨年発行された評論集『つぶやく現代の短歌史1985‐2021-「口語化」する短歌の言葉と心を読みとく』(大野道夫)には、和歌史から「現代短歌」(篠弘、菱川善夫の命名により、「」付の現代短歌とは前衛短歌が大きく影響を持った時代であると著者は規定する)の歴史を踏まえたうえでのこの37年間の現代の短歌の状況が実に盛り沢山に描かれている。一夜漬けの現代短歌史にもうってつけで、網羅的に紹介されているかのように見える歌群から漏れた者たちのうめき声が聞こえてきそうだが、「飛び石リフレイン」「名詞化」「棒立ちの歌」「ゆるふわ接続」と、現代短歌の特徴もわかりやすくまとめられていて、ああそういえばそうなのか、と改めて思わされたりする、目からうろこの現代短歌史となっている。普通に短歌をつくっていると、どうしてもその「場」あるいは「座」の巡りで満足しがちになってくるので、こういう本はとてもありがたいと思う。ただ、作品の紹介文については、薮内亮輔の「春のあめ底にとどかず田に降るを田螺はちさく闇を巻きをり」が、斎藤茂吉の「田螺と彗星」の存在を無視した数行で済まされるなど、読者の次の読みを必要とするような形なので、注意が必要である。紹介文もまた、背後にうめき声を多数隠すつくりになっているということなのだ。変な例えだが、英語とかなら「でる単」を読むだけではなく辞書を読まなくてはいけないし、辞書を読むだけではなくて自分が使い考えなくてはならない。まえがきに「この本はどこから読んでもかまわないのだが、もしあなたが今この分を立ち読みしているのなら、どうぞ巻末の索引にある短歌作品たちを見て欲しい。そして何か心に触れる歌があったら、掲載ページの少し後にあるその歌への読みも読んでほしい。そして作品やその読みが少しでも心に入る歌があったら、(レジでお金を払って)どうぞ家へ持って帰ってじっくり読んでほしい、と思うのである。」と述べる。読者対象を広くひろくとらえていて親切だが、〈(遺言的)あとがき〉(遺言的、とある背景は、まえがきの「上梓のいきさつと基本的特徴」に、過労と加齢、入院、資料が破棄された等の事情が詳しく書かれている)には、「どうしても私の短歌観(感、勘?)が反映しているとは思われ、たとえば私は近代短歌では斎藤茂吉、佐佐木信綱よりも北原白秋が好きなのである。」とあって、膨大な比率を占めていたと思われるアララギ好きに対する挑発の意図もあるのかもしれない。〈(遺言的)あとがき〉とこの書のさいごは、岡井隆の短歌への思いをうたった歌、「走れ、わが歌のつばさよ宵闇にひとしきりなる水勢きこゆ」で締めくくられるが、「今後の短歌史へ向けて―拾遺による本書の脱構築」という項目により、読者に対しても次のように呼びかける。「短歌、評論等、本書に掲載されるべきと思った歌を送ってほしい、同時期の評論を送ってほしい、修正すべき点があれば教えてほしい、その他ご意見感想を送っていただきたい」と述べる。(蛇足だが、筆者は岡井隆の東京の超結社の歌会で著者と同席させていただき、学会誌の抜き刷りを配布によりいただいたことがあると記憶しており、ご本人にお送りするには至らないような感想を、この場で今、書かせていただいているというわけなのだ。ただしこの本の存在を知ったのは、著者である大野氏が参加する結社「心の花」の会員のある集会での発言による。結社や実集団の情報力は、実はまだまだとても大きいものなのだと思う。)

 さて、この本の中に、「社会調査で検証する現代の短歌と歌人」という章立てがある。2011年の調査だから13年前の調査になるが、1600人の歌人(短歌研究の「短歌年鑑」2011の歌人名簿と、角川「短歌年鑑2011」から無作為に抽出したものに大学短歌会等若い層72人を加えたという)にアンケートを送り、667人から得た回答を細やかに分析している。30頁ほどの分量だが数字の奥が深く、項目をざっと眺めただけでも「四割が口語を使用、女性、若い世代ほど多い」「新かな、直喩は四割弱」「自己(私)をうたうが8.5割弱」「同時代の影響6.5割、絵画への関心6.5割」「読者は自分自身5.5割と身近な仲間5割強」「結社は8割、ネットは2割強が利用」と、これも漏れたところのうめき声が聞こえてきそうな網羅的な社会調査となっていて、今ではもっと変化してきているだろうなと想像をめぐらすのが楽しい。

 そこで目を引かれるのが年齢層。70代29.2%、80代23.4%、10代0.4%、20代2.8%。13年後の今、短歌が若者に広がりつつある中で名簿に載る若い歌人も増えているとはいえ、やはり高齢化は進んでいる。本の中でも、「高齢化社会の到来」という項目で、日本は1994年には65歳以上の人口比率が14~21%未満である「高齢社会」になり、2007年には、21%を超える「超高齢社会」となっていると説明する。だが、短歌年齢の平均が高齢である所以は、社会の高齢化とはまた別の事情も抱えている。短歌制作に定年はないから、13年前のこの時点でアンケートに回答し得た年代がそのまま上の年齢層にスライドするのと同時に、だんだんベテランとなって新たに名簿に載る歌人も増えてきていることだろう。その中には、余暇を利用して短歌の組織の幹部を務め、歌歴を重ね何冊もの歌集を出す余裕ができるあたりの年齢層が増えてくるとすると、年齢構成はそのまま上にスライドするばかりとはとても思えず、生産年齢の上のほうあたりからまた補充されているのではないかと思ったりする。30代から60代の年齢層が少ないのは、その世代がまさに社会の中での生産活動のただなかにあり、歌を詠む余裕も必要もなかった、また歌集出版のために私費を拠出する余裕もなかった事情があるであろうことを見えてくる。

 作者の属性は、その作者が制度サイドにあるかどうかにかかわらず(しまった韻を踏んでしまった。この韻律のたのしさ、どういうわけか思考停止と現状追認、場合によっては無条件な同調を無意識的に招くから要注意である。何と非生産的なことだろう!と自戒しつつ。そもそも制度や制度的な何か-強制される価値観や慣習等-が存在する社会に生きている限り、それは制度を目の当たりにしているかどうかの違いだけで制度サイドも何もないというのが本当。その波及効果、社会的影響は別として、制度を描いたからと言って肯定していると思ったら大間違い! なのだ)、存在する。高齢者が多ければ病や介護や孫や回想の歌が多いのだろうなとか、若い人が多いから生きづらさや青春のみずみずしい痛みの感性による歌が秀逸とされそうとか、先入観満載にいろいろなことを考えさせられる。

 さて、その多数を占める年齢層の歌人たちの背後には、たくさんの数えきれない歌人や短歌愛好者が存在する。かれらリタイア世代の短歌の愛好者には、若い時分から短歌に近付き志を持った専門家人や、何らかの動機で短歌に限らず創作活動に向かったような、いわば文学的無頼のような文学愛好者とか短歌愛好者ともまた違う、それぞれの人生の貴重な経歴を基盤とする作歌活動をする人たちも多い。

 例えば、先日『チェルノブイリの祈り―未来の物語』という、最近では『戦争は女の顔をしていない』でも注目されたノーベル賞作家スヴェトラーナ・アレクシエーヴィチの本を読んでいたら、そのあとがきに訳者が次のような歌を引いていて驚いたのだった。いくつもの版が出されているこの書の完全版の訳者あとがき。その末尾は、

わがことと読む日の来るとは思はざりき友の訳せし『チェルノブイリの祈り』(野畑正枝第一歌集『たましいのカプセル』より)

 という短歌の引用で締めくくられていた。歌の作者は、訳者である松本妙子氏の語学を通した友人であるらしい。気になってウェブで検索したら、一件だけヒットし、さいかち真氏の地元の短歌の会「二俣川短歌」に参加していた方で、ブログの紹介(2016年)によれば、「数年のうちにめきめきと実力をつけ、いい歌を作られるようになったが、急に病を得て、その病気の進行が早かったために急逝された。本人も短歌を生き甲斐としておられたようで、近々近親の方がその作品集をまとめることを聞いている」ということであった。早速さいかち氏に問い合わせたところ(短歌人口の裾野は広いのに、ここでまた岡井門下生に出会うのだから実はずいぶんと狭い世界なのかもしれないと思ったことである)、会はさいかち氏が高校で実施した短歌教室をもとに集まった地元の小さな会で、歌集は近親者にのみ配布していたということだった。「問い合わせてから結構日にちがたって、歌集の個人情報にあたる部分を削除したもの(編集後記の文章のページがていねいに切りとられて)と短歌冊子「二俣川短歌」が送られてきた。真っ白なうつくしい歌集には、仕事や家族や思い出の歌が、ご家族による文章や写真とともに収められている。歌集のタイトルは、「新しき命とならむたましいのカプセル飛ばそ光の風に」の一首からとられたものであった。このように、各地に点在するであろう自発的な会もまた、目立たないところで、リタイア世代を中心とするであろうと思われる分厚い短歌愛好者の基盤を支えているのである。当たり前のことだが、「若者」「ロスジェネ」などとひとくくりに語るのが難しいのと同様、数字の後ろに存在する様々なことを「リタイア世代」「高齢者」とひとくくりに語ることは控えなくてはいけないのだし控えてもらいたいものだなと思う。

                                                                               

(2024年3月30日桜の咲き始めた頃に)


※引用・参考

『つぶやく現代の短歌史1985-2021-「口語化」する短歌の言葉と心を読みとく』大野道夫、2023((株)はる書房)

『完全版 チェルノブイリの祈り―未来の物語』スヴェトラーナ・アレクシエーヴィチ著、松本妙子訳 2021(岩波書店) 

『たましいのカプセルー野畑正枝第一歌集』野畑正枝 2016(私家版・図書印刷株式会社)