八月十九日(日)、塔短歌会主催の現代短歌シンポジウム(要するに、全国大会二日目の、一般公開部分)の鼎談「平成短歌を振り返る」において、
「負けたくはないやろ」と言うひとばかりいて負けたさをうまく言えない(虫武一俊『羽虫群』書肆侃侃房、二〇一六年)
が話題に上った。その際、何故「勝ちたくなさ」ではなく「負けたさ」なのか、という話題が永田淳から提示され、壇上で栗木京子や大森静佳を含めた三人で様々に議論があったが、そのやりとりを会場で見ていた筆者も、ここ数ヶ月、自分なりにこの「負けたさ」について考えてきた。
恐らく、問題となるのは「勝ちたくなさ」と「負けたさ」では何が違うのか、ということだろう。結論から言うとこの二つは、勝ち負けに対する態度表明としては似て非なるものである。
「勝ちたくなさ」とは、自己の外部からやってきた勝負の構造や文脈に乗りたくない、絡め取られたくないという、消極的な拒絶である。別に勝ち負けが大事なのではないと、きちんと態度表明をしつつ、「勝ち/負け」の二元論で語られる社会そのものに対しても距離を保ちつつ批判を行っている。
では、「負けたさ」に含まれる、負けることへの積極性は何なのか。筆者はこれも、拒絶の一種であると考える。しかし、かなり屈折した心理である。外部に存在する構造に対して積極的に「負け」を肯定し、自分の方からも「負け」になり得る文脈を設定して自己をカテゴライズしようとするのである。
何故そんな手に出るのか。その方が社会そのものとの関わりを最小限に抑えられるからだ。そもそも現状の構造や体制に対し批判を表明するには、それなりの体力と精神力が求められる。そこにある構造から逃れられないことは重々承知しているが、関わって疲弊する事態は極力回避したい。そんな時にこの「負けたさ」は、自己防御の心理として効力を発揮する。
例えば、運動が苦手な小学生がクラス対抗の球技大会でドッヂボールの試合に出る時、内野で延々とボールと立ち向かい続けることよりも、さっさとボールを当てられて外野に行くことの方を選ぶだろう。そして周囲も、アイツにボールが行っても使えない、と分かった上で、転がった球を拾えなかった時以外は無視を決め込むだろう。あらかじめ「負け」ておけば、時折向けられる冷やかな眼差しを代償として、延々と続く勝ち負けの応酬や、勝ち続けなければいけないような場における心の逼迫からも、ある程度逃れることができるのだ。
「負け」を表明しておけば、社会や構造の方も今後は自分のことを、視野に入れつつ無視してくれるだろう。与えられた構造を敢えて受容し、自己を敢えてマイノリティ化することで、代わりにそれ以外の一切の関わりを拒絶する。そうした心理を、単なる逃避だと言って批判するのは容易だが、だが、考えてほしい。構造に立ち向かうことすら拒絶するということは、声を上げるだけで奪われる何かがある、ということである。そして、それを奪う側に立っているのは、逃避だと言って嘲り笑う、勝者たちではないか。自分に都合の良い構造の上に胡坐をかいて、声にならない声を聴こうとする想像力を失った、虚しい勝者たちの姿が見えてこないか。筆者などは、そうした他者を愚鈍化するような構造と関わることそのものに、怒りすら感じる(ではどうして、こうして書いているのかと言うと、見えてしまったものに対してはやはり責任を取りたいし、沈黙によって差別構造の悪循環に加担することを避けたいと思う気持ちが少なからずあるからだ。もっとも、筆者もそもそも人間ぎらいであるから、この文を書き終えた途端、憔悴し切って寝込むことは確実であるが――)。
「負けたさ」が示す受容と拒絶の屈折は、単なる個人の生きづらさの表明ではない。その自己完結的意識の根底には、社会の構造そのものに対する苛立ちや諦めが、声になる以前のもやもやとした感情として、渦巻いているのではないか。
シンポジウムの鼎談では、萩原慎一郎『滑走路』(角川書店、二〇一七年)のことも話題に上った。虫武が「負けたさ」であったのに対して、萩原は「負けるな」と詠む。
非正規の友よ、負けるな ぼくはただ書類の整理ばかりしている(萩原慎一郎『滑走路』)
虫武の描く自己が自分から「負け」を表明することで自己防御を試みたのに対し、萩原の描く自己は基本的に与えられた勝ち負けの文脈に対しては従順で、なおかつその構造の中で自分を鼓舞しながら生きのびようと試みる。集中で繰り返される文末の「のだ」は一見単調に響くが、「非正規という受け入れがたき現状を受け入れながら生きているのだ」「日記ではないのだ 日記ではないのだ こころの叫びそのものなのだ」といった歌を見ると、自己鼓舞・自己慰撫の文体だったのではないか、と思えてくる。
しかし、萩原は外から与えられる構造に対して「負けるな」と言ってしまう。「まだ行ける まだまだ行ける 自転車で遠くに旅はできないけれど」「癒えることなきその傷が癒えるまで癒えるその日を信じて生きよ」「かっこよくなりたい きみに愛されるようになりたい だから歌詠む」等、類例を挙げ始めたら切りが無い。「まだ行ける」「信じて生きよ」「かっこよくなりたい」「愛されるようになりたい」といった、一見自己鼓舞のように見えるこれらの表現は、実際には構造の側から掛けられた呪いの言葉であり、だからこそ、繰り返し詠み続けられるこれらの歌を目にするたび、萩原の呪縛を思うのである。
「まひる野」九月号で染野太朗は『滑走路』について、「この人、口ばっかりじゃないか、と思う」と苛立ちながら、「すべての思いが、思いのままで宙吊りにされ、ただ叫ぶばかりで、歌集にはその先の行動が描かれない。あるいは、今ある思いや行動のそのさらに先に続くはずの別の思いや行動が描かれていない」と評する。筆者も同感だ。しかし、具体的な行動が描かれずに、思いのたけのみに集中して詠まれたからこそ、例えば「短歌」七月号で佐佐木定綱が述べた「読んでいるうちに「これは俺の歌集か」と錯覚しそうになった」という感想(筆者も佐佐木と同じような気持ちでむさぼり読んだ)や、あるいは九月末現在で五刷にまでなるほどのベストセラーとなっている現象にも説明がつく。行動という個人的行為が抜けているからこそ、読者の側でも思いへの共感が表面化しやすいのだ。
だが、萩原の歌に含まれる思いのたけが、叫びのままに終わってしまうのには、行動が描かれていないからだけではない。彼の歌は、みずからが晒されている現状の構造そのものを決して否定しない。雇用してくれる側、恋人になってくれる側に対して受身であり続けることをみずからに強いているにも関わらず、「負けるな」と呪いの自己鼓舞を繰り返す。
自己肯定や自己防御の力は、最初から誰にでも備わっているものでは決してないし、また状況に応じて簡単に奪われていくものでもある。虫武の「負けたさ」に含まれている若干の自虐――自虐とともに構造を拒絶する姿勢が、萩原の「負けるな」には見られない。その真剣さと素直さが、まんまと構造の手玉に取られてしまったように見えて、筆者はとても胸が苦しくなる。
繰り返される言葉の性質を仔細に読んでいくと、与えられた状況とは関係なく自己完結的に自分自身を肯定する歌が萩原作品の中に見られない事実にきづく。「自分が愛する音楽を、あなたはまずその手に置いてみるべきだった」と染野は悔しがるが、萩原はそもそも、自分自身を肯定する力を、構造の側から既に奪われてしまったのではないか。ならば憎むべきは、萩原を殺したこの社会構造の、厄介なまでの堅固さの方だ。
こんなにも愛されたいと思うとは 三十歳になってしまった(萩原慎一郎『滑走路』)
私事で恐縮だが、筆者も先日、三十歳になった。だが、自分が生きのびていているのに萩原が死んでしまった事実がどうにも許せない。自己肯定の力も、自虐とともに社会と距離を取るやり方も萩原から奪ったこの社会から、構造の悪の側面を、断ち切ることができないにせよ如何にして軽減していくか。常に考え続けなければならない。そうでなければ、またしても大切な才能を殺してしまうことになる。
「負けたくはないやろ」と言うひとばかりいて負けたさをうまく言えない(虫武一俊『羽虫群』書肆侃侃房、二〇一六年)
が話題に上った。その際、何故「勝ちたくなさ」ではなく「負けたさ」なのか、という話題が永田淳から提示され、壇上で栗木京子や大森静佳を含めた三人で様々に議論があったが、そのやりとりを会場で見ていた筆者も、ここ数ヶ月、自分なりにこの「負けたさ」について考えてきた。
恐らく、問題となるのは「勝ちたくなさ」と「負けたさ」では何が違うのか、ということだろう。結論から言うとこの二つは、勝ち負けに対する態度表明としては似て非なるものである。
「勝ちたくなさ」とは、自己の外部からやってきた勝負の構造や文脈に乗りたくない、絡め取られたくないという、消極的な拒絶である。別に勝ち負けが大事なのではないと、きちんと態度表明をしつつ、「勝ち/負け」の二元論で語られる社会そのものに対しても距離を保ちつつ批判を行っている。
では、「負けたさ」に含まれる、負けることへの積極性は何なのか。筆者はこれも、拒絶の一種であると考える。しかし、かなり屈折した心理である。外部に存在する構造に対して積極的に「負け」を肯定し、自分の方からも「負け」になり得る文脈を設定して自己をカテゴライズしようとするのである。
何故そんな手に出るのか。その方が社会そのものとの関わりを最小限に抑えられるからだ。そもそも現状の構造や体制に対し批判を表明するには、それなりの体力と精神力が求められる。そこにある構造から逃れられないことは重々承知しているが、関わって疲弊する事態は極力回避したい。そんな時にこの「負けたさ」は、自己防御の心理として効力を発揮する。
例えば、運動が苦手な小学生がクラス対抗の球技大会でドッヂボールの試合に出る時、内野で延々とボールと立ち向かい続けることよりも、さっさとボールを当てられて外野に行くことの方を選ぶだろう。そして周囲も、アイツにボールが行っても使えない、と分かった上で、転がった球を拾えなかった時以外は無視を決め込むだろう。あらかじめ「負け」ておけば、時折向けられる冷やかな眼差しを代償として、延々と続く勝ち負けの応酬や、勝ち続けなければいけないような場における心の逼迫からも、ある程度逃れることができるのだ。
「負け」を表明しておけば、社会や構造の方も今後は自分のことを、視野に入れつつ無視してくれるだろう。与えられた構造を敢えて受容し、自己を敢えてマイノリティ化することで、代わりにそれ以外の一切の関わりを拒絶する。そうした心理を、単なる逃避だと言って批判するのは容易だが、だが、考えてほしい。構造に立ち向かうことすら拒絶するということは、声を上げるだけで奪われる何かがある、ということである。そして、それを奪う側に立っているのは、逃避だと言って嘲り笑う、勝者たちではないか。自分に都合の良い構造の上に胡坐をかいて、声にならない声を聴こうとする想像力を失った、虚しい勝者たちの姿が見えてこないか。筆者などは、そうした他者を愚鈍化するような構造と関わることそのものに、怒りすら感じる(ではどうして、こうして書いているのかと言うと、見えてしまったものに対してはやはり責任を取りたいし、沈黙によって差別構造の悪循環に加担することを避けたいと思う気持ちが少なからずあるからだ。もっとも、筆者もそもそも人間ぎらいであるから、この文を書き終えた途端、憔悴し切って寝込むことは確実であるが――)。
「負けたさ」が示す受容と拒絶の屈折は、単なる個人の生きづらさの表明ではない。その自己完結的意識の根底には、社会の構造そのものに対する苛立ちや諦めが、声になる以前のもやもやとした感情として、渦巻いているのではないか。
シンポジウムの鼎談では、萩原慎一郎『滑走路』(角川書店、二〇一七年)のことも話題に上った。虫武が「負けたさ」であったのに対して、萩原は「負けるな」と詠む。
非正規の友よ、負けるな ぼくはただ書類の整理ばかりしている(萩原慎一郎『滑走路』)
虫武の描く自己が自分から「負け」を表明することで自己防御を試みたのに対し、萩原の描く自己は基本的に与えられた勝ち負けの文脈に対しては従順で、なおかつその構造の中で自分を鼓舞しながら生きのびようと試みる。集中で繰り返される文末の「のだ」は一見単調に響くが、「非正規という受け入れがたき現状を受け入れながら生きているのだ」「日記ではないのだ 日記ではないのだ こころの叫びそのものなのだ」といった歌を見ると、自己鼓舞・自己慰撫の文体だったのではないか、と思えてくる。
しかし、萩原は外から与えられる構造に対して「負けるな」と言ってしまう。「まだ行ける まだまだ行ける 自転車で遠くに旅はできないけれど」「癒えることなきその傷が癒えるまで癒えるその日を信じて生きよ」「かっこよくなりたい きみに愛されるようになりたい だから歌詠む」等、類例を挙げ始めたら切りが無い。「まだ行ける」「信じて生きよ」「かっこよくなりたい」「愛されるようになりたい」といった、一見自己鼓舞のように見えるこれらの表現は、実際には構造の側から掛けられた呪いの言葉であり、だからこそ、繰り返し詠み続けられるこれらの歌を目にするたび、萩原の呪縛を思うのである。
「まひる野」九月号で染野太朗は『滑走路』について、「この人、口ばっかりじゃないか、と思う」と苛立ちながら、「すべての思いが、思いのままで宙吊りにされ、ただ叫ぶばかりで、歌集にはその先の行動が描かれない。あるいは、今ある思いや行動のそのさらに先に続くはずの別の思いや行動が描かれていない」と評する。筆者も同感だ。しかし、具体的な行動が描かれずに、思いのたけのみに集中して詠まれたからこそ、例えば「短歌」七月号で佐佐木定綱が述べた「読んでいるうちに「これは俺の歌集か」と錯覚しそうになった」という感想(筆者も佐佐木と同じような気持ちでむさぼり読んだ)や、あるいは九月末現在で五刷にまでなるほどのベストセラーとなっている現象にも説明がつく。行動という個人的行為が抜けているからこそ、読者の側でも思いへの共感が表面化しやすいのだ。
だが、萩原の歌に含まれる思いのたけが、叫びのままに終わってしまうのには、行動が描かれていないからだけではない。彼の歌は、みずからが晒されている現状の構造そのものを決して否定しない。雇用してくれる側、恋人になってくれる側に対して受身であり続けることをみずからに強いているにも関わらず、「負けるな」と呪いの自己鼓舞を繰り返す。
自己肯定や自己防御の力は、最初から誰にでも備わっているものでは決してないし、また状況に応じて簡単に奪われていくものでもある。虫武の「負けたさ」に含まれている若干の自虐――自虐とともに構造を拒絶する姿勢が、萩原の「負けるな」には見られない。その真剣さと素直さが、まんまと構造の手玉に取られてしまったように見えて、筆者はとても胸が苦しくなる。
繰り返される言葉の性質を仔細に読んでいくと、与えられた状況とは関係なく自己完結的に自分自身を肯定する歌が萩原作品の中に見られない事実にきづく。「自分が愛する音楽を、あなたはまずその手に置いてみるべきだった」と染野は悔しがるが、萩原はそもそも、自分自身を肯定する力を、構造の側から既に奪われてしまったのではないか。ならば憎むべきは、萩原を殺したこの社会構造の、厄介なまでの堅固さの方だ。
こんなにも愛されたいと思うとは 三十歳になってしまった(萩原慎一郎『滑走路』)
私事で恐縮だが、筆者も先日、三十歳になった。だが、自分が生きのびていているのに萩原が死んでしまった事実がどうにも許せない。自己肯定の力も、自虐とともに社会と距離を取るやり方も萩原から奪ったこの社会から、構造の悪の側面を、断ち切ることができないにせよ如何にして軽減していくか。常に考え続けなければならない。そうでなければ、またしても大切な才能を殺してしまうことになる。