「詩客」短歌時評

隔週で「詩客」短歌時評を掲載します。

短歌時評154回 安川奈緒の遺言(1)~粉砕王が通り過ぎる~ 細見 晴一

2020-03-29 16:50:49 | 短歌時評

 詩人の安川奈緒(1983年-2012年)とは運よく二度も会えている。一度目は2008年11月「現代詩セミナーin神戸」の2次会、三宮のスペイン料理店「カルメン」で。あなたのファンです、と正直に告ってから対面に座り、二人とも懇親会で完全に出来上がっていたので、何を話したかは翌日にもう覚えていなかったが、とにかく詩論を僕にまくし立てていたように記憶している。ただはっきりと今でも覚えているのは、彼女が僕のグラスに赤ワインをピッチャーからドボドボ注ぎ続け、テーブルに溢れてテーブルが赤ワインのプールになり、それが床にこぼれてもやめてくれなかったことぐらいだ。とにかく明るく狂暴にはじけていた。なんだか知らないが常に何かに怒っていた。そしてそれらすべてが眩しかったのだ。
http://finwhale.blog17.fc2.com/blog-entry-142.html#

 二度目は二年後の2010年8月にやはり「カルメン」で。「カルメン」のオーナーである詩人の大橋愛由等が主宰する詩の合評会『メランジュ』に彼女はゲストで招かれていた。一回目の時とは一転して、自らの存在を消したかの如く一番隅の席でまるで影のようにひっそりと座っていた。最初彼女とは全く気がつかなかったぐらいだ。一度目と二度目の安川奈緒は筆者にはまるで別人に思えた。そしてその2年後の2012年6月に留学先のパリで客死する。29歳の若さで。

 そしてその『メランジュ』での彼女の明晰なレクチャーが今でも筆者にとっては一つの指標になっている。
http://finwhale.blog17.fc2.com/blog-entry-242.html#

 確かに、言語の質は80年代以降のそれである。だが、現在の若い人たちによって書かれている詩の言語の接続方法は、異なっているように思う。(中略)たしかに何かが違っている。この違いを、80年代の幾人かの詩人は、嫌悪しているのだと思う。言語の質が同質でありながら、接続が異様であるそのことにおいて、嫌悪しているのだと思う。これがおそらく吉本隆明の評価、修辞的現在としての80年代と無としての2000年代、という評価の仕方ともかかわっている。

 この時の安川のレジュメからそのまま抜いている。これはこの時期、吉本隆明(1924年-2012年)が『日本語のゆくえ』(2008年)で語った

 〈若い詩人たちの詩をまとめて読んでみて、そういうことにはちよっと驚かされました。もう少し「脱出口」みたいなものがあるのかと思っていたけど、それがないことがわかりました。つまり、これから先自分はどういうふうに詩を書いていけるかという、そういう考えが出ているかというと、それはもう全然何もない。やっぱり「無」だなと思うしかないわけです。 いってみれば、「過去」もない、「未来」もない。では「現在」があるかというと、その現在も何といっていいか見当もつかない「無」なのです。(中略)
 二十代、三十代の人がこれからも詩を書きつづけていって、それぞれ個々に自分なりの「脱出口」を探していくのだろうということはたやすく想定できるわけですけれど、では「無」ではないどこへ行くのかということについては、言うべき材料になるようなことは何も見当らない。まったく塗りつぶされたような「無」だ。何もない、というのが特徴であって、これはかなり重要な特徴だと思いました。〉
http://guan.jp/hibiguan/hibiguan_202.html

 に対する反論だろう。この時、ゼロ年代現代詩が「無」かどうかというのは誰もがよく議論していたようだ。続けて安川のレジュメにはこう書かれている。

 詩はいま、文脈を逸脱させたり、断片化させることによって書かれているのではなく、もともと完全に粉砕されてしまった、粉々にされてしまった者たちが(確かに粉砕王が通り過ぎて?)、もう一度輪郭を取り戻そうと、必死の形相で、言葉をつないでいるのではないか。おそらく順序が逆なのだ。

 つまり、私たちは壊しているのではなく、元々壊れていたものを必死につなごうとしているのだ、とこう言いたいわけだ。「無」にしているのではなく、元々「無」だったのだ。順序が逆で、彼らゼロ年代の詩人たちは、その「無」から言葉をつないでいっているのだと。
 これを聞いたときは相当な衝撃だった。全く考えてもみなかったからだ。ずっと彼らは破壊しているのだと思っていた、疑いもなく。こんな時代に生まれて、破壊しなければ我慢できないほどの衝動に支配されているのだろうと。それが元々破壊されていたとは。世代間ギャップは時に冷酷なほど埋め合わせることのできない深い溝になることがある。それを思い知らされた。考えてみれば彼女とは25歳の差がある。無理もない。
 しかしこれは短歌にもあるな、と同時に思ったのだ。壊しているのと、元々壊れているのと。この論考ではこの安川奈緒が示唆したこの対比を短歌に当てはめてみようと思う。

 短歌が世界を壊し始めたのはいつからか。それはおそらく加藤治郎(1959年-)の登場からだろうと筆者は思っている。1980年代、日本は完璧だった。景気はすこぶる良く、自分さえ望めば、自分さえしっかり社会とコンタクトをとっていれば自分の人生、何とでもなった。自分次第であり、少なくとも日本人にとってこの世界に何の問題もなかった。それが1990年からバブル崩壊が起こり、様々なところで罅が生じ、信じていた社会が崩れ始めたのだ。

  むらさきの光をひらき仕様では象の頭を消すプログラム      
  磁気テープ額にこすりつけられて俺はなにかをしゃべりたくなる    
  1001二人のふ10る0010い恐怖をかた101100り0     

 いずれも1991年刊行の第二歌集『マイ・ロマンサー』から。これらは作者がコンピューター・エンジニアの仕事についていた時の歌だろう。
1首目、〈象の頭〉はおそらくモニター上の絵だと思われるが、〈仕様では〉で〈象の頭〉に対する工学的支配を匂わせ、プログラム一つで現実の〈象の頭〉を消せるかのごとき、すべてがコンピューターに支配されるんじゃないかという畏怖の念を誘発させている。
 2首目、当時、磁気テープにプログラムやデータを保存していた。その磁気テープを額にこすりつけるということは、デジタルデータを額にこすりつけることになり、下句では自分自身がデジタルに支配されていくんじゃないかという恐怖感が芽生えている。
 極めつけが3首目で、二進法のデジタルデータの中に人間の感情が封じ込められていく様、有機的につながっているはずの世界が、人の感情ですらもデジタルにブツブツに分断されていく様を記号短歌で見事に歌った。ニューウェイブ短歌のおそらく最高傑作だろう。ニューウェイブはこれ一首で片が付くと言っても過言ではない。
 特に2首目3首目は今のSNS時代の到来をまるで予言したかのごとくだ。世界がデジタル文化に破壊され荒んでいく時代を見抜いていたかのごとく、加藤治郎は直感で最初に破壊してみせた。

 そして中澤系(1970年-2009年)が登場する。

  3番線快速電車が通過します理解できない人は下がって      
  生体解剖(ヴィヴィセクション)されるだれもが手の中に小さなメスをもつ雑踏で  
  ぼくたちはこわれてしまったぼくたちはこわれてしまったぼくたちはこわ    

 唯一の歌集『uta 0001.txt』(2004年)から。この歌集によると上記3首はいずれも1998年の作。困難になりゆく時代を短歌に精密に刻み込むことで、世紀の変わり目を誰よりも速く疾走していた中澤系。
 1首目、有名な歌で、様々な解釈が可能だが、コンピューター・システムやバイオ・テクノロジー等が一般人の人知を超えた領域で高速に進化していく時代、〈理解できない人は下がって〉た方がいい、ついていくのは無理だから、危ないよ、という上からのアナウンスととる。伝わってくるのは、これからも今よりもっと高度に進化した科学技術で構築されるであろう社会システムに対して、我々が持つ疎外感であり畏怖の念だ。
 2首目、壊れゆく世界をシャープに描ききった。雑踏は実際の雑踏でもあり今となってはネット空間の雑踏でもあるだろう。〈小さなメスをもつ〉集団としての粉砕王が通るさまをわかりやすく可視化している。この歌では〈小さなメス〉は様々な暴力の比喩だろうが、ネット空間に当てはめると比喩では済まされないから怖い。実際にメスを持っている人間を僕は知っている。本当に人の尊厳を切り刻む。そして実際に生体解剖する様を見ている。ネット空間とはそんなところだ。

 3首目、まさに粉砕王が通り過ぎた直後の状況だろうか。最後言いさしで終わるところで息を飲んでしまう。怖くて電源は切ったけど本当は延々と続くんじゃないかという悪寒で。
 中澤系はまさに粉砕王が通り過ぎる時代に粉砕王を目撃していたのだ。

 1995年、阪神淡路大震災、地下鉄サリン事件、と粉砕王は通り過ぎていき、2001年9月、ニューヨーク同時多発テロが起こった。時代の雰囲気としての粉砕王だけではなく、現実の粉砕王が次々と通り過ぎていったのだ。

 粉砕王が通り過ぎた後、その熱を冷ますように現れたのが斉藤斎藤(1972年-)だろうか。

  自動販売機とばあさんのたばこ屋が自動販売機と自動販売機とばあさんに
  雨の県道あるいてゆけばなんでしょうぶちまけられてこれはのり弁
  2番ホームの屋根の終わりに落ちている漫画ゴラクにふりそそぐ雨

 第一歌集『渡辺のわたし』(2004年)から。
 一応壊れるところ俺も見てたけどね、どうしようもないでしょ今さら、もう壊れてしまったんだから、という感じか。時代に対する冷笑の中に知的な諦念を沁み込ませる。それを知性の欠片も見せずに。この知性をまるで見せずに知性を感じさせるところが斉藤斎藤の真骨頂だろうか。あからさまな知性なんてこんな時代にダサいよと言わんばかりだ。
 1首目、もう今ではありふれてしまった都市風景だ。どころかもう今では〈ばあさん〉すらたばこ屋にはいない。自動販売機だけがあったりする。殺伐とした消費社会の叙景を個人の感情を一切捨象してバッサリと切り取る。
 2首目、議論し尽されているだろうが、雨にぶちまけられた〈のり弁〉に再生不能であることに対する徒労のような絶望感を感じる。それは個人的な思い出のことなのか、大量消費文明に対してなのか、それは読者に委ねられる。ぶちまけられた〈のり弁〉が個人的なことに対する比喩なのか、大量消費文明の象徴なのか、で読み方が変わる。多義性をたっぷりと持たせている。だがどちらにしろ破壊のあとの圧倒的に荒んだ情景だ。
 3首目、まず〈漫画ゴラク〉が何なのかわからないとこの歌は何の意味も持たない。筆者が20代の時、喫茶店でよく青年漫画誌を読んでいたが、〈漫画ゴラク〉を一度だけ手にしたことがある。それは全ページ、エログロにまみれた、というよりエログロ暴力しかないこの世で最も下劣な漫画雑誌だった。パラパラと捲っただけでもちろん読んでいない。読むところが見事にないからだ。すぐに棚に戻した。こんな漫画雑誌がこの世にあるんだという絶望感しかなかった。そんな雑誌が駅のホームで雨にびしょびしょに濡れているのだ。そこにまた雨が降りそそいでいる。伝わってくるのは文化に対する絶望感だろうか。
 2首目がモノに対する絶望感なら3首目は文化に対してだろうか。いずれも粉砕王が通り過ぎてしまったあとの叙景歌とも読める。そしてやるせないほどの冷ややかな諦念を感じる。
 80年代と違い、自分がどんなにしっかりしていても社会の方でもう壊れていてはどうしようもない。自分ではもうどうしようもないだろうという怒りを通り越した絶望感だろうか。
方法論こそ違うが、安川奈緒の言うように、粉々にされてしまった者たちが、もう一度輪郭を取り戻そうと、必死の形相で、言葉をつないでいる、にこれも他ならない。しかも短歌ならではの言葉の再生だろう。短歌で、〈無〉から言葉を立ち上げてくるという、言葉の再生を最初に行ったのが斉藤斎藤ではなかったか。ゼロ年代現代詩の様に言葉の接続方法を特に凝ることもなく、破壊された後から言葉を素直に立ち上げてきている。この素直さこそが現代詩にはない短歌の真骨頂だということを、そしてそれこそ短歌の優位性だということを斉藤斎藤は誰よりも証明してみせたのかもしれない。
 そして斉藤斎藤はきっと、粉砕王が通り過ぎたあとの阿鼻叫喚を冷やし、リセットしたかったのだろう。そのリセット後に現れたのが永井裕だった。続きは次回で。


短歌評 100均的生活思想短歌、ラブ! 笹井宏之賞大賞歌集『母の愛、僕のラブ』(柴田葵)を読む 平居 謙

2020-03-21 18:37:24 | 短歌時評

 

0 はじめに

 僕は今、大阪に住んでいるある書き手の詩集を編集中だが、その帯に次のように書いた。

  生活思想詩の成果
  スローガンを語る社会詩でもなく、自己の感覚のみに閉じる生活詩でもない。
  生活の中から紡ぎだされた身体感覚としての生活思想詩。

(近刊予定 畑章夫詩集『猫的平和』帯 部分)

 社会のことを言おうとすると大上段に構えがちで理屈が過剰になる。逆に自分のことに終始すると急激に視野が狭くなる。畑の作品に関しては詳しくはここでは置くが、彼の詩では生活と「私」がうまい具合に社会に開かれていると僕は感じた。このことは詩でも短歌でも同じところがあるはすだ。「戦争」「震災」「政治」等々、現在を生きる人として言わねばならないことは沢山ある。しかしそれを作品の中で言おうとすると、窮屈な理念の塊になってしまう。狙いと実作との乖離は常に問題になる。
 今回扱う柴田葵歌集『母の愛、僕のラブ』にも間違いなく「生活の中から紡ぎだされた身体感覚」が示されている「生活思想短歌」である。しかも、非常に「低価格」のところで提供しているという印象だ。1980年代後半、俵万智『サラダ記念日』をリアルタイムで読んだ直後に「ああ、短歌は今こんなところに来ているのか」という感銘を覚えたが、30年以上を経た今『母の愛、僕のラブ』はもっともっと低地にまで短歌を連れてきている。『サラダ記念日』がファミレス短歌であるならば、『母の愛、僕のラブ』は百均的生活思想短歌だ。

  くまの首つややかなリボンときめいてこれがほんとに百均ですか(P25)

 もっとも、「これがほんとに百均ですか」と思わせる、ホンモノのようなレベルのものも含まれているから、辛うじて短歌というジャンルを文藝の中に留めさせているという印象がある。百均短歌は瀬戸際短歌でもある。以下、本稿ではいくつかの側面に渡って本歌集について考えてみる。
 
1 生活思想短歌5首

 柴田葵歌集『母の愛、僕のラブ』の真骨頂ともいえる「生活思想短歌」ぶりが、もっともよく現れているのは、ここにあげる作品だろう。

  コロッケのたねをつくって揚げるのが面倒になり掬って食べる(p10)

  傘なんて意味をなさない霧雨に全身とりわけ眼鏡が濡れる(P18)

  さようなら母さん、いつか戻るまで少しでも歳を取らずに生きて(P74)

  みなしごのアルマジロ連れ帰るごとかぼちゃ抱えてゆっくりと冬(P100)

  午後五時の螻蛄葉さぼてん窓際にならべて点呼をとりたい気持ち(P103)

 「コロッケのたね」の歌は、いわゆる「料理あるある」を見事に「掬って」歌にしている。これって個人的な話じゃないの? という疑問もあるだろうが、それだけではないように僕は思うよ。「面倒になり」一番大事なことをしない、ということはものすごく大きな問題なのだ。今の政治は駄目だなあと思う。でも結局自分は何もしない。原発なんかなければいいのにと日々思いながら、「コロッケのたね」だけつくって、「揚げるのが面倒にな」ってしまう。もちろん作品には、政治批判も原発も書かれていないけれど、コロッケを揚げるのが面倒な人は(たぶん)反原発のデモにもゆかない。政府のインチキ発言について疑念を抱くだけで、実際に衣をつけて揚げるところまでは仕上げてゆかない(だろうと想像する)。
 しかし、この現状を自覚することこそ生活思想短歌の第1歩だ。「揚げるのが面倒になり掬って食べる」という自覚が、社会への可能性を開いている。現状は負であるが、負ではない形でいずれ出てゆく可能性がある。ともかく「コロッケのたね」は準備されているのだ。
 「傘なんて」の歌は、「全身」から「眼鏡が濡れる」へと移動する「とりわけ」の語のもたらすスピード感が凄い。「さようなら母さん」は後半が無責任だが、所詮人間なんて無責任に生きるしかない。それを開き直って堂々と描いているのが素敵だと思った。「みなしごのアルマジロ」の歌は、「かぼちゃ抱えて」アルマジロを想起するところなどは喚起力のある表現だと感心する。最後の「ゆっくりと冬」という言い方は、字数の制限を意識しない自由詩の書き手としては、そのスピード感にまたはっとさせられる。どこかのほほんとしたものを感じそうな本書の装丁だが、意外と高速感覚に揺り動かされるのが楽しくなってきている。


2 恋の生活思想短歌5首

 柴田葵の場合、生活の中にさりげなく恋や男女や妊娠という繊細なことがらが読み込まれているようだ。

  マーガリンも含めてバターと言うじゃんか、みたいに私を恋人と言う(P42)

  柏木くんって居たじゃんあの子姉ちゃんを好きだったよと春分の日に(P58)

  おい、ごみを捨ててんじゃねえよとサーファーが言い捨ててゆく わたしらのこと(P64)

  教室でオードトワレをぶちまけた男子が連れていかれて香だけ(P66)

  もうあなただけの体じゃないのよとわたしに微笑む全然知らないお婆さん(P89)

 「マーガリン」の歌は、「恋人未満、友人以上」みたいな微妙な恋の姿だろうか。あるいはいわゆる「道ならぬ恋」かもしれない。しかし相手はこともなげに「私を恋人と言う」。その内実が「マーガリンも含めてバターと言うじゃんか、」という形で比喩されているのでなかったとすれば!とろけるような恋慕の感覚がきっと伝わってこなかったかもしれないと強く思う。「柏木くんって」に関しては、「春分の日に」設定される必要があるのだろうかと一瞬浮かんで、いや馬鹿、それこそが命だろと気が付く。春の恋。青春の恋。「おい、ごみを」はもしかしたら、サーファーたちはゴミを捨てる私らを注意してくれる良い奴らなのかも。と読める一方で、私らをあざ笑いながら、こいつらが「ごみ」だ、と言っているブラックジョークとしても解釈できる。後者ならいいな。いずれにしても「ごみ」が比喩の根幹にあり、生活思想短歌としての面目躍如という印象だ。「教室で」は残り香が、男の子のものだというところが面白い。誰に連れていかれちゃったのかな、男子。「もうあなただけの体」は、全ての語句が、つまりは短歌空間の全てが極めてありふれた言辞で占められているのがチープで安っぽい100均を思わせて、いい。「もうあなただけの体じゃないのよ」「わたしに微笑む」「全然知らないお婆さん」のどれにも、カスのような陳腐さしか存在しない。特に、最後の「全然知らないお婆さん」が言うところなど反吐が出そうだ。一元的価値観。村の掟的!しかし、全部組み合わせてみると、100均とは言え、イマドキの消費税10円分くらいのプラスアルファは、嬉しさも感じられる。奇妙な読後感の残る問題作だ。


3 「私」的主題5首

 この歌集を読み進める中で、「私」へのこだわりが面白いほど浮き上がっていたが、それは、以下の

  おでん しかも大根として生きてゆく わたしはわたしの熱源になる(P14)
  
  ひんやりと四角い蒟蒻ひきちぎる私のすべては繋がったまま(P61)

  「明るいね、性格」「まあね(本当は自分をちぎって燃しているだけ)」(P67)

  ババ抜きのババだけ光って見える目を持ってしまった子のさみしさだ(P101)

  自分ちにいるのに家へ帰りたい刈っても刈っても蔦の這う家(P112)

 「おでん」の歌は、「そ、そ、そうですか。。。」としか言いようがない。「わたし」に特に興味のない読者(少なくとも僕はそうだ)にとっては、「大根として生きてゆ」こうが「がんもどきとして生を終えよう」がどうでもいい話だ。しかしそういう場所においても媒体となるのは、生活感あふれる「おでん」「大根」という語彙。生活思想短歌の本領発揮だ。「ひんやりと」「「明るいね、性格」」の2首は、どこか共通している主題だ。後半などは、「蒟蒻」の「こ」の字も出てはこないが、並べてみると、どこか蒟蒻を火にくべている奇妙な自分の像が見える。「ババ抜きのババだけ光って見える目」を持っているという自覚が、この歌人「私」の自覚か。そうか。僕個人のことでいえば「じじ抜きのじじだけ見える目」を持っていたい。歌人の役割について僕はよく分からないが、少なくとも詩人はまだ形になっていない「ババ抜きのババ」を透視するようなレベルに留まらず「最終的にじじだったと後で分かる」ものを予め霊視するような目線をもっていたいなとこれを読んで思った。「自分ちにいるのに家へ帰りたい」の歌の中に流れる感覚は、嫁いだ女性にとっては生家へ、或いは、生家に住んでいるものにとっては過去の時間への郷愁なのだろう。私的主題は詩的主題であり、どこか切ない。

4 死の主題5首

 僕は短歌は結局のところ、暗さやさみしさや切なさが命なのではないかと思っている。それは詩も同じだが、究極は「死」とどう向き合うかということだろう。ちゃんとこの100均短歌の中にも「死」を巡る切なさが存在している。

  シルバニアファミリーここは僕らのお墓それから生家かたづけようか(P46)

  魚屋の種別に並ぶ魚類魚類全員ひだりを向ている死だ(P73)

  祈るような歩幅で朝の陸橋を行くお婆さん いつも行くだけ(P96) 

  先々週死んでしまった電球と同じだけれど生きているもの(P117)
   
  有事かと思うわ子どもがなん人も這いつくばって拾うBB弾(P121)

 そういえば長女が幼かったころ、家の中にも「シルバニアファミリー」が転がっていたな、などと思いながら読み進める中で唐突に現れる「僕らのお墓」の一語に途方に暮れる。たしかに小さな動物たちの部屋べやが、「お墓」に見えてきてしまう。言葉の喚起力。「魚屋の種別に並ぶ」の歌は過去の或いは来るべき大量虐殺の季節を思わせる。それにヒトは他の生き物たちに常に大量虐殺の罪を犯しているのだとも感じさせる。「祈るような歩幅」はこの言葉自体素敵だが、この歌自体、とても象徴的で面白い。つまり、僕らが「お婆さん」を見るのは「いつも行くだけ」である。短歌が捉える時間が「瞬間」だとすれば、「帰り際」まで見ていられないのはそれは当然だろう。その意味でこの歌は短詩型文藝の本質を射止めている。「先々週死んでしまった電球」と「同じだけれど生きているもの」を対比することで、世界の理不尽さや不公平さが浮かび上がる。しかも理屈っぽくならないのは、「電球」というチープなモノに主題を託しているからだろう。「有事かと思うわ」の歌は「BB弾」を「這いつくばって拾う」子どもの姿を捉えた主婦・母目線の面白さだ。子供・男目線では、「有事」の感覚は生じないだろう。ここにも生活思想短歌独自の特長が現れている。

5 絶品生活絶唱短歌3首
 
 それではお待たせしました!本歌集ベスト3作品の発表です!
 それでは第3位から。
   
  外食はおいしい だって産業になるほどおいしい 外食が好き(P110)

 この単純な歌のどこがいいって言えば、困っちゃう。しかし、ひたすらに前向きで、そして「外食」から「産業」と言う語へ飛躍する飛躍の仕方の低空飛行とそれ故の安心感。そして最後に「外食」をまた出してくるクドさと「好き」という語の清々しいい響き。
 次いで第2位は

  汚れから私を護るエプロンをラブと名付けてラブが汚れる(P122)

です!「エプロンをラブと名付け」るという行為の可愛さ。それに反して「ラブが汚れる」とうことの残念さ。そしてもちろんそこには生活の中で愛が磨り減ってゆくことの、さりげない仄めかしがなされているということの熱度。
 栄えある一位は、以下の歌。

  犬がゆくどこまでもゆくあの脚の筋いっぱいの地を蹴るちから(P95)

 詩でも歌でも、躍動感は難しい。この歌を選んだのは、この歌がまさに生活思想短歌の可能性を端的に示しているから。詩も短歌も結局のところ「死」であり「挽歌」でもある。しかし、にもかかわらず、あるいはそれだからこそ、生への賛歌も内包すべきなのだ。べき、ではない。せざるを得ないのだ。
あの脚の筋いっぱいの地を蹴るちから」を見つけた以上、僕もまたひとりの「」として「どこまでもゆく」ことが出来そうな、そんな気分に、この歌集を読んでノセられている。

(書肆侃侃房 2019年12月)