「詩客」短歌時評

隔週で「詩客」短歌時評を掲載します。

短歌時評165回 在り続けている側から 大松 達知

2021-02-19 00:01:15 | 短歌時評

 昨年11月にさかのぼる。「ビッグイシュー」(vol. 394)の特集に〈短歌〉が組まれた。
 タイトルは「いよいよ、短歌」。
 この「○○○○、短歌」の空欄に言葉を入れて短歌に縁のない人に訴えかけようとするとき、何を入れるだろうか。(そういう教員的思考がすこし嫌だけれど。)

 いまなら短歌・いまさら短歌・そろそろ短歌・ようやく短歌・やっぱり短歌。
 と考えてみると、「いよいよ、短歌」は(読点の入れ方を含めて)、無責任ふうに、いよいよ短歌の出番ですよ、とささやくような絶妙のところを突いていてセンスがよい。

 ちなみに、「ビッグイシュー」(The BIG ISSUE) は、大きな駅の近くで赤いキャップと赤いベストの人(多くは中年男性という印象)が、片腕を上に大きく伸ばして雑誌サンプルを提示している、あれ。
https://www.bigissue.jp/about/
 450円(税込)のページ数としてはやや割高な感じがするけれど、カラー誌でもあるし、時期を得た、いわゆる「意識高い系」の記事がある、という印象。
 その中に短歌が入ったのはうれしいこと。

 山田航、井上法子、木下龍也、が2ページずつ「エッセイ」を書いている。
 80年台生まれ以降の歌人、というしぼられたテーマ設定も、総花的な現代短歌紹介にしないためにも良かったと思う。
 3人が(おそらく依頼に従って)短歌との出会いから書きおこし、自作の紹介・解説、80年代以降生まれの作者と作品の紹介、という構成。

 物語に興味がなく、文学に関心が薄かったと言う山田は、

短歌は五七五七七という共通のリズムに言葉をはめるのでまるで作詞のようだったし、何より同じルールにさえ従えばキャリア関係なくみんな同じ土俵で扱われるというゲーム性が魅力的だった。平等なコミュニケーションの土台、それが短歌だった。

と言う。これ、わかる。
 筆者自身のことも言えば、短歌をこれまで続けてきたのもこういう感覚あってこそ、だった。1990年に入会した「コスモス」短歌会も、そのあとに参加した「コスモス」内同人誌「棧橋」も同年代の仲間はほとんどいなかった。しかし、90歳の男性とも50歳の女性とも上下関係も職業も地域差も取り込みながらも、短歌だけに集中して話ができた。そのフラットさ、潔さみたいなものは、おそらく他の分野にもあるはずだが、その世界に入らないと、合う合わないがわからないだろう。

 3人の中では特に、井上法子のエッセイに目をみひらかされた。実は筆者は、井上の歌集『永遠でないほうの火』の良さがわからないままでいた。それは三十代以下の他の作者の歌にも一部共通するわからなさであった。
 井上は、

ほんの少し前まで、短歌は、作者イコール作中の主人公という私小説ふうの、暗黙の読みのルールが設定されていた(じつは今も、在り続けている)と言われている。わたしにとっての短歌のルールはその逆で、〈私〉を介入させないことにある。
 〈私〉を、つまりわたしにまつわるなまなことがらを決して詠わないこと。経験や体験をどこまでも、愛着や諦念が澄んで透明になるまで濾過させてゆき、むこうがわから溢れてくるのを待つ。じっとりと、わたしではない、という、すべてのあなたがちりばめられるようになるまで。大切なのは〈非・私わたしでない〉という個別性を強調するところではなく、かぎりのない、という状態を光らせることだ。だから、わたしにとって短歌は、言葉をつかわすことでさまざまな世界を引き寄せることのできる、透きとおった水べのようなもの。

と書いている。これならわかる。井上作品をこのルールで読み直せばいいのだろうと、わかる。
 ただ、「在り続けている」側のルールを良しとして歌と関わり始め、いまでも歌を作っている大多数の(たぶん)歌人からすると、このルールは不可解だろう。結社の歌を読んだり、一般の短歌大会の選をしたりすると、もっと素朴に短歌の中に自分を書き込むことを第一としている人がほとんどであると知ることになる。垂れ流している、と批判されることもあるかもしれない。だが、純度が高い作品を目指しすぎると量産できない苦しさがあるかもしれない。あるいは、自己模倣から逃れにくくなるのかもしれない。いや、そう思ってしまう大多数は、時代の変化に付いてゆけていないゆけていないのかもれない。

 筆者は歌を読むとき、いや、「歌を読む」ではなく「歌を歌集単位で読むとき」には、その歌たちから作者の人間像がどう立ち上がってくるか、作者の顔がはっきりと見えるか、作者ならではの生活の泥臭さがいかに強く濃く匂ってくるか、などを評価の大きな基準としてきた。前衛短歌のあと、のんびりと。だから、せっかく歌集を読んだのにこの人は何をやっている人かわからないねえ、というネガティブなコメントをしたりする。そんな基準では井上の歌集はまったく読めないのだ。

 もちろん、一首一首や10首程度のまとまりでは「言葉」の巧拙や純度を基に評価するのだし、井上作品の純度の高さはよくわかる。
 これは、読み人知らず的な一首の読みと数年の蓄積である歌集の読み、あるいは歌業全体に対する把握、のような問題とリンクしてゆくのかもしれない。

 さて、この「ビッグイシュー」(vol. 394)の編集後記には、おそらく編集長の水越洋子さんが、山上憶良、若山牧水、寺山修司の歌を挙げて、「10代の頃、ノートに書き留めていた歌だ。今、”口語短歌”をそっと口ずさみたい。」と書いている。寺山修司は〈私〉の介入のさせ方に一周回った虚構性があった。今、ノートに書かれるのは例えば穂村弘だろうか笹井宏之だろうか。「在り続けている」側の大衆性は数としては圧倒的だろうけれど、そうでない方向の大衆性がどれほどの作者・読者を獲得してゆくのか、それが果たしてサステイナブルなのか。時代の変化を楽しんでゆきたい。

 あと、細かいことだが、引用元の書き方が短歌雑誌風でないのもおもしろかった。
 (短歌雑誌では、「作品A+歌集名・作者名、作品B、作品C」との順に記すところが、ビッグイシューでは、「作品A、作品B、作品C+歌集名・作者名」となっていた。どちらにも合理性はあるのだけれど、ビッグイシュー流のが分かりやすそうだ。)

 とにかく、ホームレスのひとたちの手から「ビッグイシュー」買おうとする人たちに、新しい短歌の姿が紹介されたのはうれしいことである。
https://www.bigissue.jp/backnumber/394/
 バックナンバーの購入も容易なようだ。
 街角で赤いベストの販売員さんも、バックナンバーをお持ちのようです。

 

*          *          *


 さて、そういう井上の言葉を思いながら、黒瀬珂瀾『ひかりの針がうたふ』(書肆侃侃房)を読んだ。「うた新聞」3月号の「短歌想望」でも触れたけれど。
 
 黒瀬の前歌集『蓮喰ひ人の日記』は、2011年2月にアイルランドを経てロンドンに居住した13カ月間の記録だった。妻の研究に付き添っての滞英生活。その7月には長女が誕生している。まさに、〈私〉と家族が前面に出ていた。そこに読みどころがあった。
 黒瀬は第一歌集『黒輝宮』では、例えば、

  地下街を廃神殿と思ふまでにアポロの髪をけぶらせて来ぬ 
  咲き終へし薔薇のごとくに青年が汗ばむ胸をさらすを見たり

 のような耽美的な作風だった。それが、次の『空庭』ではもっと具体的な現実とのつながりが濃くなっていった。そして、『蓮喰ひ人の日記』を経て、この『ひかりの針がうたふ』では、ひとり娘を世話する父として、また博多湾の水質調査をする船に乗り込む身として、の自分の立場があり、迫力があった。『黒輝宮』のポーズの取り方と、もう青年ではないひとりの男性としての現実とが、うまい具合に絡み合っているようだった。デビュー当時から知るものにとってが、いわゆるゲインロス効果(俗にいうギャップ萌え)の作用もあろうか。(タイトルの変遷が分かり安すぎるほどだ。)

 娘との生活の中から遠慮なく引用すれば、(冒頭の数字はページ番号)


012  父われの胸乳むなぢをひたに捻りゐる娘よ黄砂ふる夜が来る  『ひかりの針がうたふ』
033  麦茶呑みくだしてかあ、と息をつく乳児よ人となれ少しづつ
033  智慧の実を日々齧りゆく一歳はおむつパックを抱へくるなり
044  熱の児が眠りゆきつつしがみつくわれはいかなる渡海の筏
067  白湯のみて「おちやおいしー」と児は言へり育つらむ児は騙されながら
079  人様に糞便見せて褒めらるる稀少の時をまろまろとゐよ
079  やねのむかういつちやつたね、と手を振る児よ父には飛行機ぶーんはまだ見えてゐて
094  けふひとひまた死なしめず寝かしつけ成人までは六千五百夜
096  あるかうする、と言ひ張りてわが手を払ふ児は纏ひたり小さき風を

 などがいいと思った。具体的シーンを述べ、そこに考察を挟むパターンが多い。黄砂、人となれ、智慧の実、渡海の筏、騙されながら、まろまろとゐよ、小さき風。ポエティックでありながら言葉が先走っていない印象。さきほどの井上の言葉の、〈私〉を介入させない、とは真逆だ。私(と家族)を中心にする行き方であるけれど、じゅうぶんに「経験や体験をどこまでも、愛着や諦念が澄んで透明になるまで濾過させてゆき、むこうがわから溢れてくるのを待つ。」(井上)ことに成功していると思う。
 歌はとうぜんなのだけれど、ひと通りではない。

 また、原発事故の後処理に携わった歌も、臨場感があった。石巻市の瓦礫を受け入れた北九州市で働いたことがあったのか。はっきりとは記されていないが。

035  線量を見むと瓦礫を崩すとき泥に染まりしキティ落ち来ぬ
041  冬ざれの甘木の森に樹は倒れわがたまを刈る音かと思う
042  塵芥ごみ山を掘るは心を掘るに似て分解熱にぬるき湧水

 一首目の「キティ」には、そのぬいぐるみ(たぶん)を抱いていた子供の運命を遠く思う歌。二首目は魂が刈られるという把握が斬新。三首目。ゴミの山が持つ熱のリアルさがある。こういう思い内容に文語がまだまだ有効なことも思う。

 また、次の歌は被災地で除染作業をしたものと読み取れる。

053  水洗ひされたる家にしたたれる水に言葉は湿りゆくのみ
056  行き交へるバスどのバスも服青き男ひしめき1Fへゆく
058  先客の名を隠しつつ鉛筆を吾に渡せりスクリーニング受付

 一首目は、現実の巨大な圧力を前にして、言葉の切っ先が鈍る。言葉の存在のはかなさすら感じた瞬間かもしれない。二首目。東京ではあまり報道されなくなってしまったけれど、このシーンは続いているのだろう。三首目。名前を隠す必要がある、という事実の異様さだろう。どれも事実性を一首の中心に据えながら、独自の「短歌的」視点でルポルタージュのように切り取る。
 博多湾の水質調査を題材にいた歌もいいが省略。 

 これを挙げ忘れた。
 
122  パパゴリラごりらをどりを披露せりママゴリラまだ恥ぢらひのある

 先日、社会学者で作家でもある岸政彦さんのツイートに、友人に「岸さんの声で再生されるから」岸さんの小説は読めない、と言われたとあった。短歌の世界はその逆で作者を知れば知るほど、(幸運にも)声や表情を知れば知るほど作品に入りやすくなることはあろう。岡井隆の口吻は、岡井隆の歌をさらによく響かせるだろう。
 ということを考えると、黒いロングコートを着こなしていた真顔の黒瀬さんを知っていると、この歌がとてもとても愛おしくなるのだ。いつか、眼鏡を娘さんに踏まれたと言って、そのレンズ部分とブリッジをセロテープで留めていた黒瀬さんを思い出しました。


*               *          *


 今回、「八雁」2021年1月号、「短歌とジェンダー 何が問題なのか」についても触れたかったが、なかなか手強いテーマであり考えがまとまらない。いずれ。
 これで1年間4回の執筆は終了。来年度も継続させていただきます。


短歌評 一つの言葉が生み出す無限の可能性。藤田描『ちんちん短歌』を読む 谷村 行海

2021-02-17 01:53:17 | 短歌時評

 『ちんちん短歌』に出会ったのは本当に偶然のことだった。昨年11月の文学フリマ東京で、私は急きょ所属する俳句誌『むじな』の店番をすることになった。それで、店番をする以上、近隣の出店者の方がどのような作品を出されているかを知っておくべきだと思い、ウェブカタログを眺めたときに出会ったのが、隣のブースに出展していた藤田描『ちんちん短歌』だった。ウェブカタログには次のように記載されていた。

 われわれ、ちんちん短歌出版世界は、ちんちん短歌を出版するための世界です。ちんちん短歌を出版するためなら、基本的人権以外何でもします。今回出版する第一歌集『ちんちん短歌』は、ちんちん短歌を千首収録しました。千のちんちんの世界です。そのために世界を作りました。

 正直なところ、この説明文だけを見ても疑問が募るばかりだった。そこで、すぐさまウェブカタログに掲載されていた藤田氏のツイッターアカウントに向かい、そこにアップされていた作品の一部を見ることにした。

  ちんちんのかたちを決めているはずがむかしの傷をなぞりあってる
  ちんちんを社会から隔離するほどの罪とは 罪と共にあるとは
  もう少し暗くなっても法的にちんちんを出させない国の暮れ

 アップされていたのは、1000首ほど収録された歌のうちの394首目から429首目までのページ。このページだけでもなんとなくちんちん短歌の概要はつかめる。すべての歌に登場するのは、「ちんちん」という児童語。どうやら、歌集名が表すように短歌のなかにこの単語を必ず入れる。これが(後述のように正確には違うのだが)この歌集の特徴のようだ。
 それにしても、言葉の性質上、どうしてもセクシュアルなニュアンスやおもしろみが付加されてしまいそうなものだ。もちろん、アップされていたページにもそうした歌はあったし、その後購入したこの歌集の中にそうした歌が少ないわけではなかったのだが、上に挙げた3首はどうだろうか。物質的なものとしてだけではなく、概念的なものとしてもとらえ、心的な側面、社会・国の姿など、深いテーマに切り込んでいる。言葉をある一側面だけで決めつけるのではなく、さまざまな側面がないかをよく考察・検討し、言葉の持つ可能性・言葉が生み出す可能性を拡張しているようには見えないだろうか。俄然、私の期待は高まるばかりだった。
 そして迎えた文学フリマ当日。会場に着くなり、すぐに『ちんちん短歌』を購入した。頒布価格は1000円。会場で藤田氏も売り文句にしていたが、1首1円の計算だ。
 そんな『ちんちん短歌』には、どうしてこの短歌を作るに至ったかなど、4つの小文も掲載されている。そこから藤田氏の考えるこの短歌の定義を抽出してみると、次の通りになる。

  ①単語として入っているか
  ②他の単語に置き換えていないか
  ③単語として直接歌に詠まなくても存在を読者に意識させているか

 ①は同書によると、「僕はクロちゃんだちん。鎮護国家のための仏教の利用は許されない」のように、連続した際の音として歌に入れるのではなく、辞書的な意味そのものとして歌に詠みこむということ。ただし、③が示すように、単語として歌に直接書かれていなくても、そこに確かにあるのだという存在感が重要になってくる。幽霊が直接現れなくとも、存在が意識・強調され、そこにいたのではないかという実感が現れることがあるが、それに似ている。そのため、①と③は存在そのものに対する定義と言えよう。
 それに対して、②は言語意識としての定義になる。ちんちんに類する単語はほかにもあり、四文字だったものが別の字数になることでリズムが変わり、使用できる助詞なども同様に変化する。しかし、藤田氏の考えでは、それは「短歌のために短歌を詠むような言葉の使い方」であり、「格好悪い」のだ。  それに、別の単語に置き換えた場合には、元の単語と意味が少なからず変質してしまう。あくまでも、この単語からどこまで可能性を生み出せるか。言語に対する真剣さが伝わる。
 さて、そのような定義を持つちんちん短歌だが、この定義により、歌自体にも特徴が現れてくる。

  ちんちんを遠近法で描いている ちんちん遠く山の向こうに
  ちんちんに骨はないので一億年たったらきっと何もなくなる
  ちんちんの静けさ 読書していても泣いてる事に気づけない夜

 まず、当然のように四字のこの言葉は助詞との結びつきが抜群に良い。「」「」「」ほか、あらゆる一字の助詞と結びつく。それは、単語そのものから何を生み出せるか考えるのはもちろん、助詞およびそれに付随するものの可能性を考えることにも通じはしないか。掲歌3首は、いずれもほかの助詞におきかえ、歌を少し変えることができる。「ちんちんは遠近法で描かれをり」、「ちんちんは骨がないので」といった具合に。そうしたさまざまな可能性を考慮したうえで、最善の書きぶりに歌が近づいていくのだ。
 また、定型の面から考えられることでもあるが、圧倒的に初句に置かれていることが多い。初めて初句以外に「ちんちん」が登場するのは、128首目の歌で、それまではすべて初句におかれている。さらに、正確な数は数えてはいないが、129首目以降からは体感として2首に1首ほどの割合で初句に置かれた歌が登場する。リズムの面を考えると、同じようなリズムで始まる歌が連続するわけだから、これはあまり好ましくないことに思えるかもしれない。しかし、歌集単位で考えると、「四字の同じ単語+助詞」の形が一番目に留まりやすい最初の部分に連続して登場するわけだから、言葉が嵐のように降り続く感覚を受ける。そのため、一つ一つの歌というよりは、それで一個の集合体のように見えてくる。それはまさしく藤田氏の提唱する「世界」そのものなのかもしれない。

  ちんちんが死んでも出川哲郎はわさびを食べて泣くと思った
  ちんちんのないドラえもん達からの教育を受けた世代から来た

 続いて、この単語が児童語であるということから、キャラ的なものとの親和性が高いことが挙げられる。児童向けの漫画雑誌『コロコロコミック』では、出ない号はないというほどに連載されている漫画内に「ちんちん」が登場しており、記念すべき創刊500号を記念して、2019年には「うんこちんちん総選挙」なる驚くべき企画が実施された(ちなみに、この総選挙は昨年も実施され、どちらも「ちんちん」側が勝利した)ほどだ。青年向け漫画ではリアルな人物像描写・ドラマが求められるのに対し、児童向け漫画ではわかりやすいキャラクター造形などが重視される。そのため、児童語として戯画化された「ちんちん」も必然的に親和性が高くなる。
 歌に戻ると、ちんちん短歌ではこの特徴を生かしたものが多い印象を受ける。漫画のキャラクターと同じく、芸人やタレントには自身を一種のキャラ化してしまう人も多く、そういった人物との相性は良い。出川哲郎はリアクション芸人としてキャラ化されており、「ちんちんが死んでも」というフレーズと併用されてもさほど違和感を覚え難い。しかし、なんでもいいのだが、出川哲郎を例えば坂上忍にした場合、たちまちに違和感が生じてしまう。これは同様に、出川哲郎をそのまま使ったとしても、「ちんちん」部分を児童語ではないものに置き換えてしまうと、生々しく、違和感の原因になりかねない。『ちんちん短歌』にはほかにも、カズレーザーやマツコデラックスなど、キャラ化された芸人・タレントが歌に登場する。もちろん、ドラえもんのように、それ自身がキャラクターという存在もだ。

  ちんちんと似てる形のミサイルで今出す精子分死ぬらしい
  ちんちんで地図を突き刺しその穴は原発ふたつ分の広さだ
  ちんちんを見せたら罪となる国でオザキユタカを口にしている

 逆に、その違和感を利用したと思われる歌も多い。戦前に国内で『のらくろ』が流行したり、ウォルト・ディズニー・プロダクションが『総統の顔』というアニメーション作品を制作したりしたように、キャラクターはときに政治的側面との親和性をも見せる。「ミサイル」「原発」「罪となる国」のいずれも、それ自体として負の要素を持ちうる言葉だが、そこに児童語であるちんちんを使うことで、一見おちゃらけたように思える言葉との組み合わせから、その負の側面が強調されはしないだろうか。三つの定義を忠実に実践したがゆえに起きるこの「世界」の特徴と言えそうだ。

 ここまでこの歌集の特徴を見てきたが、残念ながら『ちんちん短歌』の紙版は30部しか発行されておらず、入手は難しい。というより、入手はまず不可能だ。しかし、藤田氏のnoteを拝見したところ、現在ではデータでの形で販売がされている。また、今年の5月には増補改訂新装丁版の『ちんちん短歌』も文学フリマで頒布するようだ。興味を持った方はぜひとも一読していただきたいと思う。

 最後に、この歌集を生み出した藤田氏に向け、『ちんちん短歌』の冒頭に記されていたこの言葉を贈りたい。
ちんちん短歌っていいよねー素晴らしいよねーうひゃあー」。


短歌時評164回 短歌の先生はいますか? 千葉 聡

2021-02-01 21:51:11 | 短歌時評

1 はるかなものを見つめる黒瀬珂瀾

 なんてきれいな歌集だろう、とうらやましく思いながらページをめくっていたら、ある歌に目がとまった。

  生なべて死の前戯かも川底のへどろ剝がれて浮かびくる午後


黒瀬珂瀾『ひかりの針がうたふ』

 いい歌だ。とてもいい。生と死の間に、小さなものが浮いている。しかもへどろだ。このささやかさがいい。
 若いころから黒瀬くんを知っている。彼はずっとスターだった。何をしても注目され、多くの人に愛されていた。正直、彼に嫉妬していた。黒瀬くんが話題になるたびに「彼はアイドルだから」と別枠の扱いをして、なんとか心を鎮めていた。だが、私が立ち止まっているうちに、気がつけば、黒瀬くんは歌の世界をこんなに豊かにしていた。
 歌集『ひかりの針がうたふ』(書肆侃侃房)の著者略歴には生年、出身地のあとに「春日井建に師事」とある。私はこの歌を思い出す。

  一瞬を捨つれば生涯を捨つること易からむ風に鳴る夜の河

春日井建『青葦』

 二首を並べてみても、一見、それほど似ているとは思えない。だが、二人の歌人のまなざしには、何か相通ずるものがあるような気がする。どちらも「」「」のありさまを詠んでいる。「午後」「」という言葉で日常のひとこまを装いながら、そこに死を忍び込ませている。「」と「」、「一瞬」と「生涯」というように魅力的な対比がある。そして何より、二人はともに、生や死の先にある、もっとはるかなものを見ている。
 黒瀬珂瀾は、春日井建に学び、春日井の描いた世界を少し引き継ぎ、自分の力でさらに深めようとしている。はるかなものを見つめながら。

  しばらくを付ききてふいに逸れてゆくカモメをわれの未来と思ふ

黒瀬珂瀾『ひかりの針がうたふ』

2 あのころは短歌の先生がほしかった

 二十代のころ、短歌の先生がほしかった。結社に入れば、その主宰者が先生になってくれる。だから「かばん」に入った。「かばん」は結社だと思っていた。思えば、二十代後半のちばさとは、無知な大学院生だった。
 入会したあとで真実を知る。「かばん」は同人誌。しかも「お互いを先生と呼ばない」「誰の選歌も受けない」という決まりがある。穂村弘さんや東直子さんに先生になってもらおうという淡い希望は、かなえられなかった。

  休職を告げれば島田修三は「見ろ、見て詠え」低く励ます

染野太朗『あの日の海』

 島田修三さんと染野太朗さんの関係も、うらやましい。悩みを抱えて休職することを決めた染野青年に、歌の師は「見ろ、見て詠(うた)え」と語る。復職する見通しを聞いたり、生活は大丈夫なのかと心配したりはせず、ただ短歌のアドバイスをする。この師は、創作を通して弟子が必ず立ち直ると信じているのだ。弟子も、そんな師の思いを受けとめ、この一首を詠んだ。この信頼関係の深さよ。
 穂村さん、東さん、そして島田さん、春日井さん。他にも「先生になってもらいたい」と思える魅力的な歌人は何人もいた。岡井隆さん、馬場あき子さん、佐佐木幸綱さん、伊藤一彦さん、永井陽子さん。だが、結局、私が誰かを師とすることはなかった。
 有名な歌人には、すでに多くの弟子がいる。その先生に教えていただくと同時に、たくさんの兄弟子、姉弟子とつきあうことになる。その人間関係の中に飛び込む勇気がなかった。それに、私が「この人の作品はすばらしいなぁ」と思える人は、そもそも結社の主宰ではなかったり、「弟子はとらない」と公言したりしていた。
 本格的に歌を詠むようになって二十年が過ぎると、自分より年下の歌人の作品が輝いて見えるようになる。その輝きを求めて、「年下の歌人に、師匠になってもらおうか」と考えることもあった。だが、それを実行したら、若い歌人に迷惑をかけてしまう。
 結局、私は誰にも師事しなかった。私に賞をくれた、短歌研究新人賞の選考委員のことは「先生」と呼んだし、大学院でご指導いただいたお二人の歌人も「先生」だ。だが、どなたも短歌創作の先生ではない。
 短歌の先生がいないと、誰の選も受けずに短歌を発表することになる。だから私は編集者と読者から学んだ。みなさんにいただいた感想から、作品を磨き直したり、次の作品の構想を練ったりした。
「千葉くんは、ちゃんとした歌人のもとで学んだほうがいいよ」
 三十代のころは、年上の歌人によく言われた。結社に入るということが、まだスタンダードだった。だが、この十年ほどは、「〇〇に師事」と言わない歌人が目立つようになった気がする。
 短歌の先生を求めるのは、もう時代おくれなのだろうか。

3 世界最強の文学博士・外間守善先生

 世界最強の文学博士といえば、沖縄の古典『おもろさうし』研究の第一人者・外間(ほかま)守善(しゅぜん)先生だ。
 社会人になって三年間だけ働き、学費を貯めてから大学院に進んだ。渋谷の東、あこがれの釈迢空のいた國學院大學の大学院である。
「千葉君は、教育学部から来たから、文学研究の基本がわかっていない」
 新聞や雑誌を賑わすスター教授たちは冷たかった。ただ一人、味方になってくれたのが、沖縄学の外間守善先生だった。
「小賢しい理屈ばっかり並べたって、それで文学研究が進む訳じゃない。今日はもう、おやつにしよう」
 外間先生は、最初の授業に、草餅を買って来てくれた。本を開いて二十分ほど議論をしたら、あとはおやつタイム。草餅はおいしく、先生が話してくれた世界各地での冒険談は面白く、みんな大爆笑した。
 外間先生は、剛柔流空手八段。野球と陸上で国体に出場している。ロマンスグレーの髪、いたずらっ子のように輝く瞳。声は朗々と響きわたり、文学だけでなく、音楽も美術も、政治も国際情勢も、すべてを題材にして講義してくれる。とにかく格好良かった。先生の追っかけをする女子学生も少なくなかった。
 先生は、学生が自由に意見を述べることを好んだ。学生の意見を否定せず、どんな言葉にも「うん」「なるほど」「面白い」とうなずいてくれた。そのあとで言った。
「このことについては、千葉君、どう思う?」
 大学院生の中で、いちばん背が低く、弱々しかったのは私だ。外間先生は、そんな弱い千葉に目をかけてくださった。おやつタイム中に、私は何度も意見を求められ、なんとか答えているうちに、議論そのものが楽しくなってきた。不思議なことに、外間先生との議論を通じて、受講生たちは、いつのまにか一人ひとりが研究につながるヒントをつかんだ。
 やがて外間先生は大学を離れ、本郷の角川ビルの中に「沖縄学研究所」を開設した。大学院からは、佐藤公祥君と私が呼ばれ、学業のかたわら先生のお手伝いをした。平成八年、外間先生が『南島文学論』により角川源義賞を受賞すると、新聞や雑誌の記者が先生を取り囲み、東京でも那覇でも祝賀会が開かれた。
「外間さん、あんたの言ってることはデタラメだ。デタラメだと認めろ!」
 外間先生の成功を妬んだのだろうか、酔っぱらった男が、祝賀会に乗り込んできたことがあった。周囲はざわつき、佐藤君と私は先生のもとに駆けつけた。だが、先生は右手を男に突き出し、動じない低い声でおっしゃった。
「どうかされましたか。何かあったのなら、いくらでもお話をうかがいましょう」
 男は肩を落として泣きだし、人生全般にわたる愚痴をこぼして立ち去った。外間先生は、ただうなずいて聞いていた。
 祝賀会から数か月がたち、穏やかな日々が戻ったころ、外間先生は私に「芥川賞を取れ」と言った。
「千葉君はまだ若いが、君にはじつにいいところがある。それを書いてごらん」
 私は誰にも内緒で、文芸誌の小説新人賞にたびたび応募していた。外間先生は見抜いていたのだ。
 小説では芽が出なかったが、平成十年、私は短歌研究新人賞を受賞した。外間先生はたいへん喜んでくれたが、あくまで「次は芥川賞だ」と言った。やがて私も、新聞や雑誌に、短歌やエッセイを書くようになった。歌集もエッセイ集も刊行し、外間先生にお届けした。それでも先生はやはり「次は芥川賞だ」と言った。
 外間先生が亡くなってからも、たびたび先生を思い出す。ヒルトンの『チップス先生』も、魯迅の『藤野先生』も、テレビドラマの『3年B組金八先生』も、みなそれなりに格好良かったが、外間先生はもっと格好良かった。
 私は文学の、いや生き方すべてにおける師を持っていた。だから、短歌の師を持たなくてもやっていけたのだ。2月に刊行する新歌集には、「世界最強の文学教授」という章を入れた。

  「難しい理論はもういい。君はどう思う?」と笑う外間先生
  フィールドワークノートの隅に残された 外間青年の空色の字は

千葉聡『グラウンドを駆けるモーツァルト』

 教師の仕事に疲れ、夜中の原稿書きに行き詰まると、今でも必ず外間先生の「次は芥川賞だ」という声が聞こえてくる。