「詩客」短歌時評

隔週で「詩客」短歌時評を掲載します。

短歌時評第148回 重力に抗する言葉――ライトヴァース再考 岩尾 淳子

2019-08-27 23:26:50 | 短歌時評

 去る8月24日堺市で開催された「未来全国大会」でのイベントは短歌結社の大会においてジャズコンサートを行うことで関心を集めた。第一日目のイベントにジャズピアニストの山下洋輔をゲストに迎え、笹公人との対談、そしてミニコンサートが行われ、会場は熱気に包まれた。コンサートに先立っての対談では1970年代から80年代にかけて、山下洋輔がタモリたちと繰り広げたハナモゲラ語を駆使した言葉遊びの楽しさが存分に語られて会場を沸かした。また当時作られたハナモゲラ和歌も紹介され、山下がそれを魔術的に解読し、あるいは解読されないまま謎を残すことで、意味から解放される快感を与えてくれた。山下の話を聞いている中で、この言葉遊びはナンセンスな楽しみだけでなく、韻律面も含めて詩歌の本質に届いている側面もあり、かなり知的な遊びであったことに新鮮な驚きを感じた。
 このイベントには当初会員の中から、短歌結社の大会としてふさわしくないというような声もあった。実際、筆者も正直いうとそうした思いもあったことは確かだ。しかし、会場の高揚感を体験して、少し肩の力を抜いてみるのもいいのではないかと感じた人も少なくないはずだ。昨今の社会をとりまく困難な状況が、思考の硬直化を呼び込んでいる気がする。
厳しい状況が、ささやかな言葉の逸脱を「遊び」や「軽さ」として退ける風潮に流れているようで、息苦しさを感じる。
そこで少し古い話題で恐縮だが、気になったことなので少し考察したい。

● ヘビーヴァースとライトヴァース

 角川「短歌」5月号で「ヘビーヴァース 人間を差し出す歌」と題して特集を組んでいる。
特集の巻頭では「人間・命・短歌」と題して高野公彦、大下一真、栗木京子が鼎談している。その冒頭にあたっての編集部からの導入を引く。

 ――ライトヴァースが急速に発展した平成に対して、もう一度人間をキーワードにした時代が戻ってくる気配があります。作者の生きざまが反映している歌を挙げて、論じていただこうと思います。
 

 「人間を差し出す歌」というかなり挑発的なフレーズも気がかりだが、気になったのはタイトルにある「ヘビーヴァース」、それに対するライトヴァースへの認識のありかたである。
ここでヘビーヴァースというとき「人間の生きざまが反映している歌」を指しているらしい。ではそれと対置されるライトヴァースは「人間の生きざまが反映」されていない歌ということになる。また、編集後記では次のように書き足されている。
 歌いぶりや歌のテーマの軽重ではなく、そこに「人間が差し出されている」歌を「へビーヴァース」と呼んだ。
と補足しているが、これでは、ほとんどの歌がヘビーヴァースに含まれてしまうのではないだろうか。ライト・ヴァースは文字通り「軽い韻文」ということであるなら、歌いぶりの軽さを問題にしないなら、そもそもヘビーヴァースとライトヴァースの差異は存在しなくなってしまう。その結果、印象としてライトヴァースというのが、「人間の生きざまを反映」しない歌という認識だけが残る。社会の閉塞感や、生きづらさが煮詰まっている現代において、生きざまを反映した真面目で重厚な歌を詠んでほしいという意図はわかるが、そこでライトヴァースはもう役割を終えたように言うのはどうか。生きることはいつでも重いし、苦しみや悲しみと離れることはありえない。そうだからこそ、そこからほんの少し解き放ってくれる詩歌が求められるのではないだろうか。
 短歌界では、1985年に岡井隆が「ゆにぞんのかい」でライトヴァースを提唱したのを嚆矢としている。それから35年を経てライトヴァースはさまざまに変容し、短歌界に取り込まれてきた。今、ライトヴァースを「人間の生きざまを反映」しない歌として封じ込めてしまっていいのだろうか。また、そもそも「生きざまを反映する」歌を詠まねばならないとすることにも疑問を感じる。真面目な歌を詠むべし、という声のうしろにはどうしても硬直した通念が透けて見えてしまうのだ。
 最近の総合誌から軽い歌いぶりで印象にのこった作品をランダムにあげてみる。


                             現代短歌八月号
  飼えばきっと可愛い鴉ゆうぐれに失くした鍵もみつけてくれる   永田紅

                                歌壇八月号
  傘のなかはひとりの宇宙…ではあるが暮らしの人はごみ出しにゆく 三枝昴之

                              うた新聞八月号                   
  ほほえめる妻の遺影にウインクし「俺もう寝るぞ」と蛍光灯消す 杜沢光一郎
                             
                             現代短歌七月号
  傘させばうたへうたへと声がするそつちの方がたぶん空だね   清水正人

                                短歌七月号
  聞いたことのない鳥の声あたたかく流れ込む雨わたしは川だ   松村由利子

                             短歌往来6月号
  イーゼルを立てるとすぐに山が来て雑木林の背景になる     坪内念典
             

 軽やかな歌のよさを説明するのは難しいがあえていうと、押しつけがましくなくて、読む方の気持ちを柔らかくほぐしてくれることか。それは、うすい包み紙に水晶のような喜びや悲しみをくるんでいる懐かしさとでもいうか。しかも、詩的な想像力は無理なく身近な具体から立ち上がっており、その射程は案外遠くまで届いている。その「軽み」は究極的には「存在の儚さ」・「世界のかがやき」に触れるものだろう。
                    
●地球の重力に抗する言葉

 ではライトヴァースとはそもそもどんな韻文を指しているのか。1979年5月号のライトヴァース特集を組んだ「現代詩手帖」を思い出した。この特集がのちに80年代のライトヴァース興隆への起爆剤にもなったことは周知のことだ
あらためて誌面を見ると国内外の様々な詩人たちの論考が並んでいる。「ヘビー・ヴァース、ハイ・ヴァース」に対する概念として「ライト・ヴァース」について彼らなりの定義や解釈を自由に論じている。記憶に残っていたのは巻頭の対談での谷川俊太郎の発言である。谷川はライトヴァースについて次のように言う。

 ぼくの主観的な解釈でいうとライトヴァースというのは地球の重力に抗することを基本的に考えるのね。そう考えると優れた詩にはすべて軽みの要素があるというのがよくわかるんです。どんなに重ったるい詩でも詩というものは地球の重力に抗して人間の精神を高めるような感じがあるんじゃないかということは漠然と言えるんだけどね。

 ここで、谷川は直観的にライトヴァースの「軽み」を詩の本質と結び付けてとらえている。「地球の重力に抗すること」つまり、言葉で「人間の精神を高める」のが詩であり、優れた詩には「軽み」という要素が必ずある。軽やかに表現することで、現実の重力にあえて抗うことで思考が自由になり人間の精神は高められる。詩における「軽み」ということの意義を改めて認識する新鮮な言葉だ。

●ウィスタン・ヒュー・オーデン

 さて、この特集ではライトヴァースを運動として牽引してきた元祖でもあるW・Hオーデンの『ライト・ヴァース詩選序文』(1938年)からの抄文が掲載されている。オーデンはライトヴァースと「真面目な詩」のあいだに特に本質的な違いは認めていない。ただ詩人のありかたの相違を社会との関係性から二つのカテゴリーに分類している。少し長くなるが引用する。

 詩人が興味をもつもの、身のまわりに見るものが、読者層のそれとほとんど変わらないとき、そしてその読者層がごく一般的なものであるとき、詩人は自分を特殊な人間として意識しなくなるだろうし、その言語は直截で、日常言語に近いものになるだろう。反対に、かれの興味や関心がたやすく社会に受け入れられないとき、あるいはかれの読者層が、仲間うちの詩人といったごく限定されたものになるとき、かれは痛切に自分を詩人として意識するようになり、その表現方法は通常の社会言語と大きく離れていくことだろう。

 ここで注目したいのは詩人の意識と、その詩的言語との関連である。自分を特殊な人間として意識しないときは日常言語に近づき、そうでないときは社会言語と大きく乖離してゆくという。つまり、詩人の意識によって言葉は軽くもなり、難解にもなる。あたりまえのことのようだが、詩的言語に関わる意識の要を言い当てていると思う。そして、おそらくは前者の意識に近いのがライトヴァースと推測される。オーデンは詩的言語の難解さについて次のようにも述べている。

 社会が不安定で、詩人が社会から遊離すればするほど、それだけ詩人はものをよく見ることができるようになるが、それを人に伝えることは難しくなる。

 ここからオーデンはロマン派の陥った孤立感のただよう陰鬱な詩について批判を加えたうえでバーンズを引き、「どんな深刻な問題も率直にのびやかに書くことができた」としている。そのうえで1930年代のアメリカ社会を背景にしながらライトヴァースの可能性について実に希望的に提唱している。

 そのような社会で、そのような社会においてはじめて、詩人は感受性の繊細さ、あるいは主体性を犠牲にすることなく、単純で、明快で、陽気な詩を書くことができる。なぜなら、軽くてしかも成熟した詩は、完成した自由な社会でしか書けないはずのものだからである。

 オーデンがこの文章を書いたのは1930年代のアメリカ社会を背景にしており、その民主主義社会を理想とするところには限界があったわけだが、オーデンが詩に託した希望は、かたちを変えながら現代にも継承されているはずである。それは「どんな深刻な問題も率直にのびやかに書く」ことができることであり、それは「感受性の繊細さ、あるいは主体性を犠牲にすることなく、単純で、軽快で、陽気な詩を書くことができる」、「軽くてしかも成熟した詩」。ただ、その後の80年代のライトヴァース短歌にはこのオーデンの「単純で、軽快で、陽気」な部分だけが取り上げられ、注目されたようにも思われる。

●ロバート・フロスト

 さて、2010年に刊行された『アメリカのライトヴァース』(西田克政著)によると「ライト・ヴァースそのものの定義が千差万別で、10人いれば10通りの解釈がありうるだろうし、ライト・ヴァースの選択についてもひとによって違ってくる」という状況らしい。この書のなかで紹介されているロバート・フロストの「雪の降り積もる夕暮」はアメリカ詩の中でも名作として知られている。この著者はそれをライトヴァースとして紹介する。
詩の全文を引用しよう。
   
  「雪の降りつもる夕暮 森のそばに佇む」
  
  この森がだれのものか、おおよそわかる
  彼の家は村にあるけれども
  わたしがこんなところに立ち止まって
  森が雪で覆われてゆくのを見ているとは思うまい

  一年中でいちばん暗い夕暮
  森と凍った湖のあいだで
  近くに農家ひとつないのに立ち止まるのは
  なにかおかしい わたしの子馬はそう思っている
 
  どうかしたのか問いかけるように
  体をぶるっと震わせ 鞍の鈴を鳴らす
  ほかに聴こえるのは 吹き抜ける柔らかな風と
  しんしんと降る雪の音だけ
 
  森は美しく 暗く 深い
  けれども わたしにはまだ約束がある
  眠りにつく前に 何マイルもの道のりがある
  眠りにつく前に 何マイルもの道のりがある

 この透き通るような言葉で書かれた静かで深い詩をライト・ヴァースとして紹介されていたことに驚きつつ、そのことを当然とも思えた。ライト・ヴァースはこのように美や死、あるいは永遠性といった深いテーマをしなやかに、また平明に歌う詩も含まれる。まさに谷川俊太郎のいう「地球の重力に抗」して「精神を高める」軽やかさを持っている。西田はこの詩を深く多面的に鑑賞し、分析をくだしながら最後の2行に言及する。

 フロストはアメリカの特質ともいえる、プラグマティックな卑近な現実をその後に持ち込むのである。それは人間社会の約束事という、生活を成り立たせるうえでの決まりきったしきたりへの執心である。視点をかえれば「美」(「芸術」)に見とれる瞬間の自己をいさめる、覚醒した自己は「日常生活」(「人生」)の重要性を再確認するかのように、自分に言い聞かせるのである。… フロストの中にある、諸手をあげて芸術をあるいは美という物を賞賛できない自我の意識が存在している複雑性にあるように思える。

 この解説はライトヴァースの一側面をよく捉えている。「諸手をあげて芸術をあるいは美というものを賞賛」することへの恥じらい、あるいは照れの意識は詩の言葉をより簡素にするように働くだろう。ここで言われていることは金関寿夫が「アメリカのライト・ヴァース」(現代詩手帖 1979年5月号)のなかで発言していたことと通じるように思う。金関は次のように書いている。

 「軽み」というのは、一般的に見て、私は一種の「照れ」だと思っている。深刻な主題を深刻な顔をして語る自己陶酔と野暮臭さに、作者自らが照れる気持ちから、それは出ている。

 この「照れ」の姿勢はひとつの詩学として1980年代の短歌の流れのなかにも深く取り込まれることになる。

●塚本邦雄と小池光

 さて、話が詩の方に逸れたので短歌の方にもどそう。短歌界でライトヴァースが受け入れられたころはちょうど前衛短歌運動が勢いを失っていった時期でもある。そのあたりの歴史的な意味付けが最近、さまざまに議論されているように思う。1985年に岡井隆がライトヴァースを提唱したことはそういう意味では時代の潮目を見通してのことだろう。その時代は軽さを旗印に掲げるポストモダンの潮流が席巻していた。
 歌壇五月号で加藤治郎が塚本邦雄の「軽み」について言及している。ライトヴァースに関わる貴重な意見なので参照しておく。

 「芭蕉の軽みどころか、凄みと等価値の軽みを私は志しています。それこそ、私の「変」です。」
 塚本邦雄、一九八六年の発言である(「短歌研究」短歌年鑑座談会)この年は、ライト・ヴァースが問題になった。歌壇では若者の口語文体による軽やかな恋の歌、都市風俗のスケッチという方向に収束した。もともと岡井隆の企図したライト・ヴァースは成熟した精神で人生を語るような大人の文学だったのであるが、そうならなかった。むしろ塚本こそが真正のライト・ヴァースだったといえるのではないか。

 加藤が指摘しているようにライトヴァースの軽みというのはある種の成熟を伴ったものと考えられる。歴史的にみてライトヴァースは貴族社会の言語遊戯を源流とする流れがあり、知的なソフィティケーションが要求される。前衛短歌の先陣をきって登場した塚本邦雄は、当初より一貫して戦争への憎悪がさまざまな方法論を駆使しつつ言葉を重層的に組み替えながらその作風を構築してきた。ただ中には、モダニズムを否定しようとしながらもその明るさが痕跡を残している歌もあるし、古典や、口語をとりいれてゆく中期以降の歌では、方法論から自由になり言葉が軽快に動いている歌も見られる。知的な言語操作による「軽み」を生む作品である。

  夢の沖に鶴たちまよふ ことばとはいのちを思ひ出づるよすが   『閑雅空間』

  ほしいままに水のみたればわが歌の下句うらうらと風吹く紫苑   『歌人』

  明日より春休み無人の教室に青き白墨干菓子のごとし         『豹変』

  いふほどもなき夕映えにあしひきの山川呉服店かがやきつ      『詩歌変』

  遺産問はるるならばギリシアのオルゴール、麻衣、百合根十まり五つ  『風雅』

 戦争という重い主題を一貫して読み続けた塚本。しかし一方で塚本は言葉の遊戯性や言葉を自在にコントロールしつつ詩想を深めた世界を知悉していた歌人でもあった。塚本邦雄の歌の多様性、その幅の広さはさらに考察を深めていきたい問題である。

 さて、もうひとりの歌人に注目したい。
 昨年の「日本歌人クラブ創立七十周年記念シンポジウム東京」で行われた永田和宏と三枝昴之の対談「前衛短歌が忘れたもの」が「現代短歌5月号」に再録されている。そこから二人の発言から引く。

 永田 …一般には穂村弘、加藤治郎、俵万智らの口語を使った軽やかな歌がでてきたあたりから前衛短歌が運動として使命を終えたんだろうといわれていますが、ぼくはね、端的に小池光だろうと思う。小池光は表立っては何も言わなかったけれど、前衛短歌が目指していたものを確実に否定した。何も起こらないことが大事なんだということを『日々の思い出』(一九八八)年の中でいっています。…
 三枝 小池氏の場合は時代が少し下がって前衛短歌を一歩、距離を置いてみることができるところで短歌と出会ったというスタンツの中で永田氏の今の発言を借りると、前衛短歌の嘘臭さが見えた。だけどぼくらには見えなかったんだよね。

 80年代後半から90年代への短歌史を眺望するうえで、短歌界の潮流の変化としてライトヴァースからニューウエーブという捉え方だけでなく、小池光の歌が大きく機能していたことを俯瞰的に指摘している。ここで注目したいのは、その小池の方向転換には少なからず、さきほどから検証しているライトヴァースの本質的な特質にかかわる「照れ」の姿勢の影響がみられることである。思い出してほしい。オーデンは詩人を二つのカテゴリーに分類していた。繰り返すが、一つ目はこうだった。

 詩人が興味をもつもの、身のまわりに見るものが、読者層のそれとほとんど変わらないとき、そしてその読者層がごく一般的なものであるとき、詩人は自分を特殊な人間として意識しなくなる。

 これはライトヴァース的存在論といえる。そして、まさに小池光の転換はここにあった。ライトヴァースとこの時期の小池の歌のファニーや風刺と共通性については『続 小池光歌集』の小澤正邦による解説文に早くに注目して分析されている。それを断っておいたうえで少し補足したい。『日々の思い出』(小池光)の後記から引く。

 「思い出」に値するようなことは、なにも起らなかった。なんの事件もなかった。というよりなにもおこらない、おこさないところから作歌したともいえる。…(中略)高級一眼レフで撮った〈芸術写真〉ではない。この間の〈芸術写真〉のはったりくさい感じがだんだんいやみにおもわれて来た。

 ここで小池がいっていることが三つほどある。一つは、どんな人間であれその一日はささいな気がかりにすぎてゆくということ。二つ目、なにも起らない、変哲もない日常の無意味性、つまり偶然性を基盤としたピュアな世界があること。そして三つ目は、大仕掛なヘビーヴァースがもつ通俗性への反感である。ランダムに歌を引いてみる。

  佐野朋子のばかころしたろと思ひつつ教室へ行きしが佐野朋子をらず

  さしあたり用なきわれは街角の焼き鳥を焼く機械に見入る

  くれなゐのボタンを押してゐたるときエレベーターはすでに来たりつ

  こどもといふトマトケチャップをわれ愛し妻愛し昼さがりの食事

  岡井式にととのへてゆく詩のかたちとほからずしてわが飽くとおもへど

 これらの歌は簡素で平易な言葉で日常を語りながら、そこはかとない哀感やユーモアの入り混じった着想のかろやかさがある。しかもこの歌の背後には平凡な日常を愛おしみつつ生きている時間があり、そうであるがゆえにその日常性の儚さも読んでいるように思える。また、5首目にひいた歌には作者の明晰な方法意識がメタ短歌的に詠まれている。小池の射程にあったのは、物語やテーマ性よりも、やはりライトヴァースの特質である平明な文体が可視化する「日常性」や、等身大の虚飾のない抒情であったように思える。

●岡部桂一郎の歌

 小池光の『日々の思い出』と軌を一にして1988年に岡部桂一郎の『戸塚閑吟集』が刊行されている。岡部桂一郎は戦前から活動しているにも関わらず、この歌集がまだ第三歌集という。岡部ほど、さきほどの「照れ」の詩学をくっきりとみせている人も少ない。そういう意味ではやはりライトヴァースの系譜に位置づけても無理はないように思う。ライトヴァースはその詩想から結果として口語に至ったということであり、そこに文語が混在することはあまり問題ではない。ようするに言葉に過剰な、あるいは重層性のある意味をまとわせていないということが肝要な点ではなかろうか。そこにあるのは無垢さや偶然性に根ざすシンプルな詩学であろう。岡部桂一郎の歌については河野裕子が強い共感をこめて書いている文がある。
 
  月と人二つうかべる山国の道に手触れしコスモスの花
 この歌にしても他にいくらでも別の表現を用意できる筈であるのに、ただ、このように、一見何ということもないシンプルな作りの歌に仕上げている。実作してみるとわかるが、この愛想の悪さはなかなかまねのできるものではない。つい一言余計な感想を入れてしまいたくなって、歌を暑苦しい通俗的なものにしてしまいがちな事が自他ともになんと多いことだろう。  「塔」(2002年4月号)

 岡部桂一郎の作品をいくつか挙げてみよう。

                       「戸塚閑吟集」
  ひとり行く北白川の狭き路地ほうせんか咲き世の中の事     

  道々に摘みたる花を捨ててゆくあずき色よりピンクが好きで    

  あの山は何と悲しい山でしょうはぜ紅葉して父のふるさと     

  鶏頭に陽ざしあたれり愕然と反戦の唄もうはやらない        

  長々と昭和終わるか雪の道晴れて遠くに人転びけり         

 想念を外に逸らしつつ意味をかるく削いでゆく。そこにはわざと歌を感動的にしたり抒情性を深めたりしたくない、つまり完成した形をわざと避けるような含羞がある。しかも、その平易な表現のなかに深い悲しみや、時間の深さも封じ込められているようにも思う。

●ライトヴァースの位相

 さきほどの加藤治郎の指摘のとおり、1987年には俵万智の『サラダ記念日』、そして加藤治郎の『サニー・サイド・アップ』が刊行される。それらの歌集はその軽快さ、陽気さ、そしてなによりも現代的な口語文体によりまぎれもなく以後のライトヴァースの流れを牽引していったことは確実だ。しかし、また一方では小池や岡部のように低い視線で日常を描き、過剰に意味を負わせない軽ろみのある言葉を成熟させながら、生活の深くに錨を下ろす歌が紡がれていたことも見逃せない。この二つの流れが互いに侵食し、位相を変容しつつライトヴァースの方法を深化させてきたともいえる。戦後はじめてライトヴァースの詩を公表した加島祥造は1979年の現代詩手帖に寄稿した文のなかに次のように書いている。

 ライト・ヴァースの軽さとは詩の表現の軽妙さをさすのであって、詩の主題の軽さをさすのではない。それは深刻とされる主題――愛や死や苦悩――を扱いうる点ではハイ・ヴァースと少しも変わらない。 (「現代詩手帖」一九七九年五月号)

 早くにこういう指摘があったことを確認しておかなければならない。この言葉からも類推できるがライトヴァースは「人間のいきざまを反映」しないただの軽い歌という認識は少し違うように思う。今はライトヴァースの手法がさまざまな位相で用いられており、短歌の表現に多様性を与えている。現代短歌はここ40年様々に模索を繰り返している。これからどう変化するのか予見はできないがライトとヘビーを往還しながら幅をもった世界を表現できる詩形でありたい。


短歌評 知花くらら『はじまりは、恋』という22の連作からなる「連作」 谷村 行海

2019-08-14 16:28:23 | 短歌時評

  知つてるでしょきつく手首を縛つても心まで奪へぬことくらゐ

 知花くららは2006年にミス・ユニバースの世界大会で準グランプリを受賞し、モデルとして活動を続けてきた。一方、歌人としても活動し、2017年には角川短歌賞佳作、2018年も角川短歌賞予選通過を果たしている。
 掲歌は彼女が今年の6月に発刊した第一歌集『はじまりは、恋』(角川書店)の巻頭歌。この一首を含む連作のタイトルも歌集の題名と同じ「はじまりは、恋」。恋人とすれ違い、やがて破局を迎える様子が描かれた連作のようだ。

  チュイルリーのネオンの移動遊園地ねえそつときみの射的の的にして

 同じく「はじまりは、恋」のなかの一首。よくよく考えてみると射的とは不思議なものだ。日本で定着した射的では、縁日でみられるように景品目がけて球を発射し、撃ち落とされたものが自分の手元にやってくる。痛めつけたあとにそのものを我が物にしてしまうという「恐ろしさ」を秘めていて、それが遊びとして定着している。調べた情報によるとチュイルリーの遊園地の射的では、日本でよく用いられるコルクの代わりに火薬の入った球を使用するのだそうだ。そうすると、日本の射的よりも的に対する痛めつけはより強いものになる。
 恋愛も射的の的のように相手に身をゆだねることがある以上、自分の一部が相手に支配されてしまう。その支配は強いものもあれば弱いものもある。しかし、いくらそうやって支配されたとしても、やはり「心まで奪へぬこと」なのだろう。歌集の題名にもなっているように、そうした恋愛に対する歌がこの歌集には数多く収録されている。

 

  制服の裾から見える骨張つた両膝の間に命は宿れり

  学校は歩きて遠く思ひて遠く明日は知らぬ男に嫁ぐ 

 恋愛に関する歌がある一方で、海外に目を向けた歌が多いのもこの歌集の特徴だ。知花くららは国連WFPの大使としても活動を続けてきた。これらの歌からはその活動を通して目にしたであろうその地の現実がよく伝わってくる。
 同時に、先ほどふれた恋愛に関する歌との相違が目を引く。恋愛を題材にした歌では、作中主体としての自己の内面が歌のなかにはっきりと現れていた。しかし、引用した2つの歌を見てもわかるように、異国のことを詠んだ歌については伝統的な俳句のようにあくまでも事実を描写したものがほとんどで、自己表出はほとんど起きていない。こうした差を示すかのように、恋愛を含めて自己の周りに目を向けた歌と海外に目を向けた歌とが1つの連作に混在しているものはほとんどなかった。

 ここで、彼女が2017年に「ナイルパーチの鱗」で角川短歌賞の佳作になったときの選評をみてみたい。応募時の「ナイルパーチの鱗」は後半にくる15首ほどを除き、その多くが海外での経験をもとにした(であろう)短歌によって構成されている。

 “前半はドキュメンタリーとして非常に面白く読ませていただいたし、考えさせる面もあったのですけど、やっぱり後半との関連性という面で疑問が残りました”(東直子)

 東直子が「ドキュメンタリー」と評したように「六頭の山羊が贈られけふからは妻となる卒業式のかはりに」など、応募時の連作でも海外詠は内容面で客観的な描写が多い印象を受けた。一方、後半に出てくる歌には「あの晩のあなたの匂ひのするシーツを洗へずにゐる夜10時」など、やはり内面が表れているように思える。

 “難民キャンプに行ってボランティアしていることとそうでない自分があるから、こういう構成もあるかなと思ったけど、後半は弱いかな”(伊藤一彦)

 “後半が自分になるんだけど、前半難民キャンプで作者がもうちょっと出てくるということと、後半日本に帰ってから難民キャンプにいたことがどういうふうに生活に反映しているかということが、もうちょっと交錯している方がいいだろうということが惜しい”(永田和宏)
 
海外の難民キャンプまでボランティアに行くという行動性、生きる力の強さが出てて、前半はパワフルでいいと思った。後半の自分の話になってくるのが、分裂という感じ、あるいは話題が尽きたから書くみたいな感じで、一連の構成としては惜しまれる”(小池光)

 そして、選考委員4名全員が構成面での甘さを指摘している。
 歌集に戻ろう。『はじまりは、恋』にも「ナイルパーチの鱗」と題した連作が収められている。しかし、この「ナイルパーチの鱗」は角川短歌賞応募時のものとはまったく別の作品と言えるほどに大きな変容をとげている。まず、角川短歌賞応募時の50首から歌を大きく削り、22首の短歌によって連作が構成されている。そのうえ、さきほどふれた「六頭の~」のように海外を詠んだと思われる歌の多くはこの削られた歌のなかに入っており、再構成された連作は日常の歌が中心を占めている。
 ここまで極端に内容が変わっていると、彼女が意図して海外詠と日常・恋愛の歌とをわけているであろうことが推察される。ゆえに、ほかの連作でも海外は海外といった具合に内容を細かくわけて歌集に収録したのだろう。
 こうして細かくわけられたことにより、恋愛に関する連作を見た後に今度は海外、そしてまた恋愛と、ぐるぐる入れ替わる作品を見ていくことになる。その内容のギャップは連作間で互いに効果を及ぼし合っているように思えた。日本で恋愛に悩む「私」がいる一方で、海外では苦しい生活を強いられている人たちがいる。そうした相対化により、今を生きている「私」の生活に新たなまなざしが徐々に介入されていく。これは複数の連作が並ぶ歌集単位でしかできないことだろう。その点において、知花くららは歌集の効果をうまくいかしていると言えそうだ。