詩人の安川奈緒(1983年-2012年)とは運よく二度も会えている。一度目は2008年11月「現代詩セミナーin神戸」の2次会、三宮のスペイン料理店「カルメン」で。あなたのファンです、と正直に告ってから対面に座り、二人とも懇親会で完全に出来上がっていたので、何を話したかは翌日にもう覚えていなかったが、とにかく詩論を僕にまくし立てていたように記憶している。ただはっきりと今でも覚えているのは、彼女が僕のグラスに赤ワインをピッチャーからドボドボ注ぎ続け、テーブルに溢れてテーブルが赤ワインのプールになり、それが床にこぼれてもやめてくれなかったことぐらいだ。とにかく明るく狂暴にはじけていた。なんだか知らないが常に何かに怒っていた。そしてそれらすべてが眩しかったのだ。
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二度目は二年後の2010年8月にやはり「カルメン」で。「カルメン」のオーナーである詩人の大橋愛由等が主宰する詩の合評会『メランジュ』に彼女はゲストで招かれていた。一回目の時とは一転して、自らの存在を消したかの如く一番隅の席でまるで影のようにひっそりと座っていた。最初彼女とは全く気がつかなかったぐらいだ。一度目と二度目の安川奈緒は筆者にはまるで別人に思えた。そしてその2年後の2012年6月に留学先のパリで客死する。29歳の若さで。
そしてその『メランジュ』での彼女の明晰なレクチャーが今でも筆者にとっては一つの指標になっている。
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確かに、言語の質は80年代以降のそれである。だが、現在の若い人たちによって書かれている詩の言語の接続方法は、異なっているように思う。(中略)たしかに何かが違っている。この違いを、80年代の幾人かの詩人は、嫌悪しているのだと思う。言語の質が同質でありながら、接続が異様であるそのことにおいて、嫌悪しているのだと思う。これがおそらく吉本隆明の評価、修辞的現在としての80年代と無としての2000年代、という評価の仕方ともかかわっている。
この時の安川のレジュメからそのまま抜いている。これはこの時期、吉本隆明(1924年-2012年)が『日本語のゆくえ』(2008年)で語った
〈若い詩人たちの詩をまとめて読んでみて、そういうことにはちよっと驚かされました。もう少し「脱出口」みたいなものがあるのかと思っていたけど、それがないことがわかりました。つまり、これから先自分はどういうふうに詩を書いていけるかという、そういう考えが出ているかというと、それはもう全然何もない。やっぱり「無」だなと思うしかないわけです。 いってみれば、「過去」もない、「未来」もない。では「現在」があるかというと、その現在も何といっていいか見当もつかない「無」なのです。(中略)
二十代、三十代の人がこれからも詩を書きつづけていって、それぞれ個々に自分なりの「脱出口」を探していくのだろうということはたやすく想定できるわけですけれど、では「無」ではないどこへ行くのかということについては、言うべき材料になるようなことは何も見当らない。まったく塗りつぶされたような「無」だ。何もない、というのが特徴であって、これはかなり重要な特徴だと思いました。〉
http://guan.jp/hibiguan/hibiguan_202.html
に対する反論だろう。この時、ゼロ年代現代詩が「無」かどうかというのは誰もがよく議論していたようだ。続けて安川のレジュメにはこう書かれている。
詩はいま、文脈を逸脱させたり、断片化させることによって書かれているのではなく、もともと完全に粉砕されてしまった、粉々にされてしまった者たちが(確かに粉砕王が通り過ぎて?)、もう一度輪郭を取り戻そうと、必死の形相で、言葉をつないでいるのではないか。おそらく順序が逆なのだ。
つまり、私たちは壊しているのではなく、元々壊れていたものを必死につなごうとしているのだ、とこう言いたいわけだ。「無」にしているのではなく、元々「無」だったのだ。順序が逆で、彼らゼロ年代の詩人たちは、その「無」から言葉をつないでいっているのだと。
これを聞いたときは相当な衝撃だった。全く考えてもみなかったからだ。ずっと彼らは破壊しているのだと思っていた、疑いもなく。こんな時代に生まれて、破壊しなければ我慢できないほどの衝動に支配されているのだろうと。それが元々破壊されていたとは。世代間ギャップは時に冷酷なほど埋め合わせることのできない深い溝になることがある。それを思い知らされた。考えてみれば彼女とは25歳の差がある。無理もない。
しかしこれは短歌にもあるな、と同時に思ったのだ。壊しているのと、元々壊れているのと。この論考ではこの安川奈緒が示唆したこの対比を短歌に当てはめてみようと思う。
短歌が世界を壊し始めたのはいつからか。それはおそらく加藤治郎(1959年-)の登場からだろうと筆者は思っている。1980年代、日本は完璧だった。景気はすこぶる良く、自分さえ望めば、自分さえしっかり社会とコンタクトをとっていれば自分の人生、何とでもなった。自分次第であり、少なくとも日本人にとってこの世界に何の問題もなかった。それが1990年からバブル崩壊が起こり、様々なところで罅が生じ、信じていた社会が崩れ始めたのだ。
むらさきの光をひらき仕様では象の頭を消すプログラム
磁気テープ額にこすりつけられて俺はなにかをしゃべりたくなる
1001二人のふ10る0010い恐怖をかた101100り0
いずれも1991年刊行の第二歌集『マイ・ロマンサー』から。これらは作者がコンピューター・エンジニアの仕事についていた時の歌だろう。
1首目、〈象の頭〉はおそらくモニター上の絵だと思われるが、〈仕様では〉で〈象の頭〉に対する工学的支配を匂わせ、プログラム一つで現実の〈象の頭〉を消せるかのごとき、すべてがコンピューターに支配されるんじゃないかという畏怖の念を誘発させている。
2首目、当時、磁気テープにプログラムやデータを保存していた。その磁気テープを額にこすりつけるということは、デジタルデータを額にこすりつけることになり、下句では自分自身がデジタルに支配されていくんじゃないかという恐怖感が芽生えている。
極めつけが3首目で、二進法のデジタルデータの中に人間の感情が封じ込められていく様、有機的につながっているはずの世界が、人の感情ですらもデジタルにブツブツに分断されていく様を記号短歌で見事に歌った。ニューウェイブ短歌のおそらく最高傑作だろう。ニューウェイブはこれ一首で片が付くと言っても過言ではない。
特に2首目3首目は今のSNS時代の到来をまるで予言したかのごとくだ。世界がデジタル文化に破壊され荒んでいく時代を見抜いていたかのごとく、加藤治郎は直感で最初に破壊してみせた。
そして中澤系(1970年-2009年)が登場する。
3番線快速電車が通過します理解できない人は下がって
生体解剖(ヴィヴィセクション)されるだれもが手の中に小さなメスをもつ雑踏で
ぼくたちはこわれてしまったぼくたちはこわれてしまったぼくたちはこわ
唯一の歌集『uta 0001.txt』(2004年)から。この歌集によると上記3首はいずれも1998年の作。困難になりゆく時代を短歌に精密に刻み込むことで、世紀の変わり目を誰よりも速く疾走していた中澤系。
1首目、有名な歌で、様々な解釈が可能だが、コンピューター・システムやバイオ・テクノロジー等が一般人の人知を超えた領域で高速に進化していく時代、〈理解できない人は下がって〉た方がいい、ついていくのは無理だから、危ないよ、という上からのアナウンスととる。伝わってくるのは、これからも今よりもっと高度に進化した科学技術で構築されるであろう社会システムに対して、我々が持つ疎外感であり畏怖の念だ。
2首目、壊れゆく世界をシャープに描ききった。雑踏は実際の雑踏でもあり今となってはネット空間の雑踏でもあるだろう。〈小さなメスをもつ〉集団としての粉砕王が通るさまをわかりやすく可視化している。この歌では〈小さなメス〉は様々な暴力の比喩だろうが、ネット空間に当てはめると比喩では済まされないから怖い。実際にメスを持っている人間を僕は知っている。本当に人の尊厳を切り刻む。そして実際に生体解剖する様を見ている。ネット空間とはそんなところだ。
3首目、まさに粉砕王が通り過ぎた直後の状況だろうか。最後言いさしで終わるところで息を飲んでしまう。怖くて電源は切ったけど本当は延々と続くんじゃないかという悪寒で。
中澤系はまさに粉砕王が通り過ぎる時代に粉砕王を目撃していたのだ。
1995年、阪神淡路大震災、地下鉄サリン事件、と粉砕王は通り過ぎていき、2001年9月、ニューヨーク同時多発テロが起こった。時代の雰囲気としての粉砕王だけではなく、現実の粉砕王が次々と通り過ぎていったのだ。
粉砕王が通り過ぎた後、その熱を冷ますように現れたのが斉藤斎藤(1972年-)だろうか。
自動販売機とばあさんのたばこ屋が自動販売機と自動販売機とばあさんに
雨の県道あるいてゆけばなんでしょうぶちまけられてこれはのり弁
2番ホームの屋根の終わりに落ちている漫画ゴラクにふりそそぐ雨
第一歌集『渡辺のわたし』(2004年)から。
一応壊れるところ俺も見てたけどね、どうしようもないでしょ今さら、もう壊れてしまったんだから、という感じか。時代に対する冷笑の中に知的な諦念を沁み込ませる。それを知性の欠片も見せずに。この知性をまるで見せずに知性を感じさせるところが斉藤斎藤の真骨頂だろうか。あからさまな知性なんてこんな時代にダサいよと言わんばかりだ。
1首目、もう今ではありふれてしまった都市風景だ。どころかもう今では〈ばあさん〉すらたばこ屋にはいない。自動販売機だけがあったりする。殺伐とした消費社会の叙景を個人の感情を一切捨象してバッサリと切り取る。
2首目、議論し尽されているだろうが、雨にぶちまけられた〈のり弁〉に再生不能であることに対する徒労のような絶望感を感じる。それは個人的な思い出のことなのか、大量消費文明に対してなのか、それは読者に委ねられる。ぶちまけられた〈のり弁〉が個人的なことに対する比喩なのか、大量消費文明の象徴なのか、で読み方が変わる。多義性をたっぷりと持たせている。だがどちらにしろ破壊のあとの圧倒的に荒んだ情景だ。
3首目、まず〈漫画ゴラク〉が何なのかわからないとこの歌は何の意味も持たない。筆者が20代の時、喫茶店でよく青年漫画誌を読んでいたが、〈漫画ゴラク〉を一度だけ手にしたことがある。それは全ページ、エログロにまみれた、というよりエログロ暴力しかないこの世で最も下劣な漫画雑誌だった。パラパラと捲っただけでもちろん読んでいない。読むところが見事にないからだ。すぐに棚に戻した。こんな漫画雑誌がこの世にあるんだという絶望感しかなかった。そんな雑誌が駅のホームで雨にびしょびしょに濡れているのだ。そこにまた雨が降りそそいでいる。伝わってくるのは文化に対する絶望感だろうか。
2首目がモノに対する絶望感なら3首目は文化に対してだろうか。いずれも粉砕王が通り過ぎてしまったあとの叙景歌とも読める。そしてやるせないほどの冷ややかな諦念を感じる。
80年代と違い、自分がどんなにしっかりしていても社会の方でもう壊れていてはどうしようもない。自分ではもうどうしようもないだろうという怒りを通り越した絶望感だろうか。
方法論こそ違うが、安川奈緒の言うように、粉々にされてしまった者たちが、もう一度輪郭を取り戻そうと、必死の形相で、言葉をつないでいる、にこれも他ならない。しかも短歌ならではの言葉の再生だろう。短歌で、〈無〉から言葉を立ち上げてくるという、言葉の再生を最初に行ったのが斉藤斎藤ではなかったか。ゼロ年代現代詩の様に言葉の接続方法を特に凝ることもなく、破壊された後から言葉を素直に立ち上げてきている。この素直さこそが現代詩にはない短歌の真骨頂だということを、そしてそれこそ短歌の優位性だということを斉藤斎藤は誰よりも証明してみせたのかもしれない。
そして斉藤斎藤はきっと、粉砕王が通り過ぎたあとの阿鼻叫喚を冷やし、リセットしたかったのだろう。そのリセット後に現れたのが永井裕だった。続きは次回で。
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