このたび左右社からまっピンクの装幀で出た山田航さんの『桜前線開架宣言』は、帯にある「穂村弘以降」の若手歌人のアンソロジーとしていちはやく編まれたものである。山田さんは1983年生まれの札幌在住の歌人で、北海道新聞に連載している札幌の隠れた名所探訪のシリーズをみても、その文章のうまさ、ストーリーテラーとしての高い能力は衆人の一致するところだ。そして、要するに山田さんは何でもおできになる方で、ぼくの編集している詩の雑誌「妃」16号にいただいた「連詩 すすきの」(一般的な意味での「連詩」ではないと感じたが)も、その完成度の高さに舌を巻いたものだ。その彼が、左右社から鳴り物入りで派手なピンク色の装幀のアンソロジーを出したということだから、大きく期待して読んでみた。
穂村弘は1962年生まれの、短歌集団「かばん」所属の歌人であって、このアンソロジーは1970年生まれ以降の歌人にしぼられており、ちょうど1970年生まれの大松達知から書き起こしている。だからその間にある評者の同世代、すなわち佐藤弓生、千葉聡、中沢直人、飯田有子というような六十年代生まれの「かばん」の中堅歌人を全部ネグレクトして若手歌人の群像を提示している点で、微妙に穂村に近すぎる層を「穂村弘以降」から除外するという巧妙な操作が行われていることは、まず指摘しておきたい。穂村弘は加藤治郎、荻原裕幸とともに「ニューウェーブ歌人」としてまずは出発したものであり、それに続くこれらの層は「ポストニューウェーブ」として脚光を浴びそうになってはひっくり返されるというような運命を辿ってきており、外野としては判官びいきとまではいかないが、彼らのこともちょっと心配になる。
本書の構成は、きっちり二ページ分の著者による歌人レビューが書かれたあと、きっちり四ページ分の56首のアンソロジーが続き(行わけ短歌の今橋愛だけは六ページ分)、この構成で1970年代生まれの19人、1980年代生まれの19人、そして1990年代生まれの井上法子と小原奈実までの合計40人をカバーしている点で、目配りがよくいきとどいた、きわめて念のいった仕事である。あまりにも著者の評言や歌の引用が的確で峻烈なためなのか、それに続くアンソロジーの頁では、それをわれに還って落ち着いて読む心のゆとりが読者の手にほとんど残されていないのがちょっと気にかかる(まずアンソロジー、そしてレビューの順番のほうがはるかによかった)が、たとえば「松村正直(…)の本質は間違いなくパンク・スピリットだ」「風や影をはじめとした自然物が体内を透過してゆくというイメージが短歌に頻出するのも、「思うように動けない」ことへのコンプレックスが反映しているように思える。全ては過ぎ去ってゆき、私もいつでもここに置き去りのまま。読者には喜びのように感じられる風の吹き抜けるような感覚が、横山[未来子]にとっては孤独感でしかない」「石川美南は短歌にマジック・リアリズムの表現を導入しようとしている。そこが新鮮なポイントだ」「抽象的思考をビジュアライズして硬質な文体で詠もうとする小原は、坂井修一につながる「へヴィヴァース」の旗手となれる可能性を秘めている」などの発言は、短歌批評の一つのスタンダードとして長く歴史にのこるだろう。
その中で、特に著者が「同い年の歌人なので、どうしても意識してしまう」と書くのは堂園昌彦である。「堂園昌彦の魅力の一つとして、連作に付ける小題(サブタイトル)のセンスが抜群にいいことが挙げられる。「いまほんとうに都市のうつくしさ」「それではさようなら明烏」「彼女の記憶の中での最良のポップソング」「すべての信号を花束と間違える」「音楽には絶賛しかない」。こうしたところからも、堂園が「音楽的な短歌」を志向していること、自らの短歌が「最良のポップソング」であるようつとめていることが感じられる」。これは著者が穂村弘ばりにけれん味に満ちた「まえがき」で、「ぼくが一番好きな芸術の形式は昔も今もずっと音楽だ」「ぼくは本が嫌いなのではなくて、「物語」があるものが嫌いなだけなんだと気付いた」と言っていることにも通じる。評者などは六十年代吉増剛造の「世界が曲っているから音楽だ!」という「断言肯定命題」を思い出してしまうが、おそらくこれは著者の短歌観を他者に投影したもっとも重要な部分なのだと思う。けれども、たとえば堂園の、
追憶が空気に触れる食卓の秋刀魚の光の向こうで会おう
というような一首のしずかな「光」は、「音楽」としてよりも「物語」としてこそ評者の心には沁みる。いまさら、ポストモダンの『物語』批判でもあるまい。むしろ、今もっとも不足している、詩における音楽に物語を取り戻そうとすることにこそ、この一冊のアンソロジーにおけるストーリーテラー山田さんの真骨頂はあったのだという気もしたが、いかがか。
穂村弘は1962年生まれの、短歌集団「かばん」所属の歌人であって、このアンソロジーは1970年生まれ以降の歌人にしぼられており、ちょうど1970年生まれの大松達知から書き起こしている。だからその間にある評者の同世代、すなわち佐藤弓生、千葉聡、中沢直人、飯田有子というような六十年代生まれの「かばん」の中堅歌人を全部ネグレクトして若手歌人の群像を提示している点で、微妙に穂村に近すぎる層を「穂村弘以降」から除外するという巧妙な操作が行われていることは、まず指摘しておきたい。穂村弘は加藤治郎、荻原裕幸とともに「ニューウェーブ歌人」としてまずは出発したものであり、それに続くこれらの層は「ポストニューウェーブ」として脚光を浴びそうになってはひっくり返されるというような運命を辿ってきており、外野としては判官びいきとまではいかないが、彼らのこともちょっと心配になる。
本書の構成は、きっちり二ページ分の著者による歌人レビューが書かれたあと、きっちり四ページ分の56首のアンソロジーが続き(行わけ短歌の今橋愛だけは六ページ分)、この構成で1970年代生まれの19人、1980年代生まれの19人、そして1990年代生まれの井上法子と小原奈実までの合計40人をカバーしている点で、目配りがよくいきとどいた、きわめて念のいった仕事である。あまりにも著者の評言や歌の引用が的確で峻烈なためなのか、それに続くアンソロジーの頁では、それをわれに還って落ち着いて読む心のゆとりが読者の手にほとんど残されていないのがちょっと気にかかる(まずアンソロジー、そしてレビューの順番のほうがはるかによかった)が、たとえば「松村正直(…)の本質は間違いなくパンク・スピリットだ」「風や影をはじめとした自然物が体内を透過してゆくというイメージが短歌に頻出するのも、「思うように動けない」ことへのコンプレックスが反映しているように思える。全ては過ぎ去ってゆき、私もいつでもここに置き去りのまま。読者には喜びのように感じられる風の吹き抜けるような感覚が、横山[未来子]にとっては孤独感でしかない」「石川美南は短歌にマジック・リアリズムの表現を導入しようとしている。そこが新鮮なポイントだ」「抽象的思考をビジュアライズして硬質な文体で詠もうとする小原は、坂井修一につながる「へヴィヴァース」の旗手となれる可能性を秘めている」などの発言は、短歌批評の一つのスタンダードとして長く歴史にのこるだろう。
その中で、特に著者が「同い年の歌人なので、どうしても意識してしまう」と書くのは堂園昌彦である。「堂園昌彦の魅力の一つとして、連作に付ける小題(サブタイトル)のセンスが抜群にいいことが挙げられる。「いまほんとうに都市のうつくしさ」「それではさようなら明烏」「彼女の記憶の中での最良のポップソング」「すべての信号を花束と間違える」「音楽には絶賛しかない」。こうしたところからも、堂園が「音楽的な短歌」を志向していること、自らの短歌が「最良のポップソング」であるようつとめていることが感じられる」。これは著者が穂村弘ばりにけれん味に満ちた「まえがき」で、「ぼくが一番好きな芸術の形式は昔も今もずっと音楽だ」「ぼくは本が嫌いなのではなくて、「物語」があるものが嫌いなだけなんだと気付いた」と言っていることにも通じる。評者などは六十年代吉増剛造の「世界が曲っているから音楽だ!」という「断言肯定命題」を思い出してしまうが、おそらくこれは著者の短歌観を他者に投影したもっとも重要な部分なのだと思う。けれども、たとえば堂園の、
追憶が空気に触れる食卓の秋刀魚の光の向こうで会おう
というような一首のしずかな「光」は、「音楽」としてよりも「物語」としてこそ評者の心には沁みる。いまさら、ポストモダンの『物語』批判でもあるまい。むしろ、今もっとも不足している、詩における音楽に物語を取り戻そうとすることにこそ、この一冊のアンソロジーにおけるストーリーテラー山田さんの真骨頂はあったのだという気もしたが、いかがか。