「詩客」短歌時評

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短歌時評196回 「ただごと歌」の陰影──今井聡の『ただごと歌百十首──奥村晃作のうた』について 竹内 亮

2024-02-05 15:28:47 | 短歌時評

 出たばかりの今井聡『ただごと歌百十首──奥村晃作のうた』を読んだ。一首評を集めたものだが、評のなかで歌の背景の奥村の伝記的なエピソードが今井が奥村本人に聞いたものも含めて書かれている。

 新卒で三井物産に入社したのに1年で辞めて、教員になろうと大学に再度入ったというのは聞いたことがあったが、会社を1963年7月に退職して、すぐ後の10月に慶子夫人と結婚したというのを今井の本で知った。それから、奥村家の犬はプッキーというということ、それは長男剛氏がこいぬ座のアルファ星、プロキオンから名付けたということも。

 奥村の歌は、「ただごと歌」といわれている。奥村は「ただごと歌」を最も微弱な気づき、発見、認識というが、今井のこの本によって奥村の歌の背景の意味が増幅され、奥行きが生じる。「ただごと歌」が微弱なものとしてつくられるとして、読む段階では、歌人についての知識や文脈がわかっていた方がよく理解できるし、おもしろさが増す。その意味で今井の本は奥村の歌を読む上で重要なものだと思う。

 今井は「ただごと歌」自体の分析にも取り組んでいる。「述べる文体」「述べたおす文体」という指摘がある。そして、奥村自身のいう「物に即して」「叙述をする」ものであるが「瞬時を写し取る」写生の歌とは異なるということについても検討している。

 そして、これらの評を通じて、今井が奥村が好きなことが伝わってくる。そのことは奥村の歌の世界にもうひとつ温かな陰影を付け加えている。奥村のアンソロジーとしても読める。

ラッシュアワー終りし駅のホームにてなる丸薬踏まれずにある  『三齢幼虫』

然ういへば今年はぶだう食はなんだくだものを食ふひまはなかった『鴇色の足』

結局は傘は傘にて傘以上の傘はいまだに発明されず       『父さんのうた』

どこまでが空かと思い 結局は 地上スレスレまで空である   『キケンの水位』

花びらの数ほど人を集めるか上野の花は、七、八分咲き     『スキーは板に乗ってるだけで』

大きな雲大きな雲と言うけれど曇天を大きな雲と言わぬ     『八十一の春』

蟻と蚊はずっと居たけどコロナゆえに大気が澄みて蜘蛛が戻り来 『蜘蛛の歌』

(2024年2月、立花書院。2000円(税別))


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