「詩客」短歌時評

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短歌時評198回 『つぶやく現代の短歌史1985-2021-「口語化」する短歌の言葉と心を読みとく』を読む 小﨑 ひろ子

2024-04-01 15:32:45 | 短歌時評

 昨年発行された評論集『つぶやく現代の短歌史1985‐2021-「口語化」する短歌の言葉と心を読みとく』(大野道夫)には、和歌史から「現代短歌」(篠弘、菱川善夫の命名により、「」付の現代短歌とは前衛短歌が大きく影響を持った時代であると著者は規定する)の歴史を踏まえたうえでのこの37年間の現代の短歌の状況が実に盛り沢山に描かれている。一夜漬けの現代短歌史にもうってつけで、網羅的に紹介されているかのように見える歌群から漏れた者たちのうめき声が聞こえてきそうだが、「飛び石リフレイン」「名詞化」「棒立ちの歌」「ゆるふわ接続」と、現代短歌の特徴もわかりやすくまとめられていて、ああそういえばそうなのか、と改めて思わされたりする、目からうろこの現代短歌史となっている。普通に短歌をつくっていると、どうしてもその「場」あるいは「座」の巡りで満足しがちになってくるので、こういう本はとてもありがたいと思う。ただ、作品の紹介文については、薮内亮輔の「春のあめ底にとどかず田に降るを田螺はちさく闇を巻きをり」が、斎藤茂吉の「田螺と彗星」の存在を無視した数行で済まされるなど、読者の次の読みを必要とするような形なので、注意が必要である。紹介文もまた、背後にうめき声を多数隠すつくりになっているということなのだ。変な例えだが、英語とかなら「でる単」を読むだけではなく辞書を読まなくてはいけないし、辞書を読むだけではなくて自分が使い考えなくてはならない。まえがきに「この本はどこから読んでもかまわないのだが、もしあなたが今この分を立ち読みしているのなら、どうぞ巻末の索引にある短歌作品たちを見て欲しい。そして何か心に触れる歌があったら、掲載ページの少し後にあるその歌への読みも読んでほしい。そして作品やその読みが少しでも心に入る歌があったら、(レジでお金を払って)どうぞ家へ持って帰ってじっくり読んでほしい、と思うのである。」と述べる。読者対象を広くひろくとらえていて親切だが、〈(遺言的)あとがき〉(遺言的、とある背景は、まえがきの「上梓のいきさつと基本的特徴」に、過労と加齢、入院、資料が破棄された等の事情が詳しく書かれている)には、「どうしても私の短歌観(感、勘?)が反映しているとは思われ、たとえば私は近代短歌では斎藤茂吉、佐佐木信綱よりも北原白秋が好きなのである。」とあって、膨大な比率を占めていたと思われるアララギ好きに対する挑発の意図もあるのかもしれない。〈(遺言的)あとがき〉とこの書のさいごは、岡井隆の短歌への思いをうたった歌、「走れ、わが歌のつばさよ宵闇にひとしきりなる水勢きこゆ」で締めくくられるが、「今後の短歌史へ向けて―拾遺による本書の脱構築」という項目により、読者に対しても次のように呼びかける。「短歌、評論等、本書に掲載されるべきと思った歌を送ってほしい、同時期の評論を送ってほしい、修正すべき点があれば教えてほしい、その他ご意見感想を送っていただきたい」と述べる。(蛇足だが、筆者は岡井隆の東京の超結社の歌会で著者と同席させていただき、学会誌の抜き刷りを配布によりいただいたことがあると記憶しており、ご本人にお送りするには至らないような感想を、この場で今、書かせていただいているというわけなのだ。ただしこの本の存在を知ったのは、著者である大野氏が参加する結社「心の花」の会員のある集会での発言による。結社や実集団の情報力は、実はまだまだとても大きいものなのだと思う。)

 さて、この本の中に、「社会調査で検証する現代の短歌と歌人」という章立てがある。2011年の調査だから13年前の調査になるが、1600人の歌人(短歌研究の「短歌年鑑」2011の歌人名簿と、角川「短歌年鑑2011」から無作為に抽出したものに大学短歌会等若い層72人を加えたという)にアンケートを送り、667人から得た回答を細やかに分析している。30頁ほどの分量だが数字の奥が深く、項目をざっと眺めただけでも「四割が口語を使用、女性、若い世代ほど多い」「新かな、直喩は四割弱」「自己(私)をうたうが8.5割弱」「同時代の影響6.5割、絵画への関心6.5割」「読者は自分自身5.5割と身近な仲間5割強」「結社は8割、ネットは2割強が利用」と、これも漏れたところのうめき声が聞こえてきそうな網羅的な社会調査となっていて、今ではもっと変化してきているだろうなと想像をめぐらすのが楽しい。

 そこで目を引かれるのが年齢層。70代29.2%、80代23.4%、10代0.4%、20代2.8%。13年後の今、短歌が若者に広がりつつある中で名簿に載る若い歌人も増えているとはいえ、やはり高齢化は進んでいる。本の中でも、「高齢化社会の到来」という項目で、日本は1994年には65歳以上の人口比率が14~21%未満である「高齢社会」になり、2007年には、21%を超える「超高齢社会」となっていると説明する。だが、短歌年齢の平均が高齢である所以は、社会の高齢化とはまた別の事情も抱えている。短歌制作に定年はないから、13年前のこの時点でアンケートに回答し得た年代がそのまま上の年齢層にスライドするのと同時に、だんだんベテランとなって新たに名簿に載る歌人も増えてきていることだろう。その中には、余暇を利用して短歌の組織の幹部を務め、歌歴を重ね何冊もの歌集を出す余裕ができるあたりの年齢層が増えてくるとすると、年齢構成はそのまま上にスライドするばかりとはとても思えず、生産年齢の上のほうあたりからまた補充されているのではないかと思ったりする。30代から60代の年齢層が少ないのは、その世代がまさに社会の中での生産活動のただなかにあり、歌を詠む余裕も必要もなかった、また歌集出版のために私費を拠出する余裕もなかった事情があるであろうことを見えてくる。

 作者の属性は、その作者が制度サイドにあるかどうかにかかわらず(しまった韻を踏んでしまった。この韻律のたのしさ、どういうわけか思考停止と現状追認、場合によっては無条件な同調を無意識的に招くから要注意である。何と非生産的なことだろう!と自戒しつつ。そもそも制度や制度的な何か-強制される価値観や慣習等-が存在する社会に生きている限り、それは制度を目の当たりにしているかどうかの違いだけで制度サイドも何もないというのが本当。その波及効果、社会的影響は別として、制度を描いたからと言って肯定していると思ったら大間違い! なのだ)、存在する。高齢者が多ければ病や介護や孫や回想の歌が多いのだろうなとか、若い人が多いから生きづらさや青春のみずみずしい痛みの感性による歌が秀逸とされそうとか、先入観満載にいろいろなことを考えさせられる。

 さて、その多数を占める年齢層の歌人たちの背後には、たくさんの数えきれない歌人や短歌愛好者が存在する。かれらリタイア世代の短歌の愛好者には、若い時分から短歌に近付き志を持った専門家人や、何らかの動機で短歌に限らず創作活動に向かったような、いわば文学的無頼のような文学愛好者とか短歌愛好者ともまた違う、それぞれの人生の貴重な経歴を基盤とする作歌活動をする人たちも多い。

 例えば、先日『チェルノブイリの祈り―未来の物語』という、最近では『戦争は女の顔をしていない』でも注目されたノーベル賞作家スヴェトラーナ・アレクシエーヴィチの本を読んでいたら、そのあとがきに訳者が次のような歌を引いていて驚いたのだった。いくつもの版が出されているこの書の完全版の訳者あとがき。その末尾は、

わがことと読む日の来るとは思はざりき友の訳せし『チェルノブイリの祈り』(野畑正枝第一歌集『たましいのカプセル』より)

 という短歌の引用で締めくくられていた。歌の作者は、訳者である松本妙子氏の語学を通した友人であるらしい。気になってウェブで検索したら、一件だけヒットし、さいかち真氏の地元の短歌の会「二俣川短歌」に参加していた方で、ブログの紹介(2016年)によれば、「数年のうちにめきめきと実力をつけ、いい歌を作られるようになったが、急に病を得て、その病気の進行が早かったために急逝された。本人も短歌を生き甲斐としておられたようで、近々近親の方がその作品集をまとめることを聞いている」ということであった。早速さいかち氏に問い合わせたところ(短歌人口の裾野は広いのに、ここでまた岡井門下生に出会うのだから実はずいぶんと狭い世界なのかもしれないと思ったことである)、会はさいかち氏が高校で実施した短歌教室をもとに集まった地元の小さな会で、歌集は近親者にのみ配布していたということだった。「問い合わせてから結構日にちがたって、歌集の個人情報にあたる部分を削除したもの(編集後記の文章のページがていねいに切りとられて)と短歌冊子「二俣川短歌」が送られてきた。真っ白なうつくしい歌集には、仕事や家族や思い出の歌が、ご家族による文章や写真とともに収められている。歌集のタイトルは、「新しき命とならむたましいのカプセル飛ばそ光の風に」の一首からとられたものであった。このように、各地に点在するであろう自発的な会もまた、目立たないところで、リタイア世代を中心とするであろうと思われる分厚い短歌愛好者の基盤を支えているのである。当たり前のことだが、「若者」「ロスジェネ」などとひとくくりに語るのが難しいのと同様、数字の後ろに存在する様々なことを「リタイア世代」「高齢者」とひとくくりに語ることは控えなくてはいけないのだし控えてもらいたいものだなと思う。

                                                                               

(2024年3月30日桜の咲き始めた頃に)


※引用・参考

『つぶやく現代の短歌史1985-2021-「口語化」する短歌の言葉と心を読みとく』大野道夫、2023((株)はる書房)

『完全版 チェルノブイリの祈り―未来の物語』スヴェトラーナ・アレクシエーヴィチ著、松本妙子訳 2021(岩波書店) 

『たましいのカプセルー野畑正枝第一歌集』野畑正枝 2016(私家版・図書印刷株式会社)