「詩客」短歌時評

隔週で「詩客」短歌時評を掲載します。

短歌評 わが短歌事始め 塚本邦雄『裝飾樂句』 酒卷 英一郞 

2018-05-21 22:48:55 | 短歌時評
 「なにもかも小林秀雄に教わった」との木田元の口吻に倣へば、わが短歌事始めは、なにもかも塚本邦雄に敎はつた。旣に何度か書き記したことではあるが、短歌も含めた短詩型事始めこそ一九六九(昭和四十四年)刋の學藝書林版『言語空間の探険』に遡る。其書には塚本邦雄歌集「裝飾樂句(カデンツァ)」抄が(原本全九章・二百七十首より四章百二十首を抄錄)。また前衞短歌のよき好敵手、岡井隆の「土地よ痛みを負え」九十二首抄が收められてゐる。
 『裝飾樂句』は一九五六(昭和三十一年)、塚本邦雄三十六歳時刋行の第二歌集。逆算すれば一九二〇(大正九年)生れと判明するが、實は一九二二(大正十一年)生れとの説は當時の「短歌研究」編集者中井英夫の獨創。とすれば刋行時三十四歳。集中の何首かと符合する。

 イエスは三十四にて果てにき乾葡萄嚙みつつ苦くおもふその年齒(とし)

 賣るべきイエスわれにあらねば狐色の毛布にふかく沒して眠る

 キリストの齡(とし)死なずしてあかときを水飲むと此のあはき樂慾(げうよく)


 つまり舊約聖書の假構を換骨奪胎することで、おのれの眞を再假構するといふ詩法の重層がみられる。昭和三十年代初頭といへば、俳句では社會性俳句なるものの駘蕩期であるが、短歌の世界の動向はいかなるものがあつたのだらうか。その一端が『裝飾樂句』の跋に窺へる。

 『水葬物語』的な世界から出來る限り遠ざからうと試みたこれ等の作品にも、僕が劇しく希求してゐた〈réalité〉は、やはり執拗な美意識にへだてられて、その翳を背後にくつきりとは投じてゐない。

 この〈réalité〉こそ塚本における社會性短歌と同義なのではあるまいか。
 
 われに昏き五月始まる血を賣りて來し靑年に笑みかけられて
 
 われの戰後の伴侶の一つ陰險に内部にしづくする洋傘(かうもり)も

 暗渠の渦に花揉まれをり識らざればつねに冷えびえと鮮(あたら)しモスクワ

 晩夏の屋根にタール塗りしが家ぬちの猜疑かたみに深からしむる

 赤き旗の背後のなにを信じゐる靑年か瞳(め)に荒野うつして

 忠魂碑建ちてにはかにさむざむと西日の中の辛子色の町

 サーカスのかかりしあとに冬草が濃く萌えぬ今年いくさ無かりき

 原爆忌昏れて空地に干されゐし洋傘(かうもり)が風にころがりまはる

 ガラス工場ガラスの屑を踏み平(なら)し道とす いくさ海彼に熄(や)む日

 われらすでに平和を言はず眞空管斷(き)れしが暑き下水にうかび

 爆擊の日もぬるき水吐きゐたる水道に死がしたたり始む

 いくさなくば飢うるものらに休日の夕迫りつつブリキ色の海

 かつて棄てられたる軍靴、春雨の運河の底をうごきつつあり

 市民らは休戰喇叭以後晴れてにくめり弱き骨牌(かるた)の王を


 あの美の使徒、塚本邦雄と云へども同時代人として避けられない戰後社會風俗への反證を、多くの社會性短歌なるものがやがてスローガンの復唱に搔き消されて行つたのに反し、物語に託された卓絕な暗喩がやがて讀み手の身内(みぬち)に微量にして永續の毒として注入されていく。
 實は跋文にはさらなる符合、暗合ともいふべき一語が祕されてゐた。

 今日、短歌はうたがひもなく「咒はれた詩」であり、まことに不幸な選ばれた者達の苦しんでたづさはるべき、ひそかな無償の營爲ではあるまいか。その營爲の限界を識りつつなほ、僕もまた最初の日から、自らの空しい内部について或ひは昧い自我を通じて、昂然と「敗北の詩」を創りとほして來た。

 その一語とは勿論「敗北の詩」。――高柳重信の戰後まもなく昭和二十二年の「太陽系」に發表された若干二十五歳の評論題名、句的刻印である。虛無と敗北の萌芽をしつかりとその背に印し、俳句形式を選び取ることの自覺を脚下に印す。振り返れば、塚本邦雄と高柳重信はともに處女歌集と處女句集とを、今となつては宿命的邂逅とも呼ぶべき乳兄弟として合せ鏡のやうに分かち持つ存在であつた。先の中井英夫の仕掛けた塚本の年齢詐術を用ひれば、ふたりは同じ大正十一年生れといふことになる。
 一九五一(昭和二十六年)、高柳重信の實弟の經營する、その名も「火曜印刷」から『水葬物語』は版行された。しかも本の體裁は和紙カバー裝を捲れば濃紺の表紙、そして附箋題。本體は袋綴ぢの和綴本。前年に同所から刋行された高柳重信の『蕗子』と同じ仕樣である。生憎といま手元には『蕗子』一書しかなく(なぜなら、塚本邦雄を知つたその時點で旣にして兩書は正しく幻の雙書であつたのだから)、これのみでも充分に塚本書の風韻を窺ふことができる。代表句「船燒き捨てし/船長は//泳ぐかな」の墨書入り。初版を手にしてみるまでは判らなかつたこともあり、正字體、歷史的假名遣ひで統一したであらう一本の、また諸本テクストの多くがさうであるところの、冒頭句としてあまりに有名な「身をそらす虹の/絕巓/(四字下がり)處刑臺」一句の「臺」は、新字體の「台」表記となつてゐる。
 塚本はどこかで俳句形式を、短歌形式に對する「義理のメシア」と名付けていたやうに記憶するが、一方、高柳重信の高弟、大岡頌司の一文に「(前略)どうやら、歌の方と俳諧とでは、その喩的花嫁ぶりや連綿の情態に若干の相違があり、垣根越しの噺も通じないものがあることを知った。」(『現代俳句全集』第五卷「大岡頌司集」自作ノート/一九七八年立風書房)との含みある表現もある。


他の愛誦歌を。

 愕然と干潟照りをり目つむりてまづしき惡をたくらみゐしが

 水に卵うむ蜉蝣(かげろふ)よわれにまだ惡なさむための半生がある
 
 死が内部にそだちつつありおもおもと朱欒(うちむらさき)のかがやく晚果

 漕刑囚(ガレリアン)のはるけき裔か花持てるときもその肩もりあがらせて

 屋上苑より罌粟の果(み)投げてゐるわれとわが生くる地の昏き斷絕

 まづしくて薔薇に貝殻蟲がわき時經てほろび去るまでを見き

 黴びて重きディスクの希臘民謠(ギリシアみんえう)の和音を愛しつつ零落す

 ジャン・コクトーに肖たる自轉車乘りが負けある冬の日の競輪終る

 北を指す流木にして解(と)かれたる十字架のごとふかき創もつ

 娶りちかき漁夫のこころに暗礁をふかく祕めたる錆色の沖

 硝子工くちびる荒れて吹く壜に音樂のごとこもれる氣泡

 羽蟻逐はれて夜の天窓にひしめけり生きゐれば果てに逅ふ鏖(みなごろし)

 「キージェ中尉」の樂ながれ來て寒天は慾望のごと固まりゆきつ

 腐敗ちかきレモンに煮湯そそぎつつ親しもよ輕騎兵ジュリアン

 道化師と道化師の妻 鐵漿色(かねいろ)の向日葵の果(み)をへだてて眠る

 熱鬧(ねつたう)にひるがへる掌(て)よ夜にひるにかがやけるもの喪ひゆけり

 狷介にして三人の美しき子女有(も)てり 風のなかの翌檜(あすなろ)

 血紅(けつこう)の魚卵に鹽のきらめける眞夜にして胸に消ゆる裝飾樂句(カデンツア)

 イエスに肖たる郵便夫來て鮮紅の鞄の口を暗くひらけり

 アヴェ・マリアの忘れゐし節(ふし)おもひ出づ死魚浮かびたる午(ひる)の干潟に

 湖水あふるるごとき音して隣室の靑年が春夜髪あらひゐる


 集中、次の一首

 三十歳 アレクサンドリア種葡萄黑き一つぶ喰みてあと棄つ

 は、およそ十年後、岡井隆『眼底紀行』中の

 掌(て)のなかへ降(ふ)る精液の迅きかなアレキサンドリア種の曙に

 の絕唱が呼應し、

 また、高柳重信の

 船燒き捨てし
 船長は

 泳ぐかな


 の後日譚として、次の一首がある。

 船長のただよふ一生(ひとよ)果つる日を陸に淡淡し豚の鹽漬

 また、これは「桃源の鬼 西東三鬼句集をめぐって」(塚本邦雄評論集『夕暮の諧調』所收、昭和四十六年人文書院)で

 高度千メートルの空より來て卵食ひをり鋼色(はがねいろ)の飛行士

 が、西東三鬼の

 冬天を降(お)り來て鐵の椅子にあり  『旗』

 紅き林檎高度千米の天に嚙む    〃

 からの類想であることを告白してゐるが、次の三首もさもあらむ。

 つつしみて生きむ或る日を來し少女昏き地に蛇描きて去れり

 少年發熱して去りしかば初夏(はつなつ)の地に昏れてゆく砂繪の麒麟

 夏曉の子供よ土に馬を描き 
  『旗』

 そして、少女の描く昏き地の蛇には久生十蘭の短編よりの恩寵も。また、

 晩夏うちら暗きサーカス 白馬は少年のごと汚れやすくて

 白馬を少女瀆れて下りにけむ
  『旗』

 しかし、集中でなぜか一番心惹かれたのは次の一首であつた。

 榮ゆることなく晩年は到らむにこのシグナルの濁る橙黃(たうくわう

 二十歳に成るかならぬかのわが身には、晩年とは遙か遠く臨むべくもない時閒の集積の彼方である。宿命論的に晩年を確定したかつたのか、あるいはある種の不安から生ずる膨大な觀念に打ち拉がれて、むしろ不幸の約束手形こそがその時の自身に必定であつたのか。高柳重信は先述の「敗北の詩」において、「俳句形式の発生そのものに、この敗北主義をひしひしと感じる」とし、さらに「(前略)そこに虚無的な何ものかが生まれて来るのではなかろうか。それは、年齢にかかわりなく訪れる晩年の意識の芽生えと、どこかで繋がっている」との決定的指摘をしてゐる。一歩進めて、たとへば大岡頌司は序數第三句集(多行俳句形式による句集としては第二句集)『花見干潟』の跋にて、高柳重信における大宮伯爵ならぬ浦島太郞を「歳月のなかに攪散してしまつたおのれを、浦島とよんで、私を招喚」させ、かう告げる「必要を走る老人。想ひ出を活かすためには、人はまず齢をとらねばならぬかも知れぬ。私は老年をなつかしく想ふのである……」。ここに至つてはや老年時閒の懷舊が先取される。倒逆的時閒奪取の詩法が認められる。もとより若きがゆゑの不在立證ではある。高柳重信創刋の「俳句評論」系にみられる獨自の倒立した時閒觀念。死より演算する差し引きの詩法……。
 
 さても無手勝にやをら押取り刀で押しだしてはみものの、石川淳ではないが、ペン先が考へ、頭で書くとは斯くも己が身を削り出すものなのか。行く立ては、とんだ藪に迷ひ込んだ始末。この先如何なることやら。ひと先づペン先、否、子鼠(マウス)を收めたい。

【短歌連作評】 大辻隆弘「偸盗」を楽しむ  高塚謙太郎

2018-05-03 12:56:38 | 短歌相互評

大辻隆弘「偸盗」http://shiika.sakura.ne.jp/works/tanka/2018-04-07-19153.html
評者 髙塚謙太郎

 歌はつまるところ、韻律というバグと私という物語が生み出す抒情のことではないでしょうか。いわば調べと歌言葉が縒った一条が歌です。短歌では韻律は主に音節のことですが、もちろん母音子音の配置も一役買っています。大辻隆弘さんの連作「偸盗」十首でそのことを簡単に確認してみましょう。


砂利のうへの竹あかるくて三月のビルの屋上庭園しづか

 初句、濁音そしてほとんど気づかない程度の字余りで軽くつんのめります。〈ジャ〉という口中の幼児的な心地よさが自然と「うへの」への流れに乗っかる感じもします。二句のア段の連打とタ行カ行の緊張、三四句にある3つの濁音、この移りゆきがこの歌の韻律です。結句のおあつらえ向きのおさめ方が逆に歌全体にざわめきをもたらしているような気もします。「の」によるそれぞれの句の接着面にも光が届き歌を貫いています。韻律の遊びに対し、「砂利」「竹」「庭園」といった語の選択は少し大人びすぎているかもしれません。


わが眸(まみ)のくぼむところに手の甲を押しあててをり午後のはじめは

 「わが眸の」という初句の大上段の切り込み方に、ある種の微笑ましさを見たならば、この歌を楽しむ資格が与えられたと思ってもいいのでしょう。「午前」ではなく「午後」であるところに一種のずらしがあるようですが、連作の最後まで進むには「午後」である必然もあるにはあります。


昨夜(きぞ)の背のさびしき反りをおもひつつ莢ゑんどうの筋を外(はづ)しぬ

 「昨夜の」という摩擦のあと、サ行の繰り返しによる練磨、三句「おもひつつ」による小休止、これらがあってはじめて眼目の四句結句のおもしろみが生きてくるのです。もちろん「背」の「反り」との意味上の連絡もあるのでしょうが、独立して「莢ゑんどうの筋を外(はづ)しぬ」という剣呑かつエロティックな突如性が楽しい歌なのです。しかし連夜で元気なものです。


裸(はだか)木の柘榴にあかき葉は芽ぶき Shame! といはむ一人だになし

 「は」という不安定な音から各駅で「だ」「ぎ」と濁音を置いた初句、濁音スタートから「あかき」という口中の運動性へ続けた二句、そして三句「葉は芽ぶき」という舌足らずな流れ、これらがすべて幼児的なエロを支えていて、赤面することなしには下句を詠みとおすことができない、そんな幸福を私たちに与えてくれています。


ゆふかげは向かうより射し梅の木のしだるる枝のひかりするどし

 正統な和歌の調べを今もって提出し続けることに対して、意味を求めることほど愚かなことはないでしょう。真ん中に「梅の木の」というこれ以外あり得ない語と韻律を持った句を置いた大辻さんの見識に敬意を表したいと思います。初句のヤ行ではじまり、途中いろいろな韻律上の仕掛けを経て、サ行でおさめる、これも技術です。


葦のかたへ過(よ)ぎりゆくとき葦の間を梳(す)く夕つ日に輪切りにされぬ

「輪切りにされぬ」という不吉かつユーモアのある結句が、「葦」の「間」の夕べに漂うはずの情念を冴え冴えとした光景に仕立ててくれています。葦分け小舟に乗って、どうせろくでもない秘密を抱えて進んでいる「偸盗」の姿がまざまざと浮かび上がってくるようです。各所に配されたア段がそれをあっけらかんと支えています。


木蓮の花びらははやかそかなる黄のいろを帯び濁りつつあり
もくれんの多(さわ)なる花を揉みしだく風は来てその平たき面(つら)


 「木蓮」と「もくれん」、この使い分けに歌の調べと姿への大辻さんの詩学を見ようと思えば見られるのでしょうが、それは少し大儀です。この二首をさっと眺めた感じでは、事前であるか事後であるかを、いわば文字をひらくことによって示しただけとも言えるでしょう。それはとても好ましいことだと思います。
 「木蓮」の歌の場合、二句三句のそれぞれの頭のハ行、そしてア段の連打が切迫した衝動を軽やかに見せてくれています。結句までの後半部のたどたどしい韻律によってその息づかいもよくわかります。
 「もくれん」の方は、二句三句でサ行音が接触音や衣擦れの音を鮮やかに示し、四句結句のカクカクした韻律が「偸盗」の事果てて後の賢者の時間をよく表しています。


うらわかき偸盗(ちゆうたう)のごと息づきぬ桜の坂のなかばまで来て
花影のなかなるわれはおぼめきて川のながれを眩(まばゆ)しと見つ


 この二首の、歌でありながら俳味を帯びた落ち着きは、ここまでの八首を経た今となっては、読み手のそれぞれの心象風景の感もあります。「花」と通じた「偸盗」の呆然と立ち尽くす姿が微笑ましくもあります。
 楽しく花もある連作でした。

短歌時評132回 作者という孤独——人工知能とわたしたち 浅野大輝

2018-05-03 12:45:41 | 短歌時評


 昨年末、角川「短歌年鑑」平成30年版・座談会「人工知能は短歌を詠むか」を興味深く読んだ。座談会の出席者は小島ゆかり・森井マスミ・永田紅・中島裕介。司会は坂井修一。人工知能の発展はこの数年のうちに広く一般に知れ渡り、興味が持たれるようになっている。そうした興味は短歌界隈においても例外ではなく、総合誌や結社誌などのメディアで散発的にではあるが取り上げられてきた。今回、角川「短歌年鑑」という一年の総括の場で人工知能についての座談会が設けられたことは、人工知能が短歌にかかわるものにとって無視できない存在として定着しはじめていることを示すものであるだろう。
 座談会中では、「『<AIが短歌を詠めるかどうか』という問題は『読者が言葉の羅列の中に短歌らしさを見出せるかどうか』ということ」(中島発言)、「より人間らしいというのは、愚かな部分とか間抜けな部分とか、制御できない部分があるのが人間の姿」(小島発言)、「愚かな部分を持ちながら知性の高いこともやっているというところに本質がある」(坂井発言)などの発言が目を引く。出席者の全員が、現状の人工知能でも短歌らしいものがある程度実現可能であるということを了承した上で議論しているという感があり、その点では議論が大きくは分かれなかったということも興味深い。
 議論が最も交錯したのは、人工知能が短歌を詠めるかどうかという部分ではなく、短歌における作者の時間感覚にまつわる部分だった。

【引用開始】
中島 (前略)作者が何に感動したのかを、我々は歌や歌集全体から逆算して、そうして読者の側の感動を体験しているじゃないですか。(中略)読者にとっては、作者の時間の経過に対する感動というのは、もしかすると短歌における感動の中でも非常に核心的な部分かもしれない。でも、それはあくまでも読者としての、鑑賞の核であっても、歌を作るときの核かというと、違うのでは。(後略)
永田 そんな読者の評価を意識することではなくて、実作者としてはありますよ、時間は。
(中略)
中島 (前略)もちろん作者としての私自身の中でも「前と違うな」と思う場面というのはあるんです。極端なこと言うと、子供スイッチONになったとか、結婚スイッチONになったとか。
小島 そういうわかりやすいことじゃなくて、もっとわかりにくい仄暗い、自分でも無意識のところで変化してゆくのでは……。
(中略)
中島 無意識というのもどこまで認められるんでしょうか。(中略)今、私は作者の話と読者の話を使い分けようとしているんですけど、時間や、無意識的な言葉や内面の変化をどう受け止めるかという、その解釈の時点で、実は皆さんの話が作者の立場から読者の立場に切り替わっているんじゃないかなという気がするんです。(後略)
永田 自作の一作ずつもその時その時の自分自身ですよね。私は「時間に錘をつける」とよく言いますが。
(中略)
中島 その「自分は時間の中に生きている」という点に、作者の特権性を先に見出しちゃっているからなのかなという気もするんです。(中略)私がこの議論で問題視しているのは、作者が発した言葉や歌を読者が読んだときに、作者の特権としての時間を常に読み取っているのかという点なんです
。[1]
【引用終了】

 噛み合っているようで噛み合い切らない、不思議な議論という感じがする。そしてその噛み合わなさというのは、中島・永田の両者が、短歌にまつわるひとつの実感の別の部分にそれぞれ着眼しているためだけに起こっているものだと、私には思われる。
 まずは、永田の主張する「時間」を考える。永田は2000年代初頭のインタビューで、歌を作らなかった時期のことを回想しながら「過ぎてしまった時間の実感がない。歌をつくる作業をしていると、時間におもりをつけるといいますか、時間の実感を確かめて形に残していく感じがするんですね」と述べている[2]。インタビュー時からある程度の時間が経過したものの、発言を鑑みるにこの感覚は永田の基本姿勢として現在に繋がっていると見ることができるだろう。わたしはいま・ここにいる。そのわたしが歌をつくる。常に更新されていくいま・ここのひとつを、わたしは歌をつくることで確かなものとして体感する。そして、いま・ここはやがて過去・あの場所になる。新しいいま・ここに立つわたしは、わたしの歌を通じて過去・あの場所を豊かに思い返すことができる。これらの過程が、わたしが作者として「時間に錘をつける」ということであると考えられる。
 一方、中島の問題意識は「作者が発した言葉や歌を読者が読んだときに、作者の特権としての時間を常に読み取っているのか」という発言に端的に表れるように思う。たとえば、あなたがあなたの短歌を詠んで、あなたの時間に錘をつける。あなたはあなたの歌を通じて、あなたの過去・あの場所を豊かに思い返すことができるだろう。しかし、わたしがあなたの歌を読んだとき、わたしはあなたの過去・あの場所を思い返せるのだろうか。また、思い返せるならどう思い返しているのだろうか。そして、それは常に起こっていることなのだろうか。

【引用開始】
人はみな馴れぬ齢を生きているユリカモメ飛ぶまるき曇天
/永田紅『日輪』【引用終了】

 私(浅野)が、この一首を読み解く。読み解こうとすることは可能である。私は私の思考の上で、この歌から情や景を味わうことができる。場合によっては、この歌を詠んだときの永田紅の様子や心情を想像することもできる。ただ、それらはすべて私の想像である。私が永田紅のように想像したとしても、それは永田紅が想像しているのではなくて、私が想像しているのである。永田紅や、あるいは永田紅がこの歌を詠んだときに近くにいた人が、この歌から永田紅の過去・あの場所を思い返すということはあるかもしれないが、それらは作者自身とそのごく近辺の人にのみ許される、非常に特殊なケースである。一般的な読者として想定される私は、永田紅という作者の過去・あの場所には直接アクセスすることができない。
 また永田紅という作者が、永田紅の作品から、永田紅の過去・あの場所を想像することを、私が想像する。永田は自身の歌を通じて自身の過去・あの場所にアクセスし、その時間の流れや、いま・ここから見える過去・あの場所の無意識についても思いが及ぶかもしれない。しかしその際には、永田は自身の作品を確かに読解しているだろう。その点で、過去・あの場所を振り返ろうとするなら、作者は作者であるという特殊なケースにおける情報を持った上で、読者として作品に触れていることになる。
 わたしはあなたではないために、あなたの過去・あの場所は持ち得ない。わたしができることは、あくまでもわたしとして(時にはあなたであるかのように)想像するということである。あなたの過去・あの場所に触れうるのは、あなたか、あなたと過去・あの場所を共有した者であって、一般の読者であるわたしではない。あなたがたとわたしとでは、作品に触れる際に持ち得る情報の量・質に大きな差異がある。——「作者の特権」とは、そのような意味で理解される。ただし、そうした特権の有無による差異を意識せずとも、わたしは確かにわたしとしてあなたの歌を読んでいる。その意味で、作者の特権を読者が常に読み取っているということはないはずである。中島の問題意識は、このようなことを指摘していると考えられる。
 永田と中島の両者の発言を私なりに解釈してみたが、以上のように考えるとき、そもそもの両者の発言は対立するものではなかったということが見て取れる。わたしはわたしの時間を生きてわたしの短歌を詠み、あなたはあなたの時間を生きてあなたの短歌を詠む。わたしはわたしの時間を生きているために、わたしの短歌からわたしの読解によってわたしの過去・あの場所を想起することができる。わたしはあなたの短歌を読むことができるが、それはわたしの触れうる範囲で行うわたしの読解である。わたしはあなたの短歌を読むとき、必ずしもあなたしか触れられないあなたの時間を思うわけではなく、わたしが触れることができるわたしの読解を行っている。わたしがあなたの時間を思うとしても、わたしはあなたの短歌からあなたの過去・あの場所をそのまま想起することはできず、あくまでもわたしの想像としてあなたの過去・あの場所を思う。以上は、わたしとあなたを入れ換えても成立する。——このような事態を、ある一面から眺めれば永田の主張となり、また別のある一面から眺めれば中島の主張となる。永田の述べる体感も、中島の述べる体感も、ともに短歌にかかわる者の実感として整合しているものと考えられるのではないだろうか。



 上記のような議論を進めていくと、作者は確かに存在しながらも、作者以外の読者から切り離されているように感じられてくる。わたしはわたしの時間を生きて、わたしの短歌を詠む。ときとしてわたしは、わたしの短歌からわたしに出会うことも可能である。そしてあなたは、あなたが触れうる範囲でわたしの短歌を読解する。あなたはわたしを想像せずとも作品を読解することが可能である。また一方で、あなたは作品を手掛かりにわたしを想像しようとすることもできる。ただし、その場合にもあなたが到達できるのはあなたの想像するわたしであって、わたしではない。作品に残るわずかな痕跡をもとに読者が作者を想像しうるという意味で、作者は死んではいないのだが、その読者の想像が決して作者には到達しないという意味で、作者は切り離されている。作者の特権性が認められるとしたら、それは作者の孤独と言い換えても良いのかもしれない。
 作者の孤独——それは作者という存在の居場所を認めながらも、作者の心理的な状況とは無関係に読解によって作品は成立するというテクスト論の発想を内包している。そこで認められている作者という存在は、読者による読解に基づいて生成される存在であり、読者の把握している情報に応じて姿を変える。一般的読者が自分の想像しうる範囲で読解し、ときには読者による想像によって想像の作者像を得るということもあれば、作者自身が読者として自身の作品を読解することで、自身の姿を作者として作品に見出すという特殊なケースもある。



 作者の孤独によって、「人工知能による短歌制作は可能」と述べることも可能だろう。

【引用開始】
われわれは死に裏打ちされた生を日々生きており、それが表現という営為の源をなしている。詠まずにはいられないという切迫感は、もとをただせばわれわれが死すべき存在であることから来るのだ。AIにはこの世界の中での固有の立ち位置はあるのか。この世界の感受、この世界との交渉において固有のモードはあるのか。AIに死はあるのか。詠まずにはいられないという切迫感によってAIが歌を詠むことはあるのか。
斎藤寛「AIを使って作る短歌」[3]
【引用終了】

 上記の引用は今回の座談会に対する反応のひとつであるが、自身の実作者としての体感からこうした主張を行う者もいるだろう。そして、ここに示されるような実作者としての体感を、作者の孤独は否定しない。しかし作者の孤独は、テクスト論から引き継がれたその孤独ゆえに、「固有の立ち位置」「固有のモード」「死」「切迫感」という作者のみが把握しうる概念・感覚によって短歌が詠めるか否かが決定されるという考えを退ける。
 座談会における各人の主張や、そこから引き出されてきた作者の孤独という概念では、作品の成立が読解の有無にかかっていた。それは、一般的読者というケースはもちろん、作者が自身の作品に触れるという特殊なケースであっても同様であった。作品やその作品の裏にいるであろう作者に対する想像が、あくまでも読解によって立ち上げられるとしたら、人工知能がつくった短歌も人間の手による短歌も、同様に何らかの読解の結果や作者像を読者に手渡している。そこに取り立てて違いはない。私たちが実作者としての体感を持つことも、人工知能が短歌を詠むことも、共に等しく孤独である。


■註
[1]座談会「人工知能は短歌を詠むか」(角川「短歌年鑑」平成30年版)より引用。
[2]永田紅インタビュー「#072 時間の実感を歌に紡いで」(http://www.mammo.tv/interview/archives/no072.html)より引用。
[3]「短歌人」2018年4月号時評。

■参考文献
[1]角川「短歌年鑑」平成30年版
[2]永田紅インタビュー「#072 時間の実感を歌に紡いで」(http://www.mammo.tv/interview/archives/no072.html)
[3]永田紅『日輪』(砂子屋書房、2000年)
[4]斎藤寛「AIを使って作る短歌」(「短歌人」2018年4月号)