「詩客」短歌時評

隔週で「詩客」短歌時評を掲載します。

短歌評 センチメンタル詩論 ―岸上大作ト寺山修司ヲ論ジテ我ガ短詩系文藝総観ニ至ル 平居 謙

2021-03-21 11:22:39 | 短歌時評

 

 岸上大作展が姫路であるのを楽しみにしていた。ところが予定していた日に限って用事が入り、とうとう行けずじまいに終わってしまった。基本的にはヒマなのだが、フルで身体が空くのが月曜ばかり。その月曜ならば休館日。結局代わりに岸上大作を読み直すことにした。32年ぶり。ウソー。驚いたけれどもホントーだ。それでまたまた驚いてしまった。切迫感。失恋。切なさ。国家のもんだい。時代性。透徹した目線とセンチメンタルの間を揺れるアンバランス。急勾配。抑制。最近ある講座のために読んだ森田草平『煤煙』や山川方夫の小説の中に出てくるいくつかの自死のことを思う。日本に脈々と流れる心中の思想に思いを馳せる。岸上は独りで死んだけれども、短歌と心中したことは間違いがない。今回は姫路の春の風景なんかに触れながらのんびりと書いて終わりにしようと思っていたが、岸上を読んでしまうと牧歌的ではいられない。遠い春の日に感じたはずの戦慄の記憶が心に蘇ってくる。気持ちがぴりぴりとする。
 彼の作品に関しては、今更僕が書くまでもないだろう。吉本隆明をはじめとして多くの批評家が論じているから本稿では岸上の「寺山修司論」について書いてみよう。今回は僕にとっては2年間お世話になったこの短歌評連載の最終回でもある。それで僕自身にとっての短歌観についても少しく書いておきたい。
 ただそうは言うものの僕自身が岸上のどの歌を評価しているかくらいは彼について文章を書く以上、前提としてあるいはエチケットとして示しておくべきだと思うので『意思表示』の中から十数首選んでおく。また同様の意味で寺山修司に関しても同じほどピックアップした。まずは岸上大作の歌。

  ① 意思表示せまり声なきこえを背にただ掌の中にマッチ擦るのみ
  ② 海のこと言いてあがりし屋上に風に乱れる髪をみている
  ③ プラタナスの葉陰が覆う群れ区切り拳銃帯びし列くまれいる
  ④ デモ解きし銀座に並べあう肩にもうひとつの意思表示といわん
  ⑤ 耳うらに先ず知る君の火照りにてその耳かくす髪のウェーブ
  ⑥ 夏服の群れにひしめき女学生たちまち坂を鋭くさせる
  ⑦ 日本語美しくする扼殺死抗議にひとり選びたる語彙
  ⑧ 買いて来し金魚袋に泳がせつ夜の電車に翳もたぬ少女ら
  ⑨ 撒きて来し反戦ビラの誤字ひとつ思うとき少年はもっともかなし
  ⑩ プラカード雨に破れて街を行き民衆はつねに試される側
  ⑪ 亡き父をこころ素直にわれは恋ういちじくうれて雨ふるみれば
  ⑫ ラジオ講座聞きおりしわれに深夜の北京放送中国民謡
  ⑬ 母の手にえんどうの莢はじけつつつばめはしきりに巣を作りいる

 ① の歌は僕が選んだというよりも「これは外せないだろう」という意味で置いた。岸上を論じるならば「お約束」という感じだろう。僕として特段に高く評価しているわけではない。それに寺山修司の真似っぽさが目につく。②は清々しくロマンチック。これが、いい。③に関しては全く個人的な問題からここに選んだ。千種創一『砂丘律』についてこのサイト「詩客」に書いた時〈そのほかにも、「砂漠」「実弾」「戦況」等の言葉が現れて、これだけでも日本では読めない短歌だという実感が歌集を開いた瞬間に強く思われるのである。〉と僕は書いている(「何度でも愛せ、マグダラのマリア 千種創一『砂丘律』の不穏と罪と」)。しかし恥ずかしいことに考えてみると完全に平和ボケであって、僕の前世代においてはまさに戦争ともまがうような闘争の中、「拳銃を帯びた列」と実際に間近に相対していたわけである。千種のものが「日本では読めない短歌だ」というのは1980年以降の泰平期に限ってのことにすぎなかったのである。ここに補充的に訂正しておこうと思う。④はほっとする。時代の楽屋裏を見ている気分になる。⑤は②に通じる恋の歌だ。これらはどんな時代でも普遍的な主題に違いない。⑥は恋歌ではないが、「坂を鋭くさせる」という表現の中に岸上の女性に対する憧れが強く集中的に現れていて心が痛くなる。⑦はこのために文学者の存在はあるのだと思わせる重要な歌だ。岸上にとって「日本語美しくする」とは、厳密なところにおいてもごまかしのないレベルで物事を判断するという意味なのだろう。⑨も⑩も同じように真剣な岸上の眼差しが感じらえる。実感に溢れた歌だ。⑪のような主題を歌う場合重要なのがこの歌における「いちじく」のような非常に具体的なアイテムの存在であることが痛感できる。
 寺山修司の歌に関しても同様に対応しておく。これは寺山に対する僕の〈挨拶〉である。そのため岸上の観点を外して『寺山修司全歌集』の中から最近◎をつけた10首+αを以下に挙げておこう。

  ① 大工町寺町米町仏町老母買ふ町あらずやつばめよ
  ② 新しき仏壇買ひに行きしまま行方不明のおとうとと鳥
  ③ 孕みつつ屠らるる番待つ牛にわれは呼吸をあわせてゐたり
  ④ つひに子を産まざりしかば揺籠に犬飼ひてゐる母のいもうと
  ⑤ 倖せをわかつごとくに握りいし南京豆を少女にあたう
  ⑥ 外套のままのひる寝にあらわれて父よりほかの霊と思えず
  ⑦ われの神なるやも知れぬ冬の鳩を撃ちて硝煙あげつつ帰る
  ⑧ 誰か死ねり口笛吹いて炎天の街をころがりしゆく樽一つ
  ⑨ テーブルの金魚しずかに退るなり女を抱きてきてすぐ乾く
  ⑩ マッチ擦るつかのま海に霧ふかし身捨つるほどの祖国はありや
  ⑪ 群衆のなかに昨日を失いし青年が夜の蟻を見ており
  ⑫ いたく錆びし肉屋の鉤を見上ぐるはボクサー放棄せし男なり
  ⑬ 「革命だ、みんな起きろ」といふ声す壁のにんじん種子袋より
  ⑭ 大いなる欅にわれが質問す空のもつとも青からむ場所

 ① と②の歌は演技とか現実だとかそんなことは問題にならないほどに優れている。僕は1985年に『寺山修司全歌集』を借りて読んだが、この本が僕にとっての短歌の入門書だったわけだ。この2首を読むだけで僕は恐ろしく暗い街を旅している自分にその都度気付く。③は牛に自分の呼吸を合わせることの出来る感性は信じるに値すると思わせる。④はもの悲しさが孤独をさらに強いものにする。⑤は純情。べたべたした手の汗を思わせるが殻付きの南京豆でせめてあって欲しい。⑥はとても素に感じられて好きだ。⑦寺山あ、お前神が分かってるじゃないか。⑧二つの事象を不自然なくつなぐことのできるものを感性というわけでそれによって文学は成立するのだということがよく感じられる。⑨は金魚と女との対比が見事。女を抱いたあと発せられるオーラというものは金魚であってさえ(あるいは金魚だからこそ)敏感に感じ取るのだという高度な感覚を直截的に伝えてくる。⑩これは寺山を論じる際の「お約束」のような意味でここに置いた。特に意味はない。岸上の①の歌はこの歌のパロディにならないパロデデイだろう。⑪夜の蟻は黒に紛れて普通の眼では見ることが難しいだろう。それを見ることができるのは、昨日を失った青年くらいのものなのかもしれない思う。こう書きながら、明日を失うよりも昨日を失う方が恐ろしいのだとつくづくと思う。⑫これを選んだ頁に「ダメになった男を書くのか……」というようなメモを僕は残した。⑬の歌は可愛いファンタジー。⑭は爽やかすぎて寒いが寒いほど爽やかなものしか読むに値するものはない。
 岸上は「寺山修司論」の中で、寺山修司の「チエホフ祭」から「砒素とブルース」に至る作品の中から「アト・ランダムに抽ひて」いる。数えてみると偶然14首なのだが、僕が上に選んだものと一切重なっていない。岸上と選がずれているからといって自分の選球眼がないということにもならないわけだが、どこか不審に思って『寺山修司全歌集』を見直してみると、忘れていたのだが全集の余白に僕は次のようなメモを記していた。

  寺山の歌
 演技によって私性を隠す。それによって過剰な感情がついにあふれ出てくる。短歌という形態そのものを象徴するような状況。1985年6月頃読み初めしを、2020年3月24日読了(作品篇)

 まさか35年かけてじっくり読んだというわけではない。多分以前にも全体にざっと目は通したはずだが、この歌を採ろう、というように◎や〇印をつけて丁寧に読むということは今回が初めてであった。メモ中にある「短歌という形態そのものを象徴するような状況。」とは何を意味するのか書いた自分でもよく分からないし第一日本語になっていない。まあメモなのでご容赦いただくとして、おそらく僕がこのメモを記した時期というのは、この詩客への短歌評連載を一年終えて、本腰を入れて短歌について考えてみようという風に思っていたのかもしれない。分からないなりに推測してみると現在の(2020年ごろの)短歌、歌集には、全く別の人格になり切って短歌を作っている特に若い世代の作品を幾つも見かけたので、そういう短歌の限界が、寺山の短歌の中にすでにはっきりと存在していることに関する覚書だったのだと少し思い出してきた。「演技によって私性を隠す。」とは、図らずも岸上が言っている「リズムによって獲得する社会性」(後述)と同義なのだ。岸上が挙げているのはアト・ランダムに上げたとは言っているものの〈私小説的告白ではなくて〉描いてしまった普遍的「われ」=耳ざわりのよい共通感覚(岸上は「普遍的」とのみ記しているがその意図するところは「疑似普遍的」だろう。あるいは「普遍的」という言葉の中にすでに負の意味合いを込めていると考えればやはり岸上自身が書いているように「普遍的」ということばだけで済ますのが適切なのかもしれない)が露出しているものであろう。つまりはもっとはっきり言ってしまえば攻撃目標に他ならない。岸上と僕の選が完全にすれちがっているのは文学または文学者というものに関して岸上と同じスタンスを取る僕(であることが今回初めて理解できた)が、それでも、そういう僕でも受け入れることができるという意味において寺山の中の優れた作品をピックアップしたからに他ならないのだろう。岸上は問題のあるものを、僕は問題の比較的淡いものを選んだわけだからクロスしようがないのである。
 こんなことを書きながら、やはりここには岸上が引用した寺山の歌を挙げておかねばどうにもならないような気がしてきたので以下に作品だけ引用しておく。

   勝ちて獲し少年の日の胡桃のごとく傷つきいるやわが青春は
   そら豆の殻一せいになる夕母につながるわれのソネット
   海を知らぬ少女の前に麦藁帽のわれは両手をひろげていたり
   Businessのごとき告白をきゝながら林檎の幹に背をこすりおり
   青空におのれ奪いてひゞきくる猟銃音も愛に渇くや
   乗馬袴(キロット)に草の絮つけ帰りきし美しき疲れわれは妬めり
   胸病めばわが谷緑ふかからむスケッチブック閉じて眠れど
   ラグビーの頬傷は野で癒ゆるべし自由をすでに怖じぬわれらに
   草にねて恋ふとき空をながれゆく夏美と麦藁帽子と影と
   わが胸を夏蝶ひとつぬけゆくはことばのごとし失いし日の
   わがにがき心のなかにレモン一つ育ちゆくとき世界は昏れて
   わがカヌーさみしからずや幾たびも他人の夢を川ぎしとして
   銅版画の鳥に腐食の時すゝむ母はとぶものみな閉じこめて
   古いノートのなかに地平をとじこめて呼ばわる声に出でてゆくなり

岸上はこれらの歌を〈短歌の「リズム」の駆使と、多様な状況における「われ」の設定とをその特色としている〉がゆえに〈ぼくのこの「寺山修司論」も、この二点において、解明し批判することになるだろう〉ための攻撃目標として論中に引用しているわけである。これらが秀逸歌かあるいは駄作かを僕は今判断することはできないが、少なくとも僕自身は全歌集の中から一首たりとも選ぶことははかったのだ。

         〇     〇     〇      〇      〇

 岸上が歌壇に登場しようとした時、寺山修司はすでに若きスターだった。すでに書いたように岸上はその寺山修司を手厳しくやり込めようとする。リズムによって獲得された寺山修司の社会性を否定し、私小説的な方法ではなく読者の中に普遍的に存在する「われ」を勝ち取ったことを批判すべきだとする。大江健三郎の言う「暗い眼の青年」「明るい眼の青年」のいずれも寺山は書けていないと岸上はいうのである。「暗い眼の青年」「明るい眼の青年」を書くというのは結局のところ次のような意味合いに他ならない。

 歌人がいまの体験を自分の〈傷〉として如何に肉体化しているかであるのだし、その〈傷〉の程度によって、ぼくらはいま本当の火事とニセモノの歌人を見分ける絶好の機会に恵まれているのである。(岸上「ぼくらの戦争体験」)

つまり岸上にとって寺山は〈傷〉の程度の深くないニセモノだということなのだ。「寺山修司論」の中からもっとも分かりやすい部分を探すならばそれは以下の箇所である。

 寺山修司は、短歌リズムの駆使あるいは短歌リズムへの投身によって、「われ」を多様な状況に設定し、つまりは拡大安定期にある日本の国家独占資本主義の現実に呼応・迎合し、「われ」をそこへ拡散し、そこで「われ」を喪失する。そのことが寺山修司のいう社会性なのであり、また「われ」を喪失し、それに呼応迎合することが現代社会でいわれるところの社会性でもあるのだ。このみごとな調和に、ぼくらはもはや批判のことばをもちえない。(「寺山修司論」中盤)

面白い事に「短歌リズム」を「平明さ」に置き換えれば短歌と詩との違いこそあれ、そのままの形で「寺山修司」を「谷川俊太郎」あるいは巷にあふれる「谷川俊太郎もどき」に置き換えることができるということである。岸上のこの図式は慧眼であって、ニセモノの見分け方の基準こそジャンルによっていくらかの違いこそあれ、様々な方面に援用が可能だということである。それだからこそ岸上にとっての文学者の定義というものはこんな形に閉塞せざるを得ない。

 文学者の社会的存在は何らの特権的地位を約束されるものではなく、つまり文学者は文学者として社会的に存在するのではなく、あくまでひとりの人間として存在するのであり、そのひとりの人間の格闘の苦渋のなかから文学を産もうとするのであるから、それは無償の、またそれによって何らの社会変革への貢献もなしえない営為なのである。選ばれるのは、そのことを知っている少数者なのである。(「寺山修司論」最終部)

 この「寺山修司論」は長編の批評だが、岸上大作の短い生涯でそれに次ぐ長さのものが「ぼくのためのノート」だそうである。これは当人によれば、自死の当日、死の決行までの「時間つぶし」として書かれたものである。しかしそれだけに切実で「これは失恋自殺」「僕は恋と革命のために生きなければならなかった」「僕は弱い」「いまここで死ねば、そのまちがいの上に築かれたわずかばかりの作品をぼくは信じて遺しうるのだ」「いまでも、夭折歌人として文学史上に残ることを夢見ている」「生き残った者は強く生きろ!」などの突き刺さるような青くさい言葉が散見する。中でも自身の言うぼくは何て、センチメンタリストなんだろう。」という言葉には素直に共感することができる。
 先に岸上の文学者観に「閉塞」と書いたのはそれは批判的意図ではない。むしろ僕はその正当を高く評価する。北村透谷いうところの「空の空を撃つ」という文学観の極北である。しかし世間の評価はそうではなく、岸上のような捉え方は「負け犬の遠吠え」のようなイメージを持たされることになる。その意味で「閉塞」と書いたに過ぎない。その「負け犬」にとって、世間への復讐がなされるとすれば―それはすなわち寺山修司と同等あるいはそれ以上の「文学史的意義を与えられる」ことなのだが―その方法はたった一つ。私を貫き短歌と心中するという体当たり的な手法を以て「夭折歌人として文学史上に残る」しかなかったのだ。岸上大作、希代の「センチメンタル歌人」である。

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 国家と個との間をアンバランスに揺れ動いた気弱な骨太歌人・岸上大作について触れたあと、僕自身の短歌観を述べるのは不思議な気持ちだ。なぜそんなことをしようと思ったか。それは岸上が「短歌は抒情詩である」と言っているからである。もっとも岸上は「〈短歌は抒情詩である〉と今の御時世にヌケヌケと言いうる者は余程の時代錯誤に陥っているのだと決めつけられてしまうような気がする。」(「ぼくらの戦争体験」)と引け腰ではある。だが僕は、全くストレートに言うのである。
 僕自身の作る詩(短歌ではなく、詩)は、抒情詩ではない。むしろ抒情を排する方向である。20代の時ほど過激に抒情を憎むわけではないが、少なくとも心情吐露系の詩を作るのはご免である。しかし心情を吐露することが無意味だと思っているわけでもない。切ないシーンなどに触れると―例えば漫画などでそういうシーンを読むと-貰い泣きしないまでも「ああいいねえ」とキュン💛としたりしないでもない。詩の中から徹底してそういうものを追放しているが故に、却ってそういう要素の重要性は意識している。ただ僕はそれを詩の中で展開する気持ちにはなれないでいる。そのための受け皿として短歌がここに登場する。詩では抒情を否定する僕が短歌では極端に抒情する。その意味で僕にとって短歌はただ単に「抒情」であるだけではなく、詩によって否定されている抒情を含み込む、言ってみれば「二重の抒情」に他ならないのだ。
 僕の短歌はべたべたである。抒情で溢れている。先日俳句のわたなべじゅんこに歌集の原稿を見せたら「(平居さんの)短歌は全体に甘めですね」と言われてしまった。しかしそれは狙い通りなのである。明るくうら寂れた僕の詩の風景に安っぽい抒情は不要である。というより僕の描き出す風景自体が既に安っぽい抒情である。そのため心情を描き出す必要すら感じない。その余力或いは補完を短歌がなすという構造が必然となる。
 日常の中のふとした「感」覚や「感」傷を言葉にする技術はといえば平成の時期に異常なほどにまで発達していた。その点においてはこの2年間僕が連載を続けてきた中で扱った何冊かの歌集を読むだけでも明らかなことだった。短歌という型の憑き物が落ちて、みんな自由に書いてるな。そんな微笑ましい光景すらそこにあるような気もした。ちなみに僕がこの時評で取り上げた歌集や短歌についての本は、藪内亮輔『海蛇と珊瑚』・笹井宏之『えーえんとくちから』・千種創一『砂丘律』・柴田葵『母の愛、僕のラブ』ねむらない樹別冊『現代短歌のニューウェーヴとは何か』佐佐木定綱『月を食う』仲西森奈『起こさないでください』千種創一『千夜曳獏』笹公人『念力レストラン』萩原慎一郎『滑走路』である。演技性過剰なものもあったが、日常感覚は極めて高い感度で表現されているものが多く僕自身そこから学ぶべきことは限りなく大きかった。「感」情を書くならばやはり短歌だ。しかし現代短歌の最大の欠点は日常生活の「感」にのみ注意を払っているように思われるという一点である。現在は岸上の頃と異なり国家への言及を核に据える時代ではないかもしれない。それにしてもその国家観に匹敵する中心がなさすぎて揺らいでいる。もっとも他人の批判など書いている場合ではない。話を自分自身の短歌に戻す。僕の短歌も現在のものたちと同様に甘い。それはわたなべじゅんこが言う通りだ。とはいえ僕の短歌に理想がないわけではない。僕の短歌の針は天上を向いている。風俗嬢に憧れる基督の再臨である。僕が何十年経って読んでも岸上大作に衝撃を受けるのは僕自身同じくアンバランスな枠組みの中で生きているからに他ならないからだろう。天才は天才を知る。僕は岸上大作を読む。岸上の「国家」の代わりに何を歌うべき時代であるのかを自分自身の中に刻み込むためにもう一度岸上大作の中を探す。むろん答は初めから分かっていて、それは「神」に他ならないのだが、その神を取り囲み言葉で撃つ方法へのヒントを改めて岸上の歌の中に探すのである。
 自分にとっての短歌の意義を書いたついでに俳句・川柳についても書いておこう。というのも僕は今、「短詩系文藝四重奏(カルテット)」という一人キャンペーンを鋭意展開中である。それはもちろんこのサイト「詩客」の森川雅美の影響にほかならない。森川は周知のように詩歌トライアスロンを長年推進中だ。僕は、作品中でそれらをごっちゃまぜにするに忍びない気がして(なんせ純情初心なもので)、単体で全部やろうとしている。けれどもジャンルの垣根を超えようという気持ちは同じだと思うんだな。で、僕にとって俳句の位置づけの話に戻すと、これは詩と短歌との関りと全然違っている。僕の詩の頂点に俳句があるという感じだ。詩はものすごく雑多で言葉数も多い。しばらく前に「雑居性の美学」と題する自分自身の詩に関する詩論を書いたことがあったが、まさに僕の詩は「雑居」に他ならないわけだ。しかし俳句はその性格上、極限に結晶させた僕の詩だ。表現三角形の頂点から五分の1あたりあたりの所までを占める小さな△(三角形)がある。それを他の人が俳句と呼んでいるに過ぎない。もっとも、僕も僕でサーヴィスとして、それが「俳句ですよー」と分かるように、丁寧に歳時記を読んで季語をお供えしたりはしてやるのだが。
 僕は俳句を書く時、季語を外すことはない。「季語は絶対外さない」という僕の俳句の在り方は、反射面として僕の自由さを現わすことになる。僕にとって短歌の抒情に2重性があるのと同様、僕の俳句の在り方にも2重性が存在している。
 詩を長く書き続けてきた後、ある時僕は空手を習い始めた。それは詩の世界とはおおよそ正反対の世界だった。師匠から教わる型を勝手に変えるなどということはあり得ない。一寸たりとも変わらぬ角度で師匠の教えたままを完全に習得するのである。そして意外なことにそれは楽しかった。詩の自由とは異なる宇宙があった。オリジナルというものがあるとすれば、それは鍛錬を極めた先に生まれてくるのだろう。俳句にも同じようなものを感じた。それで僕は季語を必ず使うという原則を守ることにした。自由にやりたいのなら、他のジャンルにゆけ。僕は思う。先に俳句は僕の詩の結晶部分であると書いたが一方では僕の詩にない「型」への憧憬を満たすものでもある。短歌と僕との関係とはまた異なる意味での2重性がここに存在している。
 川柳は僕にとって最下位だ。最下位というのは誤解される言葉だと思うが、一瞬誤解させるために言ってみてるのだから誤解されても仕方あるまい。僕の川柳の先生は湊圭史であってそれ以外の誰でもないし、誰の川柳も知らないで書いた。時実新子くらいはずっと遠い昔に読んだ覚えがあるが、何か感じた記憶はない。ある時湊が詩の合評会に提出した俳句を読んで、とても面白いと思った。彼はそれを現代川柳と呼んでいたので、なるほどそういうものかと思ったくらいだった。それで僕はそれを真似て一年間、「俳句CHIPS」と称する作品を書きまくった。それを合評会ごとに提出した。自分で選んだ秀作は太字にして示したりした。湊は「平居さんが自分で選ぶのはどれも全然だめ」と毎回言い続けた。教育者としてとても正しい男だと思った。最近『はじめまして現代川柳』という本を読んで世の中にはこんなにも多くうの意味不明かつ愉快な言葉たちが存在していたのだと知った次第である。そんな中においても湊の作品は特別な輝きを放っていた。
 今、最下位と書いたが、それはどういう意味かと言えば「地べた」という感覚のことだ。地べたを蟲が這うように川柳はある。そういう意味で言うのであって、レベルが低いという意味の最下位では勿論ない。目線の高さが詩・短歌・俳句に比して一番地面に近いという意味なのである。
 ちなみに僕は川柳という言葉がキライだ。なんか泥鰌鍋みたいな響きがある。サラリーマン川柳とかも面白くない。狙いすぎると面白くない。狙いすぎていいのは芸人のコントだけだ。芸人のコントの場合「狙いすぎてませんよ~」的に、素を装って芸をされると白けてしまう。堂々と狙ってなおかつ的を外さずやるのがプロというものだろう。しかし、文学はプロではない。文学者というのは精神的態度のことであって職業名を指すのではない。文學を愛し文学の視線で考えることの出来る人間のことだ。岸上大作流に言えば「ひとりの人間として存在する」に過ぎないものでありながらなおかつ「選ばれる」であり「少数者」である存在なのだ。僕の俳句は天上のみを指し示す。ちなみに湊は決して狙ったような下らない句を作ることはしない。その点が感服するところである。
 昔の芸人たちは「女遊びは芸の肥やし」とか言ったらしいが、僕にとっては短歌・俳句・川柳は詩の肥やしに過ぎない。などとは口が裂けても言いたくはない。肥しという言葉が穢な過ぎる。その意図するところをもう少し美しい言葉で言えば、「詩論という名の補助線」のことだ。僕の短歌・俳句・川柳を読むことで、僕の詩の位置づけが明確になる。僕にとって短歌は天上を指し示しつつ地上の女に恋をする。俳句は岩塩であり川柳は地を這う蟲だ。そしてそのあだ花の間から、僕の詩がにょきにょきと姿を今日もあらわしてくる。

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 2年間の連載、お読みいただいてありがとう。僕の「短歌時評」はこれでおしまいです。何よりも近代詩に関する以外ほとんど批評を書いたことのなかった僕に、まずは現代詩時評を書かせ、そのノリで全く知らない短歌の世界の批評を書く機会を作ってくれた森川雅美に深く感謝の言葉を述べておきたいと思う。それによって僕の歌集『星屑東京抄』も生まれることになった。文学史上もっと面白い出来事もこれからいくつも起こってゆくだろう。いや、僕が起こしてゆくよ。期待してくれ。さようなら。いつか、どこかで。