「詩客」短歌時評

隔週で「詩客」短歌時評を掲載します。

短歌評 短歌の回路――第7回詩歌トライアスロン受賞作の短歌を読む 若林 哲哉

2021-12-24 10:15:19 | 短歌時評

 俳句を作り始めて少し経った頃、当時の師から「短歌もやってみないか」と誘われた。興味はあるが作り方が分からないので是非教えてください、と返すと、「俳句の後ろに七七を付けたら短歌になる」と言われた。音数としてはその通りなのだが、それほど単純なものではないことは、直感的にも理解出来る。第一、有季定型の俳句を書く僕にとって、俳句は季語を要するもの、短歌は必ずしも季語を要さないものという明確な違いがある。結局何も分からないまま、真似事のように短歌を作ってみた。すると、すぐにあることが分かった。僕は、「俳句を作ろう」という気持ちにならなければ俳句は作ることが出来ないし、「短歌を作ろう」という気持ちにならなければ短歌は作ることが出来ないのだ。創作活動自体、始めたばかりだったからかも知れないが、内容によって詩型を使い分ける器用さを、僕は持ち合わせていなかった。そういうわけで、細々と短歌を作っては、一首単位の賞にこっそり応募していたのだが、そのうち短歌は作らなくなってしまった。
 詩・短歌・俳句の三詩型で作品の充実が求められる「詩歌トライアスロン」は、やはり、賞の在り方として珍しい。特に、三詩型鼎立作品の受賞者の皆さんは、それぞれの詩型をどのように考えているのだろうか。内容によって詩型を使い分けているのか、あるいは僕と同じく、俳句の回路と短歌の回路を区別しないと、作品が出来ないのだろうか。それは、受賞作を読むだけでは分かりようのないことだが、三詩型がどれも充実した作品になるということ自体が、価値の高いことのように思う。
 さて、第7回詩歌トライアスロン(三詩型鼎立)を受賞された二氏の作品から、短歌をいくつか鑑賞したい。

  あやとりの手はくりかえし祈れども赤い切り取り線にまみれる 斎藤秀雄
 
 あやとりの最中に手を組むことは、一つの祈りなのかという驚きがある。紐を操り、特定の形をつくる裏では、祈りが重ねられているのだ。しかし、手に紐が絡まってしまう。自分が操っていたはずの赤い紐は、自分を傷つけうるものに変わった。ここを切り取れ、と言わんばかりに、手の至る所を赤々と縛り付ける。祈りの先に、思い通りの未来や救済が存在するとは限らない。あやとりの技には、「ほうき」や「はしご」といった名前が付いている。、それは、ある形を「ほうき」や「はしご」だと見立て、見る人がそうだと思うから「ほうき」や「はしご」なのであって、結局は、ただの紐なのだ。あやとりを通じて、祈りという行為の不条理性が描き出されている。

 

  甘やかに匂うパン屋の貯蔵庫の秤に目玉載せたきものを  斎藤秀雄

 パン屋の貯蔵庫には、パンの原料が仕舞われていて、その重さを計るための秤も置かれているのだろう。人々を楽しませる甘やかな匂いを放ちつつ、美味しいパンが売られているところから、暗い貯蔵庫へと移動する。そこにある秤に載せるものが、目玉だというのだ。誰の目玉だろうか。「載せたきものを」なので、実際に載せたわけではないのだが、刳り抜かれた眼球が二つ、秤に載せられている光景が浮かぶ。パン屋から得られるのは、嗅覚と味覚の快だ。それとは対照的に描かれる秤の上の目玉は、あるいは視覚の放棄、ものを見ることへの厭悪なのだろうか。

  熟れている桃にくちびるつけながら名前に似合うわたしを過ごす  未補

 熟れている桃は、柔らかくて崩れやすい。もうしばらくすると、熟れすぎてぐずぐずになってしまう。「名は体を表す」という慣用句もあるが、人が生まれた時、親から付けられる名前は、こんな子に育ってほしいという願いであり、時に足枷のようにもなる。人間は、成長に伴って人格が形成されるのであって、親から与えられる名は、必ずしもその人格に合致しない。名前によって自らの人格を規定する「わたし」。それは自分とその名付け親を愛するための振る舞いでもあり、ドラマツルギーに基づく、シーニュに違和を持たせないための手続きでもあろう。一方で、行きすぎると、熟れすぎた桃のように自意識も脆く崩れ去ってしまう。日本語には一人称が多いが、そのなかで「わたし」が選択されている所にも、この主体の自意識が隠れていて、面白い。

【出典】

・第7回詩歌トライアスロン・詩歌トライアスロン(三詩型鼎立)受賞作/自由詩「下=上」他   斎藤秀雄
http://shiika.sakura.ne.jp/triathlon/2021-11-27-21924.html

・第7回詩歌トライアスロン・詩歌トライアスロン(三詩型鼎立)受賞作/自由詩「Tacet」他   未補
http://shiika.sakura.ne.jp/triathlon/2021-11-27-21916.html


短歌時評172回 忠臣蔵を知っていますか 竹内 亮

2021-12-12 02:20:22 | 短歌時評

 昨年の4月から今年の3月までの1年間、社会人の多い夜間の大学院に行ったのだけれど、今月初め、そのときの同級生が集まって懇親会をした。懇親会の当日、会場の大手町の餃子屋さんで、わたしの前の席には去年の同級生で、台湾人の弁護士のTさんという女性が座った。Tさんは大学院を終えて今年から日本で仕事をしている。

 最初は、Tさんは
「日本の餃子は種類が多いですね」
 という話をしていたのだけれど(そのお店は17種類の餃子があった)、その後、わたしは
「忠臣蔵を知っていますか」
 と聞いた。Tさんは知らなくて、わたしとわたしの隣の席にいた大学院のK先生は、二人で、日本で一番愛されている物語は忠臣蔵だと説明を始めた。

 参勤交代という制度があってというところから始め(Tさんは参勤交代は知っていた)、
「浅野内匠頭という今の兵庫県を治める殿様がいて」
 と続け、
「吉良上野介という人にいじめられ」
「江戸城に松の廊下というところがあって」
 というように説明は続いた。

 日常会話の日本語は問題なく話せ、日本語で修士論文が書けるくらいに日本語が堪能だったけれど、忠臣蔵のことは知らないTさんに、わたしとK先生は、
「いまだ参上つかまつりませぬ」
 と時折台詞を交えたりしながら、一緒に説明をした。

 そのとき、日本で育ったわたしとK先生が忠臣蔵の知識をかなり正確に共有していることと、Tさんが忠臣蔵のことをまったく知らずにあれだけ堪能な日本語を身につけたことに、それぞれ考えさせられるものがあった。

* * *

 わたしは38歳の時に短歌を始めた。
 それまで短歌はサラダ記念日と赤光と石川啄木と寺山修司の、そのごく一部しか、知らなかった。

 最近、年末のテレビは忠臣蔵があまり放送されなくなり、忠臣蔵の知識はだんだんと共有されなくなっていくのかもしれないけれど、短歌の知識は、それよりも知られていないように思う。ちなみにTさんは台湾で「ちびまる子ちゃん」をまる子の祖父がつくるものとして俳句のことを知っていたが、短歌のことは知らなかった。

 大人になって始めても、短歌がつくれたり読めたりするのだろうか。短歌を遅く始めたわたしは時折そのことを考える。

 この年末、日本の古本屋のサイトで、茂吉全集と子規全集と露伴全集を買った。
 大人になってから忠臣蔵を知るのに似ているような気もするけれど、少し読んでみようと思う。

* * *

 最近竹中優子さんの第一歌集『輪をつくる』を読んだ。
 職場詠が印象に残る。

  慣れるより馴染めと言ってゆるやかに崎村主任は眼鏡を外す(15頁)
  この人を傷つけないで黙らせたいという用途で作る微笑み(31頁)
  川村さんが辞めて七月田島さんは背筋をのばし仕事をし出す(34頁)
  朝の電車に少しの距離を保つこと新入社員も知っていて春(76頁)
  ばか、図々しい、それゆえセンスの良さがきらめいて業務改善案届きたり(78頁)

 仕事詠と子育て詠を比べると、仕事詠は相対的に新鮮味がないように感じることが多かった。それは、わたしたちが仕事は他人の仕事を見て学ぶからではないかと思う。でも、わたしたちがこんなに長い時間を仕事に費やしているのに、新鮮な仕事詠ができないのだとしたら、それはとても苦しいことなのではないだろうか。竹中さんの歌集は、うれしいことばかりではないけれど、仕事の上での発見がたくさん詠まれている。

  派遣さんはお茶代強制じゃないですと告げる名前を封筒から消す(79頁)
  お茶代にお湯は含まれるか聞かれたりお湯は含まれないと思えり(80頁)
  働き続けることは食べ続けることだ胸に小さな冷蔵庫置く(84頁)


短歌時評171回 万葉ポピュリズム批判とその周辺について、一傍観者の立場から振り返る 小﨑 ひろ子

2021-12-10 15:22:45 | 短歌時評

 2018年の元号の改定にかかるお祭り騒ぎに関連して、短歌の世界の周辺でもさすがにざわざわとした動きがあったのは記憶に新しい。政府の方針で、漢籍ではなく<国書>から元号を選ぶことになったといい、選定された「令和」という新しい元号の出典が、万葉集巻5「梅花歌三十二首」の序に見える漢語でありながら、実は古く中国の『文選』「帰田賦」に由来し時の政局の汚濁に飽き飽きしているという意味が背景にあるという痛快さ。王義之の「蘭亭序」にも通じる漢文が由来とは、詩歌好きにはたまらない話でもある。制定の方針には相当いぶかしい空気を感じるが、これで万葉集のブームもますます広まるのかな、とも思われた。私は通信制の大学の学生として高橋虫麻呂を題材に二度目の拙い卒論を書いた後だったので、今以上に万葉集の人気が出すぎてきたら嫌だなあ、といった程度の了見の狭い感想も抱いていた。
 だが、万葉集の研究者である品田悦一は、状況に対して非常に敏感に大きな危惧を唱えた。「短歌研究」の2020年3月号4月号に掲載された講演録は、瞬く間にSNSやネットを通じて広がり、大きな賛否を呼んだ。この時の顛末については、短歌研究社発行の書籍『万葉ポピュリズムを斬る』の、「一身上の弁明-まえがきに代えて」と題される文章に、詳しく語られている。この書籍は、「そこのけ、御用学者ども!  数ある便乗本よ、焼却炉の灰となれ。」と読む方が気恥ずかしくなるような版元のキャッチコピーによって売り出され、(そのキャッチコピーは、月刊誌の「短歌研究」掲載の最新版の広告では変更されているが、Amazonには書籍の説明として掲載されている)発売直後からすぐに売り切れ、電子版以外はなかなか手に入りにくい状況だったと記憶している。私も、図書館で予約して何人待ちかで借りて読んだのだが、そのまえがきにある、キャッチコピーとはうらはらの著者の状況説明には、ひどく驚かされたのだった。自身の父からネット上に現れた反応について指摘されたといい、そのことに対して著者から父に語りかける形で、「今黙っていては、なんのために学問をしてきたのかわからない。」と説明する。
 その品田悦一の講演録について、歌人の高島裕が、「未来」誌2021年1月号「2019年未来評論エッセイ賞受賞第一作」の文章「その後」で、不快であると述べている。「品田は国文学者ではないのか? <日本語で書かれた文学>に向き合っている者が、なぜ一足飛びに<人類>などと言ってしまえるのか? <人類>に行く手前で、なぜ悩まないのか? なぜ<日本>という甘美な幻影に葛藤しないのか?」と言う。品田が万葉集の魅力を心底感じており、万葉集の世界を愛しているのは当然のことだが、研究に徹することができずにいることを痛ましいと感じているようにも見える。
 高島が批判するのは、書籍『万葉ポピュリズムを斬る』にも第四章として収められている「短歌研究」に掲載された講演の内容についてである。高島が未来誌に文章を執筆する時期が書籍の出版と時期的にすれ違った事情があることも考えられるが、本に目を通していたら、少しは違った筆致になっただろう。対象とされる品田の講演録は、日本女子大学において行われた講演をそのまま文字に起こして収録した記事で、講演中に、「あの活舌の悪い」という権力者へのカリカチュアが含まれていたという部分に不愉快さを覚え、「小学生が先生の悪口を言っているのと同じである」と言う。無論、真っ向から否定しているわけではないし、むしろ自身が品田に期待するものとずれていることを嘆いているようでもある。
 高島は、品田悦一の論についてはたびたび言及しており、未来2019年6月号の「令和の御代へ」と題された「時評」では、「品田悦一らによる批判的研究が積み上げられているにもかかわらず、首相の口から、相も変わらず<天皇から庶民まで>という、万葉集に対する誤った見方が繰り返され、またしても、国民統合の幻想的な拠り所として、万葉集が機能させられることとなった。」と、時代に即した文章を書いている。また、角川「短歌」2018年9月号の特集「短歌の構造」中の文章「文語・旧かなは現代語である」において、品田の『斎藤茂吉』の中の文章「万葉の古語は何よりもまず、見慣れないことば、珍奇なことばとして茂吉の眼を奪ったのだろう。彼は、それら古語を自在につかいこなそうとする代わりに、一語一語をためつすがめつ眺めまわしたりその感触を確かめたりすることに没頭し、ことばとのそういう無為相方を自身の創作の生理としていったのではないだろうか」という文章を枕に、文語・旧かなについて述べている。ここでは、「文語・旧かなはとっつきにくいため、短歌が広く受け容れられることの障害になっている」という批判が大衆を馬鹿にしていると語る。決して馬鹿にしているわけではないと私は思う。私自身、旧仮名や文語については相当難儀した一人だし、文法的な間違いが一つあるだけで技量不足が問われる旧仮名文語よりも、現代語を選ぶ方がとりあえず有利であり喫緊の表現を求める者には早いし現実的であるという事情もある。(無論現代ではすっかり市民権を得た口語短歌ではなく従来の「短歌」と言う意味においてであるが、岡井隆だって、ある水準の短歌ができるようになるには十年かかるとどこかで言っていた。) 趣味で短歌に向かう人たちや、生きがいのために歌をつくる人たちにとってのみならず、真摯な態度で表現に向かう作者であったとしても、知的エリートであったとしても、日常語ではない言語の約束事にのっとってものを綴ることはある種のスキルを要求されるものであることは間違いないし、そのことが、リアリティの在り処とどう関わるかはまた別の話である。このことは、万葉集は江戸時代の庶民には浸透していなかった、と述べる品田の見解とも重なって見える。
 高島が腹を立てたのは、「知的エリートである学者」が、「金銭的に裕福でも知的エリートではない者たち(具体的には、ここでは政治家、あるいは大衆)」を見下していると感じたためなのではないだろうか。様々な場面で確かにそういうことはあり、「〇〇にあらずんば人にあらず」、と言われて育ってきたであろう者たちの自信とプライドの裏返しのような他者の見下しは見苦しいし、はたから見ていても嫌なものだ。重ねて歌人には「エリート主義」的なものを嫌う風潮があって、どこかで理屈を捨てて感情的に人間的にならないと(わかりやすく言えば馬鹿にならないと)面白くないというのも確かなのだ。決して馬鹿にされているわけではなくても、コンプレックスや過去の経験から、マウントをとられた気がして不愉快になるといったことは誰にでもあることである。
 だが、今回の状況の中での高島の批判は、あまりにも唐突にすぎるように思えた。個人の属性が、その者の行為について本質的に関係ないのはその通りであるとしても、公人特に権力者に対してはカリカチュアが許容されることも周知のことであることもわかっているはずだ。高島はこれを「政策や政治理念に対する批判と有機的に結びついている限りは、政治家の個人的な癖や仕草などを揶揄し、皮肉ることは、権力への抵抗として意味を持つ。」という格調高いルールを根拠に批判する。だが、権力者を命がけで批判する者を同時代的に非難することが何を意味しているか、筆者も読者も知らないはずはない。歌人は評論ができない、と言われがちな中、優れた時評をものにしてきた高島である。筆致については、今少し慎重になってもらいたかったと本当に残念に思う。
 事態は、万葉集の世界を愛する者たちが素直にそこに没入することができないほど、深刻だった(過去形にしていいのかな。)のである。専門家である万葉学者がいち早くそこに気づき、自説をさらに主張しているのだから、受け取る側も深刻に受け取らなくてはならない。いろいろと持って回った言い方をしなくても、大伴家持の歌から派生した「海行かば」が今に至って実際に抒情的に歌われている場面がどういう場面であるかを思えば、誰にでもすぐに想像できることだ。一万葉ファンでしかない現代人の私ですら、そろそろ本来の意味を返してもらって、自分なりに自由に思いを巡らすことができたらどんなに楽しいだろう、と思う。防人という人頭税形式の徴兵や采女献上の制度(これは単なる悪習ではなく当時の法律で定められていた)が古代庶民に強制されていた時代について、誰かに悪用されたり変な風に踏襲されることを心配することなく、自分が生まれた国の過去の現実として悲しんでだけいられたらどんなによいだろうと思う。
 改元に関連する詩歌の周辺の動きについては、歌人であり研究者でもある寺井龍哉もまた敏感に反応した。「歌壇」2020年2月号の時評で藤野早苗が「新元号制定、施行は、いわば不況と災害で停滞を窮めていた時代の流れを一旦堰き止めて、仕切り直しをはかる行為であった」と書いているのを受けて、同誌の2020年4月号時評で、「改元は多くの人々の意図と制度との関係のなかで進行した。<行為>に先立って何らかの統一的な意志が作用したかのような記述は、無根拠で事後的な事態の正当化に過ぎない。」と指摘する。「集団的無意識」という語によって、あったことがないものとされてしまうことを危惧し、「改元を機に<新たな潮流の創出>を求めようとし、<令和という新しい時代にふさわしい歌の姿とはいかなるものなのか>と問う藤野の姿勢はあまりに情緒的で、反知性的でもある。」と述べる。これも、詩歌の領域の一部のある雰囲気に危惧を覚えてのことである。
 ところで、学術研究の領域における政治に関する言及が問題にされたことが、6年程前にもあった。通信制の放送大学の日本美術史の試験問題中、政権を批判する問題文があったと受験生から指摘があり、大学内専用のサイトに公表される際にその問題文が削除されたという。政権は、令和元年時点の政権と同じ。美術史の領域でも、デザインや絵画、映画等の表現が、過去に政権や戦争に利用されてきたことを誰もが知っているが、専門家である担当教員が情勢に敏感に反応して問題文という形で表現し、そのことに反感を覚えた一部の者が告発して騒ぎになった、という形の事件となっている。ちょうど安保法案が制定された頃で、戦後70年を記念して戦争をテーマにした美術展がいくつか開かれ、藤田嗣治の映画がつくられたりした。美術館が所蔵する戦争画は取捨選択せずにすべて公開するべきだ、といった意見も飛び交った。一世代前には自分達の直接的な経験であった戦争が、歴史の末尾に都合よく書き足されていく過程を目の当たりにしているような印象も持ったが、そのような一般化をもいくら何でも楽観的すぎるというものだろう。背景は違うが、今、新型コロナウィルス感染症の蔓延とワクチンその他について、何となくものを言いにくい雰囲気があるのも、空気感としては似たようなものがあるのかもしれない。
 最近、たまたま読んでいた内田樹の『サル化する社会』という本の中で、<ポピュリズム>という語が取り上げられていたのが興味深かった。「私見によれば、ポピュリズムとは<今さえよければ、自分さえよければ、それでいい>という考え方をする人たちが主人公になった歴史的過程のことである」、つまり「サル化」であるという。もしかしたら、ちょっと前には「大衆化」と真面目に語られていたことが、欲望のままに動く大衆的市民や政治家が主役となった時代にはもはや通用しにくくなったため、苦渋の選択の末に使われている言葉であるのかもしれない。そう言えば、動物園の猿山をひがな眺めていたりすると、ボス猿を筆頭に、無数のマウンティング行為を目の当たりにすることも多い。ほんとに似てるなあ、ヒトと、と思う。サルの社会も人の社会も、実に面白いと言えば面白いのだが。

【引用・参考】
・2019年未来評論エッセイ賞受賞第一作「その後」高島裕(「未来」2021年1月号)
・時評「令和の時代へ」高島裕(「未来」2019年6月号)
・「文語・旧かなは現代語である」高島裕(「角川短歌」2018年9月号)
・『万葉ポピュリズムを斬る』品田悦一(短歌研究社、2020年)
・「時評 すべて時代のせいにして?」寺井龍也(「歌壇」2020年4月号)
・「放送大、政権批判の試験問題文削除<学問の自由侵害>の声も」日本経済新聞電子版2015年10月21日
・『サル化する世界』内田樹 (文藝春秋、2020年)