「詩客」短歌時評

隔週で「詩客」短歌時評を掲載します。

短歌時評第147回 まちがえて図書館を 魚村晋太郎

2019-07-31 19:39:03 | 短歌時評

 「塔」の昨年の4月号に「歌集をまとめる」といふ座談会の記録が掲載されてゐる。参加者は花山多佳子、北島邦夫、沼尻つた子、小川和恵(司会)。そのなかの「「あとがき」をどう書くか」といふ小題をつけられた部分に印象的なやりとりがあつたので引用する。

花山 やっぱり「あとがき」がいいなと思うことはありますね。その人の向かい合い方みたいなのが結構出ているかな。「この人、口先だけだ」とか「ちょっと浅いなあ」とか「しっかり向き合っているな」とか、そういうのは「あとがき」で感じる。「あとがき」は大事かな。
小川 私さっき跋文などは絶対最後に読むと言ったんですけど、実は「あとがき」は真っ先に読んじゃうんですよ。
沼尻 私も、目次と「あとがき」から行きます。
小川 そこで一定の方向づけされてしまうというのもあるかもしれないけど、「この作者はどういう気持ちでこの歌集をつくったのかな」というのが真っ先に知りたいみたいな気持ちがあって、ついそうしてしまうんです。
花山 何かこう見えちゃうとこあるのよね、「あとがき」で。
小川 怖いですね。

 「何かこう見えちゃうとこあるのよね」と花山多佳子から言はれると、やはり「怖い」。詳細には語られてゐないが、花山が「ちょっと浅いなあ」とか「しっかり向き合っているな」とか感じるといふのは、あとがきの内容だけでなく、文体や調子から感じるといふこともあるにちがひない。
 歌集はまづ作品から読むべきだと私は思ふ。しかし、それは言はば建前であつて、しばしばフライングをしてしまふのも事実である。小川や沼尻のやうに、あとがきから読むといふことはあまりしないが、巻頭からいくつかの連作を読んでゆき、主人公の人物像がぼんやりと見えてきたところくらいで、答へ合はせではないが、あとがきを読んでおきたくなることもある。もちろん、作品に力があれば、あとがきを読むことなど忘れてぐいぐい引き込まれ、最後まで読んでしまふものだが。
最近、と言つても数年来のことだが、歌集を読んでゐてそのあとがきにある変化を感じてゐる。読者に対する言及が増えたやうに思ふのだ。はつきりと意識したのは昨年、辻聡之の『あしたの孵化』を読んだときだつたと思ふ。2頁分のあとがきの中ほどの一部と最後の1行を引用する。

 当時は、失われた名古屋弁の代償なのか、言葉を書くということに熱中していた。無印良品の小さなノートに、一ページにつき一編の「詩らしきもの」を書き綴るなど、とても青臭い行為に没頭した。けれど、そうすることで確かに救われていたし、渦巻く思春期の汚泥のなかで溺死することなく、なんとか前に進んでいくための、それは浮き輪だった。あの頃、そうやって言葉は、ただひたすら自分のためだけに書かれていた。
 「詩らしきもの」はいつしか短歌へと形を変えて、僕は結社の門を叩き、友人や知人も増えた。あまつさえ、こうして幸運にも第一歌集を出すことにもなった。まだ実感が湧かない。十四歳でこじらせた性格を多分に残しながらも、人見知りだってある程度は克服した(はずの)今の僕の言葉は、少しは、他人に届くようになったからだろうか。
(中略)
 叶うなら、この歌集が誰かの浮き輪やビート板になれますように。

辻聡之『あしたの孵化』(2018年刊)

 私はこのあとがきを読んだときなにか不思議な感じがした。そして、はつきり意識したことはなかつたが、かういふの初めてではないな、とも思つた。いくつか歌集をひらいて見るとあるある。よく似た例として、岡野大嗣の『サイレンと犀』、虫武一俊の『羽虫群』からあとがきの最後の部分を引く。

 音楽を聴くのが好きだ。中学生の頃から今にいたるまで、好きな音楽は御守りのようにいつも自分の中にあるけれど、その取り入れ方は変わってきた。(中略)結局、忘れたくない、忘れられないものしか残らないんだと思う。この歌集を読んでくださったあなたが、自分なりの楽しみ方で、御守りになるような短歌を一首でも見つけることができたなら、それに勝る喜びはありません。

岡野大嗣『サイレンと犀』(2014年刊)

 最後に、いまこの本を手にとってくださっている皆様に、御礼申し上げます。少しでも良いひとときに貢献できていましたら、それが一番の幸いです。

虫武一俊『羽虫群』(2016年刊)

 辻と岡野の読者への言及は、喩へ話を使ひながら自分の歌集或いは作品が、読者が生きてゆくうへで助けや励ましになるものであつて欲しいといふ願ひを表明してゐるところが共通してゐる。虫武のあとがきには、読者への謝辞があり、これは従来の歌集にも見られることがあつたが、最後の一行は辻や岡野のあとがきに通じるものがある。読者に言及するこのやうなあとがきが従来あまり書かれることがなかつたのは何故か。また、最近書かれるやうになつたのは何故か。その理由や背景について考へてみたい。
 従来、歌集のあとがきに書かれることが多かったのは、
➀自己紹介或いは近況
②短歌との出会い或いは短歌観
③関係者への謝辞
 といつたことだらう。先に一部を引用した「塔」の座談会でも自身の歌集のあとがきについて、北島から「何でおまえ歌集出したんだ、と。そういう一種の釈明と、それとお世話になりましたから、どうもありがとうございましたというお礼と、この二つです。」、沼尻から「短歌というものに対する感謝です。(中略)あと、一番大事なのは関係者への謝辞ですね。」などの発言があつたが、読者へ謝辞等については全く触れられることがなかつた。
 かつては、一部の大御所の歌集や『サラダ記念日』のやうなベストセラーを除いて、一般の書店に歌集がならぶことはなかつた。歌集の読者は結社誌や短歌総合誌の読者にほぼ限られてゐたのである。また、歌集の作者の方も、不特定多数に読んで欲しいといふ思ひより、師や先輩、或いは同世代の歌人たちに読んでもらい、感想なり評価なり、なんらかのリアクションが欲しいといふ思ひの方がつよかつたのではないか。さうした状況では当然、不特定多数の読者への発信より、関係者への謝辞の方が重要になつてくる。もつとも短歌の指導者や仲間たち、栞の執筆者への謝辞はともかく、ほとんどの作者があとがきに添へる出版社や編集者への謝辞は一種の虚礼と言へなくもない。私は二冊の歌集を出した出版社のTさんに、この二十年あまりの付き合ひのなかで実に様々なことを教へてもらひ、心から感謝をしてゐるが、厳密に言へばそれは歌集を出したあとのことだからだ。
 さて。歌集をとりまく環境が変化しはじめるきつかけとなつたのは、TwitterやSNSの普及と、書肆侃侃房の新鋭短歌シリーズの刊行であつたと言へよう。或いは、若い世代を中心にした短歌同人誌や文学フリマなどの活況も要因に加えていいかも知れない。短歌にそれほど興味のなかつた人がTwitterやSNSで作品に触れ、歌集を読んでみようと思ふ。そんなことが起こり得るやうになつたし、書肆侃侃房の営業努力によつて、シリーズは一般の書店にも結構ならぶやうになつた。また、従来は結社や総合誌の新人賞を受賞したりノミネートされたりしたことをきつかけに第一歌集をまとめるケースが多かつたが、さうした賞などを経由せずに第一歌集を出す人も増えた。先にあとがきの一部を引用した3人のなかで、短歌研究社から歌集を出した辻は結社に所属してゐるが、書肆侃侃房から出した岡野と虫武は所謂結社には所属してゐない。師や固定的な先輩がいなければ、あとがきでの発信の対象が読者に向かふのはある意味自然なことだ。
 先の3人のなかで、辻と虫武のあとがきには関係者への謝辞があるが、岡野のあとがきには読者に対するものも含めて一切の謝辞はない。それはそれで潔いことだ。ちなみに先行する世代、かつて歌葉新人賞で注目された斉藤斎藤、永井祐、宇都宮敦の第一歌集にはあとがき自体がない。作品を独立したものとして読ませたいといふ意思のあらはれであらうが、諸々の虚礼を廃したいといふ気持ちもあつたかも知れない。
 歌集の出版や流通をとりまく環境の変化が、あとがきにおける読者への発信を促したであらうことはおそらく間違いない。そして、さうした環境の変化と無関係ではあるまいが、歌集の作者の内面にも変化が見られるのではないかと思ふ。作品を通じて同時代を生きる他者とつながりたいといふ意識がつよくなつてゐるやうに感じるのだ。それはSNSといふツールの普及によつて必然的に育まれた意識であるとも言へるし、「生きづらい」時代を反映したものだとも言へるかも知れない。ただ、私が危惧するのは、若い人たちの間に、誰かの、或いは何かの役に立たなければならないといふ圧力が必要以上に高まつてゐるのではないかといふことだ。
 人間の存在価値は、何の役に立つかといふ用在性をはなれたところにあるはずだ。一方で社会は役に立つこと、効率的であることを狂信的に追及してやまない。詩歌こそ、今はまだ役に立たないもの、或いは、金輪際役に立たないもの、さういふものたちの最後のアジールなのではなかつたか。
 詩や歌に助けられる、言ひ方を換へれば、詩や歌が誰かの助けになるといふことは確かにあるだらう。しかし、さうした幸福な場合であつても、読者と作者の間には単純な需要と供給の関係があるわけではない。そのことについて意識的であると思はれる服部真里子の『遠くの敵や硝子を』のあとがきの最後の部分を引用する。

 人と関わることは本質的に暴力で、勇気とは愚かさと暴力の謂ではないかと思うときがあります。けれど、私は勇気の人でありたい。私のささやかな勇気が、偶然、あなたの心を照らせたなら、こんなにうれしいことはありません。読んでくださってありがとうございました。

服部真里子『遠くの敵や硝子を』(2018年刊)

 詩歌をつむぐことは、極めて個人的な行ひである。笹井宏之のよく引用される作品に「この森で軍手を売って暮らしたい まちがえて図書館を建てたい」といふ一首があるが、詩歌が誰かの心を照らせるとしたら、それは「まちがえて」の帰結であり、服部の言ふ「偶然」によつてもたらされるものではないのか。あとがきでの読者へ呼びかけようとするとき、それが本当に必要なことなのか、ふさはしいことなのか考へてみてはどうだらう。
 最後に、本論とは直接関係ないが、最近こころに残つた言葉を紹介しておきたい。
詩人とは詩を書く人、詩をつくる人という以前に詩を求める人
 これは5月に私が所属する玲瓏が開いた「塚本邦雄研究の會」で、ゲストに迎えた高橋睦郎の言葉である。塚本邦雄についての講演の枕の部分で発せられた言葉だが、非常に明快な詩人の定義であり、詩人を歌人に、詩を歌に置き換へればそのまま歌人の定義にもなるだらう。


短歌企画「短歌時評alpha」中止のお詫び 詩歌梁山泊代表 森川 雅美

2019-07-06 14:45:59 | 短歌時評

 詩客短歌連載企画「短歌時評alpha」は、担当実行委員が辞任したため中止になりました。
 関係者および読者の皆様にお詫び申し上げます。
 中止の理由は以下になります。当企画を継続するには、企画全体を再考しなければならないため、かなりの負担になるということが前提です。

1、現在の状況を考慮すると、同企画を他の実行委員が引き受けるのは負担が大きく、難しい。

2、新しい実行委員にお願いするとしても、賃金を払えないボランティアのためただでさえ引き受け手がないうえ、当企画の継続を含めれば実行委員の依頼ができない。

3、森川が引き受けることも考えたが、そこまで短歌の現状に詳しくないため、結局は短歌の実行委員に負担をかけることになる。

 そこで、中止せざるを得ないという現状です。

 申し訳ありません。