「詩客」短歌時評

隔週で「詩客」短歌時評を掲載します。

短歌時評 第107回 みたび震災詠について その二(完)  田中濯

2013-11-19 01:09:39 | 短歌時評
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 今夏、真中朋久の第四歌集『エフライムの岸』が刊行された。あとがきによれば、タイトルの由来は聖書に基づくとのことである。

 発語の訛をもって、人を選別し殺戮するという、旧約聖書中でも最も陰惨なエピソードの一つであるが、それが絶後でなかったということをしばしば思うのである。
「あとがき」『エフライムの岸』

 この思いが指すものは、次の二首ということになるだろう。
 
『旧約聖書』士師記
シイボレト(つぎ)シイボレト(言つてみよ)シイボレト(ゆけ)シボレト(ゐたぞ)
  一九二三年、東京
じふゑんごじつせんちうゑんごじつせんじふゑんごじゆつせんごじつしえん


 一首目は二首目の「前ふり」としての役割が大きい。より重要な二首目は関東大震災時におこなわれたジェノサイドに基づくものである。この歌が、単純にエピソードに取材したものではないことは、「完全に訛がある者」が、一首目の士師記の歌のようには存在しない、という点にある。「三人」居るのだとすれば、二人目が「半分」だけ訛っており、三人目は言い直しを強制されて、「訛った」というような解釈ができる。あるいは、一人に「三回」言わせて、訛りを炙り出したのかもしれない。いずれにしても、この歌において指摘できるものは、あやふやな基準で生死が選別されてしまう理不尽さ、よって自分も無意味に殺され(あるいは排除され)うること、その無意味さに「理屈」すらついていること、それらに対する憂いや怒り、恐怖、といったところがまずは指摘できる。この歌は深く広く読みの冒険をしても問題のない類の歌であり、だからこそ象徴的なものとして、歌集のタイトルにも直接繋げられているのである。

 真中によれば、『エフライムの岸』収録の歌は、2006-2010の期間のものということで、2011年のものは入っていない。つまり、東日本大震災・福島第一原子力発電事故の歌はないはずなのだが、現在の眼でみると、とてもそのようには見えない。というのは、挙げた歌もそうだが、関東大震災、阪神・淡路大震災、あるいは東海村(臨界事故)が積極的に歌われているためである。多くの読者は現在、地震・原発といえばともかく3.11絡みの読みをしてしまう。しかし本書は、その不毛な地点から根本的に逃れている。読者は、真中により構築された巨大な「緩衝空間」を介して、震災や原子力エネルギーにまつわるひとびとの心や振る舞いを案じることができ(その震災はもちろん3.11ではない)、はたと我にかえって、歌そのものを味わう余裕を手に入れることになる。このような歌集のありかたが実際にあったことに、私は率直にいって、ショックを受けたのだった。

 私は前回の時評において、「今後の震災・原発詠には展望が必要である」と述べた。『エフライムの岸』のありようはそのひとつの具体的な方策であるので、本稿で特に取り上げてみた。ひろく一般的にいえば、歴史に学ぶ、というのは王道であるためだ。そして、短歌で振り返るべきなのは、真中が着目したように、関東大震災なのではないだろうか、という直観を私は持つ。阪神・淡路大震災については、少し時期が近いような気がするし、もうひとつの大事件である地下鉄サリン事件の印象がこの震災を語ることを難しくしていると思う。比較対照の案件としては、より難易度が高くなるだろう(それはチャレンジするべきことなのかもしれないが)。『エフライムの岸』でも、阪神・淡路大震災はいまだ「生傷」であるとのイメージを持つし、一方で突き詰めていないぶんだけ印象はやや薄いものだった。いずれにしても、どちらの震災を対照に選ぶにせよ、当時のひとびとが、震災に対してどのように振る舞い、そして忘れていったか、そのプロセスをよく復習しておくべきだと考える。
 ただし、今回の震災には原発事故とその処理、が新たに巨大なファクターとして加わっている。震災そのものを超えて、原発事故は、あたかも根治出来ない再発癌のように、ひとびとを悩まし苦しめている。「今回」と90年前、あるいは20年前の「前回」を比較したさいに、明瞭な相違点として浮上してくるのは、言うまでもなく、それ、である。

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 最後に、前回の柳澤美晴による詩客短歌時評を見て着想があったので、それを記しておくことにしたい。論の対象は「家族詠」についてであった。柳澤は大森静佳『手のひらを燃やす』と堂園昌彦『やがて秋茄子へと至る』といった今年の優れた第一歌集を引用しつつ以下のように述べている。

 短歌界では少し前に、若手歌人が歌を詠い上げることをしないという問題提議があったと記憶しているが、そこには自己を強く打ち出すことに対する含羞が働いていたのだと思う。それが、しだいに他者との軋轢を避け、あわあわとしたイメージの中に個人の輪郭を消すという方向に深化していったものと見ることはできないだろうか。大森や堂園の作中主体は、彼らそれぞれの個人史に依拠するものというよりは、偏愛する歌語を組み合わせて作ったアバター的主体であるように見える。

 私の意見を最初に述べておくと、「他者との軋轢を避ける」心性があり、それが優位に働いているとしても、「歌を詠い上げない」ということを説明するに足るとは、あまり思えなかった。そもそも、歌を「詠い上げる」必要はあるのか、あるいは、「詠い上げる」ことが評価されるべきことであるのか、議論の余地があるところだと考える。むしろ、私が、ピン、ときたのは「偏愛する歌語を組み合わせて作」る、という文言であった。私は、これこそが急所を突いているものと考える。すなわち、現在的な認識として、言葉(歌語)そのものの価値が以前と比べて遥かに高い、それも例えば現実世界におけるゴールド(金)のごとく自明に高い、のではないだろうか。言葉(歌語)によって構成されているはずの短歌そのものが、言葉(歌語)よりも劣位になり、短歌全体が言葉(歌語)に奉仕してもよい、あるいはするべきだ、と考えられるほどに。

 もちろん、この作法や価値観は個人の好みであり、時代のひとつの潮流であり、あまりとやかく言いたくない気分もあり、あるいは積極的に、それが歌集全体に良い雰囲気を醸し出している面をおおいに評価するべきなのかもしれない。ただ、ひとつの懸念として、「偏愛する歌語」(計量したわけではないが、柳澤の挙げている歌集群に使用されている語彙は、比較的少なく、かつ明瞭な偏り・傾向があると判断可能だ)だけでは現実や自分(おおむね「愛せない」ものである、と私は思う)を構築するのには限界がある、とは申し述べておきたい。「家族詠」や、あるいは「社会詠」が歌集から「除去」されてしまうのが、ある意味「構造的なもの」であるのであれば、それは状況として良くない、という以前に単純に、もったいない、と感じるものである。

 ここであえて付け加えておくならば、ならば「偏愛する歌語」の「袋」に普通は愛せないような「歌語」をたくさん入れるのはどうだろうか?、というようなことを、私は言いたいわけではない。ざっくり言って、そのような発想で、見た目を「汚く」するというのでは単純にすぎるし、問題があるとするのなら、それは「組み合わせ」のほうが根深い、と考えているためでもある。なぜならその「組み合わせ」は、「組み合わせ」自体で、ある種の叙情や感情を、ほぼデフォルトで読者に喚起する可能性があるためだ。「歌語」優位になると短歌はその「組み合わせ」のパターンとして存在しはじめる。それは、読者を初めから「感情の機械」とみなして作歌する態度でもある(断っておくが、「感情の機械」という言い方はネガティブに聞こえるかもしれないが、私はニュートラルな意味で用いている)。
 
 震災詠を語っていたはずなのに、優れた新人たちの第一歌集に辿りついてしまい、辺りを見回さざるをえないのは、私個人の歌であり諭でありの展望が、この地点の先にあるためだろう、という気がしてならない。それは、この彷徨は、短歌でフィクションをどの程度「許容」するのか(この言いよう自体が既におこがましい、という立場も無論ある)、あるいは具体的に、震災詠でフィクションすること、についての判断に直結することでもあると考えているためだ。「歌語」優位の向かう先には、またそれがすくすくと成長するためには、さきほど懸念した「限界」を突破するために、フィクションをもっとたっぷりと使用することや、現実とは接点の薄い世界観を構築することに対する欲望が、より露わになると予想するためである。そのとき、震災詠はどうなるのか、あるいはどうするのか、興味深いことであるし、また考え続けてみたいことでもある。

 とは言いながら、基本的には、この辺りの話題は実際の作品で表現していくほうが早いし正確だ、とも考えている。詩客の読者の皆様には、長い間お付き合いいただいて、深く感謝している。
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短歌時評 第106回 変わりゆく家族詠 柳澤美晴

2013-11-05 23:55:54 | 短歌時評
 歌壇十一月号の時評「近づけば明るむ」で中沢直人は、古谷智子の歌書『幸福でも、不幸でも、家族は家族。』を取り上げ、「『家族意識が稀薄だからこそ、大切さが再認識され』ており、短歌はそうした作者の心情を敏感に反映していると古谷は言う。」と古谷の見解に同意を示す。その上で、目黒哲朗、浦河奈々、中川佐和子の近刊歌集から家族を主題とした以下のような歌を紹介する。

息子には教へねばならぬことばかり桃の産毛の手触りはいかに
目黒哲朗『VSOP』


わが名もう母に呼ばるることはなし洗濯機まはしてひとしきり泣く
浦河奈々『サフランと釣鐘』


高熱の子のメール来て独身寮どこにあるかを知らぬに気づく
近づけばほのと明るむ電燈のごとき母居り躑躅咲く家
 
中川佐和子『春の野に鏡を置けば』


 そして、ユビキタス社会にあって家族の日常は変わったが、「古谷の議論をもとに考えれば、今後、短歌は家族をますます大切にうたう方向に向かうに違いない」と結論づけて時評をとじる。子をなして父となった目黒、母の看護に苦悩する浦河、就職による子離れと母の老いとの両方に直面する中川。家族をなし、次代に血をつないでいく責務を負う壮年は殊に、家族との関わりが濃密になるため、歌の主題としても多くなるのではないか。この三歌集を引き合いに出して、中沢が上記の結論にたどり着いたのに一応の納得はいく。しかし、若手歌人の歌集に目を通した際に、わたしは、中沢のように、これから多くの家族詠が現れるだろうと楽観的に考えることはできなかった。なぜなら、多くの若手歌人の歌集から家族詠が抜け落ちているからだ。そして、家族詠とは言っても、目黒や浦河、中川の歌のように家族との濃い関わりの中から家族の実像を描く詠い方ではなくなってきているように思う。
わたしが、若手歌人の家族詠が変質しているという思いを抱くことになったきっかけは、二〇一二年にさいたま市で行われた「現代短歌シンポジウム〈家族〉はどう詠われたか」の資料をまとめたことだ。当時、話題になっていた永井佑の歌集『日本の中でたのしく暮らす』に目を通したところ、驚くべきことに、この歌集では以下の一首しか家族に言及した歌が見つからなかったのだ。

かっこつけたい年頃の弟がいる生活はどんなだろうか 
『日本の中でたのしく暮らす』


 しかも、ここに詠まれているのは現実の家族の姿ではない。これは、いるはずのない弟(多分、思春期こじらせ系の)のいる場合の日常をとりとめもなく夢想してみました的な歌なのである。家族とは、最も身近な他者である。それが、もうイメージとしてしか存在できなくなっているということにわたしは強い衝撃を受けた。単純に考えると、それだけ家族関係が稀薄になっているということだろうか。しかし、それだけではなく、家族とさえ対立できないほど自らの内に引き籠っていると見ることもできるのではないか。
 山崎聡子は、詩客の第104回短歌時評「『女性性』という視点が取りこぼすもの」で女性の若手歌人の歌を「女性性」をキーワードに論じることに異議を唱えている。そして、作中主体のフェアでフラットな性意識をとらえる視点の必要性を説いているのだが、この時に引用されていた大森静佳の以下の発言に目を奪われた。くり返しになるが、引用したい。

大森 そうですね。歌に向かうときは自分が女性ということをあまり意識しないようにしています。もっと透明なところから歌いたいという思いがあります。
   (中略)
大森 恋とか愛とか考えるとき、性別、性を通り抜けて何もなしで考えることはできないので、もちろん意識はするのですが、女性性を歌にすることへの抵抗があって、それがなぜなのか、自分でもよくわからない。

(「角川短歌」2013年8月号)


 実は、大森の歌集にも家族詠は二首しかない。そのことと、女性性の忌避とはあながち無関係ではあるまい。大森は、別に自らの性を否定しているわけではない。ただ、社会から、狭く言えば短歌界から求められる女性的なものに対して違和感を抱き、求められるままに振る舞うことを拒絶しているのだ。女性らしくあること、それは社会的な制約である。そして、だれかの娘であり、姉や妹であることもまた家族という極小社会から強いられる役割演技であることは言うまでもない。

声変わりせぬおとうとと別れ来て真冬の万華鏡のしずけさ
紫陽花のふくらみほどに訪れるあなたを産んだひとへの妬み 

『手のひらを燃やす』


 どちらも弟や恋人の母親の姿が、「真冬の万華鏡」、「紫陽花のふくらみ」と美麗なイメージでぼかされてしまっており、くきやかに立ち上がらない。それぞれの見立ては魅力的なものの、家族に今一歩踏みこみきれていない憾みが残る。姉として、あるいは義理の娘になるものとしての振る舞いに消極的な地点からは家族の生々しい行動をとらえた歌、あるいは家族と鋭く対峙した歌を詠むことは難しいのかも知れない。
 刊行されるやたちまち重版ということで話題を呼んでいる堂園昌彦の歌集『やがて秋茄子へと至る』でも、家族を主題に据えた一連は見られない。そして、あたかも家族の気配が薄くなるのに比例するかのように、「君」「あなた」と呼びかけられる思慕の対象の存在感は増す。

とどまっていたかっただけ風の日の君の視界に身じろぎもせず 
『手のひらを燃やす』


ほほえんだあなたの中でたくさんの少女が二段ベッドに眠る  
『やがて秋茄子へと至る』


 世界でのたった一本の生命線のような「君・あなた」。大森や堂園の相聞歌が深く胸を刺すのは、他者の希求がただ一人に集約されているからだ。暗闇に射す一筋の光。それは、ある時は、家族を拒絶してでも、手に入れるべきものであるのかも知れない。
 大森や堂園の歌は、抽象的な語彙に自己を揺曳させるものである。なぜ、そのような詠い方なのか考えていたが、自己を透明に保ちたいという心の表れだったのだとしたら得心がいく。短歌界では少し前に、若手歌人が歌を詠い上げることをしないという問題提議があったと記憶しているが、そこには自己を強く打ち出すことに対する含羞が働いていたのだと思う。それが、しだいに他者との軋轢を避け、あわあわとしたイメージの中に個人の輪郭を消すという方向に深化していったものと見ることはできないだろうか。大森や堂園の作中主体は、彼らそれぞれの個人史に依拠するものというよりは、偏愛する歌語を組み合わせて作ったアバター的主体であるように見える。

もみの木はきれいな棺になるということ 電飾を君と見に行く 
『手のひらを燃やす』


秋茄子を両手に乗せて光らせてどうして死ぬんだろう僕たちは 
『やがて秋茄子へと至る』


 東郷雄二は自身のホームページ「橄欖追放」で堂園の作家としての気質を「世界を末期の眼で眺めている」と評した。世界から優しくしりぞくことで、まるでもう全てが過ぎ去った後のような、終わったものであるかのように見はるかす。ゆえに、大森や堂園の歌には常に死があまく匂っているのだと思う。
 今はまだ若いが、壮年になり、家族の重みを知った時に彼らの世代がどんな歌を詠むのか。または、家族を詠わないまま歳を重ねるのか。家族詠の行く末を見守りたい。
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