鞣革(なめしがは)工場に生の皮積まれ傲然たり 死より出發するもの 塚本邦雄
最近、塚本邦雄の「日本人霊歌」を読んで、この一首を知った。俳人の目から見ると、短歌は長い。いわば日本刀である。どんなに速いように見えても、鍔口を切って鞘走る手間があるような気がしてならぬ。俳句は例えるなら、剝き出しの鉈だ。跳び込みざまに刃の重さで、斬るというよりは撃つ。ただ、この歌は俳人の目から見ても重い刃が剝き出しで迫るような観があって心地良い。
「生の皮」 は、なまのかわ、と読むのだろうが、せいのかわ、とも読めて、それは生を包んでいる皮とも、あるいは命の皮とも読める。もっと読むならば、人生の皮とも取れる。そこまで連想すると、動物の皮に決まっている筈なのに、もしかすると人間の皮か、とも思えてくる。暗喩としては、それが正解のような気もしてくる。
ある動物がその動物の皮かぶっていなければ、その動物とは認められないだろう。それは多分もう死んでいて、肉塊だ。人もまた、人の皮かぶっていなければ、人とは認められないか。人の皮って何だろうと思う。良くも悪しくも人が人らしくあるために被るもの。それを世間体と言っても良いし、制度と言っても良いし、慣習と言っても良いし、社会倫理と言っても良い。
この「日本人霊歌」は、一九五六年夏から五八年夏に掛けて書かれたと跋にあるから、戦後十年は経っているのである。戦後、日本の全ての価値観がひっくり返り、生き延びようとする自我が剝き出しになり、その剝き出しの肉を戦前は覆っていた筈の「天皇陛下万歳」が一転「マッカーサー万歳」となってから後の時代である。
この時代の出来事を順に記すと、
一九五〇年 レッド・パージ(マッカーサーによる共産主義者狩)
六月 朝鮮戦争勃発 「共産主義の脅威」が公然と語られる
朝鮮戦争による特需景気
一九五一年 四月 マッカーサー、アメリカへ帰国
一九五二年 四月 アメリカによる日本の占領終わる
五月 東京の皇居外苑にて「血のメーデー事件」学生運動の初の死者
一九五三年 三月 スターリン死去による日本株価大暴落
(朝鮮戦争終結の予想により売りが殺到)
七月 朝鮮戦争休戦
一九五四年 特需景気終わる 大企業スト多発
一九五五年 立川の米軍基地拡張に抗して砂川闘争始まる
五五年体制確立(与党の自民党と野党の社会党という構図)
神武景気始まる
一九五六年 二月 フルシチョフのスターリン批判演説
太陽族流行 経済白書が「もはや戦後ではない」
十月 「日ソ共同宣言」 ハンガリーにて反ソ動乱、ソ連軍による鎮圧
十二月 シベリア抑留者最後の引き揚げ
一九五七年 六月 岸首相訪米 「日米新時代共同宣言」新安保条約への布石
七月 鍋底不況
一九五八年 後半より岩戸景気始まる
資本主義と共産主義の間で、日本人が民族として生き残るべく、如何に揺れ動いたか、その模索の軌跡を考えると、胸迫るものがある。
鼠色の雨衣睛天の日も似合ひ晩餐にも革命にも遲刻する 「日本人霊歌」
鞣革工場とは、血と脂にまみれ捩れ凸凹した生皮を、綺麗に見栄え良く、長持ちするように整える処だ。皮を鞣す工程を、現実の社会を機能させる様々な思想に例えるなら(その当時日本人を鞣した思想を大きく二分すればアメリカ式資本主義とソ連式共産主義である)、この生の皮とは、敗戦し精神的基盤に盲いた日本人であろう。
冒頭の掲歌において、「傲然」たるのは、積まれある生皮である。この「傲然」という措辞に、東洋の奇跡と驚かれるほどの経済復活を遂げた日本が重なってくる。景気はジェットコースターのように浮き沈みし、しかし日本人は貪欲に傲然と経済成長を続けた。エコノミック・アニマルと呼ばれても、傲然と働き続けたのは、つまり、金がなかったから敗けたという現実が骨身に染みていたからだ。もっと石油があれば、もっと鉄があれば、もっと物資があればと歯軋りしながら死んでいった者達の無念を、意識の底では忘れ得なかったからだ。
傲然たることは、掲歌の中では特に否定されている印象は受けない。作者が敗戦を経験したのだから、当然だ。傲然たることは悪徳で、謙虚さが美徳なんて、それが本当の在るべき姿であったとしても。この世は金と暴力、もっと言うなら飯と布団と暴力で出来ていると、叩き込まれた者は、どうしたって傲然と振る舞わざるを得ない。傲慢でなければ、生きていけない状況がある。何よりも二度と屈辱を受けたくない。もう二度と飢えたくなく、凍えたくなく、殴られたくない。その為だけの、傲岸不遜である。「死より出発するもの」とは、先ず第一義に、「生き残れる筈ではなかったが生き残った者」という意味だろう。
處刑さるるごとき姿に髮あらふ少女、明らかにつづく戰後は 「日本人霊歌」
わが身の事は兎も角、例えばどうしたって守らねばならぬ少女がいる場合、如何に鞣されても生き残らねばならぬ。「死より出発するもの」とは、これから鞣される工程を受け入れるべく、傲然と待機している生皮であるとも取れる。
さて、傲然たるのは、生皮であり、命の皮であり、人生の皮であり世間の皮であるのだが、中身たる肉はどこへ行った。皮は美しく鞣されることにより、新たに生き直すことが出来よう。皮を失った肉は、先ず大抵はそのまま息絶えるのだが、全身赤剥けのまま、瞼の無い眼を血走らせて生き残ったとすれば、その赤剥けの肉はどうなる。
「傲然たり」と「死より出発するもの」との間に、一字の空白、一字分の沈黙が存在する事を考えると、「死より出発するもの」とは、生皮と離れて対峙するもの、皮を剝がされた後に生き残った赤剥けの肉体であるとも考えられる。見栄え良い鞣革を大量生産する為の「工場」から、追われる如く出発した赤剥けの肉は、その後どうなった。
吊されしまま朱き身を削がれゆく鮭と藝術家の生涯と 「日本人霊歌」
つまり、塚本邦雄となったのである。
最近、塚本邦雄の「日本人霊歌」を読んで、この一首を知った。俳人の目から見ると、短歌は長い。いわば日本刀である。どんなに速いように見えても、鍔口を切って鞘走る手間があるような気がしてならぬ。俳句は例えるなら、剝き出しの鉈だ。跳び込みざまに刃の重さで、斬るというよりは撃つ。ただ、この歌は俳人の目から見ても重い刃が剝き出しで迫るような観があって心地良い。
「生の皮」 は、なまのかわ、と読むのだろうが、せいのかわ、とも読めて、それは生を包んでいる皮とも、あるいは命の皮とも読める。もっと読むならば、人生の皮とも取れる。そこまで連想すると、動物の皮に決まっている筈なのに、もしかすると人間の皮か、とも思えてくる。暗喩としては、それが正解のような気もしてくる。
ある動物がその動物の皮かぶっていなければ、その動物とは認められないだろう。それは多分もう死んでいて、肉塊だ。人もまた、人の皮かぶっていなければ、人とは認められないか。人の皮って何だろうと思う。良くも悪しくも人が人らしくあるために被るもの。それを世間体と言っても良いし、制度と言っても良いし、慣習と言っても良いし、社会倫理と言っても良い。
この「日本人霊歌」は、一九五六年夏から五八年夏に掛けて書かれたと跋にあるから、戦後十年は経っているのである。戦後、日本の全ての価値観がひっくり返り、生き延びようとする自我が剝き出しになり、その剝き出しの肉を戦前は覆っていた筈の「天皇陛下万歳」が一転「マッカーサー万歳」となってから後の時代である。
この時代の出来事を順に記すと、
一九五〇年 レッド・パージ(マッカーサーによる共産主義者狩)
六月 朝鮮戦争勃発 「共産主義の脅威」が公然と語られる
朝鮮戦争による特需景気
一九五一年 四月 マッカーサー、アメリカへ帰国
一九五二年 四月 アメリカによる日本の占領終わる
五月 東京の皇居外苑にて「血のメーデー事件」学生運動の初の死者
一九五三年 三月 スターリン死去による日本株価大暴落
(朝鮮戦争終結の予想により売りが殺到)
七月 朝鮮戦争休戦
一九五四年 特需景気終わる 大企業スト多発
一九五五年 立川の米軍基地拡張に抗して砂川闘争始まる
五五年体制確立(与党の自民党と野党の社会党という構図)
神武景気始まる
一九五六年 二月 フルシチョフのスターリン批判演説
太陽族流行 経済白書が「もはや戦後ではない」
十月 「日ソ共同宣言」 ハンガリーにて反ソ動乱、ソ連軍による鎮圧
十二月 シベリア抑留者最後の引き揚げ
一九五七年 六月 岸首相訪米 「日米新時代共同宣言」新安保条約への布石
七月 鍋底不況
一九五八年 後半より岩戸景気始まる
資本主義と共産主義の間で、日本人が民族として生き残るべく、如何に揺れ動いたか、その模索の軌跡を考えると、胸迫るものがある。
鼠色の雨衣睛天の日も似合ひ晩餐にも革命にも遲刻する 「日本人霊歌」
鞣革工場とは、血と脂にまみれ捩れ凸凹した生皮を、綺麗に見栄え良く、長持ちするように整える処だ。皮を鞣す工程を、現実の社会を機能させる様々な思想に例えるなら(その当時日本人を鞣した思想を大きく二分すればアメリカ式資本主義とソ連式共産主義である)、この生の皮とは、敗戦し精神的基盤に盲いた日本人であろう。
冒頭の掲歌において、「傲然」たるのは、積まれある生皮である。この「傲然」という措辞に、東洋の奇跡と驚かれるほどの経済復活を遂げた日本が重なってくる。景気はジェットコースターのように浮き沈みし、しかし日本人は貪欲に傲然と経済成長を続けた。エコノミック・アニマルと呼ばれても、傲然と働き続けたのは、つまり、金がなかったから敗けたという現実が骨身に染みていたからだ。もっと石油があれば、もっと鉄があれば、もっと物資があればと歯軋りしながら死んでいった者達の無念を、意識の底では忘れ得なかったからだ。
傲然たることは、掲歌の中では特に否定されている印象は受けない。作者が敗戦を経験したのだから、当然だ。傲然たることは悪徳で、謙虚さが美徳なんて、それが本当の在るべき姿であったとしても。この世は金と暴力、もっと言うなら飯と布団と暴力で出来ていると、叩き込まれた者は、どうしたって傲然と振る舞わざるを得ない。傲慢でなければ、生きていけない状況がある。何よりも二度と屈辱を受けたくない。もう二度と飢えたくなく、凍えたくなく、殴られたくない。その為だけの、傲岸不遜である。「死より出発するもの」とは、先ず第一義に、「生き残れる筈ではなかったが生き残った者」という意味だろう。
處刑さるるごとき姿に髮あらふ少女、明らかにつづく戰後は 「日本人霊歌」
わが身の事は兎も角、例えばどうしたって守らねばならぬ少女がいる場合、如何に鞣されても生き残らねばならぬ。「死より出発するもの」とは、これから鞣される工程を受け入れるべく、傲然と待機している生皮であるとも取れる。
さて、傲然たるのは、生皮であり、命の皮であり、人生の皮であり世間の皮であるのだが、中身たる肉はどこへ行った。皮は美しく鞣されることにより、新たに生き直すことが出来よう。皮を失った肉は、先ず大抵はそのまま息絶えるのだが、全身赤剥けのまま、瞼の無い眼を血走らせて生き残ったとすれば、その赤剥けの肉はどうなる。
「傲然たり」と「死より出発するもの」との間に、一字の空白、一字分の沈黙が存在する事を考えると、「死より出発するもの」とは、生皮と離れて対峙するもの、皮を剝がされた後に生き残った赤剥けの肉体であるとも考えられる。見栄え良い鞣革を大量生産する為の「工場」から、追われる如く出発した赤剥けの肉は、その後どうなった。
吊されしまま朱き身を削がれゆく鮭と藝術家の生涯と 「日本人霊歌」
つまり、塚本邦雄となったのである。