この夏、明治時代に作られた民法についての本を読んでいた。明治時代に既にいまと同じ議論が多くされているのを知ったのだけれど、驚いたのは、梅謙次郎という作成者の1人が、1000条以上もある民法を精緻な議論を経て何年かで書き上げて、50歳で亡くなっていることである。知識としては聞いたことがあったけれど、その中身を見て、自分と比べるとき、驚かずにはいられなかった。
そう思って明治の歌人の年譜を見ると、知識としては短命であったことを知っていたけれど、そのことをあらためて実感する。
落合直文は、1861年から1903年で42歳で、伊藤左千夫は、1864年から1913年で亡くなったとき48歳で、正岡子規は、1867年から1902年で34歳で亡くなっている。
わたしは35歳で短歌を始めたので、正岡子規とはまったく重なるところがない。「若い人の歌」という言い方をすることがあるけれど、それは年齢のことをいっているのか、時代のことをいっているのか、歌歴のことをいっているのか、話は簡単ではないように思う。
年齢によって影響を受ける(たとえば若いときにしかつくれない)歌というのがあるのか、あるいは歌歴によって影響を受ける(たとえば歌歴が浅いときにしかつくれない)歌があるのか、または、その時代に影響を受ける歌があるのか、その3つが混在して論じられているような気もする。
氷売るこゑもいつしか聞きたえて巷のやなぎ秋風ぞ吹く
落合直文『萩之家歌集』
雨ふれば人も見に来ず藤なみの花のながぶさいたづらに咲く
伊藤左千夫『左千夫歌集』
ガラス戸の外の月夜をながむれどラムプの影のうつりて見えず
正岡子規『竹の里歌』
近代短歌のないところから、短歌を初めてつくった歌だと思うと自分との違いが大きすぎるけれど、でもこの歌が歌会に出て読んでいることを想像すると、少したのしいような気がする。