「詩客」短歌時評

隔週で「詩客」短歌時評を掲載します。

短歌評 短歌を見ました4 鈴木 一平

2017-02-26 22:03:18 | 短歌時評

『穀物 第3号』の続きです。

  フライパンの中に油を敷くけれど言ってくれ間違っているなら

 進上達也「すぐにこすれて燃えてなくなる」から。上句の提示を下句で引き受けつつ、文節を通して後者の論旨をフライパンでも油でもない場所に向ける流れは、詩でいえば改行に近い論理が働いているとおもいました。上下の構造的な分割を経由することで逆接の内容を漂白させ、残存する前行の提示を弱く脱臼することで、作中の基本的なトーンとなる生活感に迫真性を搭載させつつ、脈絡のズレが持つ切れ味を読ませます。「定期券区間の外でこれからのお金の減り方を覚悟する」や「ヌードルの麺を伸ばしてお湯をぬるくしてから本当に思い出す」などにも見られるこの構成は、いわく言いがたい生の感覚を作中に結晶化させているような印象を受けます。

   以前、名をつけたことのある嗅覚が見つかる一昨年のマフラーに

 「匂い」ではなく「嗅覚」と呼ぶニュアンスがいいとおもいます。「匂い」であれば一昨年のマフラーに残る一昨年のだれかの(私の?)匂いとして、今の私がそれを嗅ぐという意味に留まりますが、「嗅覚」として差し出されると話は変わってきます。「嗅覚」は嗅ぐ対象ではなく嗅ぐことに伴う匂いをもたらす感覚そのものであり、その意味でいまの私の嗅覚とは決定的に一致することはありえず、いまの私ではない別の何かになることの契機をもたらすからです。そのため、修辞としては想起というより過去の現前として現在の私の変更をもたらす強さがここにはあり、翻って一昨年のマフラーがもつ過去の匂いの鮮烈さを感じます。

  襟首が伸びていつかはこの部屋を出る新しい可燃ごみとして

 連作では先ほどのマフラーの後に「年末のもうすぐ捨てるセーターの行く先々で挨拶をする」が置かれ、その次に上記の作品があり、衣服を一要素に詠み込んだものが連続しますが、これらに共通して見られるのは、衣服を着古していく時間の流れに過去や未来の方向性を添えつつ、どこか諦念を含んだクリアで余韻のある叙情です。さて、この作品では衣服の劣化に「襟足の伸び」を重ね合わせて、身体に流れる時間が描かれています。これまでレイアウトの一部として対象化されていた衣服が作品の基底として、あるいはレイアウト全体の共働の結果として描かれています。つまり、衣服は作品の中で経由される要素というより、パタパタと展開していく作品の運動と分かちがたくあるわけです。身体の重ね合わせは「襟首」としての表出と同時に、こうして作品を読み解いていく過程のなかで動的に形成されるものでもあるといえるでしょう。そして、これまで着古されたものとしての衣服が詠まれていたなかで、この作品は古着にごみとしての新しさが付帯されている点も無視できません。

 濱松哲朗「〈富める人とラザロ〉の五つの異版ーーRalph Vaughan Williamsに倣つて」では、冒頭にルカ伝の引用が置かれ、その後に5つのセクション([Variant1~5]、以下番号のみ表記)に分かれた連作によって編まれていますが、分量的に他の同人よりも多く、構造的にも少々込み入ったかたちでつくりこまれているように感じます。ネガティブな生を生き続けることを余儀なくされた私と友人の死についての意識を主題とした作品が目立ち、なかでも特徴的なのは、ルカ伝で生前のラザロの生活スペースとして描かれていた「門」が、異なるセクションのなかで繰り返し詠まれている点です。個々の作品の配置から読み取れる連鎖的なイメージと、随所に挟まれる「門」のモチーフを通して、そこから立ち上げられる読みを考えてみます。

  開かるる門のかたちに漏れ出づる饗宴の灯をしばし見留む

 [1]における門ははじめ、「饗宴の灯」が漏れ出す形態として視覚に与えられています。前述したルカ伝のすぐ後にこの作品が置かれているので、おそらく「饗宴」は「富める人」の室内で行われているものであり、それを門のかたちに漏れ出る光として認識する表現主体は、門前のラザロの姿を引き写していると読むことができます。以後、このセクションは「われを捨てし母の血われに流るるを疎まれながら育てられけり」や「しぶとくも生くる命よ 貧しきは血の穢れとふ声、零されぬ」、「次々に諦め慣れてゆく頃の落葉、生まれさせられし者」など、自己の出自を巡る作品が中心に置かれることで、「貧しき人」のモチーフが個々の作品から独立したかたちで、見開き内の主題として抽出されることになります。そして、

  身の程を知れと言はれつ 門前に屈み込むつつわれの崩えなむ

 同セクション内最後の作品である「身の程」へと接続されることで、だめ押しのようにルカ伝におけるラザロと門前に屈み込む「われ」が類似するように重ねられます。つまり、[1]において形成されるのは、ルカ伝におけるラザロの具体的な肉付けの過程であると読むことができます。個々の作品において成立する認識があり、それらの認識を横切る目のなかでさらに抽象的な認識が形成されていく、といえばいいのでしょうか。この見開きにおいては、そうした認識の積み重ねがラザロと「われ」の類似において結晶化され、その土台に設置された「」が冒頭の「」と呼応することで、印象が強められています。
 しかし、[2]は「われ」ではなく知人の死についての作品から始まります。

  早朝のスマートフォンをふるはせてわれにも届く声なき報せ

  ともだちの死をともだちが告げてゐる連絡網のごときLINEは

 私たちは[1]において「われ」とラザロのあいだに見いだされる類似を元に作品を意味づけでいくことができましたが、ここでラザロが死んだように死ぬのは「われ」ではなく「ともだち」であり、「われ」は「貧しさ」を宿したままラザロと分離します。もちろん、[1]における「われ」と[2]における「われ」が同一の存在であるとは確定的ではありません。[1]の「われ」が[2]における「ともだち」である可能性さえあるわけですが、むしろ、語としては同一でありながら作品としては別のものである両者の「われ」を読むことで、両者とは分離されたかたちで「われ」と指示される存在が立ち上がると考えたほうがいいのかもしれません。「われ」は表現主体の可能なバリエーションの一つであり、一連の短歌作品の語り手でも、ましてや「書く私」として不動の地位を占める書き手でもないということです。

  閉ざされし門の手前に風絶えて(何故だ?)こんなに晩夏が似合ふ

 こうした分離の印象をそのまま引き受けるように、「閉ざされし門」はラザロと「われ」の類似ではなくそれらの分離としての側面を示す指示として現れ、同セクションは「生き残る者はラザロにあらばれば蝉の骸を避けて歩めり」「心音の耳に充つれば凡庸にいまだ死なざる身体重たし」と、生者である私を倦むような作品で閉じられます。ここで「」は私にラザロとの類似をつくりだすために用いられるのではなく、ラザロと私が異なることを示すために用いられているわけです。続く[3]で「」は一度も登場せず、[4]の末尾を待つことになりますが、[3]で繰り返し用いられるモチーフと「門」の登場の遅延を通して、前述した「分離」の機能をさらに複雑化したかたちで、[4]の「」は使用されます。[3]において描かれるのは、これまであった苦悩のうちで生き続けることへのそこはかとない執着に加えて、死への希望や死後の自分に対する意識です。「夏にふる雪にあらずも 初めから見え透いてゐし終の姿は」「死ののちを清らに残る感情のわれに暗渠のごとくありなむ」といった連鎖的な構図も無視できないものの、「せめて鏡を伏せてから死ぬ まなじりに前世のなごり浮きいづる頃」「繰り返さるる生の途上に焼かれゆくわが身よ 無理をさせてすまない」「信じてゐた(ーーそれが私の心からの抵抗であると、)伝へてください」など、死への近似は現行の生をやや超えたかたちで展開されていて、これらの作品を、生き続ける「」と死んでしまった「」の組み合わせによって生じた、「この生」に対するゆらぎや相対化の認識として読むことができます。また、このセクションで目立つ語彙としては「」(前述の「夏にふる雪にあらずも」に加えて、「ウェブ上にふりしきる雪 更新の滞りたるページかがよふ」)も挙げておく必要があるかとおもいます。

  快晴の朝の葬送耐へ切れずはじけてしまふ実柘榴の刻

 前述した「」と[2]における「蝉の骸」との時間的なギャップを与えるように、[4]において示唆されるのは、友人の死からの時間の経過です。冒頭となる上記の作品では葬送の場面が読まれ、続く作品でも「〈偲ぶ会〉と称して集ふ旧友の写真届きぬわがLINEにも」や「われの他に幾人かゐる不参加を引き算のごとく数へあげたり」、「懐かしい、と思はず打てる返信に永遠に揃はぬ〈既読〉あひなむ」など、経過の印象が強くあります。[2]で見られた「新聞のおくやみ欄の画像あり二十七とふ享年目立つ」と同じ位置に「音楽家でもないくせにこの歳でーー、つて、成りたかつたのかもしれないが」、「ああきつと空が笑つてゐたのだらう八月に死をえらびし君よ」の位置に「それぞれに語らぬ過去のあるならむ沈黙よりもおもき笑顔に」が置かれてあることからも、[2]と[4]は対の構造を強く意識してつくられています。

  陽炎の彼方に見ゆる門あれば守衛のごとく蝉の啼き立つ

 そして、[4]を結ぶ「」であるこの作品は、「手前」と指示されていた「」との対比的な遠さとして「陽炎」の彼方にあり、季節の回帰として骸ではなく鳴く「」を身にまとっています。ラザロではない「われ」から距離的に離れ、かつ時間的にも離れている「陽炎の彼方」における「」は、死者と生者のあいだの「分離」の経験それ自体との分離を描くように使用されている、と見ることができるのではないかといえます。この作品の前に配置される「富める人ならざるわれらお互ひの腫物を目守りつつ触れざりき」は、富める人ではないが、しかしラザロでもない「われ」の姿を、再度自身に搭載するかのようです(そして、「生き残る者は」とこの作品は、やはり同じ位置に置かれています)。

  閉ざされし門に凭れて夜明けとふ乏しき時をわれは恃めり

 [5]は[1]と同様に、「」を用いた作品から始められます。ここで門は[2]と同じ「閉ざされし」という修辞を受けており、そのため他の「」とは異なる類似性を二つの作品は帯び始めます。構成には知人の死に対して言及しない[1]および[3]の流れを汲みながら、[2]と[4]で展開された対の反響を「閉ざされし門」を用いて召喚し、連作の最終章を飾るかのようです。「亡失は生者の奢り 過去といふ過去を野焼にくべつつ往かむ」「運命と呼べば貧しき現実をわれは死ぬまで生き続けたし」「紅葉の季に到りてわが裡に君のいたみの色付きはじむ」など、後続する作品もどこか総括的な気配を帯びながら、次の作品に続きます。

  この門もぢきに崩れの日を迎へ境界線の分からなくなる

 ここで「」は[1]においてラザロを引き継いでいた「われ」と同様に「」の語を備えることにより、ルカ伝ではなく「われ」との類似を示し始めます。しかし、この類似は固定的な意味を引き継ぐというよりも、[1]において「貧しき人」としての性質を搭載することでラザロとの類似を示しながら、決定的にはラザロとして死ぬことのなかった分裂を跨がるように生起していた「われ」の組成のあり方を、崩れることによって引き寄せています。「」は語としての同一性を持ちながらも、その現れをそれぞれ異なるものとして現れていたので、近似の操作が行われていた「われ」を引き受け、かつ「境界線」を失うことで、「われ」と「」の重なりとして[1]から[5]までの運動をこの見開きの内側に呼び込みます。

  生き残るなら引き受けるより他なくて声なき声を身に響かしむ

 かつての得られた運動を模倣するように語を反復させ、そのつど特殊な意味を埋め込むことで、運動の媒介としての側面を語に搭載させること。かつまた、語ではなく語の使用法を反復させることで、複数の語が結晶化する地点をつくりだし、その使用法をも反復のたびに絶えず組み替えることで、以後も変容する生の内側に声なき声を反響させていく。そうした試みが、本連作にはあるのではないかとおもいます。
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短歌評 戦後短歌史から透視する現代詩史――川野里子『七十年の孤独 戦後短歌からの問い』から見えるもの 添田馨

2017-02-01 19:31:02 | 短歌時評
 ほぼ一年間続けてきた短歌論の連載も、今回が最後となる。現代詩の側に身をおきながら、私はおなじ詩文学に属する現代短歌について、これまで一定の距離を保ちつつ、思うところを自由に述べてきた。自分としては初めての試みだったが、考えてみれば現代詩と現代短歌そして現代俳句の三者は、言語芸術として互いに隣接しあいながら、その歴史的な変遷の経緯については関連づけて論じられることがほとんど無かったように思う。これは実に不思議な光景と私には映っていた。
 自分の勉強不足を棚に上げて言うのだが、ここにきて私は、戦後短歌の歴史を透かし見ることによって、その遠景に戦後現代詩の命脈に通じあうものが二重映しになるのではないかと、何の根拠もなく考えるようになった。ただ、そうは言っても、戦後現代詩の歴史については多少の知見があるとはいえ、戦後短歌の歴史について私はほとんど何も知るところはなかったのである。そのような折に、川野里子の評論集『七十年の孤独 戦後短歌からの問い』(書肆侃侃房・2015年)をたまたま手にすることになった。パラパラと頁をめくるにつれて、著者の抱える問題意識が、自分のそれとかなりの部分重なり合っているという直感がやってきた。この評論集を入口とすることによって、そこに短歌と現代詩(口語自由詩)に通底しあう課題が新たに浮き彫りにされるのではないか。また、それを見極めることで、これまでとまったく違った文学形態の展望が、あるいは拓けてくるのではないか。そんな期待とも予感ともつかぬ思いが、私のなかにむくむくと湧き起ってきたのである。以下、そうした直感だけを頼りにして、思いついたことをランダムに列挙していくことにする。

■問題意識の原点

 川野の問題意識の原点は、「はじめに」のなかにもっとも明快に凝縮されていると映る。「もはや戦争のなかった世界には戻れない、という不可逆の世界への覚悟は、今、震災後に象徴される世界を生きる覚悟に繋がる」と川野は述べる。現在が、戦後であると同時に震災後でもあるという共通認識と、そこであえて短歌文学のありかたを問いなおすモチベーションとは、一体どこでどうリンクしてくるのか。彼女はおなじところで次のように述べている。

 戦後の焦土は言葉と文化の廃墟でもあった。しかしそこから立ち上がろうとする少数の表現者たちは、この廃墟こそを自らの営巣の場として選びなおした。同時に、この詩型を選んだことによって表現者としての責任というべきものをも背負うことになった。もう忘れられようとしているこの責任を短歌はなお背負っていると私は感じる。戦後短歌は、この詩型の背負っているもの、言葉の重みをあらためて問いかける。今日、短歌の読者にも、そして作者にとっても、この荷物はほとんど無意識となりながら、しかしやはり背負われている。戦後の短歌の背骨となってきたのはこの責任の無言の重量感である。
(「はじめに」9~10頁)


 戦後の現代詩とまったく同じではないかという新鮮な驚きが、ここを読んだときまっ先に訪れた。「責任」ということがここでは言及されているが、戦後現代詩の場合は、それは例えば詩人の戦争責任のかたちで問われたことが鮮烈な印象として存在する。最近では、この問題に直接言及がなされることは非常に稀になったが、私自身はそれがいまだ決して消え去っても死に絶えてもいない重要なテーマだと思っている。はたして短歌も、現代詩とはやや異なる位相で、同様の問題本質を抱えているという姿を、ここで確認することができたのは、何よりの発見だった。

■自己否定あるいはネガティブな来歴

 川野は「現代短歌とは、第二芸術論以後の短歌のことだ」(「出発について」21頁)と言う。つまり、現代詩(口語自由詩)とは違い、戦後において短歌はジャンル全体が否定の対象に晒されるという歴史体験を背負っているということだ。具体的にそれが、「第二芸術論」(桑原武夫)あるいは「短歌的抒情の否定」(小野十三郎)などによる本質的批判であったことは言を俟たない。だが、川野は、「この時期、このような自己否定は、「日本」に関わる全てに及んでいたと見ていいのではないか」(同19頁)と、短歌に向けられた否定の矛先を「日本」的なもの全般に向けられた否定の視線のうえに同致するにいたる。そして、「第二芸術論」は「まだ終わっていないと感じている」と明確に述べている。
 文学表現の短歌的あり方への否定から「日本」的なものへの否定へ。この回路は短歌という表現形式が孕み持つ特殊な問題性を、いわば普遍化したことを意味するだろう。現代詩の領域でおなじことを展開しようとすれば、これは「辻詩集」などいわゆる愛国詩の問題へとまさに直通する。「第二芸術論」がまだ終わっていないように、愛国詩も決してまだ終わってはいない。
 「七十年の孤独」とは、まさに自己否定あるいはネガティブな来歴として、こうした全面否定論を七十年間もその中核に無言で内包しながら、言葉を紡がざるを得なかった短歌文芸の宿命と、その詩型をあえて選び取った川野自身の、創作者としての意識の底深い孤独を言っているのだと思う。

■最も必要なものとは

 詩を成り立たせているものは一体なんだろう。無論のこと、数多ある詩作品ひとつひとつの成立事情のことではない。むしろ、そうした個々の成立事情をすべて束ねたうえで、はじめて抽出することができる、詩作品の存立要件そのもののことを言っているのである。私はそれを、〈原理〉と〈方法〉というようにずっと呼び慣わしてきた。言語や時代や文化が詩をその懐に抱えながら大きく変容したとしても、それを根本で詩のかたちに変らず支えているものは、このふたつをおいて他にはない。〈原理〉はその作品の歴史的な出自を明らかにし、また〈方法〉は作品の現在的な形姿を説明する。
 まさに私のこうした定式化と呼応するかのように、現代短歌に最も必要なものは「文脈」と「批評」なのだと川野は断言する。「それは、評論として書かれるものだけを指すのではない。むしろ書かれぬ評論として短歌作品がその言葉の背後にあらかじめ抱えている暗黙の批評であり思想である。それぞれの作品がその言葉の裡に自ずと内包している、言葉に必然性を与える文脈である。それなしの方法もテーマも全く空しいと私は思う。」(「文脈と批評の力」22頁)――こうした声は、現代詩の世界でもほとんど聞かれなくなった。実は、こうしたことは、一見すると倫理的文脈で言われているように考えられがちだが、私はそうではないと思う。むしろ、作品以前に実在する創作者存在を前提して、作品以後に生き延びるところの(作品の)生命を語るのに、どうしても触れられなければならない最重要与件だと思うのだ。
 川野のいう「文脈」は私のいう〈原理〉と、おなじく「批評」は私のいう〈方法〉と、それぞれ対応している。表現が異なっているのは、川野が行為の軸からそれを名づけ、私が認識の軸からそれを名づけているからに過ぎない。

 現在の短歌の状況がそれほど健康ではない無風状態に陥っていると感じるのは私だけではあるまい。表現は多様であり、個々の作者は優れた表現意識を持っている。にも関わらず、表現された言葉が何に否を言い、何にイエスを言うのか、どのような文脈を創造し、なにを目指しているのかが模糊として見えない。カラオケ状態といわれた互いの表現への無関心も、もしかすると互いの表現が何を目指しているのかが見えないからではないのだろうか。そうした「文脈」の議論を欠いたままの議論は微細な表現の差異や感覚の差異に行き着いてしまうだろう。またダイナミックな史観への窓口を欠けば、短歌の議論はいつでも素朴な態度論か方法論に行き着いてしまう。
(同25頁)


 創作にむかう主要な動機が「微細な表現の差異や感覚の差異」をめぐる悪しき循環に陥っていまいかねない事態とは、現代詩において七〇年代の半ば以降に実際に訪れた状況に他ならない。ここでも、短歌における表現と現代詩におけるそれとが、似たような質的変容に見舞われていた歴史情況を、私たちは改めて知ることになる。重要なのは、こうした情況認識が、短歌において、あるいは現代詩において、最も必要とされるべきものの喪失感覚のもとに現前している事実なのだ。

■根源的喪失

 戦後、この国の口語自由詩は一般に〝戦後詩〟と呼称されてきた。戦後詩は、文字通り戦争によって自らの生きる根拠を見失った者たちによって、その深い喪失感を負の母胎としてその新しい一歩を踏み出さざるを得なかった。そういう経緯がある。従って、戦後詩の根底に根強くあったのは、肯定性の原理ではなくむしろ否定性の原理であった。みずからのアドレセンスを世界の側から暴力的に奪われた彼等の世代にとって、戦後という時代はその喪失感に見合うものでは必ずしもなく、むしろ喪失感より絶望感のほうへ雪崩れていく危機的な時間感覚となって現れた。一度は自分を否定しにかかった世界を、言葉の全体性のなかで今度は主体的にもう一度否定してやることが、詩作にむかう主要なモチベーションを形造った。つまり、その詩法は否定の弁証法ないしは告発の文体を必然化することになるのである。
 実経験としての〝戦後〟をそのように歴史化するなら、恐らくそのウェイブは七五年前後で間違いなくいったんは途絶える。そして、その後からやって来たのが、終わりなき日常だった。すなわち戦争による根源的喪失によって醸成された「無名にして共同的なるもの」(鮎川信夫)を見失い、互いに孤絶した関係性のなかでひたすら言葉の表層の意匠をつなぎとめるだけの空虚な時間感覚の波がそれである。川野が「他者」について語るとき、私は彼女がすでに見失われたこの「無名にして共同的なるもの」を、意識せずとも指さしていると思うのである。

 近年の短歌表現は感覚的に非常に洗練され、物や事の質感、ディテールの手触りなどにおいて精緻な表現を競っている。細部の質感をきっちり把握すること、尖鋭な感覚で捉え直すこと、物や事の手触りから感知されるものは短歌表現の要だ。短歌とは事物との対話に他ならない。だが、もし今日の短歌に危うさを感じるとしたら、そうしたディテールの先に開けるべき他者や世界への問いがあらかじめ断念されているように感じるからだ。
 短歌にとって例えば「日常」が重要なテーマであるのは、日常身辺の一つ一つが見えぬ糸をもって非日常に繋がるからであり、日常身辺の物や出来事は、巨大な影としての「他者」への問いかけの供物としてそこに現れているからだ。「今」を生きる共通の感覚を求め合ううちに、言葉の向こうに見えていたはずの「他者」を失い、現代の言葉は浮遊する感覚の断片になろうとしている。創られたとたんに孤児となってゆく言葉。あるいは私達、そして日本全体が浮遊し始めている。

(「短歌の『他者』」28頁)


 特に八〇年代以降にやってきた文化のポスト・モダン的状況と、川野がここで言及する「他者や世界への問いがあらかじめ断念されている」ような世界とは、ここで見事に重なり合う。結果として、文学における表現言語も「浮遊する感覚の断片」でしかないようなひとつの時代が、そのとき実際に招来されたのだ。川野がここに描いているのは、あくまで短歌の分野における現実認識だが、私はこれとまったく同質の認識を現代詩の経験の中になんの違和感もなく見出すのだ。

■文体創出の根本動機

 現代詩(口語自由詩)の世界に、口語と文語の確執といったような問題は、これまで見かけたことがない。口語自由詩というのは、どのような文体を用いてもまったく自由な書き方で作られた詩作品を指し、仮にそこで文語が使われようが口語が使われようが、そうした文体選択じたいが作品の評価を根本的に左右するといったことにはならない。だが、短歌においては若干事情が異なるようだ。「考えてみれば、俵万智、加藤治郎、穂村弘らの口語が登場した八〇年代後半から九〇年代以降、現代短歌論とは口語論であったと言っても過言ではない。」(「1むしろ『語られぬ文語』の問題として」133~134頁)――川野はこのように述べる。そして「文語を選ぶ『特殊な動機』について議論するべきときが来ている」(同137頁)と言うのだ。

 短歌を語ることの背後には文語の「制度」のようなものが寄り添うイメージがある。それはごく漠然と文語を語ることを億劫にしてきた。文語を語ることは「伝統」という太い既成の歴史に恭順し結託すること、というふうに。文語はそれ自身、語られる必要がないほど泰然と短歌という様式の背後にある、漠然とそう信じられてきたのではなかったか。
 しかし、おそらく文語とはそのような「自然な」存在の仕方をしてきたのではない。むしろ文語こそそれぞれの時代の必要、あるいはそれぞれの作者の渇望から生み出し続けられた文体の堆積した地層だと考えた方がいい

(同135頁)


 私には、この部分はきわめて重要なことが述べられていると映る。文語はむかしから自然に存在していた表記法なのではなく、時代時代の要請によってその都度創出されるつねに新しい文体だというのである。正直なところ、川野のこの指摘は私の文語観を百八十度ひっくり返した。川野はさらに、文語と口語が重奏する短歌の「混合文体」についても言い及ぶ。

 今 、大半を占める「混合文体」のなかには、口語と文語の中間なのではなく、今日的な必要によって生み出された「新しい文語」がある可能性はないのか。常に口語の側から語られてきた現代短歌の問題を文語の側から語ることはできないか。戦後短歌は次第に口語化してゆく流れにあったのではなく、文語を拡大開拓してきた歴史として捉えることもできるのではないか
(同136頁)


 ここで一歩引いて考えれば、口語自由詩という場合の「口語」は、厳密には普段われわれが話しているような実際の口語(会話の言葉)と同一のものではない。むしろ「口語」は、文語体ではない、より話し言葉に近い文体との位置づけの下に、そう呼ばれているに過ぎないとも言える。この問題は、例えば『言語にとって美とはなにか』の中で、吉本隆明が「文学体」と「話体」として分類した文学作品の二系統の文体の問題として、短歌における文語と口語の区別も考えるほうがより生産的のようにも思えるのである。そこから果たして新しく見えてくるものがあるのだろうか。

 今日の短歌を巡る語りはいつの頃からか両輪の筈の片方を失って走り続けて来た。大きなテーマとなってきた東日本大震災は、短歌に今後の表現の可能性を深刻に問いとして突きつけている。その問いに向き合うとき、果たして震災は口語で詠えるのかどうか、ではなく、いかなる文語によって詠えるのか、が議論されても良い。口語を中心に語り続けられてきた現代短歌論では語りきれないものがある。
(同136頁)


 「果たして震災は口語で詠えるのか」――この問いは、私たち創作者にはとてつもなく深く、そしてまた重い。川野はここで文体選択の問題を、作歌の根本の原理に関わる究極の問いにまで高めているのだと言える。短歌表現における「口語」が、震災のように自分たちの生存の根拠を根こそぎ奪っていくような現実の圧倒的な暴力に対して、本当に自立的に向きあうことを可能にする文体なのか。言い換えれば、そうした極限の状況においても、「口語」が自らの生存の拠点たりうる文体であり続けることができるのか、をそこで川野は執念く自問していたのだ。
 現代詩の分野で、こうした「文語」創出の機運はじつに「ゼロ年代詩人」と呼ばれる者たちのあいだで特に顕著であった。彼等はその世代的特徴や表現思想の表明においてよりも、自分たちの詩作品における過激な文体創出において、まさにひとつのエポックを形成したのである。その姿は、まさに川野が言及する新しい「文語」の創造に重なりあう運動だと私に思わせるに十分なレベルに届いていた。
 「文語は不断に『今』と『過去』を対面させ、問いかけ、主題を調べに造り直す働きをしているのではないか」(同144頁)とも述べられるように、文体創出の根本動機は、短歌的趣向の統制の問題ではまったくなく、文学の根本的なあり方をめぐる徹底した思想的要請として現前していたのだ。

■表現の未来

 終わりなき日常としての戦後および戦後=以後を生き延びてきた短歌、そして現代詩にとって、「3・11」(東日本大震災)とそれに打ち続く福島第一原発の原子力災害は、文字通り青天の霹靂だった。本論の冒頭ちかくで引用した川野の、「もはや戦争のなかった世界には戻れない、という不可逆の世界への覚悟は、今、震災後に象徴される世界を生きる覚悟に繋がる」という真摯な問題意識も、そうした背景から否応なく呼び醒まされたものだった。だが、どうやって?私たちに、持ち駒といったら言葉しかないではないか。いや、違うのだ。言葉こそが、精神の武器であり、飛びかわす弾薬であり、そして復元のための建具であり、また普遍への扉をひらく鍵なのである。

 短歌にとって、そして広く表現するということにとって、結局そのような被災地の現実に言葉が及ばない、何が起こったのかを言い当てることができないという状態は、言葉のレベルでの「全電源喪失状態」だったのではないか。この絶句状態、現実と言葉の裂け目のあったことこそ何より貴重な言葉の体験だったのではないか。たぶんこの時感じられた沈黙ほどリアルな言葉は近年なかったと今、あらためて思う。
(「1言葉の『全電源喪失』の後を」167頁)


 この沈黙は、しかし、完全に逆説的な意味で、近年まれにみる豊饒さ溢れる沈黙だったはずだ。豊饒さ溢れる沈黙とは、やがてそこからまったく新しい言葉の種子が芽吹くための、残酷であるが逃げることもかなわない精神の惨劇を、その内部に過剰なまでに封印しているはずだからである。私たちの表現の未来が、まさにこのような殺伐とした無人の場所からしか始まらないとしても、私たちの意志は言葉の表現に賭けるのである。賭けることを止めてしまえば、言葉の表現がこれまで積み上げてきた価値のストック(名歌秀歌)すら、もはや守る手立てはなくなってしまうだろうから。

 「名歌」「秀歌」は、共有されてこそ名歌秀歌である。今、好みでしか歌の価値を語れず「私」の「名歌」「秀歌」でしかないとすれば、そうした共同体を思い描きにくいからだ。「優れた」作品を作ろうとし、残そうとするのは過去から未来へという「時間」軸を抱え込み、存続しようとする共同体なのだ。「時間」軸と共同体には密接な関係があり、過去から未来へという「時間」を共有し幻想する集団が共同体であると言ってもいい。そうだとすれば、そうした共同体は今、なくなっているか、あるいは大幅な再編成の時代にある。
(同171~172頁)


 「共同体」という言葉が、やけに最近は身に染みてならない。基盤となる文化的かつ歴史的な防塁としての「共同体」があってこそ、文学の自然資産たる「名歌」や「秀歌」も、次の世代へと生前贈与されていくことが可能になる。フクイチの原子力災害は、まさにこの「共同体」そのものの遺伝子レベルでの亡滅をもたらす破壊神の所業に他ならなかった。また、それ以上に、文化的かつ歴史的な防塁としての象徴天皇制が、いまや存続の危機に立たされている状況が一方に厳然とある。政治権力が「名歌」や「秀歌」の防塁であったためしはない。最も弱々しい力しか発揮できない言葉によって、そして言葉によってのみ、現在の窮状を突破しなくてはならないこと。現代詩においても現代短歌においても、それは私たち創作者にとっての不文律であると同時に、未来不変の矜持でもあるだろう。
 「『時間』を共有し幻想する集団が共同体である」との川野の言葉は、一層厳しさを増す今日的状況において、もはや永久に回復されないナショナリティの符牒であるかもしれず、その不安が完全には払拭されていない以上、どこか黙示録的な陰影をおびてしまっているように、私には響き続ける。
(了)

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