1995年に鹿児島で『青山杉雨展』があった。
青山杉雨とは・・・。
明治45年に愛知県に生まれ、38歳で日展特選。40歳で日展審査員。
46歳で日展会員、審査員、以後評議員、理事、常務理事となり、54歳で日本芸術院賞を受賞。
日展の書の歩みとともに日本の現代書道界を作ってこられた人。
80歳で文化勲章受賞。
肩書きだけでなく、その書の持つエネルギーはすばらしく。
とてもモダンで造形的で、そしてしなやか。
私は、1995年の青山杉雨展に行ったときのことを時々思い出しながら作品集をながめる。
13年前、日本の現代書道界を支えてきた青山先生の書を生で見たいという思い
で、鹿児島に日帰りで見に行ったのだった。
生でみる作品は凄かった。
そしてその作品の草稿や、鉛筆でのデッサンがまたすばらしく、雲の上の人だったがその人間青山先生にふれた気がした。
そして展覧会会場の終わりの方に置いてあった『日本大百科全集』の題字
26種(26書体)には本当に驚いた。
26書体すべて時代時代の特徴ある書体だったからだ。
普通の千字文などで6体は見る事があるが、それが26書体で見事に書き分けられている。
それも一つ一つの統一感はすばらしい。
今、よく街中にロゴを筆文字で書いてある看板を目にするが、本来の時代の持った文字の変遷を知っている人が書いたロゴはいくつあるだろうか???
時代の作ってきた文字そして書体の重さ、深さ、そして風格。この26書体を見るたびにまだまだ勉強が足りないなあと思う。
今私が何書体書き分けられるかって聞かれてもせいぜい楷書、行書、草書、てん書、隷書、5種類か6種類だと思う。
本当に凄い天才がその上のものを目指して腕を磨き、学問としての知識を追究する。
凡人ははは~っと感動してひれ伏す他に方法がない。
とにかく凄い!!!
青山杉雨とは・・・。
明治45年に愛知県に生まれ、38歳で日展特選。40歳で日展審査員。
46歳で日展会員、審査員、以後評議員、理事、常務理事となり、54歳で日本芸術院賞を受賞。
日展の書の歩みとともに日本の現代書道界を作ってこられた人。
80歳で文化勲章受賞。
肩書きだけでなく、その書の持つエネルギーはすばらしく。
とてもモダンで造形的で、そしてしなやか。
私は、1995年の青山杉雨展に行ったときのことを時々思い出しながら作品集をながめる。
13年前、日本の現代書道界を支えてきた青山先生の書を生で見たいという思い
で、鹿児島に日帰りで見に行ったのだった。
生でみる作品は凄かった。
そしてその作品の草稿や、鉛筆でのデッサンがまたすばらしく、雲の上の人だったがその人間青山先生にふれた気がした。
そして展覧会会場の終わりの方に置いてあった『日本大百科全集』の題字
26種(26書体)には本当に驚いた。
26書体すべて時代時代の特徴ある書体だったからだ。
普通の千字文などで6体は見る事があるが、それが26書体で見事に書き分けられている。
それも一つ一つの統一感はすばらしい。
今、よく街中にロゴを筆文字で書いてある看板を目にするが、本来の時代の持った文字の変遷を知っている人が書いたロゴはいくつあるだろうか???
時代の作ってきた文字そして書体の重さ、深さ、そして風格。この26書体を見るたびにまだまだ勉強が足りないなあと思う。
今私が何書体書き分けられるかって聞かれてもせいぜい楷書、行書、草書、てん書、隷書、5種類か6種類だと思う。
本当に凄い天才がその上のものを目指して腕を磨き、学問としての知識を追究する。
凡人ははは~っと感動してひれ伏す他に方法がない。
とにかく凄い!!!
杉雨の書風を
「都会の憂鬱」
と
評したるは
まさに名言なり
杉雨の書は
見方によれば
パサパサ
ガサガサ
にして
貧相をも
持ち合わせたるも
明治以降の
鳴鶴にはじまる
トロリとしたる書風の席巻しきたれば
杉雨の
パサパサ
ガサガサも
洒落たる現代風に見へて
若者に受け入れらるるも
いとをかし
姫の仰せのとほりなりて
その書
中国の歴代書風を
確固として学びたるものなれば
動づることなし
予も
昭和の書家として
長く歴史に名をとどめる
数少なき書人なるとこそおもへれ
頓首
しかし、年をとるにしたがって、いろんな書風のものが受け入れられる様になったのは間違いありません。
そのときの自分の気持ちで、唐の楷書だったり、王鐸みたいな行草だったり、金文や隷書だったりするわけで、26種類も書き分けられる杉雨先生の凄さに驚きました。
書いていると書けない自分に嫌になるのでそんな時は古典をいろいろながめることにしています。
杉雨先生は女子高生のノートの丸文字や統一感のある癖字などもデザインの参考にしたと聞きました。
確かに杉雨先生はそれまでの書家とは違って、とってもオシャレなモダンな感じがします。