詩はどこにあるか(谷内修三の読書日記)

日々、読んだ本の感想。ときには映画の感想も。

志村喜代子『人隠し』

2020-11-23 10:46:36 | 詩集
志村喜代子『人隠し』(水仁舎、2020年08月16日発行)

 志村喜代子『人隠し』の「花びら」。

それがなにかわからないが
白日にさらすほど
すき透ってゆく

咳のような毀れめから 剥がれ
いたんだ日をつつむ うすい皮膜

 「なにかわからない」とはじまるのがとても自然。いつでも「なにかわからない」から、それをもとめてことばが動く。
 一連目の「白日にさらす」がに連目で「いたんだ日をつつむ」にかわる。
 いや、これは私の「誤読」であって、志村は、その花びらのようなもの、花びら自身の「いたんだ記憶(日々)」をつつむようにして、薄い皮膜があると書いているのかもしれないが、私は「太陽(日)」をつつむと読んでしまうのである。
 花びら越しに太陽を見る。そのとき、花びらを見ているのだけれど、同時に太陽をも見ている。花びらを太陽に透かして見ているのではなく、花びらを透かして太陽を見ている。そのとき、まるで花びらが太陽をつつんでいるように見える。
 なぜ、花びらが太陽をつつむ? それは花びら自身のなかに「つつまれたい」という願いがあるからだ。願いの裏返しとして「受動」から「能動」に転換する。ちょうど「愛されたい」と思っている人が「愛する」のに似ている。花びらはたしかに傷ついている。こわれかけている。それでもなおかつ、残っているいのちで太陽を愛するように、つつむ。そのとき、太陽と花びらが一体になる。同時に志村とも一体になる。
 私は、そう読みたいのである。

ひりひり 沁みるものへ
ゆるやかに降りてくる
鉤さきの 裂

 このときの「沁みるもの」とは志村の肉体であり、こころだろう。
 「神さまの黄」は「花びら」と重ね合わせるようにして読みたい詩である。。

ひと株の水菜は
ちぎってサラダに添える
いっそう冴えるさみどり
細い葉先の反り

四十センチ余り伸びた天辺は
粒状の固いしこりを
密生させていたが
そとがわの一本が離れ
つつんでいた萼をほどく

裂きながら
一片は次の一片へと感覚をひらき
花のかたちにあえぐ黄

 「つつむ」「ほどく」「裂く」「ひらく」、そして「あえぐ」。それは花の「肉体」ではなく志村の「肉体」だろう。ここには自分をいとおしむ静かな力がある。
 「来る雨」はことばのリズムの変化がそのまま雨が近づいて世界を変えていくリズムになっている。

はるかにも来る
のどは棲めないこえを溜め
やけつく嗚咽をつめ
待ち受けながら知る
その遠さに
来るものの象は毛羽立ち喘ぎつつ落ちると

花は草へ触れ 草は木へ道へ獣へ
海へ 河川や湖 ため池 沼 置きざりの庭の盥に

あゝ来る
父祖の 廃屋の まばらな集落の 屋根
きりもない墓地という墓地の
石の
たたずむ人垣に

坂が たわむ
切り通しがひしゃげる
干われた砂地に
水の流れがすじを引きひろがり
そくそくと つながっていく

 「のどは棲めないこえを溜め/やけつく嗚咽をつめ」という緊張感というか苦しさのようなものが、雨によって叩きこわされ、解放されていくのを「リズム」のなかに感じる。駆け抜けていく驟雨の鮮やかさを見る感じがする。






**********************************************************************

★「詩はどこにあるか」オンライン講座★

メール、skypeを使っての「現代詩オンライン講座」です。
メール(宛て先=yachisyuso@gmail.com)で作品を送ってください。
詩への感想、推敲のヒントをメール、skypeでお伝えします。

★メール講座★
随時受け付け。
週1篇、月4篇以内。
料金は1篇(40字×20行以内、1000円)
(20行を超える場合は、40行まで2000円、60行まで3000円、20行ごとに1000円追加)
1週間以内に、講評を返信します。
講評後の、質問などのやりとりは、1回につき500円。

★skype講座★
随時受け付け。ただし、予約制(午後10時-11時が基本)。
週1篇40行以内、月4篇以内。
1回30分、1000円。
メール送信の際、対話希望日、希望時間をお書きください。折り返し、対話可能日をお知らせします。

費用は月末に 1か月分を指定口座(返信の際、お知らせします)に振り込んでください。
作品は、A判サイズのワード文書でお送りください。
少なくとも月1篇は送信してください。


お申し込み・問い合わせは、
yachisyuso@gmail.com


また朝日カルチャーセンター福岡でも、講座を開いています。
毎月第1、第3月曜日13時-14時30分。
〒812-0011 福岡県福岡市博多区博多駅前2-1-1
電話 092-431-7751 / FAX 092-412-8571

**********************************************************************

「詩はどこにあるか」10月号を発売中です。
182ページ、1750円(送料別)
オンデマンド出版です。発注から1週間-10日ほどでお手許に届きます。
リンク先をクリックして、「製本のご注文はこちら」のボタンを押すと、購入フォームが開きます。

https://www.seichoku.com/user_data/booksale.php?id=1680710487

(バックナンバーは、谷内までお問い合わせください。yachisyuso@gmail.com)



オンデマンドで以下の本を発売中です。

(1)詩集『誤読』100ページ。1500円(送料別)
嵯峨信之の詩集『時刻表』を批評するという形式で詩を書いています。
https://www.seichoku.com/user_data/booksale.php?id=168072512

(2)評論『中井久夫訳「カヴァフィス全詩集」を読む』396ページ。2500円(送料別)
読売文学賞(翻訳)受賞の中井の訳の魅力を、全編にわたって紹介。
https://www.seichoku.com/user_data/booksale.php?id=168073009

(3)評論『高橋睦郎「つい昨日のこと」を読む』314ページ。2500円(送料別)
2018年の話題の詩集の全編を批評しています。
https://www.seichoku.com/user_data/booksale.php?id=168074804


(4)評論『ことばと沈黙、沈黙と音楽』190ページ。2000円(送料別)
『聴くと聞こえる』についての批評をまとめたものです。
https://www.seichoku.com/user_data/booksale.php?id=168073455

(5)評論『天皇の悲鳴』72ページ。1000円(送料別)
2016年の「象徴としての務め」メッセージにこめられた天皇の真意と、安倍政権の攻防を描く。
https://www.seichoku.com/user_data/booksale.php?id=168072977





問い合わせ先 yachisyuso@gmail.com

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

いつ?(情報の読み方)

2020-11-23 08:45:47 | 自民党憲法改正草案を読む
いつ?(情報の読み方)

 2020年11月23日の読売新聞(西部版・14版)の1面に「特ダネ」。

安倍前首相秘書ら聴取/「桜」前夜祭 会費補填巡り/東京地検

 安倍晋三前首相(66)側が主催した「桜を見る会」の前夜祭を巡り、安倍氏らに対して政治資金規正法違反容疑などでの告発状が出されていた問題で、東京地検特捜部が安倍氏の公設第1秘書らから任意で事情聴取をしていたことが、関係者の話でわかった。特捜部は、会場のホテル側に支払われた総額が参加者からの会費徴収額を上回り、差額分は安倍氏側が補填ほてんしていた可能性があるとみており、立件の可否を検討している。

 この記事でいちばん気になるのは「いつ」任意で事情聴取をしたか。
 二通り考えることができる。
①安倍の辞任前。任意聴取があったので、安倍がうろたえて体調を崩した。(仮病という説もあるが。)追及を逃れるために、病院へ駆け込む準備をした。
②学術会議6人任命拒否の「黒幕」が杉田と判明し、国会の追及(国民の批判)が杉田に向かった。
 どちらの場合でも、権力と検察の「蜜月」がほころびはじめたときである。①のときは黒川が黒川が検察庁長官構想が破綻した。②は杉田「公安」の支配力が低下するきざしを見せた。
 単純に考えれば、②が起きたから、遡って①も視野に入れているということかも。

 そして、記事には、こんなくだりもある。

 特捜部はこれまでに、安倍氏の公設第1秘書や私設秘書のほか、地元の支援者ら少なくとも20人以上から、任意での聴取を実施。安倍氏側からは出納帳などを、ホテル側からは明細書などの提出を受けて分析を進めている。関係者によると、前夜祭の飲食代などの総額は、参加者の会費だけでは不足していたという。

 任意聴取が20人以上。安倍の出納帳とホテルの明細書を付き合わせている。その結果「前夜祭の飲食代などの総額は、参加者の会費だけでは不足していた」という「証言」を聞き出している。
 もう一度、桜を見る会問題が国会で注目を集めるだろう。

 で、これからが、私の思うあれこれ。
 どうして、これが一面のトップではなかったのだろうか。1面トップは、

GoTo札幌除外へ/北海道方針、26日にも/旅行停止 再生相「数日中に詳細」

 コロナ感染が大問題になっているから、いま緊急の話題がトップというのは、たしかにわかる。しかし、GoToの縮小(なぜ即座に停止しないのかわからないが)は、すでに規定方針。しかも、「札幌除外へ」というのは「方針」。読者の驚きは、その決定が「26日にも」ということの方にあるかもしれない。私は、なぜ、きょうからではないのか思ってしまう。26日まで「延期」する理由がわからない。たぶん、キャンセル料を考慮しているのだと思うが、もしそうなら、なぜ26日まで決定をしないのかを追及する記事にしないといけないだろうと思う。
 そして、そうであるなら。
 読売新聞は、まだ、安倍に「忖度」をしていることになる。
 桜を見る会は「任意聴取」であり、「事件」になるかどうかあいまいだから(つまり、「予測」に過ぎないから)トップにしなかったということなのかもしれない。
 でも、先に書いたように「前夜祭の飲食代などの総額は、参加者の会費だけでは不足していた」という「証言」が引き出せたのなら、これはかならず追及される問題である。
 きっと今後、「桜費用、会費では不足判明」というような見出しの記事が出てくるはずである。ニュースとして広がり続ける。権力の犯罪が明るみに出る。

 GoToのドタバタも、権力(内閣)のめちゃくちゃ(ほかに表現がみつからない)が招いたものだが、もしかすると、このコロナ対策をめちゃくちゃを隠すため(コロナ対策批判が噴出しているが、その矛先を別のところに向かわせるため)に、「安倍秘書聴取」という情報が「リーク」されたのかもしれない。
 そう考えると、菅は、保身のために安倍を捨てた、ということも考えられる。菅は、安倍のやってきたことを隠蔽するために担ぎだされた人間だが、それが目的(?)を遂行できない、ということになれば、どうなるのか。
 私は、菅の任務は遂行されるべきではないと考えているから、大歓迎なのだが……。

 こんな余分なことを書くのは。
 読売新聞は、一面で「政治の現場」という連載を開始している。その一回目が「首相の厚遇 二階派の春」という作文。
 政治の裏側を派閥から描き出しているのだが、GoToと桜で問題が起きているのに、わざわざおなじ紙面で「派閥」の動き(政治の裏側)に目を向けることはないだろう。連載企画はきょうからはじめると決まっていたのかもしれないが、どうも紙面構成が奇妙である。
 最初に書いた「任意聴取」は「いつ」なのか。さらには、そこに書かれていることが「わかった」のは「いつ」なのか。
 これがわかると、記事はもっとおもしろくなる。
 私は野次馬なので、「桜」がどうなるか、とても気になる。読売新聞の「続報」が気になる。
 別ないい方をすると、読売新聞は、安倍にも菅にも見切りをつけて、「二階よいしょ」に傾き始めた、それを二階に知らせるために紙面を利用しているということなのかも、などと考えたりするのである。





*

「情報の読み方」は10月1日から、notoに移行します。
https://note.com/yachi_shuso1953
でお読みください。
 

#菅を許さない #憲法改正 #読売新聞



*

「天皇の悲鳴」(1000円、送料別)はオンデマンド出版です。
アマゾンや一般書店では購入できません。
https://www.seichoku.com/user_data/booksale.php?id=168072977

ページ右側の「製本のご注文はこちら」のボタンを押して、申し込んでください。


コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

Estoy loco por espana(番外篇93)Joaquin Llorens Santa “T. E”

2020-11-22 11:25:58 | estoy loco por espana


Me parece que la sombra es una pluma (o un mano).
Probablemente no solo estoy mirando la forma de la escultura, sino tambien estoy mirando el nuevo espacio creado por la escultura.

La "cosa" en sí misma no está ahí.
Nací y viví allí de una manera que siempre corresponde a "algo" en mí.
Para decirlo al revés, hasta momento yo vi algo, no hay "cosa".

Esto no significa negar la existencia de un artista.
Es necesario "encontrarse" en cualquier momento.
Hay algo que nace por primera vez cuando nos conocemos.
Para eso tengo que irme a España.
Tienes que ver el trabajo directamente.

Siempre lo creo.



影がもう一枚の羽(あるいは、手)のように見える。
私はたぶん彫刻の形だけを見ているのではない。
彫刻がつくりだす新しい空間を見ている。

「もの」はそれ自体として、そこにあるだけではない。
常に私のなかにある「なにか」と呼応する形で、そこに生まれ、そこで生きている。
逆に言えば、私が見ないかぎり、「もの」は存在しない。

これは芸術家の存在を否定するということではない。
いつでも「出会う」ということが必要なのだ。
出会って、そのとき初めて生まれるものがある。
そのために、私はスペインに行かなければならない。
直接、作品を見なくてはいけない。

いつも、そう思う。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

古井由吉『われもまた天に』

2020-11-22 10:58:59 | その他(音楽、小説etc)


古井由吉『われもまた天に』(新潮社、2020年09月25日発行)

 古井由吉の文体は、「ある」ということを「状態」として、つまり動かないままに定着させる。「ある」があるだけで、それがどう動いていくのか予測できない。また動いているようにも見えない。それなのに読み進むとたしかに「事件」は起きている。時間が過ぎ、そのなかで人間が動き変化している。
 でも。
 読み終わると、やっぱり「ある」だけがある。「静謐」となって、そこにある。しかも、不思議なことに、こんな激動を私はくぐり抜けられないと感じてしまうときの「静謐」なのだ。古井由吉が激動を静謐になるまで文体で(ことばで)おさえつけた結果として、ここに「静謐」がある。いま、私は「静謐」ということばをつかっているが、この「静謐」すらもないただならぬ動かないものが「ある」という感じに、私はうちのめされる。一種の恐怖心を感じる。でも、恐怖心を感じることがうれしくて、私は読んでしまう。

 「遺稿」という未完の作品のなかに、こんな文章が出てくる。夢の中で、文章を「見る」。そのときのことを書いている。(125ページ)

横文字の時もあり、縦文字のこともある。どちらも読み取るように誘いながら、もうひと掴みのところで散乱する。とにかく音声が伴わないので、いくら読もうとしても読み取れないのだ、と恨みのようなものが後に残る。

 こういう経験が、私にもある。中学生のころ、頻繁に見た。アルファベットが切れ目なく一ページくらいつづく。そんなことばがあるはずがないと思いながら辞書を引く。そうするとその文字らしいものがみつかるのだが、最後までたどりつくまえに文字がほどけてしまって確認できない。
 なぜなんだろう。
 古井由吉は「音声を伴わないので」と書いている。あ、そうだったんだ、と私は非常に納得してしまった。音が聞こえなかった。だから、ことばをつかみきれなかった。
 このことの「激動」がどこにあるか。
 「とにかく」ということばにある。「とにかく音声が伴わないので」。この「とにかく」を私は体験していない。いや、体験しているのだけれど「ことば」にできずにいた。「とにかく」のなかにある「もがき」が突然「激しく」私の肉体を「動かす」。
 激しく動く、ではなく、激しく動かす。動かされる。その「激/動」、それが「激動」ということになる。それを誘う者が古井由吉のことばのなかにある。
 それがそのまま「激動」として、つまり「動き」として「ある」のではなく、「恨み」という別のもの、内にこもったものとして「残る」。この「内にこもる」感じが「静謐」なのだ。
 「いくら読もうとしても」の「いくら」が「とにかく」と呼応して、ことばの粘着力が非常に強くなっている。この粘着力の強さも「静謐」(動いているのに、動かない)という印象を誘う。
 引用した「部分」は小説の「あらすじ/ストーリー」とは関係がないのかもしれないが、私は、古井由吉の、こういう文体が好きで読んでしまうのである。
 そうか、あのとき「とにかく」と「いくら」が拮抗していたのか、と思い出すのである。そして、それは「覚えている」にかわる。覚えているという認識の中で、「静謐」が完成する。
 
 古井由吉の「文体」のなかには、拮抗がある。そこに激動と静謐がある。この拮抗を、もっと「日常的なことば」(とはいうものの、私はつかわない)で言い直すと、こんなことばになるか。
 117ページに、台風が過ぎた後の、湿気の多い日のことが書かれている。台風の後、電気も水道も来ない。

そんな窮地に自分のような者が置かれたら、とても持たないだろうなと思うにつけても、身の弱りを覚えさせられた。一夜の内にまた弱ったような気もした。

 「思うにつけても」の「……につけても」。あることがらに、別のことがらが「つけ」られている。「つける」だから、かならずしも「拮抗」とはいえないかもしれないが、このときの「つける」粘着力が強いので、こんなに強い粘着力が必要なのは、それが「拮抗」するものだからだ、と感じてしまう。
 粘着力が強いので、その粘着力の強さに気をとられて、その瞬間ふたつのものが存在し、動いていることに気がつかない。だが、動いているのだ。
 これは「覚えさせられた」と言った後、「気もした」と言い直されているが、この微妙な変化のなかにも、息苦しくなる粘着力がある。静謐な拮抗がある。
 この直後に、翌日の描写がつづく。
 その117ページの8行にわたる一段落は、何度も何度も読み返さずにはいられない「激動/静謐」に満ちている。
 ここでは引用しない。ぜひ、本を買って、読んでください。



                



**********************************************************************

★「詩はどこにあるか」オンライン講座★

メール、skypeを使っての「現代詩オンライン講座」です。
メール(宛て先=yachisyuso@gmail.com)で作品を送ってください。
詩への感想、推敲のヒントをメール、skypeでお伝えします。

★メール講座★
随時受け付け。
週1篇、月4篇以内。
料金は1篇(40字×20行以内、1000円)
(20行を超える場合は、40行まで2000円、60行まで3000円、20行ごとに1000円追加)
1週間以内に、講評を返信します。
講評後の、質問などのやりとりは、1回につき500円。

★skype講座★
随時受け付け。ただし、予約制(午後10時-11時が基本)。
週1篇40行以内、月4篇以内。
1回30分、1000円。
メール送信の際、対話希望日、希望時間をお書きください。折り返し、対話可能日をお知らせします。

費用は月末に 1か月分を指定口座(返信の際、お知らせします)に振り込んでください。
作品は、A判サイズのワード文書でお送りください。
少なくとも月1篇は送信してください。


お申し込み・問い合わせは、
yachisyuso@gmail.com


また朝日カルチャーセンター福岡でも、講座を開いています。
毎月第1、第3月曜日13時-14時30分。
〒812-0011 福岡県福岡市博多区博多駅前2-1-1
電話 092-431-7751 / FAX 092-412-8571

**********************************************************************

「詩はどこにあるか」10月号を発売中です。
182ページ、1750円(送料別)
オンデマンド出版です。発注から1週間-10日ほどでお手許に届きます。
リンク先をクリックして、「製本のご注文はこちら」のボタンを押すと、購入フォームが開きます。

https://www.seichoku.com/user_data/booksale.php?id=1680710487

(バックナンバーは、谷内までお問い合わせください。yachisyuso@gmail.com)



オンデマンドで以下の本を発売中です。

(1)詩集『誤読』100ページ。1500円(送料別)
嵯峨信之の詩集『時刻表』を批評するという形式で詩を書いています。
https://www.seichoku.com/user_data/booksale.php?id=168072512

(2)評論『中井久夫訳「カヴァフィス全詩集」を読む』396ページ。2500円(送料別)
読売文学賞(翻訳)受賞の中井の訳の魅力を、全編にわたって紹介。
https://www.seichoku.com/user_data/booksale.php?id=168073009

(3)評論『高橋睦郎「つい昨日のこと」を読む』314ページ。2500円(送料別)
2018年の話題の詩集の全編を批評しています。
https://www.seichoku.com/user_data/booksale.php?id=168074804


(4)評論『ことばと沈黙、沈黙と音楽』190ページ。2000円(送料別)
『聴くと聞こえる』についての批評をまとめたものです。
https://www.seichoku.com/user_data/booksale.php?id=168073455

(5)評論『天皇の悲鳴』72ページ。1000円(送料別)
2016年の「象徴としての務め」メッセージにこめられた天皇の真意と、安倍政権の攻防を描く。
https://www.seichoku.com/user_data/booksale.php?id=168072977





問い合わせ先 yachisyuso@gmail.com
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

判断は知事?(情報の読み方)

2020-11-22 08:53:43 | 自民党憲法改正草案を読む
判断は知事?(情報の読み方)

 2020年11月22日の読売新聞(西部版・14版)の1面。

感染拡大地域へ旅行 停止/首相表明「GoTo」見直し/判断は知事

 菅首相は21日、新型コロナウイルス感染症対策本部の会合を首相官邸で開き、感染者の急増を受け、需要喚起策「Go To キャンペーン」の運用を見直す考えを表明した。観光支援事業「Go To トラベル」では、感染拡大地域を目的地とする旅行の新規予約を一時停止する。対象地域は、都道府県知事の判断をもとに選定する方針だ。

 この記事には、いくつかわからない点がある。
①感染拡大地域を目的地とする旅行の新規予約を一時停止する。
「目的地」としか書いていない。出発地が感染拡大地域であってもいいということか。つまり東京や北海道へは行ってはいけないが、東京や北海道から感染者の少ない地域へは行ってもいいということか。
②旅行の新規予約を一時停止する。
いつから? すでに予約しているひとはどうなるのか。記事中には「停止によって生じたキャンセル料は国が負担する方向だ。西村経済再生相は記者会見で、「キャンセル料で取りやめをちゅうちょすることがないように、観光庁でしっかりと制度設計する」と述べた。」とあるのだが、いま旅行中のひとが旅行を短縮・中止した場合はどうなるのだろうか。
③対象地域は、都道府県知事の判断をもとに選定する。
感染地域の知事が「中止しない」と言った場合はどうなるのか。逆に感染地域の基準があてはまらない地域の知事が「中止する」と言った場合はどうなるのか。感染地域の基準未満(?)の知事が「中止する」と言った場合、キャンセル料はどこが負担するのか。菅は、国が判断したわけではないから、国は払わないと言うのではないのか。

 今回の「方針(首相表明)」で、いちばんわからないのは「GoTo」が国の事業なのに、国が主導権を取らないところである。読売新聞は、見出しに「判断は知事」ととっているが、これでは感染が拡大したら責任は知事に押しつけられる。
 コロナ感染が問題になった当初、国は検査基準を設定し、その基準をクリアしないと国民は検査も受けられない(保健所から検査対象外と言われる)という状態がつづいた。一方で現場の判断を拒否し、今回は現場の判断にまかせる。やっていることが逆だろう。

 なぜ、菅は「GoTo」をやめられないのか。やめるのに、こんなに時間がかかるのか。
 2面の記事に、こういう下りがある。
 トラベル事業は首相が官房長官だった今年7月、旗振り役となって、賛否両論の中、実現した。「社会経済活動を再開させる最大のエンジンだ」と周辺に語るなど思い入れが強い。

 見出しには「GoTo 苦渋の修整」とある。
 菅が「旗振り役」だったから、やめられないのだ。
 これは「学術会議」問題に、とてもよく似ている。問題が起きても「前言」を撤回できない。事業を中止できない。菅のことばにだれも反対できない。異論を言えないという状況が、混乱を拡大させている。
 今回のGoToを中止するかしないか、「判断は知事」と言うのも、結局のところ、「責任は菅にはない」と主張するためのものである。「旗振り役」の菅が決断しないといけないのに、判断を知事に押しつけている。「ぼくちゃん、悪くない」の安倍路線を継承している。
 「政府の方針に反対の人間は異動させる」という菅の方針が、すでに周知徹底され、だれも菅に反対意見を言わなくなっている。菅独裁の「後始末」のために混乱が拡大し続けている。
 「GoToを開始したのが間違いだった。学術会議の6人任命拒否は間違いだった」と菅が認め、謝罪しないかぎりは、混乱は拡大し続ける。コロナ感染は終息しない。トップの間違いのしりぬぐいを官僚に押しつけ続けるかぎり、コロナ感染は拡大し、民主主義は崩壊する。
 それにしても、読売新聞の記事(記述の仕方)はおもしろい。菅の「独裁」の問題点を「思い入れ」ということばで表現している。
 菅にあるのは「思い入れ」だけなのである。判断の客観的な根拠がない。

 一面には、こういう言及もある。

 有識者による新型コロナ対策分科会は20日、感染拡大地域では知事の意見を踏まえ、トラベルなどの運用を見直すよう提言した。

 20日に有識者会議が提言し、それを踏まえて21日に菅が方針を発表したと読むかぎりは、「時系列」的に、菅の判断に問題はないように見える。「客観的」な判断をしている、と読めないことはない。しかし、有識者会議が提言する前に、多くのひとがコロナ感染拡大の問題点、「GoTo」の危険性を指摘していた。そのなかには「学者(医者)」も大勢いる。それらの学者は菅にとっては「不都合な学者」ということになる。「不都合」とは「思い入れ」である。「有識者会議」のメンバーには、そういう「菅にとって不都合な学者」ははいっていないのだろう。「思い入れ」を忖度して「提言」をまとめてくれる専門家ばかりを集めたのだろう。その「菅にとって好都合な有識者会議(菅に対して忖度を働かせ続ける専門家)」さえ、菅に異を唱えざるを得なくなった。そして、やっと提言し、菅は方針転換に踏み切った。
 しかし、あとになって、菅はきっと言うに違いない。「有識者会議の提言が遅かった。有識者会議が何も提言しないので、対策が遅れた」と。西村や加藤も、それに口を合わせて「有識者会議の提言が遅れたことに問題がある。GoToに間違いはなかった」と言うだろう。





*

「情報の読み方」は10月1日から、notoに移行します。
https://note.com/yachi_shuso1953
でお読みください。
 

#菅を許さない #憲法改正 #読売新聞



*

「天皇の悲鳴」(1000円、送料別)はオンデマンド出版です。
アマゾンや一般書店では購入できません。
https://www.seichoku.com/user_data/booksale.php?id=168072977

ページ右側の「製本のご注文はこちら」のボタンを押して、申し込んでください。



コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

高橋睦郎『深きより』(8)

2020-11-21 14:49:42 | 高橋睦郎『深きより』


高橋睦郎『深きより』(8)(思潮社、2020年10月31日発行)

 「八 わたくし・おほやけ」は「紀貫之」。

 紀貫之は土佐にいた五年間は歌をつくらなかった。土佐から都へ帰る船上で突然「歌ごころ」がもどった。墨をすり、紙をひろげ、筆をとると……。

筆さきからあふれ出たのは 歌ならず こちたき日記
それも男手のおほやけならず 女手のわたくしの日記
書くわたくしも おのずから男ならず 女になつてゐた

 「書く」という動詞がこの詩のというより、高橋の詩のキーワードになると思う。
 「書く」のは「手」で書くのである。「男手」とは「漢字」、「女手」とは「仮名(かな)」を指すが、この「手」は「書く」という動詞を「名詞化」したものと言える。紀貫之の時代は、漢字で書けば男、かなで書けば女という区別があった。この区別を逆手にとって、紀貫之はかなを書くことで「男手」を「女手」に変えた。「手」を変えることが、男から女に「なる」ことだった。
 この三行は、とても強烈だ。何度もくりかえして読んでしまう。

 このあと「女」は「わたくし」と言い直される。ここから、私は少しずつ違和感を覚える。

わたくしは女になることで 初めてわたくしを歌うた
それまでわたくしが歌うてきたのは わたくしならず
上つ方の屏風の絵につけた かりそめのおほやけ歌

 ここに書かれているのは「論理」の積み重ねによる、「論理の解体/論理の再構築/論理の逆転」である。
 だから、とてもうるさく感じられる。「手」と「書く」を通して「女」になったはずなのに、少しも「女の肉体」を感じさせない。「手」が消えてしまっている。「書く」が消えてしまっている。「ひらかな」が多用されているが、見かけのことに過ぎない。

 ここから脱線して、私は、こんな「誤読」をする。
 「文字(表記)」の違いは「性」の違いである。しかし、紀貫之を離れて高橋の詩にもどってこの問題を考えると奇妙なものが見えてくる。
 高橋が紀貫之を取り上げたとき、「女になる」ということが「欲望/本能の理想」として書かれている。詩は女になって書くもの、女こそが詩人である、という本能的な認識が動いている。頭ではなく、肉体が動いている。その「肉体」が「手」というこことば、「書く」ということばを呼び寄せていた。
 しかし、せっかく女になるという欲望を実現したのに、高橋はその女を隠すようにして「文字」を書く。実際は漢字にこだわって書いている。さらに漢字へのこだわりを「旧かな」をつかうことで漢字の問題からべつなものにすりかえようとしている。(高橋は、別の主張を持っているだろうけれど。)このこだわりを目にすると、私には、高橋は高橋のなかに動いている女を隠すために「文字表記」にこだわって書いているとしか思えない。漢字(男手)にこだわることで、「手」から男になるという方法を生きているとしか、私には思えなくなる。
 紀貫之の「肉体の変化」に心底同意し、紀貫之の肉体の変化についていっているとは感じられない。「肉体」の問題を「わたくし/おおやけ」という「意識」のありようにすえかえ、「意識」を追認している。
 言い直せば、「女になる」ということを、現実として生きるのではなく、「虚構」として提出し、「虚構」のなかで「歌(文学)」を再構築し、それを紀貫之像として提出している。
 
 何か違うなあ。

 高橋の詩(書きことば)は、女であることを隠すために動いている。
 本質は女なのに、男になって書いている、という印象がする。男が書いている詩というものを書いてみる、という形で書かれているという感じがする。詩を書くことで、男になっている、男をアピールしているという印象、男根主義の匂いがする。
 この複雑なコンプレックスが、紀貫之に「女になつてゐた」と言わせた後、それを念押しするようにして、こんなふうに詩を締めくくる。

残る十とせ 頼まれの随 屏風歌をつくりつづけたが
誰が知らう それはすべて わたくし歌だつたと
翻つて かつてのおほふけ歌も わたくし歌に変はつたと

 こんな念押しは、男根主義者だけが見せる「未練」だろう。女にかわってしまった人間、つまり「女」が言うことではないだろう。他人(公)がどう見る化など関係ないとつっぱねるのが「わたくし」の決意というものだろう。
 でも、こういう未練が最後に出てくるから、高橋の詩だと言えるのだが。


                



**********************************************************************

★「詩はどこにあるか」オンライン講座★

メール、skypeを使っての「現代詩オンライン講座」です。
メール(宛て先=yachisyuso@gmail.com)で作品を送ってください。
詩への感想、推敲のヒントをメール、skypeでお伝えします。

★メール講座★
随時受け付け。
週1篇、月4篇以内。
料金は1篇(40字×20行以内、1000円)
(20行を超える場合は、40行まで2000円、60行まで3000円、20行ごとに1000円追加)
1週間以内に、講評を返信します。
講評後の、質問などのやりとりは、1回につき500円。

★skype講座★
随時受け付け。ただし、予約制(午後10時-11時が基本)。
週1篇40行以内、月4篇以内。
1回30分、1000円。
メール送信の際、対話希望日、希望時間をお書きください。折り返し、対話可能日をお知らせします。

費用は月末に 1か月分を指定口座(返信の際、お知らせします)に振り込んでください。
作品は、A判サイズのワード文書でお送りください。
少なくとも月1篇は送信してください。


お申し込み・問い合わせは、
yachisyuso@gmail.com


また朝日カルチャーセンター福岡でも、講座を開いています。
毎月第1、第3月曜日13時-14時30分。
〒812-0011 福岡県福岡市博多区博多駅前2-1-1
電話 092-431-7751 / FAX 092-412-8571

**********************************************************************

「詩はどこにあるか」10月号を発売中です。
182ページ、1750円(送料別)
オンデマンド出版です。発注から1週間-10日ほどでお手許に届きます。
リンク先をクリックして、「製本のご注文はこちら」のボタンを押すと、購入フォームが開きます。

https://www.seichoku.com/user_data/booksale.php?id=1680710487

(バックナンバーは、谷内までお問い合わせください。yachisyuso@gmail.com)



オンデマンドで以下の本を発売中です。

(1)詩集『誤読』100ページ。1500円(送料別)
嵯峨信之の詩集『時刻表』を批評するという形式で詩を書いています。
https://www.seichoku.com/user_data/booksale.php?id=168072512

(2)評論『中井久夫訳「カヴァフィス全詩集」を読む』396ページ。2500円(送料別)
読売文学賞(翻訳)受賞の中井の訳の魅力を、全編にわたって紹介。
https://www.seichoku.com/user_data/booksale.php?id=168073009

(3)評論『高橋睦郎「つい昨日のこと」を読む』314ページ。2500円(送料別)
2018年の話題の詩集の全編を批評しています。
https://www.seichoku.com/user_data/booksale.php?id=168074804


(4)評論『ことばと沈黙、沈黙と音楽』190ページ。2000円(送料別)
『聴くと聞こえる』についての批評をまとめたものです。
https://www.seichoku.com/user_data/booksale.php?id=168073455

(5)評論『天皇の悲鳴』72ページ。1000円(送料別)
2016年の「象徴としての務め」メッセージにこめられた天皇の真意と、安倍政権の攻防を描く。
https://www.seichoku.com/user_data/booksale.php?id=168072977





問い合わせ先 yachisyuso@gmail.com
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「藤田嗣治と彼が愛した布たち」

2020-11-21 10:46:18 | その他(音楽、小説etc)


「藤田嗣治と彼が愛した布たち」(2020年11月20日、福岡市美術館)

 藤田嗣治は「白い肌」とともにバックの布の細密な描写、あるいは着ているドレスの写真と見紛う描写が有名である。
 私は藤田の「白い肌」があまり好きではない。白すぎて人間味がない。まるで色を抜かれてしまったような感じがする。それに比べると、布は異様なくらい、生きている。
 「タピストリーと裸婦」(1923年)は背景のタピストリーがとてもおもしろい。たたみ皺がなまなましく描かれている。そのたたみ皺が浮かびあがらせる布の柔らかさと強さに私は引きつけられてしまう。藤田は裸婦よりも、このたたみ皺(布)を描きたかったのではないのか、と思えてくる。
 布はいつでも広げられているとはかぎらない。たたんでしまわれていることがある。つかうときになってそれを広げる。そこにはたたんだときにできた皺が残っている。この皺の感じは、たとえばシーツの、それをつかったためにできる不規則な皺と違ってある一定の規則性がある。そして、そのたたみ皺は、きちんとたたんでおかないとこんなに美しい形ではあらわれない、という不思議な一面を持っている。
 「タピストリーと裸婦」では、その規則性と、シーツの乱れが同時に描かれているので、規則性のもつ不思議な「色気」のようなものが強調されることになる。抑制されていたものが解放されるとき、そこにまだ残っている抑制の名残。きちんとたたんできたものだけが持っている不思議な初々しさ。たたむとき、布の目にあわせてたたまないと、こんなに美しくならない。広げるときも、きっと手順をまもって丁寧に広げるのだと思う。たわめる、たわむ。そこには暴力があるはずなのに、暴力を感じさせない。なんといえばいいのか、不思議な反発力と抑圧がせめぎ合っている。 
 裸婦の陰影も、藤田にとっては、このたたみ皺のようなもの、抑圧と解放のせめぎあう場なのだろうか。よくわからない。私は、裸婦よりも、バックにつるされた布(タピストリー)のたたみ皺のように欲情してしまう。触りたくなる。触って、本物かどうか確かめたくなる。絵だとわかっていても。裸婦の肌をはいまわる執拗な陰影に、一種の暴力のようなものを感じるが、それは裸婦自身が発する生命力というよりも、藤田の視線の力である。藤田の絵筆によって、布は生き始めるが、裸婦の肌は死に始める、という感じがする。私は、そこに描かれているものが「絵」なのに生きて動き始める、ということが感じられるものが好きなのだ。
 「自画像」(1929年)のシャツも奇妙だ。シャツの形に閉じこめられた布が、肉体の動きを借りて別なものになろうとしているように見える。シャツの下には「肉体」があるはずなのだが、「肉体」をほうりだして、シャツが生き始めようともがいているようにも見える。筆をもつ手も、藤田の目も、そしてそのそばにいる猫の目も動かない。シャツだけが動こうとしている。あ、背景に描かれている女の横顔、髪も動こうとしている。そしてなによりも不思議なのは、その「絵の中の絵」の方が、私には藤田の「自画像」よりも魅力的に見えることだ。「裸婦」では「死んでいる」と感じる「肌」が絵の中の絵の、その女の首筋、顎の影では「生きている」と感じる。タペストリーに触ってみたいと感じたように、この絵の中の絵の女の横顔(首筋や顎)には触ってみたいと思う。藤田の来ているシャツ(その布)にも触ってみたいと思う。でも、藤田の「肉体」には触ってみたい、という気持ちは起きない。

 そういうことを思った後で、展覧会そのものを思い出してみると「藤田嗣治と彼が愛した布たち」と絵だけではなく、「布」にも焦点を当てていることの「意味」のようなものもわかる。もしかすると、タイトルに導かれるようにして、私は藤田の絵を見たのかもしれないが、藤田が「布」に執着していたこと、愛していたことが非常によくつたわってくる企画展だった。藤田がつくった服や裁縫道具も展示されている。
 藤田は「裁縫」が得意なのだ。布に親しんでいる。ミシンをつかうだけではなく、手でも縫う。自分の着るものをデザインし、手作りしている。それは「着る」というよりも「布を生かす」という感じがする。画家ではなく、ファッションデザイナーとし生きていれば、どんなふうになっただろうかというようなことをふと思った。布そのものが美しい形をもとめて歩きだすという感じのファッションが生まれていたのではないだろうか。



                



**********************************************************************

★「詩はどこにあるか」オンライン講座★

メール、skypeを使っての「現代詩オンライン講座」です。
メール(宛て先=yachisyuso@gmail.com)で作品を送ってください。
詩への感想、推敲のヒントをメール、skypeでお伝えします。

★メール講座★
随時受け付け。
週1篇、月4篇以内。
料金は1篇(40字×20行以内、1000円)
(20行を超える場合は、40行まで2000円、60行まで3000円、20行ごとに1000円追加)
1週間以内に、講評を返信します。
講評後の、質問などのやりとりは、1回につき500円。

★skype講座★
随時受け付け。ただし、予約制(午後10時-11時が基本)。
週1篇40行以内、月4篇以内。
1回30分、1000円。
メール送信の際、対話希望日、希望時間をお書きください。折り返し、対話可能日をお知らせします。

費用は月末に 1か月分を指定口座(返信の際、お知らせします)に振り込んでください。
作品は、A判サイズのワード文書でお送りください。
少なくとも月1篇は送信してください。


お申し込み・問い合わせは、
yachisyuso@gmail.com


また朝日カルチャーセンター福岡でも、講座を開いています。
毎月第1、第3月曜日13時-14時30分。
〒812-0011 福岡県福岡市博多区博多駅前2-1-1
電話 092-431-7751 / FAX 092-412-8571

**********************************************************************

「詩はどこにあるか」10月号を発売中です。
182ページ、1750円(送料別)
オンデマンド出版です。発注から1週間-10日ほどでお手許に届きます。
リンク先をクリックして、「製本のご注文はこちら」のボタンを押すと、購入フォームが開きます。

https://www.seichoku.com/user_data/booksale.php?id=1680710487

(バックナンバーは、谷内までお問い合わせください。yachisyuso@gmail.com)



オンデマンドで以下の本を発売中です。

(1)詩集『誤読』100ページ。1500円(送料別)
嵯峨信之の詩集『時刻表』を批評するという形式で詩を書いています。
https://www.seichoku.com/user_data/booksale.php?id=168072512

(2)評論『中井久夫訳「カヴァフィス全詩集」を読む』396ページ。2500円(送料別)
読売文学賞(翻訳)受賞の中井の訳の魅力を、全編にわたって紹介。
https://www.seichoku.com/user_data/booksale.php?id=168073009

(3)評論『高橋睦郎「つい昨日のこと」を読む』314ページ。2500円(送料別)
2018年の話題の詩集の全編を批評しています。
https://www.seichoku.com/user_data/booksale.php?id=168074804


(4)評論『ことばと沈黙、沈黙と音楽』190ページ。2000円(送料別)
『聴くと聞こえる』についての批評をまとめたものです。
https://www.seichoku.com/user_data/booksale.php?id=168073455

(5)評論『天皇の悲鳴』72ページ。1000円(送料別)
2016年の「象徴としての務め」メッセージにこめられた天皇の真意と、安倍政権の攻防を描く。
https://www.seichoku.com/user_data/booksale.php?id=168072977





問い合わせ先 yachisyuso@gmail.com
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

高橋睦郎『深きより』(7)

2020-11-20 09:51:42 | アルメ時代


高橋睦郎『深きより』(7)(思潮社、2020年10月31日発行)

 「七  勝利したのは」は「菅原道真」。

 菅原道真を滅ぼしたのは誰か。これを菅原道真自身に語らせている。「六 事実か真実か」についても言えることだが、ことばが「論理」を追いかけ始めると、肉体が動かなくなる。ことばのなかから「万葉集」が持っていた力が消え、「古今集/新古今集」を支配する頭の力が動き出す。高橋はもともと「万葉集」というよりも「古今集/新古今集」をひきつぐ詩人だと私は思っているが、この作品にはその特徴があらわれている。
 道真を滅ぼした「真犯人はかく申すわたしく自身」と書いたあとで、ことばは、こう展開する。

詩は志といふ などと騙るとつ国の世迷ひ言を受け売り
詩心こそ政りごとの心と信じた いや 信じるふりをした
わたくしに外ならぬ ではわたくしはそもそも何を望んだのか
全き詩人であること そのためには世間的に全き敗残者になること

 ここでは「詩」と「政治」が対極にあるという認識が書かれている。「詩心は政治である」と「信じるふりをした」。このとき「政治」とは「権力(者)」であり、「勝者」である。それは「敗残者」ということばと対比される形で書かれている。そして、この対比のなかで「詩=敗残(者)」という定義が生まれる。
 だが「敗残者」は「敗残者」ということばとともに生き残る。「被害者」として生きつづける。注目を浴びるのは、加害者よりも被害者であることが多い。それは「世間」は被害者で満ちているからだ。「政治」の権力を握る人間よりも、権力者になれない人間の方が多いから、どうしても「敗残者」が世間のこころを引きつけるのだ。世間は自分に似た存在に共鳴するのだ。「勝者」たちは「敵」という汚名にまみれる。

それでも足りず 千百年ののちの現在もなほ わが詩篇は
いやさらに新しく 受難の光を放射しつづける 眩しく 痛ましく

 「受難の光」。これは「青春の輝き」でもある。敗北を「受難」と正当化するするとき、そこに「精神性」が忍び込む。そして「抒情」が生まれる。しかし、この「誕生」を促すのは「肉体」ではなく「精神(頭)」である。
 「肉体」は滅んでも「精神=詩=ことば」は滅びない。それはそうなのかもしれないが、私は、このときの「生き残る」という動きのなかに「肉体」の動きが重ならないものを信じたくない。そういうものは、道真の認識ではなく、「他者」の捏造した「後出しじゃんけん」のようなものである。





                



**********************************************************************

★「詩はどこにあるか」オンライン講座★

メール、skypeを使っての「現代詩オンライン講座」です。
メール(宛て先=yachisyuso@gmail.com)で作品を送ってください。
詩への感想、推敲のヒントをメール、skypeでお伝えします。

★メール講座★
随時受け付け。
週1篇、月4篇以内。
料金は1篇(40字×20行以内、1000円)
(20行を超える場合は、40行まで2000円、60行まで3000円、20行ごとに1000円追加)
1週間以内に、講評を返信します。
講評後の、質問などのやりとりは、1回につき500円。

★skype講座★
随時受け付け。ただし、予約制(午後10時-11時が基本)。
週1篇40行以内、月4篇以内。
1回30分、1000円。
メール送信の際、対話希望日、希望時間をお書きください。折り返し、対話可能日をお知らせします。

費用は月末に 1か月分を指定口座(返信の際、お知らせします)に振り込んでください。
作品は、A判サイズのワード文書でお送りください。
少なくとも月1篇は送信してください。


お申し込み・問い合わせは、
yachisyuso@gmail.com


また朝日カルチャーセンター福岡でも、講座を開いています。
毎月第1、第3月曜日13時-14時30分。
〒812-0011 福岡県福岡市博多区博多駅前2-1-1
電話 092-431-7751 / FAX 092-412-8571

**********************************************************************

「詩はどこにあるか」10月号を発売中です。
182ページ、1750円(送料別)
オンデマンド出版です。発注から1週間-10日ほどでお手許に届きます。
リンク先をクリックして、「製本のご注文はこちら」のボタンを押すと、購入フォームが開きます。

https://www.seichoku.com/user_data/booksale.php?id=1680710487

(バックナンバーは、谷内までお問い合わせください。yachisyuso@gmail.com)



オンデマンドで以下の本を発売中です。

(1)詩集『誤読』100ページ。1500円(送料別)
嵯峨信之の詩集『時刻表』を批評するという形式で詩を書いています。
https://www.seichoku.com/user_data/booksale.php?id=168072512

(2)評論『中井久夫訳「カヴァフィス全詩集」を読む』396ページ。2500円(送料別)
読売文学賞(翻訳)受賞の中井の訳の魅力を、全編にわたって紹介。
https://www.seichoku.com/user_data/booksale.php?id=168073009

(3)評論『高橋睦郎「つい昨日のこと」を読む』314ページ。2500円(送料別)
2018年の話題の詩集の全編を批評しています。
https://www.seichoku.com/user_data/booksale.php?id=168074804


(4)評論『ことばと沈黙、沈黙と音楽』190ページ。2000円(送料別)
『聴くと聞こえる』についての批評をまとめたものです。
https://www.seichoku.com/user_data/booksale.php?id=168073455

(5)評論『天皇の悲鳴』72ページ。1000円(送料別)
2016年の「象徴としての務め」メッセージにこめられた天皇の真意と、安倍政権の攻防を描く。
https://www.seichoku.com/user_data/booksale.php?id=168072977





問い合わせ先 yachisyuso@gmail.com

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

高橋睦郎『深きより』(6)

2020-11-19 17:13:01 | 高橋睦郎『深きより』





                



**********************************************************************

★「詩はどこにあるか」オンライン講座★

メール、skypeを使っての「現代詩オンライン講座」です。
メール(宛て先=yachisyuso@gmail.com)で作品を送ってください。
詩への感想、推敲のヒントをメール、skypeでお伝えします。

★メール講座★
随時受け付け。
週1篇、月4篇以内。
料金は1篇(40字×20行以内、1000円)
(20行を超える場合は、40行まで2000円、60行まで3000円、20行ごとに1000円追加)
1週間以内に、講評を返信します。
講評後の、質問などのやりとりは、1回につき500円。

★skype講座★
随時受け付け。ただし、予約制(午後10時-11時が基本)。
週1篇40行以内、月4篇以内。
1回30分、1000円。
メール送信の際、対話希望日、希望時間をお書きください。折り返し、対話可能日をお知らせします。

費用は月末に 1か月分を指定口座(返信の際、お知らせします)に振り込んでください。
作品は、A判サイズのワード文書でお送りください。
少なくとも月1篇は送信してください。


お申し込み・問い合わせは、
yachisyuso@gmail.com


また朝日カルチャーセンター福岡でも、講座を開いています。
毎月第1、第3月曜日13時-14時30分。
〒812-0011 福岡県福岡市博多区博多駅前2-1-1
電話 092-431-7751 / FAX 092-412-8571

**********************************************************************

「詩はどこにあるか」10月号を発売中です。
182ページ、1750円(送料別)
オンデマンド出版です。発注から1週間-10日ほどでお手許に届きます。
リンク先をクリックして、「製本のご注文はこちら」のボタンを押すと、購入フォームが開きます。

https://www.seichoku.com/user_data/booksale.php?id=1680710487

(バックナンバーは、谷内までお問い合わせください。yachisyuso@gmail.com)



オンデマンドで以下の本を発売中です。

(1)詩集『誤読』100ページ。1500円(送料別)
嵯峨信之の詩集『時刻表』を批評するという形式で詩を書いています。
https://www.seichoku.com/user_data/booksale.php?id=168072512

(2)評論『中井久夫訳「カヴァフィス全詩集」を読む』396ページ。2500円(送料別)
読売文学賞(翻訳)受賞の中井の訳の魅力を、全編にわたって紹介。
https://www.seichoku.com/user_data/booksale.php?id=168073009

(3)評論『高橋睦郎「つい昨日のこと」を読む』314ページ。2500円(送料別)
2018年の話題の詩集の全編を批評しています。
https://www.seichoku.com/user_data/booksale.php?id=168074804


(4)評論『ことばと沈黙、沈黙と音楽』190ページ。2000円(送料別)
『聴くと聞こえる』についての批評をまとめたものです。
https://www.seichoku.com/user_data/booksale.php?id=168073455

(5)評論『天皇の悲鳴』72ページ。1000円(送料別)
2016年の「象徴としての務め」メッセージにこめられた天皇の真意と、安倍政権の攻防を描く。
https://www.seichoku.com/user_data/booksale.php?id=168072977





問い合わせ先 yachisyuso@gmail.com
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

フェデリコ・フェリーニ監督「道」(★★★★)

2020-11-19 10:25:15 | 映画
フェデリコ・フェリーニ監督「道」(★★★★)(2020年11月18日、KBCシネマ1)

監督 フェデリコ・フェリーニ 出演 アンソニー・クイン、ジュリエッタ・マシーナ

 何度か見た映画である。くりかえし見る映画というのは、なんというか、その映画のどこが好きかを確認するためにある。
 私はアンソニー・クインがジュリエッタ・マシーナを捨て去るシーンが大好き。何が起きるかわかっているのに、毎回どきどきする。これは最初に見たときからおなじ。
 廃墟のようなところ(廃村、というべきか)で、ジェルソミーナが眠り込んでしまう。だんだん足手まといと感じ始めたザンパーノが、ジェルソミーナが眠り込んでいることをいいことに、そこに置き去りにして、逃げてしまう。
 そのとき、荷車のなかからマントとか衣類をとりだし、眠るジェルソミーナにかけてやるのだが。
 荷車には、ジェルソミーナが吹いていたトランペットがある。
 あ、あそこにトランペットがある。荷台から顔を覗かせている。その存在にザンパーノは気づいていない。私の方が先に気がついている。ザンパーノは気づいていない。いつ、トランペットに気がつくだろうか。トランペットに気がついて、ジェルソミーナがいつも好きな曲を吹いていたことを思い出すだろうか。ジェルソミーナがトランペットが好きだということに気づいて、それをジェルソミーナに残していく気持ちになるだろうか。
 ジェルソミーナが大好きなトランペットだ。ジェルソミーナがいなくなったらトランペットはどうなるのだろう。トランペットがなかったらジェルソミーナはどうやって生きていくのだろう。ジェルソミーナは捨ててもいい。でも、ジェルソミーナを捨てるなら、トランペットだけはジェルソミーナに渡してほしい。
 だから、早く、もっと早く、気づいてほしい。そこにトランペットがあるということに。トランペットをジェルソミーナが吹いていたことを、ちょっとでいいから思い出してほしい。
 ストーリーはわかっているのに(最初に見たときから、そうなることはわかったのに)、毎回、ここでどきどき、はらはらする。映画だから、そのシーンが変更になることはないのに、毎回、心配でならなくなる。
 ジェルソミーナが捨てられるのだから、ここでトランペットを残されたくらいでほっとしてはいけないのだけれど、私は、ああ、よかったと思い、毎回、涙が流れてしまう。私の祈りがとどいた、と思ってしまう。
 これは、どういうことなんだろうなあ。わからない。わからないから、好き。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

コロナ感染者はなぜ増えた?(情報の読み方)

2020-11-19 09:24:56 | 自民党憲法改正草案を読む
コロナ感染者はなぜ増えた?(情報の読み方)

 2020年11月19日の読売新聞(西部版・14版)の1面。

コロナ感染 最多2201人/東京493人 警戒最高へ

 この見出しは、感染者が増えたことを伝えている。でも、なぜ増えたのか。その理由は書いていない。
 1面には「コロナ最前線 拡大再び」という連載がはじまっている。そのなかに、こんなことが書いてある。

 感染者数の増加要因には検査数が増えていることもある。都内では4月には最大1700件ほどだった1日の検査数が、今月16日には8500件を超えるなど検査体制は大幅に増強が進んでいる。

 私が注目するのは「検査体制は大幅に増強が進んでいる」とわざわざ書いていること。
 経済再生担当相の西村は17日、兵庫県内の1日当たりの新型コロナウイルス新規感染者が初めて100人を超えたことに「検査数を増やしているがゆえ(の増加)」と語ったが、このことと合致している。
 第一波のとき、なぜ日本の感染者が少ないのかということが話題になった。検査数が少ないからだ、という指摘が相次いだ。それから半年以上もたって、なおかつ「検査数」と「感染者」の数の問題が話題になっている。
 いちばんの違いは、「検査数が少ない=感染者数が少ない」「検査数が多い=感染者数が多い」という「相関関係」を権力側が言い始めたことである。しかも、それを「感染者」が増えたことに対する「言い訳」として利用し始めたことである。
 この「相関関係」を認めたことは、安倍以来つづいている得意の「解釈の変更」である。
 なぜ、いま?
 ヨーロッパでは(世界では、と言った方がいいのかもしれないが、)「第二波」ともいうべき拡大がつづきフランスの累計患者は200万人を超えた。そういう動きを知りながら、政府は「検査数」をおさえてきた。やっと検査拡大に踏み切った。そして、検査数と感染者数の相関関係を認めた。これは、検査数がこれから増えるにしたがって感染者数が増えるという「予告」でもある。なぜ、そういうことをすると方針転換をしたのか。
 なぜ、いま方針を転換する気になったのか。
 最近、何があったか。
 バッハが来日し、東京五輪について語り合った。表向き、「観客を入れた形で五輪を開催する」ということが方針として報道されている。
 私は、このことと関係があると考えている。東京五輪開催のための「言質」のようなものをバッハから引き出した。だから、これからは感染者が増えてもかまわない、と検査数を増やしたのだ。バッハから「言質」を引き出すまでは、なんとしても感染者数を小さくしておく必要があった。「GoTo」や観客入りスポーツ大会の成果(?)をアピールする必要がある、ということだったのだろう。
 問題は。
 感染者が増えたからといって、「GoTo」や観客入りスポーツ大会をやめることができない点にある。バッハに「こんな具合にうまく言っている」と宣伝したばかりだからだ。ここで中止すれば、東京五輪はやっぱり無理、ということになる。だから「原因」を「GoTo」や観客入りスポーツ大会に押しつけない形で、コロナ対策を進めないといけないことになる。
 で、そういう「意図」を汲んでのことだと思うのだが、読売新聞は最近の「拡大傾向」をこう分析している。

今回の全国的な感染拡大の背景には、クラスター(感染集団)の多様化がある。厚労省によると、16日までに確認されたクラスターは1週間で153件増えて2147件となった。夏場は接待を伴う飲食店が目立ったが、最近は大学の寮や職場、家庭、外国人コミュニティーなどに広がり、地域も都市部から地方に拡大している。

 これはあくまで「現象」の分析であって、「原因」の分析ではない。なぜ、「大学の寮や職場、家庭、外国人コミュニティーなどに広がり、地域も都市部から地方に拡大している」のか、分析して見せる気配もない書き方である。いや、大学の寮や職場、家庭、外国人コミュニティー、地方に「原因」があるという書き方である。
 ウィルスはウィルス自身で移動するわけではない。人間が移動しないかぎり、動けない。人間が移動するから感染が拡大する。つまり「GoTo」や観客入りスポーツ大会がどうしたって関係しているのだ。ヨーロッパの第二波も夏のバカンスの移動がどうしたって影響している。
 そうであるならば、これから拡大はさらにつづくということだ。そして、その「責任」を大学の寮や職場、家庭、外国人コミュニティー、地方に押しつけようとしている。政府に責任はないと言おうとしている。
 そして。
 日本の感染拡大は「第三波」である。これは、何を意味するだろうか。ヨーロッパでは、「第一波」が遅かったから、いまが「第二波」である。これは言い直せば、ヨーロッパにも「第三波」に襲われる可能性があるということである。クリスマスシーズンを控えて、ヨーロッパではなんとか「第二波」をクリスマスまでにおさえようとしているが、それがおわったら「第三波」に襲われる可能性がある。
 日本の「第三波」がどうなるか、これがヨーロッパの動き(あるいは世界の動き)のひとつの目安になると思う。(日本のクルーズ船対策のどたばたが、そのままヨーロッパの「第一波」のどたばたに類似しているのに似ている。)日本が「年末・年始」を乗り切り、拡大を抑制できればヨーロッパの「第三波」もそれを手本にできるかもしれない。
 しかし、ヨーロッパの「第二波」の急拡大を、日本が「第三波」で追いかけるようにして動いていて、しかも、その対策が「GoTo」の維持、観客入りイベントの継続というのだから、「大失敗」の手本になるだけだ。菅(西村)のように、「感染者が増えたのは検査数が増えたから」と言い逃れるだけでは、感染が拡大するだけである。ヨーロッパでは、感染拡大を防ぐために経済活動を抑止し始めているのに、日本はその気配すら見せない。対策を国民の活動にまる投げしている。東京五輪のために。
 安倍が、開いてもいない東京五輪の「功労章」のようなものをもらったのだから、それで満足して、さっさと東京大会をあきらめて、コロナ対策に真剣に取り組まないと、ほんとうにたいへんなことになる。東京五輪が開かれなかったら「大赤字」になるのだとしても、このままコロナが拡大した形で五輪が開かれないという形になるよりは「被害」が少ないはずである。
 東京五輪にしがみついているときではない。東京五輪のために「情報操作」をしているときではない。「クラスター」発生の「原因」は大学の寮や職場、家庭、外国人コミュニティー、地方にあるのではない。大学の寮や職場、家庭、外国人コミュニティー、地方は「犠牲者」なのである。「クラスター」そのものが「加害者」ではなく「被害者/犠牲者」なのである。東京五輪にしがみついている電通のため、「被害者/犠牲者」が、これからますます増えていくのだ。





*

「情報の読み方」は10月1日から、notoに移行します。
https://note.com/yachi_shuso1953
でお読みください。
 

#菅を許さない #憲法改正 #読売新聞



*

「天皇の悲鳴」(1000円、送料別)はオンデマンド出版です。
アマゾンや一般書店では購入できません。
https://www.seichoku.com/user_data/booksale.php?id=168072977

ページ右側の「製本のご注文はこちら」のボタンを押して、申し込んでください。


コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

田中さとみ『ノトーリアス グリン ピース』

2020-11-18 11:04:16 | 詩集


田中さとみ『ノトーリアス グリン ピース』(思潮社、2020年10月31日発行)

 私が若い人の詩を読んでいちばん感じるのはリズム感覚が私とはまったく違うということだ。田中さとみのことは何も知らないが、若い人だと思う。
 『ノトーリアス グリン ピース』の巻頭の詩「天国への階段を買おうとしている彼女を知っている」という作品。

マイクロプラスチックを食べた、歴史に回収されるまえの、色の黒い尉、
に接続されていく、
羽衣の菌糸が雪のように染みていくのを感じていた
   ニホンオオカミの  身体、

 「接続」ということばをつかいながら、「に接続されていく、」という一行は「切断」を強調する。あるいは「飛躍」を、と言えばいいのかもしれない。
 私は、岸野昭彦の「接続詞」をすこし思い出すが、岸野にあった「接続詞」の必然性が、田中の詩では感じられない。「飾り」のように見えてしまう。「飾り」は「飾り」でいいと思うけれど。というか、この「接続」ということばをつかって「切断/分断/破壊」のリズムはそれなりにおもしろいと思うけれど。
 私がついていけないのは、このリズムが途中で大きく変わってしまうことだ。

水玉の鹿が木陰から覗いていた、寄木細工でできた湖が零れると、
鹿の水玉は笑うように 揺れるので、ささやかな風ばかりが 吹いている、
水玉のなかには、ひとすじのあめんぼ(wwweb.)が 浮かんでいる の
切り裂くように水を掻くと、五線譜は乱れ る

 ここでは「飛躍/切断/破壊」とは別の「粘着力」が働いている。「水玉」が三行にわたって繰り返されたはてに、まだ「水」がことば(肉体)として残っている。「飛躍」というよりも、ずるずるとことばを這い回っている感じがする。
 私は、こういう「リズム」の変化についていけない。「文体」の変化と言い直してもいい。
 私は文学作品というのは、つまるところ「リズム(文体)」の維持であると思う。どこまで同じ「文体(リズム)」でことばを動かしていけるか。「リズム」が同じなら、私は安心してそのことばを追っていける。それが「飛躍」のリズムであろうが「這いずりまわる」リズムであろうが。
 好意的に読み直せば、「に接続されていく、」という一行は、すでに「切断/飛躍」ではなく「接続(連続/粘着力)」そのものを暗示しており、それが詩の途中から動き始めるということなのかもしれないが、私の「肉体」が納得しない。
 「頭の誤読(好意的な読み方)」に対して、私の「肉体」が「いやだ」と叫ぶ。その「肉体」の声に私はしたがう。
 「キミが最初の花だった」は「時間」の経過にしたがってことばが動いている。「時間」を刻印しながら断章がつづいている。「時間」を記すことで「リズム」をつくり、その「リズムの間」にもう一つの別の「リズム」を交錯させる。(行間の空きは不揃いなのだが、私はすべて一行空きで引用する。元の形は詩集参照。)

午前9時

妊娠したコンクリートが部屋を歩いている
嘲笑する運河
ヒラメの首が切られる 液晶のにおい

午後1時

遠い昔の書物をひらく

どこもかしこも同じ景色だけが広がっていた。まだ、背の高い木も花も存在しなくて、
水辺の苔だけが生え、静かに呼吸していた。
鳥にも虫にも陸地はない。
なにも音がしない。葉擦れの音すらしない。
苔だけが青々とのびていき、土の表面を撫でながら潤していく。

 「午前9時」に出てくる「妊娠したコンクリートが部屋を歩いている」というのは刺戟的である。呼応する「嘲笑する運河」も対比(対立項)としておもしろい。ここには、いわゆる「飛躍」があり、「飛躍」があるということは、その奥に「精神の持続」があるということなのだが、この「飛躍」と「持続」が「午後1時」とどうつながるのかわからない。「不連続のリズム」と言えば、それはそれでいいのかもしれないが、私にはそういう「説明」は「後出しじゃんけん」のように思えて(頭で考えただけのことのように思えて)、どうも納得できない。
 さらに、その「午後1時」の部分。「書物」と「逃げ(言い訳)」ではじまっているが、どうにも納得できないことがある。

なにも音がしない。葉擦れの音すらしない。

 と書いているが、その前に「背の高い木も花も存在しなくて」「水辺の苔だけが生え」ていると書いている。草木がないのだから、葉もあるはずがなく、したがって「葉擦れの音」が存在するはずがない。これは「頭」の認識ではなく、もしその場に「肉体」があるなら(肉体を持った詩人がその場を体験するならば)「目」と「耳」でわかることである。もしここで「音」を登場させるならば、

苔だけが青々とのびていき、土の表面を撫でながら潤していく「音がする」

 という具合に「音」を登場させるべきだと思う。「静寂」が肉体を刺戟し、「肉体」のなかに存在しない「音」を生み出す、という瞬間まで「待つ」べきだと思う。
 もし、存在しないものをことばで存在させ、それを「五感」で定着させるという「文体」がことばを動かすならば、それは「午前9時」の「妊娠したコンクリート」とつながるだろうと思う。
 ことばが「肉体」になっていない、その場その場で「頭」が動いている、という印象がして、私は、どうにもついていけなくなる。百ページ近い詩集なのだが、私は半分で読むのに疲れてしまった。後半は読んでいない。だから、もしかすると後半に刺戟的なことば、行の展開があるのかもしれないが、どうにもわからない。




                



**********************************************************************

★「詩はどこにあるか」オンライン講座★

メール、skypeを使っての「現代詩オンライン講座」です。
メール(宛て先=yachisyuso@gmail.com)で作品を送ってください。
詩への感想、推敲のヒントをメール、skypeでお伝えします。

★メール講座★
随時受け付け。
週1篇、月4篇以内。
料金は1篇(40字×20行以内、1000円)
(20行を超える場合は、40行まで2000円、60行まで3000円、20行ごとに1000円追加)
1週間以内に、講評を返信します。
講評後の、質問などのやりとりは、1回につき500円。

★skype講座★
随時受け付け。ただし、予約制(午後10時-11時が基本)。
週1篇40行以内、月4篇以内。
1回30分、1000円。
メール送信の際、対話希望日、希望時間をお書きください。折り返し、対話可能日をお知らせします。

費用は月末に 1か月分を指定口座(返信の際、お知らせします)に振り込んでください。
作品は、A判サイズのワード文書でお送りください。
少なくとも月1篇は送信してください。


お申し込み・問い合わせは、
yachisyuso@gmail.com


また朝日カルチャーセンター福岡でも、講座を開いています。
毎月第1、第3月曜日13時-14時30分。
〒812-0011 福岡県福岡市博多区博多駅前2-1-1
電話 092-431-7751 / FAX 092-412-8571

**********************************************************************

「詩はどこにあるか」10月号を発売中です。
182ページ、1750円(送料別)
オンデマンド出版です。発注から1週間-10日ほどでお手許に届きます。
リンク先をクリックして、「製本のご注文はこちら」のボタンを押すと、購入フォームが開きます。

https://www.seichoku.com/user_data/booksale.php?id=1680710487

(バックナンバーは、谷内までお問い合わせください。yachisyuso@gmail.com)



オンデマンドで以下の本を発売中です。

(1)詩集『誤読』100ページ。1500円(送料別)
嵯峨信之の詩集『時刻表』を批評するという形式で詩を書いています。
https://www.seichoku.com/user_data/booksale.php?id=168072512

(2)評論『中井久夫訳「カヴァフィス全詩集」を読む』396ページ。2500円(送料別)
読売文学賞(翻訳)受賞の中井の訳の魅力を、全編にわたって紹介。
https://www.seichoku.com/user_data/booksale.php?id=168073009

(3)評論『高橋睦郎「つい昨日のこと」を読む』314ページ。2500円(送料別)
2018年の話題の詩集の全編を批評しています。
https://www.seichoku.com/user_data/booksale.php?id=168074804


(4)評論『ことばと沈黙、沈黙と音楽』190ページ。2000円(送料別)
『聴くと聞こえる』についての批評をまとめたものです。
https://www.seichoku.com/user_data/booksale.php?id=168073455

(5)評論『天皇の悲鳴』72ページ。1000円(送料別)
2016年の「象徴としての務め」メッセージにこめられた天皇の真意と、安倍政権の攻防を描く。
https://www.seichoku.com/user_data/booksale.php?id=168072977





問い合わせ先 yachisyuso@gmail.com

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

バッハ会談続報(情報の読み方)

2020-11-17 14:29:03 | 自民党憲法改正草案を読む
 2020年11月17日の読売新聞(西部版・14版)を見て、私は、奇妙な違和感を覚えた。トップの見出し。

海図に「日本海」継続へ/「東海」併記なし 韓国反対せず/国際機関指針

 という「特ダネ」。日本海の呼称をめぐって日韓が対立していたことは知っている。「日本海」という呼称だけを継続するというニュースはそれなりに意味があるのかもしれない。
 ただ、この日は別のニュースもある。1面の二番手の見出し。

選手ワクチン IOC負担/バッハ会長 五輪に観客「確信」

 これは、16日の「特ダネ」、

五輪「観客あり」確認へ/首相・IOC会長 きょう会談

 の続報。
 「『観客あり』確認へ」から「五輪に観客『確信』」に変わっただけだから、トップでなくてもいいということか。それよりも「日本海」の呼称の方が大事、ということか。たしかに、そういう判断もあるとは思うが。
 私の感覚では、「特ダネ」の続報で、しかもその内容が「特ダネ」に沿ったものなのだから、そのままトップ記事にしてもいいのではないか、と思うのである。「違和感」というのは、このこと。
 他の新聞と比較しているわけではないので(また「特ダネ」の続報なので、比較してもはじまらないと思うが)、明確なことは言えないが、ほんとうに奇妙。
 バッハが、観客を「確信」しているというのも、表現として奇妙だなあ、と思う。「観客あり」という16日の「特ダネ」から一歩後退している感じもする。だからトップにできなかったのではないか。
 「朗報」というより、「暗雲」の方が強い、ということかなあ。
 記事を読んでみる。(番号は、私がつけた。記事は、一部省略している。)

①来日中の国際オリンピック委員会(IOC)のトーマス・バッハ会長は16日、東京都内で記者会見し、新型コロナウイルス対策として、来夏の東京五輪に参加する選手のワクチン接種費用をIOCが負担する意向を表明した。菅首相との会談では、観客を入れて五輪を開催する方針で一致した。

 この「前文」を読むかぎりは、見出しと整合性がとれている。記事も見出しも、まず「ワクチン接種費用をIOCが負担する」「観客を入れて五輪を開催する」という順序になっている。ただし「菅首相との会談では、観客を入れて五輪を開催する方針で一致した」が「確信」ということばに要約できるかどうかは疑問が残る。
 記事を読み進むと、ほかのことも疑問に思えてくる。

②バッハ氏は同日夕、大会組織委員会の森喜朗会長らと記者会見に臨み、「ワクチンが入手可能ならIOCがコストを負担する」と明言した。「接種を義務化しない」とも語り、大会の参加要件にはしない方針を示した。

 ワクチン接種費用負担には「ワクチンが入手可能なら」という条件がついている。まだ、どうなるかわからない。五輪選手に優先接種できるかどうか、何もわからない。だいたいワクチンが完成しているかどうかもわからない。さらに「接種を義務化しない」というのなら、感染拡大防止にどれくらい効果があるのかわからない。
 だから1面の「会談のポイント」の4項目にも含まれていない。
 ほんとうは、どう語ったのか。4面に「会談要旨」がのっていて、そこには、こう書いてある。

ワクチンが開発され、入手可能になれば、大会参加者や訪問客が接種できるように努力したい。

 「努力したい」と言っているだけである。この「努力したい」を見出しにして、「決定事実」のように書くのはなぜなのか。
 16日に「特ダネ」で報道した「観客あり」が、「観客あり」とは言えない状況に追い込まれているからだろう。「観客あり」と見出しにしてしまっては「誤報」になりかねないと判断したから、それを避けた。「特ダネ」が「事実」であるとはいえないかもしれないと判断したから、二番手の記事に格下げしたのだ。
 トップは「継続へ(継続方針)」という「予測」記事。外れても、別に問題はない。「へ(方針)」と書いているのだから、ということだろう。
 で、もう一つの見出しになっている、「五輪に観客『確信』」の方は、「会談内容」を正確に伝えているのか。これが気になる。

③会談後、首相は記者団に「観客の参加を想定した様々な検討を進めていることを説明した。極めて有意義なやり取りができた」と語った。バッハ氏は「来年の大会では会場に観客を入れるということについて確信を持つことができた」と評価した。

 なんと、これは「会談内容」ではなく、会談後の「記者会見」でのことばであり、しかもそれは、日本が入念に準備していることを「確信した」ということにすぎない。この「確信した」は「評価した」である。言い直せば「確認した」になるかもしれない。さらに言い直せば、「菅よ、しっかり準備しろよ」と「念押しした」ということだろう。
 記事全体を読めばわかるのだが、バッハは実は何も言っていない。実質的には、菅が「大会を開きたい。そのために日本はこんな準備を進めている」と説明し、バッハが「そうか、がんばれ。菅ががんばるなら、そして、ワクチンができたなら選手に接種する費用は負担してもかまわないよ。選手が望めばだけれどね」とリップサービスしただけとしか思えない。
 こういう「ニュアンス」は取材した人間でないと実際のところはわからないものだが、そんな「ニュアンス」がつたわってくる記事である。そして、そういう「ニュアンス」を伝えながらも、それを必死になって隠そうとしているようにも見える。だから、読んでいて非常に奇妙な感じがするのだ。
 菅と電通が必死になっていることだけが、日々、つたわってくると言えばいいのか。

 それにしても。
 五輪がらみのもう一本のニュース。「安倍氏に五輪功労章」は、ばかげているなあ。現実にコロナを征服し、その結果として東京五輪を開催したあとなら、五輪のために安倍ががんばったと言えるかもしれないけれど、開かれてもいない東京五輪のために安倍ががんばっているという理由で表彰するのは、あまりにもおかしい。逆に見れば。東京五輪中止が決定してしまうと安倍を表彰する機会がなくなるから、そうならないようにするためにいま表彰したということ。つまり、東京五輪中止はIOCでは折り込みずみ、ということか。IOCにいろいろ金を貢いでくれて、ありがとう、という意味なんだろうなあ。






*

「情報の読み方」は10月1日から、notoに移行します。
https://note.com/yachi_shuso1953
でお読みください。
 

#菅を許さない #憲法改正 #読売新聞



*

「天皇の悲鳴」(1000円、送料別)はオンデマンド出版です。
アマゾンや一般書店では購入できません。
https://www.seichoku.com/user_data/booksale.php?id=168072977

ページ右側の「製本のご注文はこちら」のボタンを押して、申し込んでください。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

高橋睦郎『深きより』(5)

2020-11-17 09:12:05 | 高橋睦郎『深きより』
高橋睦郎『深きより』(5)(思潮社、2020年10月31日発行)

 「五 待ちつづける」は「小野小町」。

たぶんそこで わたくしは日がな夜どほし 待ちつづけた
誰を? 顔のない者を いつそ訪れそのものを と言はうか
それゆゑ いつしか付いた仮の名が小町 小やかな待つ女

 「待つ」と「訪れる」が交錯する。「動詞」は向き合うものがあって、はじめて行為として成り立つということか。動詞が向き合うとき、その両端に、たとえば男と女が生まれる。
 これは、詩の終わりで、こんなふうに言い直される。

されかうべの二つの眼窩にたまる雨水 雨水にうつる青空
あるいはそれが 花の移ろひ 夢の名残り 歌といふもの?

 「うつる」という動詞は書かれていない「うつす」を含む。「うつす/うつる」。雨水は青空を「うつす」、青空は雨水に「うつる」。それは切り離すことができない。
 同じように「待つ」は「訪れる」を切り離すことができないし、「訪れる」は「待つ」を切り離すことができない。
 しかし、現実には、その切り離せないものが切り離されてしまうことがある。
 その果てしない隔たりを「夢」がつなぐ。その「夢」をことばにした「歌」がつなぐ。「歌」は存在してはならない「断絶/切断」に懸けられた橋である。
 「待つ」けれど「訪れる」ものがいない。そのとき、「夢」は「歌」という橋をわたってしまう。
 それは「禁じられた越境」である。だから、「死(されこうべ)」になってしまうのだ。「歌」の橋をわたってしまうと。「歌」を詠んだひとは死ななければならない。ことばを生きた人間は死ななければならない。詩が、ことばにいのちを吹き込むのだ。死んだときにだけ、「待つ」という動詞が、たったひとつの生き方としてありつづける。永遠になる。


                



**********************************************************************

★「詩はどこにあるか」オンライン講座★

メール、skypeを使っての「現代詩オンライン講座」です。
メール(宛て先=yachisyuso@gmail.com)で作品を送ってください。
詩への感想、推敲のヒントをメール、skypeでお伝えします。

★メール講座★
随時受け付け。
週1篇、月4篇以内。
料金は1篇(40字×20行以内、1000円)
(20行を超える場合は、40行まで2000円、60行まで3000円、20行ごとに1000円追加)
1週間以内に、講評を返信します。
講評後の、質問などのやりとりは、1回につき500円。

★skype講座★
随時受け付け。ただし、予約制(午後10時-11時が基本)。
週1篇40行以内、月4篇以内。
1回30分、1000円。
メール送信の際、対話希望日、希望時間をお書きください。折り返し、対話可能日をお知らせします。

費用は月末に 1か月分を指定口座(返信の際、お知らせします)に振り込んでください。
作品は、A判サイズのワード文書でお送りください。
少なくとも月1篇は送信してください。


お申し込み・問い合わせは、
yachisyuso@gmail.com


また朝日カルチャーセンター福岡でも、講座を開いています。
毎月第1、第3月曜日13時-14時30分。
〒812-0011 福岡県福岡市博多区博多駅前2-1-1
電話 092-431-7751 / FAX 092-412-8571

**********************************************************************

「詩はどこにあるか」10月号を発売中です。
182ページ、1750円(送料別)
オンデマンド出版です。発注から1週間-10日ほどでお手許に届きます。
リンク先をクリックして、「製本のご注文はこちら」のボタンを押すと、購入フォームが開きます。

https://www.seichoku.com/user_data/booksale.php?id=1680710487

(バックナンバーは、谷内までお問い合わせください。yachisyuso@gmail.com)



オンデマンドで以下の本を発売中です。

(1)詩集『誤読』100ページ。1500円(送料別)
嵯峨信之の詩集『時刻表』を批評するという形式で詩を書いています。
https://www.seichoku.com/user_data/booksale.php?id=168072512

(2)評論『中井久夫訳「カヴァフィス全詩集」を読む』396ページ。2500円(送料別)
読売文学賞(翻訳)受賞の中井の訳の魅力を、全編にわたって紹介。
https://www.seichoku.com/user_data/booksale.php?id=168073009

(3)評論『高橋睦郎「つい昨日のこと」を読む』314ページ。2500円(送料別)
2018年の話題の詩集の全編を批評しています。
https://www.seichoku.com/user_data/booksale.php?id=168074804


(4)評論『ことばと沈黙、沈黙と音楽』190ページ。2000円(送料別)
『聴くと聞こえる』についての批評をまとめたものです。
https://www.seichoku.com/user_data/booksale.php?id=168073455

(5)評論『天皇の悲鳴』72ページ。1000円(送料別)
2016年の「象徴としての務め」メッセージにこめられた天皇の真意と、安倍政権の攻防を描く。
https://www.seichoku.com/user_data/booksale.php?id=168072977





問い合わせ先 yachisyuso@gmail.com
コメント (1)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

岸野昭彦『ら・その他』

2020-11-16 10:40:21 | 詩集
岸野昭彦『ら・その他』(七月堂、2020年11月01日発行)

 岸野昭彦『ら・その他』に「接続詞は単独では夢見られない」という魅力的な一行がある。「魅力的」というのは、想像力を刺戟される、「誤読」したくなる、という意味である。岸野のことばを置いてきぼりにして、私は勝手なことを考えてしまう。
 ほんとうに接続詞は単独では夢見られないのだろうか。
 それは「生きる」という詩のなかに出てくる。

ついに 失われたものがあって
その後に立ち尽くす日々
しかし そのような日々のあろうはずもない
陽は傾き 陽は硬く傾き
その下を滅びつつある野鼠の生まれ続けるしかし

の空白 として
移動する樹木の重ねられる非の歳月を空白 として
あるいは
接続詞は単独では夢見られない
にせよ夢見られない日々の不透明な連続で
あるにせよ
ヒカリが襲う星屑たちを別の名で呼べあるいは
不治の病 と呼ぶにせよ
支えよそして
立て

 この詩のなかの「接続詞」はどれか。「しかし」「あるいは」「そして」。それぞれに「働き」がある。「しかし」はそれまで語られてきたこととは違うことを語るときにつかう。「あるいは」は違うことを語ることもあれば同じことを語ることもある。「そして」はたぶん同じことを語るときにつかうことが多い。それがなんであれ、いままで語ってきたことを、さらに別なことばで押し広げるときにつかう。
 「接続詞は単独では夢見られない」は「接続詞は単独では存在することができない」ということだ。「存在する」を「夢見る」と岸野は考えていることになる。
 でも「夢見る」とは何? 「夢」とは何?
 簡単に言えば「現実ではないこと」が「夢」だろう。
 ここから逆に(?)考えれば、「接続詞は現実ではないこと」と結びついてこそ、「接続詞」の役割を果たすことになる。「夢」を「精神の力で見るもの」と言い直せば、「接続詞は、現実に触れながら、その現実を超えて精神の世界へとことばを動かしていくための踏み台」ということになるだろう。
 本来は「不連続」であるものを、ことばの力で「連続/接続」させてしまうのが「接続詞」の働きなのである。
 この詩のなかには「日」ということばがある。それは「陽」になり、「碑」を呼び、さらに「非」へと変化する。「非」は「あらず」である。「ない」である。「ない」ものにつながっていくための「接続詞」が存在する。
 ここからはさらに飛躍して、ほんとうに存在するのは「接続詞」だけであるということもできる。何かを「接続させてしまう意識」だけが存在する。それ以外のものは極端に言えば「存在」ではない。
 それらは常に「別の名」で呼ぶことができるのである。「星屑」を「不治の病」とさえ呼ぶことができる。「比喩」によって「存在」を隠し、同時に「存在」を新しい形で定義して、そこに出現させる。
 「失われたもの」は、そこには「ない」のだが、この「ない」を「失われたものがある」と逆の形で言うことができる。「失われる」という「こと(事件)」が「ある」から、何かが「ない」ということになる。あらゆることが「ことば」のなかで動く。その動きが「ある」。そして、その「ある」のなかには「接続詞」が隠れている。
 「なろうはず」も「ない」。「滅びつつある」ものが「生まれ続ける」。この「矛盾」を接続する「力/あるいは場」とはどういうものか。
 岸野は「空白」ということばで語ろうとしている。
 この詩集には、多くの「空白」が出てくる。「空白」としての「接続詞」、「無」としての「接続詞」、「非」そのものとしての「接続詞」。「生きる」とは「接続詞」になって存在するということか。
 「結論」は書かないでおこう。
 岸野のことばは「結論」を求めてはいない。ただ「接続詞」として世界のなかを動いていくことをめざしている。動いていくとき、そこに微妙な「ずれ」のようなものがはじまる。
 たとえば、「陽は傾き」は「陽は硬く傾き」と「硬く」を補って言い直さざるを得ないような「ずれ」が生まれる。この微妙な「ずれ」の促すものとして「接続詞」がある。このときの「私」の存在を「旅」では、こう書いている。

頁の白い余白、から光りはじめている薄い旅を、こぼれ
る滴を伝うように、そう、壊れていくのだ、私は。

 「壊れていく」は「壊していく」でもある。「私」は「私」を「壊す」。それまで「接続」していた関係を壊し、新しい関係を「余白」のなかで展開する。「余白」のなかで新しい世界があらわれる。生み出される。
 「壊れる/壊す」と「ら」のなかでは、「かけら」と呼ばれる。

美しいかけら。ら。かそけきひびき。うなだれる透明な
ひかりをはこぶもの。または、もぬけのから。方舟、の
もののかたち、からもとおく。

 「かけら」はかけらですらなく「ら」になっている。その「ら」から「もぬけのから」が生まれる(接続される)。「もぬけのから」は「もぬけの殻」であり、「空」なのだが、それは「……から(助詞/格助詞/接続助詞)」にも変化してしまう。
 岸野が書いているのは、そういう「時間(生きている現場)」である。「今日という時間」の一連目と三連目を引用しておく。

雲を見ている。しかし、私がここで雲を見ていることを、
誰も知らない。青い空に、キリンのかたちをした雲が浮
かび、ゆっくりとながれていく。とおいものが、とおい
ままに私の心に触れ、そのキリンの首のあたりからすぐ
にかたちを崩し、どこへともなくちぎれていく。

なにもない空に、白雲がおとずれていて、ふしぎなかた
ちをえがきながら何もかもがまた消えていき、ただ時間
だけがのこっている。そんな気もする。雲のなかにある
私という存在。または、私のなかにある、雲という存在。
誰もいない部屋にひとりでいて、それがさびしいのかど
うか、よくわからない。

 私は、この「わからない」が好きである。





**********************************************************************

★「詩はどこにあるか」オンライン講座★

メール、skypeを使っての「現代詩オンライン講座」です。
メール(宛て先=yachisyuso@gmail.com)で作品を送ってください。
詩への感想、推敲のヒントをメール、skypeでお伝えします。

★メール講座★
随時受け付け。
週1篇、月4篇以内。
料金は1篇(40字×20行以内、1000円)
(20行を超える場合は、40行まで2000円、60行まで3000円、20行ごとに1000円追加)
1週間以内に、講評を返信します。
講評後の、質問などのやりとりは、1回につき500円。

★skype講座★
随時受け付け。ただし、予約制(午後10時-11時が基本)。
週1篇40行以内、月4篇以内。
1回30分、1000円。
メール送信の際、対話希望日、希望時間をお書きください。折り返し、対話可能日をお知らせします。

費用は月末に 1か月分を指定口座(返信の際、お知らせします)に振り込んでください。
作品は、A判サイズのワード文書でお送りください。
少なくとも月1篇は送信してください。


お申し込み・問い合わせは、
yachisyuso@gmail.com


また朝日カルチャーセンター福岡でも、講座を開いています。
毎月第1、第3月曜日13時-14時30分。
〒812-0011 福岡県福岡市博多区博多駅前2-1-1
電話 092-431-7751 / FAX 092-412-8571

**********************************************************************

「詩はどこにあるか」10月号を発売中です。
182ページ、1750円(送料別)
オンデマンド出版です。発注から1週間-10日ほどでお手許に届きます。
リンク先をクリックして、「製本のご注文はこちら」のボタンを押すと、購入フォームが開きます。

https://www.seichoku.com/user_data/booksale.php?id=1680710487

(バックナンバーは、谷内までお問い合わせください。yachisyuso@gmail.com)



オンデマンドで以下の本を発売中です。

(1)詩集『誤読』100ページ。1500円(送料別)
嵯峨信之の詩集『時刻表』を批評するという形式で詩を書いています。
https://www.seichoku.com/user_data/booksale.php?id=168072512

(2)評論『中井久夫訳「カヴァフィス全詩集」を読む』396ページ。2500円(送料別)
読売文学賞(翻訳)受賞の中井の訳の魅力を、全編にわたって紹介。
https://www.seichoku.com/user_data/booksale.php?id=168073009

(3)評論『高橋睦郎「つい昨日のこと」を読む』314ページ。2500円(送料別)
2018年の話題の詩集の全編を批評しています。
https://www.seichoku.com/user_data/booksale.php?id=168074804


(4)評論『ことばと沈黙、沈黙と音楽』190ページ。2000円(送料別)
『聴くと聞こえる』についての批評をまとめたものです。
https://www.seichoku.com/user_data/booksale.php?id=168073455

(5)評論『天皇の悲鳴』72ページ。1000円(送料別)
2016年の「象徴としての務め」メッセージにこめられた天皇の真意と、安倍政権の攻防を描く。
https://www.seichoku.com/user_data/booksale.php?id=168072977





問い合わせ先 yachisyuso@gmail.com
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする