谷川俊太郎『聴くと聞こえる』(4)(創元社、2018年02月10日発行)
「和音」を読む。
「三つの声」は、どうやって聞こえてきたのか。「同時」か。
サイモンとガーファンクルに「7時のニュース/ きよしこの夜」という曲がある。「7時のニュース」と「きよしこの夜」が同時に聞こえる。
谷川が聞いたのは、そういうものではなく、それぞれが別々の時間に放送されたものだろう。ひとつづきの時間であったにしろ、それは「同時」ではない。音は重なっていない。だから、これは「物理的(音楽的?)」には「和音」ではない。
「三つの声」を谷川が思い出して、重ねるときに「和音」になるものである。
それは言い換えると、谷川が「和音」にするのである。
サイモンとガーファンクルの「7時のニュース/ きよしこの夜」。このニュースは「音楽」ではない。「ノイズ」と呼んでもかまわないものだろう。
私は音楽のことは何も知らないのだが、この「ノイズ」は「不協和音」とも言えるのではないか。
と、書きながら、ちょっと別なことも考える。
「和音」に「不協和音」というか、「不協」というものがあるのか。「和音」として感じ取る力が足りないときに「不協」というだけなのではないのか。
「音感」が豊かではないとき、つまり自分の「音感」で「和音」と感じないときに「不協和音」というのではないか。「既成の和音」でない音の重なりを「不協和音」というのではないのか。
たとえば「7時のニュース/ きよしこの夜」のニュースを読む声は「ノイズ」であり、音楽を壊すものかもしれない。しかし、それを「和音」ととらえることもできるのではないか。サイモンとガーファンクルは、そういうことを「問題提起」したのではないだろうか。
音楽に無知だから、私は、そんなことを考えた。
そしてまた、こんなことも。
「説教」「尋ね人」「天気予報」の三つの声が「和音」であるというとき、その「和音」の「正体」は何なのか。「音」なのか。それとも「意味」なのか。「音」は「低い男の声」で統一されている。「音程」の基本、キーというのだろうか、は似ていても、ことばそれぞれがもつメロディー(高低差)は違うから、それが「既成の和音」で呼べるものかどうか、なかなか判断はむずかしい。
「意味」の重なりを「和音」とは呼ばないだろうが、「和音」に通じる「響きあい」というものがあるかもしれない。「クラヴサン」に出てきた「すきとおった」と「北風」には「響きあう」ものがある。張り詰めた北風、その張り詰めた感じが透明。ふくらんだ春風、熱で濁った夏の風は「すきとおった」とは響きあわないだろう。「すきとおった/秋風」では、こんどは「定型」すぎて「和音」のようには聞こえない。そう考えると、「意味」は「和音」をつくると言えるだろう。
サイモンとガーファンクルの「7時のニュース」は何を語っているのか。英語は聞き取れないのでわからないが、「ニュースの意味」と「きよしこの夜の歌詞の意味」は響きあっているかもしれない。「音」としては「ノイズ」だが「意味」としては「和音」ということがあるかもしれない。
詩は、このあと、こう展開する。
この二連の「意味」は、よくわからない。
「時間も描かれた世界地図」とは「三つの声(ことば))」の「意味」がつくりだす世界の姿かもしれない。それが「僕の皮膚に浸透し」というのは、「僕」の「肉体」のなかに入ってきたということ。谷川が、その「意味」を自分と無関係なものとしてではなく、自分に関係あるものとして聞き取ったということか。
わからないものはわからないままにして、私は最後の行の「整った」ということばに注目した。
「整った」は「整える」。
音楽は「整えた」音のつらなりである。「音」を「整える」と「音楽」になる。
ラジオから聞こえた三つの男の声、三つの「意味」と「音」。
谷川は、それを「整える」。「音楽」であるかどうかはわからないが、まず「和音」にする。重なりあえるものと、響きあえるものとして「整える」。
このとき「整える」という「動詞」を担うのは何だろうか。何が「整える」の主語になれるだろうか。
「耳」か「頭/意識」か。
「頭」という感じがする。「意識」が「意味」を「整える」、そして「重ねる」。そういう「動き」があるのだと思う。
ここから、さらに、思う。
この「無色」とは何だろう。「透明」か。「すきとおった」か。
あるいは「無色」ではなく「無音」か。
つまり「静かさ」か。
谷川は、その「和音」を「雲から」聞き取っているが、私は「雲から」ではなく、むしろラジオで聞いた「三つの声/意味」と読みたいと思っている。
「三つの声」はもちろん「無音」ではない。「無音」ではないからこそ、「音のないもの=雲」を、その「統合/象徴」として谷川は必要としたのかもしれない、と感じる。
「意味」は「肉体」のなかに入ってきて、響きあっている。けれど、それを自分の「肉体」にあるという状態ではなく、「雲」という「自然」のなかに対象化して「聞きたい」という気持ちが、そこに動いているかもしれない。
*
「詩はどこにあるか」1月の詩の批評を一冊にまとめました。
詩はどこにあるか1月号注文
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目次
瀬尾育生「ベテルにて」2 閻連科『硬きこと水のごとし』8
田原「小説家 閻連科に」12 谷川俊太郎「詩の鳥」17
江代充「想起」21 井坂洋子「キューピー」27
堤美代「尾っぽ」32 伊藤浩子「帰心」37
伊武トーマ「反時代的ラブソング」42 喜多昭夫『いとしい一日』47
アタオル・ベフラモール「ある朝、馴染みの街に入る時」51
吉田修「養石」、大西美千代「途中下車」55 壱岐梢『一粒の』59
金堀則夫『ひの土』62 福田知子『あけやらぬ みずのゆめ』67
岡野絵里子「Winterning」74 池田瑛子「坂」、田島安江「ミミへの旅」 78
田代田「ヒト」84 植村初子『SONG BOOK』90
小川三郎「帰路」94 岩佐なを「色鉛筆」98
柄谷行人『意味という病』105 藤井晴美『電波、異臭、工学の枝』111
瀬尾育生「マージナル」116 宗近真一郎「「去勢」不全における消音、あるいは、揺動の行方」122
森口みや「余暇」129
オンデマンド形式です。
注文してから1週間程度でお手許にとどきます。
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以下の本もオンデマンドで発売中です。
(1)詩集『誤読』100ページ。1500円(送料250円)
嵯峨信之の詩集『時刻表』を批評するという形式で詩を書いています。
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(2)評論『中井久夫訳「カヴァフィス全詩集」を読む』396ページ。2500円(送料450円)
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問い合わせ先 yachisyuso@gmail.com
「和音」を読む。
東京放送は三つとも
静かな 低い男の声だった
ひとつは説教
ひとつは尋ね人
ひとつは天気予報
不思議に三つの声は
ある大きな空間を構成しているように思えた
「三つの声」は、どうやって聞こえてきたのか。「同時」か。
サイモンとガーファンクルに「7時のニュース/ きよしこの夜」という曲がある。「7時のニュース」と「きよしこの夜」が同時に聞こえる。
谷川が聞いたのは、そういうものではなく、それぞれが別々の時間に放送されたものだろう。ひとつづきの時間であったにしろ、それは「同時」ではない。音は重なっていない。だから、これは「物理的(音楽的?)」には「和音」ではない。
「三つの声」を谷川が思い出して、重ねるときに「和音」になるものである。
それは言い換えると、谷川が「和音」にするのである。
サイモンとガーファンクルの「7時のニュース/ きよしこの夜」。このニュースは「音楽」ではない。「ノイズ」と呼んでもかまわないものだろう。
私は音楽のことは何も知らないのだが、この「ノイズ」は「不協和音」とも言えるのではないか。
と、書きながら、ちょっと別なことも考える。
「和音」に「不協和音」というか、「不協」というものがあるのか。「和音」として感じ取る力が足りないときに「不協」というだけなのではないのか。
「音感」が豊かではないとき、つまり自分の「音感」で「和音」と感じないときに「不協和音」というのではないか。「既成の和音」でない音の重なりを「不協和音」というのではないのか。
たとえば「7時のニュース/ きよしこの夜」のニュースを読む声は「ノイズ」であり、音楽を壊すものかもしれない。しかし、それを「和音」ととらえることもできるのではないか。サイモンとガーファンクルは、そういうことを「問題提起」したのではないだろうか。
音楽に無知だから、私は、そんなことを考えた。
そしてまた、こんなことも。
「説教」「尋ね人」「天気予報」の三つの声が「和音」であるというとき、その「和音」の「正体」は何なのか。「音」なのか。それとも「意味」なのか。「音」は「低い男の声」で統一されている。「音程」の基本、キーというのだろうか、は似ていても、ことばそれぞれがもつメロディー(高低差)は違うから、それが「既成の和音」で呼べるものかどうか、なかなか判断はむずかしい。
「意味」の重なりを「和音」とは呼ばないだろうが、「和音」に通じる「響きあい」というものがあるかもしれない。「クラヴサン」に出てきた「すきとおった」と「北風」には「響きあう」ものがある。張り詰めた北風、その張り詰めた感じが透明。ふくらんだ春風、熱で濁った夏の風は「すきとおった」とは響きあわないだろう。「すきとおった/秋風」では、こんどは「定型」すぎて「和音」のようには聞こえない。そう考えると、「意味」は「和音」をつくると言えるだろう。
サイモンとガーファンクルの「7時のニュース」は何を語っているのか。英語は聞き取れないのでわからないが、「ニュースの意味」と「きよしこの夜の歌詞の意味」は響きあっているかもしれない。「音」としては「ノイズ」だが「意味」としては「和音」ということがあるかもしれない。
詩は、このあと、こう展開する。
時間も描かれた世界地図が
ゆれながら
僕の皮膚に浸透し……
雲から和音が
整った 無色の和音が感じられた
この二連の「意味」は、よくわからない。
「時間も描かれた世界地図」とは「三つの声(ことば))」の「意味」がつくりだす世界の姿かもしれない。それが「僕の皮膚に浸透し」というのは、「僕」の「肉体」のなかに入ってきたということ。谷川が、その「意味」を自分と無関係なものとしてではなく、自分に関係あるものとして聞き取ったということか。
わからないものはわからないままにして、私は最後の行の「整った」ということばに注目した。
「整った」は「整える」。
音楽は「整えた」音のつらなりである。「音」を「整える」と「音楽」になる。
ラジオから聞こえた三つの男の声、三つの「意味」と「音」。
谷川は、それを「整える」。「音楽」であるかどうかはわからないが、まず「和音」にする。重なりあえるものと、響きあえるものとして「整える」。
このとき「整える」という「動詞」を担うのは何だろうか。何が「整える」の主語になれるだろうか。
「耳」か「頭/意識」か。
「頭」という感じがする。「意識」が「意味」を「整える」、そして「重ねる」。そういう「動き」があるのだと思う。
ここから、さらに、思う。
無色の和音
この「無色」とは何だろう。「透明」か。「すきとおった」か。
あるいは「無色」ではなく「無音」か。
つまり「静かさ」か。
谷川は、その「和音」を「雲から」聞き取っているが、私は「雲から」ではなく、むしろラジオで聞いた「三つの声/意味」と読みたいと思っている。
「三つの声」はもちろん「無音」ではない。「無音」ではないからこそ、「音のないもの=雲」を、その「統合/象徴」として谷川は必要としたのかもしれない、と感じる。
「意味」は「肉体」のなかに入ってきて、響きあっている。けれど、それを自分の「肉体」にあるという状態ではなく、「雲」という「自然」のなかに対象化して「聞きたい」という気持ちが、そこに動いているかもしれない。
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「詩はどこにあるか」1月の詩の批評を一冊にまとめました。
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目次
瀬尾育生「ベテルにて」2 閻連科『硬きこと水のごとし』8
田原「小説家 閻連科に」12 谷川俊太郎「詩の鳥」17
江代充「想起」21 井坂洋子「キューピー」27
堤美代「尾っぽ」32 伊藤浩子「帰心」37
伊武トーマ「反時代的ラブソング」42 喜多昭夫『いとしい一日』47
アタオル・ベフラモール「ある朝、馴染みの街に入る時」51
吉田修「養石」、大西美千代「途中下車」55 壱岐梢『一粒の』59
金堀則夫『ひの土』62 福田知子『あけやらぬ みずのゆめ』67
岡野絵里子「Winterning」74 池田瑛子「坂」、田島安江「ミミへの旅」 78
田代田「ヒト」84 植村初子『SONG BOOK』90
小川三郎「帰路」94 岩佐なを「色鉛筆」98
柄谷行人『意味という病』105 藤井晴美『電波、異臭、工学の枝』111
瀬尾育生「マージナル」116 宗近真一郎「「去勢」不全における消音、あるいは、揺動の行方」122
森口みや「余暇」129
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(1)詩集『誤読』100ページ。1500円(送料250円)
嵯峨信之の詩集『時刻表』を批評するという形式で詩を書いています。
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(2)評論『中井久夫訳「カヴァフィス全詩集」を読む』396ページ。2500円(送料450円)
読売文学賞(翻訳)受賞の中井の訳の魅力を、全編にわたって紹介。
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2016年の「象徴としての務め」メッセージにこめられた天皇の真意と、安倍政権の攻防を描く。
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